禅門宝蔵録 巻中
諸講帰伏門
西山亮座主は、二十四の経論を講じることができました。ある日、馬祖を訪ねました。馬祖が尋ねました。「お聞きするところ、大徳はとてもよく経論を講じられるそうですが、何をもって講じられるのですか。」座主は言いました。「心をもって講じます。」馬祖は言いました。「心はまるで芸人のようで、意は伴奏者のようなもの。どうして経論を講じることができましょうか。」座主は言いました。「心が講じられないなら、まさか虚空が講じるというのですか。」馬祖は言いました。「そう、虚空が講じるのです。」座主は袖を振って出て行きました。馬祖が座主を呼びました。座主が振り返ると、馬祖は言いました。「それは何ですか。」座主はそこで大悟し、礼をして感謝しました。寺に帰って大衆に言いました。「私は一生の修行で、誰にも及ばないと思っていました。今日、馬祖の一問によって、平生の修行が氷のように解けてしまいました。」 伝灯録より
寿州の良遂座主。初めて麻谷に参じた。麻谷、彼が来たのを見て、鋤を手に取り草を刈りに行った。座主は草を刈る場所まで来たが、麻谷はまったく振り返らず、そのまま方丈に帰り、戸を閉ざした。座主が再び来て戸を叩くと、麻谷は「誰か」と問うた。座主は「良遂です」と答えた。名を告げたその瞬間、たちまち悟りを開き、こう言った。「和尚、良遂をあざむかないでください。もし和尚にお礼拝に来なければ、良遂は一生を経論にだまされて過ごすところでした」。そして講席に帰ると、こう語った。「皆さんの知っていることは、良遂もすべて知っています。しかし、良遂の知っていることは、皆さんは知りません」。 伝燈録より
太原の孚が座主であった時、揚州の孝先寺で涅槃経を講じていた。ある禅僧が雪に阻まれて講義を聴きに来た。広く法身の妙理を説くところで、禅僧が思わず笑い出した。孚は言った、「私は経に依って義を解釈していますが、たまたま笑われてしまいました。どうかご教示いただけませんか」。禅僧は言った、「実は座主が法身を識らないのを笑ったのです」。孚は言った、「どこが法身でないというのでしょうか」。禅僧は言った、「座主にもう一度お話しいただきたい」。孚は言った、「法身の理は、あたかも大空のようであり、縦には三際を窮め、横には十方に亘り、縁に随って赴き感応し、あまねく周遍しないところはありません」。禅僧は言った、「座主の説が間違っているとは言いません。ただ、法身の量の辺りのことを説いているだけで、実は法身そのものを識っていないのです」。孚は言った、「禅客よ、どうか私に説いてください」。禅僧は言った、「しばらく講義を休み、夜中に静かに慮り、善悪の諸縁を一時に放ってみなさい」。孚は教えに従い、初夜から五更まで坐し、鼓角の声を聞いて、忽然と悟りに契った。 伝燈録より
印宗法師が法性寺で涅槃経を講じていたとき、慧能大師は寺の回廊に仮住まいしていました。ある晩、風が吹き、寺の幡がはためく音が聞こえてきました。二人の僧が論じ合っているのが聞こえます。一人は「幡が動いている」と言い、もう一人は「風が動いている」と言います。二人はやり取りを重ねますが、どうしても道理に合いません。そこで大師は、「幡が動くのでも、風が動くのでもない。動いているのはあなた方の心なのです」と、まっすぐに言われました。印宗はこの言葉をこっそり聞き、驚き、深く感銘を受けました。翌日、大師を部屋に招き、風幡の意味を尋ねました。大師は道理を詳しく説かれました。印宗は弟子の礼をとり、禅の要請を受けることを願い出ました。
無業禅師が涅槃座主であった時、馬祖大師に尋ねた。 「三乗の教えは、その大意をほぼ理解しました。常々、禅門では『即心是仏』と聞きますが、実のところ、まだはっきりとわかっておりません」 祖師は言われた。 「その『わからぬ』という心こそがそれである。他に別のものはない」 さらに尋ねた。 「では、祖師が西より来たりて密かに伝えられた心印とは、どのようなものでしょうか」 祖師は言われた。 「大徳、今はちょうどお忙しいところだ。またの機会においでなさい」 禅師が退出しようとした時、祖師が呼びかけられた。 「大徳よ」 禅師が振り返ると、祖師は言われた。 「それは何か」 禅師はただちに悟りを開き、礼拝した。 (『伝灯録』より)
洪州の法達という僧が、六祖大師のもとに参拝に来たが、頭を地面につけて礼拝しなかった。六祖がたしなめて言われた。「礼拝するのに頭を地につけないなら、礼拝しないのと同じではないか。お前の心にはきっと何かがこびりついている。一体何を学んできたのか」
法達は答えた。「『法華経』を読誦し、すでに三千部に達しました」
六祖は言われた。「お前はただひたすらに執着して読誦し、それを修行の功徳だと思っているが、それはまるで牛が自分の尾を愛でるようなものだ。私の偈を聞きなさい。
心が迷えば法華に転じられ 心が悟れば法華を転ずる 長く誦しても己が分からぬなら 経の真意と仇となるばかり 無念の念こそが正しく 有念の念は邪となる 有も無もともに計らず 白牛の車を永久に御する」
法達はこの教えに啓発され、喜び躍り上がって、偈をもって讃えた。
「経を三千部誦すも 曹溪の一句に消えぬ 世を超える旨まだ明かさず どうして累生の狂いを止めよう 羊・鹿・牛は方便の設け 初・中・後と善く揚げる 誰か知らん 火宅の内に もとより法の中の王なることを」
(『伝灯録』より)
清凉鎮国の国師、澄観。九歳で出家し、宝林体真禅師に師事す。一年で法華経・維摩経・楞伽経などの経典に通じる。次に常照和尚のもとへ赴き、菩薩戒を受け、十の誓願を立てて身を律す。行いと理解は共に優れていたが、なお疑いや障りが解けず。そこで宗門を訪ね、まず牛頭六祖に参じ、次に径山国一に会う。時に無名禅師は東都同徳寺に住しており、師はその方丈に赴き、直接教えを受け、玄妙な深みを頓に徹し、大事を明らかに見極める。心要一章を述べて云く、至道はその心に本づき、心法は無住に本づく云々。 祖燈録
花厳院の僧・継宗が雲居智禅師に尋ねた。 「『見性成仏』とは、どういう意味でしょうか」 師は答えた。 「清らかな本性は、もともと澄みきって揺るぎなく、有無や清濁、長短、取捨に属するものではありません。その本体は自ずと自由であり、このように明らかに見えることを『見性』といいます。性はすなわち仏であり、仏はすなわち性です。だから『見性成仏』というのです」 僧が尋ねた。 「本性が清らかで、有無に属さないなら、なぜ『見』があるのでしょうか」 師は答えた。 「見るべきものがないのが『見』です」 僧が尋ねた。 「見るべきものがないなら、なぜさらに『見』があるのでしょうか」 師は答えた。 「見るというところもありません」 僧が尋ねた。 「このように見るとき、それは誰の見なのでしょうか」 師は答えた。 「見る者というものはありません」 僧が尋ねた。 「結局のところ、その道理はどうなっているのでしょうか」 師は答えた。 「あなたはわかりますか。妄りに『ある』と分別すれば、能見と所見が生じ、それを迷いと呼びます。見たことに従って解釈を生じさせれば、生死に堕ちます。明らかに見る人はそうではありません。一日中見ていても、見たことはありません。見る場所を求めても、その体性は得られません。能見と所見がともに絶たれた状態を『見性』といいます」 僧が尋ねた。 「究極の道理はどうなっているのでしょうか」 師は答えた。 「要約して言いましょう。清らかな本性の中には、凡夫も聖者もありません。悟った人も悟らない人もいません。その両方とも仮の名前に過ぎません。もし『私が悟ることができて、あの人はできない』と思うなら、それは大きな病です。清らかさと穢れ、凡夫と聖者があると見るのも、大きな病です。凡夫も聖者もないと解するのも、因果を否定することになります。清らかな本性が棲みつく場所があると見るのも、大きな病です。棲みつく場所がないと解するのも、大きな病です。しかし、清らかな本性の中には動揺はありませんが、方便としての応用や慈悲を起こし働かせることは妨げられません。そのように慈悲を起こし働かせるところに、清らかな本性の全体が現れます。これこそ『見性成仏』と言えるでしょう」 継宗は喜び躍り、礼をして感謝し、退いた。 伝灯録
ある時、華厳宗の僧が塩官斉安禅師のもとを訪ねてきた。禅師が問うた。「経典には何種類の法界があると説かれているか」。僧は答えた。「大まかに言えば四種、詳しく言えば無限に広がっています」。そこで禅師は払子を掲げて言った。「これは第何種の法界に収まるのか」。僧はしばらく黙り込んだ。禅師は言った。「考えて知り、思い巡らして理解するのは、鬼の巣穴で生きるようなものだ。太陽の下で孤灯を掲げても、結局は照らせない。さあ、立ち去れ」。 『伝灯録』より
西蜀の首座が白馬のもとを訪れ、華厳経の教えを引き合いに出して尋ねた。 「一つの塵に法界が含まれるとき、どうなりますか」 白馬は答えた。 「鳥の二つの翼のようであり、車の二つの輪のようである」 首座は言った。 「禅門には別に特別なものがあると思っていたが、結局は教えの意味から出ていないのだ」 そこで故郷に戻り、夾山会禅師の教化を尋ね求めた。そして弟子を遣わし、先の問いを尋ねさせた。 夾山は言った。 「砂を彫っても玉を刻む話にはならず、草を結んでも道人の思いにはそぐわない」 弟子が帰ってその言葉を師に伝えると、首座は禅の道に心から服し、玄旨を参問した。
小師の洪諲は、講論をもって自らを誇っていた。鑑宗禅師は彼に言われた。「仏祖の正法は、直截にして詮を忘る。汝が海の砂を数えるごときは、理に何の益かあらん。ただ知見を存ぜず、外縁を泯絶し、一切の心を離るることを能くすれば、即ち汝が真性なり」と。諲これを聞いて茫然とし、礼をして辞し、諸方を遊歴し、溈山に至って、初めて玄旨を悟った。 伝灯録
ある講師の僧が馬祖のもとに来て尋ねた。「禅宗ではいったい何の法を伝え持っているのか、はっきりしません」。師は逆に問うた。「座主は何の法を伝え持っているのか」。僧は答えた。「恥ずかしながら、経論を二十余り講じることができます」。師は言った。「まさか獅子の子ではあるまいな」。僧は言った。「恐れ多いことです」。師は「シーッ、シーッ」と声を立てた。僧は言った。「これは法です」。師は言った。「何の法だ」。僧は言った。「獅子が巣穴から出る法です」。師は黙り込んだ。僧は言った。「これもまた法です」。師は言った。「何の法だ」。僧は言った。「獅子が巣穴にいる法です」。師は言った。「出でも入りでもない、それは何の法だ」。僧は答えられなかった。 『伝灯録』より
ある法師が大義禅師に問うた。 「欲界には禅はなく、禅は色界にあります。この世は何を根拠に禅を立てるのでしょうか」 師は言った。 「法師は欲界に禅がないことだけを知り、禅界に欲がないことを知らない」 法師が言う。 「では禅とは何ですか」 師は手で虚空を指さした。 法師は答えられなかった。 『伝灯録』より
律師の法明という者が、大珠禅師に言った。 「禅師の家は、多く空に落ちているようだ」 師は答えた。 「むしろ、座主の家こそ多く空に落ちている」 法明は驚いて言った。 「どうして空に落ちるなどということがありましょうか」 師は言った。 「経論は紙と墨の文字である。紙と墨の文字は、いずれも空である。声の上に名や句などの法を立てたとしても、これもまた空にほかならない。座主は教えの形に執着している。それでは空に落ちているとは言えないか」 法明が尋ねた。 「禅師は空に落ちていますか」 師は答えた。 「落ちてはいない」 「なぜ落ちていないのですか」 「文字などはすべて智慧から生じるものだ。大いなる働きが目の前に現れている。どうして空に落ちることがあろうか」 法明は自分の過ちに気づいたが、心にはまだもやもやとしたものが残っていた。そこでまた尋ねた。 「経・律・論は仏の言葉です。これを読み誦し、教えに従って行うのに、なぜ本性が見えないのでしょうか」 師は言った。 「狂った犬が土くれを追いかけるようなものだ。獅子は人を噛む」 法明は礼をして感謝し、賞賛しながら退いた。 伝灯・大珠禅師問答五則より
源律師が尋ねました。「禅師は『即心是仏』とおっしゃいますが、それは間違いです。第一地の菩薩は百の仏世界に分身できますし、第二地の菩薩はその十倍です。禅師、どうか神通力をお示しください」と。
禅師は言いました。「あなたは自分が凡夫か聖者か、どちらだと思いますか?」
源律師は「凡夫です」と答えました。
禅師は言いました。「凡夫の僧侶が、どうしてそんな高い境地について尋ねることができるのですか?」
源律師は返す言葉がありませんでした。
華厳経の座主、志和尚がお尋ねになりました。 「禅師はなぜ、青々とした翠竹はすべて真如であり、豊かに茂る黄花はことごとく般若である、とお認めにならないのですか」 禅師は答えられました。 「法身には形がありません。翠竹に応じて形を現すのです。 般若には知見がありません。黄花に向かって相を現すのです。 あの黄花や翠竹そのものが般若や法身なのではありません。 座主、お分かりになりますか」 志和尚は言いました。 「この意味がよくわかりません」 禅師は言われました。 「本性を見た人は、『そうだ』と言ってもよいし、『そうではない』と言ってもよい。 その場の用い方に応じて語り、是や非に執着しません。 本性を見ていない人は、翠竹と言えば翠竹に執着し、黄花と言えば黄花に執着し、 法身と言えば法身に執着し、般若と言えば般若を理解しません。 それゆえ、すべてが諍論となってしまうのです」 志和尚は礼をして感謝し、立ち去りました。
ある法師が尋ねた。「和尚はどのような法で人々を救われるのですか」 師は言われた。「貧道は一度も法で人を救ったことはない」 法師が言った。「禅師の家はみなこのようなものですね」 師は逆に尋ねられた。「大徳はどのような法で人を救われるのですか」 法師が答えた。「金剛般若経を講じています」 師が言われた。「この経は誰が説かれたのですか」 僧は声を張り上げて言った。「禅師は私をからかっているのですか。仏が説かれたとご存じないはずがありません」 師は言われた。「もし如来が何かを説かれたと言うなら、それは仏を誹謗することになる。もしこの経が仏の説かれたものではないと言うなら、それは経を誹謗することになる。大徳、どうぞお説きください」 僧は返答できなかった。 しばらくしてまた尋ねた。「どうすれば大涅槃を得られるのですか」 師は言われた。「生死の業を作らなければよい」 「生死の業とは何ですか」 師は言われた。「大涅槃を求めることが生死の業である。汚れを捨て清浄を取ることが生死の業である。得ようとし証そうとすることが生死の業である。対治の門から脱しないことが生死の業である」 「ではどうすれば解脱できるのですか」 師は言われた。「元々縛られるものなどない。どうして解脱を求める必要があろうか。まっすぐに使い、まっすぐに行う。これが無等等である」 僧は言った。「和尚のような方は、まことに稀有なお方です」 礼をして感謝し、去っていった。
ある三蔵法師がお尋ねになった。「真如には変易がありますか」 師は言われた。「変易があります」 「禅師、それは間違いです」 師は逆に三蔵に尋ねられた。「真如はありますか」 「あります」 師は言われた。「もし変易がなければ、三蔵は間違いなく凡夫の僧です」 三蔵は言った。「それでは真如には変易があるということですか」 師は言われた。「もし真如に変易があると執着すれば、それもまた外道です」 「禅師は先ほど真如に変易があると言われましたが、今は不変易と言われます。どうすれば正しいのでしょうか」 師は言われた。「もしはっきりと本性を見た者は、摩尼珠が色を映し出すように、変易と言ってもよいし、不変易と言ってもよい。もし本性を見ていない者は、真如が変易すると聞けば変易と解釈し、不変易と聞けば不変易と解釈する」 三蔵は言った。「やはり南宗の教えは実に測りがたいものですね」
徳山宣鑑禅師が、まだ座主として西蜀で『金剛経』を講じていた時のことです。 経典の教えに従い、「金剛喩定」と「後得智」を経て、千劫にわたり仏の威儀を学び、万劫にわたり仏の行いを学んで、はじめて仏になれると説いていました。 その頃、南方では「即心是仏」、つまりこの心こそが仏であると説く教えが広まっていました。 それを聞いた徳山は、憤慨して自らの『金剛経疏鈔』を担ぎ、南方へと向かい、その「魔子ども」を論破してやろうと決意しました。 澧州に着いたばかりの道中、油で揚げた餅を売る老婆に出会いました。 徳山は荷物を下ろし、その餅を買って軽食にしようとしました。 老婆が尋ねます。 「お載せになっているのは、何ですか」 「『金剛経疏鈔』です」 「では一つお尋ねします。もし答えられれば、この餅を施しましょう。答えられなければ、他でお買いください」 「どうぞお尋ねください」 「『金剛経』にはこうあります。『過去の心は得られず、現在の心は得られず、未来の心は得られず』と。さて、上座様はどの心をお点心になさるおつもりですか」 徳山は返答に詰まりました。 老婆は彼を龍潭和尚のもとへ参じるよう指し示しました。 徳山が門を跨いだ途端、こう言いました。 「かねてより龍潭の名を慕って参りましたが、いざ来てみれば、潭(淵)も見えず、龍も現れません」 龍潭和尚が言います。 「あなたは確かに龍潭に来たのです」 徳山は礼をして引き下がりました。 そして『疏鈔』を取り出し、法堂の前で松明を掲げ、こう宣言しました。 「あらゆる玄妙な論議を究め尽くしても、それは大空に浮かぶ一本の毛に過ぎない。世の枢機(要諦)を汲み尽くしても、それは巨大な谷川に投じる一滴の水に過ぎない」 そう言うと、『疏鈔』を焼き捨てたのでした。
仰山の行偉禅師は、賢首教の座主であった頃、訪れる禅林ごとに、宗師の名声が盛んに語り継がれているのを聞き、心の中で不思議に思っていた。かつての学友である法亮が禅に帰依したと知り、尋ねた。「お前は今、禅者と称しているが、禅宗の奥義を私に話してみよ」亮は答えた。「私が死んだ後で、お前に説いてやろう」偉は言った。「狂ったか」亮は言った。「私の狂いはようやく収まったが、お前の狂いは今、盛んに燃えている」そう言って立ち去った。偉は配下の者に言った。「亮があのような態度を取るということは、禅家にはきっと長所があるに違いない」そこで一人で南禅師を訪ね、二年間、師事した。毎回、室に参じると、南和尚は必ずしばらく目を閉じていた。偉が尋ねた。「行偉が来ると、必ず目を閉じられるのはどうしてですか」南和尚は言った。「麻谷が良遂が来たのを見て、鋤を持って草を刈った。良遂は悟りの境地を得た。私がお前を見ると、ただ静かに目を閉じるだけだ。お前は悟りは得ていないが、まだ疑いがある。それでもよいだろう」偉はますます理解できず、西へ旅立とうとしていた。ある夜、一人の僧と共に侍座していた。僧が尋ねた。「法華経に『一切衆生の言語陀羅尼を得て解する』とありますが、どのような言葉が陀羅尼なのでしょうか」南和尚は香炉を見た。僧は手を伸ばして火の有無を確かめた。火がなかったので、また炷を添えに行き、それから元の位置に立った。南和尚は笑って言った。「これがその陀羅尼だ」偉は驚き喜び、進み出て言った。「どうやって解するのですか」南和尚は僧に去るよう命じた。僧は簾を上げて急いで出て行った。南和尚は言った。「解していなければ、どうしてこのようにできようか」偉はようやく悟るところがあった。 僧宝伝
法雲円通法秀禅師は、華厳経の座主であった頃、こう言いました。「私は、世尊が教えの外に別に法を立て、大迦葉に私的に伝えたとは信じない」。そこで講義をやめ、南へと旅立ちました。同門の者に言いました。「私はあの窟(岩屋)へ行き、その類いの者を捕らえて滅ぼし、仏の恩に報いよう」。まず隠州の護国寺へ行き、浄果禅師の碑文を読みました。そこには、僧が報慈禅師に「いかにすれば仏性か」と尋ね、報慈は「誰に無いのか」と答え、さらに浄果に同じ問いをすると、浄果は「誰にあるのか」と答えたとありました。その僧はそれで悟りを得たと記されていました。秀は大笑いして言いました。「まさか仏性に有る無しなどあろうか。ましてやそれで悟ったなどと」。胸中に憤りを抱き、その場を去りました。無為の鉄仏寺へ行き、懐禅師に会いましたが、軽く見ていました。懐が尋ねました。「座主はどの経を講じているのか」。秀は「華厳経です」と答えました。懐がまた尋ねます。「この経は何を宗旨とするのか」。秀は「心を宗旨とします」と答えました。懐がさらに尋ねます。「では、心は何を宗旨とするのか」。秀は答えられませんでした。懐は言いました。「ほんのわずかな違いが、天地ほどの隔たりとなる。汝、自らを見つめるがよい。必ず発明(悟り)があるだろう」。その後、ある夜、二人の僧が白兆禅師が報慈に「情(妄念)が生じる前はどうか」と尋ね、報慈が「隔たり(隔)」と答えたという話をしているのを聞き、たちまち大悟しました。 僧宝伝
呉中の講僧たちは、多くが祖師伝法偈に訳者がいないことを批判していた。禅者が彼らと論じても、真意を失ってしまい、かえって誹謗を重ねるだけだった。達観頴禅師は彼らに諭して言った。「これは達磨大師が二祖に語った言葉である。どうして訳者が必要だろうか。たとえば梁武帝が『聖諦第一義とは何か』と問うたとき、達磨大師は『広大無辺にして聖なるものなし』と答えた。帝が『朕に向かって語る者は誰か』と尋ねると、『識らぬ』と答えた。もし達磨大師が方言に通じていなかったなら、どうしてその時、即座にこのように応えることができただろうか」。講僧たちはそれ以上反論できなかった。 『祖燈録』より
ある善華嚴という者が、継成禅師に尋ねた。 「我が仏陀が教えを説かれたのは、小乗から円頓に至るまで、空有を掃除し、ただ真常を証得するためであり、その後に万徳を荘厽して初めて仏と名付けられます。しかし、禅宗の一喝は凡夫を聖者に転じることができると聞きますが、それは諸経論と矛盾しているように思えます。今、もし一喝が我が宗の五教に入ることができるなら、それは正説であり、入ることができないなら邪説です」
師は善を呼んだ。善が返事をすると、師は言った。 「法師の言う小乗教とは、『有』の義である。大乗始教とは、『無』の義である。大乗終教とは、『不有不空』の義である。大乗頓教とは、『即有即空』の義である。一乗円教とは、『不有而有、不空而空』の義である。しかし、私の一喝は、五教に入ることができるだけでなく、あらゆる工巧伎芸、諸子百家にも皆入ることができるのだ」
師は声を振るって一喝し、善に尋ねた。 「聞こえるか?」 「聞こえます」 「汝がこの一喝を聞いたなら、それは『有』であり、小乗教に入ることができる」
しばらくして、また善に尋ねた。 「聞こえるか?」 「聞こえません」 「先ほどの一喝は『無』であり、始教に入ることができる」
そして善を見て言った。 「最初の一喝を、汝は『有』と言った。しかし、喝いの声が消えた今、汝は『無』と言う。『無』と言うなら、元々は実に『有』であった。『有』と言うなら、今は実に『無』である。不有でも不空でもない、これが終教に入ることができる。 私が一喝した時、それは『有』ではないが、『有』である。『無』があるから『有』があるのだ。一喝しない時、それは『無』ではないが、『無』である。『有』があるから『無』があるのだ。即有即無、これが頓教に入ることができる。 知るべきである、私のこの一喝は、一喝としての用をなさない。有も無も及ばず、情も解も共に亡ぶ。『有』と言う時、微塵も立たず。『無』と言う時、横に虚空に遍満する。この一喝が百千万億の喝に入り、百千万億の喝がこの一喝に入る。それ故に円教に入ることができるのだ」
善は起き上がって再拝した。 師はさらに言った。 「ただ一喝だけがそうなのではない。言葉も黙りも、動きも静けさも、あらゆる時、あらゆる場所、あらゆる事、あらゆる物が、理に契い機に契い、余すところなく周遍している。この一喝の中に、すべてが具わっているのだ。 しかし、これはまだ教化の門に過ぎず、機に随って方便を施したもので、小休止の場と言える。まだ宝所には至っていない。我が祖師の門下では、心を以て心に伝え、文字を立てず、性を見て仏となる。千聖も伝え得ない向上一路があることを、汝は知らない」
善がまた尋ねた。 「如何なるものが一路ですか?」 師は言った。 「汝はまず下で会得せよ」 善が言った。 「如何なるものが宝所ですか?」 師は言った。 「汝の境界ではない」 善が言った。 「禅師、慈悲をお願いします」 師は言った。 「たとえ滄海が変じようとも、終に汝には通じさせぬ」 善は口を閉ざして退いた。
西蜀の鑾法師が、佛照禅師に尋ねた。 「禅家の言葉は、根拠のないものが多いのはどうしてでしょうか」 佛照が言った。 「あなたはどの経論を学んだのか」 「諸経を大まかに知り、百法にはやや通じております」 佛照が言った。 「では、昨日は雨で今日は晴れている。これはどの法に収まるのか」 法師はぼんやりとした。 佛照が癢和子(ようわし)を挙げて打ちながら言った。 「禅家の言葉に根拠がないなどと言うなよ」 法師は憤って言った。 「昨日雨で今日晴れ。いったい何の法に収まるのですか」 佛照が言った。 「第二十四の時分不相応法に収まる」 法師はたちまち悟り、礼をして感謝した。 普燈録より
智遠僧統が道義国師に問うた。 「華厳経の四種法界のほかに、さらにどのような法界があるのでしょうか。 五十五人の善知識の行布法門のほかに、さらにどのような法門があるのでしょうか。 すなわち、この教えのほかに、別に祖師禅の道があるというのでしょうか。」
道義は答えた。 「僧統が挙げられた四種法界については、祖師の門下では、ただちに正しい理体を挙げ、一切の正理を氷解させる正理の拳の中に、法界の相はすでに得られません。 本来、行も智もない祖師の心禅の中には、文殊や普賢の相もすでに見ることはできません。 五十五人の知識の行布法門は、まさに水中の泡のようです。 四智菩提などの道も、また金の鉱石のようなものです。 したがって、諸々の教えの中に混ざることはできません。 それゆえ、唐の帰宗和尚は、一大蔵経について『何がわかったのか』と問われたとき、ただ拳を挙げたのです。」
智遠がまた問うた。 「それでは、教理・行・信解・修証は、どこで定まるのでしょうか。 どのような仏果が成就されるのでしょうか。」
義は答えた。 「無念無修の理性による信解修証です。 祖宗が示す法は、仏も衆生も得られず、ただ道性が直ちに現れるだけです。 それゆえ、五教のほかに、別に祖師の心印法が伝えられているのです。 仏の形像を現すのは、祖師の正理が理解しにくい機根に対して、方便として身を借りて現すからです。 たとえ長年、仏経を伝え読んでも、これをもって心印法を証しようとすれば、永遠に得ることは難しいでしょう。」
智遠は起立して礼をし、言った。 「これまで、ただ仏の荘厳な教訓をほんの少し聞いただけで、仏の心印法を窺うことができませんでした。 今こそ師に投じて礼拝いたします。」
(海東七代録)
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