---
title: "痴絕道冲禪師語錄 · 示宗定書記(前住明州興善)"
description: "痴绝道冲禅师语录由南宋临济宗高僧痴绝道冲的嗣法门人智沂、悟开、行弥、绍甄、智圆、元省、元枢编集。道冲禅师活跃于南宋中后期，历住名刹，其语录收录了上堂、小参、法语、机缘、颂古、偈赞等丰富内容，集中体现了其禅学思想与接引学人的风格。作为宋代禅宗语录的重要文献，该书不仅是研究道冲禅师及南宋临济宗禅法的重要依据，也是了解当时禅宗发展脉络与思想特点的权威典籍，在佛教史上具有重要地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwmgmou07xpjs04nmcs34nn"
---

### 示宗定書記前住明州興善

> 示宗定書記<note>前住明州興善</note>

若論此事。非是智惠辯博。多聞強記。而可髣髴。又非泯默忘言。澄心靜慮。而可造詣。設使擊石火裏。挨拶得出。電光影裏。鞭逼將來。正是弄精魂漢。至於機境上。作活計。理性中。求妙解。皆為依草附木之妖訛。總不恁麼。自有轉身一路。也是癡狂外邊走。所以道。絲毫繫念。三塗業因。瞥爾情生。萬劫覊鎻。將知此事。纔恁麼。便不恁麼。是句亦剗。非句亦剗。若有毫芒及不盡。總是天魔外道眷屬。是佗得底人。出得一切險難。離得一切窠臼。終日只閑閑地。如癡似兀。亦不為此事所縛。等閑用將出來。自然裂破古今。搖乾撼坤。悉使盡大地人。各各洞明此事。獨脫無依。不隨許多塗轍。亦未是此事根抵在。

> さて、このことを論じるならば、智慧や弁舌の広さ、多くのことを聞いてよく覚えていることによって、うっすらとでも理解できるようなものではない。また、黙って言葉を忘れ、心を澄ませて静かに考えることによって、到達できるものでもない。たとえ火打ち石の火花のうちに問答を打ち出し、稲光の影のうちに鞭打つようにして引き出してきたとしても、それはまさに心の迷いに弄ばれている者にすぎない。機根や境遇の上で生活の工夫をし、理性の中に妙なる解釈を求めるのは、すべて草木に寄り添う妖怪のたぐいの誤りである。たとえそうでなくても、自らに転身する一路があると言うのは、これもまた愚かで狂った者が外を歩き回るようなものである。それゆえに言う、わずかでも心に留めることがあれば、三悪道に落ちる業の因となる。たちまち情が生じれば、万劫の間束縛される鎖となる。このことを知るならば、ちょうど「そうである」と思えば「そうでない」となり、句もまた消え、句でないのもまた消える。もしわずかでも残ることがあれば、それはすべて天魔や外道の眷属である。あの人が悟りを得た者であるならば、すべての危険や困難を出離し、すべての古い枠組みから離れて、終日ただ閑かに過ごし、愚かで呆けたかのようであり、またこのことに縛られることもない。何気なく用いて出せば、自然に古今を打ち破り、天地を揺り動かし、大地のすべての人々に、それぞれこのことを明らかにさせ、独り脱して頼るところなく、多くの古い道筋に従わないとしても、それもまたこのことの根本ではないのである。

豈不見三角示眾云。若論此事。眨上眉毛。早是蹉過。時麻谷出眾云。蹉過即不問。如何是此事。三角云。蹉過了也。谷便掀倒禪牀。三角便打。箇條活路。踏著便知。二大老雖則把手共行。未免各自奔前程。若是此事。夢也未夢見在。

> あの三角禅師が大衆に示して言った。「このことを論じようとするならば、眉をぴくりと動かす前に、すでに機を逸しているのだ」と。するとその時、麻谷が衆の中から出てきて言った。「機を逸したことは問いません。では、このこととは何でしょうか？」三角禅師は「すでに機を逸してしまったぞ」と言った。麻谷はその場で禅牀をひっくり返し、三角禅師はそんな麻谷を打った。この生き生きとした道筋は、足で踏んでみればすぐに分かる。二人の大徳は、手を携えて共に行くかのようでありながら、結局はそれぞれ自分の道を進んでいるにすぎない。このことについて言えば、彼らも夢の中でさえ見たことがないのである。

宗定書記久歷叢林。深諳此事。我且問書記。那裏是二大老。未夢見處。穿天下人鼻孔。無出這些子。稍或躊躇。待山僧換却舌頭。款款為書記道破。

> 宗定書記長年修行於禪林，對此事理早已深諳。我且問你：那兩位大老未曾夢見之處，究竟在哪裏？能穿透天下人的鼻孔，靠的也不過是這些許道理。倘若猶豫不決，便等山僧換一副口舌，慢慢為你道破。