○善現起請分第二
第二品 善現の請願
從空起慧,請答雙彰,故受之。以善現起請分。
空から慧が生じ、その問いに答えることで、両方が明らかになる。故にこれを受け入れる。善現(スブーティ)が問いを起こした章である。
時,長老須菩提!
そのとき、尊い須菩提(しゅぼだい)がおられました。
何名長老?德尊年高,故名長老。須菩提,是梵語,唐言解空也。
徳の高い長老とは何か?徳が尊く、年が高いことから、長老と呼ばれる。須菩提は、これは梵語であり、唐の言葉では「空を解する者」という意味である。
在大眾中即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:
大衆の中から、その場で座を立ち、右肩をあらわにし、右膝を地につけ、手を合わせて敬意を表し、仏にこう申し上げた。
隨眾生所坐,故云即從座起。弟子請益,先行五種儀:一者從座而起,二者端整衣服,三者偏袒右肩右膝著地,四者合掌瞻仰尊顏目不暫捨,五者一心恭敬以伸問辭。
衆生の座っている場所に従うがゆえに、「すなわち座を離れて立ち上がる」と言うのです。弟子が教えを請う際には、まず五つの作法を行います。第一に、座から立ち上がること。第二に、衣服を整えること。第三に、右肩を露わにし、右膝を地につけること。第四に、手を合わせて尊いお姿を仰ぎ見て、その目を一瞬も離さないこと。第五に、心を一つにして敬いの心を持ち、問いの言葉を述べることです。
希有,世尊!
稀有でございます、世尊よ。
希有略說三義:第一、希有能捨金輪王位;第二、希有身長丈六,紫磨金容,三十二相,八十種好,三界無比;第三、希有性能含吐八萬四千法,三身圓備。以具上三義,故云希有也。世尊者,智慧超過三界,無有能及者,德高更無有上,一切咸恭敬,故曰世尊。
稀有の三義を略説します。第一に、金輪王の位を捨てることができる稀有さ。第二に、身の丈が一丈六尺あり、紫磨金色の容姿で、三十二相、八十種好を具え、三界に比類なき稀有さ。第三に、その性質が八万四千の法を包含し吐き出し、三身が円満に備わる稀有さ。この三義を具えているがゆえに「希有」と言います。「世尊」とは、智慧が三界を超え、及ぶ者なく、徳が高くしてさらに上なく、一切が皆、恭敬するゆえに、「世尊」と呼びます。
如來善護念諸菩薩,善付屬諸菩薩。
如来は、菩薩たちを深く見守り、慈しみの心で導かれています。また、菩薩たちに教えをしっかりと伝え、正しい道を歩むよう、心を込めて託されています。
護念者,如來以般若波羅蜜法護念諸菩薩;付屬者,如來以般若波羅蜜法付屬須菩提諸大菩薩。言善護念者,令諸學人以般若智護念自身心,不令妄起憎愛染外六塵墮生死苦海,於自心中念念常正不令邪起自性,如來自善護念。言善付屬者,前念清淨付屬後念,後念清淨無有間斷究竟解脫,如來委曲誨示眾生及在會之眾當常行此,故云善付屬也。菩薩者,梵語,唐言道心眾生,亦云覺有情。道心者,常行恭敬,乃至蠢動含靈普敬愛之無輕慢心,故名菩薩。
「護念」とは、如來が智慧の完成(般若波羅蜜)の教えによって、すべての菩薩たちを守り見守ることを意味します。「付屬」とは、同じくその教えを須菩提をはじめとする大菩薩たちに託されたことを指します。
「よく護念する」と言うのは、修行者たちが智慧によって自分の心と体を守り、誤って好き嫌いの心を起こして外の世界に執着し、苦しみの海に沈むことがないようにすることを促すものです。自分の心の中で、どの瞬間も正しくあり続け、誤った考えが生じないように保つこと——これこそが、如來が自ら実践される善い護念なのです。
「よく付屬する」とは、直前の清らかな心を次の瞬間の心に引き継ぎ、その清らかさが途切れることなく続いて、最終的に完全な解脱に至ることを言います。如來はこのことを、さまざまな形で丁寧に教え示されました。會に集まったすべての方々も、この教えを常に実践すべきであると説かれたので、「よく付屬する」と呼ばれるのです。
菩薩とは梵語であり、この國の言葉では「悟りを求める心を持つ者」あるいは「目覚めた情け深い者」という意味です。悟りを求める心を持つ者は、常に敬いの心をもって接し、たとえ小さな生き物に至るまでもすべてを大切にし、輕んじる心を持ちません。だからこそ、菩薩と呼ばれるのです。
時長老(至)諸菩薩。 如來不措一言,須菩提便興讚嘆:具眼勝流,試著眼看。 頌曰:
時に長老須菩提は、諸の菩薩たちに向かって、如来は一言も言葉を残さなかった。須菩提はただちに讃嘆を起こした。「智慧の眼を持つ優れた方々よ、その眼でよく見なさい。」偈に言う。
隔墻見角,便知是牛; 隔山見煙,便知是火。
獨坐巍巍,天上天下。 南北東西,鑽龜打瓦。
咄!
