ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 大般涅槃経 (大般涅槃經)
  2. 第四 (第四)
  3. 7 四相品
  4. 1 (1)
←と→
矢印キーでページをめくれます

大般涅槃経 (大般涅槃經)


四相品第七之一

四相品 第七の一

佛復告迦葉:「善男子!菩薩摩訶薩分別開示大般涅槃有四相義。何等為四?一者、自正,二者、正他,三者、能隨問答,四者、善解因緣義。

また仏は迦葉に告げられた。「善男子よ、菩薩摩訶薩は大般涅槃に四つの相があることを説き明かす。その四つとは何か?第一に自らを正すこと、第二に他を正すこと、第三に問いに応じて答えることができること、第四に因縁の意味をよく理解することである。」

「迦葉!云何自正?若佛如來見諸因緣而有所說。譬如比丘見大火聚,便作是言:『我寧抱是熾然火聚,終不敢於如來所說十二部經及祕密藏,謗言:「此經是魔所說。」若言:「如來、法、僧無常。」如是說者,為自侵欺、亦欺於人。』寧以利刀自斷其舌,終不說言:『如來、法、僧是無常也。』若聞他說亦不信受,於此說者應生憐愍。如來、法、僧不可思議應如是持,自觀己身猶如火聚,是名自正。

「迦葉よ。では、自らを正すとはどういうことか。如来はあらゆる因縁を見極めて説法される。たとえば比丘が、大きな炎の塊を見てこう言うようなものだ。 『私はこの燃え盛る炎の塊に抱きつくほうがまだましだ。決して如来の説かれた十二部経や秘密の教えを誹謗して、「この経は悪魔の説いたものだ」などとは言わない。また、「如来や法や僧は無常である」とも言わない。そのように説く者は、自らを欺き、他人をも欺くことになるのだ。』 むしろ鋭い刀で自らの舌を断つほうがまだよい。決して『如来、法、僧は無常である』とは言うな。たとえ他の者がそのように言うのを聞いても、それを信じてはならない。そのような説法をする者には、むしろ憐れみの心を起こすべきである。 如来、法、僧は不可思議であり、そうとらえて守るべきである。自らの身を、あたかも炎の塊を見るように観ずること。これこそを自らを正すというのである。」

「迦葉!云何正他?佛說法時,有一女人乳養嬰兒,來詣佛所,稽首佛足,有所顧念,心自思惟,便坐一面。爾時,世尊知而故問:『汝以愛念多唅兒酥,不知籌量消與不消。』爾時,女人即白佛言:『甚奇,世尊!善能知我心中所念,唯願如來教我多少。世尊!我於今朝多與兒酥,恐不能消,將無夭壽。唯願如來為我解說。』佛言:『汝兒所食尋即消化,增益壽命。』女人聞已,心大踊躍,復作是言:『如來實說,故我歡喜。』世尊如是為欲調伏諸眾生故,善能分別說消、不消,亦說諸法無我、無常。若佛世尊先說常者,受化之徒當言:『此法同彼外道。』即便捨去。

「迦葉よ。『他を正す』とは何か。仏が説法しているとき、一人の女が乳飲み子を抱いて仏のもとにやって来た。彼女は仏の足に頭を伏せて礼をし、何か思い悩むことがあって心の中で考え込み、そのまま片隅に座った。そこで、世尊は彼女の心中を知りながら、あえて問いかけた。『あなたは愛しいあまり、わが子に酥(バター)をたくさん含ませたが、消化するかどうかを考えずに与えたのではないか。』すると女は仏に申し上げた。『不思議なことです、世尊。私の心の内をよくお見通しですね。どうか如来様、どのくらい与えるべきかをお教えください。世尊、私は今朝、わが子にたくさんの酥を与えましたが、消化できないのではないかと心配です。もしや命を縮めてしまうのではと恐れています。どうか如来様、私に説き明かしてください。』仏は言われた。『あなたの子が食べたものは、すぐに消化され、寿命を延ばすでしょう。』女はこれを聞いて心から喜び、さらにこう言った。『如来様が真実をおっしゃったからこそ、私は喜んでおります。』このように世尊は、あらゆる衆生を調伏するために、消化するものとしないものを巧みに分別して説き、またあらゆる法は無我であり無常であるとも説かれた。もし仏世尊が最初から「常である」と説いたならば、教えを受ける人々は『この法はあの外道と同じだ』と言って、すぐに離れ去ってしまったであろう。」

「復告女人:『若兒長大能自行來,凡所食噉——能消、難消——本所與酥則不供足。』我之所有聲聞弟子亦復如是,如汝嬰兒不能消是常住之法,是故,我先說苦、無常。若我聲聞諸弟子等功德已備,堪任修習大乘經典,我於是經為說六味。云何六味?說苦醋味、無常醎味、無我苦味、樂為甜味、我為辛味、常為淡味。彼世間中有三種味,所謂無常、無我、無樂,煩惱為薪、智慧為火,以是因緣成涅槃食,謂常、樂、我,令諸弟子悉皆甘嗜。

また女人に告げられた。「もし子が成長して自ら歩いて来られるようになれば、その食べるものすべて――消化できるものも難しいものも――、かつて与えていた酥ではもう足りなくなる。わたしの声聞の弟子たちもまた同じである。あなたの赤子がこの常住の法を消化できないように、わたしはまず苦と無常を説いた。もしわたしの声聞の弟子たちの功徳がすでに備わり、大乗経典を修行するにふさわしくなったなら、わたしはこの経に六味を説く。六味とは何か。苦という酢の味、無常という塩辛い味、無我という苦い味、楽という甘い味、我という辛い味、常という淡い味である。あの世間には三種の味がある。すなわち無常、無我、無楽である。煩悩を薪とし、智慧を火として、この因縁によって涅槃の食が成る。すなわち常、楽、我であり、すべての弟子たちにことごとく甘く味わわせるのである。」

「復告女人:『汝若有緣欲至他處,應驅惡子令出其舍,悉以寶藏付示善子。』女人白佛:『實如聖教,珍寶之藏應示善子,不示惡子。』『姊!我亦如是。般涅槃時,如來微密無上法藏不與聲聞諸弟子等,如汝寶藏不示惡子;要當付囑諸菩薩等,如汝寶藏委付善子。何以故?聲聞弟子生變異想,謂佛如來真實滅度,然我真實不滅度也。如汝遠行未還之頃,汝之惡子便言汝死,汝實不死。諸菩薩等說言:「如來常、不變易。」如汝善子不言汝死。以是義故,我以無上祕密之藏付諸菩薩。』

また、仏が女人に告げられた。 「もしあなたに縁あって、どこか他所へ行くことがあるなら、悪い子を家から追い出し、全ての宝の蔵を善い子に示し与えなさい。」 女人が仏に申し上げた。 「本当におっしゃる通りです。宝物の蔵は善い子に示すべきで、悪い子に示すべきではありません。」 仏は言われた。 「姉よ、私も同じである。私が般涅槃に入る時、如来の微細で秘密の無上の法蔵は、声聞の弟子たちには与えない。それは、あなたの宝の蔵を悪い子に示さないのと同じである。必ずや諸々の菩薩たちに託すのである。それは、あなたの宝の蔵を善い子に委ねるのと同じである。なぜなら、声聞の弟子たちは変異の想いを起こし、『仏・如来は真実に滅度された』と思うが、しかし私は真実には滅度しないのである。ちょうどあなたが遠くへ行ってまだ帰らない間に、あなたの悪い子が『あなたは死んだ』と言うが、あなたは実際には死んでいないのと同じである。諸々の菩薩たちは『如来は常住であり、変化しない』と説く。それは、あなたの善い子が『あなたは死んだ』と言わないのと同じである。このような理由により、私は無上の秘密の蔵を諸々の菩薩に託すのである。」

「善男子!若有眾生謂佛常住、不變異者,當知是家則為有佛,是名正他。

「善男子(ぜんなんし)よ。もしも衆生の中に、『仏は常住であり、変化することはない』と説く者がいるならば、その者の家には仏がおられることを知るべきである。これを『正しい他者(正他)』と呼ぶ。」

「迦葉!云何能隨問答者?若有人來問佛世尊:『我當云何不捨錢財而得名為大施檀越?』佛言:『若有沙門、婆羅門等,少欲知足,不受、不畜不淨物者,當施其人奴婢、僕使;修梵行者,施與女色;斷酒肉者,施以酒肉;不過中食,施過中食;不著花香,施以花香。如是施者,施名流布、聲聞天下,未曾損己一毫之費。』是則名為能隨問答。」

