舍利弗阿毘曇論序
釋道摽撰
阿毘曇,秦言無比法,出自八音亞聖所述,作之雖簡、成命曲備,重微曠濟、神要莫比,真祇洹之微風、反眾流之宏趣。然佛後闇昧,競執異津,或有我有法、或無我有法,乖忤純風、虧曚聖道。有舍利弗,玄哲高悟、神貫翼從,德備左面、智參照來,其人以為是非之起,大猷將隱,既曰像法,任之益滯。是以敢於佛前所聞經法,親承即集,先巡堤防,遮抑邪流,助宣法化。故其為經也,先立章以崇本,後廣演以明義之體四焉:問分也、非問分也、攝相應分也、序分也。問分者,寄言扣擊,明夫應會。非問分者,假韻默通,惟宣法相。攝相應分者,總括自他,釋非相無。序分者,遠述因緣,以彰性空。性空彰則反迷至矣,非相無則相興用矣,法相宣則邪觀息矣,應會明則極無遺矣。四體圓足、二諦義備,故稱無比法也。此經於先出阿毘曇,雖文言融通而旨各異制,又載自空以明宗極,故能取貴於當時而垂軌於千載,明典振於遠維,四眾率爾同仰。是使殉有者袪妄見之惑,向化者起即隆之勳。迢迢焉,故冥宗之遺緒也。亹亹焉,故歸輪之所契也。
阿毘曇は、秦の言葉で「無比法」と訳されます。これは、八音の聖者の一人である舎利弗によって説かれたもので、その表現は簡潔でありながら、深い意味を余すところなく備えています。微細な真理を広く救済し、その神髄は比類なきものです。まさに祇園精舎の清らかな風のごとく、あらゆる流れを包み込む広大な趣きを持っています。
しかし、仏の入滅後、教えは次第に曇り、人々はそれぞれ異なる解釈を競い合うようになりました。ある者は「我あり、法あり」と説き、ある者は「我なし、法あり」と説き、純粋な教えから外れ、聖なる道を曇らせてしまいました。
舎利弗は、深遠な哲理に通じ、高い悟りを開き、その神知は翼のように従い、徳は左面に備わり、智慧は照らし来るものに参じました。彼は、是非が起こり、大いなる教えが隠れようとしていることを憂い、すでに像法の時代であるならば、放置すればますます停滞すると考えました。そこで、敢えて仏の御前で聞いた経法を、自ら直接集め、まず堤防を巡らせて邪流を抑え、法の教化を助け広めることにしました。
したがって、この経は、まず章を立てて根本を尊び、後に広く演説してその意義を明らかにします。その構成は四つあります:問分、非問分、摂相応分、序分です。
問分とは、言葉を借りて問いかけ、応答と会得を明らかにするものです。 非問分とは、韻を借りて黙って通じ、ただ法相を宣べるものです。 摂相応分とは、自と他を総括し、相が無いのではないことを解き明かすものです。 序分とは、遠く因縁を述べ、性空を顕わにするものです。
性空が明らかになれば、迷いから立ち返ることができます。 相が無いのではないとわかれば、相とその作用が起こります。 法相が宣べられれば、邪な観念は静まります。 応会が明らかになれば、極みが遺されることはありません。
四つの構成が円満に備わり、二諦の意義が整っているため、「無比法」と称されるのです。
この経は、以前に説かれた阿毘曇と比べ、文言は融通しているものの、その趣旨はそれぞれ異なる体制を持ち、また自らの空を説くことで宗極を明らかにしているため、当時に貴ばれ、千年にわたって規範とされました。明らかな経典は遠くまで響き渡り、四衆は皆、率直にこれを仰ぎ見ました。
これにより、有に殉じる者は妄見の惑いを払い、教えに向かう者は即座に隆盛を築く功績を立てることができます。はるか遠くに、冥き宗の遺緒が続き、たゆまず進むことで、帰依の輪は調和するのです。
此經標明曩代、靈液西畛,純教彌於閬風、玄門扇於東嶺。唯秦天王,冲資叡聖,冥根樹於既往,實相結於皇極,王德應符,闡揚三寶。聞茲典誥,夢想思攬,雖曰悠邈,感之愈勤。會天竺沙門曇摩耶舍、曇摩掘多等義學來遊秦土,既契宿心,相與辯明經理,起清言於名教之域、散眾微於自無之境,超超然誠韻外之致,愔愔然覆美稱之實,於是詔令傳譯。然承華天哲、道嗣聖躬,玄味遠流、妙度淵極,持體明旨,遂讚其事。經師本雖闇誦,誠宜謹備。以秦弘始九年命書梵文,至十年尋應令出。但以經趣微遠,非徒開言所契。苟彼此不相領悟,直委之譯人者,恐津梁之要未盡於善。停至十六年,經師漸閑秦語,令自宣譯。皇儲親管理味言意兼了,復所向盡,然後筆受,即復內呈。上討其煩重,領其指歸,故令文之者修飾、義之者綴潤,并挍至十七年訖。若乃文外之功、勝契之妙,誠非所階,未之能詳。並求之眾經、考之諸論,新異之美自宣之於文。惟法住之實如有表裏,然原其大體有無兼用,微文淵富、義旨顯灼,斯誠有部之永塗、大乘之靡趣,先達之所宗、後進之可仰。標以近質,綜不及遠,情未能已,猥參斯典,悕感之誠,脫復微序。庶望賢哲,以恕其鄙。
この経典は、遠い昔の時代を明らかにし、霊妙な教えは西方の地に満ち、純粋な教えは閬風に広がり、玄妙な門は東の嶺に開かれました。ただ秦の天王のみが、深い資質と聡明な聖徳をもち、過去より培われた根を深くし、真実の相を皇極に結びつけ、王の徳は符瑞に応じ、三宝を広く顕揚されました。この経典の教えを聞き、夢にまで思いを馳せ、遠い昔のこととはいえ、感ずるほどにいっそう勤勉に努められました。ちょうど天竺の沙門、曇摩耶舍や曇摩掘多らが義学を携えて秦の地に遊び来たるに及び、宿願に合致し、共に経典の理を弁明し、名教の域に清らかな言論を起こし、自無の境に多くの微細な真理を散らし、超然として誠に韻外の趣きをなし、愔愔として美称の実を覆うがごときであり、ここに詔を下して伝訳を命じられました。しかし、承華の天哲、道は聖躬を嗣ぎ、玄妙な味わいは遠く流れ、妙なる度合いは深淵の極みに至り、その本質を明らかにして旨趣を保ち、ついにその事を賛嘆されました。経師は本来暗誦に頼っていましたが、誠に謹んで備えるべきでありました。秦の弘始九年に梵文を書き記すことを命じ、十年には探求して訳出を命じられました。しかし、経典の趣旨が微細で遠大であるため、単に言葉を開くだけでは合致しません。もし互いに理解し合えなければ、ただ訳者に委ねるだけでは、渡し船の要が十分に善く尽くされない恐れがありました。そこで十六年まで待ち、経師が次第に秦の言葉に慣れたところで、自ら宣訳することを命じられました。皇太子自らが理味を管理し、言葉と意味を共に理解され、さらに向かうところを尽くした後、筆受を行い、すぐに内々に上呈されました。上はその煩雑さを討究し、その指帰を領得され、それゆえに文を修飾する者を命じ、義を綴り潤す者を命じ、ともに校合して十七年に至って完了しました。もし文外の功績や勝れた契機の妙味について言えば、誠に及ぶべき段階ではなく、詳らかにすることはできません。また多くの経典を求め、諸論を考証し、新たな異なる美しさは自ずから文に現れました。ただ法住の実相は表裏があるかのようであり、その大本を探れば有無を兼ねて用い、微細な文は深く豊かで、義旨は明らかに灼かです。これは誠に有部の永遠の道であり、大乗の広大な趣向であり、先達の宗とし、後進の仰ぐべきところです。近き質を標榜し、遠きを綜べるには及ばず、情けを禁じえず、みだりにこの経典に参じ、願いと感ずる誠の心を、さらに微かに序として述べます。賢哲の方々が、その鄙びたるを恕されることを願うばかりです。
舍利弗阿毘曇論卷第一
姚秦罽賓三藏曇摩耶舍共曇摩崛多等譯