集僧通局篇第二
僧者,以和為義。若不齊集,相有乖離;御法則無成決之功,被事必據入非之位。故建首題集僧之軌度,後明來處之通局。
《四分》文云:當敷座,打楗稚,盡共集一處等。《五分》云:諸比丘布薩時,不時集,妨行道。佛言,當唱時至,若打犍稚、若打鼓、吹螺。使舊住沙彌、淨人打。不得多,應打三通。吹螺亦爾。除漆毒樹、餘木,銅、鐵,凡鳴者聽作。若唱二時至,亦使沙彌淨人唱。住處多,不得遍聞,應高處唱。猶不知集,更相語知。若無沙彌,比丘亦得打。《十誦》中:居士請僧,自於寺內鳴稚。乃至白時至。及送食女人,亦自鳴稚。中食施者亦爾。《增一阿含》云:阿難升講堂,擊犍稚者,此是如來信鼓也。《十誦》中:時僧坊中,無人知時限,唱時至,及打揵稚;又無人灑掃塗治講堂食處;無人相續鋪床;及教人淨果、菜、食中蟲;飲食時,無人行水;眾亂語時,無人彈指等。佛令立維那。《聲論》翻為次第也,謂知事之次第,相傳云悅眾也。若準文中,七種集法:若量影,破竹作聲,作煙,吹貝,打鼓,打犍稚,若唱諸大德布薩說戒時到。亦不言比丘為之。《出要律儀》引《聲論》,翻犍(巨寒反)稚(音地),此名磬也,亦名為鐘。
上具列文,今須義設。凡施法事,先斟量用僧多少,依數鋪設座席,然後準文鳴鐘,具如〈集僧〉法中。雖人並為之,多無楷式;若依《三千威儀經》,則大有科要多少,節解之法;但時所同廢,雖易而難。今通立一法,總成大準;謂約僧多少,就事緩急,量時用之。若尋常所行,生稚之始,必漸發聲,漸希漸大,乃至聲盡,方打一通;如是至三,名為三下。佛在世時,但有三下,故《五分》云打三通也。後因他請,方有長打。其生起長打之初,亦同三下;中間四稚,聲盡方打;如是漸漸斂稚,漸穊漸小,乃至微末,方復生稚,同前三下。此古師以經律參挍,共立此法;亦有清眾畫樣鐘所者。然初欲鳴時,當依經論建心標為,必有感徵。應至鐘所,禮三寶訖,具儀立念:我鳴此鐘者,為召十方僧眾,有得聞者,並皆雲集,共同和利;又諸有惡趣受苦眾生,令得停息。故《付法藏傳》中:罽膩吒王以大殺害故,死入千頭魚中;劍輪繞身,而轉隨斫隨生。若聞鐘聲,劍輪在空。如是因緣,遣信白令長打,使我苦息。即《增一阿含》云:若打鐘時,一切惡道諸苦,並得停止。此並因緣相召,自然之理不亡。余親承有斂念者,被鬼神送物(云云)。世有濫用知鐘者,此非聖言。諸經論但云打擊檛等。知淨之語,不通於俗及以自為。早須廢捨。
ここにその文を列挙し、今、その意味を説明する必要がある。
法事を行う際には、まず僧侶の人数を考慮し、その数に応じて座席を設ける。その後、定められた文に従って鐘を鳴らす。これは「集僧」の法に詳しく記されている通りである。
多くの人がこれを行っているが、正しい作法を知らない場合が多い。もし『三千威儀経』に従えば、細かい規定と多くの手順、節度を解く方法がある。しかし、現在ではそれらは廃れ、簡単なようで難しい。
ここでは一つの方法を定め、全体として大きな基準とする。僧侶の人数、事の緊急性、時間を考慮して用いること。
通常の行事では、まず弱く鐘を打ち始め、次第に間隔を空け、音を大きくしていき、音が消えるまで打つ。これを一通とする。これを三回繰り返し、「三下」と呼ぶ。
仏在世の時は、三下のみであった。『五分律』にも「三通打つ」とある。後に他からの要請により、長打が生まれた。
長打を始める時も、最初は三下と同じである。中間では四回弱く打ち、音が消えるまで続ける。次第に弱く打ち、間隔を狭め、音を小さくしていき、かすかな音になったら、再び三下と同じように始める。
これは古師が経律を照らし合わせて定めた法である。清らかな僧侶が鐘の図を描いたこともある。
鐘を鳴らす前には、経論に基づいて心を整え、祈りを捧げるべきである。必ず感応がある。鐘の前に至り、三宝を礼拝し、威儀を正して念じる。
「私はこの鐘を鳴らすことで、十方の僧侶を招き、聞く者すべてが集い、共に和合して利益を得ることを願う。また、悪趣で苦しむすべての衆生が、その苦しみを止めることができるように」
『付法蔵伝』には、罽膩吒王が多くの殺生をしたため、死後千頭の魚に生まれ、剣の輪が身に巻き付き、斬られるたびにまた生まれる苦しみを受けた。鐘の音を聞くと、剣の輪が空中に止まった。この因縁により、使いを送って長く鐘を打つように頼み、苦しみが止まったという。
『増一阿含経』にも、鐘を打つ時、すべての悪道の苦しみが止むとある。これは因縁が呼び起こされ、自然の理が失われないためである。
私は実際に、心を整えた者が鬼神から物を送られた例を知っている。
