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仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経 (佛說阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經)

「佛說阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經」について

呉 · 底本の訳者:支謙

2.5 万字 · 約 84 分

仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経は、三国時代の呉の訳経家である支謙によって漢訳された大乗仏教の経典であり、浄土宗の重要な典籍に属します。この経典は主に、阿弥陀仏とその極楽浄土の優れた功徳を説き、衆生が名号を称えて念仏し、善い行いを修めることによって、西方極楽世界に往生する方法と利益を詳しく述べています。支謙は初期の仏典翻訳家として、その訳文は流暢で典雅であり、中国仏教における浄土思想の普及に深い影響を与えました。この経典は無量寿経、観無量寿経とともに「浄土三部経」と称され、浄土信仰の理論的基礎を築き、中国仏教史上において崇高な地位を占めています。今日に至るまで、浄土宗の修行者にとって核心的なよりどころとなる経典であり続けています。


佛說阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經卷上

仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経 巻上

吳月支國居士支謙譯

呉の月支国居士支謙訳

佛在羅閱祇耆闍崛山中。時有摩訶比丘僧萬二千人,皆淨潔一種類,皆阿羅漢:賢者拘隣、賢者拔智致、賢者摩訶那彌、賢者合尸、賢者須滿日、賢者維末抵、賢者不迺、賢者迦為拔抵、賢者憂為迦葉、賢者那履迦葉、賢者那翼迦葉、賢者舍利弗、賢者摩訶目揵連、賢者摩訶迦葉、賢者摩訶迦旃延、賢者摩訶揭質、賢者摩訶拘私、賢者摩訶梵提、賢者邠提文陀弗、賢者阿難律、賢者難提、賢者𮍃脾抵、賢者須楓、賢者䗍越、賢者摩訶羅倪、賢者摩訶波羅延、賢者波鳩蠡、賢者難持、賢者滿楓䗍、賢者蔡揭、賢者厲越,如是諸比丘僧甚眾多,數千億萬人,悉諸菩薩、阿羅漢,無央數不可復計;都共大會坐,皆賢者也。

仏は羅閲祇の耆闍崛山にいましけり。そのとき、摩訶比丘の僧、万二千人があり、みな清らかで、同じ種類の者たちであり、みな阿羅漢なりき。賢者拘隣、賢者抜智致、賢者摩訲那弥、賢者合尸、賢者須満日、賢者維末抵、賢者不迺、賢者迦為抜抵、賢者憂為迦葉、賢者那履迦葉、賢者那翼迦葉、賢者舎利弗、賢者摩訶目犍連、賢者摩訶迦葉、賢者摩訶迦旃延、賢者摩訶掲質、賢者摩訶拘私、賢者摩訶梵提、賢者邠提文陀弗、賢者阿難律、賢者難提、賢者𮍃脾抵、賢者須楓、賢者䗍越、賢者摩訶羅倪、賢者摩訶波羅延、賢者波鳩蠡、賢者難持、賢者満楓䗍、賢者蔡掲、賢者厲越、かくのごとき諸の比丘僧ははなはだ多く、数千億万人あり。みなこれら諸の菩薩、阿羅漢にして、無央数にてさらに計うべからず。すべてともに大会に坐せり。みな賢者なり。

時佛坐息思念正道,面有九色光,數千百變,光色甚大明。阿難即起,更被袈裟,前以頭面著佛足,即長跪叉手,問佛言:「今日佛面光色,何以時時更變明乃爾乎?今佛面光精數千百色,上下明好乃如是。我侍佛已來,未曾見佛面有如今日色者。我未曾見三耶三佛光明威神乃爾。獨當有意,願欲聞之。」

その時、仏は坐して静かに思惟し、正道を念じておられた。仏のお顔には九色の光が輝き、幾千幾百もの変化を起こし、その光の色は非常に明るく盛んであった。

阿難はすぐに立ち上がり、袈裟を身に整え、進み出て仏の御足に頭を付けて礼拝した。そして長跪して手を合わせ、仏に申し上げた。「今日、仏のお顔の光色は、どうして時々刻々と変化して、これほどまでに明るいのでしょうか。今、仏のお顔の光は幾千幾百もの色を放ち、上下ともに明るく美しいこと、このような有り様です。私は仏に仕えてまいりましたが、今日のようなお顔の光色を拝したことはございません。また、三耶三仏(正しく悟られた仏)の光明と威神力が、このようなものであるのを見たこともございません。必ず何か特別なご意向がおありなのでしょう。どうか、そのお考えをお聞かせいただきたいと願います。」

佛言:「賢者阿難!有諸天神教汝、若諸佛教汝,今問我者耶?汝自從善意出問佛耶?」

仏が言われた。「賢者アーナンダよ。諸天の神々があなたに教えたのか、あるいは諸仏があなたに教えたのか。それともあなた自身の善意から、仏に問いかけようと思ったのか。」

阿難白佛言:「無有諸天神教我,亦無諸佛教我令問佛也。我自從善心知佛意,問佛爾!每佛坐起行來出入,所欲至到、當所作為、諸所教勅者,我輒如佛意。今佛獨當念,諸已過去佛,諸當來佛,若他方佛國,今現在佛,獨展轉相思念故,佛面色光明乃爾耳!」

阿難が仏に申し上げた。「天の神々が私に教えたのではありません。また、諸仏が私に仏に質問するよう命じたのでもありません。私は自らの善い心から仏の御心を察して、このように質問いたします。仏がお座りになるとき、お立ちになるとき、お出かけになるとき、お入りになるとき、お心の向かうところ、なさろうとすること、お教え戒められることなど、私は常に仏の御心のままに理解しております。今、仏がただお思いになっているのは、過ぎ去りし諸仏、未来に来たる諸仏、そして他方の仏国土におられる現在の諸仏のことです。仏がそのように諸仏を心に念じ、互いに思いを馳せていらっしゃるがゆえに、仏のお顔の色はこのように輝いているのです。」

佛言:「善哉,善哉!賢者阿難!汝所問者甚深大快,多所度脫。若問佛者,勝於供養一天下阿羅漢、辟支佛,布施諸天人民及蜎飛蠕動之類,累劫百千億萬倍也。」

仏は言われた。「善きかな、善きかな。賢者アーナンダよ。汝の問いは非常に深く、まことに素晴らしい。多くの人々を救い導くものである。もし仏に問うことがあれば、それは全天の阿羅漢や辟支仏に供養し、諸天·人民·そしてあらゆる生きとし生けるものに布施するよりも、百千億万倍も勝っているのである。」

佛言:「阿難!今諸天世間帝王人民,及蜎飛蠕動之類,汝皆度脫之。」

仏は言われた。「阿難よ、今、諸天や世間の帝王、人民、そして羽虫や地を這うものに至るまで、すべての生きとし生けるものを、あなたは救い導くのです。」

佛言:「佛威神甚重難當也。汝所問者甚深,汝乃慈心於佛所,哀諸天帝王人民,若比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷,大善當爾,皆過度之。」

仏は言われた。「仏の威神力は非常に重く、耐え難いものである。あなたが問うところは非常に深い。あなたは仏のもとで慈しみの心を持ち、天・帝王・人民、また比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷を哀れんでいる。それは大いなる善であり、まさにその通りである。皆を救い超えさせるであろう。」

佛語阿難:「如世間有優曇樹,但有實無有華也。天下有佛,乃有華出耳!世間有佛,甚難得值也。今我出於天下作佛,若有大德聖明善心豫知佛意,若不妄在佛邊侍佛也。」

仏、阿難に告げたまわく:「この世に優曇華の木のごときものあり。実はあれども、花は咲かず。天下に仏あらば、そのときにのみ花は出ずるなり。世に仏の出現したまうことは、まことに値いがたし。今、われ天下に出現して仏となりたまえり。もし大いなる徳、聖明なる智慧、善き心をもって、あらかじめ仏の意を悟る者あらば、いたずらに仏の辺りに侍りて仏に仕うることのみにあらざるべし。」

佛告阿難:「前已過去事,摩訶僧祇已來,其劫無央數不可復計。乃爾時有過去佛,名提惒竭羅。次復有佛,名旃陀倚,已過去。次復有佛,名須摩扶劫波薩多,已過去。次復有佛,名維末樓,已過去。次復有佛,名阿難那利,已過去。次復有佛,名那竭脾,已過去。次復有佛,名者梨俱遰波羅夜蔡,已過去。次復有佛,名彌離俱樓,已過去。次復有佛,名軷陀尼,已過去。次復有佛,名朱蹄波,已過去。次復有佛,名凡扶坻,已過去。次復有佛,名墮樓勒耶,已過去。次復有佛,名旃陀扈斯,已過去。次復有佛,名須耶惟于沙,已過去。次復有佛,名拘還彌鉢摩耆,已過去。次復有佛,名屍利滑攱,已過去。次復有佛,名摩訶那提,已過去。次復有佛,名耆頭摩提,已過去。次復有佛,名羅隣祇離,已過去。次復有佛,名俞樓俱路蔡。已過去,次復有佛,名滿呼群尼鉢賓䫛,已過去。次復有佛,名旃陀遬臾拔惒沙,已過去。次復有佛,名旃陀蔡拘岑,已過去。次復有佛,名潘波䗍頻尼,已過去。次復有佛,名軷波惒斯,已過去。次復有佛,名阿術祇陀揭䗍,已過去。次復有佛,名勿署提,已過去。次復有佛,名質夜蔡,已過去。次復有佛,名曇摩惒提,已過去。次復有佛,名篩耶維䫛質,已過去。次復有佛,名樓耶帶,已過去。次復有佛,名僧迦羅彌樓迦帶,已過去。次復有佛,名曇昧摩提阿維難提,已過去。」

仏は阿難に告げられた。「はるか昔の出来事について話そう。摩訶僧祇(まかそうぎ)の時代から数えても、その劫(こう)の数は限りなく、数え尽くすことはできない。その昔、過去仏(かこぶつ)がおられた。名を提惒竭羅(たいかかつら)という。次にまた仏がおられ、名を旃陀倚(せんだい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を須摩扶劫波薩多(すまふこうはさった)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を維末樓(ゆいまつろう)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を阿難那利(あなんまり)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を那竭脾(なかつひ)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を者梨倶遰波羅夜蔡(しゃりくていはらやさい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を彌離倶樓(みりくる)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を軷陀尼(ばつだに)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を朱蹄波(しゅだいは)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を凡扶坻(ぼんぶてい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を墮樓勒耶(たろうろくや)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を旃陀扈斯(せんだごし)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を須耶惟于沙(すやゆうしゃ)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を拘還彌鉢摩耆(くえんみはつまぎ)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を屍利滑攱(しりこつき)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を摩訶那提(まかないち)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を耆頭摩提(きずまたい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を羅隣祇離(らりんぎり)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を俞樓倶路蔡(ゆるくるさい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を滿呼群尼鉢賓(まんこぐんにこつひん)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を旃陀遬臾拔惒沙(せんだしょくゆばつわしゃ)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を旃陀蔡拘岑(せんださいくしん)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を潘波䗍頻尼(はんばらいびんに)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を軷波惒斯(ばつばわし)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を阿術祇陀揭䗍(あじゅぎだかつらい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を勿署提(もつしょだい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を質夜蔡(しちやさい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を曇摩惒提(どんまわた)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を篩耶維質(しやゆいほつちつ)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を樓耶帶(るやたい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を僧迦羅彌樓迦帶(そぎゃらみるかたい)といったが、すでに過去のものとなった。次にまた仏がおられ、名を曇昧摩提阿維難提(どんまつまたいいびなんだい)といったが、すでに過去のものとなった。」

佛告阿難:「次復有佛,名樓夷亘羅,在世間教授,壽四十二劫。乃爾時世有大國王,王聞佛經道,心即歡喜開解;便棄國捐王,行作沙門,字曇摩迦。作菩薩道,為人高才,智慧勇猛,與世人絕異。往到樓夷亘羅佛所,前為佛作禮,却長跪叉手,白佛言:『我欲求佛為菩薩道,令我後作佛時,於八方、上下諸無央數佛中,最尊智慧勇猛。頭中光明如佛光明,所焰照無極。所居國土,自然七寶極自軟好。令我後作佛時,教授名字,皆聞八方、上下無央數佛國,莫不聞知我名字者。諸無央數天人民,及蜎飛蠕動之類,諸來生我國者,悉皆令作菩薩、阿羅漢,無央數都勝諸佛國。如是者寧可得不?』」

仏は阿難に告げられた。「次にまた仏あり。名を楼夷亘羅という。世にあって教えを説き、寿命は四十二劫であった。その頃、世に大国の王があった。王は仏の経と道を聞いて、心はただちに喜び開け悟った。そこで国を捨て、王位を棄て、沙門となって、名を曇摩迦といった。菩薩の道を行じ、人として優れた才知があり、智慧は勇み猛く、世の人の及ぶところではなかった。楼夷亘羅仏のところに至り、前に進み出て仏に礼拝し、退いてひざまずき、手を合わせて仏に申し上げた。

「私は仏となり、菩薩の道を求めることを願います。私が後に仏となるとき、八方上下の数えきれない多くの仏たちの中で、最も尊く、智慧勇猛でありたいと願います。頭の中の光明は仏の光明のごとく、その光は限りなく照らし渡りますように。私の住む国は、自然に七宝がそろい、非常に柔らかくすぐれていますように。私が後に仏となるとき、教えを説き、その名が八方上下の無数の仏の国々に響き渡り、私の名を知らないものがないように。数えきれない天や人々、そして飛び交い這いまわる生きとし生けるものまで、私の国に生まれ来る者すべてを、菩薩や阿羅漢となし、無数の仏の国々よりもすぐれたものとしたいと願います。このようなことは、かなうものでありましょうか。」

佛語阿難:「其樓夷亘羅佛,知其高明所願快善,即為曇摩迦菩薩說經言:『譬如天下大海水,一人斗量之,一劫不止,尚可枯盡令空,得其底埿。人至心求道,何如當不可得乎?求索精進不休止,會當得心中所欲願爾。』曇摩迦菩薩聞樓夷亘羅佛說經如是,即大歡喜踊躍。其佛即選擇二百一十億佛國土中,諸天人民之善惡、國土之好醜,為選擇心中所欲願。夷亘羅佛說經竟,曇摩迦便一其心,即得天眼徹視,悉自見二百一十億諸佛國中諸天人民之善惡、國土之好醜。即選擇心中所願,便結得是二十四願經,則奉行之,精進勇猛勤苦求索。如是無央數劫,所師事供養諸已過去佛,亦無央數。其曇摩迦菩薩至其然後,自致得作佛,名阿彌陀佛,最尊智慧勇猛光明無比,今現在所居國土甚快善。在他方異佛國,教授八方、上下諸無央數天人民,及蜎飛蠕動之類,莫不得過度解脫憂苦。」

仏が阿難に告げられた。「楼夷亘羅仏は、そのすぐれた智慧と清らかな願いが素晴らしいものであることを知って、まさに曇摩迦菩薩に経を説かれた。『たとえば、この世界の大海の水を、一人の者が升で量り続け、一劫の間やめずにいたなら、とうとう干上がって空になり、その底の泥まで見えるであろう。人が真心をもって仏道を求めるならば、どうして得られないことがあろうか。求め求め、精進して休むことなく努めれば、必ず心の願いは実現するであろう。』と。

曇摩迦菩薩は、楼夷亘羅仏がこのように経を説かれるのを聞いて、大いに喜び、躍り上がって歓喜した。すると、その仏は、二百一十億の仏国土の中にある、天の人々や人間たちの善悪、国土の素晴らしさ醜さを選び分け、その中から心に願うものを選び取られた。

楼夷亘羅仏が経を説き終えると、曇摩迦は一心に心を定め、たちまち天眼を得て透き徹るように見渡し、二百一十億の諸仏国の天の人々や人間たちの善悪、国土の美醜をすべて自ら見極めた。そして心に願うところを選び取り、この二十四の願の経をまとめ上げて、それを行じた。精進勇猛に、苦しみをいとわず求めた。このようにして数えきれない劫の間、過去の諸仏を師として供養し、その数もまた計り知れなかった。

その曇摩迦菩薩は、ついにその後のちに、自ら仏を得て、名を阿弥陀仏と称した。最も尊く、智慧勇猛で、光明は比べるものがない。現在、その住む国土はまことに素晴らしく快適である。他の方角の異なる仏国においても、八方の上下、数えきれない天の人々や人間たち、そして羽のあるもの這うものの類いに至るまで、教えを説き導き、憂い苦しみから解脱しないものはないのである。」

佛語阿難:「阿彌陀佛為菩薩時,常奉行是二十四願,珍寶愛重,保持恭慎,精禪從之,與眾超絕,卓然有異,皆無有能及者。」

仏は阿難に告げられた。「阿弥陀仏は菩薩の時代、常にこの二十四の願いを実践し、それを宝のように大切にし、敬い慎み深く守り、深い禅定をもってこれに従われた。その姿は大衆を超えて優れ、ひときわ異なって際立ち、誰も及ぶ者はいなかった。」

佛言:「何為二十四願?

