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四分律刪補随機羯磨疏済縁記 (四分律刪補隨機羯磨疏濟緣記)


四分律刪補隨機羯磨疏序

四分律に基づく、状況に応じた実践のための羯磨(重要な儀式)の手続きを、簡潔かつ補足的に解説した書の序文

題中上三字標所宗律簡他部故次六字標能宗羯磨簡餘文故上竝所解疏為能解上皆所序序為能序所解之題序末自釋而云疏者結界篇云疏者疎也疏決疑壅必不曉者披文見意謂羯磨本文全依佛語雖加注釋言略義含來學披尋不無疑壅故須開釋啟悟未聞或立義以申明或附文而披釋其猶決江河之滯塞使川澤以疎通奧義深文由茲流暢故也序義如常臨文自舉。

題中の上の三字は、戒律の宗を標すものであり、他の部類とは異なることを示す。次の六字は、羯磨の宗を標すものであり、他の文とは区別される。以上はすべて解釈される対象であり、疏は解釈する側である。上はすべて序説され、序文は序説する側である。解釈される題については、序文の末尾で自ら説明がある。そして「疏」と呼ばれる所以について、『結界篇』に「疏とは疎(とおす)という意味である。疎は疑いや滞りを決断し、もし理解できない者がいれば、文を開いてその意味を見出す」とある。羯磨の本文はすべて仏語に依っているが、注釈を加えても言葉は簡潔で意味は含み深く、後学の者がこれを紐解いても疑いや滞りがないわけではない。ゆえに開き解説し、未だ聞かざる者の悟りを開く必要がある。あるいは義を立てて申し明かし、あるいは文に付いて披き解釈する。それはあたかも江河の滞りを決して、川や沢を疎通させるようなものである。奥深い義理や深遠な文も、これによって流れるように

大唐沙門釋 道宣 於終南山豐德寺撰

唐の国の沙門(修行僧)道宣が、終南山の豊徳寺にて撰した。

撰號中上二字標其時也次五字示其號也沙門即出家之通名釋乃隨師之姓氏於下記其處也終南在古長安西南五十餘里亦名太一山豐德寺在終南之豐谷準僧傳本號豐谷後因智藏法師居之故改為豐德耳撰即訓述示其謙也準下批文凡經兩出此即後脩之本。

撰号の「中」「上」の二字は、その経典の時を示している。次の五字はその名を示す。沙門とは、出家した者の総称である。釈は、師に従って名乗る姓である。その下には、その場所を記している。終南は、古い長安の西南五十余里に位置し、太一山とも呼ばれる。豊徳寺は、終南山の豊谷にある。僧伝によれば、もとは豊谷という名であったが、後に智蔵法師が住持したため、豊徳と改められた。撰とは、述ることを訓み、その謙虚さを示している。下の批文によれば、経典は二度出されたが、これは後の改訂本である。

觀夫聖人之利見也玅以清澄界繫亡我靜倒以為言焉。

聖人が世に現れて人々を利益するのを見ると、その妙なる教えは清らかで澄み切っています。この世の束縛を超え、自我をなくし、静かに誤った見解を捨てることを教えとしているのです。

序文序教源中初科通敘如來出世設教之旨意明羯磨教有所歸觀謂以意推詳惑盡理明行極果滿謂之聖人名通凡小及以因行細而簡之今此乃局玅覺極果又復別指此方化主釋迦本師耳利見周易乾卦二五兩爻皆云利見大人彼明國君出潛登極必合時心萬物宜覩今謂如來乘時應世機緣成熟羣生宜見故借彼語以明垂應玅以猶言要使也界是苦道繫即業道我倒即惑道由惑起業因業感苦欲脫此苦必先以戒禁捉業非故曰清澄次以定慧縛殺煩惑故云亡靜界即三界六道繫即七支十惡我即人執倒即四倒無常計常苦逼計樂無我計我不淨計淨通而為言不出四住五住見思無明也釋尊一代所說教門大小雖殊理盡於此更無餘途故云以為言焉若據毗尼本唯止業今從佛意通遠為言即下云凡所立教無非為存滅惑是也。

序文

教えの源を述べる序文、その初めの章では、如来がこの世に現れて教えを説かれた根本の意図を明らかにし、羯磨の教えには依って立つところがあることを示す。

「観」とは、心を巡らせて道理を推し量ることをいう。迷いが尽きて悟りが明らかになり、修行が極まり果てて功徳が円満することを「聖人」という。この名は凡夫や小乗の者、また修行の途中にある者にも通じて用いられるが、細かく検討すれば、ここでいう聖人はもっぱら妙覚という究極の悟りを指し、さらに特別にこの世界の教化の主である釈迦牟尼仏を指しているのである。

