盧舎那仏は、菩提樹の下で、初めて正覚を成じられました。 心から心へと伝え、文字を立てず、大勢の衆生をして、たちどころに証悟させられました。 ただ迦葉上座のみが、秘密にして計り知れぬ境地に入りました。 文殊、普賢など八万の菩薩衆は、迦葉の入った境地を知ることができませんでした。
梵王が霊山の法会に参じ、金色の波羅花を仏に捧げ、自らの身を敷物として座とし、仏に衆生のために説法を請いました。世尊は座に登り、花を手に取って大衆に示されました。天界と人間界の百千万の衆は皆、どうすればよいか分からず途方に暮れました。ただ迦葉だけが顔をほころばせてほほえみました。世尊は言われました。「我に正法眼蔵涅槃妙心あり。これを摩訶迦葉に付嘱する」
海上は風に由って転ず。種々の波瀾起こる。出世の縁を観ずるが故に、三千を分別して演ず。海底は極めて深きが故に、風影の到らざる所なり。如来の心の境界は、澹然として畔なきが如し。
嶺南の宗道者注して云く、波浪とは、現仏の教海に譬う。機に随い楽欲に応じて、五千の教典を詮ず。海底とは、例えば海底極めて深く、風影の動かす所にあらず。三劫の風もその底に到らず。我が仏の深き趣もまたかくの如し。深きこと最も深く、玄なることまた玄なり。意は不可思議、言は不可議なり 般若多羅海底宗影示玄記。
唐土第二祖の恵可大師が、達磨に問うた。 「正法を付すことは今は問わない。釈迦の祖は誰に伝え、どこで得たのか。慈悲をもって詳しく説き、後の世の規範としてほしい」 達磨は答えた。 「私は五天竺において、諸祖の伝説を記した篇がある。今、あなたのために説き示そう」 頌に曰く。 真の祖師は雪山にあり 叢木の房の中で釈迦を待つ 祖印を伝え持つは壬午の歳 心に得ると同時に祖の宗旨を 達磨密録
唐土の第六祖、恵能大士。ある僧が幽州より参じ来たりて白す、「仏は三乗の法を説き、また最上乗と云う。弟子、解せず。願わくは慈悲を賜え」。祖これに告げて曰く、「見聞し転読するは小乗なり。法を悟り義を解するは中乗なり。法に依って修行するは大乗なり。自らの本心を識り、自らの本性を見る。万法ことごとく通じ、万行ことごとく備わる。一切除かず、諸の見相を離れ、念念無住するは、これ最上乗なり」。 普灯録
般若多羅は言われた。 「我が仏は兜率天から摩耶夫人の胎内に入られ、三十三人の者に直接、深遠な記別を授けられた。 『我が心の法は、すべてそなたたちに託す。それぞれ時を待ち、一人が一人に伝え、密かに宗旨を護り、断絶させてはならない』と。 これを教外別伝という」 それゆえに頌に曰く。 摩耶の肚裏に堂あり、 法界の体は一如なり。 三十三の諸祖師、 同時に密かに授記す。 付法蔵伝。
教えには三つの種類があります。一つは顕教で、諸々の経・律・論です。二つは密教で、瑜伽(ヨガ)の灌頂、五部の護摩、三密曼荼羅の法です。三つは心教で、直ちに人の心を指し示し、本性を見て仏となる、禅の法です。
次の第一の法輪は、すなわち顕教であり、摩騰(まとう)を始祖とします。次の第二の教令輪は、すなわち密教であり、金剛智(こんごうち)を始祖とします。次の第三の心輪は、菩提達磨(ぼだいだるま)を始祖とします。
ですから、法輪を伝える者は、法の音声をもって法の音声を伝え、教令輪を伝える者は、秘密をもって秘密を伝え、心輪を伝える者は、心をもって心を伝えるのです。この三つの教え、三つの輪、三つの祖は、西から東へと伝わり、凡夫を教化して聖者とし、十五代にわたって流れ伝えられました。 僧史略
『智度論』にはこう説かれています。 「諸仏は法への執着を断ち、経典を立てず、言葉を飾り立てることもない」と。 ならば、大聖(釈尊)の真意は、必ずしも教えそのものにあるのではないでしょう。
また経典にはこうあります。 「経典の教えは、月を指し示す指のようなものだ。 もし月を見ることができれば、指し示されたものが月そのものではないとわかるだろう」と。 これはまさに、教えの形に執着してはならないという教えです。
さらに経典にはこう説かれています。 「鹿野苑で説法を始め、跋提河に至るまで、その間に一字も説くことはなかった」と。 これこそが、言葉を超えた別伝の教えであると言えるでしょう。
正宗記
その時、釈迦は禅化の主ではなかった。この宗の行化主たる仏は、毘盧舎那でもなく釈迦でもない。しかしながら毘盧舎那ともなり、釈迦ともなる。十身でもなく三身でもない。しかしながら十身ともなり、三身ともなる。ゆえに法中の王と称される。ただこれ一つの体にして三身は似ず、自ずから霊光ありて古今を照らす。何ぞ必ずしも座前に卍字を題せん。 『辨宗記』
さて、教外別伝とは、すなわち仏祖代々が共に伝えてきた法である。この法は文字によって推し量ったり議論したりできるものではないゆえ、「教外」という。位次や階級を経ることなく、仏の心の宗要を悟り、直ちに法印を受けるゆえ、「別伝」という。教というものは、言葉がある状態から、言葉のない状態に至るものである。心というものは、言葉のない状態から、言葉のない状態に至るものである。言葉のない状態から、言葉のない状態に至るので、人はそれを名づけることができない。そこで強いて「禅」と名づけるのである。世の人はその由来を知らず、あるいは学べば知ることができ、考えれば得ることができ、修習すれば成し遂げられると言い、それを禅那と呼ぶ。これは静慮と訳される。静慮とは、精神を澄ませて端座し、縁を絶ち心を束ね、観慧を助け成す一つの方法に過ぎない。なぜ世尊は入滅の時に臨んで、密かに迦葉に伝え、三十三世に至るまで連綿として絶えることがなかったのか。それゆえ達磨が伝えたものは、教えを借りて禅を習うものではなく、直ちに人心を指し示し、本性を見て仏となる道なのである。 祖門刊正録
唐土第五祖弘忍大師は、第六祖慧能大師をお呼びになり、こう告げられました。 「諸仏がこの世に現れるのは、ただ一つの大きな因縁によることです。 衆生の機根の大小に応じて導き、その結果、十地・三乗・頓教・漸教などの教えが生まれ、教えの門戸とされました。 しかし、無上微妙にして秘密円明なる真実の正法眼蔵は、上首の大迦葉尊者に付嘱され、 転々と伝えられて二十八世を経て、達磨大師に至りました。 この国に伝わり、慧可大師が受け継ぎ、私にまで伝わってきたのです。 今、この法の宝と伝えられてきた袈裟を、そなたに託します。 よく自ら護り、断絶することのないようにしなさい。」 (『伝灯録』より)
諸仏は弓を説き、祖師は弦を説く。弦を説くというのは、禅門が正しく伝える玄妙な道であり、言葉を借りずに、直接に宗本の心体を示すこと。それは弓の弦のようである。もし教門であれば、一乗は直路であり、三乗は曲路である。それよりも、直接に宗本の心体を挙げて、心念の中に示す方がよい。なぜか。一乗教の中で説かれるのは、事事無礙の法界円融である。この事事無礙の法界こそが、ようやく一味の法界に帰する。この一味の法界の跡を払ってこそ、初めて祖師が示す一心が現れる。ゆえに、諸々の教えは直截ではないと知るのである。 順徳禅師録
十仏の壇場は一つの海印。 三種の世間すべてここに在り。 尽きぬ性の海は一味に合し、 一味の相沈むは我が禅なり。
世の文字法師は、禅者が仏教を排斥するのを見て、実に経典に非ずと謂い、髪を逆立てるほどに驚く。ただ禅者が仏教を排斥することを怪しむだけで、禅者が仏の日を洗い清め光らせることを見ない。私はこの説を難じる。教えには明白な文がある。声聞乗に非ず、縁覚乗に非ず、菩薩乗に非ず、また仏乗にも非ずと。これは先祖から相承されてきた最上の禅である。問うて曰く、いかなる言葉をもってこの法門を形容すべきか。答えて曰く、僧が趙州祖師に西来の意旨を問うた時、「庭前の栢樹子」と云われた。この一句は、龍宮の海蔵にも未だ存在しなかったものである。 寂音尊者録
達磨が楊衒之に答えて言った。「仏の心の宗を明らかにし、寸分の誤りもなく、行いと理解が相応じる者を祖と名づける。なぜ声聞の跡を現じて、教外の心を伝えることができるのか」。答えて言った。「小乗の機根を導くために、一時的に声聞の相をなす。教外別伝の時には、声聞の智ではない」。 『禅林集』より
重峰祖師澄観禅師は、唐に渡り長慶稜和尚の法を嗣ぎました。帰国後、光宗大王より禅法の源について問われ、こう答えられました。 「この事は、釈迦以前から、禅と教えの門は大きく別れていました。しかし達磨大師が唐の地に来られ、直接恵可に伝えられました。ところが僧那禅師は、祖師の正しい法を得ることができず、愚かな迷いの心から、祖師の正法を破壊しようとしました。そこで方便を設け、『金剛経』と『楞伽経』が我が心の要であると言い、恵可に付し、併せて伝えたのです。このため、禅の真意が究められず、浮ついた議論が広がりました。禅と教えを学ぶ僧たちの中には、軽んじ背く心を生じる者も出てきました。」 海東七代録
禅門宝蔵録 巻上