仏は言われた。「二十四の願いとは、何を指すのか?」

「第一願:使某作佛時,令我國中,無有泥犁、禽獸、薜荔、蜎飛蠕動之類。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第一誓願:私が仏になる時、我が浄土には地獄、畜生、餓鬼、飛ぶ虫や這う虫などの苦しみの世界が一切ないようにしたい。この願いが叶うならば仏となるが、叶わないならば、永遠に仏とはならない。

「第二願:使某作佛時,令我國中,無有婦人,女人欲來生我國中者即作男子;諸無央數天人民、蜎飛蠕動之類,來生我國者,皆於七寶水池蓮華中化生,長大皆作菩薩、阿羅漢都無央數。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第二の願:私が仏となる時、私の国の中に女の人はなく、女人で私の国に生まれたいと思う者は、そのまま男となり、無数の天の人々や、羽虫や這う虫のような生き物たちで私の国に生まれる者は、皆、七宝の池の蓮華の中に化身して生まれ、成長して皆、菩薩や阿羅漢となり、その数は限りなく多いものとします。この願いを得てこそ仏となり、この願いを得られなければ、決して仏にはなりません。

「第三願:使某作佛時,令我國土,自然七寶,廣縱甚大曠蕩無極自軟好。所居舍宅,被服飲食,都皆自然,皆如第六天王所居處。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第三の願い:私が仏となる時、私の国には自然に七宝が満ち溢れ、その広さは限りなく、どこまでも続き、柔らかく麗しいものであるように。そこに住む家々や衣服、食べ物や飲み物はすべて自然に備わり、すべて第六天の王が住む場所のようであるように。この願いが成就して初めて私は仏となろう。もし成就しなければ、決して仏とはならない。

「第四願:使某作佛時,令我名字,皆聞八方、上下無央數佛國。皆令諸佛,各於比丘僧大坐中,說我功德國土之善。諸天人民、蜎飛蠕動之類,聞我名字,莫不慈心歡喜踊躍者,皆令來生我國。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第四の誓い:「もし私が仏になる時、私の名前が東西南北、そして上下の数えきれないほどの仏の国々で、すべての人々に聞かれますように。そして、すべての仏がそれぞれ比丘(修行僧)たちの大集会の中で、私の功徳と私の国(浄土)の素晴らしさを説いてくださいますように。天人や人間、そして飛ぶもの、這うもの、動くものすべての生きとし生けるものが、私の名前を聞けば、みな慈しみの心を持ち、喜び勇んで踊り上がるほどになるでしょう。そのすべての者たちが、私の国に生まれ来ることができますように。この誓いが成就して初めて私は仏となります。もしこの誓いが成就しなければ、私は永遠に仏となることはありません。」

「第五願:使某作佛時,令八方、上下諸無央數天人民,及蜎飛蠕動之類,若前世作惡,聞我名字,欲來生我國者,即便反政自悔過,為道作善,便持經戒,願欲生我國不斷絕。壽終皆令不復泥犁、禽獸、薜荔,即生我國,在心所願。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第五の願い。私が仏となる時、八方上下の数え切れないほどの天の人々や生きとし生けるものたち、前世で悪を行った者であっても、私の名を聞き、我が国に生まれようと望むならば、ただちに心を改めて悔い改め、道のために善を行い、経典と戒律を守り、その願いを絶やさずに我が国への生まれ変わりを望むならば、寿命が尽きるとき、彼らを地獄や畜生、餓鬼の道に落とすことなく、必ず我が国に生まれさせ、その心の願いのままにさせるであろう。この願いを成就してこそ、私は仏となる。もし成就できなければ、私は永遠に仏とはならない。

「第六願:使某作佛時,令八方、上下無央數佛國,諸天人民,若善男子、善女人,欲來生我國,用我故益作善,若分檀布施、遶塔燒香、散花然燈、懸雜繒綵、飯食沙門、起塔作寺,斷愛欲,來生我國作菩薩。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第六願:私が仏になる時、十方世界の無数の仏国土における天や人々、善男子・善女らが、私の国に生まれようと望み、私のために善行を積み、財施や布施を行い、塔を巡り香を焼き、花を撒き灯明を灯し、様々な絹の飾りを掲げ、僧侶に食事を供え、塔や寺院を建て、愛欲を断ち切って、私の国に生まれ菩薩となることを願うならば、この願が成就して初めて私は仏となろう。この願が成就しなければ、決して仏とはなるまい。

「第七願:使某作佛時,令八方、上下無央數佛國,諸天人民,若善男子、善女人,有作菩薩道,奉行六波羅蜜經。若作沙門,不毀經戒,斷愛欲,齋戒清淨,一心念欲生我國,晝夜不斷絕。若其人壽欲終時,我即與諸菩薩、阿羅漢,共飛行迎之,即來生我國;則作阿惟越致菩薩,智慧勇猛。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第七願:私が仏となるとき、八方・上下の無数の仏国にいる諸天と人民、そして善男子・善女人の中で、菩薩道を行じ、六波羅蜜の経を奉じて実践する者たちを、私は見守ります。また、沙門となって経と戒を破らず、愛欲を断ち、斎戒を清く守り、一心に私の国に生まれたいと願い、昼も夜も絶やさず念じ続ける者たちがいます。もしその人の寿命が終わろうとするとき、私はもろもろの菩薩や阿羅漢とともに飛んで迎えに行き、その人はすぐに私の国に生まれます。そして阿惟越致の菩薩となり、智慧と勇猛を備えるのです。この願いを成就できてこそ私は仏となります。この願いを成就できなければ、私は決して仏にはなりません。

「第八願:使某作佛時,令我國中諸菩薩,欲到他方佛國生,皆令不更泥犁、禽獸、薜荔,皆令得佛道。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第八願:私が仏になる時、私の国の菩薩たちが、他の仏の国に生まれようと願うならば、そのすべてをして地獄・畜生・餓鬼の苦しみを再び受けることがないようにし、皆が仏道を得られるようにしたい。この願が叶うならば、私は仏となろう。この願が叶わないならば、私は決して仏とはならない。

「第九願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,面目皆端正,淨潔姝好,悉同一色,都一種類,皆如第六天人。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第九の誓い:私が仏になる時、私の国にいるすべての菩薩や阿羅漢たちの顔立ちが、皆整っていて、清らかで美しく、みな同じ色をして、同じ種類であるように。すべて第六天の天人と同じであるように。この願いが叶うならば仏になり、叶わないならば、永遠に仏にはならない。

「第十願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,皆同一心所念所欲,言者豫相知意。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十の願い。私が仏になる時、私の国の菩薩や阿羅漢たちは、みな心を一つにし、思いや願いも同じであり、言葉を交わさなくても互いの意を汲み取ることができるように。この願いが叶うならば仏となろう。もし叶わなければ、決して仏とはならない。

「第十一願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,皆無有淫泆之心;終無念婦女意,終無有瞋怒、愚癡者。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十一願:私が仏になるとき、私の国のすべての菩薩と阿羅漢たちには、欲望に惑わされる心が全くなく、女性を想う心もなく、怒りや愚かさを持つ者も全くないようにしたい。この願いが叶って初めて仏となるが、叶わなければ決して仏とはならない。

「第十二願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,皆令心相敬愛,終無相嫉憎者。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十二の願い:私が仏となる時、私の国にいるすべての菩薩と阿羅漢が、互いに心から敬い愛し合い、決して嫉み合ったり憎み合ったりすることがないようにしたい。この願いが叶うならば仏となるが、叶わなければ決して仏とはならない。

「第十三願:使某作佛時,令我國中諸菩薩,欲共供養八方、上、下,無央數諸佛,皆令飛行,即到欲得自然萬種之物,即皆在前,持用供養諸佛;悉皆遍已後,日未中時,即飛行還我國。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十三願:私が仏になる時、私の国のすべての菩薩たちが、八方向と上・下の果てしない数の仏を共に供養したいと望むなら、皆が飛行してすぐにそこに到着できるように。そして、自然に生じる万種の供物がその場に現れ、それらを捧げて諸仏を供養できるように。すべての仏を供養し終えた後、日がまだ真ん中に達しないうちに、飛行して私の国に戻ることができるように。この願が叶うならば、私は仏になる。この願が叶わなければ、決して仏にはならない。

「第十四願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢欲飯時,即皆自然七寶鉢中,有自然百味飯食在前,食已自然去。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十四の願い:私が仏となるとき、私の国のすべての菩薩と阿羅漢が食事をしたいと思うならば、その時すぐに、自然と七宝の鉢の中に、自然とさまざまな味わいの食べ物が現れ、目の前に並ぶでしょう。食べ終われば、自然と消え去るのです。この願いが成就して初めて、私は仏となります。もしこの願いが成就しなければ、私は決して仏とはなりません。

「第十五願:使某作佛時,令我國中諸菩薩,身皆紫磨金色,三十二相、八十種好,皆令如佛。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十五の願い:私が仏となる時、私の国の菩薩たちはみな、紫磨金色の身体を持ち、三十二相、八十種好を全て仏のように具えさせたい。この願いが叶って初めて仏となり、叶わなければ、決して仏とはならない。

「第十六願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,語者如三百鍾聲,說經行道皆如佛。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十六願:私が仏になる時、私の国のすべての菩薩や阿羅漢たちが話す声は、三百の鐘の音のように美しく響き渡り、経を説き、道を歩む様はすべて仏のようであるように。この願が叶うならば、私は仏となり、叶わなければ、決して仏とはなりません。

「第十七願:使某作佛時,令我洞視徹聽,飛行十倍,勝於諸佛。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十七の願い:私が仏になる時、私の視力と聴力がすべてを見通し、飛ぶ速さが諸仏の十倍に勝ることを望みます。この願いが叶うなら仏になり、叶わなければ永遠に仏になりません。

「第十八願:使某作佛時,令我智慧說經行道,十倍於諸佛。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十八願:私が仏になるとき、私の智慧による説法と修行の道が、すべての仏の十倍となるように。この願いがかなえられてこそ、私は仏になります。この願いがかなえられないのなら、決して仏にはなりません。

「第十九願:使某作佛時,令八方、上下無央數佛國,諸天人民、蜎飛蠕動之類,皆令得人道,悉作辟支佛、阿羅漢,皆坐禪一心,共欲計數,知我年壽幾千億萬劫歲數,皆令無有能極知壽者。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第十九願:私が仏になる時、八方と上下の数えきれないほどの仏の国々にいる天の人々や、空を飛ぶ虫、地を這う生き物など、すべての者たちに人間の道を得させ、皆を辟支仏や阿羅漢にしよう。そして皆が座禅を組んで心を一つにし、共に私の寿命が何千億万年という劫の歳月にわたるかを数えようとしても、その寿命の果てを知ることができないようにしよう。この願いが叶うならば、私は仏になろう。この願いが叶わなければ、決して仏にはならない。

「第二十願者:使某作佛時,令八方、上下各千億佛國中,諸天人民、蜎飛蠕動之類,皆令作辟支佛、阿羅漢,皆坐禪一心,共欲計數我國中諸菩薩、阿羅漢,知有幾千億萬人,皆令無有能知數者。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第二十の願い:「私が仏となるとき、八方と上下のそれぞれ千億の仏の国々にいる天の人々、そして飛び回る虫や這い回る生き物に至るまで、すべてを辟支仏や阿羅漢にさせ、皆が坐禅を組んで心を一つにし、私の国にいる菩薩や阿羅漢の数を数えようとしても、それが何千億万人いるのか誰にも分からないようにする。この願いが達成されて初めて仏となる。もし達成できなければ、決して仏とはならない。」

「第二十一願,使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,壽命無央數劫。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第二十一の願い。私が仏となるとき、我が国のすべての菩薩と阿羅漢たちの寿命が、数えきれないほどの劫(こう)の間、続くことを願います。この願いが叶うならば、私は仏となります。もし叶わなければ、決して仏とはなりません。

「第二十二願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,皆智慧勇猛,自知前世億萬劫時宿命,所作善惡却知無極,皆洞視徹,知十方去、來、現在之事。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。

第二十二願:私が仏になるとき、私の国にいるすべての菩薩と阿羅漢たちが、みな智慧に優れ、勇猛であり、自ら前世の億万劫にわたる過去の生死を知り、行った善悪の行いをすべて明らかに見通し、その深遠さに限りがないようにしたい。また、十方の世界の過去・未来・現在のすべての出来事を、ありのままに見通せるようでありたい。この願いが成就して初めて私は仏となる。もし成就しなければ、決して仏となることはない。

「第二十三願:使某作佛時,令我國中諸菩薩、阿羅漢,皆智慧勇猛,頂中皆有光明。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。
「第二十四願:使某作佛時,令我頂中,光明絕好,勝於日月之明百千億萬倍,絕勝諸佛。光明焰照,諸無央數天下,幽冥之處皆當大明。諸天人民、蜎飛蠕動之類,見我光明,莫不慈心作善者,皆令來生我國。得是願乃作佛,不得是願終不作佛。」

第二十四願:私が仏となる時、私の頭頂の光明はこの上なく美しく、太陽や月の光の百千億万倍も優れ、すべての仏よりも勝れていますように。その光明の炎は限りない数の世界を照らし、暗い場所もすべて大いに明るくなりますように。天の人々や、飛ぶもの、這うもの、動くものまで、すべての生きとし生けるものが私の光明を見れば、慈しみの心を起こして善を行い、皆、私の国に生まれたいと願うようになりますように。この願いが成就して初めて私は仏となります。もしこの願いが成就しなければ、私は決して仏となることはありません。

佛告阿難:「阿彌陀為菩薩時,常奉行是二十四願。分檀布施,不犯道禁,忍辱、精進、一心、智慧;志願常勇猛,不毀經法。求索不懈,每獨棄國捐王,絕去財色,精明求願無所適莫,積功累德,無央數劫,今自致作佛,悉皆得之,不亡其功也。」

