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title: "入楞伽經 · 1"
description: "入楞伽经是大乘佛教重要经典菩提流支于元魏时期译出全称楞伽阿跋多罗宝经经文记述佛陀入楞伽山演说深法之场景核心阐述五法三自性八识二无我等唯识思想与如来藏思想融合阐明心识转变与修行次第此经为法相宗所依根本经论之一对汉传佛教唯识学发展影响深远是研究佛教心性论与修行观的关键典籍"
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### 總品第十八之一

> 総品第十八の一

爾時世尊，欲重宣此修多羅深義而說偈言：

> その時、世尊はこの経典の深い意味を重ねて説こうとされ、偈を唱えられました。

「如夏諸禽獸， 迷惑心見波；諸禽獸愛水， 彼水無實事。如是識種子， 見諸境界動；諸愚癡眾生， 如眼𪾼見物。思惟可思惟， 及離能思惟；見實諦分別， 能知得解脫。是諸法非堅， 虛妄分別生；虛妄分別空， 依彼空分別。五陰識等法， 如水中樹影；如見幻夢等， 識中莫分別。幻起尸機關， 夢電雲常爾；絕三相續法， 眾生得解脫。依諸邪念法， 是故有識生；八九種種識， 如水中諸波。依熏種子法， 常堅固縛身；心流轉境界， 如鐵依礠石。依止諸眾生， 真性離諸覺；遠離諸作事， 離知可知法。行如幻三昧， 出諸十地行；汝觀心王法， 離心境識相。時知心常轉， 即住恒不變；住蓮花宮殿， 如幻境界相。住彼勝處已， 得諸自在行；如摩尼現色， 作度眾生業。無有為無為， 除諸分別心；愚癡無智取， 如石女夢兒。寂靜及無生， 五陰人相續；因緣諸境界， 空有及非有。我說諸方便， 無如是實相；愚癡取實有， 無能相可相。我覺一切法， 而不覺一切；我有一切智， 而無一切智。凡夫愚分別， 自言世智者；我未曾覺知， 亦不覺眾生。一切法惟心， 諸陰如毛輪；輪相畢竟無， 何處有分別？本無始生物， 諸緣中亦無；石女兒空華， 若能見有為。爾時見可見， 見迷法即住；我不入涅槃， 不滅諸相業。滅諸分別識， 此是我涅槃；非滅諸法相， 愚癡妄分別。如瀑水竭盡， 爾時波不生；如種種識滅， 滅而不復生。空及無識相， 如幻本不生；有無離有無， 此諸法如夢。我說一實法， 離於諸覺觀；聖人妙境界， 離二法體相。如見螢火相， 種種而無實；世間見四大， 種種亦如是。如依草木石， 示現諸幻相；彼幻無是相， 諸法體如是。無取著可取， 無解脫無縛；如幻如陽焰， 如夢眼中瞖。若如是實見， 離諸分別垢；即住如實定， 彼見我無疑。此中無心識， 如虛空陽焰；如是知諸法， 而不知一法。離有無諸緣， 故諸法不生；三界心迷惑， 是故種種見。夢及世間法， 此二法平等；可見與資生， 諸觸及於量。身無常世間， 種種色亦爾；世間尊者說， 如是所作事。心三界種子， 迷惑見現未；知世間分別， 無如是實法。見世間如是， 能離諸生死；生及與不生， 愚癡迷惑見。不生及不滅， 修智慧者見；阿迦尼妙境， 離諸惡行處。常無分別行， 離諸心數法；得力通自在， 到諸三昧處。彼處成正覺， 化佛此中成；諸法不生滅， 諸法如是體。應化無量億， 彼體中出世；愚人聞佛法， 如響不思議。遠離初中後， 及離有無法；遍不動清淨， 無諸相現相。識性覆法身， 一切身中有；迷惑是幻有， 幻非迷惑因。心無迷惑法， 亦非不少有；心依二法縛， 阿梨耶識起。但心如是見， 我法如瀑水；觀世間如是， 爾時轉諸心。乃是我真子， 成就實法行；煖濕及堅動， 愚分別諸法。非實專念有， 無能相可相；八種物一身， 形相及諸根。愚分別諸色， 迷惑身羅網；諸因緣和合， 愚癡分別生。不知如是法， 流轉三界中；諸法及言語， 是眾生分別。而諸法是無， 如化如夢等；觀諸法如是， 不住世涅槃。心種種種子， 現見心境界；可見分別生， 愚癡樂二法。無智愛及業， 是心心法因；依他力法生， 故說他力法。依法分別事， 心迷惑境界；故不成分別， 迷惑邪分別。心依因緣縛， 是故生諸身；若離諸因緣， 我說不見法。離諸因緣法， 離於諸法相；不住諸法中， 我說不見境。如王長者等， 以種種禽獸；會集宅野中， 以示於諸子。我如是諸相， 種種鏡像法；內身智為子， 說於實際法。如大海波浪， 從風因緣生；能起舞現前， 而無有斷絕。阿梨耶識常， 依風境界起；

> 夏の禽獣が 惑わされて水に見える波を愛でるように、 その水に実体はない。 識の種子もまた、 諸々の境界の動きを見て、 愚かな衆生は 翳った目で物を見るが如し。 思うべきことを思うこと、 思うことを離れること、 真実の諦りを見て分別すれば、 解脱を知り得る。 諸法は堅固ならず、 虚妄の分別より生ず。 虚妄の分別は空なり、 その空に依って分別す。 五陰・識などの法は 水中の樹影の如し。 幻や夢を見るが如く、 識の中で分別すべからず。 幻は屍の機関より起こり、 夢・電・雲は常に然り。 三相続の法を絶てば、 衆生は解脱を得る。 諸々の邪念の法に依って、 故に識は生ず。 八・九の種々の識は 水中の諸波の如し。 薫る種子の法に依って、 常に堅固に身を縛る。 心は境界に流転し、 磁石に依る鉄の如し。 諸衆生に依止して、 真性は諸覚を離る。 諸々の作為を遠離し、 知るべき法を離る。 幻の三昧を行じ、 諸十地の行を出でよ。 心王の法を観よ、 心境識の相を離れて。 時に心の常に転ずるを知れば、 即ち恒に変わらぬところに住す。 蓮華の宮殿に住し、 幻の境界の相の如し。 その勝れたる処に住して已て、 諸々の自在の行を得る。 摩尼が色を現すが如く、 衆生を度す業を行ず。 有為も無為も無く、 諸々の分別の心を除く。 愚癡無智の取り執りは、 石女の夢の子の如し。 寂静及び無生、 五陰の人相続。 因縁の諸境界、 空有及び非有。 我は諸方便を説くも、 かくの如き実相は無し。 愚癡は実有を取り執り、 能相も可相も無し。 我は一切法を覚るも、 一切を覚らず。 我は一切智あれども、 一切智無し。 凡夫の愚かな分別は、 自ら世の智者と称す。 我は未だ曾て覚知せず、 また衆生を覚ぜず。 一切法は唯心なり、 諸陰は毛輪の如し。 輪相は畢竟無し、 何の処にか分別あらん。 本より始めの生じたる物無く、 諸縁の中にも亦無し。 石女の児、空華、 若し能く有為を見るならば。 爾の時に見るべきものを見、 見の迷う法に即住すれば、 我は涅槃に入らず、 諸相の業を滅さず。 諸々の分別識を滅すること、 これ我が涅槃なり。 諸法の相を滅することにあらず、 愚癡の妄分別なり。 瀑流の水が竭き尽くせば、 爾の時に波は生ぜず。 種々の識が滅するが如く、 滅して再び生ぜず。 空及び無識の相は、 幻の如く本より生ぜず。 有無は有無を離れて、 これらの諸法は夢の如し。 我は一つの実法を説く、 諸々の覚観を離れて。 聖人の妙なる境界は、 二法の体相を離る。 蛍火の相を見るが如く、 種々にして実無し。 世間の見る四大も、 種々にしてまたかくの如し。 草木石に依って、 諸々の幻相を示現す。 その幻に是の相無く、 諸法の体もかくの如し。 取著すべきものも無く、 解脱も縛も無し。 幻の如く、陽炎の如く、 夢の如く、眼中の翳の如し。 若しかくの如く実に見れば、 諸々の分別の垢を離れて、 即ち如実の定に住し、 彼は我を見て疑い無からん。 ここに心識無く、 虚空の陽炎の如し。 かくの如く諸法を知れども、 一つの法をも知らず。 有無の諸縁を離るれば、 故に諸法は生ぜず。 三界の心は迷惑し、 是の故に種々に見る。 夢及び世間の法、 この二法は平等なり。 見るべきものと資生、 諸触及び量。 身は無常の世間、 種々の色もまた然り。 世間の尊者は説く、 かくの如き所作の事を。 心は三界の種子、 迷惑して現未を見る。 世間の分別を知れば、 かくの如き実法は無し。 世間がかくの如きを見て、 能く諸生死を離る。 生及び不生、 愚癡の迷惑の見。 不生及び不滅、 智慧を修める者の見る所。 阿迦尼の妙境は、 諸々の悪行の処を離る。 常に無分別の行、 諸々の心数法を離れて。 力通自在を得て、 諸々の三昧の処に到る。 その処に正覚を成じ、 化仏ここに成る。 諸法は不生不滅、 諸法はかくの如き体なり。 応化無量億、 その体の中より出世す。 愚人、仏法を聞けば、 響きの如く不可思議。 初中後を遠離し、 及び有無法を離る。 遍く動かず清浄にして、 諸相の現れる相無し。 識性は法身を覆い、 一切の身の中に有り。 迷惑は幻の有なり、 幻は迷惑の因ならず。 心に迷惑の法無く、 また少しも有らざるにも非ず。 心は二法に依って縛られ、 阿梨耶識起こる。 ただ心のかくの如く見るが故に、 我が法は瀑流の水の如し。 世間をかくの如く観れば、 爾の時に諸心を転ず。 乃ち我が真の子なり、 実法の行を成就せよ。 煖・湿・堅・動、 愚かに分別する諸法。 実に専念すべき有にあらず、 能相も可相も無し。 八種の物、一つの身、 形相及び諸根。 愚かに諸色を分別し、 身の羅網に迷う。 諸因縁の和合より、 愚癡の分別生ず。 かくの如き法を知らざれば、 三界の中に流転す。 諸法及び言語は、 これ衆生の分別なり。 而して諸法は無なり、 化の如く、夢の如し。 諸法のかくの如きを観れば、 世も涅槃も住せず。 心の種々の種子、 現に見る心の境界。 見るべきものは分別より生じ、 愚癡は二法を楽しむ。 無智・愛及び業は、 これ心・心法の因なり。 他力の法に依って生ずる故に、 他力の法を説く。 法に依って分別する事、 心は境界に迷う。 故に分別を成さず、 迷惑の邪分別なり。 心は因縁に依って縛られ、 是の故に諸身を生ず。 若し諸因縁を離れば、 我は法を見ずと説く。 諸因縁の法を離れ、 諸法の相を離れて、 諸法の中に住せず、 我は境を見ずと説く。 王や長者などが 種々の禽獣を 屋敷や野原に集めて、 諸子に示すが如し。 我もかくの如く諸相、 種々の鏡像の法を 内身の智を子として、 実際の法を説く。 大海の波浪が 風の因縁より生じて 能く舞い現前し、 而して断絶無きが如く、 阿梨耶識は常に 風の境界に依って起こる。

種種水波識， 能舞生不絕。能取可取相， 眾生見如是；可見無諸相， 毛道如是見。阿梨耶本識， 意及於意識；離可取能取， 我說如是相。五陰中無我， 及無人眾生；生即諸識生， 滅即諸識滅。如畫中高下， 可見無如是；如是諸物體， 見無如是相。如乾闥婆城， 禽獸渴愛水；如是可見見， 智觀無如是。離可量及想， 非因亦非果；離能覺所覺， 離能見可見。依陰因緣覺， 無人見可見；若不見可見， 云何修彼法？因緣、因、譬喻， 立意及因緣；夢、乾闥婆、輪， 陽焰及日月，光焰幻等喻， 我遮諸法生；如夢幻迷惑， 空分別眾生。不依於三界， 內外亦皆無；見諸有不生， 乃得無生忍。得如幻三昧， 及於如意身；諸通及自在， 力、心種種法。諸法本不生， 空無法體相；彼人迷不覺， 隨因緣生滅。如愚癡分別， 心見於自心；見外種種相， 實無可見法。見骨相佛像， 及諸大離散；善覺心能知， 住持世間相。身住持資生， 可取三種境；識取識境界， 意識、分別三。分別可分別， 所有字境界；不能見實法， 彼覺迷不見。諸法無自體， 智慧者能覺；行者爾乃息， 住於無相處。如墨圖於雞， 愚取是我雞；如癡凡夫取， 三乘同是一。無諸聲聞人， 亦無辟支佛；所見聲聞色， 及見諸如來。諸菩薩大慈， 示現是化身；三界唯是心， 離二種體相。轉變彼諸相， 彼即是真如；法及人行相， 日月光焰熾。大諸摩尼寶， 無分別作事；諸佛法如是， 如瞖取毛輪。如是分別法， 愚癡虛妄取；離於生住滅， 及離常無常。可見染淨法， 如空中毛輪；如中莨菪人， 見諸像大地。一切如金色， 彼不曾有金；如是愚癡人， 無始心法染。幻陽焰生有， 愚人取為實；一子及無子， 大海是一子。亦是無量子， 汝觀心種子；一子如清淨， 轉於無種子。平等無分別， 起即是生死；能生種種子， 是故說種子。因緣不生法， 因緣不滅法；生法惟因緣， 心如是分別。三界惟假名， 實無事法體；妄覺者分別， 取假名為實。觀諸法實體， 我不遮迷惑；實體不生法， 觀是得解脫。我不見幻無， 說諸法是有；顛倒速如電， 是故說如幻。非本生如生， 諸因緣無體；無有處及體， 惟有於言語。不遮緣生滅， 不遮緣和合；遮諸愚癡見， 分別因緣生。實無識體法， 無事及本識；愚癡生分別， 如死尸惡覺。三界但是心， 諸佛子能見；即得種類身， 離作有為法。得力通自在， 及共相應法；現諸一切色， 心法如是生。而無心及色， 無始心迷惑；爾時修行者， 得見於無相。智慧中觀察， 不見諸眾生；相及事假名， 意取諸動法。我諸子過是， 無分別修行；乾闥婆城幻， 毛輪及陽焰。無實而見實， 諸法體如是；如心見諸法， 無如是體相。一切法不生， 但見迷惑法；毛道迷分別， 以住於二法。初識生分別， 種種熏種子；識如瀑水起， 斷彼則不生。種種念觀法， 若但心中生；如虛空壁中， 何故而不生？若有少相觀， 心則從緣生；若從因緣生， 不得言惟心。心取於自心， 無法無因生；心法體清淨， 虛空中無熏。虛妄取自心， 是故心現生；外法無可見， 是故說惟心。本識但是心， 意能念境界；能取諸境界， 故我說惟心。心常無記法， 意二邊取相；取現法是識， 彼是善不善。離二種識相， 是第一義門；說三乘差別， 寂靜無是相。若心住寂靜， 及行於佛地；是過去佛說， 現未亦如是。初七是心地， 寂靜第八地；二地是行處， 餘地是我法。自內身清淨， 是我自在地；自在究竟處， 阿迦尼吒現。如諸火焰等， 而出諸光明；種種心可樂， 化作於三界。或有先有化， 而化作三有；

> さまざまな水の波のような識は、絶え間なく生じ舞い上がる。 取るものと取られるものという相を、衆生はこのように見る。 見られるものには何の相もないのに、凡夫はこのように見る。 阿頼耶という根本識と、意と意識とを、 取られるものと取るものから離れたものとして、私はこのような相を説く。 五蘊の中に我はなく、人も衆生もない。 生じるとは諸識が生じることで、滅するとは諸識が滅することだ。 絵の中の高低のように、見られるものは実在しない。 このように諸々の物の本体も、見られるものとしての相はない。 乾闥婆の城や、渇いた獣が水と見る陽炎のように、 このように見られるものを見るが、智慧で観ればそのようではない。 量ることも想うことも離れ、因でも果でもない。 覚えるものと覚えられるものを離れ、見るものと見られるものを離れている。 五蘊という因縁によって覚えるが、人もなく見られるものも見られない。 もし見られるものを見なければ、どうしてその法を修めるのか？ 因縁、因、譬喩、立てられた意と因縁、 夢、乾闥婆の城、輪、陽炎、そして日月、 光の炎や幻などの譬喩で、私は諸法の生起を遮る。 夢や幻のように惑わされ、空を分別して衆生と見る。 三界に依らず、内も外も皆無い。 諸々の有が生じないと見て、初めて無生忍を得る。 幻のような三昧を得て、如意の身を得る。 諸々の神通と自在、力、心のさまざまな法。 諸法は本来生じず、空で実体も相もない。 人は迷って覚めず、因縁に従って生滅する。 愚かで分別するように、心が自らの心を見て、 外にさまざまな相を見るが、実に見られる法はない。 骨の相や仏像を見、諸々の元素が離散するのを見る。 善く覚めた心は知ることができ、世間の相を住み持つ。 身は資生を住み持ち、三種の境を取ることができる。 識は識の境界を取り、意識は分別して三となる。 分別するものと分別されるもの、すべての言葉の境界。 実在の法を見ることができず、その覚者は迷って見ない。 諸法には自らの実体がなく、智慧ある者がこれを覚る。 修行者はそこでようやく息み、無相の処に住する。 墨で描かれた鶏を、愚か者は「これが私の鶏だ」と取る。 愚かな凡夫が取るように、三乗は同じ一つのもの。 声聞の人もなく、辟支仏もない。 見られる声聞の色も、如来たちを見ることも。 諸菩薩の大慈は、化身として示現する。 三界はただ心のみ、二種の体相を離れている。 それらの相を転変させたもの、それがすなわち真如である。 法と人の行う相は、日月の光の炎のように輝く。 大いなる諸々の摩尼宝は、無分別に事をなす。 諸仏の法はこのようで、眼病で毛輪を見るようなもの。 このように分別する法を、愚かで虚妄な者が取る。 生・住・滅を離れ、常も無常も離れている。 見られる染められた法や清らかな法は、空の中の毛輪のよう。 莨菪を服用した人のように、諸々の像や大地を見る。 すべてが金色のように見えても、そこには金はなかった。 このように愚かな人は、始めのない心の法に染まっている。 幻や陽炎から生じた有を、愚人は実在と取る。 一つの子と子のないもの、大海は一つの子。 また無量の子でもある、汝は心の種子を観よ。 一つの子が清らかであるように、無種子に転じる。 平等で無分別、起こることがすなわち生死。 さまざまな種子を生じさせるゆえに、種子と説く。 因縁は法を生じさせず、因縁は法を滅させない。 法を生じさせるのはただ因縁、心はこのように分別する。 三界はただ仮の名、実は事も法体もない。 妄覚する者が分別し、仮の名を実在と取る。 諸法の実体を観て、私は惑いを遮らない。 実体は法を生じさせず、これを観て解脱を得る。 私は幻が無いとは見ず、諸法は有ると説く。 転倒は電光のように速い、ゆえに幻のようだと説く。 本来生じないものが生じたように、諸因縁には実体がない。 処も体もなく、ただ言葉があるのみ。 縁による生滅を遮らず、縁の和合を遮らない。 諸々の愚かな見解を遮り、因縁から生じると分別する。 実は識の体となる法はなく、事も根本識もない。 愚かで分別を生じ、死体のような悪い覚え方をする。 三界はただ心のみ、諸仏の子はこれを見て、 ただちに種類の身を得て、有為の法を作ることを離れる。 力と神通と自在、および相応する法を得て、 すべての色を現じ、心の法はこのように生じる。 しかも心も色もなく、始めのない心の迷い。 その時修行者は、無相を見ることを得る。 智慧の中で観察し、諸々の衆生を見ない。 相と事と仮名、意が諸々の動く法を取る。 私の諸子はこれを超え、無分別で修行する。 乾闥婆の城や幻、毛輪や陽炎。 実在しないのに実在と見る、諸法の体はこのようである。 心が諸法を見るように、そのような体相はない。 一切の法は生じず、ただ惑わされた法を見る。 凡夫は分別に迷い、二つの法に住するゆえ。 初めの識が分別を生じ、さまざまな種子を薫習する。 識は瀑流の水のように起こり、それを断てば生じない。 さまざまな念や観法が、もしただ心中に生じるなら、 虚空や壁の中に、なぜ生じないのか？ もし少しでも相を観れば、心は縁から生じる。 もし因縁から生じるなら、ただ心のみとは言えない。 心が自らの心を取る、法もなく因もなく生じる。 心法の体は清浄で、虚空の中に薫習はない。 虚妄に自らの心を取る、ゆえに心が現れて生じる。 外法には見られるものはなく、ゆえにただ心のみと説く。 根本識はただ心のみ、意は境界を念じることができる。 諸々の境界を取ることができる、ゆえに私はただ心のみと説く。 心は常に無記の法、意は二辺で相を取る。 現前の法を取るのが識、それは善でも不善でもある。 二種の識の相を離れることが、第一義の門である。 三乗の差別を説くが、寂静にはそのような相はない。 もし心が寂静に住し、仏地を行じるなら、 それは過去の仏が説いたことで、現在未来もまた同じ。 初めの七地は心地、寂静は第八地。 二地は行く処、残りの地は私の法。 自らの内身が清浄、これが私の自在の地。 自在の究竟の処、阿迦尼吒天が現れる。 諸々の火焰のように、光明を放ち出す。 さまざまな心が楽しみとなり、三界を作り出す。 あるいは先に化があり、それによって三有を化す。

彼處說諸法， 是我自在地。諸地無時節， 國土轉亦然；過諸心地法， 是住寂靜果。實無而謂實， 而見於種種；愚人顛倒取， 是種種顛倒。如無分別智， 有事不相應；以心非諸色， 是故無分別。諸禪及無量， 及無色三昧；諸相畢竟滅， 是故心中無。須陀洹果法， 往來及不還；及諸羅漢果， 一切心迷惑。空無常剎那， 愚分別有為；河種子譬喻， 分別剎那義。剎那無分別， 離諸所作法；一切法不生， 我說剎那義。有無說於生， 僧佉等妄說；一切法無說， 亦是彼人說。有四種記法， 一往答反問；分別差別答， 默答遮外道。世諦一切有， 第一義諦無；而實體無相， 是第一義諦。見於虛妄法， 是故說世諦；因於言語生， 無如是實體。無事有言語， 世諦中實無；是即顛倒事， 可見亦是無。若事顛倒有， 寂靜畢竟無；依於顛倒事， 及見諸法生。畢竟定是無， 即是無體相；所見諸種種， 熏習煩惱生。心見外迷惑， 現取於前境；分別無分別， 是空實相法。如幻像諸相， 如樹葉金色；是可見人見， 心無明熏習。聖人不見迷， 中間不見實；迷惑即是實， 以實即中間。遠離諸迷惑， 若能生諸相；即是其迷惑， 如眼瞖不淨。如瞖見毛輪， 依迷取諸法；於諸境界中， 愚癡取是法。諸法如毛輪， 陽炎水迷惑；三界如夢幻， 修行得解脫。分別可分別， 能生於分別；縛可縛及因， 六種解脫因。無地及諸諦， 無國土及化；佛辟支聲聞， 惟是心分別。人體及五陰， 諸緣及微塵；勝人自在作， 惟是心分別。心遍一切處， 一切處皆心；以心不善觀， 心性無諸相。五陰中無我， 我中無五陰；分別無是法， 而彼法非無。如愚癡分別， 有諸一切法；如是見實有， 一切應見實。一切法若無， 無染亦無淨；愚癡見如是， 彼法不如是。迷惑分別相， 是他力分別；彼相所有名， 是名分別相。名相是分別， 因緣事和合；若不生彼心， 是第一義相。報相佛實體， 及所化佛相；眾生及菩薩， 并十方國土。習氣法化佛， 及作於化佛；是皆一切從， 阿彌陀國出。應化所說法， 及報佛說法；修多羅廣說， 汝應知密意。所有佛子說， 及於諸如來；是皆化佛說， 非淳熟者說。是諸法不生， 而彼法非無；乾闥婆城幻， 如夢化相似。種種隨心轉， 惟心非餘法；心生種種生， 心滅種種滅。眾生妄分別， 無物而見物；無義惟是心， 無分別得脫。無始世戲論， 依止於煩惱；諸分別熏修， 是故邪見生。識無分別義， 真如是智境；轉彼是寂靜， 是諸聖境界。觀察義思惟， 諸凡夫思惟；念真如思惟， 諸佛淨思惟。分別諸法體， 一切法不生；依他力因緣， 眾生迷分別。他力若清淨， 離分別相應；轉彼即真如， 離分別是行。莫分別分別， 分別是無實；分別迷惑法， 取可取不盡。見外分別境， 分別是實體；心分別分別， 彼法因緣生。邪見見外義， 無義但是心；觀斟量相應， 能滅取可取。無諸外境界， 愚癡妄分別；熏習增長心， 似生於諸法。滅二種分別， 真如智境界；生於無法相， 不思議聖境。名相及分別， 實體二種相；正智及真如， 是成就實體。依父母和合， 阿梨耶意合；如蘇瓶等鼠， 共赤白增長。辟尸厚泡瘡， 不淨依節畫；業風長四大， 如諸果成熟。五及於五五， 及有九種孔；諸毛甲遍覆， 如是增長生。生如糞中蟲， 如人睡中寤；眼見色起念， 增長生分別。分別及專念， 齗齒脣和合；口始說言語， 如鸚鵡弄聲。諸外道說定， 大乘不決定；依眾生心定， 邪見不能近。我乘內證智， 妄覺非境界；如來滅世後， 誰持為我說？如來滅度後， 未來當有人；大慧汝諦聽， 有人持我法。

> そこでは諸法が説かれるが、それは私の自在な境地である。 諸々の境地に時節はなく、国土もまた転変する。 心の境地を超えた法こそ、寂静の果報に住するものである。 実在しないものを実在と見なし、種々の相を見る。 愚者は逆さまに捉え、これが種々の迷いである。 分別のない智慧のように、事象に執着せず対応する。 心は色ではないゆえに、分別がないのである。 諸々の禅定や無量の境地、無色の三昧も、 諸相が畢竟滅したなら、心の中には何もない。 預流果の法、一来果、不還果、 そして阿羅漢果でさえ、すべて心の迷いである。 空・無常・刹那を、愚かにも有為法と分別する。 川や種子の譬えで、刹那の意味を分別する。 刹那には分別がなく、造作された法から離れている。 一切の法は生じない、これが私の説く刹那の意味である。 有や無をもって生を説くのは、サーンキヤなどの妄説である。 一切の法は説かれない、これもまた彼らの説である。 四種の答え方がある。一往答、反問、 分別差別答、そして黙答で外道を遮る。 世俗諦では一切が有であり、第一義諦では無である。 実体は無相であることが、第一義諦なのである。 虚妄の法を見るゆえに、世俗諦を説く。 言葉によって生じたもので、そのような実体はない。 事実なくして言葉があるが、世俗諦の中に実在はない。 これが迷いの事象であり、見えるものもまた無である。 もし事象が迷いとして存在するなら、寂静は畢竟無である。 迷いの事象に依り、諸法の生起を見る。 畢竟定は無であり、すなわち無相である。 見られる種々の相は、煩悩の熏習によって生じる。 心が外に迷いを見、眼前の境界を捉える。 分別と無分別、これが空の実相の法である。 幻の像のような諸相、金色の木の葉のように、 これは見える人が見るもので、心の無明の熏習である。 聖人は迷いを見ず、中間に実在を見ない。 迷いそのものが実在であり、実在は中間にある。 諸々の迷いから遠離し、もし諸相を生じさせるなら、 それがその迷いであり、目の翳のように不浄である。 翳で毛輪を見るように、迷いによって諸法を捉える。 諸々の境界の中で、愚か者はこの法を捉える。 諸法は毛輪のようであり、陽炎や水に迷うように。 三界は夢幻のごとく、修行によって解脱を得る。 分別すべき対象と分別する働きが、分別を生み出す。 縛られるもの、縛るもの、その原因、六種の解脱の因。 地も諸諦もなく、国土も化現もない。 仏も辟支仏も声聞も、ただ心の分別である。 人体と五蘊、諸縁と微塵、 勝れた人が自在に作るものも、ただ心の分別である。 心は一切に遍く、一切は皆心である。 心を善く観ずれば、心の本性には諸相がない。 五蘊の中に我はなく、我の中に五蘊はない。 分別にはこの法はなく、しかもその法は無ではない。 愚かな分別のように、一切の法があるとし、 このように実在を見るなら、一切は実在と見られるべきである。 一切の法がもし無なら、染も浄もない。 愚か者はこのように見るが、その法はそうではない。 迷いの分別の相は、他力の分別である。 その相に付けられた名が、分別の相と呼ばれる。 名と相は分別であり、因縁の事が和合する。 もしその心が生じなければ、それが第一義の相である。 報身の仏の実体、そして化仏の相、 衆生と菩薩、そして十方の国土。 習気の法である化仏、そして化仏を作ることも、 これらすべては、阿弥陀仏の国から出る。 応化の説く法、そして報身仏の説く法、 経典に広く説かれているが、あなたはその密意を知るべきである。 すべての仏子の説、そして諸如来の説も、 これらは皆化仏の説であり、熟達した者の説ではない。 これらの法は生じないが、しかもその法は無ではない。 乾闥婆城の幻のように、夢や化現に似ている。 種々の相は心に従って転じ、ただ心のみで他に法はない。 心が生ずれば種々が生じ、心が滅すれば種々が滅する。 衆生は妄分別し、物がないのに物を見る。 実体なくただ心のみ、無分別によって解脱を得る。 無始以来の戯論は、煩悩に依って止まる。 諸々の分別の熏習によって、邪見が生じる。 識の無分別の義は、真如が智の境である。 それを転じたものが寂静であり、諸聖の境界である。 義を観察する思惟、諸凡夫の思惟、 真如を念ずる思惟、諸仏の清浄な思惟。 諸法の体を分別すれば、一切の法は生じない。 他力の因縁によって、衆生は迷い分別する。 他力がもし清浄なら、分別の相から離れて相応する。 それを転じれば真如となり、分別を離れることが修行である。 分別を分別するな、分別は実体がない。 分別は迷いの法であり、取るものと取られるものは尽きない。 外に分別の境界を見て、分別を実体とする。 心が分別を分別するが、その法は因縁によって生じる。 邪見は外の義を見るが、実体なくただ心のみ。 観察と斟量に相応すれば、取るものと取られるものを滅ぼせる。 外の境界はなく、愚か者が妄分別する。 熏習が心を増長させ、諸法が生じたように見える。 二種の分別を滅すれば、真如の智の境界である。 法の相のないところに生じる、不可思議な聖なる境。 名と相と分別、実体の二種の相、 正智と真如、これが成就された実体である。 父母の和合に依り、阿頼耶識と意が和合する。 蘇瓶の中の鼠のように、赤白が共に増長する。 胎児は厚い泡の瘡のようで、不浄な節に依って描かれる。 業風が四大を成長させ、諸々の果実が熟すように。 五根と五境、そして九種の穴、 諸々の毛や爪が遍く覆い、このように増長して生じる。 生は糞中の虫のようであり、人が眠りから覚めるように。 眼が色を見て念が起こり、増長して分別が生じる。 分別と専念、歯と唇が和合し、 口が初めて言葉を発する、鸚鵡が声を弄ぶように。 諸外道は定を説くが、大乗は決定しない。 衆生の心の定に依れば、邪見は近づけない。 私の乗は内証の智であり、妄覚の境界ではない。 如来が世を滅した後、誰が私に説き持つだろうか。 如来が滅度した後、未来に必ず人が現れる。 大慧よ、よく聞け、私の法を持つ者がいる。

