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title: "菩薩戒疏隨見錄 · 說四眾過"
description: "菩薩戒疏隨見錄由明末高僧蕅益智旭今釋大師造。該書撰於明末佛教復興期是對菩薩戒本的重要註疏。內容系統闡釋梵網經菩薩戒的戒相持犯及深層義理融匯天台與律學思想。其特色在於結合實修以隨見錄形式提挈綱要契理契機。在漢傳佛教中該疏被尊為菩薩戒研究的權威典籍之一對明清以降的戒律實踐與菩薩道弘傳影響深遠為居士菩薩戒的重要理論依據。"
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### 說四眾過

> 四衆の過失を説くこと

過者過也。既已過矣。又何說焉。然則十重四十八輕。何以說歟。楞嚴云。不住名客。住名主人。過有客義。菩薩心地。有常住義。善來亦客。惡來亦客。客非常住。常住不為客受過。常住非客。客不為常住生過。然主人之待客。則有道矣。主人辨客。又辨常住。但令知過。但令悔過。而不說過。以其為客義。非常住義也。客有非法非律。亦有法律。常住無法律。亦無非法非律。彼惡人者。方以非法非律。疑主人。而不知法律之為客。菩薩說而悞之。使失大乘善信。則終已不識常住。成一闡提矣。闡提不識常住。而有常住。常住非過非無過也。闡提之過。且無可說。況菩薩四眾過耶。

> 過ちは過ちである。すでに過ぎ去ったものを、いまさらどう語ることができようか。それならば、十重戒や四十八軽戒は、なぜ説かれたのか。 『楞厳経』にこうある。「とどまらないものを客といい、とどまるものを主人という」。過ちには「客」の性質がある。菩薩の心地には「常住」の性質がある。善いものが来ようと、悪いものが来ようと、それはすべて「客」である。客は常住ではない。常住は客のために過ちを受けることはない。常住は客ではなく、客は常住のために過ちを生じることもない。 しかし、主人が客を迎えるには、そこに道がある。主人は客を見分け、また常住を見分ける。ただ過ちを知らしめ、ただ過ちを悔いさせるだけで、過ちそのものを論じ立てることはしない。なぜなら、それは客の性質であって、常住の性質ではないからだ。 客には、法に反するものもあれば、律に反するものもある。また、法に適うものもあれば、律に適うものもある。しかし常住には、法も律もない。また、法に反するものも律に反するものもない。 悪人たちは、まさに法や律に反することをもって主人を疑う。そして、法や律に適うこと自体が「客」であることを知らない。菩薩がそれを説いて誤らせ、大乗への善い信仰を失わせるならば、その人はついに常住を識らず、一闡提となってしまう。 一闡提は常住を識らないが、常住はそこにある。常住は過ちがあるのでもなく、過ちがないのでもない。一闘提の過ちでさえ、なお語るべきものがない。ましてや、菩薩や四衆の過ちを語ることなど、できるはずがないのである。