仏は阿難に告げられた。「阿弥陀仏は菩薩の時代、常にこの二十四の願いを実践された。布施を惜しみなく行い、道の戒めを犯さず、忍辱・精進・禅定・智慧を修められた。その志は常に勇猛で、経典の教えを壊すことはなかった。悟りを求める努力を怠らず、しばしば国を捨て王位を離れ、財産や欲から完全に遠ざかり、明らかな智慧で願いを求め、偏りのない心で修行を積まれた。功徳を積み重ねること、限りない劫の長きにわたって続けられ、ついに自ら仏の悟りを得られた。すべての願いは成就し、その努力は決して無駄になることはなかったのである。」

佛言:「阿彌陀佛,光明最尊第一無比;諸佛光明,皆所不及也。八方、上下無央數諸佛中,有佛頂中光明照七丈,有佛頂中光明照一里,有佛頂中光明照二里,有佛頂中光明照五里,有佛頂中光明照十里,有佛頂中光明照二十里,有佛頂中光明照四十里,有佛頂中光明照八十里,有佛頂中光明照百六十里,有佛頂中光明照三百二十里,有佛頂中光明照六百四十里,有佛頂中光明照千三百里,有佛頂中光明照二千六百里,有佛頂中光明照五千二百里,有佛頂中光明照萬四百里,有佛頂中光明照二萬一千里,有佛頂中光明照四萬二千里,有佛頂中光明照八萬四千里,有佛頂中光明照十七萬里,有佛頂中光明照三十五萬里,有佛頂中光明照七十萬里,有佛頂中光明照百五十萬里,有佛頂中光明照三百萬里,有佛頂中光明照六百萬里;有佛頂中光明照一佛國,有佛頂中光明照兩佛國,有佛頂中光明照四佛國,有佛頂中光明照八佛國,有佛頂中光明照十五佛國,有佛頂中光明照三十佛國,有佛頂中光明照六十佛國,有佛頂中光明照百二十佛國,有佛頂中光明照二百四十佛國,有佛頂中光明照五百佛國,有佛頂中光明照千佛國,有佛頂中光明照二千佛國,有佛頂中光明照四千佛國,有佛頂中光明照八千佛國,有佛頂中光明照萬六千佛國,有佛頂中光明照三萬二千佛國,有佛頂中光明照六萬四千佛國,有佛頂中光明照十三萬佛國,有佛頂中光明照二十六萬佛國,有佛頂中光明照五十萬佛國,有佛頂中光明照百萬佛國,有佛頂中光明照二百萬佛國。」

仏さまはおっしゃいました。「阿弥陀仏の光明は、最も尊く、第一であり、比べるものがない。すべての仏の光明も、阿弥陀仏には及ばないのである。八方・上下、数えきれないほどの多くの仏たちの中には、その頭頂の光明が七丈を照らす仏もいれば、一里を照らす仏、二里を照らす仏、五里を照らす仏、十里を照らす仏、二十里を照らす仏、四十里を照らす仏、八十里を照らす仏、百六十里を照らす仏、三百二十里を照らす仏、六百四十里を照らす仏、千三百里を照らす仏、二千六百里を照らす仏、五千二百里を照らす仏、一万四百里を照らす仏、二万一千里を照らす仏、四万二千里を照らす仏、八万四千里を照らす仏、十七万里を照らす仏、三十五万里を照らす仏、七十万里を照らす仏、百五十万里を照らす仏、三百万里を照らす仏、六百万里を照らす仏がいる。

また、その光明が一つの仏国を照らす仏、二つの仏国を照らす仏、四つの仏国を照らす仏、八つの仏国を照らす仏、十五の仏国を照らす仏、三十の仏国を照らす仏、六十の仏国を照らす仏、百二十の仏国を照らす仏、二百四十の仏国を照らす仏、五百の仏国を照らす仏、千の仏国を照らす仏、二千の仏国を照らす仏、四千の仏国を照らす仏、八千の仏国を照らす仏、一万六千の仏国を照らす仏、三万二千の仏国を照らす仏、六万四千の仏国を照らす仏、十三万の仏国を照らす仏、二十六万の仏国を照らす仏、五十万の仏国を照らす仏、百万の仏国を照らす仏、二百万の仏国を照らす仏がいる。」

佛言:「諸八方、上下無央數佛,頂中光明所焰照皆如是也。阿彌陀佛頂中光明所焰照,千萬佛國。所以諸佛光明所照有近遠者何?本其前世宿命求道,為菩薩時,所願功德各自有大小;至其然後作佛時,各自得之,是故令光明轉不同等。諸佛威神同等爾,自在意所欲,作為不豫計。阿彌陀佛光明,所照最大,諸佛光明,皆所不能及也。」

仏は言われた。「八方上下、数えきれないほどの仏たちの頂上の光明が照らす範囲も、すべてこのようなものである。阿弥陀仏の頂上の光明が照らす範囲は、千万もの仏国土に及ぶ。なぜ諸仏の光明が照らす範囲に遠近の差があるのか。それは、彼らが前世の宿命において悟りを求めて歩み、菩薩であった時の誓いと功徳に、それぞれ大小の違いがあったからである。そして後に仏となった時、それぞれがその結果を受けたのである。それゆえに光明に違いが生じるのである。諸仏の威神力は本来同じであるが、それぞれが自らの意志によって、思いのままに働きを現すのであって、あらかじめ計画されたものではない。阿弥陀仏の光明が照らす範囲は最も大きく、すべての仏の光明も、その及ぶところではないのである。」

佛稱譽:「阿彌陀佛光明極善!阿彌陀佛光明極善!善中明好,甚快無比,絕殊無極也。阿彌陀佛光明,清潔無瑕穢,無缺減也。阿彌陀佛光明姝好,勝於日月之明,百千億萬倍。諸佛光明中之極明也,光明中之極好也,光明中之極雄傑也,光明中之快善也,諸佛中之王也,光明中之極尊也,光明中之最明無極也。焰照諸無數天下,幽冥之處,皆常大明。諸有人民、蜎飛蠕動之類,莫不見阿彌陀佛光明也,見者莫不慈心歡喜者。世間諸有婬泆、瞋怒、愚癡者,見阿彌陀佛光明,莫不作善也。諸在泥犁、禽獸、薜荔,考掠勤苦之處,見阿彌陀佛光明至,皆休止不復治,死後莫不得解脫憂苦者也。阿彌陀佛光明,名聞八方、上下無窮無極,無央數諸佛國,諸天人民,莫不聞知;聞知者莫不度脫也。」

仏は讃えられて言う、「阿弥陀仏の光明はこの上なく優れている!阿弥陀仏の光明はこの上なく優れている!善の中でも特に明るく美しく、その素晴らしさは比べるものがなく、限りなく絶妙である。阿弥陀仏の光明は清らかで、曇りや汚れがなく、欠けるところもない。阿弥陀仏の光明は麗しく、太陽や月の輝きを百千億万倍も超えている。諸仏の光明の中でも最も明るく、最も美しく、最も雄大で、最も快く善良である。諸仏の中の王であり、光明の中でも最も尊く、最も明るく限りがない。その光は無数の世界を照らし、暗く深い所も常に明るく照らされる。すべての人々、飛び回る虫や這う生き物に至るまで、阿弥陀仏の光明を見ない者はない。見た者は皆、慈しみの心が湧き、喜びを感じる。世の中の淫らな者、怒りに満ちた者、愚かな者も、阿弥陀仏の光明を見れば、皆善を行うようになる。地獄、畜生、餓鬼の世界で苦しみ苦悩する者たちも、阿弥陀仏の光明が届くのを見れば、その苦しみは止み、死後には必ず憂いや苦しみから解脱する。阿弥陀仏の光明は、八方上下、果てしなく広がり、無数の仏国土に届き、諸天や人々は皆その名を聞き知る。聞き知る者は、皆救いの道を得るのである。」

佛言:「不獨我稱譽阿彌陀佛光明也。八方、上下,無央數佛、辟支佛、菩薩、阿羅漢,所稱譽皆如是。」

仏は言われた。「私だけが阿弥陀仏の光明を称えているのではない。八方・上下の無数の仏、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちも、みな同じように称えているのだ。」

佛言:「其有人民,善男子、善女人,聞阿彌陀佛聲,稱譽光明。朝暮常稱譽其光明好,至心不斷絕,在心所願,往生阿彌陀佛國,可得為眾菩薩、阿羅漢所尊敬。若其然後作佛者,亦當復為八方、上下諸無央數佛、辟支佛、菩薩、阿羅漢,所稱譽光明如是也。即眾比丘僧,諸菩薩、阿羅漢,諸天、帝王、人民,聞之皆歡喜踊躍,莫不讚歎者。」

仏は言われた。「もし人々の中に、善き男子・善き女人がいて、阿弥陀仏の名を聞き、その光明を称え讃えるならば、朝も夕も常にその光明の素晴らしさを称え、心を尽くして絶え間なく称えるならば、その心の願うところに従って、阿弥陀仏の国に生まれ変わることができるであろう。そして、多くの菩薩や阿羅漢たちから尊敬を受けることができるであろう。もしその後、仏となるならば、また八方・上下の数えきれないほどの仏、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちからも、その光明がこのように称えられるであろう。そのとき、大勢の比丘僧、諸々の菩薩、阿羅漢、諸天、帝王、人民たちは、これを聞いて皆、歓喜し踊り上がり、讚嘆しない者はなかったのである。」

佛言:「我道阿彌陀佛光明,姝好巍巍,稱譽快善,晝夜一劫,尚未竟也;我但為若曹小說之耳。」

仏は言われた。「わたしが阿弥陀仏の光明を語るならば、その美しさや素晴らしさ、称え讃えるべき善さは、昼も夜も一劫かけて語り続けても、なお語り尽くすことはできないであろう。わたしはただ、あなたがたのために、その一端を簡単に説いているにすぎないのである。」

佛說阿彌陀佛為菩薩,求索得是二十四願時,阿闍世王太子,與五百長者迦羅越子,各持一金華蓋,俱到佛所,前為作禮佛,以頭面著佛足,皆持金華蓋,前上佛已,悉却坐一面聽經。阿闍世王太子,及五百長者子,聞阿彌陀佛二十四願,皆大歡喜踊躍,心中俱願言:「令我等後作佛時,皆如阿彌陀佛。」佛即知之,告諸比丘僧:「是阿闍世王太子,及五百長者子,却後無數劫,皆當作佛,如阿彌陀佛。」

仏がおっしゃるには、阿弥陀仏が菩薩であったとき、この二十四の願いを求め得られた時のことです。阿闍世王の太子と、五百人の長者の子らは、それぞれ金の蓮の花の蓋を一つずつ持って、共に仏の御許に参りました。そして前に進み出て礼をし、頭を仏の足に伏せて、皆その金の華蓋を仏に捧げました。それから退いて一面に座り、説法を聞きました。

阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、阿弥陀仏の二十四の願いを聞いて、皆大いに喜び踊り、心の中で皆こう願いました。「どうか私たちも後に仏となるとき、皆阿弥陀仏のようでありますように。」

仏はその心を見抜いて、比丘僧たちに告げられました。「この阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、この後、数えきれないほどの劫を経て、皆仏となるであろう。阿弥陀仏のように。」

佛言:「是阿闍世王太子,及五百長者子,住菩薩道已來無央數劫,皆各供養四百億佛已,今復來供養我。阿闍世王太子,及五百長者子,皆前世迦葉佛時,為我作弟子,今皆復會是共相值也。」則諸比丘僧,聞佛言皆踊躍,莫不代之歡喜者。

仏が言われた。「この阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、菩薩の道を歩んでから無数の劫の間、それぞれ四百億の仏に供養してきた。そして今、再び私を供養しに来たのである。阿闍世王の太子と五百人の長者の子らは、皆、前世の迦葉仏の時代に、私の弟子であった。今、再び皆が集い、互いに巡り合うこととなったのだ。」すると、比丘たちは仏の言葉を聞いて皆、歓喜し、彼らのために喜ばない者はなかった。

佛告阿難:「阿彌陀作佛已來,凡十小劫。所居國土,名須摩題,正在西方,去是閻浮提地界千億萬須彌山佛國。其國地皆自然七寶,其一寶者白銀,二寶者黃金,三寶者水精,四寶者琉璃,五寶者珊瑚,六寶者琥珀,七寶者車渠,是為七寶。皆以自共為地,曠蕩甚大無極。皆自相參,轉相入中,各自焜煌參明,極自軟好,甚姝無比。其七寶地,諸八方、上下眾寶中精味,自然合會,其化生耳。其寶皆比第六天上之七寶也。其國中無有須彌山,其日、月、星辰、第一四天王、第二忉利天,皆在虛空中。其國土無有大海,亦無有小海水,亦無江、河、恒水也。亦無有山林、溪谷,無有幽冥之處,其國七寶地皆平正。無有泥犁、禽獸、薜荔、蜎飛蠕動之類。無有阿須倫、諸龍、鬼神。終無天雨時,亦無有春、夏、秋、冬,亦無大寒,亦無大熱,常和調中適,甚快善無比。皆有自然萬種之物,百味飯食,意欲有所得,即自然在前;所不用者,即自然去。比如第六天上自然之物,恣若自然即皆隨意。其國中悉諸菩薩、阿羅漢,無有婦女,壽命無央數劫。女人往生,即化作男子。但有諸菩薩、阿羅漢無央數,悉皆洞視、徹聽;悉遙相見,遙相瞻望,遙相聞語聲;悉皆求道善者,同一種類,無有異人。其諸菩薩、阿羅漢,面目皆端正,淨潔絕好,悉同一色,無有偏醜惡者也。諸菩薩、阿羅漢,皆才猛黠慧,皆衣自然之衣,心中所念道德,其欲語言,皆豫相知意所念;言常說正事,所語輒說經道,不說他餘之惡。其語言音響,如三百鍾聲。皆相敬愛,無相嫉憎者,皆以長幼上下先後言之。以義如禮,轉相敬事如兄、如弟。以仁履義,不妄動作言語。如誡轉相教,令不相違戾,轉相承受;皆心淨潔,無所貪慕,終無瞋怒、淫泆之心,愚癡之態。無有邪心念婦女意,悉皆智慧勇猛,和心歡樂好喜經道。自知前世所從來生億萬劫時,宿命善惡存亡;現在却知無極。

仏は阿難に告げられました。「阿弥陀仏が仏になられてから、すでに十小劫が経ちました。お住まいの国土は須摩題といい、ちょうど西方にあり、この閻浮提の地界から千億万の須弥山の仏国を隔てたところにあります。その国は、地がすべて自然の七宝でできています。第一の宝は白銀、第二の宝は黄金、第三の宝は水精、第四の宝は瑠璃、第五の宝は珊瑚、第六の宝は琥珀、第七の宝は車渠、これが七宝です。それらはみな互いに組み合わさって地をつくり、広々としてきわめて大きく、限りがありません。みな互いに交じり合い、折り重なって溶け込み、それぞれが輝き照り映えて、たいへん柔らかく美しく、比べるものがないほどです。その七宝の地は、八方・上下のすべての宝の中の精髄が自然に集まってできたもので、化生したのです。その宝はみな、第六天の七宝に匹敵します。その国には須弥山がありません。日・月・星辰や、第一の四天王、第二の忉利天は、みな虚空中にあります。その国土には大海もなく、小さな海の水もなく、江・河・恒水もありません。山林や渓谷もなく、暗いところもなく、その国の七宝の地はみな平らで端正です。地獄・禽獣・餓鬼・蜎飛蠕動の類もありません。阿修羅・諸龍・鬼神もありません。天から雨が降ることもなく、春・夏・秋・冬もなく、大きな寒さもなく、大きな暑さもなく、いつも調和してほどよく快く、比べるものがないほどすばらしいのです。すべて自然に万種のものがあり、百味の飯食も、心に得たいと思えば、すぐに自然に目の前に現れます。用いないものは、すぐに自然に消え去ります。ちょうど第六天の自然のもののように、思いのままに自然であって、すべてが意に従います。その国にはすべて菩薩と阿羅漢ばかりで、婦女はなく、寿命は無央数の劫です。女人が往生すると、すぐに男子に変わります。ただ菩薩と阿羅漢が無数にいて、みな洞視・徹聴を備え、遠くから互いに見、遠くから互いに眺め、遠くから互いに語る声を聞きます。みな道を求める善き者で、同一の種類であり、異なる者はありません。それらの菩薩・阿羅漢は、顔かたちがみな端正で、清らかでこの上なく美しく、みな同じ色で、醜い者や偏った者は一人もいません。菩薩・阿羅漢は、みな才能があり、賢く聡明で、みな自然の衣をまとい、心に思う道徳も、言葉にしようとすれば、あらかじめ互いにその心に思うことを知っています。常に正しいことを語り、語ればすぐに経の道を説き、その他の悪を語ることはありません。その言葉の響きは、三百の鐘の音のようです。みな互いに敬愛し合い、ねたみ憎む者はありません。みな年長・年少・上下・先後の順に従って語ります。義をもって礼のごとくにし、互いに兄のように、弟のように敬い仕えます。仁をもって義を踏み行い、みだりに動作や言語をしません。いましめのごとく互いに教え合い、互いに背くことなく、互いに受け継ぎます。心はみな清らかで、貪り慕うところがなく、怒りや淫らな心、愚かな姿はついにありません。邪な心で婦女を思うこともなく、みな智慧に勇猛で、心は和やかで喜び楽しみ、経の道を好みます。自ら前世の生まれ来たるところ、億万劫のときの宿命の善悪や存亡を知り、現在のことは限りなく知ることができます。」

「阿彌陀佛所可教授,講堂精舍,皆復自然七寶,金、銀、水精、琉璃、白玉、虎珀、車𤦲,自共相成甚姝明,好絕無比。亦無作者,不知所從來,亦無持來者,亦無所從去;阿彌陀佛所願德重,其人作善故,論經語義,說經行道,講會其中,自然化生爾。其講堂精舍,皆復有七寶樓觀、欄楯,復以金、銀、水精、琉璃、白玉、虎珀、車𤦲為瓔珞;復以白珠、明月珠、摩尼珠為交露,覆蓋其上。皆自作五音聲,甚好無比。諸菩薩、阿羅漢所居舍宅,皆復以七寶,金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車𤦲、馬瑙化生,轉共相成其舍宅。悉各有七寶樓觀、欄楯,復以金、銀、水精、琉璃、白玉、虎珀、車𤦲為瓔珞;復以白珠、明月珠、摩尼珠為交露,覆蓋其上;皆各復自作五音聲。

阿弥陀如来が教えを説かれた講堂や精舎は、すべて自然に七宝でできていました。金、銀、水晶、琉璃、白玉、琥珀、車渠(しゃこ)が、互いに調和して作り上げられ、たいへん美しく輝き、比べるものがないほどでした。これらは誰かが作ったのではなく、どこから来たのかも知らず、持ってきた者もなく、去って行く場所もありません。阿弥陀如来の誓いの徳が深く、人々が善行を積んだゆえに、経典の教えを論じ、説法し、道を実践し、その中で集い合うと、自然に現れてくるのです。

その講堂や精舎には、七宝でできた楼閣や欄干がめぐらされ、さらに金、銀、水晶、琉璃、白玉、琥珀、車渠で作られた装飾が施されていました。また、白珠、明月珠、摩尼珠で作られた天蓋が、その上を覆っていました。そして、これらはすべて美しい五音の響きを自然に奏で、この上なく素晴らしいものでした。

菩薩や阿羅漢たちが住む邸宅もまた、七宝、すなわち金、銀、水晶、琉璃、珊瑚、琥珀、車渠、瑪瑙から自然に生まれ、互いに調和してその家を形作っていました。それぞれに七宝の楼閣や欄干があり、金、銀、水晶、琉璃、白玉、琥珀、車渠で作られた装飾がほどこされていました。また、白珠、明月珠、摩尼珠の天蓋がその上を覆い、すべてがそれぞれ美しい五音の響きを奏でていました。

「阿彌陀佛講堂精舍,及諸菩薩、阿羅漢所居舍宅中,內外處處,皆復有自然流泉浴池,皆與自然七寶俱生,金、銀、水精、琉璃、虎珀、車渠,轉共相成。淳金池者,其水底沙白銀也。淳白銀池者,其水底沙黃金也。淳水精池者,其水底沙琉璃也。淳琉璃池者,其水底沙水精也。淳珊瑚池者,其水底沙虎珀也。淳虎珀池者,其水底沙珊瑚也。淳車渠池者,其水底沙馬瑙也。淳馬瑙池者,其水底沙車渠也。淳白玉池者,其水底沙紫磨金也。淳紫磨金池者,其水底沙白玉也。中復有兩寶共作一池者,其水底沙金、銀也。中復有三寶共作一池者,其水底沙金、銀、水精也。中復有四寶共作一池者,其水底沙金、銀、水精、琉璃也。中有五寶共作一池者,其水底沙金、銀、水精、琉璃、珊瑚也。中有六寶共作一池者,其水底沙金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀也。中有七寶共作一池者,其水底沙金、銀、水精、琉璃、珊瑚、虎珀、車渠也。中有浴池長四十里者,有長八十里者,有長百六十里者,有長三百二十里者,有長六百四十里者,有長千二百八十里者,有長二千五百六十里者,有長五千一百二十里者,有長萬二百四十里者,有長二萬四百八十里者。其池縱廣適等,是池者皆諸菩薩、阿羅漢常所可浴池。」

阿弥陀仏の講堂や精舎、そして多くの菩薩や阿羅漢が住む家々には、内外の至る所に自然に湧き出る泉や浴池があり、いずれも自然の七宝とともに生じています。それは金、銀、水晶、琉璃、虎珀、車渠(しゃこ)であり、互いに組み合わさって成り立っています。

黄金だけでできた池は、その底の砂が白銀です。白銀だけでできた池は、その底の砂が黄金です。水晶だけでできた池は、その底の砂が琉璃です。琉璃だけでできた池は、その底の砂が水晶です。珊瑚だけでできた池は、その底の砂が虎珀です。虎珀だけでできた池は、その底の砂が珊瑚です。車渠だけでできた池は、その底の砂が瑪瑙(めのう)です。瑪瑙だけでできた池は、その底の砂が車渠です。白玉だけでできた池は、その底の砂が紫磨金(しまこん)です。紫磨金だけでできた池は、その底の砂が白玉です。

また、二つの宝を組み合わせて作られた池もあります。その底の砂は金と銀です。三つの宝を組み合わせた池は、底の砂が金・銀・水晶です。四つの宝を組み合わせた池は、底の砂が金・銀・水晶・琉璃です。五つの宝を組み合わせた池は、底の砂が金・銀・水晶・琉璃・珊瑚です。六つの宝を組み合わせた池は、底の砂が金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・虎珀です。七つの宝を組み合わせた池は、底の砂が金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・虎珀・車渠です。

中には浴池の長さが四十里のもの、八十里のもの、百六十里のもの、三百二十里のもの、六百四十里のもの、千二百八十里のもの、二千五百六十里のもの、五千百二十里のもの、一萬二百四十里のもの、二萬四百八十里のものがあります。これらの池は縦も横も同じ大きさです。これらの池は、すべての菩薩や阿羅漢が常に入浴される場所なのです。

佛言:「彌陀佛浴池長四萬八千里,廣亦四萬八千里,其池皆以七寶轉共相成;其水底沙白珠、明月珠、摩尼珠也。阿彌陀佛及諸菩薩、阿羅漢浴池中水,皆清香潔。池中皆有香華,悉自然生百種華,種種異色;色異香華,枝皆千葉甚香無比也,香不可言。其華者亦非世間之華,復非天上之華;此華香都八方、上下,眾華香中精也,自然化生耳。其池中水流行,轉相灌注;其水流行,亦不遲不駃,皆復作五音聲。」

仏陀がおっしゃった。「阿弥陀仏の沐浴の池は、長さが四万八千里、広さも四万八千里ある。その池はすべて七種の宝でできており、互いに組み合わさって成り立っている。池の底の砂は、白い真珠、明月珠、摩尼珠である。阿弥陀仏と諸々の菩薩、阿羅漢がこの池の水で沐浴すると、水はすべて清らかで香り高い。池の中には香り高い花があり、自然に百種もの花が生じ、さまざまな色をしている。色も香りも異なり、枝には千枚の花びらがつき、その香りはこの上なく素晴らしく、言葉に表せないほどである。その花々は、世の中の花でもなく、天の花でもない。この花の香りは、八方・上下すべてに届き、あらゆる花の香りの中で最も優れたものであり、自然に生まれ出たものである。池の中の水は流れて、互いに注ぎ合い、その流れは速すぎもせず遅すぎもせず、さらに五つの音色の美しい音を奏でるのである。」

佛言:「八方、上下無央數佛國,諸天人民及蜎飛蠕動之類,諸生阿彌陀佛國者,皆於七寶水池蓮華中化生,便自然長大;亦無乳養之者,皆食自然之飲食。其身體亦非世間人之身體,亦非天上人之身體,皆積眾善之德,悉受自然虛無之身,無極之體,甚姝好無比。」

仏陀はおっしゃった。「八方と上下、数えきれないほどの仏の国土に住むすべての天の人々や人間、また飛ぶ虫や這う生き物に至るまで、阿弥陀仏の国に生まれる者たちは、皆、七宝でできた池の蓮の花の中から生まれ出て、自然に成長するのです。乳に養われることもなく、皆、自然の食べ物をいただきます。その身体は、世間の人の身体でもなく、天人(てんにん)の身体でもありません。すべて善い行いの徳を積んだ結果として、自然なる空(くう)の身、限りない生命を持つ身を受け取り、その美しさは比べるものがないほどです。」

佛語阿難:「如世間貧窮乞丐人,令在帝王邊住者,其面目形狀寧類帝王面目形類顏色不?」

仏は阿難に告げられた。「たとえば世の中の貧しい物乞いの人が、帝釈天のような王者のそばにいたとして、その顔かたちや姿が、王者の顔かたちや姿と同じようになるだろうか。」

阿難言:「假使王子在帝王邊住者,其面目形狀甚醜惡不好;不如帝王,百千億萬倍也。所以者何?乞人貧窮困極,飲食常惡,未常有美食時。既惡食不能得飽食,食纔支命,骨節相撐拄,無以自給,常乏無有儲;飢餓寒凍,怔忪愁苦。但坐前世,為人愚癡,無智慳貪,不肯慈哀、為善博愛施與;但欲唐得貪惜飲食獨食嗜美,不信施貸後得報償,復不信作善後世當得其福,蒙悾抵佷益作眾惡。如是壽終財物盡索,素無恩德無所恃怙,入惡道中坐之適苦,然後得出解脫。今生為人,作於下賤,為貧家作子。強像人形狀類甚醜,衣被弊壞單空獨立,不蔽形體乞丐生耳。飢寒困苦面目羸劣不類人色,坐其前世身之所作,受其殃罰,示眾見之,莫誰哀者。棄捐市道暴露痟瘦,黑醜惡極不及人耳。

阿難は申し上げました。「たとえ王子であっても、帝王のそばに住むならば、その顔立ちや姿は非常に醜く見苦しいものです。帝王には、百千億万倍も及びません。それはなぜかといいますと、乞食は貧しく苦しく極まり、飲食物は常に粗末で、美食にありつけたためしがありません。粗末な食物でさえ満足に食べられず、かろうじて命をつなぐだけで、骨と骨がぶつかり合うようにやせ細り、自らを養うすべもなく、常に蓄えがなく欠乏しています。飢えと寒さに苦しみ、おそれをなして愁い苦しむのです。これはひとえに前世において、人として愚かで、智恵がなく、欲深く貪り、慈しみ哀れむ心を持たず、善を行い広く愛を施すことをせず、ただただ手に入れたいと欲し、飲食を惜しみ、一人で珍味をむさぼり食べ、施しには後の報いがあることを信ぜず、善を行えば後世にその福を得られることも信ぜず、頑なで強情に、ますます多くの悪を行ったからです。こうして命が終われば財物は尽き果て、元来恩徳がなく頼るべきものもないまま、悪道に堕ちてその苦しみを受けて、ようやく出て解脱するのです。今世に人として生まれても、身分の卑しい者の家の子となります。かろうじて人の形をしていても姿形は非常に醜く、着物はぼろぼろで破れ、ただ一枚で裸同然、体を覆うこともできず、物乞いをして命をつなぐばかりです。飢えと寒さに苦しみ、顔つきはやせ衰え、人の色とも思えません。これは前世の行いの報いであり、その災いと罰を受けているのです。世に示して見せても、誰も哀れむ者はありません。街頭に捨てられ、さらされて、やせ細り、黒く醜く、ひどく劣って、人並みにも及ばないのです。」

「所以帝王人中獨尊最好者何?皆其前世為人時,作善信受經道,布恩施德,博愛順義,慈仁憙與,不貪飲食與眾共之。無所匱惜都無違爭,得其善福,壽終德隨,不更惡道。今生為人得生王家,自然尊貴獨王典主,攬制人民為其雄傑。面目潔白和顏好色,身體端正眾共敬事,美食好衣隨心恣意。若樂所欲自然在前都無違爭,於人中姝好,無憂快樂面目光澤,故乃爾耳。」

「それでは、なぜ帝王は人々の中で最も尊く、最も優れているのか。それは皆、前世で人として生きた時に、善行を行い、経典の教えを心から信じ受け入れ、慈しみの施しを行い、徳を積み、広く愛を施し義に従い、慈しみ深く喜んで与え、飲食に執着せず人々と分かち合ったからである。何も惜しむことなく、争うこともなかった。その善い福報により、寿命が尽きても徳が共に従い、悪い境涯に堕ちることはなかった。今生で人として生まれ、王家に生まれることができたのである。自然と尊く貴く、ただ一人で国を統治し、人々を導き、その中で傑出した存在となる。顔は清らかで白く、柔和な表情で美しい相貌を持ち、身体は端正で、皆が敬い仕える。美味しい食事や良い衣服も心のままに楽しむことができる。望むものは自然と目の前に現れ、争うことは何もない。人として最も優れ、憂いなく楽しく、顔色は艶やかである。それは、このような前世の行いによるものなのである。」

佛告阿難:「若言是也!帝王雖於人中好無比者,當令在遮迦越王邊住者,其面形類甚醜惡不好,比如乞人在帝王邊住耳。其帝王面目,尚復不如遮迦越王面色姝好,百千億萬倍。如遮迦越王於天下絕好無比,當令在第二天王邊住者,其面甚醜不好,尚復不如帝釋面類端正姝好,百千億萬倍。如天帝釋,令在第六天王邊住者,其面類甚醜不好,尚復不如第六天王面類端正姝好,百千億萬倍。如第六天王,令在阿彌陀佛國中諸菩薩、阿羅漢邊住者,其面甚醜,尚復不如阿彌陀佛國中,菩薩、阿羅漢面類端正姝好,百千億萬倍。」

仏は阿難に告げられた。「その通りである。たとえ王様が人間界でどれほど美しくても、転輪聖王のそばに立てば、その顔は実に醜く見苦しいものとなる。まるで貧しい乞食が王様のそばに立っているようなものである。また、その王様の顔でさえ、転輪聖王の美しさには、百千億万倍も及ばないのである。さらに、転輪聖王がこの世で比類なきほど美しくても、忉利天の王のそばに立てば、その顔は実に醜く見苦しく、帝釈天の端正で美しい顔立ちには、百千億万倍も及ばない。また、帝釈天でさえ、 sixth 天(他化自在天)の王のそばに立てば、その顔は実に醜く、 sixth 天の王の端正で美しい顔立ちには、百千億万倍も及ばない。さらに、 sixth 天の王でさえ、阿弥陀仏の国にいる菩薩や阿羅漢たちのそばに立てば、その顔は実に醜く、阿弥陀仏の国にいる菩薩や阿羅漢たちの端正で美しい顔立ちには、百千億万倍も及ばないのである。」

佛言:「阿彌陀佛國諸菩薩、阿羅漢面類,悉皆端正絕好無比,次於泥洹之道。阿彌陀佛及諸菩薩、阿羅漢,講堂精舍所居處舍宅中,內外浴池上,皆有七寶樹。中有淳金樹,淳銀樹,淳水精樹,淳琉璃樹,淳白玉樹,淳珊瑚樹,淳琥珀樹,淳車𤦲樹,種種各自異行。中有兩寶共作一樹者:銀樹,銀根、金莖,銀枝、金葉,銀華、金實;金樹者,金根、銀莖,金枝、銀葉,金華、銀實;水精樹者,水精根、琉璃莖,水精枝、琉璃葉,水精華、琉璃實;琉璃樹者,琉璃根、水精莖,琉璃枝、水精葉,琉璃華、水精實;是二寶共作一樹。中復有四寶共作一樹者:水精樹,水精根、琉璃莖,金枝、銀葉,水精華、琉璃實;琉璃樹者,琉璃根、水精莖,金枝、銀葉,水精華、琉璃實;是四寶樹轉共相成,各自異行。中復有五寶共作一樹者:銀根、金莖,水精枝、琉璃葉,銀華、金實;金樹者,金根、銀莖,水精枝、琉璃葉,珊瑚華、銀實;水精樹者,水精根、琉璃莖,珊瑚枝、銀葉,金華、琉璃實;琉璃樹者,琉璃根、珊瑚莖,水精枝、金葉,銀華、珊瑚實;珊瑚樹者,珊瑚根、琉璃莖,水精枝、金葉,銀華、琉璃實;是五寶共作一樹,各自異行。中有六寶共作一樹者:銀樹,銀根、金莖,水精枝、琉璃葉,珊瑚華、虎珀實。金樹者,金根、銀莖,水精枝、琉璃葉,虎珀華、珊瑚實;水精樹者,水精根、琉璃莖,珊瑚枝、虎珀葉,銀華、金實;琉璃樹者,琉璃根、珊瑚莖,虎珀枝、水精葉,金華、銀實;是六寶樹轉共相成,各自異行。中復有七寶共作一樹者:銀樹,銀根、金莖,水精枝、琉璃葉,珊瑚華、虎珀實。金樹者,金根、水精莖,琉璃枝、珊瑚葉,虎珀華、銀實;水精樹者,水精根、琉璃莖,珊瑚枝、虎珀葉,車𤦲華、白玉實;珊瑚樹者,珊瑚根、虎珀莖,白玉枝、琉璃葉,車𤦲華、明月珠實;虎珀樹者,虎珀根、白玉莖,珊瑚枝、琉璃葉,水精華、金實;白玉樹者,白玉根、車𤦲莖,珊瑚枝、虎珀葉,金華、摩尼珠實。是七寶樹轉共相成,種種各自異,行行相值,莖莖自相准,枝枝自相值,葉葉自相向,華華自相望,實實自相當。」

仏陀は言われた。「阿弥陀仏の国にいる菩薩や阿羅漢たちの顔立ちは、みな端正で美しく、この上なく優れており、まさに涅槃の道に次ぐものである。阿弥陀仏や菩薩、阿羅漢たちが住む講堂や精舎、またその住まいの内外や浴池の周りには、すべて七宝の樹がある。その中には、純金の樹、純銀の樹、純水晶の樹、純琉璃の樹、純白王の樹、純珊瑚の樹、純琥珀の樹、純車𤦲の樹があり、それぞれが種類ごとに異なった並び方をしている。

また、中には二種の宝を合わせて一本の樹としたものもある。銀の樹は、銀の根に金の幹、銀の枝に金の葉、銀の花に金の実をつける。金の樹は、金の根に銀の幹、金の枝に銀の葉、金の花に銀の実をつける。水晶の樹は、水晶の根に琉璃の幹、水晶の枝に琉璃の葉、水晶の花に琉璃の実をつける。琉璃の樹は、琉璃の根に水晶の幹、琉璃の枝に水晶の葉、琉璃の花に水晶の実をつける。これらは二種の宝を合わせて一本の樹としたものである。

また、中には四種の宝を合わせて一本の樹としたものもある。水晶の樹は、水晶の根に琉璃の幹、金の枝に銀の葉、水晶の花に琉璃の実をつける。琉璃の樹は、琉璃の根に水晶の幹、金の枝に銀の葉、水晶の花に琉璃の実をつける。これらの四宝の樹は、互いに組み合わさって成り立ち、それぞれが種類ごとに異なった並び方をしている。

また、中には五種の宝を合わせて一本の樹としたものもある。銀の根に金の幹、水晶の枝に琉璃の葉、銀の花に金の実をつける樹。金の樹は、金の根に銀の幹、水晶の枝に琉璃の葉、珊瑚の花に銀の実をつける。水晶の樹は、水晶の根に琉璃の幹、珊瑚の枝に銀の葉、金の花に琉璃の実をつける。琉璃の樹は、琉璃の根に珊瑚の幹、水晶の枝に金の葉、銀の花に珊瑚の実をつける。珊瑚の樹は、珊瑚の根に琉璃の幹、水晶の枝に金の葉、銀の花に琉璃の実をつける。これらは五種の宝を合わせて一本の樹としたもので、それぞれが種類ごとに異なった並び方をしている。

また、中には六種の宝を合わせて一本の樹としたものもある。銀の樹は、銀の根に金の幹、水晶の枝に琉璃の葉、珊瑚の花に琥珀の実をつける。金の樹は、金の根に銀の幹、水晶の枝に琉璃の葉、琥珀の花に珊瑚の実をつける。水晶の樹は、水晶の根に琉璃の幹、珊瑚の枝に琥珀の葉、銀の花に金の実をつける。琉璃の樹は、琉璃の根に珊瑚の幹、琥珀の枝に水晶の葉、金の花に銀の実をつける。これらの六宝の樹は、互いに組み合わさって成り立ち、それぞれが種類ごとに異なった並び方をしている。

また、中には七種の宝を合わせて一本の樹としたものもある。銀の樹は、銀の根に金の幹、水晶の枝に琉璃の葉、珊瑚の花に琥珀の実をつける。金の樹は、金の根に水晶の幹、琉璃の枝に珊瑚の葉、琥珀の花に銀の実をつける。水晶の樹は、水晶の根に琉璃の幹、珊瑚の枝に琥珀の葉、車𤦲の花に白玉の実をつける。珊瑚の樹は、珊瑚の根に琥珀の幹、白玉の枝に琉璃の葉、車𤦲の花に明月珠の実をつける。琥珀の樹は、琥珀の根に白玉の幹、珊瑚の枝に琉璃の葉、水晶の花に金の実をつける。白玉の樹は、白玉の根に車𤦲の幹、珊瑚の枝に琥珀の葉、金の花に摩尼珠の実をつける。これらの七宝の樹は、互いに組み合わさって成り立ち、種類ごとにそれぞれ異なっている。そして、列は列と向き合い、幹は幹と釣り合い、枝は枝と対応し、葉は葉と向かい合い、花は花と見つめ合い、実は実と相応しているのである。」

佛言:「阿彌陀佛,當講堂精舍中,內外七寶浴池繞邊上諸七寶樹,及諸菩薩、阿羅漢,七寶舍宅中,內外七寶浴池繞池邊諸七寶樹,數千百重行,皆各如是。各自作五音聲,音聲甚好無比也。」

仏は言われた。「阿弥陀仏の講堂や精舎の中には、内外に七宝の浴池があり、その池の周りには七宝の樹々が巡らされている。また、諸々の菩薩や阿羅漢たちの七宝の住まいの中にも、内外に七宝の浴池があり、池の周りには七宝の樹々が幾重にも列をなして並んでいる。その数は千や百を数えるほどである。これらの樹々は、それぞれが美しい五音の響きを奏で、その音色はこの上なく素晴らしいものである。」

佛告阿難:「如世間帝王有百種伎樂音聲,不如遮迦越王諸伎樂音聲好,百千億萬倍。如遮迦越王萬種伎樂音聲,尚復不如第二忉利天上諸伎樂一音聲,百千億萬倍。如忉利天上萬種伎樂之聲,尚復不如第六天上一音聲好,百千億萬倍。如第六天上萬種音樂之聲,尚復不如阿彌陀佛國中七寶樹一音聲好,百千億萬倍。阿彌陀佛國中,亦有萬種自然伎樂,甚樂無極。阿彌陀佛及諸菩薩、阿羅漢欲浴時,便各自可入其七寶池中浴。諸菩薩、阿羅漢意欲令水沒足,水即沒足;意欲令水至膝,水即至膝;意欲令水至腰,水即至腰;意欲令水至腋,水即至腋;意欲令水至頸,水即至頸;意欲令水自灌身上,水即自灌身上;意欲令水還復如故,水即還復如故;恣若隨意所欲好喜。」

佛は阿難に告げられた。「世間の帝王が百種類の伎楽の音声を持つといっても、遮迦越王のすべての伎楽の音声には、百千億万倍も及ばない。遮迦越王が万種類の伎楽の音声を持つといっても、第二の忉利天にある諸々の伎楽の一つの音声にも、百千億万倍も及ばない。忉利天が万種類の伎楽の声を持つといっても、第六天の一つの音声の美しさには、百千億万倍も及ばない。第六天が万種類の音楽の声を持つといっても、阿弥陀仏の国にある七宝の樹の一つの音声の美しさには、百千億万倍も及ばない。阿弥陀仏の国には、また万種類の自然の伎楽があり、楽しみは限りなく素晴らしい。阿弥陀仏や諸々の菩薩、阿羅漢が沐浴しようと思うときは、それぞれ自ら七宝の池に入って沐浴することができる。諸々の菩薩や阿羅漢が、水に足を浸したいと思えば、水はすぐに足を浸す。水に膝まで浸したいと思えば、水はすぐに膝まで達する。水に腰まで浸したいと思えば、水はすぐに腰まで達する。水に脇の下まで浸したいと思えば、水はすぐに脇の下まで達する。水に首まで浸したいと思えば、水はすぐに首まで達する。水に全身を注ぎたいと思えば、水はすぐに全身に注がれる。水を元のように戻したいと思えば、水はすぐに元のように戻る。それぞれが望むままに、思いのままに楽しむことができるのだ。」

佛言:「阿彌陀及諸菩薩、阿羅漢皆浴已,悉自於一大蓮華上坐,即四方自然亂風起。其亂風者,亦非世間之風,亦非天上之風。都八方、上下眾風中精,自然合會化生耳。不寒、不熱,常和調中適,甚清涼好無比也,徐起不遲、不駃,適得中宜。吹七寶樹,皆作五音聲。以七寶樹華,悉覆其國中,皆散佛及諸菩薩、阿羅漢上。華隨墮地,皆厚四寸,極自軟好無比。即自然亂風吹萎華,悉自然去。即復四方自然亂風吹七寶樹,樹皆復作五音聲,樹華皆自然散佛及諸菩薩、阿羅漢上。華小萎墮地,即自然去。即復四方亂風起吹七寶樹;如是四反。諸菩薩、阿羅漢中有但欲聞經者,中有但欲聞音樂者,中有但欲聞華香者,有不欲聞經者,有不欲聞音樂聲者,有不欲聞華香者;其所欲聞者,輒即獨聞之;不欲聞者,則獨不聞;隨意所欲喜樂,不違其願也。浴訖各自去行道,中有在地講經者、誦經者、說經者、口受經者、聽經者、念經者、思道者、坐禪者、經行者,中有在虛空中講經者、誦經者、說經者、口受經者、聽經者、念經者、思道者、坐禪一心者、經行者。未得須陀洹道者,即得須陀洹道;未得斯陀含道者,即得斯陀含道;未得阿那含道者,即得阿那含道;未得阿羅漢道者,即得阿羅漢道;未得阿惟越致菩薩者,即得阿惟越致;各自說經行道,悉皆得道,莫不歡喜踊躍者也。

仏陀は言われた。「阿弥陀仏や多くの菩薩、阿羅漢たちはみな沐浴を終えると、それぞれ一つの大きな蓮華の上に座られる。すると四方から自然に乱風が起こる。その乱風は、世間の風でもなく、天上の風でもない。八方上下のあらゆる風の精髄が、自然に集まり合って生じたものである。寒くもなく、暑くもなく、常に程よく調和し、非常に清らかで涼しく、その素晴らしさは何物にも例え難い。風はゆっくりと起こり、速すぎず遅すぎず、ちょうど良い加減である。その風が七宝の樹々を吹くと、すべてが五音の美しい音を奏でる。七宝の樹の花は、その国全体を覆い、仏や多くの菩薩、阿羅漢たちの上に降り注ぐ。花が地に落ちると、すべて四寸の厚さに積もり、非常に柔らかく、何にもまして麗しい。すると自然の乱風が萎れた花を吹き、すべて自然に消え去らせる。再び四方から自然の乱風が七宝の樹々を吹き、樹々は再び五音の音を奏で、樹の花は自然に仏や多くの菩薩、阿羅漢たちの上に降り注ぐ。花が少し萎れて地に落ちると、自然に消え去る。このようにして四方の乱風が七宝の樹々を吹くことが、四度繰り返される。

菩薩や阿羅漢たちの中には、経を聞きたいと願う者もいれば、音楽を聞きたいと願う者もおり、花の香りを嗅ぎたいと願う者もいる。また、経を聞きたくない者、音楽の音を聞きたくない者、花の香りを嗅ぎたくない者もいる。しかし、聞きたいと願う者は、その求めるものだけを自然に聞くことができ、聞きたくない者は、それを聞くことがない。すべては心のままに、喜び楽しみ、その願いに背くことはない。

沐浴を終えると、それぞれが去って修行に励む。地にいて経を説く者、経を誦する者、経を解説する者、口伝で経を受ける者、経を聞く者、経を念じる者、道を思惟する者、坐禅をする者、経行(歩く瞑想)をする者がいる。また、虚空の中で経を説く者、経を誦する者、経を解説する者、口伝で経を受ける者、経を聞く者、経を念じる者、道を思惟する者、一心に坐禅する者、経行する者もいる。

まだ須陀洹(預流)の道を得ていない者は、その場で須陀洹の道を得る。まだ斯陀含(一来)の道を得ていない者は、その場で斯陀含の道を得る。まだ阿那含(不還)の道を得ていない者は、その場で阿那含の道を得る。まだ阿羅漢の道を得ていない者は、その場で阿羅漢の道を得る。まだ阿惟越致(退転しない位)の菩薩を得ていない者は、その場で阿惟越致を得る。それぞれが経を説き、修行の道を行じ、みな等しく道を得て、歓喜踊跃しない者はないのである。」

「諸菩薩中,有意欲供養八方、上下無央數諸佛,即皆俱前為佛作禮,白佛辭行,供養八方、上下無央數佛,佛即然可之,即使行。諸菩薩皆大歡喜,數千億萬人無央數不可復計,皆當智慧勇猛,各自幡輩飛相追,俱共散飛,則到八方、上下無央數諸佛所。皆前為諸佛作禮,即便供養。意欲得萬種自然之物在前,即自然百種雜色華、百種雜繒綵、百種劫波育衣、七寶燈火、萬種伎樂,悉皆在前。其華香萬種,自然之物,亦非世間之物,亦非天上之物也。是萬種物,都八方、上下眾自然合會化生耳。意欲得者,即自然化生,意不用者,即化去。諸菩薩便共持,供養諸佛及諸菩薩、阿羅漢,邊傍前後迴遶周匝,在意所欲即輒皆至。當是之時,快樂不可言也!諸菩薩意,各欲得四十里華,即自然在前,便於虛空中,共持散諸佛及菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,華甚香好,小萎墮地,即自然亂風吹,萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得八十里華,即自然在前,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;華皆復在虛空中下向,小萎墮地,即自然亂風吹,萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得百六十里華,即自然在前,便於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;華皆復於虛空中下向,小萎墮地,即自然亂風吹,萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得三百二十里華,即自然在前,復於虛空中,持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;華於虛空中下向,小萎墮地,即自然亂風吹,萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得六百四十里華,即自然在前,復以散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風自然吹萎華去。諸菩薩意,各復欲得千二百八十里華,即自然在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風自然吹,萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得二千五百六十里華,即自然在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得五千一百二十里華,即自然在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得萬二百四十里華,即皆自然在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得二萬四百八十里華,即皆在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得五萬里華,即皆在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得十萬里華,即皆在前,諸菩薩復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得二十萬里華,即皆在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得四十萬里華,即皆在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各復欲得八十萬里華,即皆在前,復於虛空中,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;皆在虛空中下向,小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各欲得百六十萬里華,即皆在前,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;小萎墮地,亂風吹萎華悉自然去。諸菩薩意,各欲得三百萬里華,即皆在前,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;小萎墮地,亂風吹萎華自然去。諸菩薩意,各欲得六百萬里華,即皆在前,共持散諸佛及諸菩薩、阿羅漢上;華都自然合為一華,華正端圓周匝各適等,華轉倍前,華極自軟好,勝於前華數千百倍,色色異,香香不可言。諸菩薩皆大歡喜,俱於虛空中,大共作眾音自然伎樂,樂諸佛及諸菩薩、阿羅漢。當此之時,快樂不可言。

諸々の菩薩の中に、八方・上下の無数の仏に供養したいという志を持つ者たちがいた。彼らは皆、共に仏の前に進み出て礼拝し、仏に告げて別れを請い、八方・上下の無数の仏のもとへ供養に出向くことを申し出た。仏はこれを許し、行かせたのである。諸々の菩薩は皆、大いに喜んだ。数千万億の、数え切れないほどの多くの者たちが、皆、智慧と勇気を備え、それぞれが旗や幟の群れのように互いに追い合って、共に飛び散り、たちまち八方・上下の無数の仏のいる所に到着した。皆、前に進み出て諸仏に礼拝し、すぐに供養を行った。

彼らの心が、万種の自然に生じる物を望めば、すぐにその前に、百種の雑色の花、百種の雑色の絹織物、百種の劫波育の衣、七宝の灯火、万種の伎楽が、全て現れたのである。その花や香りは万種あり、自然に生じる物であって、世間の物でもなく、天上の物でもなかった。この万種の品々は、全て八方・上下の諸々の自然が集まり合って、化現したものであった。心に望めば即座に自然に化現し、心が用いなければ即座に消え去った。諸々の菩薩は共にこれらを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢に供養し、その傍らや前後を巡り繞り、意のままに望むところには、常に全てが至った。この時、その喜びは言葉に尽くしがたいものであった!

諸々の菩薩の心は、それぞれ四十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、とても香り良かった。しばらくすると萎えて地に落ちると、自然の風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ八十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、再び虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、自然の風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ百六十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、再び虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、自然の風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ三百二十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、再び虚空の中でそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、自然の風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ六百四十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、再びそれを諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が自然に吹き乱れて萎れた花を去らせた。

諸々の菩薩の心は、それぞれ千二百八十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が自然に吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ二千五百六十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ五千百二十里の花を望み、それがただちに自然と前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ一万二百四十里の花を望み、それが皆、ただちに自然と前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ二万四百八十里の花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ五万里の花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ十万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、諸菩薩は再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ二十万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ四十万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ八十万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、再び虚空の中で共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。花は皆、虚空の中から降り注ぎ、しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ百六十万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は全て自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ三百万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。しばらくすると萎えて地に落ちると、風が吹き乱れ、萎れた花は自然と去っていった。

諸々の菩薩の心は、それぞれ六百万里的花を望み、それが皆、ただちに前に現れ、共にそれを手に取り、諸仏および諸菩薩・阿羅漢の上に散華した。すると花は全て自然に一つに合わさって一つの花となり、その花は端正で円く、周囲はそれぞれ等しく、花は以前より倍に大きくなり、極めて柔らかく美しく、以前の花に優ること数千万倍であり、色はそれぞれ異なり、香りもまた言葉に尽くしがたいものであった。

諸々の菩薩は皆、大いに喜び、共に虚空の中で、大いに様々な音の自然の伎楽を奏で、諸仏および諸菩薩・阿羅漢を楽しませた。この時、その喜びは言葉に尽くしがたいものであった。

「諸菩薩皆悉却坐聽經,聽經竟即悉諷誦通,重知經道,益明智慧。即諸佛國中,從第一四天上,至三十三天上,諸天人皆共持天上萬種自然之物來下,供養諸菩薩、阿羅漢。天人皆復於虛空中,大共作眾音伎樂。諸天人前來者,轉去避後來者;後來者轉復供養如前,更相開避。諸天人歡喜聽經,大共作音樂,當是時快樂無極。諸菩薩供養聽經訖竟,便皆起為佛作禮而去,即復飛到八方、上下無央數諸佛所,供養聽經,皆各如前。悉遍已後,日未中時,各飛還其國,為阿彌陀佛作禮,皆却坐聽經竟大歡喜。」

諸々の菩薩はみなその場に座って経を聴かれました。経を聴き終わると、みなすらすらと暗誦し、経の教えを深く理解して、智慧はますます明らかになりました。すると、諸仏の国々において、第一の四天から三十三天に至るまで、天の人々はみな天上の万種の自然の品々を携えて降りてきて、諸々の菩薩や阿羅漢に供養しました。天の人々はまた虚空の中で、ともにさまざまな音楽や伎楽を奏でました。前に来た天の人々は、後に来る人々のために場所を譲り、後に来る人々はまた先と同じように供養し、互いに道を開け合いました。天の人々は喜んで経を聴き、ともに音楽を奏で、その時の楽しさはこの上なく限りがありませんでした。諸々の菩薩は供養し経を聴き終えると、みな立ち上がって仏に礼拝し、去っていきました。そしてすぐにまた八方、上下の無数の諸仏の所に飛んで行き、供養し経を聴きましたが、みな先と同じようでした。すべてを巡り終えた後、日がまだ中天に達しないうちに、それぞれ自分の国に飛んで帰り、阿弥陀仏に礼拝し、みな座って経を聴き終えると、大いに喜びました。

佛言:「阿彌陀佛及諸菩薩、阿羅漢欲食時,即自然七寶机,劫波育罽疊以為座。佛及菩薩皆坐前悉有自然七寶,鉢中有百味飲食。飲食者亦不類世間,亦非天上;此百味飲食,八方、上下眾自然飲食中精味,甚香美無比,自然化生耳,欲得甜酢在所欲得。諸菩薩、阿羅漢中,有欲得金鉢者,有欲得銀鉢者,有欲得水精鉢者,有欲得珊瑚鉢者,有欲得虎珀鉢者,有欲得白玉鉢者,有欲得車𤦲鉢者,有欲得馬瑙鉢者,有欲得明月珠鉢者,有欲得摩尼珠鉢者,有欲得紫磨金鉢者,隨意即至;亦無所從來,亦無供養者,自然化生耳。諸菩薩、阿羅漢皆食,食亦不多亦不少,悉平等;亦不言美惡,亦不以美故喜。食訖諸飯具鉢机座,皆自然化去,欲食時乃復化生爾。諸菩薩、阿羅漢皆心淨潔,所飲食但用作氣力爾,皆自然消散摩盡化去。」

仏が言われた。「阿弥陀仏および諸々の菩薩・阿羅漢が食事をしようと思う時には、自然に七宝でできた机が現れ、劫波育(綿)や毛織物の敷物が座となる。仏や菩薩たちが座ると、その前にはすべて自然の七宝があり、鉢の中には百種類の味わいの飲食がある。この飲食は世間のものとも、天のものとも違う。この百味の飲食は、八方・上下のあらゆる自然の飲食の中でも特にすぐれた精髄であり、その香りは非常に豊かで美しく、この上なく素晴らしい。自然に化生するものであり、甘いとか酸っぱいとか、望みのままに得られるのである。諸々の菩薩・阿羅漢の中には、金の鉢を得たいと思う者もあり、銀の鉢を得たいと思う者もあり、水晶の鉢を得たいと思う者もあり、珊瑚の鉢を得たいと思う者もあり、琥珀の鉢を得たいと思う者もあり、白玉の鉢を得たいと思う者もあり、車渠(シャコガイ)の鉢を得たいと思う者もあり、瑪瑙の鉢を得たいと思う者もあり、明月珠の鉢を得たいと思う者もあり、摩尼珠の鉢を得たいと思う者もあり、紫磨金(上質な金)の鉢を得たいと思う者もあり、その思いのままに、すぐに現れる。どこかから来たわけでもなく、誰かが供養したのでもなく、自然に化生するのである。諸々の菩薩・阿羅漢は皆、食事をするが、その量は多くもなく少なくもなく、みな等しい。また、美味いまずいと言うこともなく、美味しいからといって喜ぶこともない。食事が終われば、食器や鉢、机、座はすべて自然に消え去り、食事をしたいと思う時には再び現れるのである。諸々の菩薩・阿羅漢は皆、心が清らかで、飲食はただ気力のためだけにするものであり、すべて自然に消え去り、なくなり、化して去るのである。」

佛告阿難:「阿彌陀佛為諸菩薩、阿羅漢說經時,都悉大會講堂上。諸菩薩、阿羅漢,及諸天人民無央數,都不可復計,皆飛到阿彌陀佛所,為佛作禮,却坐聽經。其佛廣說道智大經,皆悉聞知,莫不歡喜踊躍心開解者。即四方自然亂風起,吹七寶樹,皆作五音聲。七寶樹華,覆蓋其國,皆在虛空中下向,其華之香遍一國中,皆散阿彌陀佛,及諸菩薩、阿羅漢上。華墮地皆厚四寸,小萎即亂風吹,萎華自然去。四方亂風,吹七寶樹華,如是四反。即第一四天王,第二忉利天上,至三十二天上,諸天人皆持天上萬種自然之物,百種雜色華、百種雜香、百種雜繒綵、百種劫波育疊衣、萬種伎樂轉倍好相勝,各持來下,為阿彌陀佛作禮,供養佛及諸菩薩、阿羅漢。諸天人皆復大作伎樂,樂阿彌陀佛及諸菩薩、阿羅漢。當是時,快樂不可言。諸天更相開避,後來者轉復供養如前。即東方無央數佛國,其數不可復計;如恒水邊流沙,一沙一佛其數如是。諸佛各遣諸菩薩無央數,不可復計,皆飛到阿彌陀佛所,作禮聽經,皆大歡喜,悉起為作禮如去。西方、北方、南方、四角諸佛,其數各如恒水邊流沙,各遣諸菩薩無央數,飛到阿彌陀佛所,作禮聽經亦復如是。即下方、上方諸佛,其數各如恒水邊流沙,皆遣諸菩薩,都不可復計,飛到阿彌陀佛所,作禮聽經。更相開避,如是終無休絕時也。」

仏は阿難に告げられた。「阿弥陀仏が諸々の菩薩や阿羅漢たちに経を説かれるとき、その盛会はすべて講堂で行われる。諸々の菩薩、阿羅漢、そして数えきれないほどの天の人々や人間たちが、みな阿弥陀仏のところに飛んで来て、仏に礼拝し、座って経を聞く。その仏は広く深い智慧の大経を説かれ、皆がそれを聞いて知り、喜び勇んで心が開けて解らない者はない。すると四方から自然に風が起こり、七宝の樹々を吹いて、みな五音の美しい音を奏でる。七宝の樹の花は国中を覆い、虚空にありながら下に向かって降り、その花の香りは国中に満ちる。それらの花は阿弥陀仏や諸々の菩薩、阿羅漢の上に散りそそぐ。花が地に落ちると厚さ四寸に積もり、少し萎えると風が吹いて、萎えた花は自然に去っていく。四方の風が七宝の樹の花を吹き散らすことが、こうして四度繰り返される。

するとまず四天王天、次に忉利天から三十二天に至るまで、天の人々がみな天上の万種の自然の品々、百種の雑色の花、百種の雑香、百種の雑色の絹布、百種の劫波育の衣、万種の音楽を取り持って、さらに素晴らしいものを持って下りて来て、阿弥陀仏に礼拝し、仏と諸々の菩薩、阿羅漢に供養する。天の人々はまた大いに音楽を奏でて、阿弥陀仏と諸々の菩薩、阿羅漢を喜ばせる。そのときの楽しさは言葉に尽くせない。天の人々は互いに道を譲り、後から来る者たちもまた前と同じように供養する。

すると東方の無数の仏国土から、その数は数えきれない。ちょうどガンジス川の畔の流砂のように、一粒の砂に一仏というほど無数の諸仏が、それぞれ無数の菩薩たちを遣わし、みな阿弥陀仏のところに飛んで来て、礼拝し経を聞き、皆大いに喜び、立ち上がって礼拝して去っていく。西方、北方、南方、四方の角々の諸仏も、その数はそれぞれガンジス川の畔の流砂のように多く、それぞれ無数の菩薩たちを遣わして、阿弥陀仏のところに飛んで来て、礼拝し経を聞くこともまったく同じである。また下方、上方の諸仏も、その数はそれぞれガンジス川の畔の流砂のようで、みな菩薩たちを遣わし、その数は数えきれないほどで、阿弥陀仏のところに飛んで来て、礼拝し経を聞く。こうして互いに道を譲り合うことが、いつ果てるともなく続くのである。」

佛言:「所以諸佛以恒水邊流沙為數者,八方、上下無央數佛,甚大眾多,都各不可復計,故以恒水邊流沙為數耳。」

仏は言われた。「諸仏がなぜガンジス川のほとりの砂の数をもって数えるのかといえば、八方・上下の限りない数の仏は、非常に多く、そのすべてを数え尽くすことはできないからである。だから、ガンジス川のほとりの流砂をもって数えの例とするのである。」

佛語阿難:「阿彌陀佛為諸菩薩、阿羅漢說經竟,諸天人民中有未得道者,即得道。未得須陀洹者,即得須陀洹;未得斯陀含者,即得斯陀含;未得阿那含者,即得阿那含;未得阿羅漢者,即得阿羅漢;未得阿惟越致菩薩者,即得阿惟越致菩薩。阿彌陀佛輒隨其宿命時求道心所憙願,大小隨意,為說經授與之,即令疾開解得。皆悉明慧,各自好喜,所願經道,莫不喜樂。誦習之者,自諷誦通利,無厭無極。諸菩薩、阿羅漢中,有誦經者,其音如三百鐘聲。中有說經者,如疾風暴雨時,如是盡一劫竟,終無懈倦時。皆悉智慧勇猛,身體輕便,終無痛痒。極時行步坐起,悉皆才健勇猛,如師子中王,在深山中,有所趣向,時無有敢當者。無有疑難之意,在心所作,為不可豫計,百千億萬倍。是猛師子中王,百千億萬倍,尚復不如我第二弟子摩訶目揵連勇猛,百千億萬倍。如摩訶目揵連,於諸國菩薩、阿羅漢中,最為無比。飛行進止,智慧勇猛,洞視徹聽,知八方、上下、去來現在之事,百千億萬倍。共合為一智慧,當令在阿彌陀佛國中諸羅漢邊,其德尚復不及,百千億萬倍。」

仏、阿難に告げたまわく:「阿弥陀仏は諸の菩薩・阿羅漢のために経を説き終えられた。その時、諸天の人々の中には、未だ道を得ざる者は、即座に道を得た。未だ須陀洹を得ざる者は、即座に須陀洹を得た。未だ斯陀含を得ざる者は、即座に斯陀含を得た。未だ阿那含を得ざる者は、即座に阿那含を得た。未だ阿羅漢を得ざる者は、即座に阿羅漢を得た。未だ阿惟越致の菩薩を得ざる者は、即座に阿惟越致の菩薩を得た。

阿弥陀仏は、常にその衆生が過去世において求道した時の心の願いや好みに従って、その大小に応じて、経を説き教えを与え、速やかに理解し開悟するように導かれた。彼らは全て智慧明瞭となり、それぞれ自らの好む願い、求める経の教えに、喜び楽しむこと無きはなかった。

学び誦する者たちは、自ら諷誦し通暁し、飽くことなく限りがなかった。諸の菩薩・阿羅漢の中には、経を誦する者は、その音が三百の鐘の声の如く響いた。また、経を説く者は、疾風暴雨の如くであり、一劫を尽くしても、ついに懈怠することはなかった。

彼らは皆、智慧勇猛であり、身体は軽やかで、何の苦痛もなかった。歩行・坐起の際にも、全て力強く勇猛で、深山中の師子王の如く、進むところには、敢えて立ち向かう者はいなかった。疑いや困難を思う心はなく、心のままに為すことは計り知れず、百千億万倍に及んだ。

この猛き師子王の百千億万倍よりも、我が第二の弟子・摩訶目揵連の勇猛は、なお百千億万倍に勝る。摩訶目揵連は、諸国の菩薩・阿羅漢の中にあって、最も比類なき存在である。飛行し止まり、智慧勇猛で、洞視徹聴し、八方上下、去来現在の事を知ることは、百千億万倍である。

これらの智慧を合わせ一つの智慧と為しても、阿弥陀仏の国における諸阿羅漢の徳には、なお百千億万倍も及ばないのである。」

阿逸菩薩,即起前長跪叉手,問佛言:「阿彌陀佛國中,諸阿羅漢,寧頗有般泥洹去者無?願欲聞之。」
佛言:「若欲知者,如是四天下星,若見之不?」

仏は仰せられた。「もし知りたいと思うならば、この四つの天下にある星々を、あなたは見ることができるだろうか?」

阿逸菩薩言:「唯然見之。」

阿逸菩薩が申し上げました。「はい、そのとおりに拝見いたしました。」

佛言:「如我第二弟子,摩訶目揵連,飛上天上一晝一夜,遍數知星有幾枚。此四天下星甚眾多,不可得計尚復百千億萬倍是星也。如天下大海水減去一渧,寧能令海水為減,知少不耶?」

仏は言われた。「私の第二の弟子、大目犍連(だいもくけんれん)が、天に昇って一昼夜のうちに、星の数をすべて数え尽くすことができる。この四つの天下にある星は数えきれないほど多いが、それでもなお百千億万倍もの星があるのだ。また、この世界の大海の水から一滴を取り除いたとして、それで海の水が減ったと知ることができるだろうか、いや、そうではない。」

對曰:「減去百千億萬斗石,尚不能令減知少也。」

答えました。「百千億萬の斗や石を減らしても、その減る量を正確に知ることはできません。」

佛言:「阿彌陀佛國,諸阿羅漢中,雖有般泥洹去者,如大海減一渧水爾,不能令在諸阿羅漢為減知少也。」

仏陀は言われた。「阿弥陀仏の国において、諸々の阿羅漢の中には、すでに涅槃に入って去った者もいるが、それは大海の一滴の水が減るようなものである。それによって、残っている阿羅漢たちが減ったと知ることはできないのである。」

佛言:「大海減去一溪水,寧令減少不?」

佛は言われた。「大海から、一つの小川の水を減らしたならば、それで海の水は減ったことになるだろうか?」

對曰:「減去百千億萬溪水,尚不能減知少也。」

答えて言われた。「百千億萬の川の水を取り除いても、真理を知ることはほんの少しも損なわれません。」

佛言:「減大海一恒水,寧能令減知少不?」

仏は言われた。「大海の水を一掬い減らしたならば、その減りを人は知ることができるだろうか?」

對曰:「減去百千億萬恒水,不能令減知少也。」

お答えします:「百千億萬の恒河の水を減らしても、少しも減ったとは感じられないでしょう。」

佛言:「阿彌陀佛國,諸阿羅漢,般泥洹去者無央數,其在者新得道者亦無央數,都不為增減也。」

仏陀は言われた。「阿弥陀仏の浄土には、阿羅漢として涅槃に入って去った者も数えきれないほど多く、また、現在とどまっている者や新たに悟りを得た者も数えきれないほどいる。しかし、そのどちらによっても、浄土の人数が増えたり減ったりすることはないのである。」

佛言:「令天下諸水,都流入大海水中,寧能令海水增多不?」
對曰:「不能令增多也。所以者何?是大海為天下諸水眾善中王,故能爾耳。」

答え:「増やすことはできません。どうしてかというと、この大海は天下のすべての水の諸々の善きものの中の王であるから、そのようにできるのです。」

佛言:「阿彌陀佛國亦如是,悉令八方、上下無央數佛國,諸無央數天人民、蜎飛蠕動之類都往生,甚大眾多不可復計。阿彌陀佛國,諸菩薩、阿羅漢、眾比丘僧,故如常一法不異為增多。所以者何?阿彌陀佛國為最快,八方、上下無央數諸佛國中眾善之王,諸佛國中之雄,諸佛國中之寶,諸佛國中壽之極長久也,諸佛國中之眾傑也,諸佛國中之廣大也,諸佛國中之都,自然之無為,最快明好甚樂之無極。所以者何?阿彌陀佛本為菩薩時,所願勇猛,精進不懈,累德所致,故能爾耳。」

仏陀は言われた。「阿弥陀仏の浄土もまた同じである。あらゆる方角・上下の数え切れないほどの仏国土において、数えきれないほどの天の人々、生きとし生けるものたちが皆、そこに生まれ変わる。その数は非常に多く、計り知ることができない。阿弥陀仏の浄土には、菩薩・阿羅漢・比丘たちの僧伽がいるが、それは常に一つの教えを保ち、変わることがない。それゆえに衆生は増え続けるのである。なぜかといえば、阿弥陀仏の浄土は最も優れた世界であり、あらゆる方角・上下の無数の仏国土の中で、すべての善の王であり、諸仏国土の中の雄であり、諸仏国土の中の宝であり、諸仏国土の中で最も寿命が長く、諸仏国土の中の最も優れた者たちが集う場所である。諸仏国土の中でも最も広大であり、諸仏国土の中心であり、自然にして無為、最も明るく素晴らしく、限りない喜びに満ちている。なぜかといえば、阿弥陀仏がもともと菩薩であったとき、その誓いが勇猛であり、精進して怠ることがなく、善徳を積み重ねた結果、このようなことが可能となったのである。」

阿逸菩薩即大歡喜,長跪叉手言:「佛說阿彌陀佛國土,快善明好最姝無比,乃獨爾乎?」

阿逸菩薩は大いに喜び、ひざまずいて合掌し言いました。「仏が説かれた阿弥陀仏の国は、なんと素晴らしく、清らかで、光り輝き、この上なく美しいのでしょう。それだけが特別なのでしょうか。」

佛言:「阿彌陀佛國,諸菩薩、阿羅漢所居七寶舍宅中,有在虛空中者,有在地者;中有欲令舍宅最高者,舍宅即高;中有欲令舍宅最大者,舍宅即大;中有欲令舍宅在虛空中者,舍宅即在虛空中;皆自然隨意在所作為。中有殊不能令舍宅隨意者。所以者何?中有能令舍宅隨意者,皆是前世宿命求道時,慈心精進,益作諸善,德重所致;中有殊不能者,皆是前世宿命求道時,不慈心精進,益作諸善,德薄所致。其所衣被、飯食,俱自然平等。德有大小,別知其勇猛,令眾見之耳。」

仏がおっしゃった。「阿弥陀仏の国において、諸々の菩薩や阿羅漢が住む七宝の舍宅には、虚空の中にあるものもあり、地上にあるものもある。その中で、舍宅を最も高くしたいと願う者は、舍宅は即座に高くなる。最も大きくしたいと願う者は、舍宅は即座に大きくなる。虚空の中に置きたいと願う者は、舍宅は即座に虚空の中にある。すべて自然に、心のままに思いのままとなる。しかし、中にはどうしても舍宅を意のままにできない者もいる。なぜか。舍宅を意のままにできる者は、みな前世の昔、道を求めた時に、慈しみの心をもって精進し、さらに多くの善を積み、徳が厚かったからである。どうしてもできない者は、みな前世の昔、道を求めた時に、慈しみの心なく精進せず、多くの善を積まず、徳が薄かったからである。彼らの衣服や食べ物は、すべて自然に平等である。しかし、徳には大小があり、その勇猛さによって違いが知られ、それを人々に見せているのである。」

佛言:「若見第六天王所居處不?」

仏は言われた:「第六天の王が住んでいる場所を見ることができるか?」

「唯然見之。」

ええ、まさにそれを見ました。

佛言:「阿彌陀佛國講堂舍宅,都復勝第六天王所居處,百千億萬倍。諸菩薩、阿羅漢,悉皆洞視徹聽,見知八方、上下、去來現在之事。復無數天上、天下人民,及蜎飛蠕動之類,心意所念善、惡,口所欲言,皆知;當何歲、何劫得度脫、得人道,往生阿彌陀佛國,知當作菩薩、阿羅漢,皆豫知之。諸菩薩、阿羅漢頂中,皆悉自有光明,所照有大、小。諸菩薩中,有最尊兩菩薩,常在佛左、右坐侍正論;佛常與是兩菩薩共對坐,議八方、上下、去來現在之事。若欲使是兩菩薩,到八方、上下無央數諸佛所,即便飛行;隨心所欲至到飛行,使疾如佛,勇猛無比。其一菩薩名蓋樓亘,其一菩薩名摩訶那鉢。光明智慧最第一,頂中光明各焰照他方千須彌山佛國中常大明。其諸菩薩頂中光明各照千億萬里,諸阿羅漢頂中光明,各照七丈。」

仏陀は仰せられた。「阿弥陀仏の浄土にある講堂や住まいは、すべて第六天の王が住む場所よりも、百千万億倍も勝れている。そこにいる諸々の菩薩や阿羅漢は、すべて透き通るように見通し、微かな音までも聞き分け、八方、上下、過去・未来・現在のすべての出来事を見て知ることができる。また、無数の天上や人間界の民、さらには飛び跳ねる虫や這う虫のような生き物に至るまで、その心に思う善悪、口にしようとすることまでも、すべて知り尽くしている。そして、いつ、どの劫に悟りを得て、人間として生まれ変わり、阿弥陀仏の国に往生するのか、また、菩薩や阿羅漢になることを、あらかじめすべて知っているのである。諸々の菩薩や阿羅漢の頭の上には、それぞれ自然と光が輝いており、その照らす範囲には大小がある。多くの菩薩の中で、最も尊い二人の菩薩がおり、常に仏の左右に座って正しい教えを奉じている。仏は常にこの二人の菩薩と向かい合って座し、八方、上下、過去・未来・現在の出来事を話し合われる。もしこの二人の菩薩を、八方、上下の無数の仏の国へ遣わそうと思えば、たちまち飛んでいく。心のままに飛びゆく速さは仏と同じで、勇敢で比べるものがない。一人の菩薩の名は蓋楼亘、もう一人の菩薩の名は摩訶那鉢という。その光明と智慧は最も優れ、頭の上からの光は、それぞれ他方の千の須弥山ほどの仏の国を照らし、常に大いに明らかである。その他の菩薩たちの頭上の光は、それぞれ千億万里を照らし、阿羅漢たちの頭上の光は、それぞれ七丈を照らすのである。」

佛言:「世間人民,若善男子、善女人,若有急恐怖縣官事者,但自歸命是蓋樓亘菩薩、摩訶那鉢菩薩所,無不得解脫者。」

仏が仰せになった。「世の中の人々よ。もし善い男子、善い女人が、急な恐れや官憲の災難に遭うことがあれば、ただひたすらにこの蓋樓亘菩薩と摩訶那鉢菩薩に帰依しなさい。そうすれば、解けぬ者はいないであろう。」

佛告阿逸菩薩:「阿彌陀佛頂中光明,極大光明。其日、月、星辰,皆在虛空中住止,不可復迴轉運行,亦無有精光,其明皆蔽不復見。佛光明照國中,及焰照他方佛國常大明,終無有冥時。其國無有一日、二日,亦無五日、十日,亦無十五日、一月,亦無五月、十月、五歲、十歲,亦無百歲、千歲,亦無萬歲、億萬歲,無百千億萬歲;無有一劫、十劫、百劫、千劫,無萬劫、百萬劫,無千萬劫、百億萬劫。阿彌陀佛光明,明無有極,却後無數劫無數劫,重復無數劫無數劫,無央數,終無有當冥時。國土及諸天,終無壞敗時。所以者何?阿彌陀佛壽命極長,國土甚好,故能爾耳!其佛尊壽,却後無數劫,重復無數劫,尚未央般泥洹也。於世間教授,意欲過度八方、上下諸無央數佛國,諸天人民及蜎飛蠕動之類,皆欲使往生其國,悉令得泥洹之道。其作菩薩者,皆欲令悉作佛。作佛已,轉復教授八方、上下諸天人民及蜎飛蠕動之類,皆復欲令作佛。作佛已,復教授諸無央數天人民、蜎飛蠕動之類,皆令得泥洹道去。諸可教授弟子者,展轉復相教授,轉相度脫,至令得須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢、辟支佛道,轉相度脫,皆得泥洹之道悉如是。尚未欲般泥洹,阿彌陀佛所度脫,展轉如是。復住止無數劫無數劫,不可復計劫,終無般泥洹時。八方、上下諸無央數天人民、蜎飛蠕動之類,其生阿彌陀佛國,當作佛者,不可復勝數。諸作阿羅漢,得泥洹道者,亦無央數,都不可復計。阿彌陀佛恩德,諸所布施,八方、上下無窮無極,甚深無量,快善不可言。其智慧教授所出經道,布告八方、上下諸無央數天上、天下,甚不原也。其經卷數甚眾多,不可復計,都無有極。」

