淨土五會念佛誦經觀行儀卷中
仏教音楽の作り方を学ぶ第二巻
南岳沙門法照撰
南岳沙門法照撰
佛說阿彌陀經(一名小無量壽經。後秦羅什法師譯。宗嘉元年。求那跋陀羅重譯。名阿彌陀經)。
仏陀が説かれた阿弥陀経(別名『小無量寿経』。後秦の鳩摩羅什訳。宗嘉元年に求那跋陀羅が再訳し、『阿弥陀経』と称す。)。
如是我聞。一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。與大比丘眾千二百五十人俱。皆是大阿羅漢。眾所知識。長老舍利弗。摩訶目揵連。摩訶迦葉。摩訶迦旃延。摩訶俱絺羅。離波多。周利槃陀伽。難陀。阿難陀。羅睺羅。憍梵波提。賓頭盧頗羅墮。迦留陀夷。摩訶劫賓那。薄拘羅。阿㝹樓駄。如是等諸大弟子。并諸菩薩摩訶薩。文殊師利法王子阿逸多菩薩。乾陀訶提菩薩。常精進菩薩。與如是等諸大菩薩。及釋提桓因等。無量諸天大眾俱。
私はこのように聞きました。ある時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園におられました。そこには大比丘たち、千二百五十人の僧侶が集まっていました。彼らは皆、大阿羅漢であり、多くの人々に知られた方々でした。
年長の舎利弗、大目犍連、大迦葉、大迦旃延、大倶絺羅、離婆多、周利槃陀伽、難陀、阿難陀、羅睺羅、憍梵波提、賓頭盧頗羅堕、迦留陀夷、摩訶劫賓那、薄拘羅、阿那律といった多くの大弟子たち。
さらに、文殊師利法王子、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩など、多くの大菩薩たちもおられました。そして、帝釈天をはじめとする無数の諸天と、大いなる衆生たちが共に集まっていました。
爾時佛告長老舍利弗。從是西方。過十萬億佛土。有世界。名曰極樂。其土有佛。號阿彌陀。今現在說法。舍利弗。彼土何故名為極樂。其國眾生無有眾苦。但受諸樂。故名極樂。
そのとき、仏は長老の舎利弗に告げられた。「この西方、十万億の仏の国を過ぎたところに、『極楽』という名の世界がある。その国には『阿弥陀』という名の仏がおられ、今まさに説法をされている。舎利弗よ、なぜその国を『極楽』というのか。その国の人々は、あらゆる苦しみがなく、ただもろもろの楽しみだけを受ける。だから『極楽』と名付けられているのだ。」
又舍利弗。極樂國土。七重欄楯。七重羅網。七重行樹。皆是四寶周匝圍繞。是故彼國。名曰極樂。
また、舎利弗よ。極楽の国には、七重の欄干、七重の網、七重の並木がめぐらされている。これらはすべて四種の宝で飾り立てられ、四方を取り囲んでいる。それゆえに、その国を極楽というのだ。
又舍利弗。極樂國土。有七寶池。八功德水。充滿其中。池底純以金沙布地。四邊階道。金銀瑠璃頗梨合成。上有樓閣。亦以金銀瑠璃頗梨車𤦲赤珠馬瑙而嚴飾之。池中蓮華。大如車輪。青色青光。黃色黃光。赤色赤光。白色白光。微妙香潔。舍利弗。極樂國土。成就如是功德莊嚴。
また、舎利弗よ。極楽の国土には、七宝でできた池がある。その池には八つの功徳を備えた水が満ちている。池の底は純金の砂が敷き詰められている。四方の岸辺には階段や道があり、金、銀、瑠璃、玻璃で作られている。その上には楼閣がそびえ、それも金、銀、瑠璃、玻璃、車渠、赤珠、瑪瑙で美しく飾られている。池の中の蓮の花は、車輪ほどの大きさで、青い花は青い光を放ち、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、その香りは微かながら素晴らしく、清らかである。舎利弗よ。極楽の国土は、このような功徳の荘厳を成就しているのである。
