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本事経 (本事經)


一法品第一之一

第一品 第一節

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!我觀世間,無別一法,覆障群生,馳騁流轉生死長途,如無明蓋。所以者何?世間群生,由無明蓋所覆障故,馳騁流轉生死長途。是故汝等應如是學:我當云何修起慧明,破無明蓋,出貪愛網?汝等苾芻,應如是學。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊から次のように聞きました。「比丘たちよ、知っておきなさい。私はこの世の中に、無明の覆いのように、生きとし生けるものを覆い隠し、生死の長い道のりを駆け巡らせ流転させるものは、他に一つとしてないと観じています。なぜなら、世の生きとし生けるものは、無明の覆いに覆い隠されているがゆえに、生死の長い道のりを駆け巡り流転するからです。ですから、あなたがたはこう学ぶべきです。『どのようにして智慧の明かりを起こし、無明の覆いを打ち破り、貪りの網を抜け出せるだろうか』と。比丘たちよ、あなたがたはこう学びなさい。」その時、世尊はこの意味をまとめて、次の偈を説かれました。

「無別有一法, 覆障諸群生,
馳流生死途, 如無明蓋者。
無明大愚闇, 由斯久流轉,
彼此有往來, 昇沈高下趣。
若破無明蓋, 解脫貪愛網,
不處生死流, 以無彼因故。」

「この世に、あらゆる生きとし生けるものを覆い隠し、 生死の道をさまよわせるものは、 無明の覆い以上に大きなものはない。

無明という大きな闇があるからこそ、 人々は長い間、迷いの輪廻を繰り返し、 あちらへこちらへと行き来し、 高いところ低いところへと沈み、浮かび上がるのだ。

もしこの無明の覆いを破り、 貪りの網から解き放たれたなら、 もはや生死の流れにとどまることはない。 その原因がすでに失われるからである。」

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!我觀世間,無別一法,繫縛群生,馳騁流轉生死長途,如貪愛結。所以者何?世間群生,由貪愛結所繫縛故,馳騁流轉生死長途。是故汝等應如是學:我當云何修瑩慧刀,斷貪愛結,破大闇聚?汝等苾芻,應如是學。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から、私はこうお聞きしました。 「比丘たちよ、知っておきなさい。 私はこの世の中で、あらゆる生きとし生けるものを縛り、生死の長い道のりを駆け巡らせているものが、貪りの結び目のほかにはないと見ています。 なぜかと言えば、この世の生きとし生けるものは、貪りの結び目に縛られているがゆえに、生死の長い道のりを駆け巡っているからです。 それゆえ、あなたがたはこう学ぶべきです。 『私たちはどのようにして、智慧という刀を磨き、貪りの結び目を断ち切り、大きな闇の集まりを打ち破るのか』と。 比丘たちよ、あなたがたはこう学びなさい。」

そのとき、世尊はこの意味をさらにまとめて、次の偈を説かれました。

「無別有一法, 繫縛諸群生,
馳流生死途, 如貪愛結者。
貪愛大繫縛, 由斯久流轉,
彼此有往來, 昇沈高下趣。
若斷貪愛縛, 破大黑闇聚,
不處生死流, 以無彼因故。」

迷いの世界に縛られている人々を 生死の流れに駆り立てるものは 貪りの執着ほど大きなものはない

貪りの大きな束縛によって 私たちは長い間、輪廻を続けてきた あちらこちらへと行き来しながら 高いところ低いところへ沈み浮かびする

もしこの貪りの束縛を断ち切り 大きな闇の塊を打ち破れば 生死の流れの中にはとどまらない その原因がもうないからである

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若一有情,於一劫中流轉生死,所受身骨,假使有能積聚不爛,其聚高廣,如王舍城毘補羅山。況彼有情,無初後際,馳騁流轉生死長途,所受身骨而可測量。所以者何?苾芻當知!我說有情,於四聖諦不了知故、不照見故、不現觀故、不通達故、不審察故,馳騁流轉生死長途,受諸骨身。是故汝等應如是學:我當云何於四聖諦,了知、照見、現觀、通達、審察、究竟?汝等苾芻,應如是學。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から、私はこうお聞きしました。 「比丘たちよ、知っておきなさい。もし一人の有情が、一劫の間、生死を流転し続けたとしたら、その者の受けた骨が、もしも朽ちずに積み重なるとすれば、その積み上がった高さと広がりは、王舎城の毘補羅山のように高く広大であろう。ましてや、その有情には、始まりも終わりもなく、生死の長い道のりを駆け巡りながら流転し、受けた骨の数を計り知ることなど、到底できないのだ。 なぜか。比丘たちよ、私は説く。有情たちは、四つの聖なる真理を了知せず、照見せず、現観せず、通達せず、審察しないがゆえに、生死の長い道のりを駆け巡り流転し、様々な骨の身を受けてきたのだ。 それゆえ、あなたがたは、こう学ぶべきである。 『私は、どのようにして四つの聖なる真理を、了知し、照見し、現観し、通達し、審察し、極め尽くすのか』と。比丘たちよ、あなたがたは、こう学びなさい。」

その時、世尊はこの意味を重ねて、次のように偈(うた)で説かれた。

「一有情一劫, 受身骨不爛,
其聚量高廣, 如毘補羅山。
況無初後際, 久流轉生死,
所受諸骨身, 其量而可測。
受是大苦聚, 由不見聖諦,
故應修妙智, 正觀四真實,
所謂苦聖諦, 苦因及苦滅,
能滅苦苦因, 八支真聖道。
此補特伽羅, 極七有流轉,
定斷一切結, 能盡諸苦邊。」

ある一つの生きとし生けるものが、 一劫の間に受ける骨の山は朽ちることなく、 その集まり積もった量は、 毘補羅山のように高く広い。

ましてや、始まりも終わりもなく、 長い間、生死の輪廻を流れ続けてきた 受け継いできた全ての骨の量は、 とても測り知れるものではない。

このように大きな苦しみの塊を受けるのは、 聖なる真理を見ないからである。 それゆえ、すぐれた智慧を修めて、 四つの真実を正しく観察すべきである。

すなわち、苦しみの真実、 苦しみの原因、そして苦しみの消滅、 苦しみと苦しみの原因を滅ぼすことのできる、 八つの支分からなる真実の聖なる道である。

この人は、せいぜい七回の生存を経て、 必ずあらゆる束縛を断ち切り、 全ての苦しみの果てに達するであろう。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!我以佛眼遍觀世間,諸有業果皆緣心意。一類有情,心意所使,行如是行,履如是道;身壞命終,如捨重擔,墮諸惡趣,生地獄中。所以者何?彼諸有情,心意染污。由此為因,身壞命終,墮諸惡趣,生地獄中。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から、このようにお聞きしました。

「比丘たちよ、知るがよい。私は仏の眼をもって世の中をくまなく見渡したところ、あらゆる業の結果は、すべて心と意によって生じるのである。

ある種の生き物は、心と意に使われ、そのような行いをし、そのような道を歩む。そして、身体が壊れ命が終わるとき、重い荷物を下ろすかのようにして、悪い世界に落ち、地獄に生まれるのである。

それはなぜか。それらの生き物は、心と意が汚れているからである。これを原因として、身体が壊れ命が終わった後、悪い世界に落ち、地獄に生まれるのである。」

その時、世尊はこの意味をまとめて、次のように偈(うた)を説かれた。

「一類諸有情, 心意起染污,
我今當為汝, 記別其所生;
彼身壞命終, 如捨於重擔,
必墮諸惡趣, 生於地獄中。
應知惡慧者, 由心意染污,
因斯染污故, 當生地獄中。」

「ある種の人々は、心を汚れで満たします。 私は今、あなたたちのために、彼らがどのような境涯に生まれ変わるかを告げましょう。

その人々は肉体を捨てて命を終えると、まるで重い荷を下ろすように、 必ず悪い世界に落ち、地獄に生まれます。

知っておきなさい。心が汚れた愚かな者は、 その汚れのゆえに、地獄に生まれるのです。」

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!我以佛眼遍觀世間,諸有業果皆緣心意。一類有情,心意所使,行如是行,履如是道;身壞命終,如捐重擔,昇諸善趣,生於天中。所以者何?彼諸有情,心意清淨。由此為因,身壞命終,昇諸善趣,生天界中。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は尊いお方から、こう教えを聞きました。 「僧侶たちよ、知っておきなさい。私は仏の智慧の眼で世の中を見渡すと、あらゆる行いの結果は、すべてその心の状態に基づいている。ある生き物たちは、心に導かれて行動し、その道を歩み、肉体が滅びて命が終わる時、重い荷物を下ろすようにして、善い世界に昇り、天に生まれる。なぜなら、その生き物たちは心が清らかだからである。このことが原因となって、肉体が滅び命が終わった後、善い世界に昇り、天の世界に生まれるのである。」

その時、尊いお方はこの意味をまとめて、次の詩を説かれました。

「一類諸有情, 心意起清淨,
我今當為汝, 記別其所生;
彼身壞命終, 如捐於重擔,
必昇諸善趣, 生於天界中。
應知善慧者, 由心意清淨,
因斯清淨故, 當生天界中。」

ある種の生きものは、 心が清らかになります。 そのような人のために、 私は今、その生まれ変わりを告げましょう。

その人がこの身体を捨て、 重荷を下ろすように命終わるとき、 必ず善い世界(善趣)に昇り、 天の世界に生まれます。

知るべきです、慧(智慧)ある人は、 心が清らかであることによって、 その清らかさのゆえに、 天の世界に生まれるのだと。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!一切有情,皆由自業,業為伴侶、業為生門、業為眷屬、業為依趣;業能分定一切有情下、中、上品。是故汝等,應當善知:諸業自性、諸業因緣、諸業品類、諸業異熟、諸業盡滅,趣業滅道因緣資具。苾芻汝等,如我所說,應正了知。

私は世尊(仏陀)からこのように聞きました。 「僧侶たちよ、よく知りなさい。全ての生きとし生けるものは、自らの行い(業)によって生きています。業は共に歩む仲間であり、生まれる門であり、家族のような存在であり、よりどころです。業によって、全ての生き物の優れた者・平凡な者・劣った者という違いが決まります。 だからこそ、あなたたちは次のことを正しく理解しなさい。諸々の業そのものの性質、業が生じる原因と条件、業の種類、業がもたらす結果、業の完全な消滅、そして業を滅ぼす道とその方法や条件を。 僧侶たちよ、あなたたちは私が説いたことを、その通りに理解しなさい。」

「云何應知諸業自性?業自性者,謂或思業,或思已業。如是應知諸業自性。既正了知業自性已,云何應知諸業因緣?業因緣者,謂諸貪愛。如是應知諸業因緣。既正了知諸業自性、業因緣已,云何應知諸業品類?業品類者,謂別品類業,趣地獄身;別品類業,趣傍生身;別品類業,趣鬼界身;別品類業,趣阿素洛界身;別品類業,趣人界身;別品類業,趣天界身。如是應知諸業品類。既正了知諸業自性、諸業因緣、業品類已,云何應知諸業異熟?業異熟者,謂於此生造作諸業,即此生中能感諸有,或受、未受。如是應知諸業異熟。既正了知諸業自性、諸業因緣、諸業品類、業異熟已,云何應知諸業盡滅?業盡滅者,謂愛滅故諸業盡滅。如是應知諸業盡滅。既正了知諸業自性、諸業因緣、諸業品類、諸業異熟、業盡滅已,云何應知趣業滅道因緣資具?趣業滅道因緣資具者,謂八支聖道,即是正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。如是應知趣業滅道因緣資具。

では、業(カルマ)の本質についてどのように知るべきでしょうか。 業の本質とは、考えるという行為(思業)、または考えた後に実際に行う行為(思已業)を指します。 これが、業の本質を知るという意味です。

業の本質を正しく理解した上で、次に業の原因と条件についてはどのように知るべきでしょうか。 業の原因と条件とは、執着(貪愛)のことです。 これが、業の原因と条件の正しい理解です。

業の本質と原因・条件を正しく知った上で、次に業の種類についてはどのように知るべきでしょうか。 業の種類とは、ある種類の業は地獄の世界に生まれ変わる原因となり、別の種類の業は畜生の世界、また別の業は餓鬼の世界、さらに別の業は阿修羅の世界、人間の世界、天の世界に生まれ変わる原因となります。 これが、業の種類の正しい理解です。

業の本質、原因・条件、種類を正しく知った上で、次に業の結果(異熟)についてはどのように知るべきでしょうか。 業の結果とは、この世で行った様々な行為が、同じこの世の中ですでに結果をもたらすものもあれば、まだもたらしていないものもある、ということです。 これが、業の結果の正しい理解です。

業の本質、原因・条件、種類、結果を正しく知った上で、次に業の消滅についてはどのように知るべきでしょうか。 業の消滅とは、執着が滅びることによって、すべての業が消え去ることです。 これが、業の消滅の正しい理解です。

業の本質、原因・条件、種類、結果、消滅を正しく知った上で、次に業の消滅へと向かう実践の道とその条件についてはどのように知るべきでしょうか。 業の消滅へと向かう実践の道とその条件とは、八つの正しい実践からなる聖なる道、すなわち正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい心の統一です。 これが、業の消滅へと向かう実践の道とその条件の正しい理解です。

