No. 1497-A
No. 1497-A
水陸儀文。世傳起自梁武帝。昔白起以長平一坑。至四十萬。罪大惡極。久沈地獄。無繇出離。致夢於武帝。武帝與誌公諸師議拔救之䇿。知大藏有水陸儀文。禱之。則光明滿堂。繇此舉行。傳之後世。而今藏並無其文。金山寺之本。亦前後錯雜。不見始終頭緒。時僧行者。亦復隨意所作。各各稍殊。南都所繪上下堂像。隨畫師所傳。奉為定規。頗不的當。而啟建道場者。化募資費。累月累年。始克成就。陳設繁文。以致士女老幼。紛至沓來。如俗中看旗看春。交足摩肩。男女混亂。日以千計。而不免褺瀆聖賢。衝突鬼神。失多而過重。有禍而無功。多致道場不終其事而感惡報。甚可懼也。惟四明志磐法師所輯儀文。至精至密。至簡至易。精密而不傷於煩長。簡易而不病於缺漏。其本止存四明。諸方皆未之見也。予為訂正。重壽諸梓。以廣流通。雖然。亦不可易易舉數數舉也。易則必至於數。數則自生夫易。繇是疏於誠敬。多諸過愆。則求福而反禍矣。幸相與慎之。(竹窻三筆中錄出)
水陸の儀文は、世間に伝わる所では梁の武帝の時代に始まったと言われています。昔、白起は長平の戦いで一つの穴に四十万人を埋めたと言われ、その罪は大きく悪は極まって、長く地獄に沈み、抜け出る手立てがありませんでした。そこで武帝の夢に現れ、武帝が誌公などの師たちと相談して救う方策を議せられました。大蔵経の中に水陸の儀文があることを知り、祈念されますと、光明が堂に満ちました。これによって水陸の法会が行われるようになり、後世に伝わりました。しかし今の大蔵経にはその文はありません。金山寺の本も前後が錯雑していて、始めから終わりまでの筋道が分かりません。その時代の僧たちもまた思い思いに作ったため、それぞれ少しずつ異なっています。南都で描かれた上下堂の像は、画師の伝えるままに定規として奉じられていますが、かなり当を得ていません。また道場を開く者は、費用を募り、何か月も何年もかかってようやく成就します。飾り立ては繁雑で、そのため男女老幼がどっと押し寄せ、世間で旗を見たり春を見たりするように、足を交え肩を摩するほどに男女が混じり合い、日に千を数えるほどです。そして聖賢を汚し、鬼神と衝突することを免れず、失うことが多く過ちが重く、禍があって功がありません。道場を最後まで終えられずに悪報を招くことが多いのです。まことに恐るべきことです。ただ四明の志磐法師が編んだ儀文だけは、この上なく精緻で、この上なく簡潔で易しく、精密でありながら煩わしく長すぎることはなく、簡潔で易しくありながら欠漏を病むことがありません。その本は四明にだけ残っていて、諸方ではまだ見られていません。私はこれを訂正し、改めて版に刻んで広く流通させます。もっとも、容易く何度も行ってよいものではありません。容易く行えば必ず度重なることに至り、度重なればおのずから容易く扱う心が生じます。これによって誠敬に疎くなり、多くの過ちを生じ、福を求めてかえって禍を招くことになります。どうか共に慎みましょう。 (竹窓三筆の中から録した)