『行事鈔資持記』序解と五例講義
門人 則安 述
題中の上六字は、解される対象を示し、下の三字は、解釈する能力を示す。この「能解」の中でも、上の二字はそれぞれの著作を区別するもので、古今で異なるため、下の一字は共通であり、諸記に通じるからである。また、『鈔』の題は広く五十余家の総説を釈するものであるため、『記』の題は特定のものに属し、『資持』という名称を立てて、今の家に限定したのである。さて、『鈔』の題の命名は『行事』に基づいている。『返光九代方軌来蒙』一宗の教門は、この意を出るものはない。『行事』の二字は、諸文に広く見られる。『鈔』には「行世事を顕し、鋭く行事を懐く」などとあり、『含注戒序』には「行事に至っては、盛んに疑いを結ぶ」とあり、『業疏序』には「行事に至っては、その帰する所を見ず」とあり、『軽重儀』には「諸師の行事、識悟する者は稀なり」とあり、『壇経序』には「律儀の博要、行事の謀猷」とある。これにより、『行事』は教化を施す根源であり、教えを正しく説く骨幹であることがわかる。諸師の著述も、このことを念頭に置かなかったわけではない。今、『鈔』が説くところは、すべて『行事』に帰する。仲尼が言うように、「空言に託するは、行事に載せるに若かず、深く切にして著明なり」である。『記』の作者は教えの意を深く体得したため、『嘉名』を立てた。序に「行事の旨を仰ぎ承けて、題して『資持』と曰う」とある。『資』とは、衆が共に行うことを助けることであり、『持』とは、止持と作持の二持を指す。三行と二持は、開合の違いに過ぎない。序に「一部は統べて三行に帰し、三行は二持を越えず」とあり、『義鈔』に「森然と列なる二持は、統べて三行に帰す」とある。これにより、『記』の号を『資持』とするのは、すなわち『鈔』の題である『行事』と、名は異なれど、義は実に異ならないことがわかる。能解と所解は相応じ、函と蓋のようにぴったり合う。『資』は助け発することを意味し、『持』は犯に对して名を顕わす。持の相は多いが、要するに二つに分かれる。善事に対しては作持を立て、悪事に対しては止持を立てる。一切の境事は善悪を出ず、この善悪に対して二持を分ける。これにより、奉持の処でないものは一つもない。『持』とは、随中所行において、本に受けた戒体を護ることをいう。『鈔』に「止めて違わず、戒体は光潔、本に受けたるに順いて、これを持と称す」とある。しかし、諸部は二犯を明らかにするが、その意は二持を成すにある。故に、持行こそが実に教の宗要であることを知る。持行を捨てては、律を語るに足りない。これにより、教えは機に随って興り、持は教えによって顕われる。今、『資』は能詮の教に属し、『持』は所詮の行である。教えをもって行いを助ける故に、『資持』という。天台宗に『輔行』があり、賢首宗に『助修』があるようなものである。下に「文言を科釈し、法相を深く明らかにすることを貴び、事用を銓量して、受随を克く奉ずることを使う」とある。これにより、教えと行いの双方を広め、自他ともに利益する。首題を挙げれば、部意はすべて明らかになる。この題は本来、『戒疏』に出ていることを知るべきである。そこには「五衆、資に依りて奉持し、円徳す」とあり、また『華厳経』には「清浄なる白法の資持する所」とある。諸家が題を立てるに当たり、みな『鈔』の主旨を見失い、あるいは解釈に基づいて名を建て、あるいは処によって目を標す。名
宋の国号の由来について、『釈文』には次のように記されています。今の梁国睺陽県が、すなわち閼伯の商丘であると(高辛氏には二人の子がいて、長男を閼伯といいました)。微子が宋に封ぜられてから二十余代を経て、今の皇朝は周からこの地を封ぜられたことにより、ここから龍が飛び立ったので、天下を治める国号としたのです。
『図経』にはこうあります。余杭県は秦の時代に設置され、会稽郡に属していたと。また、『夾』という書物には、余杭という名は、秦の始皇帝が会稽に遊びに来た際、ここで船を降りて陸路に移ったことから「余杭」と号したと記されています。漢代もそのまま用い、王莽の時代には「進陸」と改められましたが、後漢で元に戻り、呉郡に属しました。その他の詳細は、私が編纂した『資道記』の中に記してあります。