「苾芻當知!諸有沙門或婆羅門,若能正知諸業自性、諸業因緣、諸業品類、諸業異熟、諸業盡滅、趣業滅道因緣資具,即能信我法毘奈耶。若能信我法毘奈耶,即能入我法毘奈耶。若能入我法毘奈耶,即能達我法毘奈耶修行梵行。若能達我法毘奈耶修行梵行,即能究竟正盡諸業。所以者何?是諸沙門或婆羅門,既正了知諸業自性、諸業因緣、諸業品類、諸業異熟、諸業盡滅、趣業滅道因緣資具已,即於諸業能厭離滅,究竟解脫,得善解脫。既善解脫,即能獨立。既能獨立,即具善修。既具善修,彼身壞已,法爾無有一切施設。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

「比丘たちよ、知っておきなさい。修行者やバラモンたちが、諸々の業の本質、業の原因、業の種類、業の結果、業の消滅、そして業を滅する道とその原因や条件を正しく理解するならば、その人は私の教えと戒律を信じることができる。私の教えと戒律を信じることができれば、その教えと戒律に入ることができる。教えと戒律に入ることができれば、その教えと戒律に従って清らかな行いを修行することができる。清らかな行いを修行することができれば、ついには全ての業を完全に滅ぼすことができる。なぜなら、これらの修行者やバラモンたちは、諸々の業の本質、業の原因、業の種類、業の結果、業の消滅、そして業を滅する道とその原因や条件を正しく理解した後、諸々の業に対して厭離し、滅し、究極の解脱を得て、完全な解脱を得るからである。完全な解脱を得れば、独り立ちすることができる。独り立ちすることができれば、善く修行を具えることができる。善く修行を具えれば、その者が肉体を捨てた後、自然とあらゆる概念(施設)は存在しなくなるのである。」

その時、世尊はこの教えの意味を簡潔にまとめて、次のように偈(うた)を説かれた。

「世間諸有情, 居前中後際,
皆屬於自業, 業為其伴侶。
業為彼生門, 業為其眷屬,
業為所依趣, 業能定三品。
隨業彼彼生, 不定如輪轉,
或處天人中, 或居四惡趣。
世間諸有情, 皆隨業力轉,
非國財妻子, 隨從往餘生。
彼於命終時, 所有皆頓捨,
獨隨業而往, 故皆由自業。
當來諸有情, 雖受如是業,
若能依佛教, 正信而出家,
彼於愚癡類, 無師開導中,
名能善修行, 不愚正法者。
故汝等苾芻, 精勤勿放逸,
應善知諸業, 相續正修行。
為盡業自性, 及業因緣等,
修八支聖道, 速令得圓滿。」

この世にある全ての生き物は、 過去・現在・未来の全てにおいて、 自らの行い(業)に属し、 その行いが伴侶となる。

行いが彼らの生まれる門であり、 行いが彼らの眷属であり、 行いがよりどころとなり、 行いが上・中・下の三つの境遇を定める。

行いに従ってあちこちに生まれ、 定まった場所はなく、輪のように回り続ける。 ある時は天や人の世界に、 ある時は四つの悪い世界にいる。

この世の全ての生き物は、 みな行いの力によって動かされる。 国も、財産も、妻も子も、 次の生へと共に付いて行くことはない。

彼らが命終わるとき、 持っていたもの全てを一瞬で捨て、 ただ行いだけが共に進んでいく。 だから全ては自らの行いによるのである。

未来の生き物たちよ、 たとえこのような行いを受けることがあっても、 もし仏の教えに従い、 正しい信を持って出家するならば、 彼らは愚かさの仲間や、 導く師がいない中にあっても、 善く修行を行い、 正しい法に迷わない者と呼ばれる。

だからこそ、あなたがた修行者たちよ、 怠らず、熱心であれ。 諸々の行いをよく知り、 途切れることなく正しく修行せよ。 行いの本質と、 行いの原因などを尽くすために、 八つの正しい道を修め、 速やかに完成させなさい。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!世間所有惡不善法於生起時,諸不善品、諸不善類一切皆由意為前導。所以者何?意生起已,惡不善法皆隨後生。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は尊き師(世尊)から次のように聞きました。「修行者よ、知るがよい。この世のあらゆる悪しき不善の法が生じる時、その不善の仲間や種類はすべて、心(意)が先導となって現れる。なぜなら、心が生じれば、悪しき不善の法はすべて後に続いて生じるからである。」その時、尊き師はこの意味をまとめて、次の詩を説かれました。

「諸不善法生, 為因能感苦,
皆意為前導, 與煩惱俱生;
意為前導法, 意尊意所使。
由意有染污, 故有說有行,
苦隨此而生, 如輪因手轉。」

不善な行いが生じるのは、苦しみをもたらす原因となるからです。これらはすべて心(意)が先導役となり、煩悩とともに生じます。心こそが物事の先導役であり、心が最も尊く、心の指図を受けます。心が汚れていることによって、言葉や行動が生まれ、その結果、苦しみが後に続きます。これは、まるで車輪が手によって回されるのに従うようなものです。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!世間所有白淨善法,於生起時,善品、善類一切皆由意為前導。所以者何?意生起已,白淨善法,皆隨後生。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から、私はこのように聞きました。 「比丘たちよ、知るがよい。世の中にあるすべての清らかな善い行いは、それが起こる時、善なる性質や善い種類のものは、すべて心を先駆けとして生じる。なぜなら、心が起こされると、清らかな善い行いは全て、それに従って生じるからである。」 その時、世尊はこの意味をまとめて、偈を説かれました。

「諸淨善法生, 為因能感樂,
皆意為前導, 與善法俱生;
意為前導法, 意尊意所使。
由意有清淨, 故有說有行,
樂隨此而生, 如影隨形轉。」

清らかな善い行いは、 楽しい結果をもたらす原因となります。 それらすべては、心を先触れとし、 心と共に生まれます。 心が先導者であり、心が最も尊く、心によって動かされます。 心が清らかであれば、 言葉や行いも清らかになり、 その人には、影が形に従うように、 自然と幸せが訪れます。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!世有一法,於生起時,與多眾生為不利益、為不安樂;引諸世間天人大眾,作無義利,感大苦果。云何一法?是謂破僧。所以者何?苾芻當知!僧若破壞,一切大眾互興諍論,遞相訶責、遞相陵蔑、遞相罵辱、遞相毀呰、遞相怨嫌、遞相惱觸、遞相反戾、遞相誹謗、遞相棄捨。當於爾時,一切世間未敬信者,轉不敬信;已敬信者,還不敬信。苾芻當知!如是名為世有一法,於生起時,與多眾生為不利益、為不安樂,引諸世間天人大眾,作無義利,感大苦果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は尊き師(世尊)からこのようなお言葉を聞きました。 「修行者たちよ、知っておきなさい。世の中に一つの法(出来事)があり、それが生じると、多くの生きとし生けるものに不利益をもたらし、安楽をもたらしません。天や人の世の中の大衆を、無意味で大きな苦しみの結果へと導きます。その一つの法とは何か。それは僧団を分裂させることです。 なぜなら、修行者たちよ、知っておきなさい。もし僧団が分裂すれば、すべての大衆が互いに争い、ののしり合い、見下し合い、罵り合い、そしり合い、憎み合い、悩ませ合い、背き合い、誹謗し合い、捨て合うことになるからです。 その時、世の中でまだ信仰を持っていない者はますます信仰を持たなくなり、すでに信仰を持っている者も信仰を失ってしまいます。 修行者たちよ、これこそが世の中の一つの法であり、それが生じると、多くの生きとし生けるものに不利益をもたらし、安楽をもたらさず、天や人の大衆を無意味で大きな苦しみの結果へと導くのです」

