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十住経 (十住經)


十住經卷第三

十住経巻第三

後秦三藏鳩摩羅什譯

後秦の三蔵法師鳩摩羅什訳

現前地第六

現前地 第六

諸菩薩聞說, 上地之行相,
在於虛空中, 雨眾妙珍寶、
放清淨光明, 供養於世尊,
咸讚言:「善哉, 善哉!金剛藏!」
時有無量億, 諸天皆歡喜,
於上虛空中, 雨眾寶末香,
光明相綺錯, 微妙甚可樂,
眾香華瓔珞、 幡蓋雨佛上。
他化自在王, 與諸眷屬等,
雨眾妙寶物, 雰雰如雲下,
歌頌供養佛, 稱歎金剛藏,
咸讚言:「善哉, 善哉,快說此。」
千萬億天女, 於上虛空中,
作眾天音樂, 歌歎佛功德,
咸作如是言: 「如來之所說,
微妙無有量, 能滅諸煩惱。
諸法本性空, 無有毫末相,
空無有分別, 同若如虛空。
無有去住相, 亦無有戲論,
本來常清淨, 如如無分別。
若人能通達, 一切諸法性,
於有於無中, 其心不動搖。
但以大悲心, 為度諸眾生,
是名諸佛子, 從佛口法生。
常行於布施, 利益諸眾生;
本來雖善淨, 持戒而堅心;
雖知法無傷, 而行於忍辱;
雖知法性離, 而行於精進;
雖先滅煩惱, 而入於諸禪;
雖先解法空, 而選擇諸法。
寂滅智雖多, 而求利世間,
能滅諸惡者, 名之為大人。」
如是諸天女, 百千種妙音,
稱讚歌頌已, 皆默然觀佛。
解脫月菩薩, 請金剛藏言:
「當以何相貌, 得成第六地?」

諸菩薩がこの話を聞いて、 上位の境地のありさまを、 虚空のうちにあって、 無数の妙なる宝を降らせ、 清らかな光明を放ち、 世尊に供養した。 そして皆、讚えて言った。 「善きかな、善きかな!金剛蔵よ!」 そのとき、無量億の 天人たちも皆喜び、 上の虚空のうちで、 無数の宝の粉末の香を降らせた。 光明が織りなす模様は、 微妙でこの上なく愛らしく、 様々な香り、花、瓔珞、 幡や蓋が仏の上に降り注いだ。 他化自在の王は、 その眷属たちとともに、 無数の妙なる宝を降らせ、 雲のようにしきりに舞い降りた。 歌をうたい仏を供養し、 金剛蔵を稱え讚え、 皆、口をそろえて言った。 「善きかな、善きかな。よくぞこの法を説かれた。」 千万億の天女たちは、 上の虚空のうちで、 天の音楽を奏で、 仏の功德を歌い讚えた。 皆、こう言った。 「如来の説かれた法は、 微妙で限りがなく、 すべての煩悩を滅ぼすことができる。 すべての法は本來空であり、 毛端ほどの形さえもない。 空には區別がなく、 虛空のように等しい。 去來の相もなく、 戯論もない。 本來、常に清淨で、 真實のままに區別がない。 もし人が一切の法の本性を 通達することができれば、 有るとも無いともない中で、 その心は動揺しない。 ただ大悲の心をもって、 眾生を救済するために、 これを佛の子という。 佛の口から法が生まれたのである。 常に布施を行じて、 眾生を利益し、 本來は善く清淨であっても、 戒律を保ち心を堅固にし、 法に傷はないと知りながら、 忍辱を行じ、 法の本性が離れていると知りながら、 精進を行じ、 すでに煩悩を滅ぼしていながら、 諸々の禪定に入り、 すでに法の空を解していながら、 諸々の法を選び取る。 寂滅の智慧は多くあっても、 世の利益を求め、 すべての悪を滅ぼすことのできる者を、 『大人』と名づける。」 このように天女たちは、 百千種の妙なる音聲で、 稱え讚え歌い終えると、 皆、靜かに仏を観じた。 解脱月菩薩が、 金剛蔵に問うた。 「どのような様相をもって、 第六の境地を成就するのですか?」