「利見」とは、『易経』の乾卦の二爻と五爻のいずれにも「利見大人」とある。あれは国君が世に出て位に即くとき、必ず時の心にかなって、万物がその姿を見るにふさわしいことを説いたものである。今ここでは、如来が時機に乗じて世に現れ、衆生の機縁が成熟して、多くの者がその教えを聞くにふさわしいことを示す。よってこの語を借りて、如来が世に垂れたまうことを明らかにするのである。

「妙」とは「要使」すなわち「必ずそうさせようとする」というほどの意味である。

「界」は苦しみの道であり、「繫」は業の道であり、「我倒」は惑いの道である。惑いによって業が起こり、業によって苦しみを感ずる。この苦しみから脱しようと思えば、必ずまず戒をもって業を防ぎ止める。それゆえ「清澄」というのである。次に定と慧をもって煩悩を縛り殺す。それゆえ「亡静」というのである。

「界」とは三界・六道をいい、「繫」とは七支(身の三業と口の四業)・十悪をいい、「我」とは人執をいい、「倒」とは四つの顛倒——無常のものを常と思い、苦しみの多いものを楽と思い、無我のものを我と思い、不浄のものを浄と思うこと——をいう。広く総合していえば、四住・五住すなわち見思惑と無明を出でない。

釈尊一代に説かれたまうた教えの門は、大乗・小乗の区別はあっても、その道理はすべてこの中に尽きており、他に道はない。それゆえ「以為言焉(もって言といわん)」というのである。

もし『毘尼』(律)に基づいていえば、もともとはもっぱら業を防ぐことを目的とする。今は仏の意図に従って広く遠くを語るのであれば、すなわち下の文に「およそ立てる所の教えは、すべてこれ惑を滅ぼさんがために存す」というのがそれである。

故張三學之教源顯八正之道業揚四部之清訓樹五眾之良規莫不橫厲重關高翔極有者矣。

故に張三が学びし教えの源は、八正道の道業を顕かにし、四部の清き訓えを揚げ、五衆の良き規律を樹てた。そのいずれもが重き関門を横に超え、高く極有へと翔け上らざるはなし。

次科初示教本眾生沈溺既唯三道佛設教門不出三學對業立禁戒對惑立定慧惑傾業喪則苦道畢矣若準高僧傳論即對三業以立三學戒對身口定慧對意病唯齊此藥不空施法門雖多皆從流出故云教源故下云通進道門不出三學一切聖人竝由斯跡是也就此三學離為八正故云顯也一者正見(見四諦分明故)二正思惟(思惟發動覺知令增長入涅槃故)三正語(除四邪命攝口業住正語中故)四正業(除身邪業住清淨正身業故)五正命(除三業中五邪命住清淨正命故)六正精進(勤精進修涅槃道故)七正念(念正道及助道法故)八正定(入諸禪定故)此八通名正道出世正業簡邪行故亦名聖道四聖所修簡凡位故準下疏云語業命三是其道戒念定方便義約禪靜(方便即是精進)正思及見此為慧觀上二句彰教行下二句顯被機四部清訓即經論化教通道俗故僧尼士女謂之四部五眾良規即律藏制教局出家故莫下結歎教功六道深固故喻重關厲猶闢也無色天頂謂之極有翔謂飛舉也此明三藏無漏聖法橫則闢開六道之門豎乃高超三有之表滅惡生善革凡成聖顯上清澄亡靜之義也。

まず、教えの根本を示します。衆生は溺れ沈んで三道を巡るばかりなので、仏が教えの門を設けられるのは三学を出ません。業に対して禁戒を立て、惑に対して定慧を立てます。惑が傾き業が失われれば、苦の道もそこで終わります。『高僧伝』の論に準じれば、三業に対して三学を立て、戒は身と口に対し、定慧は意に対します。病はただこれだけであり、薬を空しく施すことはありません。法門は多いといえども、みなここから流れ出るので「教源」といい、そのため下に「通じて道門を進むに三学を出でず、一切の聖人はみなこの跡による」と説かれています。この三学を離して八正としますので「顕」といいます。第一は正見(四諦を見ることが分明であるためです)。第二は正思惟(思惟を起こし発動して覚知させ、増長して涅槃に入らせるためです)。第三は正語(四邪命を除き、口業を摂めて正語の中に住むためです)。第四は正業(身の邪業を除き、清浄な正しい身業に住むためです)。第五は正命(三業の中の五邪命を除き、清浄な正命に住むためです)。第六は正精進(勤めて精進し涅槃の道を修するためです)。第七は正念(正道および助道の法を念じるためです)。第八は正定(諸々の禅定に入るためです)。この八つを通じて正道と名づけます。出世の正業であり、邪行を簡ぶためです。また聖道とも名づけます。四聖の修するところであり、凡位を簡ぶためです。下の疏に準じれば、「語・業・命の三つはこれ道なり。戒・念・定は方便の義にして禅静に約す(方便とはすなわち精進です)。正思と正見はこれを慧観とす」とあります。上の二句は教行を彰し、下の二句は被機を顕します。四部の清訓とは、経論の化教が道俗に通じるためです。僧尼士女をこれを四部といいます。五衆の良規とは、律蔵の制教が出家に限られるためです。「莫」の下は教えの功を結び歎じます。六道は深く固いので重関に喩え、厲はすなわち闢と同じです。無色天の頂を極有といい、翔は飛び挙がることをいいます。これは三蔵の無漏の聖法が、横には六道の門を開き、豎には三有の表を超え、悪を滅し善を生じ、凡を革めて聖と成すことを明かし、上の清澄亡静の義を顕しています。

然則學雖多位誠戒居先豈不以眾善宏基依因之所本也。
別明中初科上句躡前三學次句獨推戒功豈下出居先所以有二義一者萬善宏基謂出生萬行宏即大也二者依因所本謂能發起定慧即遺教云若無淨戒諸善不生又云依因此戒得生禪定滅苦智慧是也。

戒律の功徳について明らかにする。初めの句は、前にある三学(戒・定・慧)を受けている。次の句は、ただ戒律の功徳を特に強調している。「豈に」以下の文は、なぜ戒律が最初に置かれるのかを述べており、その理由は二つある。

一つ目は、戒律がすべての善い行いの広大な基盤であるということだ。すなわち、あらゆる善い行いを生み出す。ここで「宏」は「大いなる」という意味である。

二つ目は、戒律がすべての善いことのよりどころとなる根本であるということだ。すなわち、戒律が禅定と智慧を引き起こすことができる。遺教経に「清らかな戒律がなければ、すべての善い行いは生まれない」とあり、また「この戒律に依って、禅定と苦しみを滅する智慧が生まれる」と説かれている。これがそのとおりである。

自古詳教咸分兩途化教則通被道俗專開信解之門行教則局據出家唯明修奉之務三輪則攝於憶念四藏則統在毗尼義約則行教所收從文則歸承法聚止作兩善名實昧於即機受隨二戒願行標於時眾所以前修後進成誦維持代漸浮訛不無㳂濫。
次科通敘中初總分兩教三輪下別敘毗尼初中從古皆爾故曰咸分就文二教對明兩別道俗出家被機異也信解修奉立法異也戒疏云何名化教開演化導令識邪正教本化人令開慧解本非對過而立斯教言行教者起必因過隨過制約言唯持犯事通止作戒律一宗局斯教矣就別敘中又二初四句總判所歸止作下別示宗要初中上二句通對餘藏下二句局就律宗三輪者一者神足為無信也二曰說法為無解也三須憶念為無證也由此三種運轉不絕故竝名輪前之二輪攝餘二藏後之一輪即攝律藏雖復互兼不無偏勝言憶念者謂毗尼立法殷勤囑累制令記憶不使遺忘所以常爾一心違皆制犯故知常勤觀察始號奉持四藏者三藏外加一雜藏用收眾典今明戒律四中之一制法雖多毗尼總攝故云統也義約者從理而判此即取上總分別收律藏從文者且就本律二眾戒本二十犍度皆名法聚準五百結集文比丘事聚在一處名比丘戒本尼戒亦然受戒法聚在一處名受戒犍度乃至諸犍度亦爾犍度梵言即翻法聚是則一部始末通歸法聚所收別示中止作兩善即二持名即名字實即體相昧謂艸昧取剏始之義周易云天造艸昧(文見迍卦注云造物之始始於冥昧故曰艸昧言其草略未甚顯著)即機與下時眾竝目當時稟化之者受隨二戒受戒是壇場願體隨戒即後起行相故云願行標謂指其大端未為盡理所以下結示上二句示前世傳持下二句明後代訛濫凡古今文字播於眾口相傳誦習者謂之成誦浮訛言其時變㳂濫謂其義乖。
自法流東夏開務寔繁戒本羯磨爭分異轍良由受體止持攝修之極無越戒本據行作持量處之要其唯羯磨。
次別明羯磨敘古集本中初文初二句推往古弘傳自漢至唐涉于九代對西曰東大國曰夏或弘傳三藏或立法行事皆謂開務歷代非一故曰寔繁戒下次明二文獨盛體行止作攝修量處即二文之宗旨祇由極要致使𮞏代弘持甚眾所見既別故曰爭分各立宗途故云異轍轍即車所由之道。
戒本序致如別所陳羯磨眾氏義須詳顯或單翻出(即古本曹魏所翻者)或依律文(即今一家依本直誦)或準義用(即光師所述首云三藏者)或引緣據(即順師後述廣子注者)酬校諸本成務紛綸增減繁略互見得失單翻則失於文旨包舉難尋依本則得在執據前後易惑準義理雖無爽藏跡可嫌緣據似是具周止存別見竝隨事尋誦臧否冥然唯可卷收信殊龜鏡。
次科初二句指略戒本即含注戒序敘古所出亦有四家非今正意故指如彼次正列羯磨又二初列名眾氏猶言諸家單翻者按懷素律師序云曹魏鎧律師(即康僧鎧)於許都集題云曇無德部雜羯磨即曹魏時又有曇諦律師於洛陽集題云羯磨一卷出曇無德部(二本竝見大藏)昔以次句用收諦本然彼出於曹魏則非即今一家又受日加乞牒入羯磨復非依本直誦今詳鎧諦二本竝是單翻俱出曹魏意以此句通收二本二依律者祖師之世別有一家列次文句一依律本即下明受日法云近世諸師不加乞辭準律直誦頗符今注祖師所集承用此本但立篇次以類集之彼本依律緣起隨有隨錄無有義類故下斥云前後易惑是也三準義者即元魏慧光律師於鄴下集此同曇諦本意詳光師即用諦本但加義注故云準義首云三藏者即撰號自稱三藏法師四引緣者謂據律緣起即隋朝法願律師於并州撰兼出章疏并汾盛行(已上三本竝亡)酬下次對校為三初四句通示諸過酬即是對成務紛綸謂事無倫序增減繁略言不得其中如受日乞辭或加不加解戒場法或出不出分亡物法或二或三作法成緣或六或七等增則成繁減則成略又可增減約法繁略在文互見得失言未全是也二別點得失單翻中彼無注釋故失文旨復不辨緣成則羯磨綱要在文不顯故云包舉難尋此本全失後三則兼得失竝上句縱與下句奪破易惑謂前後不次使人迷亂義見上文爽亦訓失光師之本或用他文及加自義竝無標簡謂之藏跡參混聖語故曰可嫌今家不爾引文約義一一標顯即羯磨序云律藏殘闕義有遺補故統關諸部撮略正文必彼此俱無則理通例決竝至篇具顯異古藏跡別見謂所見不通竝下總斥無用隨事尋誦謂機生取用也臧否冥然謂如非不辨也不堪依用故可卷收不足憑信故殊龜鏡龜辨吉凶鏡分妍醜殊猶乖也。
又依本綴疏廣引游辭附文摘義尠逢其器逮于近世繼有作者盛解律文空張辭費至於行事未見其歸撫務懷仁實增勞想。
綴疏中二初斥前代游辭謂非要之言附文摘義述疏之體能此撰述實難其才故云尠逢其器次斥近世初二句標人逮及也次二句敘非要至下二句明失本撫下二句示傷感辭費謂言辭過實(曲禮曰無辭費)撫務謂惜其正軌懷仁謂悲於來學勞想謂積念成勞此見聖心為物之切也。
今不揆庸昧試纂聖言削彼繁蕪增其遺漏具依正量傍出行用各顯部類仍隨義舉指瑕則知過宜改摘理則思擇有蹤時務則廣樹厥儀同廢則略題名相。
明今中初科初二句總敘撰集揆即訓度對下聖言故云庸昧未敢自許故云試纂纂即集也削下別示文體七段初示刪補繁蕪遺漏義見上文二依正量謂羯磨文句一無加減三出行用即諸篇布設行事次第對本羯磨故言傍出四顯部類謂集成十篇故或可所引諸部竝顯名題五隨義舉下文標云義設等六明取捨指瑕者下文破古皆標有人等知過宜改令捨執也摘理者謂取他所長思擇有蹤謂考校得實也七明隨機時務如受結說恣衣藥受淨等同廢如二大界三小界懺上三篇罪等下竝標名不出其法樹字上呼厥其也上之七段若合題目初是刪補末示隨機中即羯磨又復一一反古所集對前可解。
本雖行世於理未陳故復相從勒開文義。
出疏中初文上句指前次句起後理即是義隨文披釋故曰相從勒猶析也。
餘老矣恐徒移日晷妄損正功耽滯無益之辭以送有涯之命誠不可也大集法行之言律頒常一之教此而不審餘竟何言。
次科初敘惜於時功大下次顯審其宗旨若唯循舊一則虗費二乃乖宗斯疏所興深意在此準下批文貞觀九年剏製將近六十至二十二年重修已及七十故云老矣前著後加皆未可測晷即日影無益辭者諸古疏也有涯命者報有期也(莊子云吾之生也有涯注云涯限也)大集第七寶女品云世尊云何菩薩修行法行佛告寶女菩薩不捨親舊知恩報恩憐愍一切修於忍辱難施能施慈心護戒思惟善義護持正法善護眾生淨身口意清淨其行乃至勤修六波羅蜜四念處八正道是名菩薩修行法行四分大小持犍度云初夜後夜精進覺悟若在晝日若行若坐常爾一心念除諸葢頒賜也經稱法行旨在修行律制常一意存攝念苟不體此則失宗要被物無功終成浪述故云此而不審等仍知今疏專被攝修講學討論勿忘斯意。
所題曇無德者中梵本音唐言譯之名為法鏡部謂黨類之別名運起正法之初位四分即說之斷章言律乃行所詮教對彼繁略故題刪補對彼潛務故曰隨機羯磨天音人翻為業凡百所被莫不成濟且開大略廣要如後。
釋題中三初釋人名次釋律號後釋本題初中亦云曇摩德翻法鏡者戒疏云能照達萬法亦云法正明慧卓朗除邪倒故亦云法護興建正法不墜於時故(或云法密又名法藏)黨類者約法則指其部文就人則約同所見運即是時正法千年佛滅百年便分五部故云初位律題中斷章者四度傳文一部方就隨說止處即為一分故云斷章斷字上呼行所詮者所即語辭別於餘藏故曰行詮本題中對彼者即指古本繁略義見上文潛務謂時所不行者如二大三小諫治悔重等法古皆備出今本但存現行要用者故云隨機機即弩牙喻其要也羯磨翻業下文具辨被事成濟即是業義且下結指上句通指前序或云別指釋題下句示後疏文然業理幽微一宗樞要寄茲略示啟悟來蒙且夫諸法常住則知真妄同源方便隨宜故說從真起妄真理本寂清淨湛然不守自性從緣發動動即業相動之不已熾然麤顯變起世間眾生國土凡聖因果一切諸法此理事相對以辨業也又於一心中派出諸業六凡為染四聖是淨由諸眾生迷理起妄隨妄興業流轉六道則為染也有能覺悟反妄歸真修解脫道起出諸有二乘之人名無漏業菩薩及佛名大悲業對望六凡通名為淨此約染淨以明業也又三界見思無明煩惱竝業所成無別有體涅槃云業作煩惱煩惱作業三界六道一切苦報皆酬往業業成於報報體即業故知業積成惑業變為報三道輪轉無非是業此約三道以明業也又業由心起心隨境生境既無量業亦非一所緣雖眾能造唯三身口是具意為業主意即業思思即行心是則一切善惡業相皆心所造此約心境以明業也又三毒所起十不善行是三途業諂誑強狼即修羅業歸戒布施即人天業無漏八正是二乘業六度萬行即菩薩業無緣大慈不思議用即諸佛業如起信贊佛偈云最勝業徧知等但六凡迷業三聖修業唯佛證業故知業者徧該十界或云三惡三善或云四惡人天為善或云六凡為惡四聖為善此約因果以明業也又五陰中一陰是色四陰是心識想受三悉是無記流入行心方成善惡就此行心復分三性善惡如上無記業者癡狂心亂睡眠誤妄悉無記業善惡二業招生感報無記業者不能感報或云不招總報亦感別報如成論夢中造業五分夢中結五吉羅之類此約三性以明業也又大小兩乘經律論藏教相所詮唯戒定慧當知三學行之本也教由生也行即是業詮行成教是則三世十方一切佛法無非詮業此約教行以明業也又十善五停四弘六度一切觀行竝化教業毗尼所詮開遮輕重一切律藏竝制教業化據理性理有順違制就教法教有持犯此約化制以辨業也又總括一化三宗不同一明受隨作無作體如戒業章三體差別二隨行持犯成就處所有宗動色假宗重緣圓教瞥念若持若犯竝準此三以為分齊此約大小以明業也又殺盜婬等身口非違生死根本方便正念護本所受名止善業䇿勤三業有善起護眾別等法名作善業違止名作惡反作名止惡即止作二犯此約止作以明業也今此羯磨義翻為業名通體局且用十門一一簡辨則臨機秉御莫不成功主教傳通了無滯礙矣。

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