ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 中観論疏 (中觀論疏)
  2. 第一本 (第一本)
  3. 中論序疏 (中論序疏)
←と→
矢印キーでページをめくれます

中観論疏 (中觀論疏)


中論序疏

中論序疏

吉藏製

吉蔵作

僧睿是魏群長樂人也。少出家,依僧賢法師為弟子。甞聽中山康僧朗講,每興譏難,師深相秤述。年二十四,歷遊名邦,常弘講說,方簡高潔。一方云:「芳簡高結,氷霜摻操。」什至長安,因從請業。門徒三千,入室唯八,睿為首領。文云「老則融睿,少則生肇。」什歎曰:「傳吾業者,寄在道融、曇影、僧睿乎。」什翻《成實論》竟,命睿講之。謂道融曰:「此諍論中有七處破阿毘曇,在言小隱。能不問我,可謂英才。」融曰:「其人思力有分,未必諮稟。」遂剖折無遺,眾益嗟重。天子姚興聞睿景行,問安城侯姚嵩曰:「睿何如人?」嵩曰:「業衛之松柏也。」後自引睿見之,謂嵩曰:「斯乃四海之標頒,豈獨業衛乎?」於是美聲遐扇流於遠邇。著《中論》、《大智論》及《成實論》、《禪經》等序,雅傳於世。春秋六十有一。作《中論》序非止一人,曇影製義疏序,河西道朗亦製論序。而睿公文義備舉、理事精玄,興皇和上開講常讀,蓋是信而好古、述而不作。但文有微隱,余略釋之。就斯一序,裁為七分:一通標人法、二釋名題、三序論緣起、四歎釋功能、五述注論青目、六廣歎四論、七作者自謙。「中論五百偈」,標所造法也。「龍樹菩薩」,序能造之人也。道不孤運,弘之由人,故前明所弘之道,後序弘道之人。又題中論五百偈者,重其法也。龍樹菩薩者,尊其人也。又初句簡二邊之法也,後句別小乘之人也。所言中論者,玄義具述。今既釋序,略明五意:一者斯論定佛法之偏正、判得失之根原,是以龍樹標中論名也。二者斯文論中實之理,從所詮理實得名,故云中論。〈業品〉云「此論所明義,離於斷常見,故云中論。」三者龍樹所作凡有三論:一《無畏》之廣;次《十二》之略;今是折中之說,故秤中論。四者以文表義,斯論前無緣起、後略餘勢,但有正文,以文表義理,故秤中論。五者龍樹大士是中道人,中道人所製作,從人立名故秤中論。五百偈者,前標其名,今序偈數。偈有二種:一是首盧偈,謂胡人數經法也,則是通偈。言通偈者,莫問長行偈頌,但令數滿三十二字則是偈也。二者別偈,謂結句為偈,莫問四言五言六言七言,但令四句滿便是偈也。偈者,外國具音應言竭夜,或秤祇夜,今示存略但秤為偈。偈者,句也頌也。又言偈者,此土漢書亦有此音,訓言竭義,謂明義竭盡,故秤為偈。但結句秤偈凡有二種:一路伽偈,謂頌長行偈也;二伽陀偈,謂孤起偈也。此論秤偈者,通別二中謂別偈也,後二之文謂孤起偈也。五百者,即文審之凡四百四十六偈,或是全其大數、或翻之不盡,以本為名故秤五百。眾經及論文有三焉:一但長行,即《百論》也;二但有偈,斯文;三具二種,《十二門論》之流。龍樹《十住毘婆沙》云「或有樂長行、或有樂偈頌、或有樂雜說莊嚴章句者,所好各不同,我隨而不捨。」論三既爾,經義例然。龍樹者,依梵音應云伽那馥力叉,伽那者龍也,馥力叉者樹也。《智度論》云「童籠磨者龍也,馥力叉是樹通名也,別名阿闍那,如此間梨李樹等。」問:龍樹是何位之人?答:聖迹無方,高下未易可測,僅依經傳敘其淺深。睿公云:「功格十地、道摸補處,是窮學之人。」傳云「智慧日已頹,斯人令再耀。世昏寢已久,斯人悟令學。外國為之立廟,事之若佛。安知非佛示為菩薩乎。」匡山遠法師云:「名貫道位,德備三忍,亦十地高仁也。」依《楞伽經》,大慧菩薩問:「世尊滅度後,佛法何人持?」佛答:「大慧汝當知,南天竺大國中有大德比丘,名龍樹菩薩。為人說大乘無上法,能破有無見,住初歡喜地,往生安養國。」釋此語不同,舊云:龍樹是初地人。關內姚道安學《智度論》云:「此是龍樹引眾生令入初地,而實是十地人也。」問:何依人也?答:若云初地則二依人也,若是窮學則第四依人。問:云何是四依?答:且依一判。如小乘見道前具煩惱人是一依,須陀洹、斯陀含是二依,阿那含是三依,羅漢第四依。約大乘望十迴向是一依,初地至七地是二依,八九地是三依,十地第四依。如楞伽是第二依,如睿師是第四依。以釋迦佛法無別菩薩僧,龍樹是出家之人,故依小乘位分之。名貫道位者,菩薩位之通名也。德備三忍,謂信、順、無生也。問:龍樹更有異名耶?答:有。《順中論》是天親所作。言順中論者,廣引《大品》等經證釋八不。八不則是中道,依文釋義,故云順中論。《順中論》云「龍勝菩薩非龍樹也」,今宜會之。以龍成其勝道故云龍勝,蓋但敘其未字。前則道俗雙舉,故義無所害。

僧叡(そうえい)は、魏郡長楽(ぎぐんちょうらく)の人です。若くして出家し、僧賢法師(そうけんほうし)について弟子となりました。かつて中山(ちゅうざん)の康僧朗(こうそうろう)の講義を聞いたとき、たびたび質問や反論をしましたが、師は彼をたいそうほめて称賛しました。二十四歳のときから、各地のすぐれた土地を巡り歩き、いつも講説を広めて、その人柄は高潔でした。ある人がこう言いました。「その志はかぐわしく清く、その行いは氷や霜のように清らかである」と。鳩摩羅什(くまらじゅう)が長安(ちょうあん)に来ると、そこで彼に教えを請いました。弟子は三千人いましたが、奥義を極めた者はわずか八人で、僧叡がその筆頭でした。文章にはこうあります。「年長では道融(どうゆう)と僧叡、年少では道生(どうしょう)と僧肇(そうじょう)」と。鳩摩羅什は感嘆して言いました。「私の教えを伝える者は、道融、曇影(どんえい)、僧叡に託されているな」と。鳩摩羅什が『成実論(じょうじつろん)』を訳し終えると、僧叡にそれを講じるよう命じました。そして道融にこう言いました。「この論争の書には、七か所で阿毘曇(あびどん)を破る箇所がある。表現はやや奥深い。私に尋ねなくとも理解できるなら、まさに英才と言えよう」と。道融は言いました。「あの人は思惟の力に限りがあるので、きっと私に尋ねてくることはないでしょう」と。ところが僧叡はそれを残らず解き明かしたので、人々はいっそう感嘆し重んじました。天子の姚興(ようこう)は僧叡のすぐれた行いを聞き、安城侯(あんじょうこう)の姚嵩(ようすう)に尋ねました。「僧叡とはどんな人物か」と。姚嵩は答えました。「仏法を守る松や柏のような人です」と。のちに姚興は自ら僧叡を招いて会い、姚嵩にこう言いました。「この人は天下の模範である。どうして仏法を守るだけの人であろうか」と。こうしてその名声は広く響きわたり、遠く近くに流れました。僧叡は『中論(ちゅうろん)』『大智論(だいちろん)』、および『成実論』『禅経(ぜんきょう)』などの序文を著し、それらは正しく世に伝わりました。享年六十一歳でした。

『中論』の序を作ったのは一人だけではありません。曇影は義疏(ぎしょ)の序を作り、河西(かせい)の道朗(どうろう)もまた論の序を作りました。しかし僧叡公の文章は義をよく備え挙げ、理と事とが精妙で深く、興皇和上(こうおうわじょう)は講を開くとき常にこれを読みました。まさに、信じて古を好み、述べて作らず、というものです。ただし文章にはやや奥深いところがあるので、私が簡単に説明しましょう。この一つの序を、七つに分けます。第一に人と法とを掲げること、第二に名と題とを説明すること、第三に論の縁起を述べること、第四に釈の功能をほめたたえること、第五に論に注した青目(しょうもく)のことを述べること、第六に四論を広くほめたたえること、第七に作者が自らをへりくだることです。

「中論五百偈(ちゅうろんごひゃくげ)」とは、造られた法を掲げたものです。「龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)」とは、造った人を述べたものです。道はひとりでに動くものではなく、それを広めるのは人によります。それゆえ、前に広められる道を明らかにし、後に道を広める人を述べるのです。また、題に「中論五百偈」というのは、その法を重んじるからです。「龍樹菩薩」というのは、その人を尊ぶからです。また、初めの句は二つの極端な見方を除く法を選び、後の句は小乗の人と区別するのです。いわゆる「中論」とは、その深い意味はすでに詳しく述べられています。今、序を説明するにあたり、簡単に五つの意味を明らかにしましょう。

第一に、この論は仏法の偏りと正しさを定め、得失の根本を判じます。それゆえ龍樹は「中論」という名を掲げたのです。

第二に、この文は中道の真実の理を論じ、説かれる理の真実に従って名を得たので、「中論」と言います。〈業品(ごうぼん)〉にこうあります。「この論が明らかにする義は、断見と常見を離れている。それゆえ中論と言う」と。

第三に、龍樹の作ったものには全部で三論あります。第一は『無畏(むい)』の広いもの、次は『十二(じゅうに)』の略したもの、今これは中ほどの説なので、中論と称するのです。

第四に、文をもって義を表すということで、この論は前に縁起がなく、後にも余勢を略し、ただ正文だけがあります。文をもって義理を表すので、中論と称するのです。

第五に、龍樹大士(りゅうじゅだいし)は中道の人であり、中道の人が作ったので、人によって名を立てたゆえに中論と称するのです。

「五百偈」とは、前にその名を掲げ、今その偈の数を述べたものです。偈には二種類あります。一つは首盧偈(しゅろげ)で、これは胡人(こじん)が経を数える法で、すなわち通偈(つうげ)です。通偈とは、長行(じょうごう)でも偈頌(げじゅ)でも、ただ三十二字に満ちれば偈となる、ということです。二つは別偈(べつげ)で、句を結んで偈とするもので、四言でも五言でも六言でも七言でも、ただ四句に満ちれば偈となる、ということです。偈とは、外国では音を備えて「竭夜(かつや)」と言い、あるいは「祇夜(ぎや)」と称します。今は省略してただ偈と称するのです。偈とは、句であり頌です。また偈とは、この土地の漢書にもこの音があり、「竭」の義に訓じ、義を竭尽することを明らかにするので、偈と称するのです。ただし句を結んで偈と称するには、およそ二種類あります。一つは路伽偈(ろかげ)で、長行を頌する偈です。二つは伽陀偈(かだげ)で、孤起(こき)の偈です。この論で偈と称するのは、通別の二つの中では別偈であり、後の二つの文は孤起偈です。五百とは、文によって詳しく調べると全部で四百四十六偈であり、あるいはその大数を完全にしたものか、あるいは訳し尽くしていないかで、本の名をそのままにしたゆえに五百と称するのです。

もろもろの経と論に、文は三つあります。一つはただ長行だけのもの、すなわち『百論(ひゃくろん)』です。二つはただ偈だけのもの、この文です。三つは二つとも備えたもの、『十二門論(じゅうにもんろん)』の類です。龍樹の『十住毘婆沙(じゅうじゅうびばしゃ)』にこうあります。「あるいは長行を好み、あるいは偈頌を好み、あるいは雑説や荘厳な章句を好む者もいる。好みはそれぞれ異なるが、私はそれに従って捨てない」と。論の三つがこのようであるから、経の義も同様です。

龍樹とは、梵音によれば「伽那馥力叉(がなふくりきしゃ)」と言うべきです。「伽那」とは龍、「馥力叉」とは樹です。『智度論(ちどろん)』にこうあります。「童籠磨(どうろうま)とは龍である。馥力叉は樹の通名で、別名を阿闍那(あじゃな)と言い、この土地の梨や李の樹などのようなものである」と。

問い。龍樹はどの位の人か。答え。聖の迹は方なく、高下は測りがたい。ただ経伝によってその浅深を述べるのみである。叡公(えいこう)はこう言いました。「その功は十地(じゅうじ)に格(いた)り、その道は補処(ふしょ)に摸(なら)う。これは学を窮めた人である」と。伝にこうあります。「智慧の日はすでに傾いたが、この人が再び輝かせた。世の昏(くら)きは久しく寝ていたが、この人が悟らせて学ばせた。外国では彼のために廟を立て、仏のように仕えた。どうして仏が菩薩として示現したのでないと知ろうか」と。匡山(きょうざん)の遠法師(えんほうし)はこう言いました。「名は道位に貫(つらぬ)き、徳は三忍を備え、また十地の高仁である」と。『楞伽経(りょうがきょう)』によれば、大慧菩薩(だいえぼさつ)が問いました。「世尊が滅度された後、仏法は誰が持ちますか」と。仏は答えました。「大慧よ、汝は知るべきである。南天竺(みなみてんじく)の大国の中に大徳の比丘があり、名を龍樹菩薩と言う。人のために大乗の無上の法を説き、有無の見を破ることができ、初歓喜地(しょかんぎじ)に住み、安養国(あんにょうこく)に往生する」と。この語の解釈は一様ではありません。古い説では、龍樹は初地の人であると言います。関内(かんだい)の姚道安(ようどうあん)は『智度論』を学んでこう言いました。「これは龍樹が衆生を引いて初地に入らせたのであり、実際は十地の人である」と。

問い。どの依人(えにん)か。答え。初地と言うなら二依人であり、学を窮めた人なら第四依人です。問い。どうして四依か。答え。しばらく一つの判断に従えば、小乗では見道の前に煩悩を具えた人が第一依、須陀洹(しゅだおん)と斯陀含(しだごん)が第二依、阿那含(あなごん)が第三依、羅漢(らかん)が第四依です。大乗について言えば、十迴向(じゅうえこう)は第一依、初地から七地までは第二依、八地と九地は第三依、十地は第四依です。楞伽で言えば第二依であり、叡師(えいし)で言えば第四依です。釈迦の仏法には別に菩薩僧がないので、龍樹は出家の人であり、それゆえ小乗の位で分けるのです。「名は道位に貫く」とは、菩薩の位の通名です。「徳は三忍を備える」とは、信、順、無生を言います。

問い。龍樹にはさらに別の名があるか。答え。あります。『順中論(じゅんちゅうろん)』は天親(てんじん)の作ったものです。「順中論」と言うのは、広く『大品(だいほん)』などの経を引いて八不(はちふ)を証し釈するからです。八不はすなわち中道であり、文に従って義を釈するので、「順中論」と言うのです。『順中論』にこうあります。「龍勝(りゅうしょう)菩薩は龍樹ではない」と。今、これを会通すべきです。龍をもってその勝道を成すゆえに龍勝と言い、これはただその未字(みじ)を述べたにすぎません。前には道と俗とをともに挙げているので、義に害はありません。

「以中為名者」下,第二釋論名題。但論有廣略二本,略但云「中論」,廣則加以「觀」也。然斯廣略皆有其義。所言略者,謂理教義也。中是所詮之理,論是能詮之教,斯無理不攝、無教不收。問:何由爾耶?答:所詮之中則三種中道,世諦中、真諦中、非真非俗中。能詮之教即論此三中,是以無教不收、無理不攝。所言廣本具三者,中,諸佛菩薩所行之道。觀,謂諸佛菩薩能觀之心。諸佛觀辨於心、宣之於口,秤之為經;菩薩觀辨於心、宣之於口,目之為論。要具斯三,義乃圓足。玄章內已釋之。但中有三:一者對斷常之偏明中,此是對偏中。二者盡偏中,立於中名,欲盡於偏病,故名盡偏中。又一意,亦為偏病盡得有於中也。問:盡偏、對偏及絕待中,此三何異?答:玄意已明,今重略敘。盡偏中者,蓋是洗淨斷常,故強名為中。雖盡於偏而有於中,如經云「眾生起見凡有二種:一斷、二常。」無常無斷乃名中道。對偏中者,此約所詮之理對破偏病,故名為中。絕待中者,凡有二種:一者如《涅槃》云「有小涅槃、有大涅槃。小涅槃者,待苦說樂。大涅槃者,絕此苦樂,乃名大樂。」此之絕待猶是待義。二者此絕待涅槃不可說其苦樂,不知何以美之,強名為樂乃秤大樂,方是絕待樂。中義亦然,須深見此意。問:獨空與絕待中何異?答:人多不體獨空之旨。但依《智度論》文,十八空是對有明空,秤相待空;非空非有無所因待,秤為獨空。今謂蓋是一種方言,尋獨空意不然。以本來畢竟無所有,唯有實相法性,故秤為獨。正宗爾也。《攝大乘》云「真如獨存」,亦同此意。問:何故此獨作空名說耶?答:以畢竟無一切患累有法,故秤為空。《大集》云「不可說故、無相貌故,名為空。」《法華經》云「終歸於空」,義亦如是。

「中を名とする所以」について、次に論の名と題を解釈します。ただし、この論には広本と略本の二つがあり、略本はただ「中論」と言い、広本にはさらに「観」を加えています。しかし、この広略のいずれにもそれぞれ意味があります。略本で言うところは、理と教と義です。中は説かれるところの理であり、論は説くところの教であり、これには理として収まらないものはなく、教として収まらないものはありません。問い:どうしてそのようになるのですか。答え:説かれるところの中には三種の中道があり、世諦の中、真諦の中、非真非俗の中です。説くところの教はすなわちこの三つの中を論じるものであり、それゆえ教として収まらないものはなく、理として収まらないものはありません。広本が三つを備えていると言うのは、中は、諸仏菩薩が行うところの道です。観は、諸仏菩薩が観じる心を言います。諸仏は心で観じ分けて、口で宣べ、それを秤して経とします。菩薩は心で観じ分けて、口で宣べ、それを目して論とします。要するにこの三つを備えて、義が円かに足ります。玄章の中で既にこれを解釈しています。ただし中には三つがあります。一つは断常の偏に対する中を明かすもので、これは対偏中です。二つは尽偏中で、中という名を立てて、偏の病を尽くそうとするので、尽偏中と名づけます。また一つの意味として、偏の病が尽くされて中があることを得るからでもあります。問い:尽偏と対偏と絶待中と、この三つは何が異なるのですか。答え:玄の意で既に明らかにしていますが、今ここで重ねて略述します。尽偏中とは、おそらく断常を洗い清めたものであり、それゆえ強いて中と名づけます。偏を尽くしても中があるので、経に「衆生の見を起こすには凡そ二種がある。一つは断、二つは常である」と言い、無常無断を名づけて中道とします。対偏中とは、これは説かれるところの理について偏の病を対破することを約し、それゆえ中と名づけます。絶待中には、凡そ二つがあります。一つは『涅槃』に「小涅槃があり、大涅槃がある。小涅槃とは、苦に対して楽を説く。大涅槃とは、この苦楽を絶したものであり、すなわち大楽と名づける」と言うようなものです。この絶待はまだ待の義です。二つは、この絶待の涅槃はその苦楽を説くことができず、どう名づけて美しくしてよいか分からず、強いて楽と名づけて大楽と秤するものであり、まさにこれが絶待の楽です。中もまた同様であり、深くこの意を見る必要があります。問い:独空と絶待中とは何が異なるのですか。答え:多くの人は独空の旨を体得していません。ただ『智度論』の文に依れば、十八空は有に対する空を明かすもので、これを相待の空と秤します。非空非有で因待するところがなく、これを独空と秤します。今思うに、これはおそらく一つの方言であり、独空の意を尋ねるとそうではありません。もとより畢竟として無所有であり、ただ実相法性のみがあるので、それを独と秤します。正宗はそのとおりです。『摂大乗』に「真如は独存す」と言うのも、またこの意と同じです。問い:どうしてこの独を空という名で説くのですか。答え:畢竟として一切の患累の有法がないので、それを空と秤します。『大集』に「不可説なるがゆえ、相貌なきがゆえ、名づけて空とする」と言います。『法華経』に「終に空に帰す」と言うのも、義もまたこのとおりです。

就睿師釋題有三:一釋名、二立名意、三利益。「以中為名者照其實也」,照有二義:一照訓顯,立此中名顯理實也。二蓋是以譬題名,非燈無由照了於物、非中名無由顯於理實,故云照也。「以論為稱者盡其言也」,盡者蓋是暢盡無餘之名。如小乘有所得之論,破邪未窮、論正不足,蓋是有餘之說,故不名為盡。與此相違,秤為盡也。蓋是論理既窮、其言亦盡,故云盡言;不云無言秤盡。睿師但釋中論不明觀者,以中是理、論名為教,此二既含,故不釋觀也。「實非名不悟」下,第二立名意。然至道非中不中、非名不名而立中名者,理雖非中不中,為令物得悟,故強立中名也。「言非釋不盡故假論以明之」者,若不假問答以釋於言,則宣道之言無由得盡。以假問答申釋此言,故宣道之言方得明顯。以斯文詳之,故知非無言而秤盡言也。然言只是論耳,但令綺互解釋,故云言非釋不盡假論明之耳。「其實既宣」,第三立名利益。初明理教、次敘得益。其實既宣者,理顯也。「其言既明」者,教明了也。「於菩薩之行道場之照」下,辨得益也。以理顯言明故因教悟理,則因成果立。又則是《法華》唯顯一理、唯教一人也。「朗然懸解」者,借莊周之言以顯因果成立之義。安時而處順,哀樂不能入也,謂是帝之懸解也。斯可敘二義:一者菩薩因成道場照顯,則永離生死欣戚,如哀樂之不入。二者有繫曰顯、無繫秤解。有繫者,謂斷常諸邊,秤之為繫。諸見既寂,故目為解。

睿師が題を解釈するのに三つあります。一つは名を釈すること、二つは名を立てる意、三つは利益です。「中をもって名となすとは、その実を照らすなり」といいます。照には二つの意味があります。一つは照を訓じて顕となす、この中という名を立てて理の実を顕すのです。二つは、これは譬えをもって題名とするもので、灯がなければ物を照らし見ることができないように、中という名がなければ理の実を顕すことができない、それゆえ照というのです。「論をもって称となすとは、その言を尽くすなり」といいます。尽とは、おそらくは暢尽無余の名です。小乗の有所得の論のように、邪を破るのにまだ窮まらず、正を論ずるにも足りない、これは有余の説ですから、尽とはいいません。これに反するものを、秤して尽とするのです。これは論理がすでに窮まり、その言もまた尽きている、それゆえ尽言といい、無言を秤して尽とはいいません。睿師はただ中論を釈して観を明かさないのは、中は理であり、論は名であって教であり、この二つがすでに含まれているので、観を釈さないのです。「実は名にあらざれば悟らず」の下は、第二に名を立てる意です。しかし至道は中でもなく不中でもなく、名もなく不名でもあるのに、中という名を立てるのは、理は中でも不中でもないけれども、衆生をして悟りを得させるために、しいて中という名を立てるのです。「言は釈にあらざれば尽きざるがゆえに仮りに論をもってこれを明かす」とは、もし問答を借りて言を釈さなければ、道を宣べる言は尽きる由がないということです。問答を借りてこの言を申し述べ釈するので、道を宣べる言がはじめて明らかになるのです。この文によって詳しく見れば、無言を秤して尽言とするのではないことがわかります。しかし言はただ論であるだけです。ただ綺互に解釈させるので、言は釈にあらざれば尽きず、仮りに論をもってこれを明かすというのです。「それ実すでに宣ぶ」の下は、第三に名を立てる利益です。初めに理と教を明かし、次に得益を述べます。それ実すでに宣ぶとは、理が顕れたのです。「その言すでに明らかなり」とは、教が明了になったのです。「菩薩の行道場の照」の下は、得益を弁じます。理が顕れ言が明らかなので、教によって理を悟り、すなわち因が成じて果が立つのです。またこれは『法華』がただ一理を顕し、ただ一人を教えるのと同じです。「朗然として懸解す」とは、荘周の言を借りて因果成立の義を顕すものです。時に安んじて順に処すれば、哀楽は入ることができない、これを帝の懸解といいます。ここに二つの義を述べることができます。一つは、菩薩の因が成じて道場の照が顕れるならば、永遠に生死の欣戚を離れ、哀楽が入らないようなものです。二つは、繋がりあるものを顕といい、繋がりなきものを解と秤します。繋がりあるものとは、断常の諸辺をいい、これを繋と秤します。諸見がすでに寂まったので、これを解と名づけるのです。

「夫滯惑生於倒見」者,第三敘造論緣起。就文為二:初敘緣起、次明龍樹出世破迷造論。初有二句:一凡迷、二聖失。凡迷者,謂九十六術及起愛之流也。聖失者,執小乘及有所得大乘者也。斯二無失不該。初謂自樹失,次稟教迷。凡迷為二:一起迷因、二迷所得果。迷因二句,在果亦然。夫滯惑者,滯謂滯著,則起愛之流也。惑謂迷惑,起見之流也。生死眾生以在家起愛、出家起見,則《法華》毒虫之與惡鬼,火宅之內唯斯二物;亦生死根本唯愛與見,如《涅槃》說。「生於倒見」者,前明愛見末,此句次尋其根。所以有愛見者,皆由顛倒橫見故生。如《淨名》云「善惡由身,身由於貪,貪由分別虛妄,虛妄分別由於顛倒。」是以顛倒所見為在家出家愛見本也。又前句既明有愛有見,後句亦有倒有見。倒則顛倒也,見謂虛妄分別,故末有其二,在本亦兩。「三界以之而淪溺」者,此第二次明失果也。起愛見二因,感三界淪溺兩果。沒水為溺,土陷為淪。《法華》云「如是種種諸苦眾生沒在其中」,以苦喻大海,故沒在苦之內則溺義也。三界無常、舍之崩倒則陷義也。故起愛見兩因,感無常苦二果。如《法華》云:惡鬼毒虫二因,感舍之崩倒及火起燒宅二果。睿師全同《法華》意及《維摩》之說也。「偏悟起於厭智」者,第二次辨聖失。凡失重故前明、聖失輕故後辨,則重輕次第。又前是外迷、今辨內惑,亦是外重內輕為次第也。就文為二:一正辨失、二得失互相顯釋。初中二句:一辨失因、二明失果。失因有二,失果亦兩,與上相對也。偏悟者,對上凡迷,故聖秤為悟。若望大乘,故秤為偏,所以云偏悟也。《涅槃》云「二乘之人名為曲見」,又云「若以聲聞辟支佛心言無布施,是則名為破戒邪見。」《法華》云「眇目座陋」,眇目者所見不正也,所謂空有二見並皆不正見。王宮實生、雙林實滅,謂所見不正。《智度論》云「二乘之空名為但空」,故空見不正。又二乘無有中道正觀,如《涅槃》說「但見於空,不見不空。」故不行中道、不見佛性,名為偏悟也。起於厭智者,第二句尋悟之根也。二乘所以偏悟者,由厭生死而欣涅槃。如《法華》云「先取其價,然後除糞。」二乘之人畏老病死,故斷貪瞋癡,以求涅槃永滅,故云厭智。「耿介以之而致乖」者,第二次明得果。亦兩句:初敘其迷執、次明得果。耿介者,外典文言不同,眾師釋亦異,然多不體其意旨。今明耿介者,猶志節也,以封執小乘自謂究竟,永不迴小心進求大道,故名耿介。以之致乖者,此第二明得果也。既封執小乘,則與大道相乖。所以然者,道實無二而妄謂言二,故乖無二之道。《智度論》云「阿羅漢人於佛道迂迴稽留,又復虛言得道。」皆是乖道之義。又道實無生滅,二乘之人謂有煩惱生而滅之得有餘,謂有身智生滅之得無餘。故《法華》云「分別說諸法五眾生滅,則乖無生大道之義。」然二乘既爾,有所得大乘亦然,終言有惑滅解生,猶是小也。「故知大覺在乎曠照」下,此第二得失互相釋也。前舉大得以顯小失。大覺曠照者,此舉大得也。對二乘生滅之小,了一切無生畢竟空秤為曠照。又二乘但得人空、不得法空,名為小智;大乘具得二空、秤為曠照。又二乘亦得二空,但是折法明空,故秤小智;大乘得自性空、自相空,秤為曠照。又二乘但得三界內人法空,名為小智;大乘得三界內外空,名為曠照。又二乘但見於空、不見不空,名為小智;大乘見空及以不空,故秤曠照。所言「隘心」者,書云「一人守隘,萬夫莫進。」蓋是迮小之名也。「照之不曠」下,此廣敘小乘之失也。「夷有無」者,夷之訓平,不能平除有無二見義也。「一道俗」者,《智度論》云「聲聞法中未說生死即是涅槃、眾生則是佛。」故二乘不能一道俗也。道則涅槃,俗則生死。「知之不盡未可以涉中途泯二際」者,行山為踐、履水為涉,蓋是別論耳。今通取行義為涉。二乘之人照理不窮,故不能行於中道也。泯二際者,泯之言滅,謂不能滅於二際也。問:前云一道俗、夷有無,則是泯二際。何故重說?答:睿師深見文意。〈涅槃品〉有二偈:初云「世間與涅槃,無有少分別。涅槃與世間,無有少分別。」此是一道俗之義。次偈云「生死之實際,及與涅槃實際,如是二際者,無豪釐差別。」論既兩文,今還敘此二意也。道俗之不夷、二際之不泯,菩薩之憂也。
第二破迷作論,又開二別:初明大悲內充、次別明破迷作論。初是慈悲、後明智慧,即菩薩福慧二業。又初是知病識藥、後是應病授藥。又初是悲心、後明悲事。問:何故云有無不夷、二際不泯,但明此兩句也。答:有無是眾見之根、障中道之本,故偏說也。二際不泯,謂破一道清淨也。又前敘能障、後明所障,又前是凡迷、後為聖惑,又前是外迷、後為內惑,言約事終也。菩薩之憂者,既見凡迷六道紛然、聖惑三乘異逕,為此而興無緣大悲,故秤憂也。「是以龍樹」下,第二破迷作論。又開兩別:前破內迷、後破外迷。亦前破聖惑、後破凡迷。問:初段中何故前敘凡迷、後明聖惑,今前破聖惑、後破凡迷?答:有文有義。言其義者,前就起惑次第,故前凡後聖、前重後輕。後約傍正次第,斯論正破於內、傍破於外。亦前正破封執二乘之失,後傍洗九十六術。約文者,在初文後敘聖迷,接聖破聖,故便除聖迷。「折之以中道」者,折之言齊。齊者,生死涅槃不二、眾生與佛平等,則是中道。又將中道之理折二際令齊,故言折之以中道。「使惑趣之徒望玄指而一變」者,惑者迷也,趣者理也。謂迷理之人,即是封執二乘、有所得大乘菩薩。玄指者,即是斯論。藉斯論重玄之言,因改二乘之執、迴有所得菩薩同歸不二,故名為一變。若守二乘不歸一道,封執偏大未悟平等,並是守指忘月,不名一變。今改小入大,迴有得而悟無得,如因指得月,故秤為變。「括之以即化」,第二破於外惑。括者撿括。即化者,如肇公云:「道遠乎哉?觸事即真。聖遠乎哉?體之即神。」〈十二門序〉亦有斯意,故云「悟大覺於夢境,即百化以安歸。」猶是論文明一切諸法即是無生,故云即化。「令玄悟之賓喪諮詢於朝徹」,此寄斥震旦莊周以呵天竺外道,良以此土無別外道,而用老莊以為至極,是以斥之。諮詢者,問善道之辭也。喪之言亡也。朝徹者,郭象云:「遺死生、亡內外,豁然無滯,見機而作,故云朝徹也。」又云:朝者旦也,徹者達也。又云:一旦能達於理,故云朝徹。又云:不崇朝而徹理。崇者言重,猶是一朝而達耳,故云朝徹也。今明既悟斯論,知一切法即是實相無生,須忘問答朝徹之事,故云喪諮詢於朝徹也。既不諮詢於老莊,豈復稟承六師及十八一切智人并九十六術耶?
「蕩蕩焉」下,第四讚論功能。又開三別:初顯道益物嘆;次舉大對小嘆,亦名抑小揚大嘆;三感幸欣遇嘆。蕩蕩者,書云「王道蕩蕩,無偏無儻。」蓋是泯內外兩迷、息凡聖二見,同歸乎大道,故秤蕩蕩。蕩蕩是曠遠之貌也。「坦夷路於沖階」者,龍樹未出之前,虛言將實教並興、險逕與夷路爭徹,是以論主出世更整坦夷路,故言坦也。夷路既整,則菩薩之因、道場之果階位可登,故言於沖階也。「敞玄門於宇內」者,前化及一方,此明遐宣六合。玄門者,《老子》云「玄之又玄,眾妙之門。」借斯言以目今論也。天地上下曰宇,往古來今秤宙,故云敞玄門於宇內也。「扇惠風於陳枚」者,前二句明顯道,今兩句明益物。陳枚者,陳者朽故之名也。《毛詩》云「伐其條枚」,枚者小枝也。惠風者,謂春風也。以扇斯論智慧之風,使凡夫之流以得益也。「流甘露於枯椊」者,前句辨益凡、此章明利聖,前句益外道、後句利小乘,又前句利小乘、後句益菩薩,具此諸意也。「夫柏梁之構興」者,第二舉大對小嘆。又開二別:前譬、後合。柏梁者,漢武帝臺名也。外書釋此自有二家:一云以柏木為梁,故云柏梁。此臺初成,柏木香氣流數十里。元帝以柏梁對柘舘,以此詳之,應是柏木之梁。又云:梁有百數,故云百梁。「茅庂茨陋」者,茨之言次,撰次於茅故秤為茨。庂者,長安偏鵲舍但有一邊,故秤為庂。陋猶隘義也。又柏梁大臺即法華長者大宅,茅茨庂陋其猶門外草菴。睿師一言含內外兩事也。「覩斯論」下,第二合譬。「鄙倍」者,出《論語》。鄙猶鄙惡,倍是倍戾。「幸哉此區之赤縣」者,第三感幸欣遇嘆,亦二句。幸者幸遇。此區者,區秤區域,而言此以對彼也。彼總名天竺,天竺別開則五,次有十六大國、五百中國、十千小國;此區總名赤縣。河圖云:崑崙山東地方五千里,一曰神洲亦名赤縣。禹於赤縣之內畫地分疆以為九州,故鑄九鼎鎮九州。則知赤縣是九州之總名。「忽得移靈鷲以作鎮」者,赤縣唯以五岳為鎮,而今假設移靈鷲而鎮赤縣,喻斯論而化九州也。「險陂之邊情乃蒙流光之餘慧」者,第二重舉事以合上喻。《毛詩》云「內有佐公進賢之志,外無私謁險陂之心。」禮注云「偏立曰陂,故云勞而無袒、立而不陂。」陂謂偏險之心耳。流光之餘惠者,中道正觀光流此土,惠益險陂之人。而秤邊情者,一者目此土為邊地,彼秤為中國。昔河承公與嚴法師諍此土天竺偏正之事,嚴師善解外國曆算云:「正陽之月方中無影,故知天竺為正國也。」河公善解此土曆算,不能難之,故知彼為中國、此曰邊情。又彼有佛出故云中國,此無佛出秤曰邊情。又四依等出於彼土故名正國,不出此土目為邊情。又轉輪王常出彼土故為中國,此唯粟散故曰邊情。餘光者,龍樹造論正益彼土、傍化此國,故名餘光。「而今而後談道之賢始可與論實矣」者,《論語》云「而今而後」,用此事也。睿師云:「自羅什未度之前,講肆流詠已來,格義迂而乖本、六家偏而不即,《中》、《百》二論文未及此,又無通鑒,誰與正之?前匠所以輟章遐慨,思決言於彌勒者,良在於此。而今已後《中》、《百》二論既傳來此土,論道之賢始可與言實矣。」故知斯論定佛法之偏正、判得失之根源也。
「云天竺諸國」者,第五敘注論之人。又開二別:前嘆此論為諸國所重、二別敘注釋之人。此文秤「云」,凡述二人:一羅什法師所云,故秤云也;二秦弘始七年天竺剎利汎舶至長安,聞羅什門徒三千解大乘之教,以《中》、《百》二論諮而驗之。羅什因為剖折,剎利乃頂受絕嘆不能已。已白云「跋荼闍梨當以此明振耀天竺,何由蘊此摩尼乃在邊地?」又云:「羲和鸞轡蘊明於無目之地,甚可恨也。夜光之寶鬻珍於田父之客,甚可惜也。」此剎利述天竺論師呵諸小乘人,歎羅什云:「我在天竺聞諸論師深怪罽賓小乘學者自美其師,以為比方如朗月之照。其師是鳩摩羅陀,造《日出論》。又自彌帝戾已後牢有其比,天竺論師呵云偏悟小才,非此喻也。若是拘止那國鳩摩羅耆婆法師以當此喻,無所愧也。何故?羅什如朗月之照無所愧,以其善解《中》、《百》故。」「敢預是天竺學大乘之流無不翫味斯論」,敢者,果也決也。喉衿,要宗事也。喉為內要,衿為外要,故借以喻焉。「其染翰申釋者甚亦不少」者,此出注論者非復一師。影公云:「凡數十家。」河西云:「凡七十家。」翰者,古人以雞勒毛為筆,故秤為翰。青目非天親,《付法藏》云「婆藪槃豆善解一切修多羅義,而青目注斯論有其乖失。」故知非也。「其中乖闕煩重者」,略明長行釋偈凡有四失:一長行釋與偈意乖;二釋偈不足而秤為闕;三少言可以通文,而長行在重言煩也;四前章已明,後須更說,故秤為重。曇影法師《中論疏》四處敘青目之失:一〈因緣品〉四緣立偈,云「此偈為問,蓋是青目傷巧處耳。」二釋四緣有廣略。影師云「蓋是青目勇於取類、劣於尋文。」三釋〈業品〉偈云「雖空不斷,青目云『空無可斷』,此非釋也。」四釋〈邪見品〉長行云「此中紛絃為復彼助鬧。復龍樹自有偈釋之。」今文云「法師裁而裨之」者,法師即羅什也。裁其煩重,裨其乖闕。「於通經之理盡」者,經即《中論》,外國詺論為經。《付法藏經》云「提婆造百論經」,《智度論》云「迦旃延造發智經」,故知目論為經,於通經理盡。「文或左右未盡善」者,如影師四處述之。
「《百論》治外以閑邪者」下,第六通歎四論。前別嘆四論;從「尋斯四者」下,總嘆四論,明學之者有其深益。前別嘆四論,有二對:初內外一雙、次略廣相對。「流滯」者,學內教人壅滯佛教。今祛其壅滯使佛教宣流,故云流滯。師又云「決二壅,合兩教。」流二壅者,一小乘人學小乘迷小乘,故小教壅;二大乘人學大乘迷大乘,故大乘壅。今《中論》決斯二教之壅,使二教流也,故云「祛內以流滯」。閑邪者,閑有多訓,此中正宜以靜釋之。肇師云:「于時外道紛然競起」,今為防外道紛動,故須靜而息之。大智則理深而文博,十二門即文精而理詣也。
「予翫之味之」下,第七作者自謙。「不能釋手」者,謂手不釋卷也。「并目品義題之於首」者,謂釋二十七品目也。予昔在江南尋之不得,至京訪問又無,當是失落也。中論序疏(畢)
中觀論疏卷第一(本)
釋吉藏撰

1 因緣品(一本-三末)

CBETA コード: T1824

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません