救度國比丘善現第十一
救国の比丘・善現 第十一
自此已下,是第二大段,明因漸行成,故堪為知識。就此段中,初十位,明自分行成,故堪為知識。第二十階,明他分方便行成,故堪為知識。凡自分者,正是十行之一位也。歡喜行之淨土,堪能濟物,名曰救度。出則以物濟世,名曰善現。法名隨順菩薩莊嚴法門也。正念思惟者,名曰總句。餘十一句,名曰別也。地者,猶地法也。行者,心行。心流者,心行從緣,用在非一也。用而外照,名曰智光。光之所照,名曰性也。語法者,明光照法性故,則成外業之用也。圓滿者,正報法也。無間者,依報法也。出家日近者,蓋是十行之初故也。就不知法中,初三句,明法身體相用。次具妙三句,明報身體相用。真金六句,明應身體相用也。
これより以下は、第二の大きな段落です。因となる漸次的な修行が成就することを明かしているので、善き導き手となることができるのです。この段落の中で、最初の十の位は、自分自身の修行が成就することを明かしているので、善き導き手となることができるのです。第二の十の階は、他者のための方便の修行が成就することを明かしているので、善き導き手となることができるのです。およそ自分自身の分というのは、まさに十行のうちの一つの位です。歓喜行の浄土は、よく物を救うことができるので、救度と名づけます。外に出ては物をもって世を救うので、善現と名づけます。法の名は随順菩薩荘厳法門です。正念思惟は、総句と名づけます。残りの十一句は、別と名づけます。地とは、ちょうど地の法のようなものです。行とは、心の働きです。心流とは、心の働きが縁に従って、その働きが一つではないということです。働きが外を照らすので、智光と名づけます。光の照らすところを、性と名づけます。語法とは、光が法性を照らすことを明かすので、外への働きの用となるのです。円満とは、正報の法です。無間とは、依報の法です。出家日近とは、おそらくこれは十行の初めだからです。不知法の中において、最初の三句は、法身の体・相・用を明かします。次の具妙の三句は、報身の体・相・用を明かします。真金の六句は、応身の体・相・用を明かします。