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  1. 釈氏稽古略 (釋氏稽古略)
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  4. 炎帝神農氏 (炎帝神農氏)
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釈氏稽古略 (釋氏稽古略)


炎帝神農氏

炎帝神農氏

姜姓。繼伏犧氏。王火德。都魯。今東平路禹貢兗州之域。時人茹草飲水。食木實肉禽獸。多疾病。炎帝求可食之物。教以火食。時天雨粟。乃教民播種五穀。作陶治斤斧耒耜鋤鎒。以墾草莽。而五穀興故曰神農氏。又甞百草。一日遇七十毒。以一人不足為養。日中為市乃通有無。以火紀官。在位一百二十年。桓譚新論曰。神農氏削桐為琴。繩絲為弦。以通神明之德。廣雅曰。神農氏琴長三尺六寸。上有五弦。曰宮商角徵羽。周文王增二弦。曰少宮少商也。

姜(きょう)姓。伏犧(ふくぎ)氏のあとを継ぎ、火徳(かとく)をもって王とした。都を魯(ろ)に置いた。これは現在の東平路、禹貢(うこう)のいう兗州(えんしゅう)の地域である。当時の人々は草を食べ、水を飲み、木の実や獣の肉を食べていたため、多くの病気があった。炎帝(えんてい)は食用になるものを求め、人々に火を使った調理を教えた。その時、天から穀物が雨のように降ったので、人々に五穀の播種を教えた。また、土器を作り、斧、鍬、すき、くわなどの道具を整え、草やぶを開墾した。こうして五穀が盛んになったので、神農氏(しんのうし)と呼ばれた。さらに、さまざまな草を試し、一日に七十もの毒に遭った。一人では十分に養えないため、昼間に市場を開き、物々交換を行わせた。火によって官職を紀年した。在位は百二十年であった。桓譚(かんたん)の『新論』には、「神農氏は桐を削って琴を作り、糸を弦として張り、神明の徳に通じた」とある。『広雅(こうが)』には、「神農氏の琴は長さ三尺六寸で、五本の弦があり、宮・商・角・徴・羽と名付けられた。周の文王が二弦を加え、少宮・少商とした」と記されている。

帝承 帝臨 帝明 帝宣 帝釐 帝哀帝榆 帝岡 已上八帝皆神農氏。合五百一十年。末年諸侯相伐。歸之黃帝。

太昊庖犧氏
黃帝有熊氏

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