諸法無行經卷上
諸法無行経 巻上
姚秦龜茲三藏鳩摩羅什譯
姚秦・亀茲の三蔵法師 鳩摩羅什 訳
如是我聞:
このように私はお聞きしました。
一時佛在王舍城耆闍崛山中,共大比丘僧五百人俱,菩薩九萬二千人,其名曰:眾德莊嚴菩薩摩訶薩、師子遊步菩薩、光無障淨王菩薩、高山頂自在王菩薩、愛喜淨光菩薩、光蔽日月菩薩、妙淨鬚菩薩、身出蓮華光菩薩、梵自在王音菩薩、遊戲世師子王音菩薩、金色淨光威德菩薩、柔軟身菩薩、金色相莊嚴身菩薩、十光破魔力菩薩、諸根威儀善寂菩薩、德如高山菩薩、天音聲菩薩、法力自在遊行菩薩、山德淨身菩薩、妙德菩薩摩訶薩,如是等九萬二千人。
ある時、仏は王舎城の耆闍崛山におられた。五百人の大比丘僧と九万二千人の菩薩たちと共に。菩薩たちの名は、衆徳荘厳菩薩摩訶薩、師子遊歩菩薩、光無障浄王菩薩、高山頂自在王菩薩、愛喜浄光菩薩、光蔽日月菩薩、妙浄鬚菩薩、身出蓮華光菩薩、梵自在王音菩薩、遊戲世師子王音菩薩、金色浄光威徳菩薩、柔軟身菩薩、金色相荘厳身菩薩、十光破魔力菩薩、諸根威儀善寂菩薩、徳如高山菩薩、天音声菩薩、法力自在遊行菩薩、山徳浄身菩薩、妙徳菩薩摩訶薩など、このように九万二千人であった。
爾時師子遊步菩薩見是大會,即從座起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,以偈問曰:
その時、獅子遊歩菩薩は、この大いなる集いを見て、座から立ち上がり、右肩をあらわにして右膝を地につけ、合掌して仏に向かい、偈をもって問いかけた。
「世尊大導師, 名德稱無量,
今此大眾集, 願說寂滅法。
邪見諸愛慢, 嫉妬瞋恚性,
云何即是道? 大音方便說。
云何涅槃相, 與世法無異?
諸法無有二, 大悲為演說。
云何諸法性, 畢竟無有礙?
其性如涅槃, 亦同於解脫,
無縛亦無解, 亦復如虛空,
迦羅頻伽音, 大梵清淨聲。
身色喻天金, 淨命無量德,
演說實相法, 畢竟無縛解。
云何此五蓋, 而等於菩提?
云何是菩提, 即同諸業性?
是法是非法, 云何同一相?
如是畢竟淨, 唯願為演說。
無數無非數, 諸法畢竟滅,
一切種智相, 及以菩提道,
二法云何無? 惟願為演說。
無作無非作, 無著無非著,
畢竟無眾生, 諸法中無礙,
無戒無忍辱, 亦無有毀戒,
無智亦無慧, 亦無非智慧,
是法常清淨, 惟願為演說。
云何一切法, 寂滅如虛空?
無心心數法, 無見斷證修?
一切諸眾生, 同如虛空相,
一相法亦無, 心行亦叵得?
諸法無生滅, 無學無羅漢,
亦無辟支佛, 亦無求菩薩,
無住無休止, 無來亦無去,
諸法無動相, 常住如須彌,
無相亦無色, 色性即是道,
色性佛道一, 如是法願說。
云何無佛法, 亦無有眾僧?
是三寶一相, 惟願為演說。
無空無無相, 亦無有無作,
不合亦不散, 名相法亦無,
諸法畢竟空, 如響無作者,
無生無無生, 無滅無往來,
無天無龍神, 夜叉緊那等,
無人無地獄, 無餓鬼畜生,
無眾生五道, 願說如是法。
如導世師人, 外道非見者,
其有所演說, 云何等無二?
諸文字語言, 是法皆一相,
世尊大慈愍, 願開是法門。」
「世尊は偉大なる導師、その名も誉れも計り知れません。 今ここに集まったこの大衆のため、どうか寂滅の法をお説きください。 邪見や愛欲や慢心、嫉妬や怒りの性質、 それらがどうしてそのまま道となり得るのか? 大いなる声で、巧みに説いてください。 涅槃の相が、どうして世の法と異ならないのか? 諸々の法に二つはないと、大悲をもってお示しください。 どうして諸法の本性は、究極的に何ものにも妨げられないのか? その本性は涅槃の如く、また解脱と同じであり、 縛られることも解かれることもなく、また虚空の如くであると── 迦羅頻伽の如き声、大梵天の清らかな響きを持つあなた。 その身の色は天の黄金に譬えられ、清らかな命と無量の徳を持ち、 実相の法を説き、究極的に縛りも解きもないとお示しください。 どうしてこの五蓋が、菩提と等しいのか? どうしてこの菩提が、諸々の業の性質と同じなのか? この法と、この非法と、どうして同一の相を持つのか? このように究極的に清らかであること、どうかお説きください。 数あることも、数なきこともなく、諸法は究極的に滅している。 一切種智の相も、そして菩提の道も、 この二つの法がどうして無いのか? どうかお説きください。 作ることなく、作らないのでもなく、執着せず、執着しないのでもなく、 究極的に衆生はなく、諸法の中に妨げはない。 戒もなく、忍辱もなく、また戒を破ることもなく、 智もなく、慧もなく、また智慧でないものもない。 この法は常に清らかである。どうかお説きください。 どうして一切の法は、虚空の如く寂滅しているのか? 心も心の作用もなく、見ること、断つこと、証すること、修することもないのか? 全ての衆生は、虚空の相と同じであり、 一つの相という法もなく、心の働きも得られないのか? 諸法に生も滅もなく、学ぶ者もなく、阿羅漢もなく、 また辟支仏もなく、求める菩薩もなく、 留まることも休むこともなく、来ることも去ることもない。 諸法に動く相はなく、常住にして須弥山の如く、 相もなく色もなく、色の本性こそが道であり、 色の本性と仏の道とは一つである。この法をどうかお説きください。 どうして仏法もなく、また僧伽もないのか? この三宝が一つの相であることを、どうかお説きください。 空もなく、無相もなく、また無作もなく、 合わさることも散じることもなく、名や相という法もなく、 諸法は究極的に空であり、響きの如く作者もない。 生もなく、無生もなく、滅もなく、往来もなく、 天もなく、龍神もなく、夜叉や緊那羅などもなく、 人もなく、地獄もなく、餓鬼や畜生もなく、 衆生の五つの道もない。そのような法をお説きください。 世を導く師である人々や、外道の誤った見解を持つ者たちが 説くところのものは、どうして等しく二つとないのか? あらゆる文字や言葉による法は、全て一つの相を持つ。 世尊よ、大いなる慈しみをもって、どうかこの法門を開いてください。」