金剛藏菩薩言:「諸佛子!菩薩摩訶薩已能具足五地行、欲入六地,當以十平等法得入於六地。何等為十?一、以無性故,一切法平等;二、以無想故,一切法平等;三、以無生故,一切法平等;四、以無滅故,一切法平等;五、以本來清淨故,一切法平等;六、以無戲論故,一切法平等;七、以不取不捨故,一切法平等;八、以離故,一切法平等;九、以幻夢影響、水中月、鏡像焰化故,一切法平等;十、以有無不二故,一切法平等。諸佛子!諸菩薩摩訶薩具足五地行,以是十平等法能入第六地。

金刚蔵菩薩が言われました。「諸仏子よ、菩薩摩訶薩がすでに第五地の修行を完全に身につけ、第六地に入ろうとするならば、十の平等な法によって第六地に入ることができるでしょう。その十とは何でしょうか。第一に、本性がないゆえに、すべての法は平等です。第二に、捉えるべきイメージがないゆえに、すべての法は平等です。第三に、生じることがないゆえに、すべての法は平等です。第四に、滅することがないゆえに、すべての法は平等です。第五に、本来清らかであるゆえに、すべての法は平等です。第六に、無駄な分別がないゆえに、すべての法は平等です。第七に、執着も捨てることもないゆえに、すべての法は平等です。第八に、すべての煩悩から離れているゆえに、すべての法は平等です。第九に、幻や夢や影や響き、水に映る月、鏡に映る姿、蜃気楼や変化のようなものであるゆえに、すべての法は平等です。第十に、あるともないとも言えない一体の真理であるゆえに、すべての法は平等です。諸仏子よ、菩薩摩訶薩は第五地の修行を完全に身につけ、この十の平等な法によって第六地に入ることができるのです。」

「諸佛子!若菩薩摩訶薩能如是觀一切法性、能忍隨順,得第六地;無生法忍,雖未現前,心已明利,成就順忍。

「諸仏の子らよ!もし菩薩摩訶薩が、このようにすべての法の本性を観じ、忍びて随順することができれば、第六地を得るであろう。無生法忍は、まだ現前してはいないが、心はすでに明らかに鋭く、順忍を成就しているのである。」

「是菩薩觀一切法如是相,大悲為首,增長具足,更以勝觀觀世間生滅相。故作是念:『世間所有受身生處皆以貪著我故,若離著我則無世間生處。諸凡夫人愚癡所盲,貪著於我,常樂求有,恒隨邪念行邪妄道,習起三行——罪行、福行、不動行——以是行故,起熱心種子。有漏、有取心故,起生死身,所謂業為地、識為種子、無明覆蔽、愛水為潤,我心溉灌,種種諸見令得增長,生名色牙;因名色故,生諸根;諸根合故,有觸生;從觸生受;樂受故,生渴愛;渴愛增長故,有四取;四取因緣故,起業於有;起五陰身名為生、五陰衰變名為老、衰變滅名為死,老死因緣有憂、悲、熱惱眾苦聚集。是十二因緣無有集者,自然而集;無有散者,自然而散。因緣合則有,因緣散則無。』

この菩薩は、すべての法がこのような相であると観じ、大悲を先頭として、その功徳を増長させ、円満に具足させる。さらに優れた観智をもって、世間の生滅の相を観じる。そこでこのように念ずる。「世間のすべての受身や生まれる処は、すべて我に対する貪著によって起こる。もし我に対する執着を離れるならば、世間の生まれる処はない。凡夫の人々は愚痴のために盲いて、我に貪著し、常に存在を求めることを楽しみ、常に邪念に従い、邪な虚妄の道を行く。三つの行を起こす——罪行、福行、不動行——この行によって、熱心の種子を起こす。有漏・有取の心によって、生死の身を起こす。すなわち、業を地とし、識を種子とし、無明が覆い蔽い、愛水が潤し、我心が灌漑し、種々の諸見がそれを増長させ、名色の芽を生ずる。名色によって諸根が生じ、諸根が合することによって觸が生じ、觸から受が生じ、楽受によって渇愛が生じ、渇愛が増長することによって四取があり、四取の因縁によって有における業が起こり、五陰の身を起こすことを生と名づけ、五陰が衰変することを老と名づけ、衰変して滅することを死と名づけ、老死の因縁には憂・悲・熱悩の衆苦が集まる。この十二因縁には集める者がないのに自然に集まり、散らす者がないのに自然に散じる。因縁が合えば有り、因縁が散じれば無し。」