「迦葉よ、どのようにすれば、問いに応じて答えられるのでしょうか。もし人が来て、仏世尊にこう問うたとします。『私はどうすれば、財産を捨てることなく、大きな施し主(檀越)と呼ばれることができるのでしょうか。』仏はこうおっしゃいます。『もし沙門や婆羅門などで、少欲知足であり、不浄な物を受け取らず、蓄えない者があれば、その人に奴婢や僕使を施しなさい。梵行を修める者には女色を施しなさい。酒肉を断つ者には酒肉を施しなさい。正午を過ぎての食事をしない者には、正午を過ぎての食事を施しなさい。花香を身につけない者には、花香を施しなさい。このように施すならば、施しの名声が広まり、天下に知れ渡りますが、自分の一毫の出費も損なうことはありません。』これが、問いに応じて答えられる、と呼ばれるのです。」

爾時,迦葉菩薩白佛言:「世尊!食肉之人不應施肉。何以故?我見不食肉者有大功德。」

その時、迦葉菩薩が仏に申し上げました。「世尊よ。肉を食べる人には、肉を施してはいけません。なぜなら、肉を食べない人には大きな功徳があると私は見ておりますから。」

佛讚迦葉:「善哉,善哉。汝今乃能善知我意,護法菩薩應當如是。善男子!從今日始,不聽聲聞弟子食肉。若受檀越信施之時,應觀是食如子肉想。」

仏は迦葉をほめたたえて言った。「善きかな、善きかな。汝、今まさによく我が意を知れり。法を護る菩薩は、まさにこのようにあるべきである。善き男子よ、今日より以後、声聞の弟子たちに肉を食べることを許さない。もし施主からの信施を受けるときには、その食べ物をわが子の肉と思うように観じなさい。」

迦葉菩薩復白佛言:「世尊!云何如來不聽食肉?」

迦葉菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、なぜ如来は肉を食べることをお許しにならないのですか?」

「善男子!夫食肉者,斷大慈種。」

「善き男子たちよ。肉を食べる者は、大きな慈悲の種を絶ってしまうのです。」

迦葉又言:「如來何故先聽比丘食三種淨肉?」

迦葉尊者がまた尋ねました。「なぜ如来は、最初に比丘たちに三種の浄肉を食べることを許されたのですか?」

「迦葉!是三種淨肉隨事漸制。」

迦葉よ、これらの三種の清浄な肉に関する教えは、状況に応じて段階的に定められた戒めである。

迦葉菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故十種不淨乃至九種清淨而復不聽?」

迦葉菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊、どのような理由で十種の不浄や九種の清浄についても、お聴きいただけないのでしょうか。」

佛告迦葉:「亦是因事漸次而制,當知即是現斷肉義。」

仏が迦葉に告げられた。「これもまた、因縁に従って徐々に定められたものである。すなわち、これは今、肉食を断つという教えを示しているのだと知るべきである。」

迦葉菩薩復白佛言:「云何如來稱讚魚肉為美食耶?」

迦葉菩薩が再び佛に申し上げました。「なぜ如来は魚や肉を美味な食べ物とお褒めになるのでしょうか?」

「善男子!我亦不說魚肉之屬為美食也。我說甘蔗、粳米、石蜜、一切穀麥及黑石蜜、乳酪、蘇油以為美食。雖說應畜種種衣服,所應畜者要是壞色,何況貪著是魚肉味?」

「善男子よ。わたしは魚や肉のたぐいを美食とは説かない。わたしが美食として説くのは、甘蔗、粳米、石蜜、あらゆる穀物や麦、そして黒石蜜、乳酪、蘇油である。さまざまな衣服を蓄えるべきとは説くが、蓄えるべきものはあくまで濁った色のものである。ましてや、魚や肉の味に執着することなど、あってはならないのだ。」

迦葉復言:「如來若制不食肉者,彼五種味,乳酪、酪漿、生酥、熟酥、胡麻油等,及諸衣服、憍奢耶衣、珂貝、皮革、金銀盂器,如是等物亦不應受。」

迦葉尊者がまたお尋ねしました。「もし如来様が肉を食べることを禁じられたのであれば、それらの五つの味――乳、酪、酪漿、生酥、熟酥、胡麻油など――や、衣服の類、特に高級な衣(コーシヤ衣)、貝殻、皮革、金や銀の器なども、受け取るべきではないのでしょうか。」

「善男子!不應同彼尼乾所見。如來所制一切禁戒各有異意,異意故,聽食三種淨肉;異想故,斷十種肉;異想故,一切悉斷及自死者。迦葉!我從今日制諸弟子不得復食一切肉也。迦葉!其食肉者——若行、若住、若坐、若臥——一切眾生聞其肉氣悉生恐怖。譬如有人近師子已,眾人見之,聞師子臭亦生恐怖。

「善男子よ。尼乾子(ジャイナ教の修行者)たちの見解と同じであってはならない。如来の定めたすべての戒めには、それぞれ異なる意味がある。その意味の違いによって、三種の浄肉を食べることを許したのである。また別の考えから十種の肉を断ち、さらに別の考えからすべての肉と、自ら死んだものまでも断つこととしたのだ。

迦葉よ、私は今日より、弟子たちに一切の肉を再び食べてはならぬと制する。迦葉よ、肉を食べる者は、歩いていようと、立っていようと、座っていようと、横たわっていようと、すべての生きとし生けるものがその肉の臭いを聞いて、みな恐怖を抱く。例えば、ある人が獅子に近づくと、それを見た人々が獅子の臭いを嗅いで恐怖するのと同じである。」

「善男子!如人噉蒜,臭穢可惡,餘人見之,聞臭捨去。設遠見者猶不欲視,況當近之?諸食肉者亦復如是,一切眾生聞其肉氣悉皆恐怖,生畏死想,水、陸、空行、有命之類悉捨之走,咸言:『此人是我等怨。』是故,菩薩不習食肉,為度眾生示現食肉,雖現食之,其實不食。善男子!如是,菩薩清淨之食猶尚不食,況當食肉?

「善男子、善女人よ。例えば、人がニンニクを食べると、その臭いは嫌悪すべきものであり、他の人はそれを見て、臭いを嗅いで逃げ去る。遠くから見ただけでも見ようとしないのに、ましてや近づくことがあろうか。肉を食べる者たちもまた同じである。すべての生きとし生けるものは、その肉の臭いを聞くや否や皆、恐怖し、死を恐れる思いを抱く。水に生きるもの、陸に生きるもの、空を飛ぶもの、命あるものたちは皆、その者から逃げ去り、口々に言う『この人は我々の敵だ』と。

ゆえに、菩薩は肉を食べる習慣を持たない。しかし、眾生を救済するために、肉を食べる姿を示すことがあっても、実際に食べているわけではない。善男子よ、このように菩薩は清らかな食べ物さえもなお食べないのだ。ましてや肉を食べることがあろうか。」

「善男子!我涅槃後無量百歲,四道聖人悉復涅槃。正法滅後,於像法中,當有比丘,貌像持律,少讀誦經,貪嗜飲食,長養其身,身所被服麁陋醜惡,形容憔悴,無有威德,放畜牛、羊,擔負薪草,頭、鬚、髮、爪悉皆長利。雖服袈裟猶如獵師,細視徐行如猫伺鼠,常唱是言:『我得羅漢。』多諸病苦,眠臥糞穢,外現賢善、內懷貪嫉,如受瘂法婆羅門等。實非沙門,現沙門像,邪見熾盛,誹謗正法。如是等人破壞如來所制戒律、正行、威儀,說解脫果,離不淨法及壞甚深祕密之教,各自隨意反說經律,而作是言:『如來皆聽我等食肉。』自生此論,言是佛說,互共諍訟,各自稱是沙門釋子。

「善男子よ。私が涅槃に入った後、数百年が過ぎると、四つの道を証得した聖者たちも皆、涅槃に入るでしょう。正法が滅びた後の像法の時代には、次のような比丘が現れます。戒律を守っているように見せかけながら、経典の読誦はほとんどせず、食欲に貪り、ただ身体を養うことだけに専念します。身にまとう衣は粗末で醜く、やつれ果てて威厳もなく、牛や羊を放し飼いにし、薪や草を運び、頭や鬚、髪、爪は伸び放題で鋭くなっています。袈裟をまとっていても、まるで猟師のように振る舞い、猫が鼠を狙うように細やかに見渡し、ゆっくりと歩きます。そして常に『私は阿羅漢だ』と言い放ちます。多くの病に苦しみ、糞尿の中で眠りながらも、外には賢く善良なふりをし、内には貪欲と嫉妬を抱えています。あたかも口のきけないバラモンのような状態です。

実際には沙門ではないのに、沙門の姿を現し、邪見が盛んに燃え上がり、正法を誹謗します。このような人々は、如来が定めた戒律や正しい行い、威儀を破り、解脱の果報について語りながら、不浄な法から離れず、甚深な秘密の教えをも壊してしまいます。各自が勝手に経や律を解釈し、『如来は私たちが肉を食べることをすべて許している』と言い立てます。自分たちでこのような論を起こしながら、それを仏の説法だと主張し、互いに争い合い、各自が自分こそ沙門の子(仏弟子)であると称するのです。」

