ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 仏説大乗菩薩蔵正法経 (佛說大乘菩薩藏正法經)
  2. 第四 (第四)
  3. 1 長者賢護品
  4. 4 (4)
←と→
矢印キーでページをめくれます

仏説大乗菩薩蔵正法経 (佛說大乘菩薩藏正法經)


佛說大乘菩薩藏正法經卷第四
譯經三藏朝散大夫試光祿卿光梵大師賜紫沙門臣惟淨等奉 詔譯
長者賢護品第一之四

長者賢護品第一の四

復次,佛告諸長者言:「一切法無觀無不觀。何以故?離生住滅故。一切法無轉無作,離心意識故。一切法繫屬於緣,自性無力故。

さらに、仏は諸々の長者に告げられた。

「一切の法は、観ずることもなく、観じないこともない。なぜなら、生じること・とどまること・滅することから離れているからである。

一切の法は、転ずることもなく、作られることもない。心・意・識を離れているからである。

一切の法は、縁に属し、自性には力がないからである。」

「又諸長者!眼者四大所造,無常無強而不究竟,無堅無力速朽之法,斯不可信。多苦多惱眾病所集,是故諸長者!眼無依止亦無造作,耳鼻舌身意亦復如是。四大所造,無常無強而不究竟,無堅無力、速朽之法,斯不可信。多苦多惱眾病所集,是故諸長者!意無依止亦無造作。諸長者!是等諸法應如是學,此眼如聚沫,不可撮摩;眼如浮泡,不得久立;眼如陽焰,從業煩惱渴愛所生;眼如芭蕉,自體無實;眼如幻化,從顛倒起;眼如夢寐,為虛妄見;眼如其響,繫屬於緣;眼如影像,由業對現;眼如浮雲,剎那離相;眼如電光,須臾變滅;此眼無主為如地,此眼無我為如水,此眼無眾生為如火,此眼無壽為如風,此眼無人猶如虛空;此眼不實,四大為家;此眼性空,離我我所;此眼無知,如草木瓦礫;此眼無作,風力所轉;此眼為空,不淨充滿;此眼虛偽,雖復治事瑩飾,終歸散滅;此眼如丘井,為老所逼;此眼畢竟無邊際處,後當歸死。諸長者!汝等當知,眼既如是,耳鼻舌身意其義亦然,總略乃至彼一切法應如是知。諸愚夫異生,於彼一切所欲法中而生愛著,謂眼、耳、鼻、舌、身、意,色、聲、香、味、觸、法。

また、諸々の長者よ。眼は四大によって造られたものであり、無常であり、強くなく、究極のものではなく、堅固でなく、力なく、速やかに朽ちる法である。これは信頼すべきものではない。多くの苦しみ、多くの悩み、様々な病が集まるものである。それゆえ、諸々の長者よ。眼には依り所もなく、また造り出されたものもない。耳、鼻、舌、身、意もまた同じである。四大によって造られたものであり、無常であり、強くなく、究極のものではなく、堅固でなく、力なく、速やかに朽ちる法である。これは信頼すべきものではない。多くの苦しみ、多くの悩み、様々な病が集まるものである。それゆえ、諸々の長者よ。意にも依り所はなく、また造り出されたものもない。

諸々の長者よ。これらの諸法はこのように学ぶべきである。この眼は泡の集まりのようであり、掴むことも擦ることもできない。眼は水面の泡のようであり、長く留まることはできない。眼は陽炎のようであり、業と煩悩、渇愛から生じる。眼は芭蕉のようであり、その体は実体がない。眼は幻のようであり、倒錯から起こる。眼は夢のようであり、虚妄の見解である。眼は響きのようであり、縁に縛られている。眼は影のようであり、業によって現れる。眼は浮雲のようであり、一瞬のうちに形を離れる。眼は電光のようであり、たちまちに消え去る。この眼には主がなく、大地のようである。この眼には我がなく、水のようである。この眼には衆生がなく、火のようである。この眼には寿命がなく、風のようである。この眼には人もなく、虚空のようである。この眼は実体がなく、四大を家とする。この眼の性質は空であり、我と我の所有を離れている。この眼は知ることがなく、草木や瓦礫のようである。この眼は作られるものではなく、風の力によって転がされる。この眼は空であり、不浄に満ちている。この眼は虚偽であり、たとえ手入れや飾りを施しても、結局は散り滅びる。この眼は丘の井戸のようであり、老いに迫られる。この眼は結局のところ際限がなく、やがて死に帰する。

