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仏説須真天子経 (佛說須真天子經)


分別品第八
爾時須真天子復問文殊師利:「住於道菩薩,其行已過諸聲聞、辟支佛上?」

その時、須真天子が再び文殊師利に尋ねました。「道に住する菩薩の行いは、すでに声聞や辟支仏の上を越えているのでしょうか?」

文殊師利答言:「如是,天子!審如所言。菩薩之行實過諸聲聞、辟支佛上。何以故?亦無信證,亦不持法,亦不八行,亦不須陀洹,亦不斯陀含、亦不阿那含、亦不阿羅漢,亦不辟支佛,亦不多陀竭、亦不三耶三佛、亦不世多羅。如是,天子!若不知此、不計是菩薩,為菩薩也。亦不俗法,亦不婬法,亦不怒法,亦不癡法,亦不生死法,亦不泥洹法,若不知此、不計是菩薩,為菩薩也。」

文殊師利は答えました。「その通りです、天子よ。まさにあなたの言われるとおりです。菩薩の行いは、実際に声聞や辟支仏の上を行くのです。なぜなら、菩薩には、信を証することもなく、法を執持することもなく、八つの修行道もなく、須陀洹果もなく、斯陀含果もなく、阿那含果もなく、阿羅漢果もなく、辟支仏果もなく、多陀竭(如来)もなく、三耶三仏(正等覚)もなく、世多羅(世尊)もないからです。このように、天子よ、もしこれらを知らず、これらを計らなければ、その者は菩薩として菩薩なのです。また、俗なる法もなく、淫なる法もなく、怒りの法もなく、痴の法もなく、生死の法もなく、涅槃の法もありません。もしこれらを知らず、これらを計らなければ、その者は菩薩として菩薩なのです。」

天子復問:「文殊師利!云何如此?何因菩薩而得信證至泥洹法?」

天子は再び尋ねました。「文殊師利よ、どうしてこのようなことがあるのでしょうか。どのような理由で菩薩は、涅槃の境地に至る確かな信頼と悟りを得ることができるのですか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩了信諸法,一切遠離,於欲無著,不信於餘道。所以者何?信六波羅蜜道故。信已便持,所可縛著者而度脫之。常求未然之慧,於生死亦不懼,於泥洹無所畏,是故菩薩得持信要。」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩はすべての法が本来離れていることを深く信じ、欲望に執着せず、他の道を信じません。なぜなら、六波羅蜜の道を信じるからです。信じたならばそれを実践し、縛られている者を解き放ちます。常に未だ得ていない智慧を求め、生死にも恐れず、涅槃にも畏れません。それゆえ、菩薩は信の要諦を体得するのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得持法要?」

天子は再び尋ねました。「文殊師利よ、菩薩はいかにして法の要を保つことができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩一切諸佛所說法教皆悉持之,不甘世味、以法為飲食,立於法義、不住愛欲,則得法力、不為俗力,得法義、不尚俗義,得法尊、不為俗尊,得依怙法、不怙於人,說中正法、不說非法,住法法處、不處非法,以法徹見審無蔽礙,悉知諸法,得陀羅尼諦識不忘,以七珍事於寶具足,猗一切法便得住於自在之法。是故,天子!菩薩得持法要。」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩は一切の諸仏が説かれた法の教えをすべて受け持ち、世俗の味わいに甘んじず、法を以て飲食とします。法の義に立脚し、愛欲に留まらず、法の力を得て、俗の力に頼らず、法の義を得て、俗の義を尊ばず、法の尊厳を得て、俗の尊さを求めず、法に依り頼み、人に頼ることなく、中正なる法を説き、非法を説かず、法の法たる処に住し、非法の処に留まらず、法によって徹見し、確かに蔽いや妨げがなく、諸法を悉く知り、陀羅尼を得て真実を識り忘れず、七宝の事をもって宝を具足し、一切の法に依って自在の法に住することができます。故に、天子よ、菩薩は法の要を得て受け持つのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得是八事?」

天子は再び尋ねました:「文殊師利よ、菩薩はどうすればこの八つの事柄を得ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩出於八邪,以淨功德行八直行,滿於所願便得入道。一切世人在八難處,皆悉住之。於無難處為得男子八覺之念,常願道意而不放捨,得八惟務禪,是故菩薩得是八事。」