「菩薩摩訶薩如是於六地中隨順觀十二因緣,又作是念:『不如實知諸諦第一義故,有無明覆心;無明業果是名諸行,依諸行有初識;與識共生有四取陰,依止取陰有名色;名色成就有六入,諸根行塵故有識,從是和合生有漏觸;觸共生有受;貪樂於受名為愛;愛增長名為取;從取起有漏業;有業、有果報五陰名為生;五陰熟名為老熟;五陰壞名為死。死別離時,愚人貪著心熱名為憂悲、發聲啼哭。五識名為苦、意識名憂、憂苦轉多名為惱,如是,但生大苦樹、大苦聚。如是,十二因緣苦聚,無我、無我所,無作者、無使作者。』

菩薩摩訶薩は、このように第六地において十二因縁を順に観察し、さらにこう思惟する。「諸々の諦(真理)の第一義を如実に知らないがゆえに、無明が心を覆う。無明の業の果報を、諸行と名づける。諸行に依って最初の識(認識)が生じる。識と共に生じる四つの取陰(執着の五蘊)があり、取陰に依止して名色(名前と形)がある。名色が成就して六入(六つの感官)があり、諸々の根が境に触れるゆえに識があり、この和合から有漏の触(煩悩ある接触)が生じる。触と共に受(感受)が生じる。受に貪り楽しむことを愛と名づける。愛が増長することを取と名づける。取から有漏の業が起こる。業があり、果報としての五陰(五蘊)を生と名づける。五陰が熟することを老と名づけ、五陰が壊れることを死と名づける。死に別れる時、愚か者は貪着して心が熱することを憂悲と名づけ、声を発して啼哭する。五つの識(感覚)によるものを苦と名づけ、意識によるものを憂と名づけ、憂と苦がさらに増すことを悩と名づける。このように、ただ大きな苦の木、大きな苦の集まりを生じるのみである。このように、十二因縁の苦の集まりには、我もなく、我が所有もなく、作者もなく、使作者もないのである。」

「菩薩作是念:『若有作者,則有作事;若無作者,則無作事。第一義中,無作者、無作事。』又作是念:『三界虛妄,但是心作。』

菩薩はこのように考えます。「もし作者(行う者)があるならば、そこには作事(行われること)もある。しかし作者がなければ、作事もない。最高の真理の中には、作者も作事も存在しない。」さらにこのようにも考えます。「三界(欲界・色界・無色界)はすべて虚妄であり、ただ心によって作り出されているにすぎない。」

「如來說所有十二因緣分是皆依心。所以者何?隨事生貪欲心,是心即是識。事是行,行誑心故,名無明;識所依處名名色;以入生貪心名六入;三事和合有觸;觸共生名受;貪著所受名為渴愛;渴愛不捨名為取;是和合故,名為有;此有更有有相續,名為生;生變熟,名為老;老壞,名為死。

如来が説くところの、いわゆる十二因縁のすべては、みな心に依っている。なぜか。事に従って貪りの心が生じる、この心がすなわち識である。事は行であり、行は心を欺くがゆえに、無明と名づける。識が依るところを、名色と名づける。入ることに貪りの心を生じるゆえに、六入と名づける。三つの事が和合して触がある。触と共に生じるものを、受と名づける。受けたところに貪り執着することを、渇愛と名づける。渇愛を手放さないことを、取と名づける。これらが和合するがゆえに、有と名づける。この有はさらに有が相続することあり、これを生と名づける。生が変化して熟することを、老と名づける。老いて壊れることを、死と名づける。

「此中無明有二種作:一者、緣中癡,二者、為生諸行因。行亦有二種作:一者、生未來世果報,二者、與識作因。識亦有二種作:一者、能令有相續,二者、與名色作因。名色亦有二種作:一者、互相助成,二者、與六入作因。六入亦有二種作:一者、能緣六塵,二者、能與觸作因。觸亦有二種作:一者、能觸所緣,二者、能與受作因。受亦有二種作:一者、覺憎愛事,二者、與愛作因。愛亦有二種作:一者、所可染中生貪心,二者、與取作因。取亦有二種作:一者、能增長煩惱,二者、與有作因。有亦有二種作:一者、能於餘道中生,二者、與生作因。生亦有二種作:一者、能起五陰,二者、與老作因。老亦有二種作:一者、令諸根熟,二者、與死作因。死亦有二種作:一者、壞五陰身,二者、以不見知故,而令相續不絕。

ここで、無明(むみょう)には二つの働きがあります。一つは、対象に対して正しく理解しないこと、もう一つは、様々な行(ぎょう)を生み出す原因となることです。

行にも二つの働きがあります。一つは、未来の世における結果を生み出すこと、もう一つは、識(しき)の原因となることです。

識にも二つの働きがあります。一つは、存在の連続を維持させること、もう一つは、名色(みょうしき)の原因となることです。

名色にも二つの働きがあります。一つは、互いに支え合って成り立つこと、もう一つは、六入(ろくにゅう)の原因となることです。

六入にも二つの働きがあります。一つは、六つの対象(六境)を認識できること、もう一つは、触(そく)の原因となることです。

触にも二つの働きがあります。一つは、認識の対象に触れること、もう一つは、受(じゅ)の原因となることです。

受にも二つの働きがあります。一つは、嫌いなことや好きなことを感じ取ること、もう一つは、愛(あい)の原因となることです。

愛にも二つの働きがあります。一つは、執着すべきものに対して貪りの心を起こすこと、もう一つは、取(しゅ)の原因となることです。

取にも二つの働きがあります。一つは、悩みや煩悩をさらに大きくすること、もう一つは、有(う)の原因となることです。

有にも二つの働きがあります。一つは、他の生存の領域に生まれる原因となること、もう一つは、生(しょう)の原因となることです。

生にも二つの働きがあります。一つは、五つの要素(五陰)を生じさせること、もう一つは、老(ろう)の原因となることです。

老にも二つの働きがあります。一つは、感覚器官を衰えさせること、もう一つは、死(し)の原因となることです。

死にも二つの働きがあります。一つは、五陰からなる身体を壊すこと、もう一つは、正しく見て知ることがないために、存在の連続が絶えないようにすることです。

「是中,無明緣諸行者,無明令行不斷,助成行故;行緣識者令識不斷,助成識故;識緣名色者,令名色不斷,助成名色故;乃至生緣老、死、憂、悲、苦惱,生不斷相續助成故。無明滅故則諸行滅,乃至老、死,憂、悲、苦惱亦如是。是中無明若無,諸行亦無,因滅則果滅,餘分亦如是。

ここでいう「無明(むみょう)」が「行(ぎょう)」を縁(えん)として生じさせるとは、無明が行を絶え間なく生み出し続け、行の成立を支えているからです。行が識(しき)を縁とするのは、行が識を絶え間なく生み出し続け、識の成立を支えているからです。識が名色(みょうしき)を縁とするのは、識が名色を絶え間なく生み出し続け、名色の成立を支えているからです。さらに、生が老・死・憂・悲・苦・悩を縁とするのも、生がこれらを絶え間なく生み出し続け、その連鎖を支えているからです。

無明が滅すれば行も滅し、老・死・憂・悲・苦・悩に至るまでも、同じように滅します。つまり、無明がなければ行もなく、原因が滅すれば結果も滅するのです。残りの諸支もすべて同じように考えられます。

「是中無明、愛、取是三分,不斷煩惱道;諸行及有不斷業道;餘因緣分不斷苦道。先際後際相續不斷故,是三道不斷;是三道離我、我所而有生滅,如二竹相對而住,不堅似堅。

ここでいう無明と愛と取の三つの支分は、煩わしさの道を断ち切らないものである。諸々の行(ぎょう)と有(う)とは、業(ごう)の道を断ち切らない。その他の縁(えん)の支分は、苦しみの道を断ち切らない。過去の際と未来の際とが相続して絶えないので、この三つの道は断たれることがない。この三つの道は、我(が)と我がものとを離れて、生じたり滅したりするものである。例えば、二本の竹が互いに向かい合って立っているようなもので、堅固ではないのに堅固であるかのように見える。