又舍利弗。彼佛國土。常作天樂。黃金為地。晝夜六時。而雨曼陀羅花。其國眾生。常以清旦。各以衣裓盛眾妙花。供養他方十萬億佛。即以食時還到本國。飯食經行。舍利弗。極樂國土。成就如是功德莊嚴。
また、舎利弗よ。その仏の国では、常に天の音楽が響き、大地は黄金でできています。昼夜六時(一日中)には、曼陀羅の花が降り注ぎます。その国の人々は、毎朝早く、美しい花を衣の裾に集めて、他の十万億の仏の国々へ赴き、それぞれの仏を供養します。そして、食事の時間になると、自国に戻り、食事をとり、経行(歩きながらの瞑想)を行います。舎利弗よ、極楽の国は、このような功徳の荘厳を成就しているのです。
復次舍利弗。彼國常有種種奇妙雜色之鳥。白鵠孔雀鸚鵡舍利迦陵頻伽共命之鳥。是諸眾鳥。晝夜六時。出和雅音。其音演暢。五根五力。七菩提分。八聖道分。如是等法。其土眾生。聞是音已。皆悉念佛念法念僧。舍利弗。汝勿謂此鳥實是罪報所生。所以者何。彼佛國土無三惡趣。舍利弗。其佛國土尚無三惡道之名。何況有實。是諸眾鳥。皆是阿彌陀佛欲令法音宣流。變化所作。舍利弗。彼佛國土。微風吹動諸寶行樹及寶羅網。出微妙音。譬如百千種樂。同時俱作。聞是音者。皆自然生念佛念法念僧之心。舍利弗。其佛國土成就如是功德莊嚴。
さらに舎利弗よ、その国には常に、さまざまな美しい色の鳥たちがいる。白鳥、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命の鳥たちである。これらの鳥たちは、昼夜六時にわたって、和やかで雅やかな声を発する。その声は、五根、五力、七菩提分、八聖道分といった教えを、見事に述べ伝えている。その国の人々は、この声を聞けば、皆、仏を思い、法を思い、僧を思うようになる。
舎利弗よ、あなたはこれらの鳥たちが、実は罪の報いとして生まれたものだと思ってはならない。なぜかと言えば、阿弥陀仏の国には、地獄・餓鬼・畜生の三つの悪い世界は存在しないからである。舎利弗よ、その仏の国には、三悪道という名前すらなく、ましてや実体があるはずがない。これらの鳥たちは、すべて阿弥陀仏が、仏の教えを広め響かせたいとの願いから、変化させて作り出したものなのである。
舎利弗よ、その仏の国では、微かな風が、宝で飾られた並木や宝の網をそっと揺らすと、微妙な音が生じる。それはまるで、百千種類もの楽器が同時に奏でられるかのようである。その音を聞く者は、自然と仏を思い、法を思い、僧を思う心が湧き上がる。舎利弗よ、阿弥陀仏の国は、このような功德と壮厳を成就しているのである。
舍利弗。於汝意云何。彼佛何故號阿彌陀。舍利弗。彼佛光明無量。照十方國。無所障礙。是故號為阿彌陀。又舍利弗。彼佛壽命。及其人民。無量無邊阿僧祇劫。故名阿彌陀。舍利弗。阿彌陀佛成佛已來。於今十劫。又舍利弗。彼佛有無量無邊聲聞弟子。皆阿羅漢。非是算數之所能知。諸菩薩亦如是舍利弗。彼佛國土。成就如是功德莊嚴。
舎利弗よ、あなたはどう思うか。あの仏は、なぜ阿弥陀と名付けられたのか。 舎利弗よ、あの仏の光明は限りがなく、十方の国々を照らし、どこにもさまたげがない。そのため阿弥陀と名付けられたのである。 また、舎利弗よ、あの仏の寿命、そしてその国に住む人々の寿命も、無量無辺の阿僧祇劫(はかりしれないほどの長い時間)にわたる。そのため阿弥陀と名付けられたのである。 舎利弗よ、阿弥陀仏が仏となられてから、すでに十劫が過ぎた。 さらに、舎利弗よ、あの仏には、無量無辺の声聞(しょうもん)の弟子たちがいる。彼らはみな阿羅漢であり、その数は計算で知ることのできるものではない。菩薩たちもまた、同じように数えきれない。 舎利弗よ、あの仏の国土は、このような功徳の荘厳を成就しているのである。