諸々の長者よ。あなたがたは知るべきである。眼がこのようなものであるならば、耳、鼻、舌、身、意もまたその意味は同じである。要約すれば、それら一切の法はこのように知るべきである。諸々の愚かな凡夫たちは、それら一切の欲される法の中に愛着を生じる。すなわち、眼、耳、鼻、舌、身、意、色、声、香、味、触、法である。

「又復於彼色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊,眼界、色界、眼識界,乃至意界、法界、意識界,地界、水界、火界、風界、空界、識界,此等法中所欲愛著,乃至一切有為無為名相法中所欲愛著。是故諸長者!汝等當於所欲法中勿生愛著,謂妻子舍宅財寶等法勿生貪取,當發淨信捨家出家。得出家已不生樂欲,無樂欲故圓具淨戒,修持清淨波羅提木叉之法,圓滿潔白法式儀範,乃至小罪猶懷大懼。諸長者!若如是學即得戒蘊具足。戒具足故,眼耳鼻舌身意、色聲香味觸法而無所取。

また、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊、眼界・色界・眼識界、さらに意界・法界・意識界、地界・水界・火界・風界・空界・識界、これらの法の中に生じる愛著、さらに一切の有為・無為の名相の法の中に生じる愛著についても同様です。

それゆえ、諸長者よ、あなたがたは、愛著すべき法の中に愛著を生じてはなりません。つまり、妻子・家屋・財宝などの法に貪り執着してはならず、清らかな信心を起こして家を捨て出家すべきです。

出家したならば、楽欲を生じず、楽欲がないゆえに清らかな戒を円満に具え、清浄な波羅提木叉の法を修め行い、潔白な法式儀範を円満にし、小さな罪に対しても大いなる恐れを抱くようになります。

諸長者よ、このように学ぶならば、戒蘊を具足することができます。戒が具足するゆえに、眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法に対して何も執取することがなくなります。

「色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊而無所取,眼界、色界、眼識界,乃至意界、法界、意識界而無所取。

色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊、これらを執着することはありません。 眼界、色界、眼識界、さらに意界、法界、意識界に至るまで、これらを執着することはありません。

「地界、水界、火界、風界、空界、識界而無所取。總略而言,彼一切法都無所取。以無取故即無減失。何法無減失?謂眼、耳、鼻、舌、身、意,色、聲、香、味、觸法無減失。

地の界、水の界、火の界、風の界、空の界、識の界も、執着するところがない。要するに、あらゆる存在は、何も執着するものがない。執着がないゆえに、減り失せることもない。何が減り失せないのか? それは、眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法が減り失せないのである。

「色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊無減失。

色蘊も、受蘊も、想蘊も、行蘊も、識蘊も、減り失せることがありません。

「眼界、色界、眼識界,乃至意界、法界、意識界無減失。

眼界、色界、眼識界、そして意界、法界、意識界も、減り失せることがありません。

「地界、水界、火界、風界、空界、識界無減失。此等諸法若無減失,即無染污。無染污故,即速得輕安。何法輕安?謂無所見。若無所見,即一切所向無有少法而作障礙。若無障礙,即自無所害、他無所害,自他無所害。由無害故,心無所壞,即能趣入彼無餘依清淨涅盤。

地界、水界、火界、風界、空界、識界は減失することがない。これらの法に減失がなければ、すなわち染汚もない。染汚がないから、たちまちに軽安を得る。何が軽安か。それは何ものをも見ないことである。何ものをも見なければ、一切の方向に少しの法も障礙となるものはない。障礙がなければ、自ら害せず、他を害せず、自他ともに害されることがない。害がないから、心は壊れることがなく、そのまま無余依清浄涅槃に入ることができる。