「善男子!爾時,復有諸沙門等貯聚生穀,受取魚肉,手自作食,執持油瓶、寶蓋、革屣,親近國王、大臣、長者,占相星宿,勤修醫道,畜養奴婢、金、銀、琉璃、車𤦲、馬瑙、頗梨、真珠、珊瑚、虎珀、璧玉、珂貝、種種菓蓏,學諸技藝、畫師、泥作、造書、教學、種植根栽、蠱道、呪幻、和合諸藥、作倡伎樂、香花治身、摴蒲圍碁、學諸工巧。若有比丘能離如是諸惡事者,當說是人真我弟子。」

「善男子よ。その時、また多くの沙門たちが穀物を貯め集め、魚や肉を受け取り、自らの手で食事を作り、油壺や宝蓋、革靴を手放さず、国王や大臣、長者たちに近づき、星や宿を占い、医術に励み、奴婢や金、銀、琉璃、車渠、瑪瑙、玻璃、真珠、珊瑚、虎珀、璧玉、珂貝、様々な果物や野菜を蓄え、多くの技芸や絵師や土細工、文書作りや教育、根付く植物の栽培、蠱惑的な術や呪術や幻術、薬剤の調合、音楽や舞踏、香や花で身を飾ること、博打や囲碁、様々な工芸技術を学びました。もしこのような悪しき行いを離れることのできる比丘があるなら、その人こそが本当に私の弟子であると説くべきです。」

爾時,迦葉復白佛言:「世尊!諸比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷因他而活,若乞食時得雜肉食,云何得食——應清淨法?」

その時、迦葉が再び仏に申し上げました。「世尊よ、比丘や比丘尼、在家の男女の信者たちは、他者に支えられて生きています。もし托鉢の際に、肉の混じった食べ物を得たならば、どのようにして清らかな行いとしてそれを食べるべきなのでしょうか?」

佛言:「迦葉!當以水洗,令與肉別,然後乃食。若其食器為肉所污,但使無味,聽用無罪。若見食中多有肉者則不應受。一切現肉悉不應食,食者得罪。我今唱是斷肉之制,若廣說者則不可盡,涅槃時到是故略說,是則名為能隨問答。

仏は言われた。「迦葉よ、水で洗って肉と別にしてから食べなさい。もし食事の器が肉で汚れていても、味がしなければ使っても罪はない。もし食べ物の中に肉が多いなら、受け取ってはならない。一切の現前の肉は、すべて食べるべきではない。食べる者は罪を得る。私は今、この肉を断つ制限を宣言する。もし詳しく説けば尽きることはないが、涅槃の時が来たので簡略に説く。これを『問いに随って答える』というのである。」

「迦葉!云何善解因緣義?如有四部之眾來問我言:『世尊!如是之義,如來初出,何故不為波斯匿王說是法門深妙之義,或時說深、或時說淺,或名為犯、或名不犯?』」

迦葉よ、何をもって因縁の義を善く理解したというのか。たとえば、四部の衆が私のもとに来てこう問うことがある。「世尊よ、このような義について、如来が初めて出られた時、なぜ波斯匿王に対してこの法門の深妙な義を説かれなかったのでしょうか。ある時は深く説き、ある時は浅く説き、あるいは犯すと名づけ、あるいは犯さないと名づけるのはなぜですか」と。

「云何名墮?云何名律?云何名波羅提木叉義?」

「堕つとは何か。律とは何か。波羅提木叉の意味とは何か。」

佛言:「波羅提木叉者,名為知足,成就威儀,無所受畜,亦名淨命。墮者,名四惡趣。又復,墮者,墮於地獄乃至阿鼻,論其遲速過於暴雨,聞者驚怖,堅持禁戒,不犯威儀,修習知足,不受一切不淨之物。又復,墮者,長養地獄、畜生、餓鬼。以是諸義,故名曰墮。波羅提木叉者,離身、口、意不善邪業。律者,入戒、威儀,深經善義,遮受一切不淨之物及不淨因緣,亦遮四重、十三僧殘、二不定法、三十捨墮、九十一墮、四悔過法、眾多學法、七滅諍等。

仏陀は言われた。「波羅提木叉とは、足ることを知り、威儀を成就し、受け取って蓄えることがなく、清らかな生活を送ることである。堕とは、四つの悪趣を指す。さらに堕とは、地獄、さらには阿鼻地獄に落ちることである。その速さは暴雨よりも速く、聞く者は驚き恐れる。そのため、戒律を堅く守り、威儀を犯さず、足ることを知る修行を積み、一切の不浄な物を受け取ってはならない。また、堕とは、地獄・畜生・餓鬼の世界を長く養うことである。これらの意味から、これを堕と名付ける。波羅提木叉とは、身・口・意の不善な邪業から離れることである。律とは、戒律や威儀に入り、深い経典の善い義理を学び、一切の不浄な物や不浄な因縁を受け取ることを防ぎ、また四重禁、十三僧残、二不定法、三十捨堕、九十一堕、四悔過法、多くの学法、七滅諍などを防ぐものである。」

「或復有人破一切戒。云何一切?謂四重法乃至七滅諍法。或復有人誹謗正法、甚深經典,及一闡提具足成就、盡一切相、無有因緣,如是等人自言:『我是聰明利智,輕重之罪悉皆覆藏。』覆藏諸惡如龜藏六,如是眾罪長夜不悔;以不悔故,日夜增長。是諸比丘所犯眾罪終不發露,是使所犯遂復滋漫。是故,如來知是事已,漸次而制,不得一時。」

あるいは、全ての戒律を破る者もいる。では、「全て」とは何を指すのか。それは四重罪から七滅諍法に至るまでの戒律である。あるいは、正しい教えや深遠な経典を誹謗し、一闡提(いっせんだい)の状態に完全に達し、あらゆる相を尽くし、因縁もない者もいる。そうした人々は自ら「私は聡明で利口である」と言いながらも、軽い罪も重い罪もすべて隠し隠蔽する。あたかも亀が手足を甲羅に隠すように、悪事を隠し続ける。そのような罪を長い夜にわたって悔いることなく、悔い改めないがゆえに、罪は日夜増大していく。これらの比丘たちは犯した様々な罪を決して告白せず、それにより犯した罪はますます広がっていく。それゆえ、如来はこの事実を理解した上で、段階的に戒律を定められたのであり、一度に全てを定めたわけではない。

爾時,有善男子、善女人白佛言:「世尊!如來久知如是之事,何不先制?將無世尊欲令眾生入阿鼻獄?譬如多人欲至他方,迷失正路,隨逐邪道。是諸人等不知迷故,皆謂是道,復不見人可問是非。眾生如是迷於佛法,不見正真,如來應為先說正道,勅諸比丘:『此是犯戒、此是持戒,當如是制。』何以故?如來正覺是真實者,知見正道,唯有如來天中之天能說十善增上功德及其義味。是故啟請,應先制戒。」

その時、ある善男子と善女人が仏に申し上げました。「世尊よ、如来はこのようなことを長くご存じでありながら、なぜ先に戒律をお定めにならなかったのでしょうか。あるいは世尊は、衆生を阿鼻地獄に入れようとされるおつもりなのでしょうか。たとえば、大勢の人が他所へ向かおうとして正しい道を失い、邪な道に従って進むようなものです。この人々は迷っていることに気づかず、皆その道が正しいと思い、しかも道の是非を尋ねる人も見当たりません。衆生もこのようにして仏法に迷い、正しい真実を見ることができません。如来はまず正道を示し、比丘たちに『これは戒を犯すことであり、これは戒を守ることである。このように定めよ』とお示しになるべきでした。なぜなら、如来の正覚は真実のものであり、正道を知り見る者は、天中の天である如来をおいて他にはなく、十善の増上の功徳とその意義と味わいを説くことができるからです。それゆえ、私たちはお願い申し上げます。どうかまず戒律をお定めください。」

佛言:「善男子!若言:『如來能為眾生宣說十善增上功德。』是則如來視諸眾生如羅睺羅。云何難言:『將無世尊欲令眾生入於地獄?』我見一人有墮阿鼻地獄因緣,尚為是人住世一劫、若減一劫。我於眾生有大慈悲,何緣當誑如子想者令入地獄?善男子!如王國內有納衣者,見衣有孔然後乃補。如來亦爾,見諸眾生有入阿鼻地獄因緣,即以戒善而為補之。善男子!譬如轉輪聖王先為眾生說十善法,其後漸漸有行惡者,王即隨事以漸斷之,斷諸惡已,然後自行聖王之法。善男子!我亦如是,雖有所說,不得先制,要因比丘漸行非法然後方乃隨事制之。樂法眾生隨教修行,如是等眾乃能得見如來法身。如轉輪王所有輪寶不可思議;如來亦爾,不可思議;法、僧二寶亦不可思議;能說法者及聞法者皆不可思議。是名善解因緣義也。