文殊師利菩薩はこうお答えになりました。

「天子よ、菩薩は八つの邪な道を離れ、清らかな功徳によって八つの正しい行いを実践し、願いを満たして道に入ることができます。世の人々は皆、八つの困難な境地に留まっています。困難のない境地において、八つの覚りの心を起こし、常に道を求める心を忘れず、八つの深い禅定を得るのです。これが菩薩が得る八つの事柄です。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入須陀洹?」

天子はまたお尋ねになりました:「文殊師利よ、どうすれば菩薩は須陀洹に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩視一切人,皆如墮海隨水下流。有多力者逆水上行,斷生死流不毀其本行,而得等斷於三惡之道。一切使得安隱之處,遠離於猶豫,諦住佛法藏,過於凡人跡,樂立佛法跡,了生死際便向泥洹門。於諸世界第一之厚,常立於人志泥洹行,使人向道得會道場,審現教授遠離生死,在有為中示現無為而嗟歎之,等樂於阿惟越致。是故菩薩得入須陀洹。」

文殊師利菩薩はこうお答えになりました。

「天子よ、菩薩はすべての人々を見るとき、まるで海に落ちて流れに逆らえずに流される者のように思われます。しかし、力ある者は流れに逆らって上り、生死の流れを断ちながらも、その根本の行いを損なうことなく、三悪の道を平等に断つことができます。

すべての人を安らかな場所へと導き、迷いを遠ざけ、仏法の蔵に確かに住まわせ、凡夫の足跡を超えて、仏法の足跡に喜んで立たせます。生死の果てを見極め、涅槃の門へと向かわせるのです。

諸世界において第一の厚い慈悲をもって、常に人々の志を涅槃の行いに立たせ、道へと向かわせて道場に会わせ、生死を遠く離れた真実の教えを明らかに示します。有為の世の中にあって無為を示し、それを讃歎し、不退転の境地と等しい喜びを得させます。それゆえに、菩薩は須陀洹に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入斯陀含?」

天子は再び尋ねました。「文殊師利よ、菩薩はいかにして斯陀含の境地に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩知一切當來未然之法,來入生死中,護於一切而為說法,令至無為。不見有法至無為者,亦不見來,亦不見住,雖示現來而無愛欲,去則畢於所作。來則不違於本要,來則不隨於魔教,來則到於道場,來便持諸佛教而示現,依怙諸法來護一切令度生死淵,已得堅強神通之道無能壞者。是故菩薩得入斯陀含。」

文殊師利菩薩はお答えになりました。 「天子よ、菩薩はすべての未来に起こるであろう事柄を知りながら、あえて生死の世界に入ってこられます。すべての衆生を守りながら法を説き、無為の境地へと導かれるのです。しかし、無為へと至る何らかの法があるとは見ず、来ることも、留まることも見ません。姿を現しては来られますが、そこに愛欲はなく、去る時には為すべきことを成し遂げられます。来られることは本来の誓願に背かず、来られることは魔の教えに従わず、来られることは悟りの場へと至り、来られることは諸仏の教えを体現して示され、すべての法を拠り所としてすべての衆生を守り、生死の深淵から渡らせてくださるのです。すでに堅固な神通の道を得て、誰も壊すことができません。それゆえに、菩薩は斯陀含の境地に入られるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入阿那含?」

天子はまた尋ねました:「文殊師利よ、どうすれば菩薩は阿那含の境地に入ることができるのですか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩一切所見而不復還,不隨諸陰蓋,不墮諸顛倒。於是不復還,亦不來亦不去;於是不復還,亦不從非法之教,亦無所畏,亦無所貪婬,亦無瞋恚,亦無愚癡。不復還,所作事常勝,具滿於佛法,去來功德等而無異,一切所作已畢無會。為已受決,所可造而不起,所不自在者以慧而度之,黠不從他人侍。是故菩薩得入阿那含。」

文殊師利菩薩はお答えになりました。「天子よ、菩薩は一切のものを見るけれども、それに執着して戻ることはありません。五蘊や煩悩に従うこともなく、あらゆる誤った見解に陥ることもありません。それゆえ、戻ることもなく、また来ることも去ることもないのです。このような境地では、正しくない教えに従うこともなく、恐れも貪欲も、怒りも愚かさもありません。戻ることのない菩薩は、行うことすべてが常に勝れ、仏法を完全に具えています。過去と未来の功徳は平等で違いがなく、なすべきことはすべて成し遂げられ、集まることもありません。既に授記を受け、為すべきことに執着せず、自在でないことを智慧によって超え、他人に頼ることなく自ら明らかに見通します。それゆえ、菩薩は阿那含の境地に入るのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入阿羅漢?」

天子はまた尋ねました:「文殊師利よ、菩薩はいかにして阿羅漢の境地に入ることができるのですか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩悉棄所有,降伏貪欲,而為一切說法。諸瞋恚者而降伏之,以法教授,使除惡態,伏諸愚癡以法而化。已得空聚悉見諸法,不捨一切,精進於諸佛法,心不樂世間,一切合會皆無有常,於供養中常為之最。譬如蓮華不著泥水,無我無持亦無所有,等持諸法常念為之,以慧分別空,隨人所樂而立其志。宿命所願皆已滿足,意之堅住不隨他人教,諸語之好惡一切無所受,歡喜而得決,以決轉度一切。是故菩薩得入阿羅漢。」

文殊師利は答えて言いました。「天子よ、菩薩は全てを捨て、貪欲を降伏させ、あらゆる人々のために説法します。怒りに満ちた者たちを降伏させ、法をもって教え導き、悪しき心を除き、愚痴を法によって教化します。空なる集いを得て、すべての法を見極め、一切を捨てず、諸仏の法に精進し、世間を楽しむ心はなく、すべての集いは無常であると知ります。供養の中にあって常に最上の者となり、蓮華が泥水に染まらず、我もなく、執着もなく、所有もなく、諸法を平等に保ち、常にそれを念じ、智慧をもって空を分別し、人々の好みに応じて志を立てます。宿命の願いはすべて満たされ、心は堅固で他人の教えに従わず、言葉の善悪に一切とらわれず、歓喜して決断を得、その決断をもって一切を救い渡します。それゆえに菩薩は阿羅漢の境地に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入聲聞?」文殊師利答言:「天子!菩薩一切所不聞法而為說之,是為聲聞。於聲聞乘而無有信,於諸著法已不生不起法界,使未聞者聞。緣諸因緣者,以無我無人使習聞之。於空法教不限佛法,其所作法譬如虛空造諸法要。聞常精進無所罣礙,從他聞法不受行,自是於禪不隨他教,去來現在所有音聲悉曉知之。已斷所作不可盡,以為得具足,復得無盡譬喻法義,悉知一切人意所行。以慧示現而導利之,隨其所欲而為說法,令到其處而不貢高。常行本願。是故菩薩得入聲聞。」

天子が再び尋ねました。「文殊師利よ、どうして菩薩は声聞に入ることができるのですか?」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩は一切の未聞の法を説くこと、これが声聞です。声聞の乗り物に信を置かず、すべての執着する法においては、生じず起こらない法界にあり、まだ聞いていない者に聞かせます。縁による因縁に従う者は、我も人もないことを学び聞かせます。空の法の教えにおいて、仏法に限定せず、そのなすことは虚空のように諸法の要を造ります。常に精進して聞き、何にも妨げられず、他から法を聞いてもそれに従わず、自ら禅にあり、他に教えを求めず、過去・未来・現在のすべての音声をよく知っています。すでに断じた行いは尽きることがなく、これをもって具足を得、さらに尽きることのない譬えの法義を得、一切の人の心の行いをよく知ります。智慧をもって示現し導き利益し、それぞれの望むところに従って法を説き、その境地に至らせて高ぶることなく、常に本来の誓願を行います。それゆえ菩薩は声聞に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入辟支佛?」

天子が再び尋ねました:「文殊師利よ、菩薩はどのようにして辟支仏の境地に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩得因緣便,知諸法無我、無人、無壽、無命、無有主而自莊飾者,偽而無實、無所屬,其因緣相譬亦如是。諦見諸因緣,以道為飲食,於律法而不捨,是諸波羅蜜之侶,一切道證則法之侶。於四恩事而無貢高,是神通之侶。知因緣法而不斷著,不信餘業,得平等覺道。信見知處,不以為異意,而不隨壞敗小乘功德,為立大乘,以因緣行一切諸法。是故菩薩得入辟支佛。」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩は因縁の機会を得て、すべての法が『我』もなく、『人』もなく、『寿命』もなく、『命』もなく、主宰するものもないことを知ります。自らを飾り立てるものは偽りで実体がなく、帰属するところもありません。その因縁のありさまもまたこの通りです。

真実を見つめ、因縁を諦観し、道を糧とし、律法を捨てずにいること。これが諸波羅蜜の伴侶であり、すべての道を悟れば法の伴侶となります。四恩の事柄に対して驕り高ぶることなく、これが神通の伴侶です。因縁の法を知りながら執着を断たず、他の業を信じず、平等なる覚りの道を得ること。信じて見て知る境地を、特別なものと思わず、小乗の功徳を損なうことなく、大乗を立て、因縁によってすべての諸法を行じます。それゆえに、菩薩は辟支仏の境地に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得至於佛?」文殊師利答言:「天子!菩薩悉覺知一切法本皆空寂,覺知一切本無所有,覺知諸行。於惡處人中天上,意悉遠離眾所安樂。所以者何?悉曉了諸慧故。自意覺智慧,知諸欲空、自身亦空,以一時念則覺道。次不為餘轉,便現無數若干之事。是故菩薩得至於佛。」

天子が再び尋ねました。「文殊師利よ、どうすれば菩薩は仏の境地に至ることができるのですか?」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩はあらゆる存在の本質がそもそも空であり寂滅であることを悟り、あらゆるものが本来は何も持たないことを悟り、すべての現象を悟ります。悪しき境遇にあろうと、人間界にあろうと、天上界にあろうと、心は常に世間の安楽から遠ざかっています。なぜなら、あらゆる智慧を明らかに知っているからです。自らの心で智慧を悟り、すべての欲望が空であること、自身もまた空であることを知る。一瞬の念いで道を悟るのです。次に、他のものに揺らがされることなく、無数のさまざまな事柄を現じます。それゆえ、菩薩は仏の境地に至ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得至多陀竭?」

天子は再び尋ねました。「文殊師利よ、菩薩はどうすれば多陀竭(如来)の境地に至ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩以如來道來。如者為諦,無一道忘。如者為造立,如者為施與,如者為戒,如者為忍辱,如者為精進,如者為一心,如者為智慧,如者為善權,如者為慧,如者為人亦不人,現立為人習斷生死行,於諸行中等出其上。度恐畏者至於彼岸,所度無彼亦不在彼,至於在此亦不在此,用本淨故過於二處。遠離於冥平等見明,於冥無冥而度於冥。如來從空來,壞散垢穢使歸於空。是故菩薩得至多陀竭。」

文殊師利菩薩はお答えになりました。「天子よ、菩薩は如来の道によって来られます。『如』とは真実であり、一つの道も忘れることはありません。『如』とは建立であり、『如』とは施しであり、『如』とは戒律であり、『如』とは忍辱であり、『如』とは精進であり、『如』とは一心であり、『如』とは智慧であり、『如』とは方便であり、『如』とは慧であり、『如』とは人でありながら人にあらず、人として現れながら生死の行いを断つことを習い、すべての行いの上に平等に立つことです。恐れを超えて彼岸に至り、超えるべき彼もなく、彼にも在らず、ここに至るもここにも在らず、本来清浄であるがゆえに二つの境地を超えます。暗闇を遠く離れ、平等に光明を見、暗闇の中にあって暗闇なく、暗闇を超えていきます。如来は空から来られ、垢穢を破り散らして空に帰します。それゆえ、菩薩は多陀阿伽度(如来)に至ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得至匐迦波壞生死處?」

天子が再び尋ねました:「文殊師利よ、どうすれば菩薩は生死の輪廻を断ち切ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩破壞愛欲,得度三界生死之處。於有處示現無處,凡一切人皆擔重擔降壞魔眾,於諸處所樂喜著者皆遠離之,令放重擔絕離其處。遍見所生善惡眾處,已去所處樂捨貪婬,以柔軟心用定身意定於戒智,悉見惡處離而不著,悉入諸身知一切態,正生死處導利福施,廣設橋梁常樂供養,滿覆三處未曾厭廢,為三界人之所戴仰。是故菩薩得至匐迦波。」

文殊師利菩薩は答えられました。 「天子よ、菩薩は愛欲を破壊し、三界の生死の世界を超越します。 ある世界にいながら、そこに執着していない姿を示し、すべての人々が重い荷を背負っている中で、魔の軍勢を打ち破ります。 あらゆる場所で楽しみや執着を抱く者たちから遠ざかり、重荷を下ろし、その場所から完全に離れるよう導きます。 生まれるあらゆる善悪の世界を見渡し、かつて住んだ場所や、快楽・貪欲・愛欲を捨て去ります。 柔和な心で、身と心を安定させ、戒律と智慧によって定まります。 すべての悪しき世界を見ても、離れ、執着せず、あらゆる存在の姿を知り、その本質を理解します。 生死の世界を正しく見つめ、福徳と布施をもって導き、広く橋をかけ、常に喜んで供養を捧げます。 三つの世界(欲界・色界・無色界)を満たし覆いつくし、決して倦むことなく、三界の人々から敬われ仰がれます。 それゆえに、菩薩は『匐迦波』(悟りの境地)に至ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得至三耶三佛平等覺?」

天子は再び尋ねました:「文殊師利よ、菩薩はいかにして三耶三仏の平等なる覚りに至ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩心於五逆、若於正道其意平等,是故無不等覺。等於所見及四顛倒,等於陰蓋諸所覆蔽於道無異,是故無不等覺。等婬怒癡及於諸欲亦等於道,是故無不等覺。於凡人法、習法不習法、辟支佛法、菩薩法悉等於道,是故無不等覺。是故菩薩得至三耶三佛。」

文殊師利菩薩は答えられました。 「天子よ、菩薩の心は五逆の罪に対しても、正しい道に対しても、その思いは平等です。それゆえ、等しくない覚りはありません。 見るものも四つの倒錯も平等であり、心を覆い隠す煩悩も、道と異なることはありません。それゆえ、等しくない覚りはありません。 貪り・怒り・愚かさや諸々の欲望も、道と平等です。それゆえ、等しくない覚りはありません。 凡夫の法、学ぶべき法、学ぶべきでない法、縁覚の法、菩薩の法、すべてが道と平等です。それゆえ、等しくない覚りはありません。 このゆえに、菩薩は完全な正覚に至ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得至世多羅世尊?」

天子はまた尋ねました。「文殊師利よ、どうすれば菩薩は世多羅世尊に至ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩教誡世人,使得功德、瞋恚不生。聞法教者則皆奉持,教非法教,為轉法輪。甘教、慈教、三千世界教、為一切世尊教。為受一切自歸,為一切作燈明,為一切明中最明,為一切作寂然之寂,令一切人無有思想滅而不熾。為一切人解諸狐疑,狐疑諸難皆為已斷。為一切人長益功德,為轉輪王、四天王、釋梵之所禮。為愚所輕不以恚恨,為智所歎不以歡喜。心恒平等常若虛空,世尊為最等於世間。是故菩薩得至世多羅。」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩は世の人々を教え導き、功徳を得させ、怒りの心を起こさせません。教えを聞く者は皆それを守り行い、正しい教えを広め、法輪を転じます。それは甘美な教え、慈愛の教え、三千世界に及ぶ教え、すべての世尊の教えです。すべてのものの拠り所となり、すべてのものの灯火となり、すべての光明の中で最も輝き、すべてのものに静寂をもたらし、すべての人々の妄念を消し去り、燃え立たせません。すべての人々の疑いを解き、あらゆる難問の疑いを断ち切ります。すべての人々の功徳を増し長らえさせ、転輪王、四天王、帝釈天、梵天からも礼拝されます。愚かな者に軽んじられても恨まず、智者に称賛されても喜びません。心は常に平等で虚空のごとく、世尊は世の中で最も等しい方です。それゆえに菩薩は世多羅(究極の境地)に至ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入鉢遬禪陀嵐凡人法?」

天子が再び尋ねました。「文殊師利よ、菩薩はいかにして鉢遬禪陀嵐の凡夫の法に入ることができるのですか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩一切人民所行,以善權示現一切凡人行,而知之無所著。是故菩薩得入凡人法。」

文殊師利菩薩は答えられました。 「天子よ、菩薩はあらゆる人々の行いを、巧みな方便によって凡夫の行いとして示現しながらも、それに執着することなく真実を知っています。 それゆえ、菩薩は凡夫の法の中に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入勒迦陀嵐貪婬法?」

天子がまた尋ねました。「文殊師利よ、どうすれば菩薩はレーカダーランの貪欲と淫欲の法に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩常愁悲泣欲得佛法,常貪樂成身如如來身,慈向一切而無恚怒。是故菩薩得入貪婬法。」

文殊師利菩薩は答えられました。「天子よ、菩薩は常に仏法を得たいと願い、悲しみ涙を流します。常に如来の身のようになりたいと願い、一切の衆生に慈しみを向け、怒りや憎しみを持ちません。だからこそ、菩薩は貪欲や愛欲の法の中に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入䨴陀嵐瞋恚法?」

天子はまた尋ねました。「文殊師利よ、菩薩はどうすれば、激しい怒りの法に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩於一事中見十八事,於聲聞,辟支佛乘譬如冤家,不勸發人使起是業。於有為中而現愛欲,於愛欲中心無所著。所以者何?欲養一切故。是故菩薩得入瞋恚法。」

文殊師利は答えました。「天子よ、菩薩は一つの事柄の中に十八の事柄を見通します。声聞や縁覚の道に対しては、まるで敵のように接し、人々がそのような行いに走ることを勧めません。世俗の世界に愛欲を現しながらも、心には何一つ執着がないのです。なぜなら、すべての衆生を養い育てるためです。このゆえに、菩薩は怒りの法さえも自在に使いこなすことができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入瞀訑陀嵐愚癡法?」

天子は再び問いました。「文殊師利よ、どうすれば菩薩は愚かさの法に陥ることなく、真の智慧を得ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!無所識知是名曰癡。於無識習習等定法,亦不知亦不曉,亦不喘亦不息,亦不作亦不壞。是故菩薩得入愚癡法。」

文殊師利は答えました。「天子よ、何も知らないことを『無明』と言います。認識もなく、習慣もなく、定まった法もなく、知ることもなく、理解することもなく、呼吸することもなく、止めることもなく、作ることもなく、壊すこともありません。それゆえ、菩薩は愚癡の法に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入僧薩陀嵐生死法?」

天子はまた尋ねました。「文殊師利よ、どうすれば菩薩は僧薩陀嵐の生死の法に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩於生死而不動。所以者何?求佛道故堅住不動,一切眾魔不能得其便,一切諸行得無所著,等於生死亦等佛法。於小道而不樂,於大道而等見,不動亦不轉。是故菩薩得入生死法。」

文殊師利菩薩はお答えになりました。

「天子よ、菩薩は生死の世界にあっても動じません。なぜなら、仏の道を求めるゆえに、しっかりと立って動かず、すべての魔の妨げを受けることなく、一切の現象に執着せず、生死の世界と仏法とを等しく見るからです。小さな道に楽しみを見出さず、大きな道を平等に見つめ、動揺することも、迷うこともありません。それゆえ、菩薩は生死の法に入ることができるのです。」

天子復問:「文殊師利!云何菩薩得入泥洹陀嵐滅度法?」

天子がまた尋ねました:「文殊師利よ、菩薩はどのようにして泥洹陀嵐滅度の法に入ることができるのでしょうか?」

文殊師利答言:「天子!菩薩隨諸習俗現泥洹道,知一切法習而滅之,於泥洹行不般泥洹,於泥曰行不永泥曰。是故菩薩得入滅度法。」

文殊師利菩薩は答えられました。 「天子よ、菩薩はあらゆる習俗に従いながらも、涅槃の道を示します。 すべての法は因縁によって生じ、やがて滅びることを知りながら、 涅槃の行いにおいても完全に涅槃に入らず、 生死の行いにおいても永遠に生死に沈むことはありません。 それゆえに、菩薩は滅度の法を体得することができるのです。」

佛說須真天子經卷第三

仏説須真天子経 巻第三


7 菩薩行品(三)
9 頌偈品(四)

CBETA コード: T0588

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