「又諸長者!所言入者,何所入邪?謂非眼所入,非耳鼻舌身意所入。又諸長者!若執眼從緣成,此即著我我所,離於涅盤。云何離涅盤?謂貪故離涅盤、瞋故離涅盤、癡故離涅盤、無智故離涅盤。諸長者!無智者不離過去、不離未來、不離現在,決定無智、離智所生。何名為智?所謂盡智。何名盡智?謂即過去無盡智、未來無盡智、現在無盡智。緣法無智離智所生。彼無智離智,即眼從緣離智所生。眼者無我,若無我即無取,若無取即無捨,若無捨即解脫。云何解脫?謂我執解脫、眾生執解脫、壽者執解脫、人執解脫、斷常執解脫、一切執解脫、分別執解脫。彼無分別已,即無能分別、所分別。法無分別亦不離分別。云何無分別?謂我我所俱無分別。若我無分別即無取捨,若無取捨即所入解脫。若法離繫、若法非離繫,皆得出離。何所離邪?謂離一切苦。諸長者!當求如是出離之法。然於是中無法可取。何以故?若有所取即生怖畏。」

また、諸々の長者よ。ここで言う「入る」とは、いったい何に入るのでしょうか。それは、眼によって入るのでもなく、耳・鼻・舌・身・意によって入るのでもありません。

また、諸々の長者よ。もし「眼は縁によって成る」と執着するならば、それは「我」や「我のもの」に執着することであり、涅槃から離れることになります。なぜ涅槃から離れるのかといえば、貪りのゆえに涅槃から離れ、瞋りのゆえに涅槃から離れ、癡のゆえに涅槃から離れ、無智のゆえに涅槃から離れるからです。

諸々の長者よ、無智なる者は、過去から離れず、未来から離れず、現在から離れません。それは確固たる無智であり、智から離れて生じたものです。では、何を智というのでしょうか。それは「尽智」のことです。では、尽智とは何か。それは、過去に尽きることのない智、未来に尽きることのない智、現在に尽きることのない智のことです。縁起する法に無智はなく、智から離れて生じることはありません。その無智が智から離れるとき、眼もまた縁から離れ、智から離れて生じます。

眼には我がありません。我がなければ執着もなく、執着がなければ捨てることもなく、捨てることがなければ解脱が得られます。では、解脱とは何か。それは、我への執着からの解脱、衆生への執着からの解脱、寿命への執着からの解脱、人への執着からの解脱、断見・常見への執着からの解脱、あらゆる執着からの解脱、分別への執着からの解脱です。その分別がなくなれば、能分別も所分別もなくなります。法には分別はありませんが、分別から離れているわけでもありません。では、無分別とは何か。それは、我も我のものもともに分別がないことです。我に分別がなければ、取ることも捨てることもありません。取ることも捨てることもなければ、そこに入って解脱が得られます。

法が束縛から離れていようと、離れていまいと、どちらも出離することができます。では、何から離れるのか。それは、一切の苦しみから離れることです。諸々の長者よ、このような出離の法を求めなさい。しかし、その中に取るべき法は何一つありません。なぜなら、もし何かを取ろうとすれば、恐れが生じるからです。

爾時世尊欲重宣明如是等義,說伽陀曰:

その時、世尊はこのような意味をさらに明らかに説こうとされ、詩偈を唱えられた。

「以取法故即生怖, 由怖當墮惡趣中,
若見如是怖起因, 識法有故而生取。
若能如理觀正道, 慧光明見破諸暗,
見故即得勝慧明, 當知異性無所得。
應當審觀諸空處, 運動虛假而不實,
此中勿作安樂門, 渴愛虛誑世間故。
如實了知於空法, 知諸法空皆無實,
我得安樂離憂門, 亦得無動最上樂。
若能如是正了知, 即知一切法皆空,
由斯解脫諸苦因, 是故諍訟無所立。
因諸所欲生執著, 執故而生諸嬈惱,
執者即是取之名, 因取故生於三有。
有故有生即輪轉, 三有止息即不生,
老病死法亦隨無, 畢竟不受無常苦。
當知無欲即無取, 以無取故無三有,
有若止息即無生, 老病死苦皆不受。
是故汝等諸長者, 同發捨離取著心,
棄諸眷屬所愛因, 速當圓具苾芻相。
知識財利諸所欲, 應當互生於喜足,
隨處謙恭起下心, 所向為他增善利。
勿起意謂自守戒, 勿觀他為破戒者,
於其戒相持犯中, 勿非毀他為犯者。
譬如野鹿投繩網, 當知彼為自損害,
魔索縛心害亦然, 毀他生害亦如是。
愚人生諸損害意, 自讚毀他深為咎,
毀戒尚息於謗言, 何況梵行持戒者。
具學仙眾勇智者, 常修遠離寂靜行,
棄捨身命無愛心, 勤求解脫寂靜法。
諸外道輩及典章, 無利根本皆遠離,
愛樂甚深正法門, 彼法宣說真空理。
心根本處此當知, 所謂內外十二處,
從彼生起諸業因, 業久住處謂思法。
眼根色境二種緣, 眼識生緣為三事,
若不和合破散時, 如無薪火義如是。
如是所生一切法, 互相和合故有生,
作者受者二俱無, 正道常現諸所作。
內外諸法所成身, 是中應知我空法,
愚人顛倒執著心, 於我我所不知故。
眼內無法而可有, 於外亦復無所得,
無我無作壽者無, 應知諸法亦如是。
非眼遍思欲解脫, 耳鼻舌身意亦然,
色等無轉無作門, 當觀諸法亦如是。
如大海水起聚時, 暫生泡沫而無實,
諦觀眼等亦復然, 無堅無力如泡沫。
五蘊自性假和合, 如彼聚沫無堅力,
解脫一切嬈惱門, 及彼生老等憂惱。
汝於我教出家已, 了知一切法如幻,
不虛受彼信施心, 復能普供十方佛。」

法を取るがゆえに恐れが生じ、 その恐れによって悪趣に堕ちる。 この恐れの原因を見るならば、 法があると識るゆえに取が生じる。 もし理にかなった正道を観れば、 慧の光が諸々の闇を破る。 見るがゆえに勝れた慧の明を得て、 異なる性質は得られないと知るべし。 諸々の空なる処をよく観察せよ、 運動は虚仮で実体がない。 ここに安楽の門を作るなかれ、 渇愛が世間を欺くゆえに。 空の法をありのままに知り、 諸法は空で皆実体がないと知れば、 私は憂いを離れた安楽の門を得、 動じない最上の楽も得る。 もしこのように正しく知るならば、 一切の法は皆空であると知る。 これによって諸々の苦の因から解脱し、 故に諍いや論争は立つところがない。 諸々の欲によって執着が生じ、 執着ゆえに諸々の煩悩が生ずる。 執着する者こそが「取」という名であり、 取があるがゆえに三有が生じる。 有があるがゆえに生があり輪廻し、 三有が止めば生はなくなる。 老病死の法もまた従ってなくなり、 ついに無常の苦を受けない。 欲がなければ取がなく、 取がなければ三有がないと知るべし。 有が止めば生がなく、 老病死の苦を一切受けない。 それゆえ、汝ら諸々の長者よ、 共に取と執着を捨て離れる心を起こせ。 眷属や愛する因縁を棄て、 速やかに比丘の相を円満に具えよ。 知識や財利、諸々の欲に対しては、 互いに喜び足る心を生ずべし。 どこにおいても謙虚でへりくだり、 向かうところ他者の善い利益を増すべし。 自分は戒を守っていると思うな、 他人が破戒者だと思いなすな。 戒の相における持戒と破戒の中で、 他人を非難して犯者と断ずるな。 たとえば野鹿が網に掛かるように、 それは自らを損なうものと知れ。 魔の縄が心を縛って害するのも同様、 他を毀って害を生ずるのもまた然り。 愚者は諸々の害する心を起こし、 自らを讃え他を毀るは深き過ち。 戒を毀ることすら誹謗の言葉を止める、 ましてや梵行で戒を持つ者をや。 学を具えた仙衆の勇ましい智者は、 常に遠離と寂静の行を修め、 身命を棄て捨てて愛着心なく、 解脱と寂静の法を勤めて求む。 諸々の外道の輩とその典章は、 利益なき根本、皆遠く離れよ。 甚深なる正法の門を愛楽し、 その法は真空の理を宣説する。 心の根本の処、これを知るべし、 いわゆる内外の十二処である。 そこから諸々の業の因が生じ、 業が久しく住する処を思法という。 眼根と色境、二種の縁によって、 眼識が生じる縁は三つの事による。 もし和合せず破れ散る時は、 薪のない火の理の如し。 このように生ずる一切の法は、 互いに和合するがゆえに生じあり、 作者も受者も二つともに無く、 正道は常に諸々の所作を現す。 内外の諸法によって成るこの身、 この中に我は空で法であると知るべし。 愚者は心を顛倒して執着し、 我と我の所有を知らないがゆえに。 眼の内には法なくしてありうるも、 外においてもまた得るところ無し。 我無く作る者無く寿者無く、 諸法もまたこの如しと知るべし。 眼によって遍く思って解脱せんとせず、 耳鼻舌身意もまた然り。 色などに転ずることも作る門も無く、 諸法を観るもまたこの如し。 大海の水が集まって起きる時、 暫し泡を生じて実体無きが如く、 眼などを諦観するもまた然り、 堅からず力無く泡沫の如し。 五蘊の自性は仮に和合し、 かの聚沫の堅からず力無きが如し。 一切の煩悩の門を解脱し、 及びかの生老などの憂い悩みを。 汝ら、我が教えに出家して後、 一切の法は幻の如しと了知し、 虚しく彼の信施の心を受けず、 また能く普く十方の仏を供養せよ。