爾時世尊讚師子遊步菩薩摩訶薩言:「善哉,善哉!善男子!汝所問者甚為希有,一切世間之所難信。善男子!止止勿問。所以者何?新發意菩薩,於此空見、無相見、無作見、無生見、無所有見、無取相見、佛見、菩提見,所不能及。善男子!如此法者不應在新學菩薩前說。何以故?若聞是法,或斷善業,於佛道中則行邪道;若墮斷滅、若墮計常,不知如來以何方便隨宜所說?」
その時、世尊は師子遊歩菩薩摩訶薩を称えて言われた。 「善きかな、善きかな。善男子よ。汝の問いは実に稀なることであり、一切世間の信じ難いところである。善男子よ、止めよ、問うなかれ。なぜならば、新たに発心した菩薩は、この空の見解、相のない見解、作為のない見解、生じるもののない見解、所有するもののない見解、執着する相のない見解、仏の見解、菩提の見解に及ぶことができないからである。善男子よ、このような法は、新しく学ぶ菩薩の前で説くべきではない。なぜならば、もしこの法を聞けば、あるいは善い業を断ち、仏道において邪道を歩むことになるからである。あるいは断滅に堕ち、あるいは常住に執着し、如来がいかなる方便をもって機に応じて説かれたかを知ることができないからである。」
爾時師子遊步菩薩摩訶薩白佛言:「世尊!哀愍世間,願必為說。當來世中有菩薩空見、無相見、無作見、無生見、無所有見、無取相見、佛見、菩提見者,分別是空、是無相無作,好常讚學勤於事業,樂著文辭以辯說為妙貴於名利,如是之人聞如來說是無文字法畢竟清淨,當捨是諸見。是諸菩薩隨眾生所能信解,以方便力而為說法,雖說少欲知足而不以為最,雖說經戒亦不以為最,雖說在眾過惡亦知一切法遠離相,常稱讚獨處不在憒閙而不以為最。雖讚發菩提心而知心性即是菩提,雖讚大乘經而知一切諸法皆是大相,雖說菩薩道而不分別阿羅漢、辟支佛、諸佛,雖讚布施而通達布施平等相,雖讚持戒而了知諸法同是戒性,雖讚忍辱而知諸法無生無滅無盡相,雖讚精進而知諸法不發不行相,雖種種讚歎禪定而知一切法常定相,雖種種讚於智慧而了智慧之實性。雖說貪欲之過而不見法有可貪者,雖說瞋恚之過而不見法有可瞋者,雖說愚癡之過而知諸法無癡無礙,雖示眾生墮三惡道怖畏之苦而不得地獄、餓鬼、畜生之相。如是諸菩薩,雖隨眾生所能信解,以方便力而為說法,而自信解一相之法,所謂空、無相、無作、無生、無所有、無取相。世尊!惟願說是不可思議方便之法,一切聲聞、辟支佛與新發意菩薩所不能及,但為信解甚深一相法者說之。」
その時、師子遊歩菩薩摩訶薩が仏に申し上げた。「世尊よ、どうか世の人々を哀れみ、必ずお説きください。未来の世において、菩薩でありながら『空』という見解、『無相』という見解、『無作』という見解、『無生』という見解、『無所有』という見解、『無取相』という見解、『仏』という見解、『菩提』という見解に執着する者たちが現れるでしょう。彼らは『これは空である』『これは無相であり無作である』と分別し、それらを好み、常に称賛し、修行に励み、事業に忙殺されます。また、言葉の飾りを好み、弁舌の巧みさを素晴らしいものとし、名利を貴びます。そのような人々が、如来の説く『文字なき法』『畢竟清浄』を聞けば、これらの見解を捨て去るでしょう。そのような菩薩たちは、衆生が信じ理解できる力に応じて、方便の力をもって説法します。少欲知足を説いても、それを最も大切なこととはしません。経典や戒律を説いても、それを最も大切なこととはしません。また、大勢の中にいることの過ちを説いても、一切の法が遠離の相であることを知っています。常に独りでいることを称賛し、騒がしい場所にいないことを勧めても、それを最も大切なこととはしません。発菩提心を称賛しても、心の本性こそが菩提であると知っています。大乗経典を称賛しても、一切の諸法がすべて大いなる相であることを知っています。菩薩の道を説いても、阿羅漢、辟支仏、諸仏を区別しません。布施を称賛しても、布施の平等なる相を理解しています。持戒を称賛しても、諸法がすべて同じ戒の性質を持つことを了知しています。忍辱を称賛しても、諸法に生滅も尽きることもない相があることを知っています。精進を称賛しても、諸法に起こりも行じもない相があることを知っています。様々に禅定を称賛しても、一切の法が常に定まった相であることを知っています。様々に智慧を称賛しても、智慧の真実の性質を理解しています。貪欲の過ちを説いても、法の中に貪るべきものがあるとは見なしません。瞋恚の過ちを説いても、法の中に怒るべきものがあるとは見なしません。愚痴の過ちを説いても、諸法に愚痴も妨げもないことを知っています。衆生が三悪道に堕ちる恐怖の苦しみを示しても、地獄・餓鬼・畜生の相を実体として捉えることはありません。これらの菩薩たちは、衆生が信じ理解できる力に応じて、方便の力をもって説法しながらも、自らは一相の法を信じ理解しています。すなわち、空、無相、無作、無生、無所有、無取相です。世尊よ、どうかこの不可思議な方便の法をお説きください。これは一切の声聞や辟支仏、そして発心したばかりの菩薩たちの及ぶところではなく、ただ深遠なる一相の法を信じ理解する者のために説くものなのです。」
爾時佛告師子遊步菩薩摩訶薩言:「善男子!汝今諦聽,善思念之,吾當為汝解說此義。」
その時、仏は師子遊歩菩薩摩訶薩に告げられた。「善き者よ、あなたは今、よく聞き、よく考えなさい。私はあなたのために、この意味を解き明かしましょう。」
「唯然。世尊!我當受之。」
「はい、世尊よ。私は必ずそれをお受けいたします。」
爾時世尊以偈答曰:
その時、世尊は偈(うた)でお答えになりました。
「若人欲成佛, 勿壞於貪欲,
諸法即貪欲, 知是則成佛。
貪欲及恚癡, 無有能得者,
是法皆如空, 知是則成佛。
