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title: "菩薩戒疏隨見錄 · 盜"
description: "菩薩戒疏隨見錄由明末高僧蕅益智旭今釋大師造。該書撰於明末佛教復興期是對菩薩戒本的重要註疏。內容系統闡釋梵網經菩薩戒的戒相持犯及深層義理融匯天台與律學思想。其特色在於結合實修以隨見錄形式提挈綱要契理契機。在漢傳佛教中該疏被尊為菩薩戒研究的權威典籍之一對明清以降的戒律實踐與菩薩道弘傳影響深遠為居士菩薩戒的重要理論依據。"
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### 盜

不與而取曰盜。一切法無與者。安得取乎。今曰。直取無上菩提。無上菩提者。孰與之。天與之耶。地與之耶。父母師僧與之。佛與之耶。既無與之者。乃以為有取之者是盜也。千佛授手。特授手云。爾舉手而授之。盧舍那有手。千百億釋迦有手。無量眾生亦有手。彼手無所與。此手無所取。無所與。而以為有所與亦盜也。眾生不盜佛。佛不盜眾生。盧舍那不盜釋迦。釋迦不盜盧舍那。一切菩薩。不盜成佛度眾生。一切眾生。不盜行菩薩道成佛。

> 勝手に取ることを盗みと言います。しかし、あらゆるものは、与える主体そのものがありません。どこから取るというのでしょうか。 では、最高の悟りを直接取ると言いますが、その悟りは誰が与えるのでしょうか。天が与えるのですか。地が与えるのですか。父母や師僧が与えるのですか。それとも仏が与えるのですか。 そもそも与える主体がないのに、それを受け取ったと思い込むことこそ、盗みなのです。 千もの仏が手を差し伸べると言っても、それはただ手を差し伸べるという行為にすぎません。あなたも手を差し伸べて受け取ろうとします。毘盧遮那仏にも手があり、千百億の釈迦にも手があり、無数の衆生にも手があります。 しかし、あちらの手は何も与えてはいません。こちらの手は何も取ってはいません。与えるものが何もないのに、何かを与えたと思うのもまた盗みです。 衆生は仏から盗みません。仏は衆生から盗みません。毘盧遮那仏は釈迦から盗まず、釈迦は毘盧遮那仏から盗みません。 すべての菩薩は、仏になることや衆生を救うことを盗みません。すべての衆生は、菩薩の道を行じて仏になることを盗みません。

捨生死犯殺。取涅槃犯盜。捨貪瞋癡犯殺。取戒定慧犯盜。捨我人眾生壽者犯殺。取無我無人無眾生壽著犯盜。捨取捨犯殺。取無取無捨犯盜。

惡人竊大位攘大名。橫取不義物。菩薩方便奪之。向之擅為己有者。蕩然無存。始知其非己有。菩薩奪之。亦非己有。蓋以空合空耳。一切物無主。以眾生有我。故有主。當其我見熾然。有主之理。與勢不可以犯。皆如鬼神。如劫賊也。於一切法。有所取者。無多無少。一針一切草。一草一切針。一針一草。即一切財物。菩薩一切奪之。譬之四大無常。無一剎那不奪。而人僴然自謂。我自謂有主。至於眼光落地。我亦無主。況我所有。庶幾以空合空乎。而劫賊之習之深者。復墮於鬼神。故菩薩能盜盜。始能不盜。然惟不盜。始能盜盜。

沙彌盜聽布薩。聲聞不與授具足戒。此菩薩所不制。法無所有。彼乃盜空。有僧於洞山下。九十六轉語。一僧潛聽。惟最後一語不得。乃至給侍三年。終不為說。於病時。持刀劫之。菩薩若見。且為行賞。何以故。最後一語。彼僧之一針一草也。彼以有所得心。守之劫之。而後空。此以有所得心。劫之得之。而又空。乃為兩得相見耳。