爾時五百長者聞佛宣說甚深正法,即於如是中路方處遠塵離垢得法眼淨。譬如白衣不雜塵黑易受染色,此五百長者於是方處遠離塵垢法眼清淨,亦復如是。

その時、五百人の長老たちは仏が深遠な正しい教えを説かれるのを聞き、その場で塵を離れ垢を離れ、法の眼が清らかになった。白い衣が塵や黒い染みがなく染めやすいように、この五百人の長老たちもその場で塵と垢を遠く離れ、法の眼が清らかになったのである。

爾時世尊復為五百長者宣說法要示教利喜。佛言:「諸長者!眼極熾焰。云何熾焰!謂貪火、瞋火、癡火熾焰,生老病死憂悲苦惱等火熾焰,我說此法自受苦惱。耳鼻舌身意熾焰亦然。云何熾焰?謂貪火、瞋火、癡火熾焰,生老病死憂悲苦惱等火熾焰,我說此法自受苦惱。色塵熾焰。云何熾焰?謂貪火、瞋火、癡火熾焰,聲香味觸法塵諸火熾焰,亦復如是。

その時、世尊はさらに五百人の長者に法の要を説き示し、教え導き、喜びを授けられた。

仏は言われた。

「長者たちよ、眼はまさに燃え盛る炎のようである。なぜ燃え盛るのかというと、貪りの火、怒りの火、愚かさの火が燃え盛り、生老病死、憂い悲しみ苦しみ悩みなどの火が燃え盛るからである。私はこの法を説くが、自ら苦悩を受けるのである。

耳・鼻・舌・身・意もまた同様に燃え盛る。なぜ燃え盛るのかというと、貪りの火、怒りの火、愚かさの火が燃え盛り、生老病死、憂い悲しみ苦しみ悩みなどの火が燃え盛るからである。私はこの法を説くが、自ら苦悩を受けるのである。

色の対象も燃え盛る。なぜ燃え盛るのかというと、貪りの火、怒りの火、愚かさの火が燃え盛り、声・香・味・触・法の対象といった諸々の火もまた同じように燃え盛るからである。

「又諸長者!色蘊熾焰。云何熾焰?謂貪火、瞋火、癡火熾焰。受蘊、想蘊、行蘊、識蘊諸火熾焰,亦復如是。十八界法,其義亦然。

また、諸々の長者よ、色蘊は燃え盛る炎のごとし。どうして燃え盛るというのか?それは貪りの火、怒りの火、愚かさの火が燃え盛るからである。受蘊、想蘊、行蘊、識蘊も、それぞれの火が燃え盛るという点では、同じである。十八界の法も、その意味は同様である。

「又諸長者!地界熾焰。謂貪火、瞋火、癡火熾焰。水界、火界、風界、空界、識界熾焰,亦復如是。謂貪火、瞋火、癡火熾焰,生老病死憂悲苦惱熾焰亦然,我說此法自受苦惱。

また、皆さん、地の要素が激しく燃え上がっています。それは貪りの火、怒りの火、愚かさの火が激しく燃え上がっているのです。水の要素、火の要素、風の要素、空の要素、識の要素も、同様に激しく燃え上がっています。つまり貪りの火、怒りの火、愚かさの火が激しく燃え上がり、生老病死、憂い悲しみ苦しみ悩みもまた激しく燃え上がっているのです。私はこの法を説きます。自ら苦しみ悩むことを。

「復次長者!眼無所取,應如是學,耳鼻舌身意亦無所取;色無所取,聲香味觸法亦無所取,應如是學。

また、長者よ、目は何ものも捉えようとしない、そのように学ぶべきである。耳、鼻、舌、身、意もまた何ものも捉えようとしない。色は何ものも捉えようとしない、声、香、味、触、法もまた何ものも捉えようとしない、そのように学ぶべきである。

「又諸長者!色蘊無所取,受蘊、想蘊、行蘊、識蘊,及十八界,皆無所取,應如是學。又諸長者!地界無所取,水界、火界、風界、空界、識界亦無所取,應如是學。

また、諸々の長者よ、色蘊は取るべきものではなく、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊、および十八界も、すべて取るべきものではありません。このように学びなさい。

また、諸々の長者よ、地界は取るべきものではなく、水界、火界、風界、空界、識界も、取るべきものではありません。このように学びなさい。

「又諸長者!此界無所取、他界無所取,應如是學。

また、諸々の長者よ、この世界にも執着するものはなく、他の世界にも執着するものはない。このように学ぶべきである。

「復次諸長者!若眼、耳、鼻、舌、身、意無所取故,即無依止。色、聲、香、味、觸、法無所取故,即於諸處中得無依止。

さらに、諸々の長者たちよ。もし眼、耳、鼻、舌、身、意が何も捉え取ることがなければ、それらは依り所となることがない。色、声、香、味、触、法が何も捉え取られなければ、あらゆる感覚の場において依り所を得ることがなくなるのです。

「又諸長者!色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊,及十八界,無所取故,即於蘊界中得無依止。

また、諸々の長者よ、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊、および十八界は、執われるべきものがないゆえに、すなわち蘊と界のなかで依り所なく安住することを得るのです。

「又諸長者!地界、水界、火界、風界、空界、識界無所取故,即於六界中得無依止。又諸長者!此界、他界無所取故,即於一切世界之中得無依止。

また、諸々の長者たちよ。地の要素、水の要素、火の要素、風の要素、空の要素、識の要素には、執着すべき何ものもない。それゆえに、六つの要素の中において、依り所なく安らぐことができるのです。

また、諸々の長者たちよ。この世界も、他の世界も、執着すべき何ものもない。それゆえに、すべての世界の中で、依り所なく安らぐことができるのです。

「又諸長者!若一切法無所取故,即於一切法中得無依止。諸長者!一切法無所得亦非無得,若能了知無得非無得,即能解脫生老病死憂悲苦惱,我說此為解脫諸苦。」

また、諸々の長者たちよ。もし一切の法が取るべきものがないゆえに、すなわち一切の法において依り所なき境地を得るのである。

諸々の長者たちよ。一切の法は得ることもなく、また得ないわけでもない。もしこの「得ないこと」と「得ないわけではないこと」を了知することができれば、すなわち生老病死の憂い悲しみ苦悩から解き放たれることができる。私はこれを「あらゆる苦しみからの解脱」と説くのである。

爾時世尊欲重宣明如是等義,說伽陀曰:

