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  1. 仏説阿弥陀仏根本秘密神呪経 (佛說阿彌陀佛根本祕密神咒經)
  2. No. 205-A 神呪経真偽決疑 (No. 205-A 神呪經真偽決疑)
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仏説阿弥陀仏根本秘密神呪経 (佛說阿彌陀佛根本秘密神咒經)


No. 205-A神呪經真偽決疑
難云:藏經之中拔一切業障根本得生淨土呪(出小無量壽經),劉宋.天竺三藏求那䟦陀羅奉詔重譯矣,合計五十九字一十五句也。又說呪功德有「若有善男子(乃至)任運往生」之二十七字(功德文如此經),而無前後文,且前後文者與羅什所譯之小經全同而無異,中間編入神呪與說功德等之文,為流支所譯,是以阿字十方等文為金口說,欲壓下眾經企揚邪慢之後學偽制者歟?疑難不少,考於諸錄不載此經(其一)。此經前後文與羅什所譯小經雖有剩語少分無異,譯人既異文言何同(其二)?依彌陀不思議神力傳(神力傳在藏本),龍樹菩薩願生安養夢感此呪,耶(或作那)舍三藏誦此呪,天平寺銹法師從那舍三藏口受此呪,其人云經本外國不來(文)。蒙記(有楞伽經蒙授記之文)龍樹譯場,耶舍不得其本(其三)。況外國不來矣,未渡經本誰人譯之(其四)?又流支傳中(唐傳一釋教錄六等)未見譯此經之語(其五)。偽經梗槩如是,云何正經耶?答曰:不載錄中,不流布故。例如彼《釋摩訶衍論》,七百年之間不流布漢土(《釋論》不流布漢土,出通法疏一卷),通疑難之一。異譯而文言全同,例如羅什所譯《阿彌陀經》與求那䟦陀羅翻譯《小無量壽經》,文言同而不異,見于《開元釋教錄》第十二卷、同第十四卷、同第十七卷。又如真諦與摩多所譯《起信》(摩多者《釋論》譯者也,《釋論》本文者《起信論》也)文言不異(會三)。龍樹、耶舍不得之者,結集之梵本百千也(依華嚴一經,上本經有十箇三千大千世界微塵數偈、一四天下微塵數品,中本經有四十九萬八千八百偈、一千二百品,下本經有十萬偈、四十八品,略本經即今本,部八十卷等也,出《行願品疏鈔》三卷)。況難訶之中云「外國不來」,在梵地分明(會三)。又「外國不來」語,以不得故屬之未渡(會四)。流支傳中不舉者,所譯經論最廣,何悉載之?流支傳云「流支房內經論梵本可有萬夾,所翻新文筆受藁本滿一間屋(文)」,萬夾滿屋之中有此經指掌乎?用不任學者,敢勿生毀謗,願以一校功,自他生安樂。

問い難く言う:蔵経の中に『一切業障根本を抜き浄土に生ずることを得る呪』(小無量寿経より出づ)があり、劉宋の天竺三蔵求那跋陀羅が詔を奉じて重訳したという。合わせて五十九字、十五句である。また、呪の功徳を説く文に「もし善男子あり(乃至)任運に往生す」という二十七字(功徳文はこの経の如し)があるが、前後の文はなく、しかも前後の文は羅什の訳した小経と全く同じで異ならない。その中間に神呪と功徳説等の文を編入したものを、流支の訳とした。それゆえ、阿字十方等の文を金口の説とし、諸経を圧倒し邪慢を企てる後学の偽作を揚げようとしたのであろうか?疑難少なからず。諸録を考うるに、この経は載せられていない(その一)。この経の前後の文は羅什の訳した小経と、余分な言葉が少しあるだけで異ならず、訳人が既に異なるのに文言がどうして同じであろうか(その二)?阿弥陀不思議神力伝によれば(神力伝は蔵本に在り)、龍樹菩薩が安養に生まれんと願い、この呪を夢に感得し、耶(或いは那と作る)舎三蔵がこの呪を誦し、天平寺の銹法師が那舎三蔵より口伝でこの呪を受けたが、その人は「経本は外国より来たらず」(文)と言ったという。蒙記に(楞伽経に蒙授記の文あり)龍樹の訳場にて、耶舎はその本を得ず(その三)とある。まして外国より来たらず、渡来していない経本を誰が訳したというのか(その四)?また流支の伝中に(唐伝一、釈教録六等)は、この経を訳したという語が見られない(その五)。偽経の概略はこのようである。どうして正経と言えようか?

答えて曰く:録に載せられていないのは、流布していないからである。例えれば、あの『釈摩訶衍論』が、七百年の間漢土に流布しなかった(『釈論』が漢土に流布せず、通法疏一卷に出づ)ようなもので、疑難の一つを通す。異訳でありながら文言が全く同じ例としては、例えば羅什の訳した『阿弥陀経』と求那跋陀羅の翻訳した『小無量寿経』は、文言が同じで異ならない。これは『開元釈教録』第十二巻、同第十四巻、同第十七巻に見える。また真諦と摩多の訳した『起信』(摩多は『釈論』の訳者なり。『釈論』の本文は『起信論』なり)も、文言が異ならない(三つを会す)。龍樹、耶舎が得なかったというのは、結集された梵本は百千もあるからである(華厳一経に依れば、上本経には十箇三千大千世界微塵数の偈、一四天下微塵数の品あり、中本経には四十九万八千八百偈、一千二百品あり、下本経には十万偈、四十八品あり、略本経は即ち今の本、部八十巻等なり。『行願品疏鈔』三巻に出づ)。まして難詰の中に「外国より来たらず」と言うのは、梵地には分明にあるからである(三つを会す)。また「外国より来たらず」の語は、得られなかったことを以て未渡来に属させたのである(四つを会す)。流支の伝中に挙げられていないのは、訳した経論が最も広大であり、どうして悉く載せられようか?流支伝に「流支の房内には経論の梵本万夾あるべく、翻訳した新文の筆受稿本は一間の屋に満つ」(文)とある。万夾、屋に満つる中に、この経が指掌に在らぬということがあろうか?学ぶに任せず、敢えて毀謗を生ずることなかれ。願わくは一校の功を以て、自他ともに安楽に生まれんことを。

于時元祿十一年九月下旬武江上高輪龍原寺九世住 寂譽知足欽書

佛說阿彌陀佛根本祕密神呪經

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