又舍利弗。極樂國土。眾生生者。皆是阿鞞跋致。其中多有一生補處。其數甚多。非是算數所能知之。但可以無量無邊阿僧祇劫說。舍利弗。眾生聞者。應當發願願生彼國。所以者何。得與如是諸上善人。俱會一處。舍利弗。不可以少善根福德因緣。得生彼國。舍利弗。若有善男子善女人。聞說阿彌陀佛。執持名號。若一日。若二日。若三日。若四日。若五日。若六日。若七日。一心不亂。其人臨命終時。阿彌陀佛。與諸聖眾。現在其前。是人終時。心不顛倒。即得往生阿彌陀佛極樂國土。舍利弗。我見是利故說此言。若有眾生。聞是說者。應當發願生彼國土。
また舎利弗よ。極楽国土に生まれる者は、みな阿鞞跋致です。その中には一生補処の者も多くおられ、その数は非常に多く、計算で知ることはできません。ただ無量無辺阿僧祇劫をもって説くことができるだけです。舎利弗よ。衆生はこれを聞いたなら、願いを起こしてかの国に生まれたいと願うべきです。なぜなら、このような多くのすぐれた善人たちと一つの場所で会うことができるからです。舎利弗よ。少ない善根と福德の因縁では、かの国に生まれることはできません。舎利弗よ。もし善男子・善女人が、阿弥陀仏の説かれたことを聞いて、その名号を執持し、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、一心不乱に努めるなら、その人の臨命終のとき、阿弥陀仏がもろもろの聖衆とともに、その人の前に現れます。この人は命終のとき、心が顛倒せず、ただちに阿弥陀仏の極楽国土に往生することができます。舎利弗よ。私はこの利益を見るゆえに、この言葉を説くのです。もし衆生がこの説を聞いたなら、願いを起こしてかの国土に生まれたいと願うべきです。
舍利弗。如我今者。讚歎阿彌陀佛不可思議功德。東方亦有阿閦鞞佛。須彌相佛。大須彌佛。須彌光佛。妙音佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等眾生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舎利弗よ、私が今、阿弥陀仏の不可思議な功徳を称賛するように、東方にもまた、阿閦鞞仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏といった、ガンジス川の砂の数ほどの多くの仏方がおられます。それぞれの仏はご自身の国で、広く長い舌を出して、三千大千世界の全体を覆い、こう真実の言葉を述べられます。「あなたがた衆生は、この『不可思議な功徳を称賛し、一切諸仏が護念する経』を信じなさい」と。
舍利弗。南方世界。有日月燈佛。名聞光佛。大焰肩佛。須彌燈佛。無量精進佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等眾生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舎利弗よ。南方の世界には、日月灯仏、名聞光仏、大焔肩仏、須弥灯仏、無量精進仏がいます。このように、ガンジス川の砂の数ほどの諸仏がおられ、それぞれご自身の国で、広く長い舌の相を現し、三千大千世界をすっかり覆って、真実の言葉を説かれます。「あなたがた衆生は、この不可思議な功徳を称賛し、一切の諸仏に護念される経を信じるべきです」と。