その時、世尊はこのような意味をさらに明らかにするため、偈を説かれました。

「此諸世間極熾焰, 生死二火鎮燒然,
無救嬈惱諸愚夫, 唯聖道法常不滅。
何法世間作光明? 有佛如來今出現,
剎那善觀正道門, 發起精進常堅固。
當觀諸法無依止, 慧光明見破諸暗,
見故即得勝慧明, 應知異性無所得。
若能觀察無依止, 了知一切法皆空,
如是了知空法門, 菩提心空無所有。
當知貪瞋癡等法, 此三熾焰極猛惡,
世間壽命普燒然, 久處睡眠愚不覺。
所有生老及病死, 憂悲苦惱常逼迫,
當知嬈惱諸世間, 彼一切法無依止。」

この世は激しい炎に包まれ、 生と死という二つの火が絶えず燃え盛っています。 救いのない苦しみに愚かな者たちは悩まされ、 ただ聖なる道の教えだけが常に滅びることがありません。

何がこの世を照らす光となるのでしょうか? 今、仏陀如来が現れました。 一瞬にして正しい道の門を善く観じ、 精進を起こし、常に堅固な心を保ちなさい。

すべてのものは頼りになる拠り所がないと観じなさい。 智慧の光がすべての闇を破ります。 それを見ることで勝れた智慧の明を得、 異なる実体は何一つ得られないと知るべきです。

もし頼るべき拠り所がないと観じることができれば、 すべてのものは空であると悟ることができます。 このように空の法門を悟れば、 菩提心もまた空であり、実体がないと知るでしょう。

貪り、怒り、愚かさといったもの、 この三つの炎は極めて激しく猛悪です。 世間の命を焼き尽くし、 長い間、眠りの中にいる愚かな者はそれに気づきません。

生老病死というもの、 憂い、悲しみ、苦しみ、悩みが常に迫り来ます。 世間を悩ませるこれらのすべてのものは、 頼るべき拠り所がないと知るべきです。

爾時五百長者聞佛所說如是正法,心開意解,前白佛言:「世尊!我等今者快得善利!於佛法中淨信出家!復於佛所圓具淨戒。」

その時、五百人の長者たちは、仏が説かれたこのような正しい教えを聞き、心が開かれ理解が深まりました。彼らは前に進み出て、仏に申し上げました。「世尊よ、私たちは今、素晴らしい善き利益を得ることができました。仏の教えの中に清らかな信頼をもって出家し、さらに仏のもとで円満に清らかな戒律を具足することができました。」

爾時佛言:「善來諸苾芻。」即時諸長者鬚髮自落、袈裟著身,成苾芻相。

その時、仏は言われました。「よく来たれ、比丘たちよ」 するとすぐに、長者たちの髪とひげは自然に落ち、袈裟が身にまとわりつき、比丘の姿となりました。

爾時世尊說伽陀曰:

その時、世尊は偈を説かれた:

「汝等受持袈裟衣, 鬚髮自落皆清淨,
執持應器善相圓, 一切皆成阿羅漢。
既證果已依師法, 各說清淨嗢陀南,
於諸天人大眾前, 圓滿清淨苾芻相。
往昔曾於諸佛所, 皆修廣大布施行,
一呼善來歡喜生, 處處廣修諸善法。
今得見我出世間, 發清淨心復增勝,
由彼增勝清淨心, 聽說最上清淨法。
聞佛語已證聖果, 遠離我見諸執著,
現前空法悟圓成, 我生已盡皆解脫。」

あなた方は袈裟の衣を受け持ち、 髪やひげは自然と落ち清らかになり、 鉢を手に取る姿は善き相に満ち、 皆、阿羅漢となりました。

果を証した後は師の教えに従い、 それぞれ清らかな偈を語り、 天や人々の大衆の前で、 円満で清らかな比丘の相を現しました。

昔、多くの仏のもとで、 広大な布施行を積み重ね、 「善来」の一声に喜びが湧き起こり、 あらゆる場所で善い行いを広めました。

今、私が世に現れたのを見て、 清らかな心を起こし、さらに増し、 その増した清らかな心によって、 最も優れた清らかな法を聞きました。

仏の言葉を聞いて聖なる果を証し、 我という見解や執着から遠ざかり、 目の前に空の法を悟り円成し、 我が生は尽き、皆、解脱しました。

佛說大乘菩薩藏正法經卷第四

3
2 無怖夜叉品

CBETA コード: T0316

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません