妙法蓮華經憂波提舍卷上
妙法蓮華経憂波提舎 巻上
大乘論師婆藪槃豆釋
大乗の論師婆藪槃豆(ヴァスバンドゥ)の釈
後魏北天竺三藏菩提留支共沙門曇林等譯
後魏・北天竺の三蔵菩提留支が沙門曇林らとともに訳したものです。
頂禮正覺海, 淨法無為僧,
為深利智者, 開示毘伽典。
祇虔牟尼尊, 及菩薩聲聞,
令法自他利, 略出勒伽辯。
歸命過未世, 現在佛菩薩,
弘慈降神力, 願施我無畏,
大悲止四魔, 護菩提增長。
正覚の海に頂礼し、清らかな法と無為の僧に帰依します。 深く利智のある方々のために、毘伽の典を開示します。 牟尼世尊と、菩薩および声聞の衆に敬礼し、 自利と利他の法が実現するよう、勒伽の弁を略述します。 過去・未来・現在の仏と菩薩に命を帰し、 広い慈しみをもって神力に至り、私に恐れなき心を施したまえと願います。 大悲は四魔を止め、菩提の增長を護ります。
妙法蓮華經序品第一
妙法蓮華経 序品第一
如是我聞:一時佛住王舍城耆闍崛山中,與大比丘眾萬二千人俱,皆是阿羅漢,諸漏已盡,無復煩惱,心得自在,善得心解脫、善得慧解脫,心善調伏,人中大龍,應作者作,所作已辦,離諸重擔,逮得己利,盡諸有結,善得正智心解脫,一切心得自在,到第一彼岸。菩薩摩訶薩八萬人,皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉,皆得陀羅尼、大辯才樂說,轉不退轉法輪,供養無量百千諸佛,於諸佛所種諸善根,常為諸佛之所稱歎,以大慈悲而修身心,善入佛慧通達大智到於彼岸,名稱普聞無量世界,能度無數百千眾生。
如是我聞。ある時、仏は王舎城の耆闍崛山の中に住んでおられました。大比丘の衆一万二千人とともにあり、その者は皆、阿羅漢であり、諸々の漏はすでに尽き、もはや煩悩はなく、心は自在を得て、よく心の解脱を得、よく慧の解脱を得、心はよく調伏され、人中の大龍であり、なすべきことをなし、なすべきことはすでに成し遂げ、諸々の重い荷を離れ、己の利益を得て、諸々の有の結縛を尽くし、よく正しい智慧による心の解脱を得て、一切の心に自在を得て、第一の彼岸に到っておられます。菩薩摩訶薩八万人は、皆、阿耨多羅三藐三菩提において不退転であり、皆、陀羅尼を得、大いなる弁才を楽しみ、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏のもとで諸々の善根を植え、常に諸仏に称賛され、大いなる慈悲によって身心を修め、よく仏の智慧に入り、大いなる智慧に通達して彼岸に到り、その名は無量の世界に広く聞こえ、無数の百千の衆生を救うことができます。
釋曰:此經法門初第一品,示現七種功德成就,此義應知。何等為七?一者序分成就;二者眾成就;三者如來欲說法時至成就;四者依所說法威儀隨順住成就;五者依止說因成就;六者大眾現前欲聞法成就;七者文殊師利菩薩答成就。
釈して曰く、この経の法門のうち最初の第一品は、七種の功德成就を示現しています。この意味を知るべきです。七種とは何でしょうか。第一に序分の成就、第二に衆の成就、第三に如来が法を説こうと欲する時の至の成就、第四に説かれる法に依って威儀が随順して住する成就、第五に説の因に依止する成就、第六に大衆が現前にして法を聞かんと欲する成就、第七に文殊師利菩薩の答の成就です。
序分成就者,此法門中示現二種勝義成就,此義應知。何等為二?一者示現諸法門中最勝義成就;二者示現自在功德義成就。如王舍城勝於一切諸餘城舍,耆闍崛山勝餘諸山,顯此法門最勝義故。如經「婆伽婆住王舍城耆闍崛山中」故。
序分の成就について、この法門の中に二種の勝義の成就が示されていることを知るべきです。その二つとは何でしょうか。第一は、諸々の法門の中で最も勝れた義の成就を示すことです。第二は、自在な功德の義の成就を示すことです。王舎城が他のすべての城や舎よりも勝れているように、耆闍崛山が他のすべての山よりも勝れているように、この法門の最も勝れた義を示しているのです。経に「婆伽婆、王舎城の耆闍崛山中に住したまう」とある通りです。
眾成就者,有四種義故,成就示現應知。何等為四?一者數成就;二者行成就;三者攝功德成就;四者威儀如法住成就。
衆成就には、四つの意義があることによって成就が示されていると知るべきです。四つとは何でしょうか。一つには数の成就、二つには行の成就、三つには功德を摂する成就、四つには威儀が法のごとくに住する成就です。
數成就者,諸大眾無數故。行成就者有四種:一者謂諸聲聞修小乘行;二者謂諸菩薩修大乘行;三者謂諸菩薩神通自在隨時示現,能修行大乘,如颰陀波羅菩薩等十六大賢士,具足菩薩不可思議事,而常示現種種形相,謂優婆塞、優婆夷、比丘、比丘尼等;四者謂出家聲聞威儀一定,不同菩薩故。
数成就とは、多くの大衆が数えきれないほどいることによります。行成就には四つの種類があります。第一は、声聞たちが小乗の修行を修めることです。第二は、菩薩たちが大乗の修行を修めることです。第三は、菩薩たちが神通自在にして時に応じて姿を現し、大乗を修行できることで、陀波羅菩薩などの十六人の大賢士のように、菩薩の不思議な事柄を具足しながら、常に優婆塞・優婆夷・比丘・比丘尼など、さまざまな形相を現すことです。第四は、出家した声聞が威儀において一定していることで、菩薩とは異なるからです。
「皆是阿羅漢」等,有十六句,示現聲聞功德成就。
「みな阿羅漢である」など、十六の句があり、声聞の功德が成就していることを示しています。
「皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉」等,有十三句,示現菩薩功德成就。
「皆於阿耨多羅三藐三菩提不退転なり」など、十三の句があり、菩薩の功德の成就を示しています。
聲聞功德成就者,彼十六句三門攝義示現應知。何等三門?一者上上起門;二者總別相門;三者攝取事門。
声聞の功德が成就していることについては、あの十六の句を三つの門にまとめる意味が示されていると知るべきです。その三つの門とは何でしょうか。第一に上上起門、第二に総別相門、第三に摂取事門です。
上上起門者,謂諸漏已盡故,名為阿羅漢。以心得自在故,名為諸漏已盡。以無復煩惱故,名為心得自在。以善得心解脫、善得慧解脫故,名為心得自在。以遠離能見所見故,名為無復煩惱。以善得心解脫、善得慧解脫故,名為心善調伏。人中大龍者,行諸惡道如平坦路無所拘礙。應行者已行,應到處已到故。應作者作,人中大龍已得對治降伏煩惱之怨敵故。所作已辦者,更不後生,如相應事已成就故。離諸重擔者,以應作者作、所作已辦,後生重擔已捨離故。逮得己利者,已捨重擔,證涅槃故。盡諸有結者,以逮得己利,斷諸煩惱因故。善得正智心解脫者,諸漏已盡故。一切心得自在者,善知見道修道智故。到第一彼岸者,善得正智心解脫、善得神通無諍三昧等諸功德故。大阿羅漢等者,心得自在到彼岸故。眾所知識者,諸王、王子、大臣、人民、帝釋、天王、梵天王等皆識知故。又復聲聞、菩薩、佛等是勝智者,彼勝智者皆悉善知,是故名為眾所知識。
上上起門とは、すなわち、諸々の漏がすでに尽きているので、阿羅漢と名づけます。心が自在を得ているので、諸漏已尽と名づけます。もはや煩悩がないので、心得自在と名づけます。よく心解脱を得て、よく慧解脱を得ているので、心得自在と名づけます。能見と所見を遠離しているので、無復煩悩と名づけます。よく心解脱を得て、よく慧解脱を得ているので、心善調伏と名づけます。
人中大龍とは、諸々の悪道を行くことが平坦な道を行くかのようで、妨げられることがないことをいいます。行くべき者はすでに行き、到るべき所にはすでに到っているからです。なすべきことをなし、人中大龍はすでに煩悩の怨敵を対治し降伏することを得ているからです。
所作已辦とは、もはや後に生まれることがなく、相応する事柄がすでに成就しているからです。離諸重担とは、なすべきことをなし、所作已辦であり、後の生の重い荷をすでに捨て離れているからです。逮得己利とは、すでに重い荷を捨て、涅槃を証しているからです。尽諸有結とは、逮得己利によって、諸々の煩悩の因を断じているからです。
善得正智心解脱とは、諸漏已尽だからです。一切心得自在とは、よく見道と修道の智を知っているからです。到第一彼岸とは、よく正智心解脱を得て、よく神通・無諍三昧などの諸々の功徳を得ているからです。大阿羅漢等とは、心得自在にして彼岸に到っているからです。
衆所知識とは、諸王、王子、大臣、人民、帝釈、天王、梵天王などがみな知っているからです。また、声聞・菩薩・仏などはすぐれた智者であり、それらのすぐれた智者たちがみなよく知っているので、衆所知識と名づけます。
總別相門者,「皆是阿羅漢」等十六句。初句是總,餘句別故。彼阿羅漢名之為應,有十五種應義應知。何等十五?一者應受飲食臥具供養恭敬等故;二者應將大眾教化一切故;三者應入聚落城邑等故;四者應降伏諸外道等故;五者應以智慧速觀察法故;六者應不疾不遲說法如法相應不疲惓故;七者應靜坐空閑處,飲食衣服一切資生不積不聚,少欲知足故;八者應一向行善行,不著諸禪故;九者應行空聖行故;十者應行無相聖行故;十一者應行無願聖行故;十二者應降伏世間禪淨心故;十三者應起諸通勝功德故;十四者應證第一義勝功德故;十五者應如實知同生諸眾得諸功德,為利益一切諸眾生故。
総別相門とは、「皆是阿羅漢」など十六句のことです。最初の句は総であり、残りの句は別であるからです。かの阿羅漢は「応」と呼ばれ、十五種類の「応」の意味があると知るべきです。どのような十五か。
一者は、飲食・臥具・供養・恭敬などを受けるにふさわしいからです。 二者は、大衆を率いてすべてを教化するにふさわしいからです。 三者は、聚落や城邑などに入るにふさわしいからです。 四者は、諸々の外道を降伏するにふさわしいからです。 五者は、智慧によって速やかに法を観察するにふさわしいからです。 六者は、速すぎず遅すぎず、法にかなった説法を、疲れることなく行うにふさわしいからです。 七者は、静かな空閑の処に坐し、飲食や衣服などすべての資生のものを積まず集めず、少欲知足であるにふさわしいからです。 八者は、ひたすら善行を行い、諸々の禅に執着しないにふさわしいからです。 九者は、空の聖行を行うにふさわしいからです。 十者は、無相の聖行を行うにふさわしいからです。 十一者は、無願の聖行を行うにふさわしいからです。 十二者は、世間の禅と浄心を降伏するにふさわしいからです。 十三者は、諸々の神通という優れた功德を起こすにふさわしいからです。 十四者は、第一義という優れた功德を証するにふさわしいからです。 十五者は、共に生まれた諸々の衆生が功德を得ることをありのままに知り、すべての衆生を利益するためのゆえです。
攝取事門者,此十五句攝取十種功德應知,示現可說果、不可說果故。何等為十?一者攝取德功德二句示現,如經「諸漏已盡無復煩惱」故。二者三句攝取諸功德:一句降伏世間功德,如經「心得自在」故;二句降伏出世間學人功德,如經「善得心解脫、善得慧解脫」故。三者攝取不違功德,隨順如來教作故,如經「心善調伏」故。四者攝取勝功德,如經「人中大龍」故。五者攝取所應作勝功德,所應作者謂能依法供養恭敬尊重如來,如經「應作者作」故。六者攝取滿足功德,滿足學地故,如經「所作已辦」故。七者三句攝取過功德:一者過愛;二者過求命供養恭敬;三者過上下界,已過學地故。如經「離諸重擔」故,「逮得己利」故,「盡諸有結」故。八者攝取上上功德,如經「善得正智心解脫」故。九者攝取應作利益眾生功德,如經「一切心得自在」故。十者攝取上首功德,如經「到第一彼岸」故。
摂取事門とは、この十五の句が十種の功徳を摂取することを知るべきです。説くことのできる果と、説くことのできない果とを示現するためです。何が十種でしょうか。第一に、摂取の徳の功徳を二句で示現します。経に「諸漏已に尽き、復た煩悩なし」とある通りです。第二に、三句で諸々の功徳を摂取します。一句は世間を降伏する功徳で、経に「心、自在を得」とある通りです。二句は出世間の学人の功徳を降伏することで、経に「善く心解脱を得、善く慧解脱を得」とある通りです。第三に、違わない功徳を摂取します。如来の教えに随順して行うからです。経に「心、善く調伏す」とある通りです。第四に、勝れた功徳を摂取します。経に「人中の大龍」とある通りです。第五に、なすべき勝れた功徳を摂取します。なすべきこととは、法に従って如来を供養し恭敬し尊重することができることです。経に「なすべきことをなせり」とある通りです。第六に、満足の功徳を摂取します。学地を満たすからです。経に「所作已に弁じ」とある通りです。第七に、三句で過ぎたる功徳を摂取します。第一に愛を過ぎ、第二に命の供養恭敬を求めることを過ぎ、第三に上下の界を過ぎ、すでに学地を過ぎたからです。経に「諸の重担を離れ」とある通りであり、「己利を逮得し」とある通りであり、「諸の有結を尽くし」とある通りです。第八に、上上の功徳を摂取します。経に「善く正智心解脱を得」とある通りです。第九に、衆生を利益するなすべき功徳を摂取します。経に「一切の心、自在を得」とある通りです。第十に、上首の功徳を摂取します。経に「第一の彼岸に到れり」とある通りです。
菩薩功德成就者,彼十三句,二門攝義示現應知。何等二門?一者上支下支門;二者攝取事門。
菩薩の功德の成就とは、かの十三の句を、二つの門によって意義を包摂して示すものであると知るべきです。その二つの門とは何でしょうか。一つには上支下支の門、二つには摂取事の門です。
上支下支門者,所謂總相、別相,此義應知。「皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉」者是總相,餘者是別相。彼不退轉十種示現,此義應知。何等為十?一者住聞法不退轉,如經「皆得陀羅尼」故。二者樂說不退轉,如經「大辯才樂說」故。三者說不退轉,如經「轉不退轉法輪」故。四者依止善知識不退轉,以身心業依色身攝取故,如經「供養無量百千諸佛」故,「於諸佛所種諸善根」故。五者斷一切疑不退轉,如經「常為諸佛之所稱歎」故。六者為何等何等事說法,入彼彼法不退轉,如經「以大慈悲而修身心」故。七者入一切智如實境界不退轉,如經「善入佛慧」故。八者依我空法空不退轉,如經「通達大智」故。九者入如實境界不退轉,如經「到於彼岸」故。十者作所應作不退轉,如經「能度無數百千眾生」故。
上支下支の門とは、いわゆる総相と別相のことであり、この意味を理解すべきです。「皆、阿耨多羅三藐三菩提において不退転である」というのが総相であり、それ以外は別相です。かの不退転には十種の示現があり、この意味を理解すべきです。何が十種でしょうか。第一は、法を聞くことに住して不退転であることです。経に「皆、陀羅尼を得た」とある通りです。第二は、楽しく説くことに不退転であることです。経に「大いなる弁才で楽しく説く」とある通りです。第三は、説くことに不退転であることです。経に「不退転の法輪を転じた」とある通りです。第四は、善知識に依止して不退転であることです。身心の業が色身に摂取されるためです。経に「無量百千の諸仏に供養した」とある通りであり、「諸仏のもとで諸々の善根を植えた」とある通りです。第五は、一切の疑いを断つことに不退転であることです。経に「常に諸仏に称嘆される」とある通りです。第六は、どのような事柄のために説法するにしても、それぞれの法に入って不退転であることです。経に「大慈悲によって身心を修める」とある通りです。第七は、一切智の如実の境界に入って不退転であることです。経に「よく仏慧に入る」とある通りです。第八は、我空と法空に依って不退転であることです。経に「大智に通達する」とある通りです。第九は、如実の境界に入って不退転であることです。経に「彼岸に到る」とある通りです。第十は、なすべきことをなして不退転であることです。経に「無数の百千の衆生を度することができる」とある通りです。
攝取事門者,示現諸菩薩住何等清淨地中、以何等方便、於何等境界中,作所應作故。地清淨者,八地已上三地無相行寂靜清淨故。方便者有四種:一者攝取妙法方便,住持妙法以樂說力為人說故。二者攝取善知識方便,以依善知識作所應作故。三者攝取眾生方便,以不捨眾生故。四者攝取智方便,以教化眾生令入彼智故。
摂取事の門とは、もろもろの菩薩がどのような清らかな地に住み、どのような方便をもって、どのような境界において、なすべきことをなすのかを示すものです。地が清らかであるとは、第八地以上の三地が無相の行の寂静にして清浄であるためです。方便には四つあります。第一は妙法を摂取する方便で、妙法を保持し、楽しく説く力によって人のために説くからです。第二は善知識を摂取する方便で、善知識に依ってなすべきことをなすからです。第三は衆生を摂取する方便で、衆生を捨てないからです。第四は智慧を摂取する方便で、衆生を教化してかの智慧に入らせるからです。
又復更有攝取事門,示現諸地攝取勝功德不同二乘諸功德故。謂第八地中無功用智不同下上故。不同下者,下功用行不能動故;不同上者,上無相行不能動自然而行故。第九地中得勝進陀羅尼門,具足四無礙自在智故。第十地中不退轉法輪得受佛位,如轉輪王之太子故,以得同攝功德義故。
さらにまた、摂取の事門があり、諸地が勝れた功德を摂取することを示現しておられます。これは二乗の諸功德とは異なるからです。すなわち第八地においては、無功用の智が下とも上とも異なるからです。下と異なるとは、下の功用の行では動かすことができないからです。上と異なるとは、上の無相の行では動かすことができず、自然に行じられるからです。第九地においては、勝進の陀羅尼門を得て、四無礙の自在智を具足しておられます。第十地においては、不退転の法輪を得て仏の位を授かることが、転輪王の太子のようなものです。同じく功德を摂取する義を得ているからです。
攝功德成就者,示現依何處、依何心、依何智、依何等境界行、依何等能辦故。依何處者,依善知識故。依何心者,依教化眾生心畢竟利益一切眾生故。依何智者,依三種智:一者授記密智;二者諸通智;三者真實智。依何等境界行、依何等能辦者,即三種智所攝應知。威儀如法住成就者,四種示現。何等為四?一者眾圍繞;二者前後;三者供養恭敬;四者尊重讚歎。如經「爾時世尊四眾圍繞,供養、恭敬、尊重讚歎」故。
功德の成就を摂するとは、どのようなものに依拠し、どのような心に依拠し、どのような智慧に依拠し、どのような境界を行じ、どのようなことを成し遂げるのかを明らかに示すことです。どのようなものに依拠するかとは、善知識に依拠するということです。どのような心に依拠するかとは、衆生を教化し、究極的に一切の衆生を利益しようとする心に依拠するということです。どのような智慧に依拠するかとは、三種の智慧に依拠するということです。第一は授記密智、第二は諸通智、第三は真実智です。どのような境界を行じ、どのようなことを成し遂げるかとは、すなわちこの三種の智慧に摂められるものと知るべきです。威儀が法のごとくに住する成就とは、四種の示現です。四つとは何でしょうか。第一は多くの者に囲まれること、第二は前後にいること、第三は供養と恭敬、第四は尊重と讃嘆です。経に「そのとき、世尊は四衆に囲まれ、供養・恭敬・尊重・讃嘆された」とあるとおりです。
如來欲說法時至成就者,為諸菩薩說大乘經故。此大乘修多羅有十七種名,顯示甚深功德應知。何等十七?云何顯示?一名無量義經者,成就字義故,以此法門說彼甚深法妙境界故;彼甚深法妙境界者,諸佛如來最勝境界故。二名最勝修多羅者,於三藏中最勝妙藏,此法門中善成就故。三名大方廣經者,無量大乘門中善成就故,隨順眾生根住持成就故。四名教菩薩法者,以為教化根熟菩薩隨順法器善成就故。五名佛所護念者,以依如來有此法故。六名一切諸佛祕密法者,此法甚深唯佛知故。七名一切諸佛之藏者,如來功德三昧之藏在此經故。八名一切諸佛祕密處者,以根未熟眾生等非受法器不授與故。九名能生一切諸佛經者,聞此法門能成諸佛大菩提故。十名一切諸佛之道場者,以此法門能成諸佛阿耨多羅三藐三菩提,非餘修多羅故。十一名一切諸佛所轉法輪者,以此法門能破一切諸障礙故。十二名一切諸佛堅固舍利者,謂如來真實法身於此修多羅不敗壞故。十三名一切諸佛大巧方便經者,依此法門成大菩提已,為眾生說天人聲聞辟支佛等諸善法故。十四名說一乘經者,以此法門顯示如來阿耨多羅三藐三菩提究竟之體,彼二乘道非究竟故。十五名第一義住者,以此法門即是諸佛如來法身究竟住處故。十六名妙法蓮華經者,有二種義。何等二種?一者出水義,以不可盡出離小乘泥濁水故。又復有義,如彼蓮華出於泥水喻,諸聲聞得入如來大眾中坐,如諸菩薩坐蓮華上,聞說如來無上智慧清淨境界,得證如來深密藏故;二華開義,以諸眾生於大乘中其心怯弱不能生信,是故開示諸佛如來淨妙法身令生信心故。十七名最上法門者,攝成就故。攝成就者,攝取無量名句字身,有頻婆羅阿閦婆等舒盧迦故。此十七句法門是總,餘句是別。如經「為諸菩薩說大乘經,名無量義」如是等故。
如来が法を説こうとされる時が到り成就したのは、もろもろの菩薩のために大乗経を説くためです。この大乗修多羅には十七種の名があり、甚深の功徳をあらわしていると知るべきです。どのような十七種でしょうか。どのようにあらわしているのでしょうか。
第一に「無量義経」という名は、字義を成就しているからです。この法門によって、かの甚深の法の妙なる境界を説くためです。かの甚深の法の妙なる境界とは、諸仏如来の最勝の境界だからです。
第二に「最勝修多羅」という名は、三蔵の中で最も勝れた妙なる蔵であり、この法門においてよく成就しているからです。
第三に「大方広経」という名は、無量の大乗の門においてよく成就しているからです。衆生の根機に随順して住持し成就するからです。
第四に「教菩薩法」という名は、根の熟した菩薩を教化し、法器に随順してよく成就するからです。
第五に「仏所護念」という名は、如来に依ってこの法があるからです。
第六に「一切諸仏秘密法」という名は、この法が甚深であり、ただ仏のみが知っておられるからです。
第七に「一切諸仏之蔵」という名は、如来の功徳と三昧の蔵がこの経にあるからです。
第八に「一切諸仏秘密処」という名は、根の未熟な衆生などは法器を受けることができないので、授けられないからです。
第九に「能生一切諸仏経」という名は、この法門を聞けば、もろもろの仏の大いなる菩提を成し遂げることができるからです。
第十に「一切諸仏之道場」という名は、この法門によって、もろもろの仏の阿耨多羅三藐三菩提を成し遂げることができ、他の修多羅によるのではないからです。
第十一に「一切諸仏所転法輪」という名は、この法門によって、すべての障害を破ることができるからです。
第十二に「一切諸仏堅固舎利」という名は、如来の真実の法身がこの修多羅において壊れることがないからです。
第十三に「一切諸仏大巧方便経」という名は、この法門によって大いなる菩提を成し遂げた後、衆生のために天・人・声聞・辟支仏などのもろもろの善法を説くからです。
第十四に「説一乗経」という名は、この法門によって、如来の阿耨多羅三藐三菩提の究竟の体をあらわし示すからです。かの二乗の道は究竟ではないからです。
第十五に「第一義住」という名は、この法門こそが、すなわち諸仏如来の法身の究竟の住処だからです。
第十六に「妙法蓮華経」という名には、二種の意味があります。どのような二種でしょうか。
第一は「出水」の意味です。尽きることのない、小乗の泥濁の水から出離するからです。また別の意味があり、かの蓮華が泥水から出るのに譬えるように、もろもろの声聞が如来の大衆の中に入って坐ることができ、もろもろの菩薩が蓮華の上に坐るように、如来の無上の智慧の清浄な境界を聞いて、如来の深密の蔵を証得することができるからです。
第二は「華開」の意味です。もろもろの衆生が大乗において、その心が怯弱で信を生じることができないため、諸仏如来の浄妙の法身を開き示して、信心を生じさせるためです。
第十七に「最上法門」という名は、摂成就しているからです。摂成就とは、無量の名・句・字身を摂取し、頻婆羅・阿閦婆などの舒盧迦があるからです。
この十七句の法門は総であり、他の句は別です。経に「もろもろの菩薩のために大乗経を説き、名づけて無量義とす」というような通りです。
依所說法威儀隨順住成就者,示現依何等何等法說法?依三種法故:一者依三昧成就。三昧成就,二種示現:一者成就自在力,身心不動故;二者離一切障,隨自在力故。此自在力復有二種:一為隨順眾生不見對治攝取覺菩提分法故;二為對治無量世來堅執煩惱故。如經「佛說此經已結加趺坐,入於無量義處三昧身心不動」如是等故。二者依器世間,三者依眾生世間,震動世界及知過去無量劫事如是等故。如經「是時天雨曼陀羅花,次第乃至歡喜合掌一心觀佛」故。
説かれた法に従い、威儀に随順して安住し成就することとは、どのような法に依って説法するかを示現することです。それは三種の法に依ります。第一は三昧の成就に依るものです。三昧の成就には二種の示現があります。一つは自在力を成就し、身心が動かないことです。二つは一切の障りを離れ、自在力に従うことです。この自在力にもまた二種があります。一つは衆生に随順し、対治を見ずに菩提分法を摂取して覚るためです。二つは無量の世にわたって堅く執着してきた煩悩を対治するためです。経に「仏はこの経を説き終えて、結跏趺坐して無量義処三昧に入り、身心は動かなかった」とあるような次第です。第二は器世間に依るもの、第三は衆生世間に依るものです。すなわち世界を震動させ、過去無量劫の事を知るといった次第です。経に「その時、天から曼陀羅華が雨のように降り、次第に喜び合掌して一心に仏を観た」とあるような次第です。
依止說因成就者,為諸大眾示現異相不思議事,大眾見已生希有心,渴仰欲聞生如是念:如來今者應為我說。故名依止說因成就。是故如來放大光明,示現他方諸世界中種種諸事故,先為大眾示現外事六種震動等,次為示現此法門中內證甚深微密之法,又依器世間、眾生世間,數種種、量種種,具足煩惱差別、具足清淨差別、佛法弟子差別示現三寶故。復乘差別,有世界有佛、有世界無佛,令眾生見修行者未得果、得道者已得果。如經「諸修行得道者」故。數種種者,示現種種觀故。略說四種觀:一者食;二者聞法;三者修行;四者樂。如經「爾時佛放眉間白毫相光,次第乃至以佛舍利起七寶塔」故。行菩薩道者,教化眾生依四攝法方便攝取,此義應知。如經所說當自推取。
依止説因成就とは、もろもろの大衆のために不思議な異相を示し現すことです。大衆はそれを見て希有の心を生じ、渇仰して聞きたく思い、このような念を生じます。「如来は今こそ、私のために説いてくださるはずだ」と。それゆえ「依止説因成就」と名づけます。したがって如来は大光明を放ち、他方の諸世界における種々の事柄を示し現されました。まず大衆のために外の事として六種の震動などを示し現し、次にこの法門における内証の甚深で微密な法を示し現されました。また器世間と衆生世間とに依り、数の種々、量の種々、煩悩を具足する差別、清浄を具足する差別、仏法の弟子の差別を示して、三宝を示し現すためです。
また乗の差別により、世界に仏がある場合と、世界に仏がない場合とがあり、修行者がまだ果を得ていないこと、道を得た者がすでに果を得ていることを、衆生に見せます。経に「諸の修行し道を得たる者」とあるとおりです。数の種々とは、種々の観を示し現すことです。略して四種の観を説きます。第一は食、第二は聞法、第三は修行、第四は楽です。経に「爾の時に仏、眉間の白毫相より光を放ち、次第に乃至、仏の舎利をもって七宝の塔を起す」とあるとおりです。菩薩道を行ずる者は、衆生を教化するに四摂法の方便に依って摂取します。この意味は知るべきです。経に説かれるところに従って、自ら推し求めるべきです。
自此以下,示現大眾欲聞現前成就。問一人者,多人欲聞生希有心,是故唯問文殊師利,如是示現世尊弟子隨順於法不相違故。今佛世尊現神變相者為何等義?為說大法故,現大相以為說因。現大相者,為說妙法蓮華經故現大瑞相,為說如來所得妙法不可思議等文字章句故。有二種義,是故仰推文殊師利。何等為二?一者現見諸法故;二者離諸因緣,唯自內心成就彼法故。示現種種諸瑞相者,以為示現彼彼事故。如彼事相現沒住滅應當善知。以文殊師利能記彼事故,以文殊師利所作成就、因果成就現見彼法故。所作成就者,此有二種:一者功德成就;二者智慧成就。因成就者,一切智成就故。又復有因,謂緣因故。緣因成就者,眾相具足故。果成就者,說大法故。種種異異佛國土者,為此示現彼國土中種種異異差別應知。淨妙國土者,謂無煩惱眾生住處。如經「照於東方萬八千世界,次第乃至悉見彼佛國界莊嚴」故。如來為上首者,諸菩薩等依如來住故,以彼如來於彼國土諸大眾中得自在故。如經「又見彼土現在諸佛」如是等故。
ここから以下は、大衆が聞きたいと願っている現前の成就を示されます。一人に問うのは、多くの人が聞きたがって珍しいと思う心を起こすためであり、それゆえただ文殊師利にだけ問うのです。このように、世尊の弟子たちが法に随順して違わないことを示されます。さて、仏世尊が神通変化の相を現すのは、どのような意味でしょうか。大きな法を説くためであり、大きな相を現して説法の因とされます。大きな相を現すのは、妙法蓮華経を説くために大きな瑞相を現すのであり、如来が得た妙法の不可思議なるなどの文字章句を説くためです。二つの意味があるため、それゆえ文殊師利に仰いで推されます。その二つとは何でしょうか。一つには、諸法を現に見るためです。二つには、もろもろの因縁を離れ、ただ自らの内心だけがその法を成就するためです。種々の瑞相を示し現すのは、それぞれの事柄を示し現すためです。その事相が現れ、没し、住し、滅することは、よく知るべきです。文殊師利がその事を記すことができるためであり、文殊師利の所作の成就と因果の成就によって、その法を現に見るためです。所作の成就には二つあります。一つには功徳の成就であり、二つには智慧の成就です。因の成就とは、一切智の成就のためです。また別の因があり、それは縁因のためです。縁因の成就とは、もろもろの相が具足するためです。果の成就とは、大きな法を説くためです。種々に異なる仏国土とは、そのためにその国土の中の種々に異なる差別を示し現すのであり、知るべきです。清らかで妙なる国土とは、煩悩のない衆生の住処をいいます。経に「東方の万八千の世界を照らし、次第にかの仏の国界の荘厳をことごとく見る」とあるとおりです。如来を上首とするとは、もろもろの菩薩たちが如来に依って住むためであり、かの如来がその国土の大衆の中で自在を得ているためです。経に「またかの土に現在する諸仏を見る」とあるような次第です。
自此以下次明聖者。文殊師利以宿命智現見過去因相果相成就十事如現在前,是故能答彌勒菩薩。云何現見過去因相?謂文殊師利自見己身,曾於彼彼諸國土中處處修行、種種行事故。云何現見過去果相?謂文殊師利自見己身,是過去世妙光菩薩,於彼佛所聞此法門,為眾生說故。何等名為成就十事?一者現見大義因成就;二者現見世間文字章句意甚深因成就;三者現見希有因成就;四者現見勝妙因成就;五者現見受用大因成就;六者現見攝取一切諸佛轉法輪因成就;七者現見善堅實如來法輪因成就;八者現見能進入因成就;九者現見憶念因成就;十者現見自身所經事因成就。
これより以下は、聖者について明かします。文殊師利は宿命智によって、過去の因の相と果の相を現前に見て、十の事を成就していることを、目の前にあるかのようにご存知です。それゆえに弥勒菩薩にお答えになることができます。
どのように過去の因の相を現前に見るのでしょうか。文殊師利はご自身の身が、かつてあれこれの諸国の中で、いたるところで修行し、さまざまな行を積んだことを自ら見ておられるからです。
どのように過去の果の相を現前に見るのでしょうか。文殊師利はご自身の身が、過去の世の妙光菩薩であり、かの仏のもとでこの法門を聞き、衆生のために説いたことを自ら見ておられるからです。
何を十の事を成就していると名づけるのでしょうか。第一に、大義の因を現前に見て成就していること。第二に、世間の文字や章句の意がきわめて深いという因を現前に見て成就していること。第三に、希有の因を現前に見て成就していること。第四に、勝妙の因を現前に見て成就していること。第五に、受用の大いなる因を現前に見て成就していること。第六に、すべての諸仏が法輪を転じることを摂取する因を現前に見て成就していること。第七に、善く堅実なる如来の法輪の因を現前に見て成就していること。第八に、能く進入する因を現前に見て成就していること。第九に、憶念の因を現前に見て成就していること。第十に、ご自身の身が経験した事の因を現前に見て成就していること。
大義因成就者,八句示現此義應知。何等為八?一者欲論大法;二者欲雨大法雨;三者欲擊大法鼓;四者欲建大法幢;五者欲然大法燈;六者欲吹大法䗍;七者欲不斷大法鼓;八者欲說大法。此八句欲示現如來欲論大法等故。
大義が成就することについて、八つの句がこの意味を示していると知るべきです。その八つとは何でしょうか。第一に、大法を論じようとすること。第二に、大法の雨を降らせようとすること。第三に、大法の鼓を打ち鳴らそうとすること。第四に、大法の幢を建てようとすること。第五に、大法の灯を点じようとすること。第六に、大法の法螺を吹こうとすること。第七に、大法の鼓を絶やさないようにしようとすること。第八に、大法を説こうとすること。この八つの句は、如来が大法を論じようとすることなどを示しているのです。
何等名為八種大義?謂有疑者為斷疑故。已斷疑者增長淳熟彼智身故。根淳熟者為說二種微密境界:一者聲聞微密境界;二者菩薩微密境界。大法鼓者二句,示現以遠聞故。入密境界者,令彼進取上上清淨義故。進取上上清淨義者,令彼進取一切種智得現見故。令彼進取一切種智得現見者,為一切法建立名字章句義故。建立名字章句義者,令入不可說證智轉法輪故。
現見世間名字章句意甚深因成就者,如經「我於過去諸佛曾見此瑞,次第乃至故現斯瑞」故。
現見希有因成就者,以無量時不可得故。不可思議不可稱不可量者,示現過彼阿僧祇劫不可得故。又復示現五種劫故,所謂一夜、二晝、三月、四時、五年,示現無量無邊諸法故。如經「如過去無量無邊不可思議阿僧祇劫,爾時有佛號日月燈明,次第乃至令得阿耨多羅三藐三菩提,成一切種智」故。
現見勝妙因成就者,示現諸佛及諸菩薩自受用故。如經「次復有佛亦名日月燈明,次第乃至所可說法初中後善」故。
現見受用大因成就者,是時王子受勝妙樂各捨出家,復彼大眾於爾許時心不疲惓故。如經「其最後佛未出家時,次第乃至佛授記已便於中夜入無餘涅槃」故。
現見攝取一切諸佛轉法輪因成就者,法輪不斷故。如經「佛滅度後妙光菩薩持妙法蓮華經滿八十小劫為人演說」故。
現見善堅實如來法輪因成就者,佛滅度後無量時說故。如經「日月燈明佛八子皆師妙光,次第乃至皆令堅固阿耨多羅三藐三菩提心」故。
現見能進入因成就者,彼諸王子得大菩提故。如經「是諸王子,次第乃至皆成佛道」故。
現見憶念因成就者,為他說法利益他故。如經「其最後成佛者名曰然燈,次第乃至尊重讚歎」故。
現見自身所經事因成就者,以自身受勝妙樂故。如「經彌勒當知,次第乃至佛所護念」故。汝號求名者示現知彼過去事故,又復示現今得彼法皆具足故。又依義攝三故:一、與說故,如經「今佛世尊欲說大法等」故。二、成如實說故,如經「我於過去曾見等」故。三、令待說故,如經「諸人今當知等」故。自此已下示現所說法因果相應知。