仏は阿逸菩薩に告げられた。「阿彌陀仏の頂上の光明は、極めて大きな光明である。その国では、太陽・月・星々はみな虚空の中に留まり、もはや回り巡ることもなく、輝きを失い、その明かりは隠されて見えなくなる。仏の光明は国の中を照らし、さらには他方の仏国にまで届いて、常に大いに明るく、暗い時が全くない。その国には一日も二日もなく、五日も十日もなく、十五日も一月もなく、五月も十月もなく、五歳も十歳もなく、百歳も千歳もなく、万歳も億万歳もなく、百千億万歳もない。一劫も十劫も百劫も千劫もなく、万劫も百万劫もなく、千万劫も百億万劫もない。阿彌陀仏の光明は、極まりなく明るく、无数劫、さらに无数劫、さらにそのまた无数劫を重ねても、限りがなく、ついに暗くなる時がない。国土と諸天は、ついに壊れ衰える時がない。それはなぜか。阿彌陀仏の寿命は極めて長く、国土はとても優れているから、そのようなのである。その仏の尊い寿命は、无数劫の後、さらに无数劫を重ねても、まだ般涅槃(滅度)には至らない。世間で教えを説き、八方・上下の無数の仏国を超え渡らせようと欲し、諸天の人民や、飛び回る虫や這う虫などの生きとし生けるものたちを、みなその国に生まれさせ、涅槃の道を得させようとされる。菩薩である者たちには、みな仏となることを望まれる。仏となったならば、また八方・上下の諸天の人民や、飛び回る虫や這う虫などを教え導き、またみな仏とならせようとされる。仏となったならば、また無数の天の人民や、飛び回る虫や這う虫などを教え、みな涅槃の道を得て去らせようとされる。教え導くに値する弟子たちは、次々と互いに教え合い、互いに救い渡し、須陀洹(すだおん)、斯陀含(しだごん)、阿那含(あなごん)、阿羅漢(あらかん)、辟支仏(びゃくしぶつ)の道を得させ、互いに救い渡して、みな涅槃の道を得るのである。このようにして、まだ般涅槃を望まれない。阿彌陀仏が救い渡されることは、このように次々と続く。さらに无数劫、无数劫の間とどまり、もはや数えきれない劫を経ても、ついに般涅槃の時がない。八方・上下の無数の天の人民や、飛び回る虫や這う虫などで、阿彌陀仏の国に生まれて仏となるべき者は、数えきれないほどである。阿羅漢となって涅槃の道を得る者も、限りなく、もはや数えきれない。阿彌陀仏の恩徳と、すべての布施は、八方・上下に果てしなく、甚だ深く量り知れず、素晴らしく善く、言葉に尽くせない。その智慧が教え示す経典の道は、八方・上下の無数の天上・天下に広く告げ知らされているが、まことに計り知れない。その経巻の数は非常に多く、数えきれず、ついに限りがないのである。」

佛告阿逸菩薩:「若欲知阿彌陀佛壽命無極時不?」

仏は阿逸菩薩に告げられた。「あなたがたは、阿彌陀仏の寿命が限りなく広大なものであることを知りたいと思うか?」

對曰:「願皆欲聞知之。」

申し上げます。「どうか、すべてをお聞かせいただき、知りたいと願っております。」

佛言:「明聽!悉令八方、上下諸無央數佛國中,諸天人民、蜎飛蠕動之類,皆使得入道,悉令作辟支佛、阿羅漢,共坐禪一心,都合其智慧為一勇猛,共欲計知阿彌陀佛壽命,幾千億萬劫歲數,皆無有能計知者。復令他方面各千須彌山佛國中,諸天人民、蜎飛蠕動之類,皆復使得入道,悉令作辟支佛、阿羅漢,皆令坐禪一心,合其智慧為一勇猛,共欲數阿彌陀佛國中,諸菩薩、阿羅漢,知有幾千億萬人,皆無有能知數者。阿彌陀年壽甚長久,浩浩照照,明善甚深,無極無底,誰當能知信其者?獨佛自信知爾!」

仏は言われた。「よく聞きなさい。四方八方、上下のあらゆる無数の仏の国々において、すべての天の人々、人間、そして翅のあるもの、這うもの、動くものにいたるまで、すべてを悟りの道に入らせ、すべてを辟支仏や阿羅漢とし、ともに座禅して心を一つにし、その智慧を合わせて一つの勇ましい力とし、ともに阿弥陀仏の寿命を数えようとするならば、それが何千億万劫の歳月に及ぶか、誰も計り知ることはできないであろう。また、他の方面のそれぞれ千の須弥山ほどの広さの仏の国々において、すべての天の人々、人間、そして翅のあるもの、這うもの、動くものにいたるまで、再びすべてを悟りの道に入らせ、すべてを辟支仏や阿羅漢とし、ともに座禅して心を一つにし、その智慧を合わせて一つの勇ましい力とし、ともに阿弥陀仏の国にあるすべての菩薩や阿羅漢の数を数えようとするならば、それが何千億万人に及ぶか、誰も数え知ることはできないであろう。阿弥陀仏の寿命は非常に長く、その光は広大に輝き、その智慧と慈悲は深く、限りもなく底もない。誰がこれを知り、信じることができようか。ただ仏だけが自ら知り、確かに信じているのである。」

阿逸菩薩聞佛言大歡喜,長跪叉手言:「佛說阿彌陀佛壽命甚長,威神尊大,智慧光明巍巍快善,乃獨如是。」

阿逸菩薩は仏の言葉を聞いて大いに喜び、ひざまずいて手を合わせて申し上げた。「仏は阿弥陀仏の寿命が非常に長く、その威神力は尊く大きく、智慧の光明は輝かしく素晴らしく、このように独り優れておられると説かれました。」

佛言:「阿彌陀佛至其然後般泥洹者,其蓋樓亘菩薩,便當作佛。總領道智,典主教授,世間及八方、上下所過度諸天人民、蜎飛蠕動之類,皆令得佛泥洹之道。其善福德,當復如大師阿彌陀佛,住止無央數劫無央數劫,不可復計劫,准法大師,爾乃般泥洹。其次摩訶那鉢菩薩,當復作佛。典主智慧,總領教授,所過度福德,當復如大師阿彌陀佛。止住無央數劫,尚復不般泥洹。展轉相承受,經道甚明,國土極善。其法如是,終無有斷絕,不可極也。」

仏さまはおっしゃった。「阿彌陀仏は、そののちに入滅される時、蓋樓亘菩薩がその次に仏となるであろう。彼は智慧の道を統べ治め、教えを導き、この世と八方、また上方・下方の、すべての天の人々や、飛び跳ねるもの、這うもの、動くものに至るまで、すべてを仏の悟りの道へ導き入れるであろう。その善い福徳は、ちょうど大師阿彌陀仏のように、数えきれない劫、数えきれない劫、さらに測り知れない劫の間、とどまり続けるであろう。大師の教えに従い、その後に初めて入滅するであろう。次に、摩訶那鉢菩薩がまた仏となるであろう。彼は智慧を司り、教えを統べ治め、その導く福徳も、また大師阿彌陀仏のように、数えきれない劫の間、とどまり、まだ入滅しないであろう。こうして次々と受け継がれ、教えの道はますます明らかになり、国土はとても素晴らしいものとなる。その教えは、このようにして、決して断ち切られることがなく、尽きることがないのである。」

阿難長跪叉手。問佛言:「阿彌陀佛國中,無有須彌山,其第一四天、第二忉利天,皆依因何等住止?願欲聞之。」

阿難が長く跪いて手を合わせ、仏に問うて言うには、「阿彌陀仏の国の中には、須弥山がありません。その第一の四天王天や第二の忉利天は、何に依って住んでいるのでしょうか。そのことをお聞きしたいと願います。」

佛告阿難:「若有疑意於佛所耶?八方、上下,無窮無極,無邊無量,諸天下大海水,一人斗量之,尚可枯盡得其底泥;佛智不如是。」

仏は阿難に告げられた。「もし仏に対して疑いの心を持つ者があるならば、それを尋ねよ。東西南北、そして上下の八つの方角と、その先にある無限の世界。そこにある全ての大海の水を、一人の人が升で汲み尽くそうとしたとしても、ついには底の泥まで見えるほどに干上がることもあろう。しかし、仏の智慧は、そのように汲み尽くせるものではないのだ。」

佛言:「我所見知,諸已過去佛,如我名字釋迦文佛者,復如恒水邊流沙,一沙一佛。諸當來佛,如我名字,亦如恒水邊流沙。甫始欲求作佛者,如我名字,亦如恒水邊流沙。佛正坐直南向,視見南方。今現在佛,如我名字者,復如恒水邊流沙。八方、上下,去來現在諸佛,如我名字者,各如十恒水邊流沙,一沙一佛,其數如是;佛皆悉豫見知之。」

仏は言われた。「私が見知るところによれば、すでに過ぎ去った仏たちのなかで、私の名前である釈迦文仏のような方々は、ガンジス川の岸辺の流砂の一粒一粒を一仏とするほどに多い。未来に来たるべき仏たちも、私の名前のような方々が、またガンジス川の岸辺の流砂のように多い。今まさに仏になろうと願っている方々も、私の名前のような方々が、またガンジス川の岸辺の流砂のように多い。仏はまさに座って南方をまっすぐに見渡された。現在生きておられる仏たちも、私の名前のような方々が、またガンジス川の岸辺の流砂のように多い。八方と上下、過去・未来・現在のすべての仏たちで、私の名前のような方々は、それぞれ十条のガンジス川の岸辺の流砂の一粒一粒を一仏とするほどの数である。その数はこのようであり、仏はそれらすべてをあらかじめ見通し、知っておられるのである。」

佛言:「往昔過去無數劫已來,一劫、十劫、百劫、千劫、萬劫、億劫、億萬億劫中有佛。諸已過去佛,一佛、十佛、百佛、千佛、萬佛、億佛、億萬億佛,各自有名字不同,無有如我名字者。甫始當來劫,一劫、十劫、百劫、千劫、萬劫、億劫、億萬億劫,劫中有佛。一佛、十佛、百佛、千佛、萬佛、億佛、億萬億佛,各各自有名字不同,時時乃有一佛如我名字耳。諸八方、上下無央數佛國,今現在佛,次他方異國,一佛國、十佛國、百佛國、千佛國、萬佛國、億佛國、億萬億佛國中有佛,各自有名字,多多復不同,無如我名字者。八方、上下無央數諸佛中,時時乃有如我名字爾!八方、上下,去來現在,其中間曠絕甚遠,悠悠迢迢,無窮無極,佛智亘然甚明,探古知今,前知無窮却覩未然,豫知無極,都不可復計。甚無央數佛,威神尊明,皆悉知之。佛智慧道德合明,都無能問佛經道窮極者,佛智慧終不可稱量盡也。」

仏は言われた。「遠い昔、数えきれないほどの劫の昔から、一劫、十劫、百劫、千劫、万劫、億劫、億万億劫の間に、仏がおられた。過ぎ去ったすべての仏、一仏、十仏、百仏、千仏、万仏、億仏、億万億仏には、それぞれ異なる名前があり、私のような名前を持つ者はなかった。そして未来の劫においても、一劫、十劫、百劫、千劫、万劫、億劫、億万億劫の間に、それぞれの劫に仏が現れるであろう。一仏、十仏、百仏、千仏、万仏、億仏、億万億仏には、それぞれ異なる名前があり、私のような名前を持つ仏が現れるのは、ごく稀なことである。また、四方八方、上下、数えきれない仏国土に、今まさに現れている仏がおられる。他方の異なる国々、一仏国土、十仏国土、百仏国土、千仏国土、万仏国土、億仏国土、億万億仏国土の中に、それぞれ仏がおられ、それぞれに異なる名前がある。名前は多く、さらに異なっているが、私のような名前を持つ者はない。四方八方、上下の数えきれない諸仏の中で、私のような名前を持つ仏が現れるのは、ごく稀なことなのである。四方八方、上下、過去・未来・現在にわたって、その間は果てしなく遠く、どこまでも続き、限りがない。仏の智慧は広大で明らかに照らし、古を知り、今を悟り、未来を限りなく見通し、先を知り尽くして、その及ぶ範囲は計り知れない。数えきれないほどの仏の威神力は尊く輝かしく、すべてをことごとく知っておられる。仏の智慧と徳はともに明らかであり、仏の教えの奥義を最後まで問い尽くすことのできる者は誰もいない。仏の智慧は究極的に計り知ることができないのである。」

阿難聞佛言,即大恐怖衣毛皆起,白佛言:「我不敢有疑意於佛所。所以問佛者,他方佛國,皆有須彌山,第一四天、第二忉利天,皆依因之住止。我恐佛般泥洹後,儻有諸天人民,若比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷來問我:『阿彌陀佛國,何以獨無有須彌山?其第一四天王、第二忉利天,皆依因何等住止?』我當應答之。今不問佛者,佛去後,當持何等語報答之?獨佛自知之爾,餘人無有能為我解者。以是故問佛耳!」

阿難が仏の言葉を聞くと、たちまち大きな恐怖にとらわれ、身の毛がよだち、仏に申し上げた。「私は仏の御前において、疑いを抱くようなことはございません。私が仏にお尋ねするのは、他の仏の国には、みな須弥山があり、第一の四天王天、第二の忉利天も、すべてそれに依りかかって住んでいるからでございます。私は、仏が涅槃に入られた後、もし天や人々、あるいは比丘僧、比丘尼、優婆塞、優婆夷が私のもとに来て、『阿弥陀仏の国には、どうしてただ須弥山だけがないのか。その第一の四天王天、第二の忉利天は、何に依って住んでいるのか』と問うたなら、私はそれに答えるべきでありましょう。今、仏にお尋ねしなければ、仏がお去りになった後、どのような言葉をもって答えればよいのでしょうか。ただ仏だけがこれをご存じであり、他の人は私のために解いてくれる者はおりません。それゆえに、仏にお尋ねする次第でございます」

佛言:「阿難!是第三焰天、第四兜術天,上至第七梵天,皆依因何等住止乎?」

仏は言われた。「阿難よ、この第三の焔天と第四の兜術天、さらに上は第七の梵天に至るまで、これらは何に依って留まっているのでしょうか。」

阿難言:「是諸天皆自然在虛空中住,在虛空中住止,無所依因。」

阿難は言った。「これらの天人たちは、みずから虚空の中に住み、虚空にとどまっております。何ものにも依りかかることなく、よりどころとするものはありません。」

「佛威神甚重,自然所欲作為,意欲有所作,為不豫計。是諸天皆尚在虛空中住止。何況佛威神尊重,欲有所作為耶?」

仏の威神の力は非常に重く、自然にその欲するままに働き、心に何かを為そうと思えば、あらかじめ計画する必要はありません。これらの諸天は、いまだに虚空の中に住まいとどまっています。ましてや、仏の威神の力の尊く重いことにおいて、何かを為そうと思われたなら、なおさらのことではありませんか?

阿難聞佛言,即大歡喜,長跪叉手言:「佛智慧知八方、上下,去來現在之事,無窮無極,無有邊幅,甚高大妙絕快善,極明好甚無比,威神尊重不可當。」

阿難は仏の言葉を聞いて、大いに喜び、ひざまずいて手を合わせて言った。「仏の智慧は、八方をはじめ、上下、過去・未来・現在のすべてのことを知り尽くし、限りなく、果てしなく、とても高く、大きく、素晴らしく、この上なく明るく、比べるものがないほど尊く、その威光と力は測り知れません。」

阿彌陀經卷上

阿弥陀経 上巻


第二

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