舍利弗。西方世界。有無量壽佛。無量相佛。無量幢佛。大光佛。大明佛。寶相佛。淨光佛。如是等恒河沙等數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大世界。說誠實言。汝等眾生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舎利弗よ、西方の世界には、無量寿仏、無量相仏、無量幢仏、大光仏、大明仏、宝相仏、浄光仏といった多くの仏がいらっしゃいます。このように、ガンジス川の砂の数ほども多くの仏が、それぞれの国で、広く長い舌を出して、三千大千世界全体をおおい、真実の言葉を説かれます。「あなたがた衆生は、あらゆる仏が守り護る、この不可思議な功徳を称賛する経を信じなさい」と。
舍利弗。北方世界。有焰肩佛。最勝音佛。難阻佛。日生佛。網明佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等眾生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舎利弗よ。北方の世界には、焔肩仏、最勝音仏、難阻仏、日生仏、網明仏がおられます。このようなガンジス川の砂の数ほどの諸仏が、それぞれの国で広長舌相を出し、三千大千世界を遍く覆って、誠実な言葉を説かれます。「あなたがた衆生は、この不可思議な功徳を称賛し、すべての諸仏に護念される経を信じるべきです」と。
舍利弗。下方世界。有師子佛。名聞佛。名光佛。達摩佛。法幢佛。持法佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等眾生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舎利弗よ、下方の世界には、獅子仏、名聞仏、名光仏、達摩仏、法幢仏、持法仏をはじめとして、ガンジス川の砂の数ほどの無数の仏がおられます。それぞれの仏が、ご自身の国土において、広く長い舌の相を示し、三千大千世界の全体を覆い尽くして、真実の言葉を述べておられます。「あなたがた衆生は、この、あらゆる仏が護り守る、称賛しがたい功徳をたたえる経を、確かに信じなさい」と。
舍利弗。上方世界。有梵音佛。宿王佛。香上佛。香光佛。大焰肩佛。雜色寶花嚴身佛。娑羅樹王佛。寶花德佛。見一切義佛。如須彌山佛。如是等恒河沙數諸佛。各於其國。出廣長舌相。遍覆三千大千世界。說誠實言。汝等眾生。當信是稱讚不可思議功德一切諸佛所護念經。
舎利弗よ、上方の世界には、梵音仏、宿王仏、香上仏、香光仏、大焔肩仏、雑色宝花厳身仏、娑羅樹王仏、宝花徳仏、見一切義仏、須弥山仏といった仏方がおられます。このようにガンジス川の砂の数ほどの無数の仏方が、それぞれの国土で広く長い舌相を現し、三千大千世界全体を覆い尽くして、真実の言葉を説かれます。「あなたがた衆生は、この、称賛しがたい功徳を持つ、すべての仏方が護り念じる経を、信じなさい」と。
舍利弗。於汝意云何。何故名一切諸佛所護念經。舍利弗。若有善男子善女人。聞是經受持者。及聞諸佛名者。是諸善男子善女人。皆為一切諸佛共所護念。皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提。是故舍利弗。汝等皆當信受我語。及諸佛所說。舍利弗。若有人。已發願。今發願。當發願。欲生阿彌陀佛國者。是諸人等。皆得不退轉於阿耨多羅三藐三菩提。於彼國土。若已生。若今生。若當生。是故舍利弗。諸善男子善女人。若有信者。應當發願願生彼國土。
舎利弗よ、あなたはどう思いますか。なぜこの経典を『一切の諸仏に護念される経』というのでしょうか。舎利弗よ、もし善男子・善女人で、この経典を聞いて受け持ち、また諸仏の名を聞く者がいれば、これらの善男子・善女人は皆、一切の諸仏に共に護念され、皆、阿耨多羅三藐三菩提において不退転を得ることができます。ですから舎利弗よ、あなたがたは皆、私の言葉と諸仏の説かれたことを信受すべきです。舎利弗よ、もし人が、すでに願を発し、今願を発し、当に願を発して、阿弥陀仏の国に生まれたいと願うならば、これらの人々は皆、阿耨多羅三藐三菩提において不退転を得ることができます。その国土に、すでに生まれた者も、今生まれる者も、当に生まれる者も同様です。ですから舎利弗よ、諸善男子・善女人で、もし信じる者があれば、まさに願を発してその国土に生まれたいと願うべきです。
舍利弗。如我今者。稱讚諸佛不可思議功德。彼諸佛等。亦稱說我不可思議功德。而作是言。釋迦牟尼佛。能為甚難希有之事。能於娑婆國土五濁惡世。劫濁見濁煩惱濁眾生濁命濁中。得阿耨多羅三藐三菩提。為諸眾生。說是一切世間難信之法。舍利弗。當知。我於五濁惡世。行此難事。得阿耨多羅三藐三菩提。為一切世間。說此難信之法。是為甚難佛說此經已。舍弗及諸比丘。一切世間天人阿修羅等。聞佛所說。歡喜信受。作禮而去。
舎利弗よ、このように今、私(釈尊)が諸仏の不可思議な功徳を称えているように、あの諸仏たちもまた、私の不可思議な功徳を称えて、こう仰っています。
「釈迦牟尼仏は、極めて難しく、稀有なことを成し遂げられた。あの娑婆世界(この世界)の五濁の悪世――すなわち、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁――の中で、無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)を悟り、すべての衆生のために、この世の中では信じ難い法を説かれたのだ」と。
舎利弗よ、知っておきなさい。私はこの五濁の悪世において、この困難な行いを実践し、無上正等覚を悟り、すべての世の中のために、この信じ難い法を説いたのです。これは実に難しいことなのです。
仏がこの経典を説き終えられると、舎利弗をはじめとする多くの比丘たち、そして世の中の天・人・阿修羅などのすべての者たちは、仏の説かれたことを聞いて、喜び、信じ受け入れ、礼をして去って行きました。
眾等每誦經了。即第二會念佛一兩會。即誦後寶鳥相好二讚。應知。
経典を読み終えた皆さんは、続いて二回目の会として念仏を一、二回唱え、その後に宝鳥相好の二つの讃を唱えます。この通りにしてください。
佛說阿彌陀經一卷
仏説阿弥陀経
那(上)謨菩(上)陀夜(藥可反下同)那(上)謨馱囉(上)摩夜那(上)謨僧伽夜那(上)摩阿(上)弭多婆(上)夜跢(丁可反下同)他伽(上)多夜阿(上)囉訶(上)羝三藐三菩(上)陀夜跢姪(地也反下同)他阿(上)弭唎(上)羝阿(上)弭唎都婆鼙(菩迷反下同)阿弭(上)唎跢三婆(上)鼙阿(上)弭唎跢鼻(菩弭反)迦囒羝伽弭儞伽(上)伽(上)那(上)稽(居移反)鼙底(者儞反)迦(上)嚟婆(上)囉(上)皤波跛叉(楚我反)焰迦嚟(一切惡業盡)娑訶
南無仏陀耶 南無ダルマヤ 南無サンガヤ 南無阿弥陀仏 タタガタヤ アラハテ サミャクサンブッダヤ タニャタ 阿弥陀 リテ 阿弥陀 ト バ ベ 阿弥陀 タ サン バ ベ 阿弥陀 タ ビ カ ランテ ガミネ ガガナ キ ベ ケチャ バラ バン パ チャ エン ケチョウ(一切の悪業尽きる) ソワカ
呪中諸口傍字皆依本音轉。舌言之無口者。依字讀之。右呪先已翻出流行。於晨朝楊枝淨口。散花燒香。佛像前𧿟跪合掌。日誦二七。若三七遍。滅四重五逆等罪。現身不為諸橫所惱。命終生無量壽國。永離女身。今更勘梵本。并對問婆羅門僧毘尼佛陀僧伽等。知此呪威力不可思議云。旦暮午時。各誦一百八遍。滅四重五逆。拔一切罪根。得生西方。若能精誠誦滿二十萬遍。則菩提牙生。證不退轉。滿三十萬遍。則面見阿彌陀佛。決定得生安樂淨土。此陀羅尼及功德能作法事時。不須誦之。