仏陀は言われた。「善男子よ、『如来は衆生のため、十善の増上の功徳を説くことができる』と言うならば、それこそ如来が衆生を羅睺羅のように見ている証拠である。どうして『世尊は衆生を地獄に堕とそうとしているのではないか』と疑うのか。私は、一人でも阿鼻地獄に堕ちる因縁のある者を見れば、その者のために一劫あるいはそれ以下の劫もこの世に留まる。私は衆生に対して大いなる慈悲を持っている。どうして我が子のように思う者を、偽って地獄に導くことがあろうか。善男子よ、例えば王国に『納衣』を着る者がいて、衣に穴があればそれを修繕するように、如来もまた、衆生に阿鼻地獄に堕ちる因縁があるのを見れば、戒めの善を用いてそれを修繕するのである。善男子よ、例えば転輪聖王がまず衆生に十善の法を説き、その後次第に悪を行う者が現れれば、王は状況に応じて徐々にそれを断ち切り、悪を断ち終えた後に、自ら聖王の法を行うようなものである。善男子よ、私もまた同じである。たとえ何かを説いても、あらかじめ戒律を定めることはない。必ず比丘が次第に非法を行うのを待って、それから状況に応じて戒律を定めるのである。法を喜ぶ衆生は教えに従って修行し、そのような者たちこそが如来の法身を見ることができる。転輪王の持つ輪宝が不可思議であるように、如来もまた不可思議であり、法と僧の二宝もまた不可思議であり、法を説く者もそれを聞く者も皆、不可思議である。これこそ因縁の義をよく解すると言うのである。」

「菩薩如是分別開示四種相義,是名大乘大涅槃中因緣義也。

菩薩がこのように四つの相の意味を分別して示すこと、これを大乗大涅槃における因縁の義と名づけるのです。

「復次,自正者,所謂得是大般涅槃。正他者,我為比丘說言:『如來常存不變。』隨問答者,迦葉!因汝所問,故得廣為菩薩摩訶薩、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷說是甚深微妙之義。因緣義者,聲聞、緣覺不解如是甚深之義,不聞伊字三點而成解脫涅槃,摩訶般若成祕密藏。我今於此闡揚分別,為諸聲聞開發慧眼。假使有人作如是言:『如是四事,云何為一?非虛妄耶?』即應反質:『是虛空,無所有、不動、無礙,如是四事有何等異?是豈得名為虛妄乎?』」

さらに、自らを正すとは、いわゆる大般涅槃を得ることである。他者を正すとは、私が比丘たちに「如来は常住で変わることなく存在する」と説くことである。問いに応じて答えるとは、迦葉よ、あなたの問いによって、菩薩摩訶薩、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷のために、この非常に深遠で微細な意味を広く説くことができるのである。因縁の意味とは、声聞や縁覚はこのような深遠な意味を理解できず、イの字の三つの点が組み合わさって解脱・涅槃となり、大いなる般若が秘密の蔵となることを知らない。私は今ここで、これを明らかにして分別し、諸々の声聞のために智慧の眼を開いてやる。もし誰かが「この四つの事柄は、どうして一つと言えるのか。虚偽ではないのか」と言うならば、すぐに反問すべきである。「この虚空は、何も所有せず、動かず、障害もない。この四つの事柄に何の違いがあるのか。これをどうして虚偽と呼べるだろうか」と。

「不也。世尊!如是諸句即是一義,所謂空義。」

「いいえ、世尊よ。そのような様々な句(ことば)は、結局はただ一つの意味、すなわち『空(くう)』という意味に帰するのです。」

「自正、正他、能隨問答、解因緣義亦復如是,即大涅槃,等無有異。」

自己を正しくし、他者を正しく導き、問いに応じて答えることができ、縁起の意味を理解することもまた同じである。これこそが大いなる涅槃であり、何ら異なるところはない。

佛告迦葉:「若有善男子、善女人作如是言:『如來無常。云何當知是無常耶?如佛所言:「滅諸煩惱名為涅槃。」猶如火滅,悉無所有;滅諸煩惱亦復如是,故名涅槃。云何如來為常住法,不變易耶?如佛言曰:「離諸有者乃名涅槃。」是涅槃中無有諸有,云何如來為常住法,不變易耶?如衣壞盡,不名為物;涅槃亦爾,滅諸煩惱不名為物。云何如來為常住法,不變易耶?如佛言曰:「離欲寂滅名曰涅槃。」如人斬首則無有首;離欲寂滅亦復如是,空無所有故名涅槃。云何如來為常住法,不變易耶?如佛言曰:

仏は迦葉に告げられた。「もし善男子・善女人が、こう言う者がいるならば──『如来は無常である。どうしてそれが無常であると知るべきなのか。仏がおっしゃる通り、「煩惱を滅し尽くすことを涅槃という」と。それは火が消えるように、すべてが無くなることである。煩惱を滅し尽くすこともまた同じであるから、これを涅槃という。それなのに、どうして如来が常住不変の法であると言えるのか。また、仏がおっしゃる通り、「あらゆる生存のあり方を離れることを涅槃という」と。その涅槃の中には、いかなる生存のあり方も存在しない。それなのに、どうして如来が常住不変の法であると言えるのか。また、衣がすっかり朽ち果てれば、もはや物とは呼ばれない。涅槃もまたこれと同じで、煩惱を滅し尽くせば、もはや物とは呼ばれない。それなのに、どうして如来が常住不変の法であると言えるのか。また、仏がおっしゃる通り、「欲望を離れ、静まり滅びることを涅槃という」と。人が首を刎ねられれば、もはや首はない。欲望を離れ、静まり滅びることもまたこれと同じで、空っぽで何もないから、涅槃という。それなのに、どうして如来が常住不変の法であると言えるのか。仏がおっしゃる通り──』

「『「譬如熱鐵, 搥打星流, 散已尋滅, 莫知所在。
得正解脫, 亦復如是, 已度婬欲、 諸有淤泥,
得無動處, 不知所至。」

例えば、焼けた鉄を打つと火花が飛び散り、すぐに消えてどこへ行ったかわからないように、正しい解脱を得た者もまた同じである。すでに欲望やあらゆる煩悩の泥沼を乗り越え、動じない境地に達したなら、その行き先は知られることがない。

「『云何如來為常住法,不變易耶?』迦葉!若有人作如是難者,名為邪難。

「なぜ如来が常住の法であり、変わることがないのか?」 迦葉よ、もし誰かがそのような問いを発するなら、それは誤った問いと呼ばれる。

「迦葉!汝亦不應作是憶想,謂如來性是滅盡也。迦葉!滅煩惱者不名為物。何以故?永畢竟故,是故名常。是句寂靜,為無有上,滅盡諸相,無有遺餘;是句鮮白,常住無退。是故,涅槃名曰常住;如來亦爾,常住無變。言星流者,謂煩惱也。散已尋滅,莫知所在者,謂諸如來煩惱滅已,不在五趣。是故,如來是常住法,無有變易。復次,迦葉!諸佛所師,所謂法也。是故如來恭敬供養。以法常故,諸佛亦常。」

「迦葉よ、あなたは『如来の本性は消滅する』などと考えてはならない。迦葉よ、煩悩を滅したものを『物』と呼ぶことはできない。なぜなら、それは永遠に尽きることがないからであり、ゆえに『常』と名づける。この言葉は静寂そのものであり、それを超えるものはない。すべての相(すがた)を滅し尽くし、何ひとつ残すことがない。この言葉は清らかであり、常住にして退くことがない。ゆえに涅槃は『常住』と名づけられる。如来もまた同じく、常住にして変わることがない。『星が流れる』というのは、煩悩を指す。煩悩が散って消え去り、その在り処が分からなくなるとは、すなわち諸々の如来が煩悩を滅した後、五つの迷いの世界(五趣)に留まらないことを言う。ゆえに如来は常住の法であり、変わることはない。さらに迦葉よ、諸仏が師と仰ぐところ、それがすなわち法である。ゆえに如来は法を恭敬し供養する。法が常住であるからこそ、諸仏もまた常住なのである。」

迦葉菩薩復白佛言:「若煩惱火滅,如來亦滅,是則如來無常住處。如彼迸鐵,赤色滅已,莫知所至;如來煩惱亦復如是,滅無所至。又如彼鐵熱與赤色滅已無有;如來亦爾,滅已無常,滅煩惱火便入涅槃,當知如來即是無常。」

迦葉菩薩が再び仏に申し上げました。「もし煩悩の火が消えれば、如来もまた消え去るのであれば、如来には常住の場所がないことになります。たとえば、あの飛び散る鉄片のように、赤い色が消えてしまえば、どこへ行ったのか分からなくなります。如来の煩悩もまた同じで、消え去れば行く先はありません。また、あの鉄が熱せられて赤く輝く色が消えれば、何も残らないように、如来もまた、消え去れば常なるものではなくなり、煩悩の火が消えて涅槃に入るなら、如来はまさに無常であると知るべきです。」

