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  1. 楞伽経 (入楞伽經)
  2. 第7巻 (第七)
  3. 入門の章(七) (9 入道品(七))
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楞伽経 (入楞伽經)


入楞伽經入道品第九
爾時聖者大慧菩薩摩訶薩復白佛言:「世尊!惟願世尊,為我說諸一切菩薩聲聞辟支佛入滅盡定次第相,我及一切諸菩薩等,若得善知入滅盡定次第之相巧方便者,不墮聲聞辟支佛三昧三摩跋提滅盡定樂,不墮聲聞辟支佛外道迷惑之法。」

その時、聖なる大慧菩薩摩訶薩が再び仏に申し上げました。 「世尊よ、どうか世尊、私にすべての菩薩・声聞・辟支仏が滅尽定に入る次第の相をお説きください。私およびすべての菩薩たちが、もし滅尽定に入る次第の相を善く知り、巧みな方便を得ることができれば、声聞や辟支仏の三昧・三摩跋提・滅尽定の楽しみに堕することもなく、声聞・辟支仏や外道の迷いの法に陥ることもありません。」

佛告聖者大慧菩薩言:「善哉!善哉!善哉大慧!諦聽!諦聽!當為汝說。」

仏は聖者大慧菩薩に告げて言われた。「善きかな、善きかな、善きかな大慧よ。よく聞け、よく聞け。汝のために説こう。」

大慧菩薩白佛言:「善哉世尊!唯然受教。」

大慧菩薩は仏陀に申し上げました。「ありがたいことでございます、世尊よ。どうかお教えをお聞かせください。」

佛告大慧:「菩薩從初地乃至六地入滅盡定,聲聞辟支佛亦入滅盡定。大慧!諸菩薩摩訶薩,於七地中念念入滅盡定,以諸菩薩悉能遠離一切諸法有無相故。大慧!聲聞辟支佛不能念念入滅盡定,以聲聞辟支佛緣有為行入滅盡定,墮在可取能取境界,是故聲聞辟支佛不能入七地中念念滅盡定,以聲聞辟支佛生驚怖想,恐墮諸法無異相故;以覺諸法種種異相有法無法善不善法同相異相而入滅盡定,是故聲聞辟支佛不能入七地中念念滅盡定,以無善巧方便智故。大慧!七地菩薩摩訶薩,轉滅聲聞辟支佛心、意、意識。大慧!初地乃至六地菩薩摩訶薩,見於三界但是自心心、意、意識,離我我所法,唯是自心分別,不墮外法種種諸相,唯是凡夫內心愚癡,墮於二邊見於可取能取之法,以無知故,而不覺知無始世來身口及意妄想煩惱戲論熏習而生諸法。大慧!於八地中一切菩薩聲聞辟支佛入涅槃想。大慧!諸菩薩摩訶薩,承己自心三昧佛力,不入三昧樂門,墮涅槃而住,以不滿足如來地故,若彼菩薩住三昧分者,休息度脫一切眾生,斷如來種滅如來家,為示如來不可思議諸境界故,是故不入涅槃。大慧!聲聞辟支佛墮三昧樂門法,是故聲聞辟支佛生涅槃想。大慧!諸菩薩摩訶薩,從初地來乃至七地具巧方便,觀察心、意、意識之相,遠離我我所取相之法,觀察我空法空,觀察同相異相,善解四無礙巧方便義,自在次第入於諸地菩提分法。大慧!我若不說諸菩薩摩訶薩同相異相法者,一切菩薩不如實知諸地次第,恐墮外道邪見等法故,我次第說諸地相。大慧!若人次第入諸地者不墮餘道,我說諸地次第相者,唯自心見諸地次第,及三界中種種行相,而諸凡夫不覺不知,以諸凡夫不覺知故,是故我及一切諸佛,說於諸地次第之相,及建立三界種種行相。復次,大慧!聲聞辟支佛於第八菩薩地中,樂著寂滅三昧樂門醉故,不能善知唯自心見,墮自相同相熏習障礙故,墮人無我法無我見過故,以分別心名為涅槃,而不能知諸法寂靜。大慧!諸菩薩摩訶薩,以見寂靜三昧樂門,憶念本願大慈悲心度諸眾生,知十無盡如實行智,是故不即入於涅槃。大慧!諸菩薩摩訶薩,遠離虛妄分別之心,遠離能取可取境界,名入涅槃,以如實智知一切諸法唯是自心,是故不生分別之心,是故菩薩不取心、意、意識,不著外法實有之相,而非不為佛法修行,依根本智展轉修行,為於自身求佛如來證地智故。大慧!如人睡夢度大海水,起大方便欲度自身,未度中間忽然便寤,作是思惟:『此為是實?為是虛妄?』彼復思惟:『如是之相非實非虛,唯是我本虛妄分別不實境界,熏習因故見種種色,形相顛倒不離有無,意識熏習於夢中見。』大慧!菩薩摩訶薩亦復如是,於八地中見分別心,初地七地諸法同相,如夢如幻平等無差,離諸功用可取能取分別之心,見心心數法,為於未得上上佛法修行者令得故,菩薩摩訶薩修行勝法,名為涅槃,非滅諸法名為涅槃。菩薩摩訶薩,遠離心、意、意識分別相故,得無生法忍。大慧!第一義中亦無次第,無次第行,諸法寂靜亦如虛空。」

仏が大慧に告げられた。

「菩薩は初地から六地までは滅尽定に入り、声聞や縁覚もまた滅尽定に入る。大慧よ、諸々の菩薩摩訶薩は、七地において念々に滅尽定に入る。なぜなら、諸菩薩は一切の諸法の有る相も無い相も遠く離れることができるからである。大慧よ、声聞や縁覚は念々に滅尽定に入ることはできない。なぜなら、声聞や縁覚は有為の行を縁として滅尽定に入り、取られるべきもの(可取)と取るもの(能取)の境界に陥っているからである。それゆえ、声聞や縁覚は七地における念々の滅尽定に入ることができない。声聞や縁覚は驚き怖れる想いを生じ、諸法に異なる相が無いことに陥ることを恐れるからである。諸法の種々異なる相、有る法も無い法も、善い法も不善い法も、同じ相も異なる相も覚知して滅尽定に入るゆえに、声聞や縁覚は七地における念々の滅尽定に入ることができない。善巧方便の智がないからである。

大慧よ、七地の菩薩摩訶薩は、声聞や縁覚の心・意・意識を転滅させる。大慧よ、初地から六地までの菩薩摩訶薩は、三界を見るに、ただ自心の心・意・意識であり、我と我の所有する法を離れ、ただ自心の分別にすぎないと見る。外法の種々の諸相に陥らず、ただ凡夫の内心の愚痴によって、二辺に陥り、取られるべき法と取る法とを見る。無知のゆえに、無始の世よりこのかた、身・口・意による妄想煩悩の戯論が薫習されて諸法が生じることを覚知しないのである。

大慧よ、八地においては、一切の菩薩・声聞・縁覚は涅槃の想いに入る。大慧よ、諸々の菩薩摩訶薩は、自らの心の三昧と仏の力とを承けて、三昧の楽の門に入らず、涅槃に陥って住することもない。如来の地を満足しないからである。もしその菩薩が三昧の分に住するならば、一切衆生を度脱することを休み止め、如来の種を断ち、如来の家を滅することになる。如来の不可思議な諸境界を示すがゆえに、涅槃に入らないのである。大慧よ、声聞や縁覚は三昧の楽の門の法に陥る。それゆえ、声聞や縁覚は涅槃の想いを生じる。

大慧よ、諸々の菩薩摩訶薩は、初地より七地に至るまで、巧みな方便を具え、心・意・意識の相を観察し、我と我の所有するものを取る相の法を遠く離れ、我空と法空を観察し、同じ相と異なる相を観察し、四無礙の巧みな方便の義を善く解して、自在に次第に諸地の菩提分法に入るのである。大慧よ、もし私が諸菩薩摩訶薩のために同じ相と異なる相の法を説かなければ、一切の菩薩は諸地の次第を如実に知ることができず、外道の邪見などの法に陥ることを恐れるから、私は次第に諸地の相を説くのである。大慧よ、もし人が次第に諸地に入るならば、他の道に陥ることはない。私が諸地の次第の相を説くのは、ただ自心に見る諸地の次第、および三界における種々の行相のためである。しかし諸々の凡夫はこれを覚知しない。諸々の凡夫が覚知しないがゆえに、私および一切の諸仏は、諸地の次第の相について説き、また三界の種々の行相を建立するのである。

また、大慧よ、声聞や縁覚は第八菩薩地において、寂滅の三昧の楽の門に楽著し、酔っているがゆえに、ただ自心に見ることを善く知ることができず、自相と同相の薫習の障害に陥るからである。人無我と法無我の見過ぎに陥り、分別の心を以て涅槃と名づけるが、諸法の寂静を知ることができないのである。大慧よ、諸々の菩薩摩訶薩は、寂静の三昧の楽の門を見て、本願の大慈悲心を憶念し、諸々の衆生を度し、十無尽の如実行智を知るがゆえに、ただちに涅槃に入ることはない。大慧よ、諸々の菩薩摩訶薩は、虚妄分別の心を遠く離れ、能取と可取の境界を遠く離れることを、涅槃に入ると名づける。如実智をもって一切の諸法はただ自心であると知るがゆえに、分別の心を生じない。それゆえ菩薩は心・意・意識を取らず、外法の実有の相に執着しない。しかしながら、仏法の修行を為さないわけではない。根本智に依って展転して修行し、自らの身において仏如来の証する地の智を求めるがゆえである。

大慧よ、人が眠り夢の中で大海の水を渡り、大いなる方便を起こして自らを渡そうとし、未だ渡らないうちに忽然と目覚めたとする。このように思惟する:『これは実なのか、それとも虚妄なのか』。彼はさらに思惟する:『このような相は実でもなく虚妄でもない。ただ私の本来の虚妄分別の不実なる境界が、薫習の因となって種々の色や形相を見るのであり、有無を離れず、意識の薫習によって夢の中で見るのである』と。大慧よ、菩薩摩訶薩もまたこのようである。八地において分別心を見、初地から七地までの諸法の同じ相は、夢のごとく幻のごとく平等で差別なく、諸々の功用を離れ、可取と能取の分別の心を離れ、心と心数法とを見る。未だ上上の仏法を得ていない修行者のために得させるがゆえに、菩薩摩訶薩は勝れた法を修行し、これを涅槃と名づける。諸法を滅することが涅槃なのではない。菩薩摩訶薩は、心・意・意識の分別相を遠く離れるがゆえに、無生法忍を得るのである。

大慧よ、第一義の中にはまた次第もなく、次第の行もない。諸法の寂静はまた虚空の如きものである。」

大慧菩薩白佛言:「世尊!世尊說:『聲聞辟支佛入第八菩薩地寂滅樂門。』如來復說:『聲聞辟支佛不知但是自心分別』,復說『諸聲聞得人無我,而不得法無我空。』若如是說,聲聞辟支佛尚未能證初地之法,何況八地寂滅樂門?」

大慧菩薩が仏に申し上げました: 「世尊よ、世尊は『声聞と辟支仏は第八菩薩地の寂滅の境地に入る』と説かれました。 しかし、如来はまた『声聞と辟支仏は、それがただ自心の分別に過ぎないことを知らない』とも説かれ、 さらに『諸声聞は人無我を得るが、法無我の空は得られない』とも説かれています。 もしそうであるならば、声聞や辟支仏は初地の法さえまだ証得できていないはずです。 ましてや、第八地の寂滅の境地など、どうして入ることができましょうか?」

佛告大慧:「我今為汝分別宣說。大慧!聲聞有三種,言入八地寂滅門者,此是先修菩薩行者墮聲聞地,還依本心修菩薩行,同入八地寂滅樂門,非增上慢寂滅聲聞,以彼不能入菩薩行,未曾覺知三界唯心,未曾修行菩薩諸法,未曾修行諸波羅蜜十地之行,是故決定寂滅聲聞,不能證彼菩薩所行寂滅樂門。」

仏は大慧に告げられた:「今、私はあなたのために詳しく説き明かそう。大慧よ、声聞には三種類がある。八地の寂滅の門に入ると言うのは、これは先に菩薩行を修めた者が声聞の境地に堕ち、もとの心に依って菩薩行を修め、共に八地の寂滅の歓びの門に入る者である。増上慢の寂滅声聞ではない。なぜなら、彼らは菩薩行に入ることができず、三界がただ心であることを覚知せず、菩薩の諸法を修行せず、諸波羅蜜や十地の行を修行したことがないからである。それゆえ、決定的な寂滅声聞は、菩薩の行う寂滅の歓びの門を証することができないのである。」

爾時世尊重說偈言:

その時、世尊は重ねて偈を説かれた。

「唯心無所有, 諸行及佛地;
去來現在佛, 三世說如是。
七地為心地, 無所有八地;
二地名為行, 餘地名我地。
內身證及淨, 此名為我地;
自在最勝處, 阿迦尼吒天。
炤曜如炎火, 出妙諸光明;
種種美可樂, 化作於三界。
化現三界色, 或有在光化;
彼處說諸乘, 是我自在地。
十地為初地, 初地為八地;
九地為七地, 七地為八地。
二地為三地, 四地為五地;
三地為六地, 寂滅有何次?
決定諸聲聞, 不行菩薩行;
同入八地者, 是本菩薩行。」

ただ心のみありて、所有するものなし、 諸々の行い及び仏の境地もまた然り。 去り来たり現在の仏たち、 三世においてこのように説かれる。

七地は心の地とされ、 所有なきは八地とされる。 二地は行いと名づけられ、 残る地は我が地とされる。

内なる身において証し清めること、 これを我が地と名づける。 自在にして最も勝れたる処、 阿迦尼吒天の境地。

炎のごとく輝き照らし、 妙なる光明を放つ。 種々に美しく楽しむべきもの、 三界に化現する。

三界の色を化現し、 あるいは光の中に化現する。 その処において諸乗を説く、 これが我が自在の地である。

十地は初地であり、 初地は八地である。 九地は七地であり、 七地は八地である。 二地は三地であり、 四地は五地である。 三地は六地である。 寂滅に何の次第があろうか。

決定した諸々の声聞たちは、 菩薩の行いを行わない。 八地に共に入る者は、 これが本来の菩薩行である。


8 無常品(七)
10 問如來常無常品(七)

CBETA コード: T0671

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