於南大國中， 有大德比丘；名龍樹菩薩， 能破有無見。為人說我法， 大乘無上法；證得歡喜地， 往生安樂國。智慧觀察法， 不見實法體；是故不可說， 及說亦無體。若因緣生法， 不得言有無；因緣中有物， 愚分別有無。邪見二邪法， 我知離我法；一切法名字， 無量劫常學。以學復更學， 迭共相分別；若不說諸名， 諸世間迷惑。是故作名字， 為除迷惑業；依三種分別， 愚癡分別法。依名迷分別， 及因緣能生；法不滅不生， 自性如虛空。法無體是體， 分別相即體；影像及於幻， 陽焰與夢響，火輪乾闥婆， 諸法如是生；不二真如空， 實際及法體。我說無分別， 成就彼法相；口心境界虛， 實乃立虛妄。心墮於二邊， 是故立分別；有無墮二邊， 以在心境界。遠離諸境界， 爾時正滅心；以離取境界， 彼滅非有無。如聖人境界， 愚人不能知；有滅住真如， 智慧者能見。如彼諸法住， 智慧者能見；法體不如是， 以諸法無相。愚癡人見鐵， 分別以為金；非金而見金， 外道取法爾。本無言始生， 始生後還滅；從因緣有無， 此說非我教。無始無終法， 無始是相住；以世間住相， 邪覺者不知。過去法是有， 未來法非無；現在法亦有， 不應言法生。轉時及行相， 諸大及諸根；虛妄取中陰， 若取非覺者。一切佛世尊， 不說因緣生；因緣即世間， 如乾闥婆城。但法緣和合， 依此法生法；離諸和合法， 不滅亦不生。鏡及於水中， 眼及器摩尼；而見諸鏡像， 諸影像是無。如獸愛空水， 見諸種種色；種種似如有， 如夢石女兒。我乘非大乘， 非聲亦非字；非諦非解脫， 非寂靜境界。而我乘大乘， 諸三昧自在；身如意種種， 自在花莊嚴。一體及別體， 因緣中無法；略說諸法生， 廣說諸法滅。不生空是一， 而生空是二；不生空是勝， 生滅即是空。真如空實際， 涅槃與法界；身及意種種， 我說異名法。經毘尼毘曇， 分別我清淨；依名不依義， 彼不知無我。非外道非佛， 非我亦非餘；從緣成有法， 云何無諸法？何人成就有？ 從因緣說無；說法生邪見， 有無妄分別。若人見不生， 亦見法不滅；彼人離有無， 見世間寂靜。眾生分別見， 可見如兔角；分別是迷惑， 如禽愛陽焰。虛妄分別法， 依彼分別見；無因緣分別， 無因不應分。無水而取水， 如獸妄生愛；愚癡如是見， 聖者無如是。聖人見清淨， 以生三解脫；離諸生死法， 修行寂靜處。深快妙方便， 知國土妙事；我為諸子說， 不為諸小乘。三有是無常， 空無我離我；同相及別相， 我為聲聞說。不著一切法， 離世間獨行；我說緣覺果， 非思量境界。分別外實體， 從他力故生；見自身迷惑， 爾時轉諸心。十地即初地， 初地即八地；九地即七地， 七地即八地。二地即三地， 四地即五地；三地即六地， 寂靜無次第。諸法常寂靜， 修行者無法；有無法平等， 爾時聖得果。諸法無體相， 云何於無法？而能作平等， 寂寂無分別。若不見諸心， 內及外動法；爾時滅諸法， 已見平等心。愚無始流轉， 取法如懷抱；誑凡夫而轉， 如因榍出榍。依彼因及觀， 共意取境界；依於識種子， 能作於心因。修得及住持， 隨種類身得；及夢中所得， 是通有四種。夢中所得通， 及於諸佛恩；取種類身得， 彼通非實通。熏種子熏心， 似有法生轉；愚人不覺知， 為說生諸法。分別於外物， 諸法相成就；爾時心悶沒， 不見自迷惑。『何故說於生？ 何故說無見？不可見而見， 願必為我說。為於何等人？ 說何等法有？

> 南の大国に、大徳の比丘あり。 名を龍樹菩薩と曰い、有無の見を破ること能く、 人に我法を説き、大乗の無上の法を説く。 歓喜地を証得し、安楽国に往生す。 智慧をもって法を観察すれば、実法の体を見ず。 是の故に説くべからず、及び説くも亦た体無し。 若し因縁より生ずる法は、有無を言うことを得ず。 因縁の中に物有りと、愚者は分別して有無とす。 邪見の二邪法、我は我法を離るるを知る。 一切の法の名字、無量劫に常に学ぶ。 学びて復た更に学び、迭りに共に相分別す。 若し諸の名を説かずば、諸の世間は迷惑す。 是の故に名字を作し、迷惑の業を除かんが為なり。 三種の分別に依りて、愚癡は法を分別す。 名に依りて迷い分別し、及び因縁の能く生ずるを。 法は滅せず生ぜず、自性は虚空の如し。 法は体無きを是れ体とし、分別の相即ち体なり。 影像及び幻、陽炎と夢の響き、 火輪と乾闥婆、諸の法は是の如く生ず。 不二の真如空、実際及び法体。 我は無分別を説き、彼の法相を成就せしむ。 口と心の境界は虚しく、実には虚妄を立てる。 心は二辺に堕ち、是の故に分別を立てる。 有無は二辺に堕ち、心の境界に在るが故に。 諸の境界を遠離すれば、爾の時に正に心を滅す。 境界を取ることを離るるを以て、彼の滅は有無に非ず。 聖人の境界の如く、愚人は能く知ること能わず。 有の滅は真如に住し、智慧者は能く見る。 彼の諸の法の住する如く、智慧者は能く見る。 法体は是の如くに非ず、諸の法は相無きを以て。 愚癡人は鉄を見て、分別して金と為す。 金に非ずして金を見る、外道の法を取るは爾り。 本無言より始めて生じ、始生して後還って滅す。 因縁より有無有り、此の説は我が教に非ず。 無始無終の法、無始は是れ相の住するなり。 世間の住する相を以て、邪覚者は知らず。 過去の法は是れ有り、未来の法は無に非ず。 現在の法も亦た有り、法の生ずるを言うべからず。 転時及び行相、諸の大及び諸の根、 虚妄に中陰を取る、若し取れば覚者に非ず。 一切の仏世尊、因縁の生ずるを説かず。 因縁は即ち世間、乾闥婆城の如し。 但だ法の縁和合に依り、此の法より法を生ず。 諸の和合法を離れば、滅せず亦た生ぜず。 鏡及び水中に、眼及び器の摩尼に、 諸の鏡像を見る、諸の鏡像は是れ無し。 獣の空水を愛するが如く、諸の種種の色を見る。 種々有るに似たり、夢の石女の児の如し。 我が乗は大乗に非ず、声に非ず亦た字に非ず。 諦に非ず解脱に非ず、寂静の境界に非ず。 而るに我は大乗に乗り、諸の三昧自在に、 身如意種々、自在の花荘厳す。 一体及び別体、因縁の中に法無し。 略説すれば諸の法は生じ、広説すれば諸の法は滅す。 生ぜざる空は是れ一、而して生ずる空は是れ二。 生ぜざる空は是れ勝れ、生滅は即ち是れ空なり。 真如空実際、涅槃と法界、 身及び意種々、我は異名の法を説く。 経毘尼毘曇、我清浄を分別す。 名に依りて義に依らず、彼は無我を知らず。 外道に非ず仏に非ず、我に非ず亦た余に非ず。 縁より成りて法有り、云何ぞ諸の法無からんや？ 何人か有を成就せん、因縁より無を説く。 法を説きて邪見を生じ、有無を妄に分別す。 若し人、生ぜざるを見、亦た法の滅せざるを見れば、 彼の人は有無を離れ、世間の寂静を見る。 衆生の分別の見、見るべきこと兎角の如し。 分別は是れ迷惑、禽の陽炎を愛するが如し。 虚妄に分別する法、彼の分別の見に依る。 因縁無くして分別す、因無ければ応に分くべからず。 水無くして水を取る、獣の妄に愛を生ずるが如し。 愚癡は是の如く見る、聖者は是の如く無し。 聖人は清浄を見、以て三解脱を生ず。 諸の生死の法を離れ、寂静の処を行ず。 深く快き妙方便、国土の妙事を知り、 我は諸の子の為に説く、諸の小乗の為に非ず。 三有は是れ無常、空無我我を離る。 同相及び別相、我は声聞の為に説く。 一切の法に著かず、世間を離れて独行す。 我は縁覚の果を説く、思量の境界に非ず。 外の実体を分別し、他力より故に生ず。 自身の迷惑を見、爾の時に諸の心を転ず。 十地は即ち初地、初地は即ち八地、 九地は即ち七地、七地は即ち八地。 二地は即ち三地、四地は即ち五地、 三地は即ち六地、寂静にして次第無し。 諸の法は常に寂静、修行者は法無し。 有無の法平等、爾の時に聖は果を得る。 諸の法は体相無し、云何ぞ無法に於いて、 能く平等を作し、寂寂として分別無からんや。 若し諸の心を見ず、内及び外の動く法を、 爾の時に諸の法を滅し、已に平等の心を見る。 愚は無始より流転し、法を取ること懐抱の如し。 凡夫を誑かして転ず、榍を以て榍を出すが如し。 彼の因及び観に依り、共に意して境界を取る。 識の種子に依りて、能く心の因を作す。 修得及び住持、種類の身に随って得、 及び夢中に得る所、是れ通に四種有り。 夢中に得る所の通、及び諸の仏の恩、 種類の身を得るを取る、彼の通は実の通に非ず。 種子を熏し心を熏し、似たる法の生転ずる有り。 愚人は覚知せず、為に生ずる諸の法を説く。 外の物に於いて分別し、諸の法の相成就す。 爾の時に心悶没し、自らの迷惑を見ず。 『何の故に生を説くや？何の故に無見を説くや？ 見るべからずして見る、願わくは必ず我に為に説け。 何等人の為にか？何等の法の有るを説くや？』

為於何等人？ 說何等法無？』心體自清淨， 意起共諸濁；意及一切識， 能作熏種子。阿梨耶出身， 意出求諸法；意識取境界， 迷惑見貪取。自心所見法， 外法無外法；如是觀迷惑， 常憶念真如。修禪者境界， 業諸佛大事；此三不思議， 是智者境界。過現及未來， 涅槃及虛空；我依世諦說， 真諦無名字。二乘及外道， 等著於邪見；迷沒於心中， 分別於外法。緣覺佛菩提， 羅漢見諸佛；菩提堅種子， 及夢中成就。『何處為何等？ 云何為何因？所為為何義？ 惟願為我說。』幻心去寂靜， 有無朋黨說；心中迷堅固， 說有幻無幻。生滅相相應， 相可相有無；分別惟是意， 共於五種識。鏡像水波等， 從心種子生；若心及於意， 而諸識不生。時得如意身， 乃至於佛地；諸緣及陰界， 是法自體相。假名及人心， 如夢如毛輪；世間如幻夢， 見依止得實。諸相實相應， 離諸斟量因；諸聖人內境， 常觀諸妙行。迷覆斟量因， 令世間實解；離一切戲論， 智不住迷惑。諸法無體相， 空及常無常；心住於愚癡， 迷惑故分別。說是諸法者， 非說於無生；一二及於二， 忽然自在有。依時勝微塵， 緣分別世間；世種子是識， 依止彼因生。如依壁畫像， 知實即是滅；如人見於幻， 見生死亦爾。愚癡人依闇， 縛及解脫生；內外諸種種， 諸法及因緣。如是觀修行， 住於寂靜處；熏習中無心， 心不共熏習。心無差別相， 熏習纏於心；如垢見熏習， 意從於識生。如帛心亦爾， 依熏習不顯；如物非無物， 我說虛空然。阿梨耶身中， 離於有無物；意識轉滅已， 心離於濁法。覺知一切法， 故我說心佛；斷絕於三世， 離於有無法。世法四相應， 諸有悉如幻；是二法體相， 七地從心生。餘地亦成就， 二地及佛地；色界及無色， 欲界及涅槃。一切心境界， 不離於身中；若見諸法生， 是生迷惑法。覺自心迷惑， 是不生諸法；無生法體相， 生即著世間。見諸相如幻， 法體相如是；自心虛妄取， 莫分別諸法。為癡無智說， 三乘與一乘；及說於無乘， 諸聖人寂靜。我法有二種， 相法及於證；四種斟量相， 立量相應法。形及相勝種， 見迷惑分別；名字及行處， 聖行實清淨。依分別分別， 故有分別相；離分別分別， 實體聖境界。常恒實不變， 性事及實體；真如離心法， 遠離於分別。若無清淨法， 亦無有於染；以有清淨心， 而見有染法。清淨聖境界， 是故無實事；是諸法體相， 聖人之境界。從因生世間， 離於諸分別；如幻與夢等， 見法得解脫。煩惱熏種種， 共心相應生；眾生見外境， 非諸心法體。心法常清淨， 非是迷惑生；迷從煩惱起， 是故心不見。迷惑即真實， 餘處不可得；非陰非餘處， 觀陰行如實。離見能見相， 若見有為法；見自心世間， 彼人能離相。莫見惟心法， 莫分別外義；住於真如觀， 過於心境界。過心境界已， 遠離諸寂靜；修行住寂靜， 行者寂靜住。不見摩訶衍， 自然云寂靜；依諸願清淨， 智無我寂靜。應觀心境界， 亦觀智境界；智慧觀境界， 不迷於相中。心境界苦諦， 智境界是集；二諦及佛地， 是般若境界。得果及涅槃， 及於八聖道；覺知一切法， 得清淨佛智。眼色及於明， 虛空與心意；如是等和合， 識從梨耶生。能取可取受， 無名亦無事；無因分別者， 若取於覺者。於義中無名， 名中義亦爾；因無因而生， 莫分別分別。一切法無實， 言語亦復然；空不空義爾， 愚癡見法是。妄取於實住， 邪見說假名；一法成五種， 如實能遠離。五種是魔法， 超越過有無；非修行境界， 是外道之法。不求有邪法， 亦無相見我；以作自常法， 惟從言語生。

> 一体、誰に対して、何の法を説くのか？ 心の本体は元来清浄だが、意が起こると諸々の濁りをともなう。 意と一切の識は、種子を薫習する働きをする。 阿頼耶識から身が生じ、意は諸法を求め出す。 意識は境界をとらえ、迷いによって貪りを生じる。 自心の見る法であって、外に法はない。 このように迷いを観じ、常に真如を憶念する。 禅を修める者の境界、業、諸仏の大事業。 この三つは思議を超え、智者（智慧ある者）の境界である。 過去・現在・未来、涅槃と虚空。 私は世俗諦に依って説くが、真諦には名もない。 二乗や外道は、邪見に執着し、 心の中に迷い沈み、外法を分別する。 縁覚の仏菩提、羅漢の諸仏を見ること。 菩提の堅固な種子、そして夢の中での成就。 「どこで、何が、どのように、何のために、 何の意味で行われるのか、どうか私に説いてください。」 幻の心は寂静を離れ、有無の偏った説をなす。 心の中の迷いは固く、幻がある、幻がないと説く。 生滅の相が相応し、相と可相に有無がある。 分別はただ意によるもので、五種の識とともにある。 鏡像や水の波などは、心の種子から生じる。 もし心と意があっても、諸識が生じなければ、 その時、如意の身を得て、ついに仏地に至る。 諸縁と五陰・十八界は、これら法の自らの体相である。 仮名と人の心は、夢や陽炎のよう。 世間は幻の夢のごとく、見ることに依って実体を得ると思い込む。 諸相は実相に相応し、あらゆる推量の因を離れている。 諸聖人の内なる境界は、常に妙なる行いを観じている。 迷いが推量の因を覆い、世間に実解を生じさせる。 一切の戯論を離れ、智慧は迷いに住しない。 諸法には体相がなく、空であり、常でも無常でもない。 心が愚癡に住すれば、迷いゆえに分別する。 これらの法を説くことは、無生を説くことではない。 一と二、そして二から、忽然と自在に有が現れる。 時と勝れた微塵に依り、縁によって世間を分別する。 世間の種子は識であり、それに依って因が生じる。 壁の絵像を見て、実体を知れば即ち滅するように、 人が幻を見るように、生死を見るのもまた同じ。 愚癡な人は闇に依り、縛と解脱が生じる。 内外の諸々の種々相、諸法と因縁。 このように観じて修行し、寂静な処に住する。 薫習の中に心はなく、心は薫習とともにならない。 心に差別の相はないが、薫習が心にまとわりつく。 垢が見えるように薫習し、意は識から生じる。 布のように心もまた、薫習に依って顕れない。 物が無いわけではないように、私は虚空もそうだと説く。 阿頼耶識の身の中には、有るものも無いものも離れている。 意識の転変が滅し終われば、心は濁った法を離れる。 一切の法を覚知するゆえ、私は心仏と説く。 三世を断絶し、有無の法を離れる。 世間の法は四つの相応があり、諸々の有はみな幻のよう。 これら二つの法の体相は、七地から心より生じる。 他の地もまた成就し、二地と仏地。 色界と無色界、欲界と涅槃。 一切の心の境界は、身の中を離れない。 もし諸法の生じるのを見れば、それは迷いの法を見ていること。 自心の迷いに気づくこと、それは諸法が生じないと知ること。 無生の法の体相は、生じると見れば世間に執着する。 諸相が幻の如く見え、法の体相もまたそうである。 自心が虚妄に取り執わる、諸法を分別してはならない。 愚癡で智慧なき者に説く、三乗と一乗。 そして無乗をも説く、諸聖人は寂静である。 私の法には二種あり、相法と証法。 四種の推量の相、立量の相応する法。 形と相と勝れた種、見る迷いの分別。 名前と行う処、聖者の行いは実に清浄。 分別に依って分別する、ゆえに分別の相がある。 分別を離れて分別する、実体は聖者の境界。 常恒で実に変わらず、性と事と実体。 真如は心の法を離れ、分別を遠く離れている。 もし清浄な法がなければ、染まった法もまたない。 清浄な心があるゆえに、染まった法があると見える。 清浄な聖者の境界は、それゆえ実事がない。 これら諸法の体相は、聖人の境界である。 因から世間が生じ、諸々の分別を離れている。 幻や夢などのように、法を見て解脱を得る。 煩悩が種々を薫習し、心と相応して生じる。 衆生は外境を見るが、それは心法の体ではない。 心法は常に清浄で、迷いから生じたものではない。 迷いは煩悩から起こり、それゆえ心は見ない。 迷いそのものが真実であり、他に得るべきところはない。 五陰でもなく他の処でもなく、五陰の行いをありのままに観る。 見る相から離れて能見の相を見る、もし有為法を見れば、 自心の世間を見る、その人は相を離れることができる。 ただ心法だけを見ず、外の義を分別せず、 真如の観に住して、心の境界を超える。 心の境界を超えたならば、諸々の寂静を遠く離れる。 修行して寂静に住し、行者は寂静に住する。 大乗を見ずとも、自然に寂静と言える。 諸願の清浄に依り、智慧の無我は寂静である。 心の境界を観じ、また智慧の境界も観じよ。 智慧が境界を観じても、相の中に迷わない。 心の境界は苦諦、智慧の境界は集諦。 二諦と仏地は、これ般若の境界である。 果を得ることと涅槃、そして八聖道。 一切の法を覚知し、清浄な仏の智慧を得る。 眼と色と明、虚空と心意。 これらの和合によって、識は阿頼耶識から生じる。 能取も可取も受も、名もなく事もない。 因なくして分別する者、もし覚者を取れば。 義の中に名はなく、名の中にも義はない。 因なくして因から生じる、分別を分別してはならない。 一切の法は実体がなく、言葉もまたそうである。 空も不空もその義のまま、愚癡が法を見るのはこれである。 実体に妄りに執着し、邪見が仮名を説く。 一つの法が五種となる、ありのままに遠く離れることができる。 五種は魔法であり、有無を超えている。 修行の境界ではなく、外道の法である。 邪な法を求めず、また相を見て我とすることもない。 自らの常法を作り、ただ言葉から生じるのみ。

實諦不可說， 寂滅見諸法；依止阿梨耶， 能轉生意識。依止依心意， 能生於轉識；依虛虛妄成， 真如是心法。如是修行者， 能知心性體；分別常無常， 意相及於事。生及與不生， 行者不應取；莫分別二法， 識從梨耶生。一義二心生， 不知如是生；取一二之法， 是凡夫境界。無說者及說， 不空以見心；不見於自心， 故生見羅網。諸因緣不生， 諸根亦如是；界及五陰無， 無貪無有為。本無有作業， 不作非有為；無除亦無縛， 無縛無解脫。無無記無物， 無法無非法；無時無涅槃， 法體亦是無。無佛無實諦， 無因亦無果；無顛倒無滅， 無滅亦無生。十二支亦無， 邊無邊亦爾；離於諸邪見， 是故說惟心。煩惱業及身， 作者與果報；如陽焰及夢， 乾闥婆城等。住於心法中， 而生諸法相；住於心法中， 而見於斷常。涅槃中無陰， 無我亦無相；能入惟是心， 解脫不取相。見他何過失， 諸眾生見外；心非有非無， 由熏習不顯。垢中不見白， 白中不見垢；如雲蓋虛空， 是故心不見。心能作諸業， 智於中分別；慧能觀寂靜， 得大妙法體。心依境界縛， 智依覺觀生；寂靜勝境界， 慧能於中行。心意及意識， 於相中分別；得無分別體， 二乘非諸子。寂靜勝人相， 諸佛智慧淨；能生於勝義， 已離諸行相。分別法體有， 他力法是無；迷惑取分別， 不分別他力。非諸大有色， 有色非諸大；夢幻乾闥婆， 獸渴愛無水。我有三種慧， 依止得聖名；心無法中生， 是故心不見。身資生住持， 眾生依熏見；依彼分別相， 而說於諸法。離二乘相應， 慧離現法相；虛妄取法故， 聲聞見於法。能入惟是心， 如來智無垢；若實及不實， 從因緣生法。一二是取見， 畢竟能取著；種種諸因緣， 如幻無有實。如是相種種， 不能成分別；依於煩惱相， 諸縛從心生。不知分別法， 他力是分別；所有分別體， 即是他力法。種種分別見， 於他力分別；世諦第一義， 第三無因生。分別說相續， 斷即聖境界；修行者一事， 惟心種種見。彼處無心體， 如是分別相；如人眼中瞖， 分別種種色。瞖非色非色， 愚見他力爾；如金離塵垢， 如水離泥濁。如虛空離雲， 如是淨分別；聲聞有三種， 應化及願生。離諸貪癡垢， 聲聞從法生；菩薩亦三種， 諸如來無相。眾生心心中， 見佛如來像；分別無如是， 他力法體有。見有無二邊， 是故見分別；若無分別法， 他力云何有？遠離有法體， 實有法體生；依止於分別， 而見於他力。依名相和合， 而生於分別；常無所成就， 他力分別生。爾時知清淨， 第一義實體；分別有十種， 他力有六種。真如是內身， 是故無異相；五法是實法， 及三種實相。如是修行者， 不壞真如法；星宿雲形像， 似於日月體。諸眾生見心， 可見熏集生；諸大無自體， 非能見可見。若色從大生， 諸大生諸大；如是不生大， 大中無四大。若果是四大， 因是地水等；實及假名色， 幻生作亦爾。夢及乾闥婆， 獸愛水第五；一闡提五種， 諸性亦如是。五乘及非乘， 涅槃有六種；陰有二十四， 色復有八種。佛有二十四， 佛子有二種；度門有百種， 聲聞有三種。諸佛國土一， 而佛亦有一；解脫有三種， 心慮有四種。我無我六種， 可知境四種；離於諸因緣， 亦離邪見過。知內身離垢， 大乘無上法；生及於不生， 有八種九種。一時證次第， 立法惟是一；無色有八種， 禪差別六種。緣覺及佛子， 能取有七種；無有三世法， 常無常亦爾。作及於業果， 如夢中作事；佛從來不生， 聲聞佛子爾。心離於可見， 亦常如幻法；胎生轉法輪， 出家及兜率。住諸國土中， 可見而不生；

> 真実の理は言葉では言い表せず、 寂滅の中で諸法を見る。 阿頼耶識を依りどころとすれば、 意識を生み出し転じることができる。 心の働きを依りどころとすれば、 転識を生み出すことができる。 虚妄に依って虚妄が成り立ち、 真如は心の法である。 このように修行する者は、 心の本性の本体を知ることができる。 常と無常を分別し、 心の相と事象とをわきまえる。 生ずることと生じないこと、 修行者はそれらを執着すべきではない。 二つの法を分別してはならず、 識は阿頼耶識から生じる。 一つの意味から二つの心が生じるが、 そのように生じることを知らない。 一や二の法を執着するのは、 凡夫の境界である。 語る者も語られるものもなく、 空でないと心を見る。 自らの心を見ることができないから、 見解の網が生じる。 諸々の因縁は生じず、 諸々の感覚器官もまた同様である。 界と五蘊は存在せず、 貪りもなく、有為もない。 もともと造作する業はなく、 作らずして非有為である。 除くことも縛ることもなく、 縛りも解脱もない。 無記もなく物もなく、 法も非法もない。 時もなく涅槃もなく、 法の本体もまた存在しない。 仏もなく真実の理もなく、 因もなく果もない。 顛倒もなく滅もなく、 滅もなく生もない。 十二支縁起も存在せず、 有辺・無辺もまた同様である。 諸々の邪見を離れて、 ゆえに唯心であると説く。 煩悩と業と身体、 作者と果報とは、 陽炎や夢、 乾闥婆城などのようである。 心の法の中に住して、 諸々の法の相が生じる。 心の法の中に住して、 断見と常見を見る。 涅槃の中には五蘊がなく、 我もなく相もない。 入ることができるのはただ心のみであり、 解脱は相を執着しない。 他にどんな過失があるのか、 衆生は外に見ようとする。 心は有でもなく無でもなく、 熏習によって顕れない。 汚れの中に白さを見ず、 白さの中に汚れを見ない。 雲が虚空を覆うように、 それゆえ心は見えない。 心は諸々の業を作り出し、 智慧がその中で分別する。 慧は寂静を観察し、 大いなる妙なる法の体を得る。 心は境界によって縛られ、 智は覚観によって生じる。 寂静の勝れた境界において、 慧はその中を行じることができる。 心・意・意識は、 相の中で分別する。 無分別の体を得れば、 二乗は仏子ではない。 寂静の勝れた人相、 諸仏の智慧は清浄である。 勝義を生み出すことができ、 すでに諸々の行相を離れている。 法の体を分別して有とし、 他力の法は無である。 迷って分別を執着し、 他力を分別しない。 諸大が色であるわけでなく、 色が諸大であるわけでもない。 夢・幻・乾闥婆、 獣の渇きが水を愛するが水はない。 私は三種の慧を持ち、 それに依って聖なる名を得る。 心は法がないところから生じるので、 それゆえ心は見えない。 身体と資生と住持とは、 衆生が熏習に依って見る。 それに依って分別する相から、 諸々の法について説く。 二乗の相応を離れ、 慧は現前の法の相を離れる。 虚妄に法を執着するゆえに、 声聞は法を見る。 入ることができるのはただ心のみであり、 如来の智慧には垢がない。 もし実と不実があれば、 それは因縁から生じる法である。 一や二は見解を執着し、 ついに執着することができる。 種々の諸因縁は、 幻のようで実体がない。 このような相の種々は、 分別を成すことができない。 煩悩の相に依って、 諸々の縛りは心から生じる。 分別する法を知らず、 他力は分別である。 すべての分別の体は、 すなわち他力の法である。 種々の分別の見解は、 他力において分別する。 世俗諦と第一義諦、 第三は無因から生じる。 分別は相続を説き、 断絶は聖なる境界である。 修行者は一つの事柄において、 ただ心の種々の見解である。 そのところには心の体がなく、 このように分別する相は、 人が目に翳があって、 種々の色を分別するようなものである。 翳は色でもなく色でないわけでもなく、 愚者が他力を見るのも同様である。 金が塵垢を離れるように、 水が泥の濁りを離れるように。 虚空が雲を離れるように、 このように清浄に分別する。 声聞には三種あり、 応化と願生とがある。 諸々の貪りと癡の垢を離れ、 声聞は法から生じる。 菩薩もまた三種あり、 諸如来には相がない。 衆生の心の中に、 仏如来の像を見る。 分別にはこのようなものはなく、 他力の法の体がある。 有と無の二辺を見るので、 それゆえ分別を見る。 もし分別する法がなければ、 他力はどうしてあるだろうか。 有の法の体を遠く離れ、 実有の法の体が生じる。 分別に依りどころを置いて、 他力を見る。 名と相の和合に依って、 分別が生じる。 常に成し遂げるものはなく、 他力の分別から生じる。 その時清浄を知り、 第一義の実体を知る。 分別には十種あり、 他力には六種ある。 真如は内なる身であり、 それゆえ異なる相はない。 五法は実法であり、 および三種の実相である。 このように修行する者は、 真如の法を壊さない。 星宿や雲の形像は、 日月の体に似ている。 諸々の衆生が心を見るのは、 見える熏習が集まって生じる。 諸大には自らの体がなく、 見ることも見られることもできない。 もし色が諸大から生じるならば、 諸大が諸大を生じる。 このように生じない大は、 大の中に四大はない。 もし果が四大であるならば、 因は地・水などである。 実と仮名の色は、 幻のように生じ作られるのも同様である。 夢と乾闥婆、 獣の愛する水が第五である。 一闡提には五種あり、 諸々の性もまた同様である。 五乗および非乗、 涅槃には六種ある。 蘊には二十四あり、 色にはさらに八種ある。 仏には二十四あり、 仏子には二種ある。 度門には百種あり、 声聞には三種ある。 諸仏の国土は一つであり、 仏もまた一人である。 解脱には三種あり、 心の慮りには四種ある。 我と無我には六種あり、 知られる境には四種ある。 諸々の因縁を離れ、 また邪見の過ちを離れる。 内なる身が垢を離れることを知り、 大乗の無上の法を知る。 生と不生には、 八種と九種がある。 一時に証することと次第に証すること、 立てる法はただ一つである。 無色には八種あり、 禅の差別には六種ある。 縁覚と仏子は、 執着することが七種ある。 三世の法は存在せず、 常と無常もまた同様である。 作ることと業果とは、 夢の中で事を行うようである。 仏はもともと生じたことがなく、 声聞と仏子も同様である。 心は見えるものを離れ、 また常に幻の法のようである。 胎生と法輪を転じること、 出家と兜率天にいること。 諸々の国土の中に住して、 見えるが生じない。

去行及眾生， 說法及涅槃。實諦國土覺， 從因緣生法；世間諸樹林， 無我外道行。禪乘阿梨耶， 證果不思議；月及星宿性， 諸王阿修羅，夜叉乾闥婆， 因業而發生。不可思議變， 退依熏習緣，斷絕諸變易， 時煩惱罪滅。一切諸菩薩， 如實修行者；不畜諸財寶， 金銀及象馬，牛羊奴婢等， 米穀與田宅；不臥穿孔床， 不得泥塗地；金銀赤白銅， 鉢盂及諸器，修行淨行者， 一切不得畜；憍奢耶衣服， 一切不得著。欽婆羅袈裟， 牛糞草果葉，青赤泥土汁， 染壞於白色，石泥及與鐵， 珂及於琉璃；如是鉢聽畜， 滿足摩陀量。為割截衣故， 聽畜四寸刀；刃如半月曲， 不得學伎術，如實修行人， 不得市販買，所須倩白衣， 及諸優婆塞。常護於諸根， 知於如實義；讀誦修多羅， 及學諸毘尼。不與白衣雜， 修行人如是；空處與塚間， 窟中林樹下。尸陀林草中， 乃至於露地；如實修行人， 應住如是處。三衣常隨身， 不畜餘錢財；為身須衣服， 他自與聽受。為乞食出行， 亦不左右視，視前六尺地， 安庠而直進，如蜂採諸花， 乞食亦如是；比丘比丘尼， 眾中眾所雜。我為佛子說， 此是惡命活；如實修行者， 不聽此處食。王小王王子， 大臣及長者；為求於飲食， 一切不得往。死家及生家， 親家所愛家；比丘雜等眾， 修行者不食。寺舍烟不斷， 常作種種食；故為人所作， 行者不應食。離有無朋黨， 能見可見縛；行者觀世間， 離於生滅法。三昧力相應， 及諸通自在；若不生分別， 不久得如法。從微塵勝人， 緣中莫分別；諸因緣和合， 行者不分別。分別諸世間， 種種從熏生；行者如實觀， 三有如幻夢。莫分別三有， 身資生住持；離於有無謗， 亦離有無見。飲食如服藥， 身心常正直；一心專恭敬， 佛及諸菩薩。如實修行者， 應知諸律相；及諸修多羅， 簡擇諸法相。五法體及心， 修行無我相；清淨內法身， 諸地及佛地。如是修行者， 住於大蓮花；諸佛大慈悲， 如意手摩頂。去來於六道， 諸有生厭心；發起如實行， 至尸陀林中。日月形體相， 及於花海相；虛空火種種， 修行者見法。見如是諸相， 取於外道法；亦隨聲聞道， 及緣覺境界。遠離如是等， 住於寂靜處；時佛妙光明， 往於諸國土。摩彼菩薩頂， 此摩頂妙相；隨順真如法， 爾時得妙身。有無因法體， 離於斷常法；謗於有無法， 是分別中道。分別無諸因， 無因是斷見；見種種外法， 是人滅中道。不捨諸法相， 恐有斷絕相；有無是謗法， 如是說中道。覺但是內心， 不滅於外法；轉虛妄分別， 即是中道法。惟心無可見， 離於心不生；即是中道法， 我及諸佛說。生及於不生， 有物無物空；諸法無自體， 莫分別二法。分別是有法， 愚分別解脫；不覺心分別， 離於二取相。覺知自心見， 時離於二見；如實知遠離， 不滅分別相。實知可見心， 時知分別生；不生諸分別， 是真如離心。離諸外道過， 若見生諸法；彼智者應取， 涅槃而不滅。知此法是佛， 我說及餘佛；若異見諸法， 是說外道事。不生現於生， 不退常現退；同時如水月， 萬億國土見。一身及無量， 然火及注雨；心心體不異， 故說但是心。心中但是心， 心無心而生；種種色形相， 所見惟是心。佛及聲聞身， 辟支佛身等；復種種色身， 但說是內心。無色界無色， 色界及地獄；色現為眾生， 但是心因緣。如幻三昧法， 而身如意生；十地心自在， 菩薩轉得彼。自心分別名， 戲論而搖動；依見聞生知， 愚癡依相知。相是他力體， 彼依名分別；分別是諸相， 依他力法生。『智慧觀諸法， 無他力無相；畢竟無成就， 智依何分別？若有成就法， 離於有無法；

> 去る行と衆生、説法と涅槃。 真実の諦、国土と覚り、これらは因縁から生ずる法。 世間の諸々の樹林、無我の外道の行い。 禅乗と阿梨耶、証果は不可思議。 月と星宿の性質、諸王と阿修羅、 夜叉と乾闥婆、これらは因と業によって起こる。 不可思議な変転、退いては習気の縁に依り、 諸々の変易を断絶し、時に煩悩の罪は滅する。 一切の諸菩薩、如実に修行する者は、 諸々の財宝、金銀や象馬、 牛羊や奴婢など、米穀や田宅を蓄えない。 穴の開いた寝台に臥さず、泥で塗った地面に座らない。 金銀や赤白の銅、鉢や諸々の器、 清らかな行を修める者は、一切蓄えてはならない。 絹の衣服は、一切身に着けてはならない。 欽婆羅の袈裟、牛糞や草や果実の葉、 青や赤の泥土の汁で、白色を染めて壊す。 石や泥、そして鉄、珂や琉璃、 このような鉢は蓄えることを許され、満たすのは摩陀の量。 衣を裁つために、四寸の刀を蓄えることを許される。 刃は半月のように曲がり、伎術を学んではならない。 如実に修行する人は、市で売買してはならない。 必要なものは白衣（在家者）や優婆塞に頼む。 常に諸根を護り、如実の義を知る。 経典を読み誦し、戒律を学ぶ。 在家者と雑じらず、修行者はこのようにする。 空き地と墓場の間、洞穴や林の樹の下、 尸陀林の草の中、さらには露地に至るまで、 如実に修行する人は、このような所に住むべきである。 三衣は常に身に付け、余分の銭財は蓄えない。 身体に衣服が必要な時、他者が自ら与えるのを受け取る。 托鉢のために出かける時も、左右を見ず、 前の六尺の地を見て、安らかに真っ直ぐ進む。 蜂が諸々の花を採るように、托鉢もまたこのようである。 比丘や比丘尼が、衆中で衆に雑じる。 私は仏子のために説く、これは悪命による生き方である。 如実に修行する者は、このような所で食事をしてはならない。 王や小王や王子、大臣や長者の家へ、 食事を求めて、一切行ってはならない。 死者の家や生者の家、親族の家や愛する者の家、 比丘が雑じる等の衆、修行者はそこで食事をしない。 寺舎で煙が絶えず、常に種々の食事を作り、 故意に人のために作ったもの、行者は食べるべきではない。 有無の朋党を離れ、見られるべき束縛を見ることができる。 行者は世間を観て、生滅の法を離れる。 三昧の力と相応し、諸々の神通自在を得る。 もし分別を生じなければ、間もなく如法を得る。 微塵から勝れた人まで、縁の中で分別してはならない。 諸々の因縁の和合、行者は分別しない。 諸々の世間を分別する、種々は習気から生ずる。 行者は如実に観て、三有は幻の夢のようであると知る。 三有を分別せず、身体や資具や住処を執持しない。 有無の謗りを離れ、また有無の見解も離れる。 飲食は薬を服するように、身心は常に正直に。 一心に専ら恭敬し、仏及び諸菩薩に。 如実に修行する者は、諸々の律の相を知るべきである。 及び諸々の経典、諸法の相を簡択する。 五法の体と心、修行は無我の相。 清浄な内法身、諸地及び仏地。 このように修行する者は、大蓮華の中に住する。 諸仏の大慈悲、如意の手で摩頂される。 六道を行き来し、諸々の有に厭離の心を起こす。 如実の行を発起し、尸陀林に至る。 日月の形と体の相、及び花や海の相、 虚空や火の種々、修行者は法を見る。 このような諸相を見て、外道の法を取ることもある。 また声聞の道に随い、及び縁覚の境界にも及ぶ。 このようなものを遠く離れ、寂静な処に住する。 時に仏の妙なる光明、諸々の国土に往く。 その菩薩の頂を摩し、この摩頂の妙相は、 真如の法に随順し、その時に妙なる身を得る。 有無の因の法体、断常の法を離れる。 有無の法を謗る、これは分別の中道である。 分別には諸因が無く、無因は断見である。 種々の外法を見る、この人は中道を滅する。 諸法の相を捨てず、断絶の相を恐れる。 有無は法を謗ることであり、このように中道を説く。 覚りはただ内心であり、外法を滅さない。 虚妄の分別を転じる、これが中道の法である。 ただ心のみで見るべきものは無く、心を離れては生じない。 これが中道の法である、私及び諸仏が説く。 生及び不生、物有り物無し空、 諸法に自体は無く、二法を分別してはならない。 分別は有法であり、愚か者は分別で解脱する。 心の分別に気づかず、二取の相を離れる。 自心の見を覚知する時、二見を離れる。 如実に遠離を知り、分別の相を滅さない。 見える心を実知する時、分別の生起を知る。 諸々の分別を生じない、これが真如で心を離れる。 諸々の外道の過ちを離れ、もし諸法の生起を見るなら、 彼の智者は取るべきである、涅槃でありながら滅しないことを。 この法が仏であると知る、私が説き及び他の仏が説く。 もし異なった見解で諸法を見るなら、それは外道の事を説く。 不生が現に生じ、退転が常に現に退転する。 同時に水月のように、万億の国土に見える。 一身及び無量、火を燃やし雨を注ぐ。 心心の体は異ならず、故にただ心であると説く。 心中はただ心であり、心は心無くして生ずる。 種々の色や形相、見られるものはただ心である。 仏及び声聞の身、辟支仏の身等、 また種々の色身、ただ内心であると説く。 無色界には色が無く、色界及び地獄、 色が現れて衆生となる、ただ心の因縁による。 幻のような三昧の法、そして身は如意に生ず。 十地で心自在となり、菩薩はそれに転じ得る。 自心の分別の名、戯論によって揺れ動く。 見聞に依って知が生じ、愚癡は相に依って知る。 相は他力の体であり、それは名に依って分別する。 分別は諸々の相であり、他力の法に依って生ずる。 『智慧は諸法を観て、他力無く相無し。 畢竟成就すること無く、智は何に依って分別するか？ もし成就する法有らば、有無の法を離れて。』

離於有無體， 二體云何有？』分別二種體， 二種體應有；分別見種種， 清淨聖境界。分別是種種， 分別是他力；若異分別者， 是墮外道法。分別是分別， 見是因體相；分別說分別， 見是因相生。離於二分別， 即是成就法；國土佛化身， 一乘及三乘。無涅槃一切， 空離一切生；佛三十差別， 別復有十種。一切國土器， 依諸眾生心；如分別法相， 現見種種法。彼法無種種， 法佛世間爾；法佛是真佛， 餘者依彼化。眾生自種子， 見一切佛相；依迷惑轉心， 能生於分別。真不離分別， 及不離於相；實體及受樂， 化復作諸化。佛眾三十六， 是諸佛實體；如青赤及鹽， 珂乳及石蜜，新果諸花等， 如月諸光明；非一亦非異， 如水中洪波。如是七識種， 共於心和合；如大海轉變， 是故波種種。阿梨耶亦爾， 名識亦如是；心意及意識， 分別外相義。八無差別相， 非能見可見；如大海水波， 無有差別相。諸識於心中， 轉變不可得；心能造諸業， 意是能分別，意識能知法， 五識虛妄見，青赤白種種， 眾生識現見。水波相對法， 牟尼為我說；青赤白種種， 水波中無是。愚癡見諸相， 說於心中轉；心中無是體， 離心無外見。若有於可取， 應有於能取；身資生住持， 說水波相似。眾生識現見， 水波共相似；大海水波起， 如舞轉現見。本識如是轉， 何故知不取？愚癡無智慧， 本識如海波。水波轉相對， 是故說譬喻；如日出世間， 平等照眾生。『如是世尊燈， 不為愚說法；住於真如法， 何故不說實？』若說於實法， 心中無實法；如海中水波， 如鏡及於夢。如自心境界， 等見無前後；無一時境界， 是故次第生。識能知諸法， 意復能分別；五識現見法， 寂靜無次第。如世間畫師， 及畫師弟子；我住於妙法， 為實修行說。離分別分別， 是內身實智；我諸佛子說， 不為於愚人。亦如幻種種， 可見無如是；說種種亦爾， 說亦爾不爾。為一人說法， 不為餘人說；如人病不同， 醫師處藥別。諸佛為眾生， 隨心說諸法；依外法種子， 分別說現法。心取他力法， 可取是分別；依止心種子， 觀取外境界。二種轉迷惑， 更無第三因；以迷惑不生， 依何法不生？六十十八法， 是故惟說心；自心見外法， 見彼離於我。若入心分別， 能離諸法相；依於阿梨耶， 能生於諸識。愚癡內身入， 心見於外入；取星宿毛輪， 如夢中見色。有為無為常， 分別無如是；乾闥婆城幻， 如禽獸愛水。無如是見有， 他力法亦爾；我諸根形相， 我說三種心。心意及意識， 離於自體相；心意及意識， 離於他體相。心意及意識， 無我無二體；五法自體相， 是諸佛境界。就相有三種， 依於一熏因；如綵色一種， 壁上見種種。二種無我心， 意及諸識相；五種法體相， 我性無如是。遠離諸心相， 識離於意相；諸法體如是， 是我之境界。離於諸法體， 是諸如來性；身口及意業， 彼不作白法。如來性清淨， 離於諸修行；自在淨諸通， 三昧力莊嚴。種種意生身， 是淨如來性；內身智離垢， 離於諸因相。八地及佛地， 是諸如來性；遠行善慧地， 法雲與佛地。是諸佛之性， 餘地三乘雜；依眾生身別， 及為愚癡相。為說七種地， 故佛說心地；口身心諸障， 七地中無是。八地中妙身， 如夢瀑水相；八地及五地， 學種種伎術。一切諸佛子， 三有中作王；生及與不生， 不分空不空。實及於不實， 心中無如是；此實此非實， 莫分別此實。緣覺及聲聞， 非為佛子說；有無有非實， 亦無有空相。假名及實法， 心中一切無；依世諦有法， 第一義悉無。無實法迷惑， 是諸世諦法；一切法無法， 我說於假名。

> 有無の体を離れて、二つの体などどうしてありえようか。 二種の体を分別すれば、二種の体はあるはずである。 分別によって種々の相を見るが、清浄なる聖者の境界はそうではない。 分別は種々の相であり、分別は他力によるものである。 もし分別と異なるものがあるなら、それは外道の法に堕する。 分別は分別であり、見ることは因と体の相である。 分別について説く分別は、見ることは因の相から生じる。 二つの分別を離れること、それが成就された法である。 国土と仏の化身、一乗と三乗。 涅槃も一切もなく、空は一切の生を離れている。 仏には三十の差別があり、さらに十種の別がある。 一切の国土の器は、すべて衆生の心に依っている。 法相を分別するように、種々の法が現に見える。 その法には種々の相はなく、法仏と世間はその通りである。 法仏こそ真の仏であり、他のものはそれに依って化現する。 衆生の自らの種子が、一切の仏の相を見る。 迷いによって転ずる心に依って、分別が生じる。 真実は分別を離れず、また相を離れない。 実体と受楽、化仏はさらに諸々の化現を行う。 仏の衆に三十六あり、これらは諸仏の実体である。 青や赤や塩のように、貝殻や乳や石蜜のように、 新しい果実や諸々の花のように、月の光明のように。 一でもなく異でもない、水の中の大波のように。 このように七識の種は、心と共に和合する。 大海が転変するように、それゆえ波は種々である。 阿梨耶識もまた同じで、名と識もまたその通りである。 心と意と意識は、外の相の義を分別する。 八識に差別の相はなく、能見と可見とはない。 大海の水の波のように、差別の相はない。 諸識が心中で転変することは得られない。 心は諸々の業を造り、意は分別することができ、 意識は法を知ることができ、五識は虚妄を見る。 青や赤や白などの種々の相を、衆生の識は現に見る。 水と波の相対する法を、牟尼は私に説かれた。 青や赤や白などの種々の相は、水波の中にはない。 愚か者は諸相を見て、心中で転ずると説く。 心中にそのような体はなく、心を離れて外に見ることはない。 もし取られるべきものがあれば、取るべきものがあるはずである。 身と資生と住持は、水波に似ていると説かれる。 衆生の識が現に見ることは、水波とよく似ている。 大海の水波が起こるのは、舞いが転じて現に見えるように。 本識がこのように転ずるなら、なぜ取らないと知るのか。 愚かで智慧がなければ、本識は海の波のようである。 水波の転ずる相対を、それゆえ譬えとして説く。 太陽が世間に出て、平等に衆生を照らすように。 『このように世尊の灯は、愚者には法を説かない。 真如の法に住して、なぜ真実を説かないのか。』 もし真実の法について説くなら、心中に真実の法はない。 海の中の水波のように、鏡や夢のように。 自心の境界のように、平等に見て前後はない。 一時の境界はなく、それゆえ次第に生じる。 識は諸法を知ることができ、意はさらに分別することができる。 五識は現に法を見るが、寂静で次第はない。 世間の画師のように、また画師の弟子のように。 私は妙法に住して、真実の修行のために説く。 分別を離れた分別、これが内身の実智である。 私は諸仏の子に説く、愚者のためではない。 また幻のように種々の相は、見えるがそのようなものはない。 種々の相を説くことも同じで、説くこともまたそうではない。 一人のために法を説き、他の人のためには説かない。 人の病が異なるように、医師が処方する薬も別である。 諸仏は衆生のために、心に随って諸法を説く。 外法の種子に依って、現法を分別して説く。 心が他力の法を取れば、取られるべきものは分別である。 心の種子に依止して、外の境界を観て取る。 二種の転迷には、第三の因はさらにない。 迷いが生じなければ、どの法に依って生じないのか。 六十と十八の法、それゆえただ心を説く。 自心が外法を見るが、それを見て我を離れる。 もし心の分別に入れば、諸法の相を離れることができる。 阿梨耶識に依って、諸識を生じることができる。 愚か者は内身に入り、心は外入を見る。 星宿や毛輪を取るように、夢の中で色を見るように。 有為も無為も常も、分別にはそのようなものはない。 乾闥婆城や幻のように、禽獣が水を愛するように。 そのようなものは見えないが、他力の法もまた同じである。 我や諸根の形相、私は三種の心を説く。 心と意と意識は、自らの体の相を離れている。 心と意と意識は、他の体の相を離れている。 心と意と意識は、我もなく二つの体もない。 五法の自らの体の相、これが諸仏の境界である。 相について三種あり、一つの熏因に依っている。 一つの彩色のように、壁の上に種々の相が見える。 二種の無我の心、意と諸識の相。 五種の法の体の相、我性にはそのようなものはない。 諸々の心の相を遠く離れ、識は意の相を離れている。 諸法の体はこのようであり、これが私の境界である。 諸法の体を離れること、これが諸如来の性である。 身と口と意の業、彼らは白法を行わない。 如来の性は清浄で、諸々の修行を離れている。 自在に諸通を浄め、三昧の力で荘厳される。 種々の意生身、これが清浄なる如来の性である。 内身の智は垢を離れ、諸々の因の相を離れている。 八地と仏地、これが諸如来の性である。 遠行地と善慧地、法雲地と仏地。 これが諸仏の性であり、他の地は三乗が雑じっている。 衆生の身の別に依って、また愚か者の相のために。 七種の地を説くために、仏は心地を説かれた。 口と身と心の諸障、七地の中にはない。 八地の中の妙身は、夢や瀑流の水の相のようである。 八地と五地では、種々の伎術を学ぶ。 一切の諸仏の子は、三有の中で王となる。 生と不生、空と不空を分けない。 実と不実、心中にそのようなものはない。 これが実、これが非実、この実を分別してはならない。 縁覚と声聞は、仏の子のために説かれたのではない。 有と無有は実ではなく、また空の相もない。 仮名と実法、心中には一切ない。 世諦に依って法はあるが、第一義にはすべてない。 実法のない迷い、これが諸世諦の法である。 一切の法は法なく、私は仮名について説く。

言語及受用， 愚癡見是實；從於言語法， 是實有境界。從言語生法， 見法無如是；如離壁無畫， 亦如影離像。本淨識亦爾， 為水波不現；如幻心亦爾， 意如狡猾者。識共於五種， 分別見如采；說是真法習， 所有集作化。是諸佛根本， 餘者應化佛；心迷可見中， 可見心中無。身資生住持， 即阿梨耶現；心意及意識， 實體五種法。二種無我淨， 諸佛如來說；虛妄覺非境， 及聲聞亦爾。是內身境界， 諸佛如來說；長短等相待， 彼此相依生。有能成於無， 無能成於有；及分別微塵， 色體不分別。說但是於心， 邪見不能淨；是中分別空， 不空亦如是。有無但分別， 可說無如是，功德微塵合， 愚癡分別色，一一微塵無， 是故無是義。自心見形相， 眾生見外有；外無可見法， 是故無是義。心如毛輪幻， 夢乾闥婆城，火輪禽獸愛， 實無而人見。常無常及一， 二及於不二，無始過所縛， 愚癡迷分別。我不說三乘， 但說於一乘，為攝取眾生， 是故說一乘。解脫有三種， 亦說法無我，平等智煩惱， 依解脫分別。亦如水中木， 為波之所漂，如是癡聲聞， 為諸相漂蕩；彼無究竟處， 亦復不還生。得寂滅三昧， 無量劫不覺；是聲聞之定， 非我諸菩薩。離諸隨煩惱， 依習煩惱縛；三昧樂境醉， 住彼無漏界。如世間醉人， 酒消然後寤；彼人然後得， 我佛法身體。如象沒深泥， 身東西動搖；如是三昧醉， 聲聞沒亦爾。

> 言葉とそれによる受け取り、 愚かさはこれを真実と見る。 言葉の法から生じるもの、 これが真実の境界だと思う。 言葉から生じる法を、 そのままの法として見ることはない。 壁がなければ絵はなく、 影は像から離れているように。 本来清らかな識もまたそうであり、 水の波のために現れない。 幻のような心もまたそうであり、 意は狡猾な者のようである。 識が五つのものと共にある時、 分別は彩りのように見える。 これが真実の法の習いであり、 すべての集い作る変化である。 これらは諸仏の根本であり、 他の者は応化の仏である。 心が迷えば見えるものの中にあり、 見えるものの中に心はない。 身体と資生と住持とは、 すなわち阿梨耶識の現れである。 心と意と意識とは、 実体として五つの法である。 二種の無我の清らかさを、 諸仏如来は説かれる。 虚妄の覚りは境ではなく、 声聞もまたそうである。 これは内なる身の境界であり、 諸仏如来は説かれる。 長短などは相対的に存在し、 互いに依り合って生じる。 有は無を成し、 無は有を成す。 微塵を分別しても、 色の本体は分別されない。 ただ心によるものだと説くが、 邪見は清らかにならない。 ここで分別する空も、 不空もまたそうである。 有と無はただの分別であり、 説くことができるものはない。 功徳は微塵の集合であり、 愚かさは色を分別する。 一つ一つの微塵は無であり、 それゆえにそのような意味はない。 自心が形相を見るのであり、 衆生は外にあると見る。 外に見える法はなく、 それゆえにそのような意味はない。 心は毛輪の幻のようであり、 夢や乾闥婆城のようである。 火輪や禽獣の愛のように、 実在しないのに人は見る。 常と無常、そして一、 二と不二とを、 無始の過ちに縛られ、 愚かさは迷い分別する。 私は三乗を説かず、 ただ一乗を説く。 衆生を摂取するために、 それゆえに一乗を説く。 解脱には三種があり、 法無我もまた説かれる。 平等の智と煩惱とは、 解脱に依って分別される。 水中の木のように、 波に漂われるように、 そうして愚かな声聞は、 諸相に漂われる。 彼らには究竟の処はなく、 また還って生じることもない。 寂滅の三昧を得ても、 無量劫の間覚めない。 これが声聞の定であり、 我が諸菩薩のものではない。 諸々の随煩惱を離れ、 習気の煩惱に縛られる。 三昧の楽境に酔い、 無漏の界に住する。 世間の酔った人のように、 酒が消えてから目覚める。 その人こそが後に得る、 我が仏法の身体を。 深い泥に没した象のように、 身体は東西に動揺する。 そうして三昧に酔った声聞も、 没するのもまた同じである。

## 入楞伽經卷第九

> 入楞伽経 第九巻