「無明因緣諸行者,即是過去世事;識、名色、六入、觸受是現在事;愛、取、有、生、老、死是未來世事,於是有三世出。無明滅故諸行滅,名為斷相續說。

無明を因縁とする諸々の行(ぎょう)は、すなわち過去世の出来事である。識(しき)、名色(みょうしき)、六入(ろくにゅう)、触(そく)、受(じゅ)は現在世の出来事である。愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老(ろう)、死(し)は未来世の出来事であり、ここに三世(さんぜ)が生じるのである。無明が滅するゆえに諸々の行が滅する、これを「相続を断ち切る」と説くのである。

「十二因緣說名三苦:無明、行、識、名色、六入名為行苦;觸受名為苦苦;愛、取、有、生、死,憂、悲、苦惱名為壞苦。無明滅故,諸行滅,乃至老、死,名為斷三苦相續說。

十二因縁の教えは、三つの苦しみとして説かれています。無明・行・識・名色・六入(六つの感覚器官)は「行苦」と呼ばれ、触・受は「苦苦」、愛・取・有・生・死、そして憂い・悲しみ・苦しみ・悩みは「壊苦」とされています。無明が滅びることで、諸々の行が滅び、老いや死に至るまでの連鎖も消えていきます。これを「三つの苦しみの連続を断ち切る」と説くのです。

「因無明,諸行生;餘亦如是。無明滅,諸行滅,以諸行體性空故;餘亦如是。
「無明因緣諸行,以生縛說;餘亦如是。無明滅故,諸行滅,以滅縛說;餘亦如是。
「無明因緣諸行,是隨順無所有觀說;無明滅,諸行滅,是隨順盡觀說;餘亦如是。
「如是,逆順十種觀十二因緣法,所謂因緣分次第、身心所攝、自助成法、不相捨離、隨三道行、分別先後際故、三苦差別故、從因緣起、生滅縛故、無所有盡觀故。
「爾時,菩薩隨十二因緣觀無我、無眾生、無壽命者,無人性空、離作者、使作者,無主屬眾、因緣無所有。
「如是觀時,空解脫門現在前;滅此事,餘不相續故,名無相解脫門現在前;知此二種更不樂生,唯除大悲心教化眾生,無願解脫門現在前。
「菩薩修行是三解脫門,離彼我相、離作者受者相、離有無相,悲心轉增。以重悲心故,勤行精進,未滿助菩提法欲令滿足。菩薩作是念:『有為和合故增,離散則滅;眾緣具故增,不具故滅。我今知有為法多過故,不應具和合因緣,亦不畢竟滅有為法,為教化眾生故。』
「諸佛子!菩薩如是知有為法多過無性,離堅固相,無生、無滅,與大慈悲和合,不捨眾生,即時得無障礙般若波羅蜜,光明現在前。得如是智慧具足修集,取阿耨多羅三藐三菩提因緣而不與有為法共住,觀有為法性寂滅相亦不住其中,欲具足無上菩提分故。菩薩住現前地中,得快空三昧、性空三昧、第一義空三昧、第一空三昧、大空三昧、合空三昧、生空三昧、如實不分別空三昧、攝空三昧、離不離空三昧。如是等萬空三昧門現在前;無相、無願三昧亦如是。
「是菩薩住現前地中,志心、決定心、妙心、深心、不轉心、不捨心、廣心、無邊心、樂智心、慧方便和合心,如是等心轉勝增長故,隨順阿耨多羅三藐三菩提,一切外道論師不能傾動;入於智地,轉聲聞、辟支佛,決定向佛智,一切眾魔及諸煩惱所不能制。安住菩薩智慧明中,善修應空、無相、無願解脫門,專以慧方便行助菩提法。
「是菩薩住現前地,於般若波羅蜜中得轉勝行、得第三上順忍。以順是法無有違逆故,菩薩住是現前地中得見數百、數千佛、乃至數百千萬億佛,供養、恭敬、尊重、讚歎,衣服、飲食、臥具、醫藥,親近諸佛,於諸佛所聽法;聽法已,如實隨智慧光明故如所說行,令諸佛歡喜。是人轉勝知諸佛法藏,乃至無量百千萬億劫諸善根轉妙明淨。
「諸佛子!譬如真金,以琉璃磨瑩,光色轉勝。菩薩住此現前地,以慧方便故,善根轉勝,明淨寂滅,餘地所不及。諸佛子!譬如月明能令眾生身得清淨,四種風吹不能遏絕。菩薩摩訶薩住是現前地,善根轉勝,能滅無量眾生煩惱之火,四種惡魔所不能壞。
「諸佛子!是名諸菩薩摩訶薩現前地。
「菩薩住是地中,多作善化自在天王,智慧猛利,能破一切增上慢者,聲聞問難不能窮盡。有所施作,布施、愛語、利益、同事,皆不離念佛、念法、念諸菩薩伴,乃至不離念一切種智。常發願言:『我於一切眾生為首、為尊,乃至於一切眾生為依止者。』是菩薩若欲勤行精進,於須臾間得十萬億三昧,乃至能示十萬億菩薩眷屬——若以願力,能過是數,不可稱計若干百千萬億劫。」
爾時,金剛藏菩薩欲令此義明了故,而說偈言:
「諸菩薩已得, 具足行五地,
知諸法無相, 無相無生滅,
本來常清淨, 無有諸戲論,
修集如是智, 得入第六地。
諸法常離相, 不取亦不捨;
性空猶如幻, 離二無分別。
若能順如是, 微妙之理趣,
心無有違逆, 得入第六地。
住於利順忍, 智慧得力故,
觀察於一切, 世間生滅相。
悉知諸世間, 皆從癡闇出,
癡闇若滅者, 則無諸世間。
觀擇因緣法, 隨順第一義,
而不壞緣報, 所作及假名。
如實無作者, 亦無有受者,
如是觀有為, 如雲無實事。
不知真諦義, 名之為無明,
從是則生思, 身口行得報。
從行故有識, 即生於名色,
如是生世間, 至生、死、苦聚。
了知於三界, 但從心而有;
知十二因緣, 在於一心中。
如是則生、死, 但從心而出,
心若得滅者, 生、死則亦滅。
無明二種作, 作癡、作於業,
乃至於老、死, 破散壞五陰。
從於此事邊, 具出於苦惱,
是事若盡者, 苦惱則亦盡。
無明若具足, 相續則不斷;
因緣若不具, 則斷於相續。
無明及愛、取, 即是煩惱道、
行、有是業道, 餘則是苦道。
癡至於六入, 是名為行苦,
觸受是苦苦, 餘分是壞苦,
滅三苦相續, 則更無有我。
無明及諸行, 則是過去世;
識與及於受, 是則為現在;
從愛而生苦, 則是未來世;
無明若滅者, 是則無有苦。
癡從眾緣生, 則生於諸縛;
眾緣若滅者, 則滅於諸縛。
從因而生果, 因滅則果滅,
如是觀諸法, 自性則皆空。
隨順於無明, 則有世間出;
若逆於無明, 是則斷於有。
從是則有是, 是無則無是,
如是十種觀, 甚深因緣法。
觀因緣相續, 去來及現在,
不離一心中, 分別有三道。
從三種苦觀, 及以生滅法,
無所有而盡, 能行逆順觀。
菩薩如是入, 十二因緣法,
知空猶如幻, 如夢亦如影,
如焰亦如化, 虛誑無作者,
亦無有受者, 但誑於愚人。
如是觀因緣, 智者所修空,
無緣則無相, 知此二虛假。
其諸一切有, 於中無所願,
但以大悲心, 愍度眾生故。
如是諸大士, 修習解脫門,
悲心愛樂佛, 無量諸功德。
知諸有為法, 皆從和合有,
即得萬空定, 無相願亦爾。
智慧轉增進, 入於上順忍,
得於諸菩薩, 無為智解脫。
如是諸善根, 轉勝明淨利,
供養無量佛, 諸佛所稱讚。
常於諸佛所, 出家學佛道,
到諸佛法藏, 善根轉增長;
猶以琉璃寶, 瑩磨於真金,
光明轉清淨, 其喻亦如是。
如於虛空中, 滿月光清淨,
四種風所吹, 不能令遏絕;
菩薩智慧光, 滅諸煩惱熱,
四魔不能制, 其喻亦如是。
菩薩住是地, 多作善化王,
諸根悉猛利, 能破增上慢。
所作諸善業, 皆隨順智慧,
聲聞諸問難, 不能得窮盡。
是佛子若欲, 如是勤精進,
能得於百千, 億數諸三昧,
得見於百千, 億數十方佛,
如春清了時, 日光明則淨。
如是第六地, 深妙難知見,
聲聞所不了, 大士略說竟。」

5 難勝地
7 遠行地

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