見非見一相, 著不著亦然,
此無佛無法, 知是名大智。
如人於夢中, 得道度眾生,
無道無眾生, 佛法性亦然;
道場無所得, 若得則不有,
明無明一相, 知是為世尊。
眾生即菩提, 菩提即眾生,
菩提眾生一, 知是為世尊。
譬如巧幻師, 幻作種種事,
所見無有實, 無智數若干,
貪瞋癡如幻, 幻不異三毒,
凡夫自分別, 我貪我瞋恚,
如是愚癡人, 則墮三惡道。
實相無貪恚, 癡亦不可得,
分別如幻法, 自生煩惱熱,
實相無煩惱, 無眾生無佛,
分別無生法, 凡夫願作佛。
不見諸佛法, 亦不見眾生,
知是法相者, 疾成眾生尊。
若人求菩提, 則無有菩提,
是人遠菩提, 譬如天與地,
知諸法如幻, 速成人中上。
若人分別戒, 是則無有戒,
若有見戒者, 是則為失戒,
戒非戒一相, 知是為導師。
如夢受五欲, 娛樂自快樂,
分別見女色, 此中實無女。
戒毀戒如夢, 凡夫分別二,
實無戒毀戒, 知是為導師。
凡夫著名字, 不知語言性,
名字非名字, 知是得無生。
自謂是菩薩, 讀誦為人說,
己身無所行, 但依恃種性,
但讀經求道, 常見他人過,
著威儀文頌, 見人敬自貴,
恃種性文頌, 不知法實相,
如是之人等, 終不能得佛。
為說諸法空, 惡心好諍訟,
是人無佛法, 亦無有菩提。
知瞋忍同相, 達是終不瞋,
不了眾生性, 是則生瞋恚。
自言菩薩者, 復作如是說,
我慈悲一切, 成佛度眾生。
他惱生瞋恚, 懷忿不與語,
常求他人過, 樂於鬪諍訟,
亦稱歎忍辱, 及說諸法空,
我心多憍慢, 常觀他人過,
貪著於美味, 晝夜念五欲,
是人入城邑, 自說度人者,
悲念於眾生, 常為求饒益,
口雖如是說, 而心好惱他。
我未曾見聞, 慈悲而行惱,
互共相瞋惱, 願生阿彌陀。
若人如恒沙, 惡口加刀杖,
如是皆能忍, 則生清淨土。
佛土非佛土, 知如虛空相,
不分別國土, 及國土功德,
如是之人等, 能生諸佛國。
自言忍眾惡, 見菩薩如佛,
我未曾見聞, 佛相而瞋者。
各自美毀他, 樂檀越知識,
言我所教化, 護使令如法,
汝應我所度, 莫親近餘人,
彼人行不純, 常處於憒閙,
是人於佛道, 不能勤修行。
真求佛道者, 晝夜各三時,
頂禮諸菩薩, 應生恭敬心,
隨其所行道, 不說其過失。
若見著五欲, 不說其過惡,
應當念彼人, 久後亦得道,
次第行業道, 不可頓成佛,
或非久發心, 是以行此事。
勿分別貪欲, 貪欲性是道,
煩惱先自無, 未來亦無有,
能如是信解, 便得無生忍。
觀好惡音聲, 知非音聲性,
當入無文字, 實相之法門,
若能信是法, 則無婬怒癡。
觀貪欲愚癡, 即是無量相,
是二無文字, 以文字故說,
諸有文字處, 是皆無有實。
一切諸音聲, 觀是一音性,
佛說及邪說, 是皆無分別。
法雖以言說, 實無法無說,
能入一相門, 則得無上忍。
是忍是非忍, 勿作是分別,
於欲瞋恚心, 勿計其中利,
知是二無生, 當為世中尊。
東西南北方, 如恒河沙土,
皆碎為微塵, 一塵為一國,
滿中諸珍寶, 於無央數劫,
供養諸如來, 其所得功德,
若人聞是經, 過彼百千倍。
若有出家人, 一心求佛道,
我囑累是人, 此祕密要法。
若有誦是經, 及以解其義,
無量總持辯, 自然皆當得,
利根無盡慧, 樂說之辯才。
無量億諸佛, 皆亦與是人,
諸經妙法寶, 自然皆能說。」
もし人が仏陀になろうと願うなら、貪りの心を壊してはならない。 すべての現象はすなわち貪りであり、これを知れば仏陀となる。 貪りと怒りと無知は、決して捉えることのできないもの。 これらの現象はすべて空であり、これを知れば仏陀となる。 見るものと見ないものは一つの相であり、執着と非執着もまた同じ。 ここには仏も法もない。これを知ることを大いなる智恵という。 人が夢の中で道を得て衆生を救うように、 道もなく衆生もない。仏法の本質もまた同じ。 悟りの場に得るものはなく、もし得るのであればそれは実在しない。 明と無明は一つの相であり、これを知れば世尊となる。 衆生はすなわち悟りであり、悟りはすなわち衆生。 悟りと衆生は一つであり、これを知れば世尊となる。 例えば巧みな幻術師が、さまざまなものを作り出すように、 見えるものには実体がなく、無知な者は数を数える。 貪り、怒り、無知は幻のようなもの。幻は三毒と異ならない。 凡夫は自分で分別して「私は貪る」「私は怒る」と言う。 このような愚かな人々は、三悪道に落ちる。 真実の相には貪りも怒りもなく、無知も得ることはできない。 幻のような法を分別して、自ら煩悩の熱を生み出す。 真実の相には煩悩もなく、衆生もなく仏もない。 生まれない法を分別して、凡夫は仏陀になることを願う。 諸仏の法も見えず、衆生もまた見えない。 この法の相を知る者は、速やかに衆生の尊となる。 もし人が悟りを求めるなら、悟りは存在しない。 その人は悟りから遠く離れ、あたかも天と地のごとし。 すべての法が幻であると知れば、速やかに人の上なる者となる。 もし人が戒律を分別するなら、それには戒律はない。 もし戒律を見る者がいれば、それは戒律を失っている。 戒律と非戒律は一つの相であり、これを知れば導師となる。 夢の中で五つの欲望を受け、楽しみながら自ら喜ぶように、 女性の姿を分別して見るが、そこには実に女性は存在しない。 戒律と戒律を破ることは夢のよう。凡夫はこれを二つと分別するが、 実には戒律も戒律を破ることもない。これを知れば導師となる。 凡夫は名前に執着し、言葉の本質を知らない。 名前は名前ではなく、これを知れば無生の境地を得る。 自らを菩薩と称し、経典を読み、人のために説くが、 己は何も行わず、ただ家柄や身分に頼る。 ただ経典を読んで道を求め、常に他人の過ちを見る。 威儀や経典の文句に執着し、人が敬うのを見て自らを尊ぶ。 家柄や文句に頼り、法の真実の相を知らない。 このような人々は、ついに仏陀を得ることはできない。 諸法は空であると説くと、悪意を持ち争いを好む。 この人には仏法もなく、悟りもない。 怒りと忍耐が同じ相であると知り、これを悟ればついに怒らない。 衆生の本質を理解しなければ、そこから怒りが生じる。 「私は菩薩である」と自称しながら、こうも言う。 「私はすべてを慈悲し、成仏して衆生を救う」と。 他人に悩まされて怒りを生じ、恨みを抱いて口をきかない。 常に他人の過ちを求め、争いを好む。 また忍耐を称賛し、諸法は空であると説く。 私の心はおごり高ぶり、常に他人の過ちを見る。 美味に執着し、昼夜に五つの欲望を想う。 この人は町に入り、「私は人を救う者だ」と自称し、 「衆生を哀れみ、常に利益を求めている」と言う。 口ではそう言いながら、心は他人を悩ますことを好む。 私はまだ見たことも聞いたこともない。慈悲を持ちながら悩ますことを。 互いに怒り悩まし合いながら、阿弥陀仏の国に生まれたいと願う。 もし人がガンジス川の砂の数ほどの悪口や刀杖を受けても、 すべてを耐え忍ぶなら、清らかな国に生まれる。 仏の国も仏の国でないことも、虚空の相であると知る。 国や国々の功徳を分別しない。 このような人々は、諸仏の国に生まれることができる。 「私はあらゆる悪を耐え忍ぶ」と言いながら、菩薩を仏のように見る。 私はまだ見たことも聞いたこともない。仏の相に対して怒る者を。 互いに自分の良さをほめ、他をけなし、施主や知人を喜ぶ。 「私が教化した者を、正しく守らせよ。 あなたは私が救うべきであり、他の者に近づいてはならない。 その人の行いは純粋でなく、常に騒がしい場所にいる。」 このような人は、仏の道を精進して修行できない。 真に仏道を求める者は、昼夜各三回、 すべての菩薩に礼拝し、恭敬の心を生じるべきである。 その人の歩む道に従い、その過失を言ってはならない。 もし五つの欲望に執着する者を見ても、その過ちや悪を言ってはならない。 その人もやがて道を得るだろうと考え、 次第に道の業を行い、一足飛びに成仏することはできない。 あるいはまだ発心してから長くないので、このようなことを行っているのだ。 貪りを分別してはならない。貪りの性質は道である。 煩悩は初めから自ずとなく、未来にも存在しない。 このように信解できれば、無生法忍を得る。 良い音も悪い音も観察し、音声の本質ではないと知る。 文字のない真実の相の法門に入るべきである。 もしこの法を信じることができれば、淫欲、怒り、無知はなくなる。 貪欲や愚痴を観ずれば、それがすなわち無量の相である。 これら二つには文字がない。文字によって説かれているのだ。 文字のあるところはすべて、実体がない。 すべての音声は、一つの音の本性であると観る。 仏の説くことも邪説も、これらはすべて分別がない。 法は言葉で説かれているが、実には法も説きもない。 一つの相の門に入ることができれば、無上の忍びを得る。 この忍びは忍びであるか、忍びでないか、そのような分別をしてはならない。 欲望や怒りの心の中で、その利益を計ってはならない。 この二つが生まれないと知れば、世の尊となる。 東西南北の方角の、ガンジス川の砂のように多い国土を、 すべて砕いて微塵とし、一つの微塵を一つの国とする。 その国々に諸々の珍宝を満たし、無数の劫の間、 如来に供養しても、その得る功徳は、 もしこの経典を聞く人がいれば、その百千倍を超える。 もし出家の人が、一心に仏道を求めるなら、 私はこの人に、この秘密の要法を託す。 もしこの経典を誦し、その意味を理解するなら、 無量の総持と弁才が、自然にすべて得られる。 鋭い根性と尽きない智慧、楽しんで説く弁才。 無量億の諸仏も、すべてこの人に、 諸経の妙なる法の宝を、自然に説くことができるようにさせる。
爾時師子遊步菩薩白佛言:「世尊!今說是偈,有幾所人得自利益?」
その時、師子遊歩菩薩が仏に申し上げました。「世尊よ、今この偈をお説きになりましたが、どれほどの人々が自らの利益を得ることができましたでしょうか?」
佛言:「善男子!汝見是大眾不?」
仏が言われた。「善き男子よ、この大衆が見えるか?」
「唯然已見。」
「はい、すでに拝見いたしました。」
佛言:「今說此法時,會中有無量無數眾生共集,與天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、緊那羅、迦樓羅、摩睺羅伽等滿在虛空,以說法之明乃至他方世界多所饒益。九萬二千夜叉神皆發阿耨多羅三藐三菩提心。增上慢比丘有五百人未得謂得,聞是法無增上慢,得真法信,解一切法皆是一相,不受諸法故漏盡得解脫。於是菩薩眾中六萬二千人,信解諸法無障礙相得無生法忍。何以故?如是說法於諸說法中最為第一。善男子!如我於然燈佛所,信解諸法一相無礙,然後乃得無生法忍具足六波羅蜜。所以者何?若菩薩於恒河沙劫,布施、持戒、忍辱、精進、禪定、智慧,若不知如是法相,是人或能斷滅一切善根。善男子!汝見提婆達多有大功德善根、成就三十二大人相,有如是功德,不知如是法相故,斷滅善根墮大地獄。
仏がおっしゃった。「今、この法を説いている時、この集会には無数の衆生が集まっている。天や龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、緊那羅、迦楼羅、摩睺羅伽などが虚空に満ちている。この説法の光明によって、他方の世界にまで多くの利益をもたらしている。九万二千の夜叉神が皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発した。未だ得ていないのに得たと思い上がっていた五百人の比丘たちは、この法を聞いて増上慢がなくなり、真の法を信じ、すべての法は一つの相であると理解し、諸法に執着しないゆえに煩悩が尽きて解脱を得た。また、菩薩たちの中の六万二千人が、諸法に障りのない相を信解し、無生法忍を得た。なぜなら、このような説法は、あらゆる説法の中で最も第一のものだからである。善きかな、男子よ。私は燃灯仏のもとで、諸法が一つの相で障りがないと信解し、その後、無生法忍を得て六波羅蜜を完全に成就した。なぜなら、もし菩薩が恒河沙の劫もの間、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を行っても、この法の相を知らなければ、その者はすべての善根を断ち滅ぼすことがあるからだ。善きかな、男子よ。あなたは提婆達多が大きな功徳と善根、三十二の大人相を成就しているのを見るだろう。そのような功徳がありながら、この法の相を知らなかったため、善根を断ち滅ぼし、大地獄に堕ちたのである。」
「善男子!當知雖久發心有大功德,不入是法門皆能斷滅善根功德。善男子!如過去無量無邊不可思議阿僧祇劫,有佛名高須彌山王如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師、佛、世尊,壽命九千九百千萬億那由他歲,國土名金焰明,其國皆以黃金為地。其所說法亦以三乘度脫眾生,其佛初會,有八十百千萬億那由他聲聞弟子;次第二會,七十百千萬億那由他聲聞弟子;第三會,六十百千萬億那由他聲聞弟子;第四會,五十百千萬億那由他聲聞弟子;皆得阿羅漢,捨諸重擔逮得己利,盡諸有結正智得解脫。比丘尼眾倍於上數,優婆塞眾亦倍上數,優婆夷眾亦倍上數,菩薩眾亦倍上數,皆得阿惟越致無生法忍,皆得無量無邊陀羅尼門三昧門,能轉不退法輪,何況新發菩薩意者。又發辟支佛道心者亦無量無邊。
「善男子、知っておきなさい。長く発心していても大きな功徳があるとはいえ、この法門に入らなければ、善根や功徳をことごとく断ち滅ぼしてしまうことがあるのです。善男子、例えば過去の計り知れないほど遠い昔、須弥山王如来という仏がおられました。この仏は、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師、仏、世尊という十の称号を持ち、その寿命は九千九百千万億那由他歳でした。その国土は金焔明と名付けられ、その地はすべて黄金でできていました。この仏が説く教えもまた、三乗によって衆生を救済するものでした。その仏の最初の説法の会には、八十百千万億那由他もの声聞の弟子がいました。次の第二の会には、七十百千万億那由他の声聞の弟子がいました。第三の会には、六十百千万億那由他の声聞の弟子がいました。第四の会には、五十百千万億那由他の声聞の弟子がいました。彼らは皆、阿羅漢果を得て、すべての重荷を捨て、自身の利益を成就し、あらゆる存在の束縛を断ち切り、正しい智慧によって解脱を得ました。比丘尼の数はその数を上回り、優婆塞の数もまたその数を上回り、優婆夷の数もまたその数を上回り、菩薩の数もまたその数を上回りました。皆、不退転の位である無生法忍を得て、計り知れない陀羅尼や三昧の門を獲得し、不退転の法輪を転ずることができました。ましてや、新たに菩薩の心を起こした者たちについては言うまでもありません。また、辟支仏の道を志す者たちも、無量無辺にわたっていました。」
「善男子!爾時彼佛會中弟子眾數無量無邊,彼金焰國中皆以七寶為樹,於其寶樹常出法音,所謂一切諸法空音、無相音、無作音、無生音、無所有音、無取相音。其國人民聞是法音,自然皆得諸法實相心得解脫。其佛滅後法住千歲,諸寶樹音亦不復出。善男子!是高須彌山王佛,以法囑累淨威儀菩薩令守護法,囑累已後便入無餘涅槃。時有比丘名有威儀,持戒不淨,得四禪四無色定及五神通,善誦毘尼藏,樂於苦行,不能善知他心。其弟子眾亦皆苦行貴頭陀法。是淨威儀法師,持戒清淨,於無所有法中得巧方便。復於一時,淨威儀法師將諸弟子,到有威儀比丘住處與共同止,淨威儀法師憐愍眾生故,從所住處常入聚落食訖而還,教化百千萬家皆作弟子,令發阿耨多羅三藐三菩提心。其弟子眾亦善教化,到諸聚落而為說法,令若干百千眾生皆發阿耨多羅三藐三菩提心。有威儀比丘常樂住塔寺,其弟子眾不持淨戒而樂行頭陀。有威儀比丘勤行精進其心決定,自以所行化諸弟子,貪著善法有所見得,所謂說一切有為法皆無常皆苦、一切法無我,不能善行諸禪定法,亦不能善於菩薩所行之道,本心不純故。淨威儀法師善知眾生諸根利鈍,知有威儀比丘心故,不復常入聚落,其諸弟子如本不異。
「善男子。その時、かの仏の会にいた弟子たちの数は無量無辺であり、かの金焔国では、すべて七宝をもって樹とし、その宝樹から常に法の音が流れ出ていた。すなわち、『すべての諸法は空である』という音、『無相』の音、『無作』の音、『無生』の音、『無所有』の音、『取るべき相はない』という音である。その国の民はこの法の音を聞いて、自然にすべての法の真実の姿を得て、心は解脱した。かの仏が滅した後、法は千年の間とどまり、諸々の宝樹の音も再び流れることはなかった。善男子。この高須弥山王仏は、法を浄威儀菩薩に託して法を守らせ、託した後、無余涅槃に入られた。その時、有威儀という名の比丘がいた。彼は戒律を清らかに保たず、四禅・四無色定・五神通を得ており、毘尼蔵をよく誦し、苦行を好み、他人の心をよく知ることができなかった。その弟子たちも皆、苦行を重んじ、頭陀行を尊んでいた。一方、浄威儀法師は戒律を清らかに保ち、『無所有』の法において巧みな方便を得ていた。ある時、浄威儀法師は弟子たちを連れて、有威儀比丘の住処に赴き、共に過ごした。浄威儀法師は衆生を哀れむがゆえに、住処から常に村に入って食事を取り終えて戻り、百千万の家々を教化して皆を弟子とし、無上正等覚心を起こさせた。その弟子たちもよく教化し、諸々の村に入って説法し、多くの百千の衆生に無上正等覚心を起こさせた。有威儀比丘は常に塔寺にいることを好み、その弟子たちは清らかな戒律を保たず、頭陀行を好んで行った。有威儀比丘は勤め励み精進し、その心は決然としており、自らの行いをもって諸々の弟子を教化した。彼は善い法に執着し、見解を得て、いわゆる『すべての有為法は無常であり、すべては苦であり、すべての法には我はない』と説き、諸々の禅定の法をよく修行せず、また菩薩の行ずる道をよく修行せず、本来の心が純粋ではなかったからである。浄威儀法師は衆生の諸々の根の利鈍をよく知り、有威儀比丘の心を知ったので、常に村に入ることはやめ、その諸々の弟子は以前と変わらなかった。