その時、世尊はこの教えの意味を簡潔にまとめて、次のように偈(うた)で説かれました。

「世有一法生, 能起無量惡,
所謂僧破壞, 愚癡者隨喜;
能破壞僧苦, 破壞眾亦苦,
僧和合令壞, 經劫無間苦。」

世の中に一つの法が生じると、無量の悪を引き起こすことがあります。 それは僧伽(サンガ)を破壊することであり、愚かな者たちはそれに喜び従います。 僧伽を破壊すれば苦しみをもたらし、僧団を乱すこともまた苦しみです。 僧伽の和合を壊してしまうと、長い劫の間、途切れることのない苦しみを受け続けるのです。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!世有一法,於生起時,與多眾生為大利益、為大安樂;引諸世間天人大眾,作大義利,感大樂果。云何一法?是謂僧和。所以者何?苾芻當知!僧若和合,一切大眾互無諍論,不相訶責,不相陵蔑,不相罵辱,不相毀呰,不相怨嫌、不相惱觸、不相反戾、不相誹謗、不相棄捨。當於爾時,一切世間未敬信者,便生敬信;已敬信者,轉增敬信。苾芻當知!如是名為世有一法,於生起時,與多眾生為大利益、為大安樂;引諸世間天人大眾,作大義利,感大樂果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこう聞きました。

「比丘たちよ、知るがよい。世の中に一つの法があり、それが生じるとき、多くの衆生に大きな利益をもたらし、大きな安らぎを与える。天や人の世の中の大衆を導き、大きな意義を成し、大きな楽の果報をもたらす。その一つの法とは何か。それは僧団の和合である。なぜか。比丘たちよ、僧団が和合すれば、すべての大衆は互いに争い合わず、責め合わず、蔑まず、罵り合わず、非難し合わず、怨み合わず、互いに悩ませず、逆らわず、誹謗し合わず、捨て去らない。そのとき、世の中でまだ敬い信じていない者は敬い信じるようになり、すでに敬い信じている者はさらに敬い信じるようになる。比丘たちよ、これこそが世に一つの法があり、それが生じるとき、多くの衆生に大きな利益をもたらし、大きな安らぎを与え、天や人の世の中の大衆を導き、大きな意義を成し、大きな楽の果報をもたらす、ということである」

そのとき、世尊はこの意味を重ねて、次の偈を説かれた。

「世有一法生, 能起無量福,
所謂僧和合, 慧利者隨喜;
能和合僧樂, 和合眾亦樂,
僧破壞令和, 經劫受天樂。」

世の中に一つの法が生じると、無量の福を起こすことができます。 それは僧伽が和合することであり、智慧ある者たちはそれに随喜します。 和合した僧伽は楽しく、和合した大衆もまた楽しいのです。 僧伽の分裂を和合させる者は、長い歳月にわたって天の楽しみを受けます。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!世間有情,一結斷時,餘一切結皆亦隨斷。云何一結?是謂我慢。所以者何?諸所有結,細中麁品,一切皆以我慢為根,從我慢生、我慢所長。是故我慢一結斷時,餘一切結皆亦隨斷。譬如世間樓觀中心,普為樓觀眾分依止,中心若墜,餘亦隨墮。如是我慢,諸結所依,我慢若斷,餘亦隨滅。若諸苾芻已斷我慢,當知即是已斷餘結。若諸苾芻已斷餘結,當知即是已盡苦邊、已修正智,心善解脫、慧善解脫,無復後有。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から、私はこのように聞きました。「比丘たちよ、知っておきなさい。世の中の衆生は、一つの束縛が断たれると、残りのすべての束縛もまた、それに従って断たれる。では、その一つの束縛とは何か。それは『我慢』(自分を誇る心)である。なぜなら、あらゆる束縛は、細かいもの、中くらいのもの、粗いもののすべてが、この我慢を根とし、我慢から生じ、我慢によって成長するからである。それゆえ、我慢という一つの束縛が断たれるとき、残りのすべての束縛もまた、それに従って断たれるのである。たとえば、世の中にある楼閣(高い建物)の中心の柱は、楼閣全体の部分の拠り所となり、その中心の柱が崩れれば、他の部分もそれに従って崩れ落ちる。このように、我慢は諸々の束縛の拠り所であり、我慢が断たれれば、他の束縛もまたそれに従って消滅する。もし比丘たちがすでに我慢を断ったならば、すでに他の束縛も断ったと知るべきである。もし比丘たちがすでに他の束縛を断ったならば、すでに苦しみの果てに達し、正しい智慧を修め、心は完全に解脱し、智慧は完全に解脱し、再び次の生存はないと知るべきである。」

そのとき、世尊はこの意味を重ねて、次の偈(うた)を説かれました。

「如樓觀中心, 眾分所依止,
中心若墜墮, 餘分皆墮落。
如是我慢結, 眾結之所依,
我慢結斷時, 諸結皆隨滅。
苾芻斷我慢, 餘結悉隨斷,
餘結既已斷, 即得盡苦邊。
既得盡苦邊, 名已修正智,
心慧善解脫, 後有畢竟無。」

高楼の中心がすべての部分を支えているように、 もしその中心が崩れ落ちれば、他の部分もすべて崩れ落ちます。

それと同じように、「われらが慢心」という束縛は、あらゆる束縛の土台です。 この慢心の束縛が断ち切られた時、他の束縛もすべて自然に消え去ります。

僧よ、慢心を断ち切れば、残りの束縛もすべて断たれます。 残りの束縛がすでに断たれたならば、苦しみの果てに達するのです。

苦しみの果てに達したならば、それは正しい智慧を修めた者と呼ばれます。 心と智慧が見事に解放され、再び生まれ変わることは、永遠にありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!世有一法,若善修習、善多修習,攝持二利令至圓滿:謂現法利令至圓滿,及後法利令至圓滿;能成現法利益安樂,能成後法利益安樂,能成現後利益安樂。云何一法?謂於所修諸善法中,修不放逸。所以者何?若於所修諸善法中,於不放逸能善修習、善多修習,便能攝持二種義利令至圓滿,廣說乃至能成現後利益安樂。是名一法,若善修習、善多修習,攝持二利,廣說乃至能成現後利益安樂。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこう聞きました。「比丘たちよ、知るべきである。世の中に一つの法がある。それを善く修習し、善く多く修習すれば、二つの利益を捉えて円満に至らせる。すなわち、現世の利益を円満に至らせ、来世の利益を円満に至らせる。現世の利益と安楽を実現し、来世の利益と安楽を実現し、現世と来世の利益と安楽を実現する。その一つの法とは何か。それは、修めるべき諸々の善い法において、放逸(油断)しないことである。なぜなら、修めるべき諸々の善い法において、放逸しないことを善く修習し、善く多く修習すれば、二種類の利益を捉えて円満に至らせることができ、広く説けば、現世と来世の利益と安楽を実現できるからである。これが一つの法である。それを善く修習し、善く多く修習すれば、二つの利益を捉え、広く説けば、現世と来世の利益と安楽を実現できるのである。」

その時、世尊はこの意味を重ねて、次の詩句で説かれた。

「放逸を楽しみとするならば、それは死の罠に落ちる道。 放逸を楽しまないならば、不死の境地に至るだろう。

このように、善く修行する人は、道を歩み、怠らない。 賢者は放逸を戒め、災いなく安らかに生きる。

怠ることなく、努め励み、心をしっかりと保て。 迷いの闇を打ち破り、幸福の境地に達せよ。」

「諸有多聞人, 能捨貪財位,
勤修不放逸, 證常樂涅槃。
智人無放逸, 能攝持二利,
謂現法當來, 俱令至圓滿。
諸有善能成, 現後俱利樂,
前後眾賢聖, 皆稱為智人。」

「多くの学識ある人は、 欲や財産、地位を手放すことができ、 怠ることなく努め励むことで、 永遠の安らぎである涅槃を実証する。

賢明な人は怠けることなく、 二つの利益をしっかりと達成する。 それは、この世での幸せと、未来の幸せであり、 共に完全なものにするのである。

善く現世と来世の両方の利益と安楽を 成就できる人は、 過去も未来も、多くの聖者や賢者たちから 皆、『智慧ある人』と呼ばれるのである。」

重攝前經嗢柁南曰:

重ねて先の経をまとめると、次の偈のようになります。

蓋、結、劫、兩心 業、二意前行
僧破及僧和 斷慢、修不逸

蓋(蓋)や結(結)や劫(劫)、または二つの心——これらは業(行為)であり、二つの意図(こころ)が先行する。 僧伽の破壊と僧伽の和合、また慢心を断ち、不放逸を修すること。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於貪。所以者何?一切有情由貪染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのような言葉を聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もしも生きとし生けるものたちが、一つの法を完全に断ち切ったなら、私はその者が必ず不還果を得ると保証する。その一つの法とは、すなわち貪りである。なぜなら、すべての生き物は貪りに染まっているゆえに、何度も何度も還って来て、様々な悪い世界に堕ち、生と死の苦しみを受けるからである。もしこの一つの法を完全に断ち切ることができたなら、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれて来ることはないと保証する。それゆえに私は説く。もし生きとし生けるものたちが一つの法を永く断ち切ったなら、私はその者が必ず不還果を得ると保証する」

その時、世尊はこの意味を改めてまとめて、次の偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由貪之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此貪者,
定得不還果, 不來生此間。」

「私はよく観察する、すべての生きとし生けるものを。 彼らは貪りの心に染まり、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を繰り返している。

もし正しく知ることができ、 この貪りを永遠に断ち切るならば、 必ず不還の悟りを得て、 この世界に再び生まれることはない。」

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於瞋。所以者何?一切有情由瞋染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もし生きとし生けるものがある一つの法を永遠に断ち切ったなら、私はその者が必ず不還果を得ることを保証する。その一つの法とは何か。それは『怒り』である。なぜなら、すべての生きとし生けるものは、怒りに染まることによって、繰り返しこの世に戻り、さまざまな悪い境遇に落ちて、生と死の苦しみを受けるからである。もしこの一つの法を永遠に断ち切ることができたなら、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてくることはないと保証する。だから私はこう言うのだ。もし生きとし生けるものがある一つの法を永遠に断ち切ったなら、私はその者が必ず不還果を得ることを保証する。」その時、世尊はこの意味をまとめて、次の詩句を説かれた。

「我觀諸有情, 由瞋之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此瞋者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はすべての生きとし生けるものを観じます。 怒りに心を染められているために、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を受けていることを。

しかし、もしこの怒りを正しく知り、 永遠に断ち切ることができたなら、 必ず「不還の果」を得て、 再びこの世に生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於癡。所以者何?一切有情由癡染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこう聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もしも生きとし生けるものが、たった一つの法を完全に断ち切ったなら、私はその人が必ず不還果(迷いの世界に戻ってこない境地)を得ると保証する。その一つの法とは何か。それは『無知』(愚かさ)である。なぜなら、全ての生きとし生けるものは、無知に染まっているがゆえに、繰り返し悪い世界に堕ちて、生まれ変わりと苦しみを受けるからだ。もしこの一つの法を完全に断ち切ったなら、私はその人が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと保証する。だから私はこう言うのだ。もし生きとし生けるものが、たった一つの法を完全に断ち切ったなら、私はその人が必ず不還果を得ると保証する。」

その時、世尊はこの教えをまとめて、次のような偈を唱えられた。

「我觀諸有情, 由癡之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此癡者,
定得不還果, 不來生此間。」

私が観察するに、生きとし生けるものは無知に染められて、再び悪い世界に堕ち、生死の輪廻を繰り返しています。もしこの無知を正しく理解して、永遠に断ち切ることができれば、必ず「不還」の境地を得て、この世に再び生まれることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於覆。所以者何?一切有情由覆染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もし生きとし生けるものが、たった一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果(迷いの世界に戻らない境地)を得ると保証する。その一つの法とは、『覆い隠すこと(覆)』である。なぜなら、すべての生きとし生けるものは、この覆いによって汚染されているため、何度も何度も悪い境遇に堕ち、生死の苦しみを受けるからだ。もし、この一つの法を完全に断ち切ることができれば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれ変わることはないと保証する。ゆえに私はこう説く。もし生きとし生けるものが、たった一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果を得ると保証する。」その時、世尊はこの意味を簡潔にまとめて、次の偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由覆之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此覆者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観察しますと、 覆い(煩悩)によって汚されて、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を受けています。 もしこの覆いを正しく知って、 永遠に断ち切ることができたならば、 必ず「不還果(あらゆる煩悩を断ち切った境地)」を得て、 この世に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於惱。所以者何?一切有情由惱染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もしも一切の生きとし生けるものが、ただ一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果を得ることを保証する。その一つの法とは何か。それは『悩み』である。なぜなら、一切の生きとし生けるものは、この悩みに染まっているがゆえに、繰り返しこの世に生まれ落ち、悪しき境涯に堕ちて、生と死の苦しみを受けるからである。もしもこの一つの法を完全に断ち切ることができるならば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないことを保証する。それゆえに私はこう説く。もしも一切の生きとし生けるものが、ただ一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果を得ることを保証する、と。」

その時、世尊はこの意味を簡潔にまとめて、次の偈を説かれました。

「我觀諸有情, 由惱之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此惱者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観じるに、 煩悩に染められて、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を受けている。

もし正しく悟ることができて、 この煩悩を永遠に断ち切ったならば、 必ず「不還(ふげん)」の悟りを得て、 この世に再び生まれて来ることはない。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於忿。所以者何?一切有情由忿染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知っておきなさい。もし生きとし生けるものが、ただ一つの法(教え)を完全に断ち切ることができれば、私はその者が必ず不還果(迷いの世界に戻らない境地)を得ると保証する。その一つの法とは何か。それは『怒り』である。なぜなら、すべての生きとし生けるものは、怒りに染まることによって、繰り返し悪い世界に落ち、生と死の苦しみを受けるからだ。もしこの一つの法を完全に断ち切ることができれば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと保証する。それゆえ私はこう言うのだ。もし生きとし生けるものが、一つの法を完全に断ち切ることができれば、私はその者が必ず不還果を得ると保証する。」

その時、世尊はこの意味を再びまとめて、偈(うた)を唱えられた。

「我觀諸有情, 由忿之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此忿者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観察しますが、 怒りという汚れに染まった者たちは、 再び悪い世界へと落ちていき、 生死の輪廻を受け続けるのです。

もしもこの怒りを正しく知り、 完全に断ち切ることができるなら、 必ず「不還果(戻らない境地)」を得て、 この世に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於恨。所以者何?一切有情由恨染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのような言葉を聞きました。修行者の皆さん、知っておきなさい。もし生きとし生けるものがある一つの法を完全に断ち切ったなら、私はその人は必ず「不還果」を得ると保証します。どのような一つの法か。それは「恨み」です。どうしてそう言えるのか。すべての生きとし生けるものは、恨みに染まることによって、何度も何度も迷いの世界に堕ち、生まれ変わりと死の苦しみを受け続けるからです。もしこの一つの法を完全に断ち切ることができれば、私はその人は必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと保証します。だから私はこう言うのです。もし生きとし生けるものがある一つの法を完全に断ち切ったなら、私はその人は必ず不還果を得ると保証しますと。 その時、世尊はこの意味をまとめて、次の詩を唱えられました。

「我觀諸有情, 由恨之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此恨者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観察します。 彼らは恨みの心に染まっているため、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を受け続けています。 もしこの恨みを正しく理解し、 完全に断ち切ることができたなら、 必ず不還の境地に達し、 この世に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於嫉。所以者何?一切有情由嫉染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說,若諸有情永斷一法,我證彼定,得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は尊者からこのようなお言葉を聞きました。 「比丘たちよ、知るがよい。もし全ての有情が一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果を得ると保証する。その一つの法とは何か。それは『嫉妬』である。なぜなら、全ての有情は嫉妬に染まるがゆえに、繰り返し悪趣に堕ちて生死の苦しみを受けるからである。もしこの一つの法を完全に断ち切ることができれば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと保証する。それゆえに私は説く。もし全ての有情が一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果を得ると保証する。」 その時、尊者はこの意味を再度まとめて、次の偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由嫉之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此嫉者,
定得不還果, 不來生此間。」

私が生きとし生けるものを観ると、 嫉妬の心に染められて、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を繰り返している。

もしもこの嫉妬を正しく知り、 完全に断ち切ることができれば、 必ず「不還果」という悟りの境地に達し、 この世界に再び生まれることはないでしょう。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於慳。所以者何?一切有情由慳染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もし生きとし生けるものがある一つの法を完全に断ち切るならば、私はその者が必ず不還果を得ると保証する。その一つの法とは何か。それは慳吝(けち・おしみ)である。なぜなら、すべての生きとし生けるものは慳吝に染まることにより、繰り返し悪趣に堕ちて生死の苦しみを受けるからである。もしこの一つの法を完全に断ち切ることができれば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと保証する。だから私はこう言うのだ。もし生きとし生けるものがある一つの法を完全に断ち切るならば、その者は必ず不還果を得ると。」

その時、世尊はこの意味を再びまとめて、次の詩句を説かれた。

「我觀諸有情, 由慳之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此慳者,
定得不還果, 不來生此間。」

私は、すべての生きとし生けるものを観察しました。 彼らは欲深さに心を染められているために、 再び悪い世界に落ち込み、 生まれ変わりと死に苦しむ輪廻を繰り返しています。

もし、この欲深さを(正しく)理解して、 完全に断ち切ることができるならば、 必ず「不還果」という悟りの境地に達し、 この世界に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於耽。所以者何?一切有情由耽染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊(仏様)から次のようなお言葉を伺いました。

「僧侶たちよ、もし全ての生きとし生けるものが、たった一つのことを完全に断ち切ったなら、私はその者が必ず『不還果(ふらんか)』という悟りの境地に達すると保証する。その一つのこととは何か?それは『むさぼり』である。なぜかというと、全ての生きものは、このむさぼりに染まっているがゆえに、何度も何度もこの世に生まれ変わり、様々な苦しみの世界に落ちて、生死の苦しみを受けるからである。もし、この一つのむさぼりを完全に断ち切ることができたなら、その者は二度とこの世に生まれ変わることなく、不還果に達するであろう。だから私はこう言うのだ。『全ての生きとし生けるものが、たった一つのことを完全に断ち切ったなら、その者は必ず不還果に達するであろう。』」

その時、世尊はこの教えの意味を簡潔にまとめて、次のような詩(頌)をお唱えになりました。

「我觀諸有情, 由耽之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此耽者,
定得不還果, 不來生此間。」
吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於慢。所以者何?一切有情由慢染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から私はこう聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もしも生きとし生けるものが、たった一つの煩いを断ち切ったなら、私はその人は必ず『不還果』を得ると保証する。その一つの煩いとは何か。それは『慢心』である。なぜなら、全ての生きとし生けるものは、この慢心に染まるゆえに、何度も何度もこの世に戻り、悪い世界に落ちて、生まれ変わり死に変わりする苦しみを受けるからだ。もしこの一つの煩いを完全に断ち切ることができたなら、その人は必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてくることはないと、私は保証する。だから私はこう言うのだ。もし生きとし生けるものが、たった一つの煩いを断ち切ったなら、その人は必ず不還果を得ると。」

その時、世尊はこの意味を改めてまとめて、次のように詩句で説かれました。

「我觀諸有情, 由慢之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此慢者,
定得不還果, 不來生此間。」

私が観察するに、生きとし生けるものは、 慢心に染まっているがゆえに、 再び悪い世界に堕ち、 生死の輪廻を繰り返している。

もしこの慢心を正しく理解し、 永遠に断ち切ることができれば、 必ず「不還果」を得て、 この世に再び生まれて来ることはない。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。云何一法?謂是於害。所以者何?一切有情由害染故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能永斷如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情永斷一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もし一切の有情が一つの法を完全に断ち切るなら、私は彼が必ず不還果を得ると保証する。その一つの法とは何か。それは『害すること(害意)』である。なぜなら、一切の有情は害への執着によって、繰り返し様々な悪趣に堕ち、生と死の苦しみを受けるからだ。もしこの一つの法を完全に断ち切ることができれば、私は彼が必ず不還果を得、再びこの世に生まれ変わることはないと保証する。それゆえ、私はこう言う。もし一切の有情が一つの法を完全に断ち切るなら、私は彼が必ず不還果を得ると保証する。」

その時、世尊はこの教えを簡潔にまとめて、次の偈を説かれました。

「我觀諸有情, 由害之所染,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永斷此害者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを見るに、 害する心によって汚され、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を受けている。

もしもこれを正しく悟り、 この害する心を永遠に断ち切るならば、 必ず「不還果(ふげんか)」という悟りの境地に達し、 再びこの世に生まれてくることはない。

重攝前經嗢柁南曰:

重ねて先の経をまとめると、次の偈のようになります。

貪欲、瞋恚、癡 覆藏、惱及忿
怨恨、嫉與慳 耽嗜、慢、將害

欲望、怒り、無知。 隠しごと、心のわずらい、いかり。

うらみ、ねたみ、けち。 むさぼり、おごり、害する心。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念佛。所以者何?一切有情由不念佛故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊から、このようにお聞きしました。 「修行者たちよ、知りなさい。もし生きとし生けるものが、ただ一つのこと(一法)を常に心に念じるならば、私はその者が必ず‘不還果’(迷いの世界に戻らない境地)を得ることを確証する。その一法とは何か。それは‘仏を念じる心’(念仏)である。

なぜなら、生きとし生けるものは皆、仏を念じないがゆえに、幾度も幾度もこの世に生まれ変わり、悪い世界(地獄・餓鬼・畜生などの三悪趣)に堕ちて、生と死の苦しみを受けるからである。

もし、この一法を常に心に念じることができるならば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてくることはないと確証する。だからこそ私はこう説くのだ。もし生きとし生けるものが、ただ一つの法を心に念じるならば、私はその者が必ず不還果を得ると確証すると。」

その時、世尊はこの教えの意味を簡潔にまとめて、次のように詩(偈)でお語りになった。

「我觀諸有情, 由不念佛故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於佛者,
定得不還果, 不來生此間。」

私が観察するに、すべての生きとし生けるものは、 仏を念じること(仏陀を心に留めること)をしないために、 再び悪い世界に落ち、生死の輪廻を繰り返している。

もし正しく理解し、永遠に仏を心に留めることができるなら、 必ず不還果(再び戻ってこない悟りの段階)を得て、 二度とこの世界に生まれてくることはないだろう。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念法。所以者何?一切有情由不念法,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。 「比丘たちよ、知るがよい。もしも有情たちが一つの法を常に念じるならば、私はその者が必ず不還果を得ると証する。その一つの法とは何か。すなわち、法を念じることである。なぜなら、すべての有情は法を念じないがゆえに、幾度となく還ってきては諸々の悪趣に堕ち、生死の苦しみを受けるからである。もしも常にこの一つの法を念じることができるならば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと証する。それゆえに私は説く。もしも諸々の有情が一つの法を念じることができるならば、私はその者が必ず不還果を得ると証する。」

その時、世尊はこの意味を再びまとめて、偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由不念法故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於法者,
定得不還果, 不來生此間。」

私は全ての生きとし生けるものを観察していますが、 教えを心に留めないために、 再び悪い世界に落ちていき、 生と死の繰り返し(輪廻)を受けています。 しかし、もし正しく理解し、 常に教えを心に保ち続けるならば、 必ず「不還(ふげん)」という悟りの境地に達し、 この世に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念聖眾。所以者何?一切有情由不念聖眾故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は、世尊(仏陀)からこのように聞きました。

「僧侶たちよ、知るがよい。もし生きとし生けるものが、一つのことを常に心に念じるならば、私はその者が必ず『不還果』(この世に再び生まれ変わらない境地)を得ることを保証する。その一つのこととは何か? それは『聖なる僧伽(僧侶の集団)を念じる』ことである。なぜなら、生きとし生けるものは、聖なる僧伽を念じないがゆえに、何度も何度もこの世に戻り、悪い境遇に落ちて、生と死の苦しみを受けるからである。もし、この一つのことを常に念じることができれば、その者は必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと私は保証する。だからこそ私は言うのだ。生きとし生けるものが、この一つのことを念じるならば、その者は必ず不還果を得ると。」

その時、世尊はこの教えを再度まとめて、次の詩を詠まれました。

(頌の内容は省略)

「我觀諸有情, 由不念聖眾,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於聖眾,
定得不還果, 不來生此間。」

私は多くの生きとし生けるものを見るに、 聖なる僧侶たちを心に留めないことで、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を繰り返しています。 もし正しく理解し、 常に聖なる僧侶たちを思い続けるならば、 必ず「不還果(ふげんか)」を得て、 この世に生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念戒。所以者何?一切有情由不念戒故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊からこのように聞きました。 「比丘たちよ、知るがよい。もしも生きとし生けるものが、一つの法を常に心に念じるならば、私はその者が必ず不還果を得ることを保証する。その一つの法とは何か。それは戒を念じることである。なぜなら、すべての生きとし生けるものは、戒を念じないゆえに、繰り返しこの世に戻り、悪趣に陥って生死の苦しみを受けるからである。もしも常にこの一つの法を念じることができるならば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないことを保証する。それゆえに私は言う。もしも生きとし生けるものが、一つの法を念じることができるならば、私はその者が必ず不還果を得ることを保証するのだ。」

そのとき、世尊はこの意味を重ねて、次の偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由不念戒故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於戒者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観察するに、 戒律を心に留めないゆえに、 再び悪い世界に落ち、 生死を繰り返すことになる。

しかし、戒律を正しく理解し、 常にそれを心に留める者は、 必ず「不還」[1]の境地に達し、 この世界に再び生まれてくることはない。

--- [1] 「不還」:悟りの段階の一つで、欲望の世界に戻ってこない境地のことです。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念施。所以者何?一切有情由不念施故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。 「比丘たちよ、知るがよい。もし生きとし生けるもの(有情)が、一つの教えを常に心に留めるならば、私はその者が必ず不還果(迷いの世界に戻らない悟りの境地)を得ると確証する。その一つの教えとは何か。それは施しを心に留めることである。なぜなら、すべての生きとし生けるものは施しを心に留めないがゆえに、何度も何度も悪い世界に落ち、生まれ変わり死に変わる苦しみを受けるからだ。もしこの一つの教えを常に心に留めるならば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないと確証する。

それゆえ私はこう説く。もし生きとし生けるもの(有情)が一つの教えを心に留めるならば、私はその者が必ず不還果を得ると確証する。」 その時、世尊はこの教えの意味をあらためて次の詩(偈)でお示しになった。

「我觀諸有情, 由不念施故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於施者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観察してきました。 彼らが施しを思い出さないために、 再び悪い世界に落ちて、 生死の輪廻を繰り返していると知りました。

もし正しく悟り、 施すことを永遠に心に留める者があれば、 必ず不還の境地に至り、 再びこの世界に生まれることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念天。所以者何?一切有情由不念天故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこう聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もしあらゆる生きとし生けるものが、一つの法を常に念じるならば、私はその人が必ず不還果を得ることを確証する。その一つの法とは何か。それは天を念じることである。なぜなら、あらゆる生きとし生けるものは、天を念じないがゆえに、繰り返しこの世に還ってきて、悪しき境涯に堕ち、生死の苦しみを受けるからである。もし常にこの一つの法を念じることができるならば、私はその人が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてこないことを確証する。それゆえに私はこう言うのだ。もしあらゆる生きとし生けるものが一つの法を念じるならば、私はその人が必ず不還果を得ることを確証する。」その時、世尊はこの教えをさらにまとめて、次の偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由不念天故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於天者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを観じるに、 天(すぐれた存在)を心に念じないゆえに、 再び悪い道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちて、 生と死の輪廻を受けているのです。

もし、正しく知り尽くして、 常に天を心に念じるならば、 必ず不還果(凡夫に戻らない境地)を得て、 この世に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念休息。所以者何?一切有情由不念休息故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

世尊よりこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もし有情が、ただ一つの法を常に心に念じるならば、その者は必ず不還果(あの世で悟りを得て、この世に戻ってこない境地)を得ると、私は保証する。その一つの法とは何か。それは『休息(心の静けさ、執着を離れること)』を念じることである。なぜなら、すべての有情は休息を念じないがゆえに、繰り返しこの世に戻ってきて、悪しき境遇に堕ち、生と死の苦しみを受けるからである。もし常にこの一つの法を念じるならば、その者は必ず不還果を得て、再びこの世に生まれて来ることはないと、私は保証する。ゆえに私はこう言うのだ。もし有情が一つの法を念じるならば、その者は必ず不還果を得ると。」

その時、世尊はこの意味を簡潔にまとめて、次のように偈(うた)を説かれた。

「我觀諸有情, 由不念休息,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於休息,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる命ある者たちを見る  休むことなく、心にとどめることなく、  再び悪い世界に堕ちては、  生死の輪廻を受けていることを。

もし正しく悟ることができれば、  常に心に「休息」を思い起こし、  必ず「不還(ふげん)」の悟りを得て、  再びこの世界に生まれて来ることはないであろう。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念安般。所以者何?一切有情由不念安般故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、もしも生きとし生けるものが、一つの法[教え]を絶えず心に留めるならば、私はその者が必ず不還果[この世に戻ってこない悟りの境地]に達すると保証する。その一つの法とは何か。それは、呼吸に注意を向けること(安般念)である。なぜなら、すべての生きとし生けるものは、呼吸への注意を怠るがゆえに、何度も何度も迷いの世界に落ち、生と死の苦しみを受けるからである。もしも常にこの一つの法を心に留めるならば、私はその者が必ず不還果に達し、再びこの世に生まれてこないと保証する。それゆえ、私はこう説く。もしも生きとし生けるものが一つの法を心に留めるならば、私はその者が必ず不還果に達すると保証する、と。」

その時、世尊はこの教えの意味を簡潔にまとめて、次の詩を唱えられました。

「我觀諸有情, 由不念安般,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於安般,
定得不還果, 不來生此間。」

私はすべての生きとし生けるものを見ます。 安般(呼吸への気づき)を忘れることにより、 再び悪い世界に落ち、 生死の輪廻を受け続けることを。

もし正しく理解し、 安般を常に心に留めるならば、 必ず不還の境地を得て、 この世に再び生まれてくることはありません。

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念身。所以者何?一切有情由不念身故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:
「我觀諸有情, 由不念身故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於身者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はあらゆる生きとし生けるものを見てきました。 「身体(自分自身の在り方)を心に留めないことで、 再び苦しい世界に落ちてしまい、 生と死の輪廻を繰り返している。」

「しかし、身体(自身の在り方)を正しく理解し、 常に心に留めている人は、 必ず「不還果(もう戻ってこない境地)に達し、 この世に再び生まれてくることはありません。」

吾從世尊聞如是語:「苾芻當知!若諸有情永念一法,我證彼定得不還果。云何為一法?謂是念死。所以者何?一切有情由不念死故,數數還來墮諸惡趣受生死苦。若能常念如是一法,我證彼定得不還果,不復還來生此世間。是故我說:若諸有情能念一法,我證彼定得不還果。」爾時,世尊重攝此義而說頌曰:

私は世尊からこのように聞きました。「比丘たちよ、知るがよい。もしも生きとし生けるものが、ただ一つのことを常に心に念じるならば、私はその者が必ず『不還果』を得ると証する。その一つの法とは何か。それは『死を念じること』である。なぜなら、全ての生きとし生けるものは、死を念じないがゆえに、何度も何度も戻ってきては悪しき境涯に堕ち、生死の苦しみを受けるからである。もし、この一つの法を常に心に念じることができるならば、私はその者が必ず不還果を得て、再びこの世に生まれてくることはないと証する。ゆえに私はこう言う——もし生きとし生けるものが、ただ一つの法を心に念じるならば、私はその者が必ず不還果を得ると証する。」

その時、世尊はこの意味を簡潔にまとめて、次の偈を説かれた。

「我觀諸有情, 由不念死故,
還來墮惡趣, 受生死輪迴。
若能正了知, 永念於死者,
定得不還果, 不來生此間。」

私はすべての生きとし生けるものを観察します。 「死を忘れてしまうからこそ、 再び悪い世界に落ち、生死の輪廻を繰り返しているのだ。」 もし正しく知ることができ、 常に死を心に念じるならば、 必ず不還果(迷いの世界に戻らない境地)を得て、 この世に再び生まれてくることはありません。

本事經卷第一

本事経 巻第一


1 一法品(一-二)
2

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