この呪の中の「口偏」の文字は、すべて元の音をもとに発音します。「口偏」のない文字は、そのまま字を読んでください。
右の呪文は、既に広く知られる形で翻訳・流布されています。朝、楊枝で口を清め、花をまき香をたき、仏像の前にひざまずき合掌して、毎日十四回、または二十一回唱えれば、四重罪や五逆罪などの重い罪を滅ぼし、現世ではさまざまな災いに悩まされることがありません。命終われば無量寿国に生まれ、女の身から永遠に離れられます。
このたび、さらに梵本を校訂し、婆羅門僧である毘尼佛陀僧伽等に問い合わせたところ、この呪の威力は考え及ばないほどであると言います。
朝夕と正午に、それぞれ百八回ずつ唱えれば、四重罪・五逆罪を滅し、あらゆる罪の根を抜き去り、西方に生まれることができます。もし精進して誠の心で二十万回唱え満たせば、菩提の芽が生じ、不退転の位が証されます。三十万回を満たせば、阿弥陀仏に直接お会いし、必ず安楽浄土に生まれることが決まります。
この陀羅尼とその功徳は、法事を行う際には唱える必要はありません。
又往生西方記驗。此傳作法事時不在誦限知之。
(西方往生の記録。この伝に基づく法要の際は、読誦の対象としないことを知るべきです。)
昔長安叡法師。慧崇。僧顯。慧通。近至後周實禪師。西河鸞法師等。數百人。並生西方。綽禪師等。因鸞法師。得生西方。各率有緣。專修淨土之業。綽禪師又撰西方記驗。名安樂集流行。又晉朝遠法師。入盧山三十年不出。乃命同志白黑百有二十三人。立誓期於西方。鑿山銘願。至陳天嘉年。盧山珍禪師。於坐時見人乘船往西方。乃求附載。報云。法師未誦阿彌陀經。不得去也。因即誦此經應二萬遍。未終四七日前四。更有神人。從西方送一白銀臺來。空中明過於日。告云。法師壽終。當乘此往生阿彌陀佛國。故來相示。令知定生。臨命終時。白黑咸聞異香數日。其夜峯頂寺咸見一谷中有數十炬火。大如車輪。尋驗古今往西方者非一。多見化佛徒眾來迎。靈瑞如傳不可繁錄。因珍禪師於此經有驗故略述。此以悟來喆助往生之志耳。
昔、長安の叡法師、慧崇、僧顕、慧通、そして後の周の実禅師、西河の鸞法師など、数百人が西方に生まれました。綽禅師たちも鸞法師の導きにより西方に生まれ、それぞれ縁ある人々を率いて浄土の修行に専念しました。綽禅師はさらに『安楽集』という西方での経験を記した書物を著し、広く世に出しました。
また、晋の時代の遠法師は廬山に三十年間こもり、志を同じくする僧侶や在家の信者合わせて百二十三人と共に、西方への往生を誓い、山に誓いの言葉を刻みました。
陳の天嘉年間、廬山の珍禅師が座禅中に、船で西方へ向かう人々を見かけました。彼が一緒に乗せてほしいと頼むと、「あなたはまだ『阿弥陀経』を読誦していないので、行くことはできません」と言われました。そこで珍禅師はこの経を二万回読誦しました。命終の四七日(二十八日)前には、西方から神人が銀の台を持って現れ、空中で太陽よりも明るく輝き、「あなたの命が尽きるとき、この台に乗って阿弥陀仏の国に往生するでしょう。そのことをお知らせに参りました」と告げました。
臨終の際には、僧侶も在家も数日にわたり異香をかぎました。その夜、峰頂寺の人々は谷間で数十の車輪ほどの大きさの火の光を見ました。古今の往生者の例を調べてみると、一人や二人ではなく、多くの人が化仏やその眷属が来迎するのを目撃しています。こうした霊瑞は伝記に詳しく記されており、ここに書ききれません。
珍禅師がこの経の功徳を実証されたことから、その一端を述べて、後の人々の往生の志を助けたいと思います。