「善男子!所言鐵者,名諸凡夫。凡夫之人雖滅煩惱,滅已復生,故名無常。如來不爾,滅不復生,是故名常。」

「善男子よ。ここでいう鉄とは、すべての凡夫(一般的な人々)を指します。凡夫である人々は、煩悩(心の悩みや迷い)を滅ぼしても、滅ぼした後に再びそれが生じてしまいます。そのため無常(永遠ではないこと)だと言われます。しかし如来はそうではありません。煩悩を滅ぼせば、それが再び生じることはありません。だからこそ常住(永遠に変わらないこと)といわれるのです。」

迦葉復言:「如鐵赤色滅已,還置火中赤色復生。如來若爾,應還生結;若結還生,即是無常。」

迦葉がまた言った。「鉄が真っ赤に焼けて、その赤さが消えた後、再び火の中に置けば、また赤さが生じます。如来もまた同じなら、ふたたび煩悩が生じるはずです。もし煩悩が再び生じるなら、それは無常ということになります。」

佛言:「迦葉!汝今不應作如是言:『如來無常。』何以故?如來是常。善男子!如彼燃木,滅已有灰;煩惱滅已便有涅槃。壞衣、斬首、破瓶等譬亦復如是,如是等物各有名字,名曰壞衣、斬首、破瓶。迦葉!如鐵冷已可使還熱;如來不爾,斷煩惱已畢竟清涼,煩惱熾火更不復生。迦葉當知,無量眾生猶如彼鐵,我以無漏智慧熾火燒彼眾生諸煩惱結。」

仏は言われた。「迦葉よ、あなたは『如来は無常である』などと言ってはならない。なぜなら、如来は常住であるからだ。善男子よ、薪が燃えて灰になれば火は消えるように、煩悩が滅すれば涅槃がある。また、衣が破れたり、首を切られたり、瓶が割れたりしたものにも、それぞれ『破れた衣』『切られた首』『割れた瓶』という名前があるのと同じである。迦葉よ、鉄は冷めた後に再び熱することができる。しかし如来はそうではない。煩悩を断ち切った後は、永遠に清涼となり、煩悩の猛火は二度と燃え上がることはない。迦葉よ、知るがよい。無数の衆生はその鉄のようなものである。私は漏れのない智慧の猛火をもって、彼らの煩悩の結び目を焼き尽くすのである。」

迦葉復言:「善哉,善哉。我今諦知如來所說諸佛是常。」

迦葉がまた言いました。「ありがたい、ありがたい。私は今、如来がお説きになった『諸仏は常に変わらない』という真理を、確かに知ることができました。」

佛言:「迦葉!譬如聖王處在後宮,或時遊觀在於後園。王雖不在諸婇女中,亦不得言:『聖王命終。』善男子!如來亦爾,雖不現於閻浮提界,入涅槃中,不名無常。如來出於無量煩惱,入于涅槃安樂之處,遊諸覺華,歡娛受樂。」

仏は言われた。「迦葉よ、たとえば聖王が後宮におられるとき、あるいは時には後園を遊覧されることがある。王が婇女たちの中に現れていなくとも、『聖王は死んだ』とは言えない。善き男子よ、如来もまた同じである。閻浮提の世界に姿を現していなくても、涅槃に入っていることをもって無常とは言わない。如来は無量の煩悩を超え出て、涅槃の安楽の場所に入り、さまざまな覚りの花を遊覧し、歓喜して楽しみを受けておられるのである。」

迦葉復問:「如佛言曰:『我已久度煩惱大海。』若佛已度煩惱海者,何緣復納耶輸陀羅、生羅睺羅?以是因緣,當知如來未度煩惱諸結大海。唯願如來說其因緣。」

迦葉が再び尋ねました。「仏が『私はすでに長い間、煩悩の大海を渡り終えた』とおっしゃいました。もし仏がすでに煩悩の海を渡り終えたのなら、なぜまたヤショーダラーを娶り、ラーフラをもうけられたのですか?この因縁からすれば、如来はまだ煩悩の結び目の大海を渡り終えていないことになります。どうか如来がその因縁をお説きください。」

佛告迦葉:「汝不應言:『如來久度煩惱大海,何緣復納耶輸陀羅、生羅睺羅?以是因緣,當知如來未度煩惱諸結大海。』善男子!是大涅槃能建大義,汝等今當至心諦聽,廣為人說,莫生驚疑。若有菩薩摩訶薩住大涅槃,須彌山王如是高廣悉能取令入於芥子。其諸眾生依須彌者亦不迫迮,無往來想,如本不異。唯應度者見是菩薩以須彌山納芥子中,復還安止本所住處。

佛が迦葉に告げられた。「あなたはこう言ってはならない。『如来はとっくに煩悩の大海を渡り尽くしたのに、どうしてまた耶輸陀羅(ヤショーダラー)を妃とし、羅睺羅(ラーフラ)を生ませたのか。その理由からすれば、如来はまだ煩悩の結びつきの大海を超えていないことになる』と。善き人よ、この大涅槃は大きな意義を打ち立てるものである。あなたたちは今こそ心を込けて聞き、広く人のために説き、驚き疑ってはならない。もし大菩薩が大涅槃に安住するならば、須弥山の王のように高く広いものでも、すべて取って芥子の粒の中に入れることができる。その須弥山に依って生きる衆生たちも、押し詰められることなく、移動したという思いもなく、以前と全く変わりがない。ただ、度されるべき縁ある者だけが、この菩薩が須弥山を芥子の中に納め、再びもとの場所に安らかに置くのを見るのである。」

「善男子!復有菩薩摩訶薩住大涅槃,能以三千大千世界入於芥子。其中眾生亦無迫迮及往來想,如本不異。唯應度者見是菩薩以此三千大千世界納芥子中,復還安止本所住處。

「善なる男子よ、さらにまた大菩薩が大いなる涅槃に安住し、三千大千世界を芥子の実の中に入れることができる。その中の衆生たちも、窮屈さや移動の思いを抱かず、もとと変わらない。ただ、教化されるべき人々だけが、この菩薩が三千大千世界を芥子の実に納め、さらに元の場所に安んじて留めるのを見るのである。」

「善男子!復有菩薩摩訶薩住大涅槃,能以三千大千世界納一毛孔,乃至本處亦復如是。

「善き人よ。また、菩薩摩訶薩の中には大涅槃に安住して、三千大千世界を一つの毛穴に収めることができる者がいる。しかも元の場所もそのままであり、全く変わることがない。

「善男子!復有菩薩摩訶薩住大涅槃,斷取十方三千大千諸佛世界置於針鋒如貫棗葉,擲著他方異佛世界。其中所有一切眾生不覺往返、為在何處,唯應度者乃能見之,乃至本處亦復如是。

「善き男子よ。さらにまた、大涅槃に安住する菩薩摩訶サは、十方の三千大千世界の諸仏の世界を断ち取り、針の先に載せて、棗の葉を糸で通すように、それを別の仏の世界に投げ置くことができます。その世界の中の一切の衆生は、自分が移動したことや、今どこにいるのかに気づきません。ただ、教えを受けるべき者だけがその様子を見ることができます。元の場所についても、また同じです。」

「善男子!復有菩薩摩訶薩住大涅槃,斷取十方三千大千諸佛世界置於右掌如陶家輪,擲置他方微塵世界。無一眾生有往來想,唯應度者乃見之耳,乃至本處亦復如是。

「善男子(よき男子らよ)。また、菩薩摩訶薩が大涅槃にとどまりながらも、十方の三千大千世界にある諸仏の世界を切り取って、右の手のひらに置くことがあります。それはまるで陶工のろくろのように自在であり、その世界を他方の微塵のような世界へ投げ移します。その時、一人の衆生も「自分は移動した」「来た」と思うことはありません。ただ、救われるべき人だけがその様子を見ることができるのです。元の場所についても、まったく同じことが言えます。」

「善男子!復有菩薩摩訶薩住大涅槃,斷取一切十方無量諸佛世界悉納己身。其中眾生悉不迫迮、亦無往返及住處想,唯應度者乃能見之,乃至本處亦復如是。

「善き人よ。さらに、大涅槃にとどまる大菩薩がいて、全ての十方に無数の仏の世界をとらえて、自分の身の中に収めます。その世界の中の生きとし生けるものは、誰一人として窮屈に感じることなく、移動したり、住む場所を変えたという思いもありません。ただ、救われるべき人だけがその様子を見ることができ、元の場所のままであることも同様です。

「善男子!復有菩薩摩訶薩住大涅槃,以十方世界內一塵中。其中眾生亦無迫迮、往返之想,唯應度者乃能見之,乃至本處亦復如是。

「善男子(ぜんなんし)よ。また、大涅槃にとどまる菩薩摩訶薩は、十方の世界を一つの塵の中に納めます。その中の衆生は、狭苦しいとか行き来するという思いを持つことはありません。ただ、教え導くべき者のみがそのことを見ることができるのです。本来の場所についても、また同じです。」

「善男子!是菩薩摩訶薩住大涅槃,則能示現種種無量神通變化,是故名曰大般涅槃。是菩薩摩訶薩所可示現如是無量神通變化,一切眾生無能測量,汝今云何能知如來習近愛欲,生羅睺羅?

「善き者よ、この菩薩摩訶薩が大涅槃に住するならば、種々無量の神通変化を示現することができる。ゆえに、大般涅槃と名づけるのである。この菩薩摩訶薩が示現するような無量の神通変化は、一切の衆生には測り知ることができない。それなのに、あなたはどうして如来が愛欲に近づいてラーフラを生んだと知ることができようか。」

「善男子!我已久住是大涅槃,種種示現神通變化,於此三千大千世界百億日月、百億閻浮提種種示現,如《首楞嚴經》中廣說。我於三千大千世界或閻浮提示現涅槃,亦不畢竟取於涅槃。或閻浮提示入母胎,令其父母生我子想,而我此身畢竟不從愛欲和合而得生也。我已久從無量劫來離於愛欲,我今此身即是法身,隨順世間示現入胎。

「善き者よ、私はすでに久しくこの大涅槃に安住し、種々の神通変化を示現してきた。この三千大千世界にある百億の日月、百億の閻浮提において、様々な示現を行ってきたことは、『首楞厳経』に詳しく説かれている通りである。私は三千大千世界、あるいは閻浮提において涅槃を示現することもあるが、決して涅槃に完全に入り尽くすわけではない。また、閻浮提において母胎に入ることを示現し、その父母に我が子という思いを抱かせることもある。しかし、この身は決して愛欲の和合によって生まれたものではない。私はすでに無量の劫の昔から愛欲を離れており、今この身はすなわち法身である。世間に従って、示現として入胎するのである。」

「善男子!此閻浮提林微尼園示現從母摩耶而生,生已即能東行七步,唱如是言:『我於人、天、阿修羅中最尊最上。』父、母、人、天見已驚喜,生希有心。是諸人等謂是嬰兒,而我此身無量劫來久離是法。如是身者即是法身,非是肉、血、筋、脈、骨、髓之所成立,隨順世間眾生法故示為嬰兒。

「善男子よ、この閻浮提の林微尼園において、母である摩耶から生まれることを示し、生まれた後すぐに東へ七歩進み、このように唱えました。『私は人・天・阿修羅の中で最も尊く最もすぐれている。』父も母も、人も天も、これを見て驚き喜び、稀有な心を起こしました。これらの人々はこの方を嬰児だと思いましたが、私のこの身は無量劫このかた、すでに長くそのようなあり方を離れています。このような身はすなわち法身であり、肉・血・筋・脈・骨・髄によって成り立つものではありません。世間の衆生の法に随順するために、嬰児の姿を示したのです。

「南行七步,示現欲為無量眾生作上福田;西行七步,示現生盡,永斷老死,是最後身;北行七步,示現已度諸有生死;東行七步,示為眾生而作導首。四維七步,示現斷滅種種煩惱、四魔種性,成於如來、應供、正遍知。上行七步,示現不為不淨之物之所染污,猶如虛空;下行七步,示現法雨,滅地獄火,令彼眾生受安隱樂。毀禁戒者,示作霜雹。

南方へ七歩進み、無量の衆生にとって最高の福田となることを示した。</br> 西方へ七歩進み、生が尽き、老いと死が永遠に断たれ、これが最後の身であることを示した。</br> 北方へ七歩進み、あらゆる生存の迷いをすでに超えたことを示した。</br> 東方へ七歩進み、衆生の導き手となることを示した。</br> 四隅へ七歩進み、様々な煩悩と四魔の種性を断ち滅ぼし、如来・応供・正遍知となることを示した。</br> 上方へ七歩進み、不浄なものに染まらないことが虚空の如くであることを示した。</br> 下方へ七歩進み、法の雨を降らせて地獄の火を消し、衆生に安らぎと楽をもたらすことを示した。</br> 戒律を破る者には、霜や雹を示して戒めたのである。

「於閻浮提生七日已,示現剃髮,諸人皆謂我是嬰兒,初始剃髮。一切人、天、魔王波旬、沙門、婆羅門,無有能見我頂相者,況有持刀臨之剃髮?若有持刀至我頂者,無有是處。我已久於無量劫中剃除鬚髮,為欲隨順世間法故示現剃髮。

閻浮提に生まれて七日が過ぎた後、私は剃髪をあらわしました。人々は皆、私が幼子であり、初めて髪を剃ったのだと思いました。しかし、すべての人々や天人のなかでも、魔王ポーシュンや修行者、バラモンたちでさえ、私の頭頂の相を見ることができる者はいません。ましてや、刃を持って臨んで私の髪を剃ることなど、ありえないのです。もし刃を私の頭頂に近づける者がいれば、それはまったくあり得ないことです。私はすでに、はるか昔の無数の劫のあいだに、髪やひげを剃り落としてきました。ただ、世間のしきたりに従うために、このように剃髪をあらわしているのです。

「我既生已,父母將我入天祠中,以我示彼摩醯首羅。摩醯首羅即見我時,合掌恭敬立在一面。我已久於無量劫中捨離如是入天祠法,為欲隨順世間法故示現如是。

私が生まれると、両親は私を天祠に連れて行き、摩醯首羅(まけいしゅら)にお目にかけました。すると摩醯首羅は私を見るや否や、合掌して敬い、片隅に控えました。しかし私は既に無量の劫(こう)の昔から、このような天祠に入る行いを捨てていました。ただ世間のならいに従うために、そのような姿を示したのです。

「我於閻浮提示現穿耳,一切眾生實無有能穿我耳者,隨順世間眾生法故示現如是。復以諸寶作師子璫莊嚴其耳,然我已於無量劫中離莊嚴具,為欲隨順世間法故作是示現。

私は閻浮提において耳に穴をあける姿を示しましたが、一切の衆生が私の耳に穴をあけることは実際にはできません。世間の衆生の習慣に従って、このように姿を現したのです。また、宝飾で獅子の耳飾りを作り耳を飾りましたが、私はすでに無量の劫の間、装飾品から離れています。世間の習慣に従うために、このように示したのです。

「示入學堂修學書䟽,然我已於無量劫中具足成就,遍觀三界所有眾生無有堪任為我師者,為欲隨順世間法故示入學堂,故名如來、應供、正遍知。習學乘象、槃馬、捔力、種種技藝,亦復如是。

「私は学びの場に入り、学問や書簡の作法を修めました。しかし、私はすでに無量の劫(長い時間)の中で、すべてを完全に成就しています。三界のすべての衆生をくまなく観察しても、私の師となりうる者はいません。しかし、世間の慣わしに従うために、あえて学びの場に入ったのです。これが如来、応供、正遍知と呼ばれるゆえんです。象に乗ること、馬を操ること、力くらべ、さまざまな技芸を学んだことも、まったく同じことです。」

「於閻浮提而復示現為王太子,眾生皆見我為太子,於五欲中歡娛受樂,然我已於無量劫中捨離如是五欲之樂,為欲隨順世間法故示如是相。

閻浮提において、再び王太子として姿を現します。人々は皆、私を太子として見て、五つの欲望の中で楽しみに耽っているように見えます。しかし、私はすでに無量の劫の昔から、このような五欲の楽しみを捨て去っています。世間の法に従うために、このような姿を示しているのです。

「相師占我:『若不出家,當為轉輪聖王,王閻浮提。』一切眾生皆信是言,然我已於無量劫中捨轉輪王位,為法輪王。

占い師が私を見て言いました。「もし出家しなければ、この人は転輪聖王となり、閻浮提を治めるでしょう。」人々は皆、その言葉を信じました。しかし、私はすでに計り知れない長い時間をかけて、転輪聖王の位を捨て、法輪の王となったのです。

「於閻浮提現離婇女、五欲之樂,見老、病、死及沙門已,出家修道。眾生皆謂:『悉達太子初始出家。』然我已於無量劫中出家學道,隨順世法故示如是。

閻浮提において、妃や五欲の楽しみを離れ、老・病・死および沙門を見たのち、出家して道を修める姿を現しました。人々は皆、「悉達太子が初めて出家した」と言います。しかし、私はすでに無量劫の昔から出家して道を学んでおり、世の流れに従ってこのような姿を示したにすぎません。

「我於閻浮示現出家,受具足戒,精勤修道,得須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果。眾人皆謂:『是阿羅漢果易得不難。』然我已於無量劫中成阿羅漢果。

私は閻浮提に現れて出家し、正式な戒律を受け、熱心に修行して、預流果、一来果、不還果、阿羅漢果を得ました。人々は皆、「この阿羅漢果は得やすく、難しくない」と言います。しかし、私は既に無量の劫の昔から阿羅漢果を成就していました。

「為欲度脫諸眾生故,坐於道場菩提樹下以草為座,摧伏眾魔。眾皆謂我始於道場菩提樹下降伏魔宮,然我已於無量劫中久降伏已,為欲降伏剛強眾生故現是化。

すべての生きとし生けるものを救い導きたいという願いから、私は悟りを開く場である菩提樹の下に座り、草を敷いて座り、あらゆる煩悩の象徴である魔を打ち負かしました。人々は私が初めてこの菩提樹の下で魔を降伏させたと思っています。しかし実際には、私はすでに無量の劫(気の遠くなるような長い年月)の昔から、それらを打ち負かしていたのです。ただ、心が頑なで素直になれない人々を導くために、そのような姿をとって示したに過ぎません。

「我又示現大小便利、出息、入息,眾皆謂我實有便利、出息、入息,然我是身所得果報無是諸患,隨順世間故示如是。

私はまた、大小の排泄や呼吸の出入りを示し現しますが、人々は私に実際にそれらがあると思っています。しかし、この身によって得られる果報には、そのような患いは何もありません。ただ世間に従うために、このように示しているのです。

「我又示現受人信施,然我是身都無飢渴,隨順世法故示如是。

また私は、人々からの信施(信仰に基づく施し)を受けているように見せかけていますが、実際にはこの身に飢えや渇きは全くありません。ただ、世間の慣習に従って、そのように振る舞っているだけなのです。

「我又示同諸眾生故現有睡眠,然我已於無量劫中具足無上深妙智慧,遠離三有,進止威儀。

私はまた、あらゆる衆生と同様であることを示すために、眠りをとる姿を現しています。しかし、私はすでに無量の劫の間において、この上なく深く妙なる智慧を完全に具え、三有(三つの生存の領域)を遠く離れ、進み止まるすべての振る舞いにおいて威儀を備えています。

「頭、目、腹、背舉身疾痛、木槍償對、𤃗洗手足、澡面漱口、楊枝自淨,眾皆謂我有如是事,然我是身都無此也,手足清淨猶如蓮花、口氣淨潔如優鉢羅香。一切眾生謂我是人,我實非人。

頭も目も腹も背中も、全身が激しく痛む。木の槍で打たれ、その報いを受ける。手や足を洗い、顔をすすぎ、口をゆすぎ、楊枝で歯を清める。人々は皆、私にそのような事があると言うが、この身体にはそのようなものは何もない。手足は清らかで蓮の花のようであり、口の中の気息は清らかで優鉢羅の香りのようである。すべての衆生は私を人間だと言うが、私は実は人間ではないのだ。

「我又示現受糞掃衣、𣴟濯縫治,然我久已不須是衣。

また私は、糞掃衣(ふんぞうえ)を受け、それを洗い、縫い、繕うという姿を示します。しかし、私はすでに長い間、そのような衣を必要とはしていません。

「眾人皆謂羅睺羅者是我之子、輸頭檀王是我之父、摩耶夫人是我之母,處在世間受諸快樂,捨如是事出家學道。眾人復言:『是王太子瞿曇大姓,遠離世樂,求出世法。』然我久離世間愛欲,如是等事悉是示現。一切眾生咸謂是人,然我實非。

世の人々は皆、「羅睺羅は私の子であり、浄飯王は私の父であり、摩耶夫人は私の母である」と言います。また、世の中で様々な楽しみを受けながら、これらのことを捨てて出家し、道を学んだとも言います。さらに人々は「この王太子ゴータマは名門の出身で、世の楽しみを遠ざけ、世を超えた法を求めたのだ」とも語ります。しかし、私はとっくに世間の愛欲から離れており、これらの出来事はすべて方便として示されたものにすぎません。すべての衆生は私を人間だと思っていますが、実際にはそうではありません。

「善男子!我雖在此閻浮提中數數示現入於涅槃,然我實不畢竟涅槃。而諸眾生皆謂如來真實滅盡,而如來性實不永滅,是故當知是常住法、不變易法。

「善男子よ。私はこの閻浮提(人間界)において、何度も涅槃に入る姿を示しているが、実際には決して永遠に滅び去ることはない。しかし、あらゆる生きとし生けるものは、如来が真実に滅したと思っている。しかし、如来の本質は決して永遠に滅することはない。それゆえ、知るべきである。これは常住にして変わらざる法である、と。」

「善男子!大涅槃者,即是諸佛如來法界。我又示現閻浮提中出於世間,眾生皆謂我始成佛,然我已於無量劫中所作已辦,隨順世法故,復示現於閻浮提初出成佛。

「善男子よ。大涅槃とは、すなわち諸仏如来の法界そのものです。私はまた、閻浮提(人間界)に姿を現し、この世に出現しました。人々は皆、私がそこで初めて仏となったと思っています。しかし私はすでに無量の劫(長い年月)のうちに、なすべきことをすべて成し遂げています。ただ世のならいに従って、再び閻浮提で初めて仏となったように示現しているだけなのです。」

「我又示現於閻浮提不持禁戒、犯四重罪,眾人皆見謂我實犯,然我已於無量劫中堅持禁戒,無有漏缺。

私はまた閻浮提に現れ、戒律を守らず、四重罪を犯すように見せることがあります。人々は皆、私が実際に罪を犯したと見なしますが、私はすでに無量大劫の間、戒律を堅く守り、欠けることなく保ってきました。

「我又示現於閻浮提為一闡提,眾人皆見是一闡提,然我實非一闡提也。一闡提者,云何能成阿耨多羅三藐三菩提?

私はまた、この世に現れて一闡提(いっせんだい)として姿を示します。人々は私を一闡提だと思って見ていますが、実際には私は一闡提ではありません。なぜなら、一闡提がどうして無上正等正覚(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就できるでしょうか?

「我又示現於閻浮提破和合僧,眾生皆謂我是破僧,我觀人天無有能破和合僧者。

私はまた閻浮提において和合僧を破る姿を現しました。人々は皆、私が僧団を破ったと思っています。しかし、私は天界と人間界を見渡しても、和合僧を破ることのできる者は誰もいないと悟っています。

「我又示現於閻浮提護持正法,眾人皆謂我是護法,悉生驚怪。諸佛法爾,不應驚怪。

また私は閻浮提に姿を現し、正しい教えを守り支えています。人々は皆、私を「法を守る者」だと言い、みな驚き怪しみます。しかし、諸仏の法は本来そうあるべきものであり、驚いたり怪しんだりするべきではありません。

「我又示現於閻浮提為魔波旬,眾人皆謂我是波旬,然我久於無量劫中離於魔事,清淨無染猶如蓮花。

また、私は閻浮提(えんぶだい)において魔王・波旬(はじゅん)の姿を現すことがあります。人々は皆、私を波旬だと思っています。しかし、私ははるか昔の無量の劫(こう)の昔から、すでに魔のわざわいを離れ、蓮(はす)の花のように清らかで、けがれのない存在なのです。

「我又示現於閻浮提女身成佛,眾人見之皆言:『甚奇,女人能成阿耨多羅三藐三菩提。』如來畢竟不受女身,為欲調伏無量眾生故現女像。憐愍一切諸眾生故,而復示現種種色像。

また、私は閻浮提で女身のまま仏陀となりました。人々はそれを見て皆こう言いました。「なんと不思議なことだ、女人がこの上ない完全な悟りを開くことができるとは。」しかし、如来は本来決して女身を受けているわけではありません。無量の衆生を調伏するために女の姿を現しているのです。すべての衆生を憐れむがゆえに、さらに様々な色の像を現し示しているのです。

「我又示現閻浮提中生於四趣,然我久已斷諸趣因,以業因故墮於四趣,為度眾生故生是中。

また私は閻浮提(私たちの世界)に現れ、四つの迷いの世界に生まれました。しかし、私はすでに長い間、そうした世界に生まれる原因を断ち切っています。それでも、かつての行いの因縁によって四つの世界に落ちたかのように見せかけ、ただ人々を救うためにそこに生まれているのです。

「我又示現閻浮提中作梵天王,令事梵者安住正法,然我實非,而諸眾生咸皆謂我為真梵天;示現天像遍諸天廟亦復如是。

また、私は閻浮提の中で梵天王として姿を現し、梵天を敬う者たちを正しい教えに安住させます。しかし、私は実際には梵天ではありません。それでも、多くの人々は私を真の梵天だと思っています。天の姿をあらわして、あらゆる天の祠に遍く現れるのも同様です。

「我又示現於閻浮提入婬女舍,然我實無貪欲之想,清淨不污猶如蓮花。為諸貪婬著色眾生於四衢道宣說妙法,然我實無欲穢之心,眾人謂我守護女人。

また私は、閻浮提において婬女の家に入る姿を示しますが、実は私には貪欲の想いはなく、蓮の花のように清浄で汚れがありません。貪りと婬欲に染まった色に執着する多くの衆生のために、四つ辻で妙法を説きますが、実は私には欲の穢れの心はなく、人々は私を女人を守る者だと言います。

「我又示現於閻浮提入青衣舍,為欲誘化令住正法,然我實無如是惡業墮在青衣。

私は閻浮提に現れて青衣舍に入る姿を示すのは、衆生を導き正法に留まらせるためである。しかし、実際には私がそのような悪業によって青衣に堕ちることは決してない。

「我又示現閻浮提中而作教師,開化童蒙令住正法。

また、私は閻浮提の世界に姿を現し、教師として指導し、幼い心の人々を開き導き、正しい教えに安らかにとどまらせます。

「我又示現於閻浮提入諸酒會、博弈之處,示現種種勝負諍訟,為欲拔濟彼諸眾生。而我實無如是惡業,而諸眾生皆謂我作如是之業。

また、私は閻浮提において様々な酒宴や賭博の場に姿を現し、勝負や争い事をします。それは、そうした行いにふける人々を救い導くためです。しかし実際には、私はそのような悪い行いを一切しておりません。それにもかかわらず、多くの人々は私がそうした行いをしたものと思い込んでいます。

「我又示現久住塚間,作大鷲身度諸飛鳥。而諸眾生皆謂我是真實鷲身,然我久已離於是業,為欲度彼諸鳥鷲故示現如是。

また、私は長く墓場に留まり、大きな鷲の姿となって多くの鳥たちを救いました。しかし、人々は私を本当の鷲だと思っていますが、私はずっと前にそのような行いを離れています。ただ、あの鳥たちを救うために、このように姿を現しているのです。

「我又示現閻浮提中作大長者,為欲安立無量眾生住於正法。

私はまた、閻浮提の中に姿を現して大長者となり、無量の衆生を正しい教えに安らかに導くために行動しました。

「又復示作諸王、大臣、王子、輔相,於是眾中各為第一,為修正法故處王位。

また、王や大臣、王子、補佐役として姿を現し、それらの中で常に第一となり、正しい教えを修めるために王位につくのです。

「我又示現閻浮提中疫病劫起,多有眾生為病所惱,先施醫藥,然後為說微妙正法,令其安住無上菩提,眾人皆謂是病劫起。

私はまた閻浮提に疫病の劫が起こったことを示し、多くの人々が病に苦しむのを見て、まず医薬を施し、その後で微細で正しい法を説き、彼らを無上の悟りに安住させました。人々は皆、これを病劫の始まりだと言います。

「又復示現閻浮提中飢餓劫起,隨其所須供給飲食,然後為說微妙正法,令其安住無上菩提。

また、閻浮提(えんぶだい)の中で飢饉の時代が起きた時は、人々が必要とする食べ物や飲み物を施し与え、その後に深く優れた教えを説き、彼らを最高の悟りへと導き落ち着かせます。

「又復示現閻浮提中刀兵劫起,即為說法令離怨害,使得安住無上菩提。

また、閻浮提(人間界)で戦いや災いが起きると、その原因を説き、人々が恨みや害から離れて、悟りの境地に安らかにとどまれるよう導かれます。

「又復示現,為計常者說無常想、計樂想者為說苦想、計我想者說無我想、計淨想者說不淨想。若有眾生貪著三界,即為說法,令離是處。度眾生故,為說無上微妙法藥;為斷一切煩惱樹故,種植無上法藥之樹;為欲拔濟諸外道故,演說正法。雖復示現為眾生師,而心初無眾生師想。

さらにまた示現して、常と執着する者には無常の想いを説き、楽と執着する者には苦の想いを説き、我と執着する者には無我の想いを説き、清浄と執着する者には不浄の想いを説かれます。もし三界に執着する衆生がいるならば、その場を離れさせるために教えを説かれます。衆生を救済するために、無上の微妙な法の薬を説き、あらゆる煩悩の木を断ち切るために、無上の法の薬の木を植え、諸々の外道を救い導くために、正しい教えを説き示されます。たとえ衆生の師として示現されても、心には本来、我が衆生の師であるという想いはありません。

「為欲拔濟諸下賤故,現入其中而為說法,非是惡業受是身也。

もっと低い立場にある人々を救い導くために、あえてその中に入り、教えを説いているのです。決して悪い行いの報いとして、この身を受けているのではありません。

「如來正覺如是安住大般涅槃,是故名為常住無變;如閻浮提,東弗于逮、西瞿耶尼、北欝單越亦復如是;如四天下,三千大千世界亦爾。二十五有如《首楞嚴經》中廣說。以是故名大般涅槃。若有菩薩摩訶薩安住如是大般涅槃,能示如是神通變化而無所畏。

如来の正覚は、このように大般涅槃に安住しています。そのため、「常住不変」と名づけられます。閻浮提(南閻浮提)、東弗于逮(東勝神洲)、西瞿耶尼(西牛貨洲)、北欝単越(北倶盧洲)もまた、同様です。また、これら四つの天下だけでなく、三千大千世界もまた同じです。二十五種の有については、『首楞厳経』に詳しく説かれている通りです。これらの理由から、これを大般涅槃と名づけます。もし菩薩摩訶薩が、このような大般涅槃に安住するならば、このような神通変化を示すことができ、しかも何の怖れもありません。

「迦葉!以是緣故,汝不應言:『羅睺羅者是佛之子。』何以故?我於往昔無量劫中已離欲有。是故,如來名曰常住,無有變易。」

「迦葉よ、このような理由から、あなたは『羅睺羅は仏の子である』と言ってはならない。なぜなら、私ははるか昔の無数の劫の昔から、すでに欲望による生存を離れているからである。ゆえに、如来は常住と名づけられ、変化することがないのである。」

迦葉復言:「如來云何名曰常住?如佛言曰:『如燈滅已,無有方所。』如來亦爾,既滅度已,亦無方所。」

迦葉が再び問いました。「如来はどのようにして常住と言われるのでしょうか。仏はかつてこうおっしゃいました。『灯が消えた後、どこに行ったという場所はない』と。如来も同じで、滅度された後は、どこかに存在するという場所があるわけではありません。」

佛言:「迦葉!善男子!汝今不應作如是言:『燈滅盡已,無有方所;如來亦爾,既滅度已,無有方所。』善男子!譬如男女然燈之時,燈器大小悉滿中油。隨有油在,其明猶存;若油盡已,明亦俱盡。其明滅者,譬煩惱滅,明雖滅盡,燈器猶存。如來亦爾,煩惱雖滅,法身常存。善男子!於意云何?明與燈器為俱滅不?」

仏は言われた。「迦葉よ、善男子よ、あなたはこう言うべきではない。『灯明が消えれば、行く場所もない。如来も同様に、入滅した後は、行く場所もない。』と。善男子よ、たとえば男女が灯明を灯す時、灯器の大きさにかかわらず、すべて油を満たす。油が残っている間は、その燈火も続く。油が尽きれば、燈火も同時に尽きる。その燈火が消えることを、煩悩が滅するのに例えよう。燈火は消えても、灯器はなお存在する。如来もまた同様である。煩悩は滅ぼされたが、法身は常に存在するのだ。善男子よ、どう思うか。燈火と灯器は、共に滅するのか。」

迦葉答言:「不也。世尊!雖不俱滅,然是無常。若以法身譬燈器者,燈器無常;法身亦爾,應是無常。」

迦葉が答えた。「いいえ、世尊よ。同時に消え去るわけではありませんが、それでも無常です。もし法身を灯明の器にたとえるなら、灯明の器は無常です。法身もまた同じく、無常であるべきです。」

「善男子!汝今不應作如是難。如世間言器,如來世尊無上法器。彼器無常,非如來也。一切法中,涅槃為常。如來體之,故名為常。

「善き男子よ、あなたは今、そのような疑問を抱くべきではない。たとえば世間で器というものが語られるように、如来・世尊は無上の法器である。その器は無常であっても、如来が無常なのではない。あらゆる法の中で涅槃こそが常である。如来はその涅槃を体得しているからこそ、常であると名づけられるのだ。」

「復次,善男子!言燈滅者,是阿羅漢所證涅槃,以滅貪愛、諸煩惱故,譬之燈滅。阿那含者,名曰有貪。以有貪故,不得說言同於燈滅。是故,我昔覆相說言喻如燈滅,非大涅槃同於燈滅。阿那含者,非數數來,又不還來二十五有,更不復受臭身、蟲身、食身、毒身,是則名為阿那含也。若更受身,名為那含;不受身者,名阿那含。有去、來者,名曰那含;無去、來者,名阿那含。」

「また、善男子よ。『灯が消える』と言うのは、阿羅漢が証悟する涅槃を指す。貪りの愛や諸々の煩悩が消え去るからであり、それを灯の消滅にたとえたのである。阿那含(不還)とは、貪りがある者を言う。貪りがあるがゆえに、灯の消滅と同じだとは言えないのだ。それゆえ、私はかつて方便として『灯が消えるように』とたとえて説いたのであって、大涅槃が灯の消滅と同じだという意味ではない。

阿那含とは、幾度も生死を繰り返す者ではなく、二十五有に再び還って来ない。また、臭い身体、虫の身体、食物の身体、毒の身体を再び受けることがない。これを阿那含と名付ける。もし再び身体を受けるなら、それを那含と言い、身体を受けない者を阿那含と呼ぶ。去ったり来たりする者を那含と言い、去り来たりしない者を阿那含と名付けるのである。」

大般涅槃經卷第四

大般涅槃経 巻第四


7 四相品
2

CBETA コード: T0375

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません