ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 入楞伽経 (入楞伽經)
  2. 第一 (第一)
  3. 1 請仏品(一) (1 請佛品(一))
←と→
矢印キーでページをめくれます

入楞伽経 (入楞伽經)

「入楞伽經」について

北魏 · 底本の訳者:菩提流支

8.2 万字 · 約 275 分

『入楞伽経』は大乗仏教の重要な経典であり、菩提流支によって元魏の時代に漢訳されました。正式名称は『楞伽阿跋多羅宝経』といいます。経文には、仏陀が楞伽山に入り、深遠な法を説く場面が記されています。その核心は、五法・三自性・八識・二無我といった唯識の思想と、如来蔵の思想を融合させ、心の認識の転変と修行の階梯を明らかにしている点にあります。この経典は法相宗が依拠する根本経論の一つであり、中国仏教における唯識学の発展に深遠な影響を与えました。仏教の心性論と修行観を研究する上で、重要な典籍となっています。


入楞伽經卷第一

『入楞伽経』 巻第一

元魏天竺三藏菩提留支譯

元魏天竺三藏菩提留支訳

請佛品第一

請仏品 第一

歸命大智海毘盧遮那佛。
如是我聞:

このように私はお聞きしました。

一時婆伽婆住大海畔摩羅耶山頂上楞伽城中——彼山種種寶性所成,諸寶間錯光明赫炎,如百千日照曜金山;復有無量花園香樹皆寶香林,微風吹擊搖枝動葉,百千妙香一時流布,百千妙音一時俱發;重巖屈曲,處處皆有仙堂靈室龕窟,無數眾寶所成,內外明徹,日月光暉不能復現,皆是古昔諸仙賢聖思如實法得道之處——與大比丘僧及大菩薩眾,皆從種種他方佛土俱來集會。是諸菩薩具足無量自在三昧神通之力,奮迅遊化,五法自性二種無我究竟通達,大慧菩薩摩訶薩而為上首,一切諸佛手灌其頂而授佛位,自心為境善解其義,種種眾生種種心色,隨種種心種種異念,無量度門隨所應度隨所應見而為普現。

ある時、世尊(バガヴァット)は大海の辺り、摩羅耶山の頂上にある楞伽城に滞在しておられた。その山は様々な宝石の性質によって成り、諸々の宝が織り交ぜられて光り輝き、百千の太陽が金山を照らすかのようであった。また、無数の花園や香りの木々からなる宝の香林があり、微風が吹きつけて枝や葉を揺らすと、百千の妙なる香りが一時に流れ広がり、百千の妙なる音が一時に響き渡った。重なり合う岩肌は曲がりくねり、至る所に仙人の堂、霊験あらたかな室、龕窟があり、無数の宝によって作られ、内外は明らかに透き通り、日月の光もその輝きを現せないほどであった。これらは全て、昔の仙人や聖賢たちが真実の法を思惟し、悟りを得た場所である。

そこには、大比丘僧と大菩薩の衆が集まっていた。彼らは皆、様々な他方の仏国土から集まって来たのである。これらの菩薩たちは、無量の自在三昧と神通力の働きを具え、自由自在に遊戯し教化し、五法、自性、二種無我を究竟まで通達していた。大慧菩薩摩訶薩が上首となり、一切の諸仏がその頂上に手を灌いで仏位を授けていた。大慧菩薩は、自らの心を境としてその義をよく理解し、様々な衆生の様々な心や姿、それぞれの心に応じた様々な異なる思い、無量の救済の門を、救うべきに応じ、見るべきに応じて、普遍に現し示していた。

爾時婆伽婆於大海龍王宮說法,滿七日已度至南岸,時有無量那由他釋梵天王、諸龍王等,無邊大眾悉皆隨從向海南岸。爾時婆伽婆,遙望觀察摩羅耶山楞伽城,光顏舒悅如動金山,熈怡微笑而作是言:「過去諸佛、應、正遍知,於彼摩羅耶山頂上楞伽城中,說自內身聖智證法,離於一切邪見覺觀,非諸外道聲聞辟支佛等修行境界;我亦應彼摩羅耶山楞伽城中為羅婆那夜叉王上首說於此法。」爾時羅婆那夜叉王,以佛神力聞如來聲。

その時、世尊は大海の龍王の宮殿で七日間にわたって法を説き終え、南岸へと渡られた。そこには、限りなく多くの釈提桓因・梵天・諸々の龍王たちをはじめとする無数の大衆が従い、皆で海の南岸へと向かった。その時、世尊は遠くから摩羅耶山の楞伽城を眺められ、そのお顔は澄みわたり、まるで金山が輝くかのように、にこやかに微笑みながら、こうおっしゃった。

「過去の諸仏・応供・正遍知は、かの摩羅耶山の頂上にある楞伽城において、自己の内なる聖なる智慧の悟りの法を説かれた。それは、あらゆる邪見や分別の思考を離れたものであり、外道や声聞・辟支仏の修行の境地には及ばないものである。私もまた、かの摩羅耶山の楞伽城において、羅婆那夜叉王をはじめとする者たちにこの法を説こう。」

その時、羅婆那夜叉王は、仏の神通力によって如来の声を聞いた。

時婆伽婆離海龍王宮度大海已,與諸那由他無量釋梵天王、諸龍王等圍遶恭敬。爾時如來觀察眾生阿梨耶識大海水波,為諸境界猛風吹動,轉識波浪隨緣而起。爾時羅婆那夜叉王而自歎言:「我應請如來入楞伽城,令我長夜於天人中,與諸人天得大利益快得安樂。」

さて、世尊は海竜王の宮殿を離れ、大海を渡り終えられました。無数の釈提桓因、梵天王、竜王たちに囲まれ、敬われていました。その時、如来は衆生の阿梨耶識(アーラヤ識)という大海の波を観察されました。それは様々な外界の対象という強い風に吹かれて動き、転識(マノ識など)の波が縁に従って次々と立ち上がるのでした。

その時、羅婆那夜叉王は心の中でこう言いました。「私は如来をどうか楞伽城にお招きしよう。そうすれば、私が長い夜の間、天人の世界において、多くの人々や天人のために、大きな利益と確かな安楽をもたらすことができるだろう。」

爾時楞伽城主羅婆那夜叉王,與諸眷屬乘花宮殿至如來所,與諸眷屬從宮殿下遶佛三匝,以種種伎樂樂於如來,所持樂器皆是大青因陀羅寶而用造作,大毘琉璃瑪瑙諸寶以為間錯,無價色衣以用纏裹,以梵聲等無量種音,歌歎如來一切功德,而說偈言:
「心具於法藏, 離無我見垢;
世尊說諸行, 內心所知法。
白法得佛身, 內身所證法;
化身示化身, 時到入楞伽。
今此楞伽城, 過去無量佛,
及諸佛子等, 無量身受用。
世尊若說法, 無量諸夜叉,
能現無量身, 欲聞說法聲。」

心に法蔵を具え、 無我の見の垢を離れり。 世尊は諸行を説き、 心に知られる法を示す。

白法によって仏身を得、 内身に証される法。 化身は化身を示し、 時至りて楞伽に入る。

今この楞伽城には、 過去無量の諸仏、 および多くの仏子らが、 無量の身をもって受用す。

世尊が法を説けば、 無量の夜叉たちは、 無量の身を現じて、 説法の声を聞こうと欲す。

爾時羅婆那楞伽王,以都吒迦種種妙聲,歌歎如來諸功德已;復更以伽他妙聲歌歎如來,而說偈言:

その時、羅婆那楞伽王は、都吒迦の様々な美しい声で如来の諸々の功徳を歌い称えた後、さらに伽他那の美しい声で如来を歌い称え、偈を唱えて言った。

「如來於七日, 大海惡獸中;
渡海至彼岸, 出已即便住。
羅婆那王共, 妻子夜叉等,
及無量眷屬, 大智諸大臣。
叔迦婆羅那, 如是等天眾;
各各悉皆現, 無量諸神通。
乘妙花宮殿, 俱來到佛所;
到已下花殿, 禮拜供養佛。
依佛住持力, 即於如來前;
自說己名字: 『我十頭羅剎。
願垂哀愍我, 及此城眾生;
受此楞伽城, 摩羅耶寶山。
過去無量佛, 於此楞伽城;
種種寶山上, 說身所證法。
如來亦應爾, 於此寶山中;
同諸過去佛, 亦說如是法。
願共諸佛子, 說此清淨法;
我及楞伽眾, 咸皆欲聽聞。
入楞伽經典, 過去佛讚歎;
內身智境界, 離所說名字。
我念過去世, 無量諸如來;
諸佛子圍遶, 說此修多羅。
如來於今日, 亦應為我等;
及諸一切眾, 說此甚深法。
未來諸世尊, 及諸佛子等;
於此寶山上, 亦說此深法。
今此楞伽城, 微妙過天宮;
牆壁非土石, 諸寶羅網覆。
此諸夜叉等, 已於過去佛;
修行離諸過, 畢竟住大乘。
內心善思惟, 如實念相應;
願佛憐愍故, 為諸夜叉說。
願佛天人師, 入摩羅耶山;
夜叉及妻子, 欲得摩訶衍。
甕耳等羅剎, 亦住此城中;
曾供養過去, 無量億諸佛。
今復願供養, 現在大法王;
欲聞內心行, 欲得摩訶衍。
願佛憐愍我, 及諸夜叉眾;
共諸佛子等, 入此楞伽城。
我所有宮殿, 妻子及眷屬;
寶冠諸瓔珞, 種種莊嚴具。
阿舒迦園林, 種種皆可樂;
及所乘花殿, 施佛及大眾。
我於如來所, 無有不捨物;
願大牟尼尊, 哀愍我受用。
我及諸佛子, 受佛所說法;
願佛垂哀愍, 為我受用說。』
爾時三界尊, 聞夜叉請已;
即為夜叉說, 過去未來佛:
『夜叉過去佛, 此勝寶山中;
憐愍夜叉故, 說內身證法。
未來佛亦爾, 於此寶山中;
為諸夜叉等, 亦說此深法。
夜叉此寶山, 如實修行人;
現見法行人, 乃能住此處。
夜叉今告汝, 我及諸佛子;
憐愍汝等故, 受汝施請說。』
如來略答竟, 寂靜默然住;
羅婆那羅剎, 奉佛花宮殿。
如來及佛子, 受已即皆乘;
羅婆那夜叉, 亦自乘華殿,
以諸婇女樂, 樂佛到彼城。
到彼妙城已, 羅婆那夜叉,
及其夜叉妻, 夜叉男女等;
更持勝供具, 種種皆微妙,
供養於如來, 及諸佛子等。
諸佛及菩薩, 皆受彼供養。
羅婆那等眾, 供養說法者;
觀察所說法, 內身證境界。
供養大慧士, 數數而請言:
『大士能問佛, 內身行境界。
我與夜叉眾, 及諸佛子等;
一切諸聽者, 咸請仁者問。
大士說法勝, 修行亦最勝;
我尊重大士, 請問佛勝行。
離諸外道邊, 亦離二乘過;
說內法清淨, 究竟如來地。』
爾時佛神力, 復化作山城;
崔嵬百千相, 嚴飾對須彌。
無量億花園, 皆是眾寶林;
香氣廣流布, 芬馥未曾聞。
一一寶山中, 皆示現佛身;
亦有羅婆那, 夜叉眾等住。
十方佛國土, 及於諸佛身;
佛子夜叉王, 皆來集彼山。
而此楞伽城, 所有諸眾等;
皆悉見自身, 入化楞伽中。
如來神力作, 亦同彼楞伽;
諸山及園林, 寶莊嚴亦爾。
一一山中佛, 皆有大智問;
如來悉為說, 內身所證法。
出百千妙聲, 說此經法已;
佛及諸佛子, 一切隱不現。
羅婆那夜叉, 忽然見自身;
在己本宮殿, 更不見餘物。
而作是思惟: 『向見者誰作?
說法者為誰? 是誰而聽聞?
我所見何法? 而有此等事;
彼諸佛國土, 及諸如來身。
如此諸妙事, 今皆何處去?
為是夢所憶? 為是幻所作?
為是實城邑? 為乾闥婆城?
為是翳妄見? 為是陽炎起?
為夢石女生? 為我見火輪?

「如来は七日もの間、大海の猛獣の中にいらっしゃった。 海を渡り、彼岸に到着され、出てすぐにお立ちになった。

羅婆那王は、妻や夜叉たち、 そして無数の眷属や、大いなる智慧ある大臣たちと共に、 叔迦婆羅那といった天の衆生たちも、 それぞれ皆、限りない神通力を現し、 美しい花の宮殿に乗って、皆揃って仏のもとへやって来た。 到着すると花の殿から降り、仏を礼拝し、供養した。

仏の持つ力によって、如来の御前で、 自らの名を告げた。『私は十の頭を持つ羅刹です。 どうか私と、この城の衆生を哀れんでください。 この楞伽城と、摩羅耶の宝山をお受け入れください。

過去の無数の仏が、この楞伽城の、 様々な宝山上で、御自身の体で証得された法を説かれました。 如来もまた、同じくこの宝山で、 過去の諸仏と同じように、そのような法を説いてください。 どうか仏の子らと共に、この清らかな法を説いてください。 私も楞伽の衆生も、皆、聴聞を望んでおります。

入楞伽経は、過去の仏が讚嘆された、 内なる身の智慧の境地であり、説かれた名前を離れたものです。 私は思い起こします、過去世において、無数の如来が、 仏の子らに囲まれて、この経典を説かれたことを。 如来は今日、我等のため、 そして全ての衆生のため、この甚深な法を説いてくださるはずです。 未来の諸世尊も、そして仏の子らも、 この宝山において、この深い法を説かれるでしょう。

この楞伽城は、天の宮殿よりはるかに微妙で、 壁は土や石ではなく、諸宝の網で覆われています。 これらの夜叉たちは、すでに過去の仏のもとで、 修行してあらゆる過ちを離れ、ついには大乗に安住しています。 内心をよく思惟し、如実に念と相応しています。 どうか仏は憐れみのゆえに、夜叉たちのために説いてください。 願わくは、仏、天人師よ、摩羅耶山に入り、 夜叉とその妻子が、摩訶衍を得られますように。

甕耳などの羅刹たちも、この城に住み、 過去の無数の億の諸仏に供養してきました。 今また、現在の大法王を供養することを願い、 内心の行いを聞き、摩訶衍を得ようと望んでいます。 どうか仏は、私と夜叉の衆生を憐れみ、 仏の子らと共に、この楞伽城に入ってください。

私の持つ宮殿、妻子や眷属、 宝冠や諸々の瓔珞、様々な荘厳の具、 アシュカの園林、種々の楽しいもの、 そして乗ってきた花の殿を、仏と大衆に施します。 私は如来のもとで、差し出さないものはございません。 どうか大牟尼尊よ、哀れんでお受け取りください。 私と仏の子らは、仏の説かれる法を受けます。 どうか仏は哀れみを垂れ、私たちのために受けて説いてください。』」

その時、三界の尊は、夜叉の請願を聞き終えると、 すぐに夜叉のために、過去・未来の仏について説かれた。 「夜叉よ、過去の仏は、この優れた宝山において、 夜叉を哀れむがゆえに、内なる身の証得の法を説かれた。 未来の仏もまた同じく、この宝山において、 夜叉たちのために、この深い法を説かれるだろう。 夜叉よ、この宝山は、如実に修行する人、 現に見て法を行ずる人こそ、ここに住むことができる。 夜叉よ、今、汝に告げる。私と諸仏の子らは、 汝らを憐れむがゆえに、汝の施しと請願を受け、説法しよう。」

如来がかいつまんで答え終え、静かに沈黙して留まられた。 羅婆那羅刹は、仏に花の宮殿を捧げた。 如来と仏の子らは、それを受け取ると、皆、それに乗った。 羅婆那夜叉もまた、自ら花の殿に乗り、 多くの天女の音楽をもって、仏を楽しませ、その城へと向かった。

その素晴らしい城に到着すると、羅婆那夜叉と、 その夜叉の妻、夜叉の男女子供たちは、 さらに勝れた供具、様々な微妙なものを用意し、 如来と諸仏の子らに供養した。 諸仏と菩薩たちは、皆、その供養をお受けになった。

羅婆那たちは、説法者に供養し、 説かれた法、内なる身の証得の境地を観察した。 そして大慧士に供養し、何度も請願して言った。 「大士よ、あなたが仏に、内なる身の行いの境地を問うてください。 私は夜叉の衆生と、諸仏の子ら、 全ての聴聞者と共に、あなたに質問をお願いします。 大士の説法は優れ、修行もまた最も優れています。 私は大士を尊び、仏の勝れた行いについて質問をお願いします。 あらゆる外道の辺見を離れ、また二乗の過ちをも離れ、 内なる法の清らかさを説き、如来の地を究め尽くしてください。」

その時、仏の神通力によって、さらに変化した山の城が作られた。 そびえ立つ百千の相を備え、須弥山に対抗して飾られていた。 無数の億の花園があり、全てが宝の林であり、 香りは広く流布し、その芳醇さは未だかつて聞いたことがないものだった。 一つ一つの宝山の中に、皆、仏の身が示現された。 そこにはまた、羅婆那や夜叉の衆生たちも住んでいた。 十方の仏国土や、諸仏の身、 仏の子、夜叉王たちも、皆、その山に集まって来た。

そして、この楞伽城にいる全ての衆生は、 皆、自らの身が変化した楞伽の中に入るのを見た。 如来の神通力によって作られたものも、また同じ楞伽であり、 諸々の山や園林、宝の荘厳も同じであった。 一々の山の中の仏には、皆、大慧の問いがあり、 如来はその全てに対して、内なる身の証得の法を説かれた。

百千の妙なる声を発して、この経典の法を説き終えると、 仏と諸仏の子らは、全て隠れて現れなくなった。 羅婆那夜叉は、ふと自分の身が、 自分の元の宮殿にいるのを見て、他には何も見えなかった。 そして、こう思惟した。 「今見たものは、誰がなしたのか? 説法したのは誰か? 誰がそれを聴聞したのか? 私が見たものは何なのか? このような事柄、 あの諸仏の国土、そして諸如来の身、 これら全ての素晴らしい事柄は、今、どこへ行ってしまったのか? これは夢に見たものか? 幻が作ったものか? これは実在の都市か? 乾闥婆の城か? これは翳(かすみ)による誤った見え方か? 陽炎の立ち上りか? 夢の中の石女の子か? 私が見た火輪か?」」

為見火輪烟? 我所見云何?』
復自深思惟: 『諸法體如是,
唯自心境界, 內心能證知。
而諸凡夫等, 無明所覆障;
虛妄心分別, 而不能覺知。
能見及所見, 一切不可得;
說者及所說, 如是等亦無。
佛法真實體, 非有亦非無;
法相恒如是, 唯自心分別。
如見物為實, 彼人不見佛;
不住分別心, 亦不能見佛。
不見有諸行, 如是名為佛;
若能如是見, 彼人見如來。
智者如是觀, 一切諸境界;
轉身得妙身, 是即佛菩提。』」

「火の輪が見え煙が見えるとは、それはいったい何を見ているのか。」 そうして自ら深く考えた。 「あらゆるものの本質はこのように、 ただ自己の心の領域であり、内なる心が自ら悟るものである。 しかし凡夫たちは無明に覆われ、 虛妄の心で分別し、それを覚り知ることができない。 見るものと見られるもの、そのすべては捉えがたく、 語る者と語られる言葉、そのようなものもまた存在しない。 仏法の真実の体は、あるのでもなく無いのでもない。 法の相は常にこのようであり、ただ自己の心による分別に過ぎない。 もし物を実在と見なすなら、その人は仏を見ることができない。 分別心に留まることも、また仏を見ることはできない。 あらゆる行(現象)を実在と見ないこと、これを仏という。 もしこのように見ることができるなら、その人は如来を見るのである。 賢者はこのようにあらゆる境涯を観察し、 身を転じて妙なる身を得る、これこそが仏の悟りである。」

爾時羅婆那十頭羅剎楞伽王,見分別心過,而不住於分別心中。以過去世善根力故,如實覺知一切諸論,如實能見諸法實相,不隨他教善自思惟覺知諸法,能離一切邪見覺知,善能修行如實行法,於自身中能現一切種種色像,而得究竟大方便解。善知一切諸地上上自體相貌,樂觀心、意、意識自體,見於三界相續身斷,離諸外道常見,因智如實善知如來之藏。善住佛地內心實智,聞虛空中及自身中出於妙聲,而作是言:「善哉,善哉!楞伽王!諸修行者悉應如汝之所修學。」復作是言:「善哉!楞伽王!諸佛如來法及非法如汝所見,若不如汝之所見者名為斷見。楞伽王!汝應遠離心意識,如實修行諸法實相;汝今應當修行內法,莫著外義邪見之相。楞伽王!汝莫修行聲聞緣覺諸外道等修行境界,汝不應住一切外道諸餘三昧,汝不應樂一切外道種種戲論,汝不應住一切外道圍陀邪見,汝不應著王位放逸自在力中,汝不應著禪定神通自在力中。楞伽王!如此等事,皆是如實修行者行,能降一切外道邪論,能破一切虛妄邪見,能轉一切見我見過,能轉一切微細識行修大乘行。楞伽王!汝應內身入如來地修如實行,如是修行者,得轉上上清淨之法。楞伽王!汝莫捨汝所證之道,善修三昧三摩跋提,莫著聲聞緣覺外道三昧境界以為勝樂,如毛道凡夫外道修行者,汝莫分別。楞伽王!外道著我見,有我相故虛妄分別,外道見有四大之相,而著色、聲、香、味、觸、法以為實有,聲聞緣覺見無明緣行以為實有,起執著心離如實空,虛妄分別專著有法,而墮能見所見心中。楞伽王!此勝道法,能令眾生內身覺觀,能令眾生得勝大乘能生三有。楞伽王!此入大乘行,能破眾生種種翳瞙、種種識波,不墮外道諸見行中。楞伽王!此是入大乘行,非入外道行,外道行者依於內身有我而行,見識色二法以為實故見有生滅。善哉!楞伽王!思惟此義,如汝思惟即是見佛。」

(羅婆那という十頭羅刹のラング王は、分別心の過ちを見極め、その分別心に留まらなかった。過去世における善根の力によって、あらゆる議論を如実に覚知し、諸法の実相をありのままに見ることができた。他者の教えに従うことなく、自らよく思惟して諸法を覚知し、あらゆる邪見の覚知を離れ、如実に行ずる法をよく修行し、自らの身の中にあらゆる種々の色像を現じ、究極の大方便の解釈を得た。あらゆる地上の自体の相貌をよく知り、心・意・意識の自体を観察することを喜び、三界に相続する身の断たれることを見て、諸々の外道の常見を離れ、因の智慧によって如来蔵を如実に熟知した。仏地の内心の実智に善く住し、虚空の中および自らの身の中から妙なる声が発せられるのを聞いて、こう言った。「善きかな、善きかな、ラング王よ。諸々の修行者は、すべて汝の修学するところの如くあるべきである。」またこう言った。「善きかな、ラング王よ。諸仏如来の法および非法は、汝の見るところの如くである。もし汝の見るところの如くならざるものは、これを断見という。ラング王よ、汝は心意識を遠離し、如実に諸法の実相を修行すべきである。今、汝は内法を修行すべきであって、外の義の邪見の相に執着してはならない。ラング王よ、汝は声聞・縁覚や諸々の外道などの修行する境界を修行してはならない。汝は一切の外道の諸々の余りの三昧に住すべきではない。汝は一切の外道の種々の戯論を楽しむべきではない。汝は一切の外道のヴェーダの邪見に住すべきではない。汝は王位の放逸・自在の力に執着すべきではない。汝は禅定・神通の自在の力に執着すべきではない。ラング王よ、このような事柄は、みな如実に修行する者の行いであり、一切の外道の邪論を降伏し、一切の虚妄の邪見を破り、一切の我見・見過を転じ、一切の微細な識の行いを転じて大乗の行を修するものである。ラング王よ、汝は内身をして如来の地に入らせ、如実の行を修すべきである。このように修行する者は、転じて上々清浄の法を得るのである。ラング王よ、汝は汝の証した道を捨ててはならない。よく三昧・三摩跋提を修し、声聞・縁覚・外道の三昧の境界に執着して、それを勝れた楽しいものと思ってはならない。毛道の凡夫や外道の修行者のように、汝は分別してはならない。ラング王よ、外道は我見に執着し、我相があるがゆえに虚妄に分別する。外道は四大の相があると見て、色・声・香・味・触・法に執着し、それを実有と思う。声聞・縁覚は無明を縁として行があるのを見て、それを実有と思う。執着心を起こし、如実の空を離れ、虚妄に分別して専ら有法に執着し、能見・所見の心の中に堕ちる。ラング王よ、この勝れた道の法は、衆生に内身の覚観をもたらし、衆生に勝れた大乗を得させ、三有を生じさせることができる。ラング王よ、この大乗に入る行いは、衆生の種々の翳瞙、種々の識の波を破り、外道の諸々の見の行の中に堕ちない。ラング王よ、これは大乗に入る行いであり、外道の行いに入るものではない。外道の行いをする者は、内身に我があると依って行い、識と色の二法を実有と思うがゆえに、生滅があると見るのである。善きかな、ラング王よ。この義を思惟せよ。汝の思惟するところは、すなわちこれ仏を見ることである。」)

爾時羅婆那楞伽王復作是念:「我應問佛,如實行法,轉於一切諸外道行,內心修行所觀境界,離於應佛所作應事更有勝法。所謂如實修行者證於法時,所得三昧究竟之樂,若得彼樂是則名為如實修行者,是故我應問大慈悲如來世尊。如來能燒煩惱薪盡,及諸佛子亦能燒盡,如來能知一切眾生心使煩惱,如來遍至一切智處,如來如實善能知解是相非相。我今應以妙神通力見於如來,見如來已,未得者得、已得者不退,得無分別三昧三摩跋提,得增長滿足如來行處。」

その時、羅婆那楞伽王は再びこう思った。 「私は仏に尋ねるべきだ。真実の行法とは何か。そして、いかなる外道の行いをも超え、内心の修行によって観ずる境地とは何か。また、応身仏のなすべき事業を離れた、さらに勝れた法があるのかどうかを。 すなわち、真実に修行する者が法を証する時、得る三昧の究竟の楽――もしその楽を得るならば、こそ真実の修行者と呼ばれるのである。ゆえに、私は大慈悲の如来世尊に問うべきである。 如来は煩悩の薪を尽くして焼き、また諸々の仏子たちもまたそれを焼き尽くす。如来は一切の衆生の心にある煩悩のしとりをすべて知り、如来はあらゆる智の境地に遍く至り、如来は真実に、しかとこの相・非相を了解されている。 今こそ私は、妙なる神通力をもって如来にお目にかかり、お会いしたならば、未だ得ざる者は得、既に得た者は退かず、無分別三昧三摩跋提を得、さらに如来の行くところの境地を増長し満足させていただこう。」

爾時世尊如實照知楞伽王應證無生法忍時至,憐愍十頭羅剎王故,所隱宮殿還復如本,身於種種寶網莊嚴山城中現。

その時、世尊は如実に、楞伽王が無生法忍を証得する時が来たことを悟られました。十頭の羅刹王を哀れみ、隠していた宮殿を元の通りに戻し、様々な宝の網で荘厳された山の城の中に、その身を現されました。

爾時十頭羅剎楞伽王,見諸宮殿還復如本,一一山中處處皆見有佛、世尊、應、正遍知,三十二相妙莊嚴身而在山中,自見己身遍諸佛前;又見一切諸佛國土,及諸國王念身無常,由貪王位妻子眷屬,五欲相縛無解脫期,便捨國土宮殿妻妾象馬珍寶施佛及僧,入於山林出家學道;又見佛子在山林中勇猛精進,投身餓虎師子羅剎以求佛道;又見佛子在林樹下讀誦經典為人演說以求佛道;又見菩薩念苦眾生坐於道場菩提樹下思惟佛道;又見一一佛前皆有聖者大慧菩薩說於內身修行境界;亦見一切夜叉眷屬圍遶而說名字章句。

その時、十頭の羅刹である楞伽王は、すべての宮殿が元の姿に戻っているのを見ました。さらに、山々の至る所に、仏、世尊、応供、正遍知が、三十二相という妙なる荘厳を備えた姿でおられるのを見ました。そして、自分自身の身がすべての仏の前に遍く現れているのを見ました。また、すべての仏の国土と、そこにいる諸々の王たちが、自らの身が無常であることを悟り、王位や妻子、眷属への執着、そして五欲に縛られて解脱の時がないことを悲しみ、国土や宮殿、妻妾、象や馬、宝などを仏と僧に施し、山林に入って出家して道を学ぶ様子も見ました。さらに、仏子たちが山林の中で勇猛精進し、飢えた虎や獅子、羅刹に身を投じて仏道を求める姿や、林の木の下で経典を読み誦し、人のために説法して仏道を求める姿も見ました。また、菩薩が苦しむ衆生を思い、道場の菩提樹の下に座って仏道を思惟する姿も見ました。さらに、それぞれの仏の前には、聖者である大慧菩薩がいて、内身の修行の境界について説いているのも見ました。そして、すべての夜叉の眷属が囲みながら、名前や章句を唱えているのも見ました。

爾時世尊智慧觀察現在大眾,非肉眼觀,如師子王奮迅視眄,呵呵大笑,頂上肉髻放無量光,肩脇腰髀胸卐德處及諸毛孔,皆放一切無量光明,如空中虹、如日千光,如劫盡時大火熾然猛炎之相,帝釋梵王四天王等,於虛空中觀察如來,見佛坐於須彌相對楞伽山頂上呵呵大笑。爾時菩薩眾、帝釋梵天四天王等作是思惟:「何因何緣如來、應、正遍知,於一切法中而得自在,未曾如是呵呵大笑,復於自身出無量光默然而住,專念內身智慧境界不以為勝,如師子視觀楞伽王念如實行?」

その時、世尊は智慧をもって現在の大衆を観察された。肉眼による観察ではない。獅子王が勢いよく周囲を見渡すように、はははと大笑いされた。頂上の肉髻から無量の光を放ち、肩、脇、腰、腿、胸の卍の徳が宿る箇所、そしてすべての毛穴からも、計り知れない無量の光明を放たれた。それはまるで空にかかる虹のようであり、千の光を放つ太陽のようであり、世界が終わる時に燃え盛る大火の炎のようであった。

帝釈天、梵天、四天王たちは虚空の中で如来を観察し、仏が須弥山に対面する楞伽山の頂上に座って大笑いされるのを見た。その時、菩薩たち、帝釈天、梵天、四天王たちはこう思った。「どのような理由と因縁によって、如来、応供、正遍知は、あらゆる法において自在を得ていながら、いまだかつてこのようにはははと大笑いされたことがなかった。また、自らの身体から無量の光を放ち、静かに留まり、内なる智慧の境地に専念して、それを最も優れたものとされている。獅子が楞伽王を見つめ、如実の行を念じるかのようである。」

爾時聖者大慧菩薩摩訶薩,先受楞伽羅婆那王所啟請已,念楞伽王,知諸一切大菩薩眾心行之法,觀察未來一切眾生,心皆樂於名字說法,心迷生疑如說而取,著於一切聲聞緣覺外道之行;諸佛世尊離諸一切心識之行能笑大笑,為彼大眾斷於疑心。而問佛言:「如來何因何緣何事呵呵大笑?」

その時、聖者である大慧菩薩摩耶は、まず楞伽王の要請を受けていました。 大慧菩薩は、楞伽王の心を知り、すべての大菩薩たちの心の働きや行動を見抜く方法をよく理解していました。 さらに、未来のすべての衆生を観察すると、彼らは皆、言葉や名前にこだわって説法を好み、心は迷いと疑いに満ち、言葉をそのまま真実だと受け取って執着し、声聞や縁覚、外道の行いに陥っていることがわかりました。 しかし、諸仏世尊はそうした心や意識の働きをすべて超えています。そこで、仏が呵々大笑(あっはっは)と笑われたのは、その集まりの人々の疑いの心を断ち切るためでした。 大慧菩薩は仏に向かって問いかけました。 「如来は、どのような因縁・理由で、呵々大笑されたのですか?」

佛告聖者大慧菩薩:「善哉!善哉!善哉大慧!復善哉大慧!汝能觀察世間妄想分別之心邪見顛倒,汝實能知三世之事而問此事,如汝所問,智者之問亦復如是,為自利利他故。大慧!此楞伽王曾問過去一切諸佛、應、正遍知如是二法,今復現在亦欲問我如是二法。此二法者,一切聲聞緣覺外道,未嘗知此二法之相。大慧!此十頭羅剎亦問未來一切諸佛如此二法。」

仏は聖者大慧菩薩に告げられた。「善きかな、善きかな。まことに善きかな、大慧よ。よくぞ、世間の人々の妄想や分別の心、邪見や顛倒を観察し、三世の事柄をよく知りながら、その問いを立てた。あなたの問いは、智者が自他の利益のために問う問いそのものである。大慧よ、この楞伽王は、かつて過去のすべての諸仏・応供・正遍知に、この二つの法を問うた。今もまた、私に同じ二つの法を問おうとしている。この二つの法の相は、声聞や縁覚、外道の者たちには、かつて知られることがなかった。大慧よ、この十頭羅刹もまた、未来のすべての諸仏に、同じこの二つの法を問うであろう。」

爾時如來知而故問羅婆那王而作是言:「楞伽王!汝欲問我,隨汝疑心今悉可問,我悉能答,斷汝疑心令得歡喜。楞伽王!汝斷虛妄分別之心,得地對治方便觀察,如實智慧能入內身如實之相三昧樂行三昧,佛即攝取汝身善住奢摩他樂境界中,過諸聲聞緣覺三昧不淨之垢,能住不動、善慧、法雲等地,善知如實無我之法,大寶蓮花王座上而坐,得無量三昧而受佛職。楞伽王!汝當不久自見己身亦在如是蓮花王座上而坐,法爾住持,無量蓮花王眷屬、無量菩薩眷屬,各各皆坐蓮花王座,而自圍遶迭相瞻視,各各不久皆得住彼不可思議境界。所謂起一行方便行住諸地中,能見不可思議境界,見如來地無量無邊種種法相,一切聲聞緣覺、四天王帝釋梵王等所未曾見。」

その時、如来はすでに知りながら、あえて羅婆那王に問いかけてこう言われました。「楞伽王よ、あなたは私に問いたいことがあるなら、その疑問のままに今すべて問いなさい。私はすべて答えることができ、あなたの疑いを断ち切って喜びを得させよう。

楞伽王よ、あなたは虚妄な分別の心を断ち切り、地(修行の段階)に対する対治法を身につけ、方便をもって観察し、如実の智慧によって内なる身の如実の相に入り、三昧の楽を行ずる三昧を得なさい。そうすれば、仏はあなたの身を摂受し、奢摩他(止)の楽の境地に安住させ、声聞や縁覚の三昧の不浄の汚れを超え、不動地、善慧地、法雲地などの位に安住し、如実な無我の法をよく知り、大宝蓮華王の座上に坐り、無量の三昧を得て、仏の職を受け継ぐことができるでしょう。

楞伽王よ、あなたは遠からず、自らの身もまた、このような蓮華王の座上に坐り、法のままに住持し、無量の蓮華王の眷属や無量の菩薩の眷属が、それぞれ蓮華王の座に坐り、互いに囲繞し合い、互いに見つめ合いながら、それぞれ皆、遠からずして、あの不可思議な境界に住することを、自らの目で見るでしょう。

いわゆる、一行の方便行を起こして諸地に住し、不可思議な境界を見ることができ、如来の地の無量無辺の種々の法相を見ることができるのです。これは、一切の声聞や縁覚、四天王、帝釈天、梵天などが、かつて見たことのないものです。

爾時楞伽王聞佛世尊聽己問已,彼於無垢無量光明大寶蓮花眾寶莊嚴山上,無量天女而自圍遶,現於無量種種異花、種種異香、散香塗香,寶幢幡蓋、寶冠瓔珞莊嚴身具;復現世間未曾聞見種種勝妙莊嚴之具;復現無量種種樂器,過諸天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊陀羅、摩睺羅伽人非人等所有樂具;復隨三界欲界、色界、無色界,所有樂具皆悉化作;復隨十方諸佛國土,所有種種勝妙樂具皆悉化作,化作無量大寶羅網,遍覆一切諸佛菩薩大眾之上;復竪無量種種寶幢。羅婆那王作如是等變化事已,身昇虛空高七多羅樹,住虛空中,雨種種伎樂、雨種種花,雨種種香、雨種種衣,滿虛空中如澍大雨,以用供養佛及佛子,雨供養已從上而下,於虛空中即坐第二電光明大寶蓮花王種種寶山上。

その時、羅刹王(らせつおう)は、仏世尊が自らの質問を聞き入れ、許可されたのを聞くと、垢(あか)や汚れのない、無量の光明を放つ大宝蓮華と、数々の宝で飾られた山の上で、無数の天女たちに囲まれていました。すると彼は、無数の様々な種類の花、様々な香り、散香や塗香、宝の幢(はた)、幡(ばん)、蓋(がい)、宝冠や瓔珞(ようらく)などの装身具を現し出しました。さらに、この世でまだ見たこともない、様々な素晴らしい荘厳の道具を現し出しました。また、天や龍、夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅伽(まごらが)といった人々やその他の生き物たちが持つ楽器を超える、無数の様々な楽器をも現しました。さらに、三界(欲界・色界・無色界)にあるすべての楽器を姿を変えて現し、十方の仏国土にある様々な素晴らしい楽器までもが、すべて姿を変えて現れました。そして、無数の大きな宝の網を出現させ、すべての仏と菩薩たちの大衆の上を広く覆いました。さらに、無数の様々な宝の幢を立てました。

羅刹王は、このような変化のわざをすべて終えると、自らの身を虚空に昇らせ、高さ七本の多羅樹(たらじゅ)の高さに達しました。虚空の中に留まり、そこから様々な楽器の雨、様々な花の雨、様々な香りの雨、様々な衣の雨を降らせました。虚空全体が大雨を注がれるかのようになり、仏と仏の子たち(菩薩たち)を供養しました。こうして供養を終えると、虚空から降りてきて、虚空の中で、第二の電光大宝蓮華王と名づけられた、様々な宝で飾られた山の上に座りました。

爾時如來見其坐已發於微笑,聽楞伽王問二種法。時楞伽王白佛言:「世尊!此二種法我已曾問過去諸佛應正遍知,彼佛世尊已為我說。世尊!我今現在依名字章句亦問如來,如來畢竟應為我說。世尊!應化化佛說此二法非根本如來。世尊!根本如來修集三昧樂境界者,不說心識外諸境界。善哉世尊!如來自身於一切法而得自在,惟願世尊、應、正遍知說此二法,一切佛子及我己身亦願欲聞。」

そこで如来は、彼(楞伽王)が座につくのを見て微笑まれ、楞伽王が二つの法について問うのを聴かれました。

その時、楞伽王が仏に申し上げました。「世尊よ、この二つの法については、私はすでに過去の諸仏・応供・正遍知に問い、それらの仏世尊はすでに私のために説いてくださいました。世尊よ、私は今、名や章句の形に依りながらも、同じ問いを如来にも差し上げます。どうか如来は、最終的には必ず私のために説いてください。世尊よ、応化の仏(化身仏)はこの二つの法を説きますが、それは根本の如来によるものではありません。世尊よ、根本の如来は三昧(深い瞑想)の楽しみの境地を修める方であり、心や識、あるいは外の諸々の境界については説かれません。有難いことです、世尊。如来ご自身はあらゆる法において自在を得ておられます。どうか願わくは、世尊よ、応供・正遍知たるあなたがこの二つの法を説いてください。すべての仏の子たちも、そして私自身も、ぜひともお聞きしたいと願っております。」

爾時世尊知而即告楞伽王言:「楞伽王!汝問此二法。」

そのとき、世尊はそれを知って、すぐに楞伽王に告げられました。 「楞伽王よ、あなたはこの二つの法についてお尋ねなさい。」

爾時夜叉王更著種種金冠瓔珞金莊嚴具而作是言:「如來常說:『法尚應捨,何況非法。』世尊!云何言二法捨?世尊!何者是法?何者非法?世尊!捨法云何有二?以墮分別相中。虛妄分別是有無法,無大有大。世尊!阿梨耶識知名識相,所有體相如虛空中有毛輪住,不淨盡智所知境界。世尊!法若如是,云何而捨?」

その時、夜叉王は様々な金の冠や瓔珞、金の装飾品を身にまとい、こう言った。「如来は常々『法すらも捨てるべきであり、ましてや非法はなおさらである』と説かれます。世尊よ、なぜ二つの法を捨てるとおっしゃるのですか?世尊よ、何が法であり、何が非法なのでしょうか?世尊よ、法を捨てることにどうして二つがあるのでしょう?それは分別の相に落ち込んでいるからです。虚妄の分別によって、有と無があるとされ、大がなく大があるとされます。世尊よ、阿梨耶識は識とその相を知るものであり、その体の相は虚空の中に毛輪が留まるようなものであり、不浄を尽くす智慧の知る境界であります。世尊よ、法がこのようなものであるならば、どうやって捨てるというのでしょうか?」

佛告楞伽王:「楞伽王!汝不見瓶等無常敗壞之法,毛道凡夫分別境界差別之相。楞伽王!何故不如是取?有法非法差別之相,依毛道凡夫分別心有,非聖證智以為可見。楞伽王!且置瓶等種種相事,毛道凡夫心謂為有,非謂聖人以為有法。楞伽王!譬如一火炎燒宮殿園林草木,見種種火光明色炎各各差別,依種種薪草木長短,分別見有勝負之相,此中何故不如是知有法非法差別之相?楞伽王!非但火炎依一相續身中見有種種諸相差別。楞伽王!如一種子一相續生牙莖枝葉華果樹林種種異相,如是內外所生諸法,無明及行、陰界入等一切諸法,三界所生皆有差別;現樂形相言語去來勝智異相,一相境界而取於相,見下中上勝相染淨善不善相。楞伽王!非但種種法中見差別相,覺如實道者內證行中亦有見於種種異相,何況法非法無分別種種差別相。楞伽王!有法非法種種差別相。

仏が楞伽王に告げられた。「楞伽王よ、あなたは瓶などの無常で壊れゆくものを見て、凡夫がそれぞれ異なる境界に執着する様子を理解しないのか。楞伽王よ、なぜそのように捉えないのか。有と非有の区別は、凡夫の分別心に基づいて存在するのであって、聖者の真実の智慧によって見られるものではないのだ。楞伽王よ、まず瓶などの様々な形をしたものを置いて考えよ。凡夫は心の中でそれが実在すると考えるが、聖者はそれを実在とは見なさない。楞伽王よ、例えば一つの火が宮殿や林や草木を焼く時、火の光や色や炎には様々な違いが見られる。それは薪や草木の長短に応じて、優れたもの劣ったものという区別が生じるからだ。ここでなぜ、有と非有の違いについて同様に理解しないのか。楞伽王よ、火の炎だけが一つの連続した体の中に、様々な相の違いを示すのではない。楞伽王よ、例えば一つの種子から芽、茎、枝、葉、花、果実、林と、連続して様々な異なる相が生じるように、内外に生じる一切の法もまた、無明や行、五陰・十八界・十二入などの全ての法が、三界に生じるものとして皆、違いを持つ。現れる楽の形相、言葉、来去、優れた智慧などの異なる相、一つの相の境界でありながら異なる相を取ることで、下・中・上の優れた相、清浄・不浄、善・不善の相が見られるのだ。楞伽王よ、様々な法の中に差別の相が見られるだけでなく、真実の道を覚った者には、内証の行の中にも様々な異なる相が見られることがある。ましてや、法と非法の無分別な様々な差別の相についてはなおさらである。楞伽王よ、法と非法には実に様々な差別の相が存在するのだ。」

「楞伽王!何者為法?所謂一切外道聲聞緣覺毛道凡夫分別之見,從因實物以為根本生種種法,如是等法應捨應離,莫取於相而生分別,見自心法計以為實。楞伽王!無瓶實法而毛道凡夫虛妄分別,法本無相,如實知觀名捨諸法。

「楞伽王よ。では、『法』とは何か。それは、あらゆる外道や声聞、縁覚、凡夫たちが分別によって生み出す見解のことである。すなわち、因果や実体あるものを根拠として、様々な観念を生み出す。これらの『法』は、すべて捨て去り、遠ざけるべきものである。姿かたちに執着して分別を起こしてはならず、自らの心が作り出したものを実在だと見なしてはならない。楞伽王よ、瓶のような実体ある法など存在しないのだ。それなのに凡夫たちは虚妄の分別を起こす。本来、法には形相がない。そのことをあるがままに観じ、知ること、これを『諸法を捨てる』というのである。」

「楞伽王!何等為非法?所謂無有身相,唯自心滅妄想分別,而諸凡夫見實法非實法,菩薩如實見如是捨非法。復次,楞伽王!何者復為非法?所謂兔馬驢駝角、石女兒等無身無相,而毛道凡夫取以為無,為世間義說於名字,非取相如彼瓶等法可捨,智者不取如是虛妄分別,兔角等名字法亦是可捨,是故捨法及非法。楞伽王!汝今問我法及非法云何捨?我已說竟。

楞伽王よ。「非法」とは何か。それはすなわち、あるがままの姿形がなく、ただ自己の心が妄想分別を滅しただけのものである。しかし凡夫たちは、実在するものを非実在と見たり、実在しないものを実在と見たりする。菩薩はありのままに観察し、このような「非法」を捨て去るのである。

さらに、楞伽王よ。もう一つ「非法」と言われるものがある。それはすなわち、兎や馬、驢馬、駱駝の角、石の娘などのように、そもそも姿形のないものである。ところが愚かな凡夫は、それを「無い」と捉え、世間の便宜のために名前だけを設ける。瓶などのように、その形相を捉えて捨てるべき性質のものではない。賢者はこのような虚妄の分別を取らない。兎の角などの名前だけのものもまた、捨てるべきものである。ゆえに、法と非法の両方を捨てるのである。

楞伽王よ。あなたは私に「法と非法をどのようにして捨てるのか」と尋ねた。私はすでに説き終えた。

「楞伽王!汝言:『我於過去應正遍知已問此法,彼諸如來已為我說。』楞伽王!汝言過去者即分別相,未來現在分別亦爾。楞伽王!我說真如法體是如實者亦是分別,如分別色為實際,為證實智樂修行無相智慧,是故莫分別如來為智身智體,心中莫分別,意中莫取我人命等。云何不分別?意識中取種種境界,如色形相如是莫取,莫分別可分別。

楞伽王よ、あなたは言いました。「私は過去において、すでに正しく悟りを開かれた如来たちにこの法を尋ね、その如来たちはすでに私のために説いてくださった」と。しかし、楞伽王よ、あなたが言う「過去」とは、すでに分別された相にすぎません。未来や現在についての分別も、また同じことです。

楞伽王よ、私は「真如の法体は如実である」と説きますが、これもまた分別です。例えば、色を分別して「これが実際である」とするのと同じです。真の智慧の楽しみを証し、無相の智慧を修行するためには、如来を「智身」や「智体」として分別してはなりません。

心の中で分別せず、意の中で「我」や「人」や「命」などの概念を取ってはなりません。

では、どのように分別しないのでしょうか。意識がさまざまな境界を取るとき、例えば色の形や姿に対して、それをそのまま取らず、分別すべきものを分別しないのです。

「復次,楞伽王!譬如壁上畫種種相,一切眾生亦復如是。楞伽王!一切眾生猶如草木無業無行。楞伽王!一切法非法無聞無說。楞伽王!一切世間法皆如幻,而諸外道凡夫不知。楞伽王!若能如是見如實見者名為正見,若異見者名為邪見,若分別者名為取二。楞伽王!譬如鏡中像自見像,譬如水中影自見影,如月燈光在屋室中影自見影,如空中響聲自出聲取以為聲,若如是取法與非法,皆是虛妄妄想分別;是故不知法及非法,增長虛妄不得寂滅。寂滅者名為一心,一心者名為如來藏,入自內身智慧境界,得無生法忍三昧。」

「さらに、ランカ王よ。たとえば壁に様々な絵が描かれているように、すべての衆生もまたそのようなものである。ランカ王よ。すべての衆生は、草木のように業も行いもない。ランカ王よ。すべての法は、法とも非法とも言えず、聞くことも説くこともない。ランカ王よ。すべての世間の法は幻のようなものであるが、外道や凡夫はそれを知らない。ランカ王よ。もしこのようにありのままに見るならば、それを正見という。もし異なる見方をするならば、それを邪見という。もし分別するならば、それを二つのものとして執着するという。ランカ王よ。たとえば鏡の中の像が自らの像を見るように、水中の影が自らの影を見るように、月や灯りの光が部屋の中で影が自らの影を見るように、また空中の響きが自らの声を発してそれを声として捉えるように、もしこのように法と非法を取るならば、それはすべて虚妄な妄想分別である。それゆえに法と非法を理解することができず、虚妄を増長させて寂滅を得ることがない。寂滅とは、一心のことをいう。一心とは、如来蔵のことをいう。自己の内なる智慧の境界に入り、無生法忍の三昧を得るのである。」


2 問答品(一)

CBETA コード: T0671

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません