佛說立世阿毘曇論卷第一
仏説立世阿毘曇論 第一巻
陳西印度三藏真諦譯
陳西印度三蔵真諦訳
地動品第一
地動品第一
如佛婆伽婆,及阿羅漢說。
仏陀(ブッダ)と阿羅漢(アラハン)が説かれたように。
如是我聞:
このように私は聞きました。
一時佛世尊住舍衛大城,毘舍佉優婆夷鹿子母精舍蓮花重閣,與大比丘眾,一切阿羅漢,諸漏已盡、逮得己利、盡諸有結,心得自在,所作已辦,已捨重擔、正智解脫,唯除阿難。是時,大地震動。時富婁那彌多羅尼子在大眾中,即從坐起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬,頂禮佛足,而白佛言:「世尊!何因何緣,大地震動?」佛告富婁那比丘:「汝今一心諦聽,善思念之,我當為汝分別解說。有二因緣,令大地動。何者為二?比丘!是地界住水界上,是水界住風界上,是風界住於空中。比丘!有時大風吹動水界,水界動時即動地界。是一因緣,故大地動。比丘!復有大神通威德諸天,若欲震動大地,即能令動。若諸比丘有大神通及大威德,觀地相令小、水相令大,欲令地動亦能震動。是名第二因緣,故令地動。」爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
ある時、仏・世尊は舎衛大城の毘舎佉優婆夷の鹿子母精舎・蓮花重閣に住んでおられました。大比丘衆とともにあり、その方々は皆、阿羅漢であり、諸々の漏はすでに尽き、己の利益を得、諸々の有の結縛を尽くし、心は自在を得、なすべきことはすでになし終え、重い荷をすでに捨て、正しい智慧によって解脱していました。ただ阿難だけは別でした。その時、大地が震動しました。折しも富楼那弥多羅尼子が大衆の中にいて、座から立ち上がり、右の肩を偏らせ、右の膝を地につけ、合掌して恭敬し、仏の足を頂礼して、仏に申し上げました。「世尊よ、どのような因、どのような縁によって、大地は震動するのでしょうか。」仏は富楼那比丘にお告げになりました。「あなたは今、一心に諦かに聴き、よく思念しなさい。私があなたのために分別して解説しましょう。二つの因縁があって、大地を動かします。何が二つでしょうか。比丘よ、この地界は水界の上に住し、この水界は風界の上に住し、この風界は虚空の中に住しています。比丘よ、ある時、大風が水界を吹き動かし、水界が動く時、すなわち地界を動かします。これが一つの因縁であり、それによって大地は動きます。比丘よ、また大神通・大威徳ある諸天があり、もし大地を震動させようと欲すれば、すなわち動かすことができます。また諸々の比丘に大神通と大威徳があれば、地相を観じて小とし、水相を大とし、地を動かそうと欲すれば、また震動させることができます。これが第二の因縁であり、それによって大地は動きます。」その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して、偈を説かれました。
「水界為風動, 地動由水動,
是一因緣動, 是實名所說。
諸天及比丘, 大威神能動,
是二因緣動, 調伏惡人說。」
水の領域は風によって動かされ、 大地の動きは水によって生じる。 これは一つの因縁による動きであり、 これが真実として説かれる。
諸天と比丘たちは、 大いなる威神力によって動かすことができる。 これは二つの因縁による動きであり、 悪しき者を調伏するために説かれる。
爾時,世尊復告富樓那彌多羅尼子:「有風名鞞嵐婆,此風常吹,俱動不息。風力上昇,有風下吹、有風傍動,是風平等圓轉相持,厚九億六萬由旬,廣十二億三千四百五十由旬,周迴三十六億一萬三百五十由旬。此風上際即是水界。此水上下悉皆平等停止安住,無有散溢,厚四億八萬由旬,廣十二億三千四百五十由旬,周迴三十六億一萬三百五十由旬。此水上際即是地界,上下邊際悉皆平等安住不動,厚二億四萬由旬,廣十二億三千四百五十由旬,周迴三十六億一萬三百五十由旬。」如是佛世尊說:「比丘!有大地獄,名曰黑闇。各各世界外邊悉有,皆無覆蓋。此中眾生自舉其手,眼不能見。雖復日月具大威神,所有光明不照彼色。」佛說:「如是黑闇地獄,住在何處?兩兩世界鐵輪外邊,名曰界外,是寒地獄:一名頞浮陀、二名涅浮陀、三名阿波波、四名阿吒吒、五名嚘吼吼、六名欝波縷、七名拘物頭、八名蘇健陀固、九名分陀利固、十名波頭摩。」
その時、世尊はふたたび富楼那弥多羅尼子に告げられた。
「風に毘嵐婆というものがある。この風は常に吹き、絶えず動き続けている。風の力は上へ昇り、また下へ吹き、横へも動く。この風は平等に円を描きながら支え合い、厚さは九億六万由旬、広さは十二億三千四百五十由旬、周囲は三十六億一万三百五十由旬である。
この風の上の果ては水の世界である。この水は上下に満ちて平等に止まり安らかに留まり、散り溢れることはない。厚さは四億八万由旬、広さは十二億三千四百五十由旬、周囲は三十六億一万三百五十由旬である。
この水の上の果ては地の世界である。上下の果てはすべて平等に安らかに留まり動かない。厚さは二億四万由旬、広さは十二億三千四百五十由旬、周囲は三十六億一万三百五十由旬である。」
このように仏世尊は説かれた。
「比丘たちよ、黒闇という大地獄がある。それぞれの世界の外側にすべて存在し、覆われてはいない。ここにいる衆生は自ら手を挙げても、目で見ることはできない。たとえ日月が大いなる威神を備え、すべての光明があっても、その姿を照らすことはない。」
仏は説かれた。
「このような黒闇地獄はどこにあるのか。二つの世界の鉄輪の外側、界外と呼ばれるところに、寒地獄がある。
一つは頞浮陀、二つは涅浮陀、三つは阿波波、四つは阿吒吒、五つは嚘吼吼、六つは欝波縷、七つは拘物頭、八つは蘇健陀固、九つは分陀利固、十は波頭摩である。」
佛告富婁那等比丘:「如摩伽陀國量十婆訶摩——一婆訶二十佉利——如是量麻,聚在一處。設有一人,滿一百年來除一麻,比丘!如是麻聚猶尚易盡,而我未說頞浮陀地獄壽命窮盡。比丘!十倍頞浮陀地獄,是涅浮陀壽量;十倍涅浮陀地獄,是阿波波壽量;乃至波頭摩地獄亦復如是。比丘!是瞿伽離比丘,於舍利弗、目揵連所生不信惡心,由是心故,墮波頭摩地獄。」爾時世尊而說偈言:
仏は富婁那ら比丘たちに告げられた:「マガダ国の量で十婆訶摩——一婆訶は二十佉利に当たる——その量の麻を一か所に積み上げたとせよ。仮に一人の者が百年かけて一粒ずつ麻を取り除いたとしても、比丘よ、その麻の山はまだ尽きやすい方である。しかし私はまだ頞浮陀地獄の寿命が尽きるとは言っていない。比丘よ、頞浮陀地獄の十倍が涅浮陀の寿命の長さであり、涅浮陀地獄の十倍が阿波波の寿命の長さである。こうして波頭摩地獄に至るまで同じである。比丘よ、この瞿伽離比丘は、舎利弗と目揵連に対して不信の悪心を生じた。その心のゆえに、波頭摩地獄に堕ちたのである。」
その時、世尊は偈を説かれた:
「夫人處世間, 斧在口中生,
斯由作惡言, 以是自斬身。
應呵而讚嘆、 應讚而呵罵,
口過故得衰, 衰故不受樂。
若己舍失財, 盡物及自身,
其人罪尚輕; 若於修伽陀,
生惡不信心, 是罪重於彼。
百千涅浮陀, 頞浮陀三億,
六萬及五千, 若誹謗聖人,
作惡語惡心, 如量墮地獄。
瞿伽離比丘, 墮波頭摩獄,
誹謗大聲聞, 舍利及目連。」
人が世に生きる時、口の中に斧が生じる。 それは悪い言葉を使うからであり、それによって自らを傷つけるのだ。 叱るべき時に褒め、褒めるべき時に罵る。 口の過ちゆえに衰え、衰えゆえに楽しみを受けられない。 もし自分の財産を失い、すべての物と自身を失っても、 その人の罪はまだ軽い。しかし、修行を積んだ覚者に対して、 悪意と不信心を抱くならば、その罪はそれよりも重い。 百千の涅槃、三億の阿浮陀、 六万と五千、もし聖人を誹謗し、 悪い言葉と悪い心で非難すれば、その量に応じて地獄に堕ちる。 瞿伽離比丘は、波頭摩地獄に堕ちた。 大いなる声聞、舎利弗と目連を誹謗したからである。
「彼中眾生傍行,作向上想,猶如守宮。鐵輪外邊恒作傍行。是其身量如頞多大,因冷風觸,其身坼破,譬如熟瓜。如竹𥯤林被大火燒,爆聲吒吒。如是眾生被寒風觸,骨破爆聲吒吒遠徹。因是聲故,互得相知有諸眾生此中受生。或時去來更相逢觸,因此觸故,互得相知有諸眾生此中受生。是時,諸佛世尊出現於世,是時大光過於諸天大威神力,遍照彼中,因此光明互得相見,作是思惟:『有諸眾生此中受生。』若有眾生於此間死,多往生此。寒氷地獄在鐵輪外,若餘世界有眾生死,往生寒氷地獄,多彼世界鐵輪外生。兩界中間,其最狹處八萬由旬,在下無底、向上無覆,其最廣處十六萬由旬。」
その中にいる衆生は、横に這うようにして、上へ向かおうとします。まるで守宮(やもり)のようです。鉄の輪の外縁を常に横に這い回っています。彼らの体の大きさは、アッタ(極小の単位)ほどしかありません。冷たい風に触れると、体が裂けてしまいます。まるで熟した瓜のようです。また、竹林が大火に焼かれるとき、パチパチと音を立てるように、この衆生たちも寒風に触れると、骨が砕けてパチパチと音を立て、その音は遠くまで響き渡ります。この音によって、互いに、ここに生を受ける衆生がいることを知るのです。
ある時は行き来し、互いに触れ合うこともあります。その触れ合いによって、互いに、ここに生を受ける衆生がいることを知るのです。その時、諸仏世尊が世に現れ、その大いなる光は諸天を超える威神力をもって、その場所を遍く照らします。この光明によって互いに姿を見て、こう思うのです。「ここに生を受ける衆生がいるのだ」と。
もしこの世で死んだ衆生がいるならば、多くはここに生まれ変わります。寒氷地獄は鉄の輪の外にあり、もし他の世界で死んだ衆生が寒氷地獄に生まれ変わるときは、多くはその世界の鉄の輪の外に生まれます。二つの世界の間は、最も狭いところで八万由旬、下は底なく、上は覆いもありません。最も広いところは十六万由旬です。
爾時淨命阿難在大眾中,即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬,頂禮佛足,而白佛言:「世尊!我從世尊聞是法句,我從世尊口受持此正義。過去有佛名曰尸棄,時有弟子大神通第一,名曰阿毘吼。是比丘坐在第四禪梵處,以一指光照一千世界,一音說法,一千世界俱解正義。世尊!諸佛弟子威神尚爾,諸佛如來其量云何?」阿難問已,時佛答言:「阿難!此阿毘吼比丘是弟子位,諸佛世尊如此之處不可思量。」
その時、清らかな命を持つ阿難は大衆の中にあり、すぐに座より立ち上がり、右肩を袒ぎ、右膝を地につけ、合掌して恭敬し、仏の足を頂礼し、そして仏に申し上げた:「世尊よ!私は世尊よりこの法句を聞き、世尊の口からこの正しい義を受持いたしました。過去に尸棄という名の仏がおられました。その時、大いなる神通力第一の弟子がおり、阿毘吼という名でした。この比丘は第四禅の梵処に坐し、一指の光をもって一千の世界を照らし、一音の説法をもって一千の世界がともに正しい義を理解しました。世尊よ、諸仏の弟子の威神さえこのようなものであるならば、諸仏如来のその量はどのようなものでしょうか?」阿難が問うた後、その時仏は答えられた:「阿難よ、この阿毘吼比丘は弟子の位である。諸仏世尊のこのようなところは、思い量ることができない。」
第二,淨命阿難復白佛言:「世尊!我從佛口聞是法句,我從世尊受持如是正義。過去有佛名曰尸棄,時有弟子神通第一,名曰阿毘吼。是比丘坐在四禪梵處,以一指光照一千世界,一音說法,一千世界俱解正義。世尊!諸佛弟子威神尚爾,諸佛如來其量云何?」阿難問已,時佛答言:「阿難!此阿毘吼比丘是弟子位,諸佛世尊如此之處不可思量。」乃至第三,亦如是答。第四問已,佛告阿難:「若一日月所圍繞處,名一世界。從一至千,此中有千日月、千須彌山王、千四大天王、千忉利天、千夜摩天、千兜率陀天、千化樂天、千他化自在天,千梵輔天、千梵眾天。此處大梵王為一千世界主,王領自在,不係屬他,知成他事。初禪上上品,故得自在。大梵天王住於是處,得稱第一。阿難!是梵領處,有四千大洲、四千大樹、四千大龍宮、四千金翅鳥王住處,七千大河、九千大山、八千大林、八千大地獄、一千閻羅王地獄、二千大海、十六千地獄園,是名小千世界。又更千倍,是名中千世界。又更千倍,是名大千世界。阿難!若如來作意欲照欲說,是大千世界光照遍滿;所說法句,一切俱解。若復欲過大千世界,隨如來意,是中眾生莫不見聞放光說法。阿難!若如來欲放光說法,坐阿迦尼吒天梵處,若大千、若過大千光照遍滿,以八分梵聲說法句義,遍得領解。阿難!是如來光明及說法音聲,無有眾生不見不聞,是時無有眾生不具根者。阿難!如來在阿迦尼吒天上,說此音聲,宣此名句:
第二に、清らかな命を持つ阿難が再び仏に申し上げました。「世尊よ、私は仏の口からこの法句を聞き、世尊からこのような正しい教えを受け取りました。過去に尸棄という名の仏がおられ、その時、神通第一の弟子で阿毘吼という名の比丘がいました。この比丘は四禅の梵天の境地に坐し、一指の光で千の世界を照らし、一つの音声で説法し、千の世界がともに正しい教えを理解しました。世尊よ、諸仏の弟子の威神力でさえこのようであるならば、諸仏如来の御力はどのようなものでしょうか?」阿難が問うた後、仏は答えられました。「阿難よ、この阿毘吼比丘は弟子の位にあり、諸仏世尊のこのような境地は計り知れない。」第三の問いに対しても、同じように答えられました。第四の問いの後、仏は阿難に告げられました。「一つの日月が囲む範囲を一世界という。一から千まで、ここには千の日月、千の須弥山王、千の四大天王、千の忉利天、千の夜摩天、千の兜率陀天、千の化楽天、千の他化自在天、千の梵輔天、千の梵衆天がある。ここで大梵王は千世界の主となり、自在に統領し、他に属さず、他の事を成し遂げることを知る。初禅の上上品であるため、自在を得る。大梵天王はこの境地に住み、第一と称される。阿難よ、この梵天の統領する範囲には、四千の大洲、四千の大樹、四千の大龍宮、四千金翅鳥王の住処、七千の大河、九千の大山、八千の大林、八千の大地獄、一千の閻羅王地獄、二千の大海、十六千の地獄園があり、これを小千世界という。さらに千倍したものを中千世界という。さらに千倍したものを大千世界という。阿難よ、もし如来が意を向けて照らし、説こうとすれば、この大千世界に光が満ち渡り、説かれる法句はすべて理解される。もしさらに大千世界を超えようとすれば、如来の意のままに、その中の衆生は光を放ち説法することを見聞きしない者はない。阿難よ、もし如来が光を放ち説法しようとし、阿迦尼吒天の梵天の境地に坐すならば、大千世界であれ、それを超える世界であれ、光が満ち渡り、八分の梵声で法句の意味を説き、遍く理解を得る。阿難よ、この如来の光明と説法の音声は、見聞きしない衆生はなく、その時には根を具えていない衆生はない。阿難よ、如来は阿迦尼吒天上でこの音声を説き、この名句を宣べるのである。」
「『汝等受佛教, 起恭敬正勤,
觀修於中住, 出離三有難,
除滅死王軍, 如象破葦舍。
若佛法律中, 住於不放逸,
是人捨生死, 乃至盡苦際。』」
「あなたがたは仏の教えを受け、 敬虔な心で精進を起こしなさい。 その中に住し、観想と修行に励み、 三界の苦しみから脱しなさい。 死の王の軍勢を滅ぼしなさい、 それは象が葦の小屋を破るように。 もし仏の教えと戒律の中に、 放逸に陥らずに住するならば、 その人は生死を捨て去り、 ついに苦しみの果てに至るであろう。」
爾時阿難即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬,頂禮佛足,而白佛言:「世尊!我今希有利養,我今善得希有之利,我得大師具足神通廣大威德。」是時淨命名曰優陀夷,在大眾中,去佛不遠。時優陀夷比丘語阿難言:「若汝大師具諸威德大神通,汝何所得?」是時世尊告優陀夷比丘:「汝莫作意違阿難心。若我前不記阿難今生得阿羅漢果,因此信心所生業報,當三十六過,作他化自在天王,乃至三十六過作忉利天主,何況轉輪聖王、剎利王種受灌頂職,乃至四天下王?優陀夷!阿難比丘,吾於往昔已為授記。我說欲界之中眾生最多,依水生多、於地生少。其地生者,畜生道多、人道復少。人道之中,破戒者多、持戒者少。持戒之中,凡夫者多、聖弟子少。聖弟子中,有學者多、無學者少。無學之中,時解脫多、非時解脫少。如是非時解脫阿羅漢,世間難得,我記阿難應得是處。有諸外道作如是說:『是大地界恒去不息。』是言應答:『此事不然。若實爾者,如人擲前,物應落後。』又諸外道作如是說:『是大地界恒墜向下。』是言應答:『此事不然。若實爾者,如向上擲,應不至地。』又諸外道作如是說:『日月星辰恒住不移,大地自轉疑是天迴。』是言應答:『此事不然。若如是者,射不至堋。』又諸外道作如是說:『大地恒浮隨風來去。』應如是答:『此事不然。若實爾者,地恒併動。』若不爾者,地作何相?地住不動。」如是義者,諸佛世尊已說。如是我聞。
その時、阿難はすぐに座から立ち上がり、右肩をあらわにし、右ひざを地につけ、合掌して恭しく仏の足を礼拝し、仏に申し上げた。「世尊よ、私は今、稀有な利養を得ました。私は今、稀有な利益を善く得ました。私は大師が神通を具足し、広大な威徳をお持ちであることを得ました。」
その時、浄命と呼ばれる優陀夷が、大衆の中におり、仏から遠くないところにいた。優陀夷比丘は阿難に言った。「もしあなたの大師が諸々の威徳と大神通を具えているなら、あなたは何を得たというのか。」
その時、世尊は優陀夷比丘に告げられた。「汝、阿難の心に逆らう思いを起こすな。もし私が以前に、阿難が今生において阿羅漢果を得ることを記さなかったならば、この信心によって生じた業報によって、三十六度、他化自在天王となり、さらに三十六度、忉利天主となるであろう。ましてや転輪聖王、剎利王種として灌頂の職を受け、四天下の王となることなど、なおさらである。優陀夷よ、阿難比丘については、私はすでに昔に授記したのである。
私は説く。欲界の中では衆生が最も多く、水に依って生ずるものが多く、地に生ずるものは少ない。その地に生ずるものの中では、畜生道が多く、人道はまた少ない。人道の中では、破戒する者が多く、持戒する者は少ない。持戒する者の中では、凡夫が多く、聖弟子は少ない。聖弟子の中では、有学が多く、無学は少ない。無学の中では、時解脱が多く、非時解脱は少ない。このように、非時解脱の阿羅漢は、世間に得がたいものであり、私は阿難がこの境地を得るべきであると記したのである。
諸々の外道はこのように説く。『この大地は常に去りて止まない』と。この言葉に対しては、こう答えるべきである。『このことはそうではない。もし本当にそうならば、人が前に物を投げれば、物は後ろに落ちるはずである』と。
また諸々の外道はこのように説く。『この大地は常に下へ墜ちている』と。この言葉に対しては、こう答えるべきである。『このことはそうではない。もし本当にそうならば、上へ物を投げれば、地に至らないはずである』と。
また諸々の外道はこのように説く。『日月星辰は常に住して動かず、大地が自ら回転するので、天が回っていると疑うのだ』と。この言葉に対しては、こう答えるべきである。『このことはそうではない。もしそうならば、矢は的まで届かないはずである』と。
また諸々の外道はこのように説く。『大地は常に浮かんでいて、風に従って来たり去ったりする』と。このように答えるべきである。『このことはそうではない。もし本当にそうならば、地は常に揺れ動いているはずである』と。
もしそうでないならば、地はどのような相をなしているのか。地は動かずに住しているのである。」
このような意味のことは、諸仏世尊がすでに説かれた。このように私は聞いた。