沙門とは、サンスクリット語の言葉で、ここでは「勤めて善を修め、悪を滅する」と訳します。つまり、あらゆる善行を努めて実践し、さまざまな悪を静め滅することです。『華首経』には次のように説かれています。「虚空が何ものにも触れ妨げられず、煙や雲がどこにも留まらないように、私が説く沙門の道は、何ものにも染まらず、そのようなものである」と。
釈迦というのは、かつて釈迦族の王が四人の王子を追放した際、最初に雪山の北にある舎夷林に至り、人々が帰依して強国となりました。また、王が詔を下すために出向いた際、過ちを犯して帰らず、遠くから嘆いて言いました。「我が子釈迦よ」と。華語で「能仁」といい、仏はその末裔であるため、姓を釈迦とします。五衆が出家した者は仏の弟子であるため、例として釈迦と称します。晋や魏以前は皆、師の姓に従いました。例えば、支公は関師支法領に師事したため支遁と称し、生公は魏師竺法汰に師事したため竺道生と称しました。安公は言いました。「髪を剃り、衣を染めて釈迦の種を継ぐ者は、姓に違いはない。皆、釈氏と称すべきである」と。この説はあったものの、当時はまだ広まっていませんでした。後に『増一阿含経』に至り、「四つの河が海に入れば、もとの名はなくなり、四つの姓が出家すれば、皆同じく釈子と称する」と説かれました。また、『弥沙塞律』にも「汝ら雑類の出家者は、皆もとの姓を捨て、同じく釈子と称せよ」とあります。
序文とは、筆を執り、墨を染め、言葉を整えて文章を成し、おおまかにその宗派の本質をたたえ、教えの源流を明らかにし、その広まりと伝承を述べて、著者が書いた意図と見解を示し、その由来と趣旨を記したものである。
初段では、宗体をたたえる中に三つあり。初めの句は人を標し、その下の六句が正しくたたえる部分である。また二つに分け、上の二句は宗の行いを述べ、下は用いを明らかにし、誠を下にまとめる。
出家には、『業疏』によれば二種類があります。
第一は、世俗の家を離れ、解脱を求め、永遠に煩悩の束縛から離れること。これが本来の意味です。『五分律』に説かれているように、解脱を求めずに出家した者は僧侶とは呼べません。
第二は、大きな利根を持つ者が、世俗を抜け出そうとする心を抱く場合です。形の上では世俗にあっても、その本性は常に堅固であり、言葉の限りではありません。したがって、『維摩経』では「ただ発心するだけで出家である」と言われています。
これを四つの場合に分けてみましょう。
一、道について出家し、解脱を求める心を持ち、心も形も共に出家している場合。 二、形の上では道に従っていても、心は世俗に沈んでいる場合。形は出家しても心は沈没しているのです。これは、在家の苦労を嫌って出家の安楽を求める者で、『涅槃経』に「衣食のために出家する者」とあります。 三、『維摩経』に説かれるように、心は出家していても形は出家していない場合。 四、五欲に耽り、在家の束縛に執着している場合。心も形も共に出家していません。
ここで言う「出家」とは、最初の一の場合を指します。
「士」とは、道を持つ者の呼び名です。俗世で言う「衣冠の士」「道義の士」のようなものです。この国の沙門は本来「道士」と呼ばれ、経典では菩薩を「大士」、仏を「無上士」と称します。孔子も言われました。「自らの行いに恥を知り、四方に使いして君命を辱めない。これを士と謂うべし」と。
まず、最初の文で「戒を受けることを本体とする」というのは、「受ける」というのは戒を受け取る心の働きであり、「戒」とはその心から生じる行いのことです。『業疏』には、「行いこそが戒の本体である」とあります。出家者はそれ以外に特別な本体があるわけではなく、法を取り入れて成り立つからです。『智論』には、「髪を剃り染衣を着ることがその相であり、戒律を受けて保つことがその性である」と説かれています。ここでいう性とは本体のことです。
次に、「法を集めて身に宿す」というのは、「法」とは法界や塵沙、二諦などの法のことであり、これらが自分の中に成就した状態を指し、聖なる法を意味します。しかし、これらの諸法は本来、塵境の中に散らばっています。そこで、一つの念いで広く縁を結び、それらを心識に取り込み、正しい報いとして充実させることで、善なる法の集積が形成されるのです。『鈔』には、「出家した僧尼こそは、まさに善い法
次に、用い方について明らかにする。二つに分けて述べる。初めに、戒体を確立して修因の行を修めることを述べ、次に、法にかなって果徳を成すことを述べる。また、初めは戒を受けることを体とし、次には法を集めて身に備えることを据える。体に基づいて修めるとは、方便をもって修治し、本来受けた戒に順うことをいう。『鈔』に「随とは、受けた後に境に対して戒を護る心であり、方便善く成して本来の清浄業にかなう」とある。『業疏』には、随に四種あると明かされている。一には専精不犯の随、二には犯して能く悔いる随、三には無心に護持する随、四には能く犯して悔いない随。今ここで明かすのは、ただ前の二つに基づき、後の法体に対してであるから、因と標すのである。
法にかなって動くとは、行住坐臥の威儀が必ず正しい軌道を修正することをいう。『論語』に「礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざれば動くなかれ」とある。これは、慎み深く、妄りに踏み行わないようにすべきである。そして後に、三学八正道はここから生じ、四智三身はこれによって立てられる。故に法身と号するのである。『薩遮尼犍子経』に「如来の功徳荘厳の身は、戒を受けることを体とし、戒を持つことを始めとする」とあり、『涅槃経』に「仏性を見んと欲し、大涅槃を証せんとすれば、深く心を修め、浄戒を持せねばならぬ」とある。皆この意である。
法身とは、すなわち五分によって成る。戒・定・慧の三つは因を受けて名とし、解脱・解脱知見の二つは果を顕して号とする。慧によって惑を断じ、惑の無いところを解脱と名づけ、纏縛を出で障りを破り、反照して心を観ることを解脱知見と名づける。『仏地論』の中に三つの解釈がある。一つには、前三は有学の法、後二は無学の法とし、二つには、皆無学位の中にあり、勝解慧を縁として解脱薀と名づけ、道諦の智を解脱知見薀と名づけ、他の三諦を縁として慧薀と名づける。三つには、皆学と無学に通ずるという。もしそうならば、どうして分別するのか。答えて、学位は分得し、無学は円満であるという。
大教では、すなわち常楽我浄をもって、永遠に一切の老病死などを離れることを法身とする。しかし法身には二つある。一つには本性法身、二つには修成法身。また理身・事身の二身ともいう。上に明かしたように、修成に基づけば、修と性は異なるが、顕わすところに違いはない。『業疏』には三身、すなわち法・報・応を具に明かしている。今の文は略して挙げ、上の句に応じようとするため、ただ法身を標すのである。化・報を顕わさないが、理は必ず具わっている。すなわち、随に一身を挙げれば三身具足するというのである。また、法身は化・報の用を顕わすことができる。今は本に基づいて言うのである。
あるいは四行を配釈して、初めの句を戒体、次の句を戒法行、下を戒行身、下を戒相とする。上の三つは理解できる。相には二つある。一つは法相、二つは行相である。『標宗』に「威儀行成り、施造する所に随って、動くこと必ず法にかなう。美徳光り顕わる」とあり、行によって相を明かす。『釈相』に「即ちここに明かす所は、篇聚に亘って通じ、法によって相を弁ずる」とある。文に「法にかなって動く」とあるのは、正に『標宗』に合い、即ち行相である。
問う、『鈔』の中では先に法、後に体とし、今の文では先に体、後に法としているのはなぜか。答えて、撰制は時に随って必ずしも一定ではない。まして四行の配釈は後賢の記主が一期の綸緒として教えに冥符したものである。講ずる者は文に臨んで、労して改異する必要はない。
要約すれば、体がなければ行は成り立たず、法がなければ身を修めることができない。行が満ち徳が円く成就するには、必ず清浄な戒律によるのである。だから「誠に由りて」と言うのである。
発趣には宗がある。発とは行いを起こすことであり、趣とは目指すところであり、宗とは戒律を指す。『鈔』には「万行を発趣するには、戒を宗主とす」とある。
依因によって所を得る。依とは禅定と智慧に依託することを言い、依止するゆえに因となる。因とは定慧が生じる由縁である。所とは処所のことで、これも戒律を指す。『遺教経』には「この戒に依因して、禅定を得て生ず」とある。