世の中には、鐘を知ることを誤用する者もいるが、それは聖なる言葉ではない。諸経論にはただ「打撃する」とあるのみで、「知る」「清める」という言葉は、俗人や自分自身に対しては通用しない。早く捨て去るべきである。
二明來處通局者。初明處之分齊,二明用之通局。
二つに、来処の通局を明かす。初めに処の分斉を明かし、二つに用の通局を明かす。
初中,界之來意,開制不同,如結界中說。今直明其二種差別。
若作法界,則有三別:有戒場者,四處集僧,各得行事;一在戒場,二在空地,三在大界,四在界外。若無戒場,二處各集。若小界者,既不立相,直指坐處,無外可集。
若論自然,隨處遠近,則有四別:謂聚落、蘭若、道行、水界。皆不為物造,隨人所居,即有分局,故曰自然。當律無文,諸部詳用。
初聚落中,有二。
若可分別者。《十誦》云:於無僧坊聚落中,初作僧坊,未結界,隨聚落界是僧坊界(下文齊行來處,此制分齊,《四分》聚落界取院相),此內不得別眾。問:蘭若處有僧坊,欲結界,何處集僧?答:《十誦》云:隨聚落即僧坊界。今周匝院相,與聚落之相不分,不須五里集人。故下文,無聚落蘭若,初起僧坊,乃云一拘盧界。故知先有僧坊,即同村界。律中,僧村四相,二界不別。必院相不周,乃可依蘭若集僧。
若聚落有僧不可知者。《僧祇》中:若城邑、聚落,界分不可知者,用五肘弓,七弓種一樹;齊七樹相去,使異眾相見,不犯別眾,各得成就。準相通計,七樹六間,得六十三步。不同前解,七間七十三步半,如《義鈔》廢立。
二明蘭若者。統明蘭若,乃有多種:謂頭陀、寄衣、盜戒、僧界、衣界、難事。且明僧界,餘下隨明。蘭若一界,諸部不定,多言僧界盡一拘盧舍(《明了論疏》云:一鼓聲間)。《雜寶藏》中翻為五里,相傳用此為定。若有難者,如《善見》云:阿蘭若界者,極小方圓七槃陀,一槃陀二十八肘。若不同意者,於外得作法事。計有百九十六肘,肘各尺八,總有五十八步四尺八寸。
三道行界者。《薩婆多》云:比丘遊行時,隨所住處縱廣,有拘盧舍界;此中不得別食、別布薩。亦不明大小?此論解《十誦》律文云:六百步為拘盧舍。
四明水界者。《五分》云:水中自然界者,若在水中行,眾中有力人水灑及處。《善見》云:若擲水、若散沙,已外比丘不妨。取水常流處,深淺皆得作自然,潮水不得。若船上布薩,應下矴,不得繫著岸及水中樹根,謂與陸地界相連。若水中石、木、樹等,悉是水界,謂離陸地者。
今更總論二界之體。
若三種作法,隨處限局,不約方隅。若論自然,則有不定:若聚落中,界分可知,隨其分齊,亦無方圓;不可分別,人解不同。
問:為身四面各取六十三步,為身一面取三十一步半耶?答:四面各取六十三步。故彼文云,七樹之間,異眾相見,而不犯別。此二眾相望,不論界相。問:彼此俱秉羯磨,自然定量,若為廣狹?答:諸說不同,今解:彼此二眾,各一面有三十一步半,通就二眾,則六十三步(此自然常有,不問秉法不秉法,界恒隨定)。故《僧祇》中,異眾者,望二處比丘身也。今若界外無人,則身面各三十一步半,是隨分自然。若有人者,但令異界自然,在我自然界外,無錯涉之過,並成法事。今行事之家,恐有別眾,但為深防,故於方面各半倍之。實而言之,各半減是。故《薩婆多》云:比丘隨遊行住處,有縱廣自然界。問:自然界者,為方圓耶?答:昔云定方。今解不然。若界方者,四維有餘,則無教可準。今言,自然界中,不定方圓。若四面四維,各無異界,此界定圓;若有別界,則尖斜不定。故《十誦》云:方各一拘盧舍者,謂身面所向之方,非謂界形畟方也。文云:弟子隨師,方面遊行,可亦不得四維也。《五分》亦云:去身面拘盧舍也。《善見》亦云:方圓七槃陀界。文自明矣。乃至結大界,以三由旬為量。《明了論》云:合角量取三由旬也。故廣引誠證,定方須廢。
二明用僧分齊。此宗四種論僧。
汎論僧義,並取四人已上,能御聖法,辨得前事者,名之為僧。若狂亂、睡眠、所為之人,通及能所,相有乖越,不入僧數。通而辨僧,則有七種。始從一人,乃至二十人,各有成敗不同,廣如別鈔。
初明四人僧者。謂說戒、結界等事用之。
二、五人僧者。謂邊地受戒、自恣等法。若據《僧祇》,捨墮懺悔,五人僧攝;謂受懺悔主,作白和僧,為他所量,不入僧數。今以當宗不了,《僧祇》為定。
三、十人僧。謂中國受戒。
四、二十人僧。謂出僧殘罪也。
前之四僧,若取能秉法名僧,四人實辨一切羯磨;今隨事用,故須三別。又前四人若據自行,以成僧體,並須清淨;以犯小罪,不應羯磨故。
若論眾法,則有二別:
若為說戒,懺悔滅罪,必須清淨。以有犯者,不得說戒,不得聞戒,不得向犯者懺悔,犯者不得受他解罪故也。
若受戒等生善門中,但取相淨,便堪足數;前人尊仰,便成法事。故開停僧殘行法。犯戒和尚,但令不知,應受戒事。《薩婆多》云:不得用天眼耳知他惡法,但以肉眼見聞等。廣如〈足數〉法中。