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  1. 釈氏要覧 (釋氏要覽)
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釈氏要覧 (釋氏要覽)


姓氏

姓

西域記云。姓者。所以繫統百世使不別也。氏者所以別子孫之所出也。釋迦氏譜云。夫姓氏之興本。欲召諸質也。故隨物類而命焉。

西域記にこうある。「姓とは、百代にわたる血筋をつなぎ、混同を防ぐためのものである。一方、氏とは子孫の出自を区別するためのものである。」また、『釈迦氏譜』にはこうある。「そもそも姓や氏が生まれた本来の目的は、物事を呼び分けるためである。したがって、人々は物の種類に従って名付けたのである。」

天竺種姓有四

インドの身分制度には、四つの区分があります。

一者剎帝利(謂弈世君王種)。二者婆羅門(秦言外意謂淨行志道其種。別有經書。世世相承。或在家出家。苦行而多恃己術。自我慢人)。三者毘舍(或云吠舍。謂商賈之種)四者首陁(或云成達羅。謂田農之種)。我佛釋迦牟尼世尊即剎帝利之種也。長阿含經云。賢劫初成未有日月。是時光音天人下生。皆有身光。飛行自在。無有男女尊卑親疎之別。食自然地味。因食此物。乃身光滅神通亡。貪心始萌。復生地餅地膚地脂之味食。乃諸惡湊集。男女始形。地生粳米。朝刈暮生。亦無糠糩。時人貪心增長。皆預取厚藏。米遂不生。乃各占田土。學耨種業。自此姦盜滋彰。無決斷者。中有一人。容質瓌偉。世所欽信。眾議立為民主。號摩訶三摩曷羅闍(此云大平等主)各願輸賦供億(此祖稅之始)故命氏剎帝利(此云土田主謂初分土田各有諍訟使主之)。

第一に、クシャトリヤ(代々王の種族をいう)。第二に、バラモン(中国では「外意」といい、清らかな行いと道を志す種族。別に経典を持ち、代々受け継いでいる。在家も出家もおり、苦行を行うが、多くは自らの術に頼り、高ぶって人を見下す)。第三に、ヴァイシャ(またはヴェーシャといい、商人の種族)。第四に、シュードラ(またはチャンダーラといい、農民の種族)。我らが仏陀、釈迦牟尼世尊は、クシャトリヤの種族であられる。

『長阿含経』によれば、賢劫の初めにはまだ日月がなかった。その時、光音天の天人たちが地上に生まれ、皆、身に光を放ち、自由に飛行していた。男女や尊卑、親疎の区別もなかった。自然に地味を食べていたが、これを食べると身の光は消え、神通力も失われ、貪りの心が初めて生じた。さらに地餅・地膚・地脂の味を食べるようになると、様々な悪が集まり、男女の形が現れた。

地には粳米が生え、朝に刈っても夕方にはまた生え、籾殻もなかった。ところが人々の貪りの心が増すにつれ、先に取って多く貯蔵するようになり、米は生えなくなった。そこで各自が田畑を占め、耕し草を取る業を学んだ。このことから、盗みや偽りが増え、裁く者はいなかった。

中に一人、容姿が立派で、世に敬われ信じられる者がいた。人々が集まって彼を民の主とし、「マハー・サンマタ・ラージャ」(大いなる平等の主)と名付けた。皆が税を納めて生活を支えることに同意した(これが租税の始まりである)。そこで氏をクシャトリヤと呼んだ(これは土田の主を意味し、初めて土地を分けた時、争いを裁く者としたからである)。

別姓有五

五つの別姓(他の姓)があります。

我佛釋迦於三阿僧祇劫。修六度萬行因。或實報或示化。各隨物類。別名氏也。

釈迦牟尼仏は、三つの無限の時間(三阿僧祇劫)にわたって、六つの波羅蜜(六度)と無数の修行(万行)の因を積まれました。その中で、実際に悟りを得た姿(実報)として現れたり、人々を導くために仮の姿(示化)を示したりされました。それらはすべて、教えを受ける人々の性質に合わせて、それぞれ異なる名前や姿をとって現れたのです。

一瞿曇氏

ゴータマ・ブッダ

梵語正云瞿答摩。又云瞿曇彌此云地最勝。謂除天外在地人類中最勝。故經云。昔佛於劫初作國王禪位。師瞿曇僊修道。常於一園游止。為賊所害。彼僊乃殯尸取血。泥為兩團。用器盛之。置於左右。呪之滿十月。左化為男。右化為女。乃命氏。瞿曇始也。

サンスクリット語では正確には「瞿答摩(クダモ)」と言い、また「瞿曇彌(クドンミ)」とも言います。これを日本語で「地最勝(ちさいしょう)」と訳します。これは、天を除いた地上の人間の中で最も優れているという意味です。経典にはこう記されています。「昔、仏が劫の初めに国王であった時、位を譲って仙人・瞿曇(クドン)に師事し、修行をした。常に一つの園に滞在していたが、賊に殺されてしまった。その仙人は遺体を葬り、血を取って、それを泥で二つの団子にし、器に入れて左右に置いた。そして呪文を唱えること十ヶ月、左の団子は男に、右の団子は女に変化した。ここから瞿曇という姓が始まった。」

二甘蔗氏

二つのサトウキビの氏族

經云。昔有轉輪王。名大自在。子孫相承。合有八萬四千王。最後王名大茅草。垂老無子。乃委政大臣。自剃髮出家。眾號王僊。極老不能行履。諸弟子輩時行乞食。遂以草籠盛王僊懸於樹。虞虎狼之害也。有獵人望見謂是白鳥乃射之死。血瀝于地。諸弟子歸見師被害。即共殯尸其血瀝之地後時忽生甘蔗二本。日炙開剖。一生童子。一生童女。大臣聞迎取歸宮。養育長成。以王種故。遂立為王。命氏甘蔗始也(或梵云。喬答摩。或憍曇彌。二姓華言最勝。經音疏云。皆甘蔗王種也。順正理論云。喬答摩種。生於日光)。

経典にこう説かれている。昔、大自在という名の転輪聖王がいた。その子孫が代々受け継ぎ、合わせて八万四千人の王がいた。最後の王は大茅草と名づけられ、年老いても子がなかったため、政務を大臣に委ね、自ら髪を剃り出家した。人々はこの王を「王僊」と呼んだが、非常に老いて歩くこともできず、弟子たちは托鉢の際、草籠に王僊を入れて木に吊るし、虎や狼の害を防いだ。ある猟師がそれを見て白鳥と思い、射当てて命を奪った。血が地面に滴り落ち、弟子たちは帰って師が殺害されたことを知り、共に遺体を葬った。その血の滴った地から後に二本の甘蔗が生え、日光に晒されて裂け、一方からは童子、もう一方からは童女が生まれた。大臣がこれを聞き、迎え入れて宮中で育て、成長させた。王の血筋であるため、王として立てた。その一族を「甘蔗」という姓としたのである(あるいは梵語で喬答摩(ゴータマ)、または憍曇彌(ゴーダミー)という。この二姓は漢語で「最勝」を意味する。経典や音義の疏によれば、いずれも甘蔗王の血統である。順正理論には、喬答摩種は日光から生まれたとある。)

三日種氏

三日種氏

經云即甘蔗王不受胎藏。因日炙開剖。故名日種○大悲經云。姓日者為離諸暗。而作光明故(今詳二經前就本緣後約功德)。

経典には、サトウキビの王は胎内に宿ることなく、太陽の光に炙られて割れたことから「日種」と呼ばれたとあります。また『大悲経』には、「姓が日であるのは、あらゆる闇を離れて光明をもたらすからである」と説かれています。 ※これらの二つの経典の趣旨を詳しく見れば、前者は因縁(起源)に基づき、後者は功徳(はたらき)に基づいています。

四舍夷氏

四つのシェーイヤ(舎夷氏)の人々

即甘蔗王擯出四太子。一名炬面。二名金色。三名象眾。四名尼拘羅(隋言別成)四子初至雪山北。頓駕大樹枝條蓊欝之下。是故名奢夷耆耶。今言舍夷必。梵語訛略也。五分律云。近雪山北舍夷林。築城營舍。又缾沙王始問佛生何國。佛言生舍夷國(今詳。必因樹命國。從國稱氏)○法苑云。舍夷者。西方之貴姓也。

ここで、サトウキビ王(甘蔗王)は四人の太子を追放しました。 一人目は「炬面」、二人目は「金色」、三人目は「象衆」、四人目は「尼拘羅」(隋の言葉で「別成」という意味)といいます。 四人の王子たちは初めて雪山の北に到着し、枝葉が生い茂る大樹の下で休息しました。そのため、その地は「奢夷耆耶」と呼ばれるようになりました。現在「舍夷必」と言うのは、サンスクリット語が訛って簡略化されたものです。 『五分律』にはこうあります。「雪山の北、舍夷の林の近くに、城を築き、家を建てた。」 また、瓶沙王が初めて仏に「あなたはどこの国にお生まれですか」と尋ねたところ、仏は「舍夷国に生まれました」と答えました(よく考えてみると、この国は必ず木にちなんで名付けられ、その国にちなんで氏が名付けられたのである)。 ○『法苑』にはこうあります。「舍夷とは、西方における高貴な姓である。」

五釋迦氏
即彼四太子以德歸人。不數年間。欝為強國。父王悔憶。遣使往詔四子辭過不歸。父王乃三歎曰。我子釋迦(華言能仁)長阿含經云。釋迦。秦言能。又譯為直。謂直。林故(詳此二譯初從人後就處)今詳。四太子俱命釋迦。惟第四尼拘羅是 我佛祖也。按經云。尼拘羅有子名俱盧。俱盧有子名瞿俱盧。瞿俱盧有子名師子頰。師子頰有四子。一淨飯。二白飯。三斛飯。四甘露飯(梵云首圖䭾那。此云淨飯王。即佛父也)。
出家人統姓
開元錄云。秦晉已前。出家者多隨師姓。後彌天沙門道安云。凡剃髮染衣。紹釋迦種。即無殊姓。宜悉稱釋氏。時皆未然。洎譯出阿含經云。佛告比丘。四大河水入海。無復本名。同名為海。四姓之子。於佛出家剃除鬚髮。著三法衣。無復本姓。但云沙門釋子○彌沙塞律云。汝等比丘。雜類出家。皆捨本姓。同稱釋子(今稱沙門釋者。蓋天竺出家。外道亦自稱沙門。今以釋字簡之。或單稱釋亦可。若彼此是僧。即不用稱。蓋同一釋家。法兄弟故)。

『開元録』にこう記されている。秦や晋の時代より前は、出家した者は多く師の姓に従っていた。その後、彌天沙門の道安が言った。「髪を剃り染衣をまとう者は、釈迦の種を受け継ぐ者である。異なる姓があるはずはない。すべて『釋氏』と称するのがよい」と。当時は誰もその意見に従わなかった。後に『阿含経』が翻訳され、そこにはこうあった。「仏が比丘たちに告げられた。四大の河水が海に入れば、もとの名前はなくなり、すべて海と名乗るようになる。四姓の子らが仏のもとで出家し、髪と鬚を剃り、三法衣をまとえば、もとの姓はなくなり、ただ沙門・釋子と言うのみである」と。 『彌沙塞律』にはこうある。「あなたがた比丘たちは、様々な出身から出家したのだから、みな本来の姓を捨てて、同じく釋子と称しなさい」と。 (現在「沙門釋」と称するのは、天竺では出家していても外道が自分たちを沙門と自称していたため、「釋」の字を加えて区別したのである。単に「釋」とだけ称してもよい。もし互いに僧同士であれば、わざわざ称する必要はない。同じ釈迦の家に属し、法上の兄弟であるからである。)


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