「有威儀比丘見淨威儀法師諸弟子眾常入聚落,生不淨心,即鳴犍椎集眾立制:『汝等自今已去不應入於聚落,不能一心徐行靜默,數入聚落得何等利?佛所稱讚阿練若住處,汝等當行禪樂莫好入他家。』淨威儀法師諸弟子眾,不受其語猶入聚落。後於一時有威儀比丘,見從聚落中出,更鳴犍椎集眾,說如是言:『若復更入聚落者,不復得住於此。』
ある時、威儀を重んじる比丘(修行僧)が、浄威儀法師の弟子たちがしきりに村に入り、心を清らかに保っていないのを見て、鐘を鳴らして僧たちを集め、次のように規則を定めました。
「あなたたちは、今日から村に入ってはいけません。心を一つにせず、ゆっくり歩き、静かに過ごすことができないのに、何度も村に入って何の利益があるでしょうか?仏が称賛された阿蘭若(静かな修行の場所)に住みなさい。あなたたちは禅定の楽しみを行うべきで、他人の家に入ることを好んではなりません。」
しかし、浄威儀法師の弟子たちはこの言葉を受け入れず、依然として村に入り続けました。 その後、ある時、威儀を重んじる比丘が、彼らが村から出てくるのを見て、再び鐘を鳴らして僧たちを集め、こう言いました。
「もし再び村に入る者がいれば、この場所に住むことは許されない。」
「爾時淨威儀法師將護有威儀比丘故,告諸弟子:『汝等!從今已去勿入聚落。』即如師教不入聚落。爾時諸人民眾不見其師及諸弟子故,皆懷憂惱善根退失。淨威儀法師過三月自恣竟,從是中出至餘僧坊,於其所止師徒還入城邑聚落為人說法。後時有威儀比丘,見淨威儀法師還入他家,見其弟子毀失常儀,復生不淨惡心作是念:『是比丘破戒毀戒,何有菩提?』便語眾人:『是比丘雜行,去佛道甚遠。』有威儀比丘起是業已,後時命終,是業果報故,墮阿鼻大地獄,九百千億劫受諸苦惱;從地獄出六十三萬世,常被誹謗;其罪漸薄,後作比丘三十二萬世,出家之後是業因緣反道入俗,又餘罪業因緣故,於淨明佛所出家入道殷勤精進如救頭然,千萬億歲中乃至不得柔順法忍,無量千萬世諸根闇鈍。
その時、浄威儀法師は、有威儀比丘を気にかけて、弟子たちに告げました。「あなたたちは、今より以後、村に入ってはならない。」弟子たちは師の教えの通り、村に入りませんでした。そのため、人々は師とその弟子たちを見かけなくなり、皆、憂い悲しみ、善根を失ってしまいました。
浄威儀法師は、三か月の安居が明け、自恣の儀式を終えた後、そこを離れて他の僧院へと向かいました。そして、その滞在先で、師と弟子たちは再び町や村に入って人々に説法をするようになりました。
その後、有威儀比丘は、浄威儀法師が在家の家を訪れ、その弟子たちが威儀を失っているのを見て、不浄で邪な心を起こし、こう思いました。「この比丘は戒を破り、毀っている。どうして悟りを得ることができようか?」そして、人々に言いました。「この比丘は行いが雑多で、仏の道からはるかに遠い。」
有威儀比丘がこのような業を起こした後、やがて命を終えました。その業の報いにより、阿鼻(あび)の大地獄に堕ち、九百千億劫もの長い間、苦しみを受けることとなりました。地獄から出た後も、六十三万世もの間、常に誹謗(ひぼう)を受けました。その罪がようやく薄れた後、三十二万世もの間、比丘となりましたが、出家した後の業の因縁によって、道を捨てて在家に戻ることもありました。また、残りの罪業の因縁によって、浄明仏のもとで出家し、髪の毛に火がついたかのように必死に精進しましたが、千万億年の間、柔順法忍(にゅうじゅんほうにん)を得ることさえできませんでした。無量千万世もの間、諸根(感覚器官)は鈍く暗いままでした。
「師子遊步,於汝意云何?爾時有威儀比丘豈異人乎?勿造斯觀,則我身是。我時起是微細不淨心,受此罪業墮於地獄。師子遊步!若人不欲起是微細罪業者,於彼菩薩不應起於惡心。菩薩諸所行道皆當信解,不應起於瞋恨之心,應作是念:『我不能善知他人心,眾生所行是亦難知。』善男子!如來見是利故常說是法,是故行者不應平量於人,唯有如來及似如來者,乃能知是。是故行者若欲自護其身,慎莫平量於人而相違逆。菩薩若欲修集佛法,常當晝夜勤心專念。深發菩薩心者,不當好求人長短。菩薩若能教三千大千世界中眾生令行十善,不如菩薩如一食頃一心靜處念一相法門,乃至聞受讀誦解說,是人福德勝彼甚多。何以故?諸菩薩用是法門,能滅一切業障罪,亦於一切眾生之中離憎愛心,便能疾得一切種智。」
「師子遊歩よ、あなたはどう思うか。その時の威儀比丘とは別の人だろうか。そう思ってはならない。まさにこの私である。私はその時、この微細な不浄の心を起こしたために、この罪業を受けて地獄に堕ちたのである。 師子遊歩よ、もし人がこのような微細な罪業を起こしたくないのなら、その菩薩に対して悪心を起こしてはならない。菩薩の行うすべての道を信解し、瞋恨の心を起こしてはならない。こう思うべきである。『私は他人の心を正しく知ることはできない。衆生の行いは実に知りがたい。』 善男子よ、如来はこの利益を見て、常にこの法を説かれる。それゆえ修行者は、人を軽々しく評価してはならない。如来および如来の如き者だけが、それを知ることができるのだ。 だから修行者は、もし自らを守りたいと願うなら、どうか人を評価して背くことをしてはならない。菩薩がもし仏法を集め修めようと願うなら、常に昼夜、心を勤めて専念すべきである。深く菩薩の心を発した者は、他人の長短を求めてはならない。 菩薩が三千大千世界の衆生に十善を行わせることができても、一食の間、心を静めて一相の法門を念じ、あるいは聞き受け、読み誦し、解説することには及ばない。この人の功徳は、その比ではない。なぜか。諸々の菩薩は、この法門によって一切の業障の罪を滅することができ、また一切の衆生に対して愛憎の心を離れ、速やかに一切種智を得ることができるからである。」
爾時文殊師利法王子白佛言:「世尊!如佛所說滅業障罪,云何滅業障罪?」
佛告文殊師利:「若菩薩見一切法性無業無報,則能畢滅業障之罪。又文殊師利!若菩薩見貪欲際即是真際,見瞋恚際即是真際,見愚癡際即是真際,則能畢滅業障之罪。又文殊師利!若菩薩能見一切眾生性即是涅槃性,則能畢滅業障之罪。所以者何?若人自有所見即能起業,無知無聞凡夫愚人不知諸法畢竟滅相,故自見其身亦見他人,以是見故便起身口意業。是人妄見憶想分別,作是念:『我是貪欲、瞋恚、愚癡。』如是分別故,於佛法中出家學道,復作是念:『我是持戒修梵行人,我當越度生死,得於涅槃免諸苦惱。』是人分別諸法,是善是不善,是應知、是應斷、是應證、是應修,所謂苦應見、集應斷、滅應證、道應修。而復分別一切諸行皆悉無常,一切諸行皆悉是苦,一切諸行皆三毒熾然,我當疾捨此有為法。常作如是思惟,於諸行中種種取相而生厭心。
「爾時便作是念:『見諸行如是,是名見苦;惡厭諸行,是名斷集。』分別諸行,見於滅諦即作是念:『我今見滅是名證滅,我當修道。』便至靜處念如是法,作是念已攝心定住。是人先得厭心,今得定心,故於諸行中心便捨離,而自愧厭不喜不樂,復作是念:『我今於一切法中已得解脫,更無所作,我身已得阿羅漢道。』是人命終之時見受生處,即菩提中心生疑悔,以此疑故命終之後墮大地獄。何以故?是人於無生法中而分別故。」
爾時文殊師利法王子白佛言:「世尊!今云何應觀四聖諦?」
佛告文殊師利:「若行者能見一切法即是無生性,是名見苦。若能見一切法不集不起,是名斷集。若能見一切法畢竟滅相,是名證滅。若能見一切法無所有性,是名修道。文殊師利!若行者能如是見四聖諦,是人不作如是分別,是法善是法不善,是法應見、是法應斷、是法應證、是法應修,所謂苦應見、集應斷、滅應證、道應修。所以者何?凡夫所行貪欲、瞋恚、愚癡,行者見是法皆空、無生、無所有、不可分別,但積集虛妄。爾時於法無所取無所捨,於三界中心無所礙,見一切三界畢竟不生,見一切善不善法虛誑不實,如幻如夢如影如響如焰。行者見貪欲性即是涅槃性,瞋恚性即是涅槃性,愚癡性即是涅槃性。若能見一切法性如是,便於一切眾生之中不起憎愛。所以者何?是行者不得是法,若生愛處、若生憎處,安住虛空,心中乃至不見佛、不見法、不見僧,是則不見一切法。若不見一切法,於諸法中則不生疑,不生疑故則不受一切法,不受一切法故則自寂滅。文殊師利!長老須菩提知如是法故,不來禮佛足。須菩提尚不得自身,何況得如來身?不得自身而得如來身者,無有是處。」
文殊師利復白佛言:「世尊!行者云何應觀四念處?」
佛告文殊師利:「當來世有比丘如是說:『觀內身處若觀不淨是身念處,觀樂皆苦是受念處,觀心生滅性是心念處,觀壞和合相但得法相是法念處。』」
文殊師利白佛言:「世尊!今云何真觀四念處?」
佛言:「止止。文殊師利!不須問也,如來隨宜說法難可得解。」
文殊師利言:「世尊!愍念眾生故,願必為說。」
佛告文殊師利:「若行者見身如虛空,是為身念處;若行者見受不得內外兩間,是為受念處;若行者知心唯有名字,是為心念處;若行者不得善法不得不善法,是為法念處。文殊師利!應如是觀四念處。」
文殊師利復白佛言:「世尊!行者云何應觀八聖道分?」
佛告文殊師利:「若行者見一切法平等無二無分別,是名正見。見一切法無思惟無分別,以是見故是名正思惟。見一切法無言說相,善修語言平等相故,是名正語。見一切法不作相,作者不可得故,是名正業。不分別正命邪命,善修習平等命故,是名正命。不發不起一切法,以無所行故,是名正精進。於一切法無所憶念,諸憶念性離故,是名正念。見一切法性常定,以不散不緣不可得故,是名正定。文殊師利!行者應如是觀八聖道分。」
文殊師利復白佛言:「世尊!行者云何應觀五根?」
佛告文殊師利:「若行者信一切法畢竟不生,從本已來常自爾故,是名信根。於一切法中心無所住,遠近相離故,是名精進根。於一切法無所憶念,緣性離故不繫念於緣,是名念根。於一切法無所思惟,二法不可得故,是名定根。見一切法常空,離於生相,是名慧根。文殊師利!行者應如是觀五根。」
文殊師利復白佛言:「世尊!行者云何應觀七菩提分?」
佛言:「文殊師利!行者能見一切法無憶念,是名念菩提分。若一切法,若善、若不善、若無記,不可選擇、不可得,無決定故,是名擇菩提分。若不取一切三界相,善壞三界故,是名精進菩提分。若一切有為法中不生喜相,善壞有喜相故,是名喜菩提分。若一切法中除却其心,緣相不可得故,是名除菩提分。若一切法不可得,善修壞相故,是名定菩提分。若於一切法無所依止不貪不著,不見一切法故得捨心,是名捨菩提分。文殊師利!行者應如是觀七菩提分。若行者能如是見四聖諦、四念處、八聖道分、五根、七菩提分,我說是人名為已得度者,到於彼岸,出在陸地無畏之處,已離重檐除諸塵垢,是人名為無所有者、無所憂者、無所受者,是名阿羅漢、是名沙門、是名婆羅門、是名比丘、是名澡浴潔淨者、是名智者是名解者、是名聞者、是名佛子、是名釋子、是名破刺棘者、是名却關鍵者、是名已度塹者、是名出欲求者、是名開門扇者、是名賢聖勝相者。
「文殊師利!若有比丘成就如是法者,於天人世間名為福田,應受供養。文殊師利!是比丘若欲不虛食國中施者、破壞魔網者、欲度生死海者、欲得涅槃者、欲脫一切苦惱者、欲為一切天人世間作福田者,應當勤修習如是之法。」
說是法時,三萬二千諸天得諸法實相,各以天曼陀羅華而散佛上,白言:「世尊!若人得聞如是之法,是人名為善出家者,何況信受讀誦如所說行?世尊!若有須臾聞是法者,是則名為無增上慢。」
爾時文殊師利法王子白佛言:「惟願世尊!當說陀羅尼,以是陀羅尼故,令諸菩薩得無礙辯才,於諸音聲無所怖畏,能令諸法皆作佛法,又信解諸法皆是一相。」
佛告文殊師利:「汝今諦聽!當為汝說不動種性法門。諸菩薩得入是法門者,能以智慧光明照一切法,疾得無生法忍。」
文殊師利白佛言:「世尊!云何名不動處種性法門?」
佛告文殊師利:「一切眾生其心皆一,是名種性。」
「世尊!云何是事名為種性?」
佛告文殊師利:「一切眾生皆無有心,緣性不可得故,是名種性。文殊師利!一切眾生皆同一量,是名種子。」
「世尊!云何是事名為種性?」
佛言:「一切眾生皆如虛空量,終歸無障礙,是名種子。文殊師利!一切眾生皆是一眾生,是名種子。」
「世尊!云何是事名為種性?」
「文殊師利!一切眾生皆是一相,畢竟不生離諸名字,一異不可得故,是名種性。文殊師利!貪欲是不動相。」
「世尊!云何是事名不動相?」
佛言:「文殊師利!貪欲是不動相,安住法性中,以不住故,是貪欲不可得性常離故,是名不動相。文殊師利!瞋恚是金剛。」
「世尊!云何是事名為金剛?」
「文殊師利!瞋恚不可斷不可壞,亦如金剛不可斷不可壞,一切法亦如是,不可斷不可壞,諸法本不決定故,是名如金剛。文殊師利!愚癡是智慧性。」
「世尊!云何是事名智慧性。」
「文殊師利!一切法離智慧亦離愚癡,譬如虛空無有智慧亦無愚癡,一切法亦如是,無有智慧亦無愚癡,智慧愚癡智可知法,從本已來俱寂滅故,是名愚癡智慧處。文殊師利!色陰是不動處。」
「世尊!云何是事名不動處?」
「文殊師利!如天帝之幢深根安固不可動搖,一切法亦如是,以不住法故安住法性中,是法無來處無去處無取無捨,安住無住處故,是故色名不動相。文殊師利!受陰是滅性。」
「世尊!云何是事名為滅性?」
「文殊師利!一切諸受相性常寂滅故,諸受非內外,非東方非南西北方四維上下來。何以故?若樂受在內,一切眾生常應受樂;若苦受在內,一切眾生常應受苦;若不苦不樂受在內,一切眾生應受不苦不樂。文殊師利!今一切諸受實不在內不在外不在兩中間,不在東方南西北方四維上下,是故一切諸受如草木瓦石,畢竟不生不滅無相,是故受名寂滅相。文殊師利!想陰是種性。」
「世尊!云何是事名為種性?」
「文殊師利!是想皆憶想分別起、從虛妄中生,如空拳如野馬,本性自離,是故想陰名種性。文殊師利!行陰是種性。」
「世尊!云何是事名為種性?」
「文殊師利!一切諸行離數無數入平等數,譬如芭蕉畢竟無實本性自爾,一切法亦如是,無名字無性故,是故行陰名為種性。文殊師利!識陰是種性。」
「世尊!云何是事名為種性?」
「文殊師利!是識如幻,無實無起無生,空無相無性,如五指塗空空無相現,是故識陰名為種性。文殊師利!色是種性。」
「世尊!云何色為種性?」
「文殊師利!譬如鏡中像,雖可目見而無有實,一切色亦如是,雖見無實,但誑眼誑心虛妄不實,是故色名種性。文殊師利,聲是種性。」
「世尊!云何聲為種性?」
「文殊師利,一切法無別異相,畢竟空,如山中響,是故聲為種性。文殊師利!香是種性。」
「世尊!云何香是種性?」
「文殊師利!一切法無香相,性無知故,空如虛空,鼻香識者皆不可得,是故香為種性。文殊師利!味是種性。」
「世尊!云何味為種性?」
「文殊師利!味性即是不可思議性,不可知、離於知故,自性常離故,是故味名種性。文殊師利!觸是種性。」
「世尊!云何觸為種性。」
「文殊師利!觸如虛空,其性自離無觸無合,一切法亦如是,善壞身故,離於觸相,觸者不可得故,是故觸是種性。文殊師利!法是種性。」
「世尊!云何法為種性?」
「文殊師利!一切法無相無心,離心性、離名字,無決定故,皆是法性相,是故法是種性。文殊師利!地是種性。」
「世尊。云何地為種性?」
「文殊師利!一切法無堅相無軟相,虛妄和合人以為堅,是故地為種性。文殊師利。水是種性。」
「世尊!云何水為種性?」
「文殊師利。一切法無濕無合,如野馬無水,是故水為種性。文殊師利!火是種性。」
「世尊!云何火是種性?」
「文殊師利!一切法無熱,離虛妄熱相,本性寂滅,離顛倒故,分別其實無定無生,是故火名種性。文殊師利!風是種性。」
「世尊!云何風為種性?」
「文殊師利!一切法無障無礙、無相無性,不動搖故、離風相故,是故風名種性。文殊師利!佛是種性。」
「世尊!云何佛為種性?」
「文殊師利!一切法無覺無知,離知相故,是故佛名種性。文殊師利!法是種性。」
「世尊!云何法為種性?」
「文殊師利!諸法不可壞不可斷,離壞斷故,無相無名無性,出言語道,是故法名種性。文殊師利!僧是不動相。」
「世尊!云何僧為不動相?」
「文殊師利!聖眾安住如、法性、實際、定亂平等中,安住智慧愚癡、解脫煩惱平等一切法中,心無所住,住不可得故,是故僧名不動性。文殊師利!一切法行處名為不動。」
「世尊!云何是事名為不動相?」
「文殊師利!一切虛空行處、不可思議行處、斷行處,無根本無別異,不可得故,是故一切法行處名不動相。文殊師利!一切法無緣名不動相。」
「世尊!云何是事名不動相?」
「文殊師利!一切法無依止、無住處、無緣無順,離諸緣故,是故一切法無緣名不動相。文殊師利!一切法不取不捨相名不動相。」
「世尊!云何是事名不動相?」
「文殊師利!一切法皆歸於如、同於法性,是法不可取、不可捨,無求無願諸願斷故,從本已來常寂滅相同於虛空,是故不取不捨名不動相。文殊師利!一切法無咎名不動相。」
「世尊!云何是事名不動相?」
「文殊師利!一切法無垢、無所有,清淨顯曜如虛空無翳,諸罪定相不可得故,是故一切法無咎名不動相。文殊師利!一切法無歸處名不動相。」
「世尊!云何是事名不動相?」
「文殊師利!一切法空無根本故無歸處,是故無歸處名不動相。文殊師利!一切法無學名不動相。」
「世尊!云何是事名不動相。」
「文殊師利!一切法性無學,不應學、不應修、不應思、不應念、不應住、不應發、不應行、不應斷、不應證、不應語、不應言、不應求、不應說、不應取、不應捨、不應離、不應除。何以故?文殊師利!一切諸相畢竟離故,從本已來無所取,常是捨相,諸法非智慧所及,非愚癡所及,是故無學名不動相。」
諸法無行經卷上