牆越しに角が見えれば、すぐにそれが牛だと分かる。 山越しに煙が見えれば、すぐにそれが火だと分かる。
ただ独り坐し、威風堂々として、天の上にも天下にも及ぶ。 南北東西、亀の甲羅を焼き、瓦を打って占うようなものだ。
喝!
新注 長老須菩提,乃此經發起之人,稱長老者,以其德長年老也。梵語須菩提,華言空生,亦名善現。從座起至恭敬,乃請法之敬義。希有者,讚佛之辭也。善護念者,為護念現在根熟菩薩,與智慧力,令其成熟,自行與教化力,令其攝受眾生也。善付屬者,為付屬未來根未熟菩薩,已得大乘者,令其不捨,未得大乘者,令其勝進也。護念付屬,即希有事也。佛德之大,無過眾生,然雖注意於般若度生,必待請問,故善現觀相知意,即首稱歎希有,而後請問也。
新たに註を加える。長者の須菩提は、この経典を発起した人である。長者と称するのは、その徳が優れ年も長けているからである。梵語の須菩提は、漢語では「空生」といい、「善現」ともいう。座を離れて恭敬するに至るまでが、法を請う敬いの意味である。「希有」とは、仏を讃嘆する言葉である。「善護念」とは、現在において根が熟した菩薩を護り念じ、智慧の力を与えてその成熟を助け、自ら教化する力とともに、衆生を摂受する力を与えることをいう。「善付屬」とは、未来において根がまだ熟していない菩薩に付屬し、すでに大乗を得た者にはそれを捨てさせず、未だ大乗を得ていない者にはさらに向上させることをいう。護念し付屬することこそが、まさに希有の事柄である。仏の徳の大きさは、衆生を超えることはないが、般若によって衆生を済度することに意を用いながらも、必ず請問を待たれる。それゆえ善現はその相を見て意を知り、まず希有を称嘆し、その後に請問するのである。
世尊!善男子、善女人!
世尊よ。善き男子、善き女人たちよ。
善男子者,平坦心也,亦是正定心也,能成就一切功德,所往無礙也。善女人者,是正慧心也,由正慧心能出生一切有為、無為功德也。
善男子とは、平坦な心のことであり、また正定の心のことであり、すべての功徳を成就し、行くところに妨げがないことをいいます。善女人とは、正しい慧の心のことであり、この正しい慧の心によって、すべての有為・無為の功徳を生み出すことができるのです。
發阿耨多羅三藐三菩提心,云何應住?云何降伏其心?
菩提心を起こしたならば、どのように心を保てばよいのでしょうか。どのようにして心の悩みを抑えればよいのでしょうか。
須菩提問:一切發菩提心人,應云何住?云何降伏其心?須菩提見一切眾生,躁擾不停,猶如隙塵;搖動之心,起如飄風;念念相續,無有間歇。問:欲修行,如何降伏?
須菩提が尋ねた。すべて菩提心を起こした人は、どのように心をとどめるべきでしょうか。どのように心をしずめるべきでしょうか。須菩提は、すべての生きとし生けるものたちの心が、落ち着かず騒ぎ続け、まるで隙間から差し込む光の中の塵のように揺れ動くのを見た。その揺れ動く心は、風に舞うかのように起こり、思いは途切れることなく次々と続いていく。そこで彼は尋ねたのである。修行を望む者は、どのようにしてこの心をしずめればよいのでしょうか。
世尊(至)其心。 這一問從甚處來? 頌曰:
世尊がその心に至る。この問いはどこから来たのか?偈に曰く:
你喜我不喜, 君悲我不悲。
鴈思飛寒北, 燕憶舊巢歸。
秋月春華無限意, 箇中只許自家知。
あなたが喜んでも私は喜ばない、 あなたが悲しんでも私は悲しまない。 雁は寒さを逃れて北へ飛ぼうと想い、 燕は昔の巣を懐かしんで帰ってくる。 秋の月や春の花には限りない趣があるが、 その心はただ自分だけが知っているものだ。
新注: 此發問之端也。阿耨多羅三藐三菩提者,華言無上正等正覺也。問意以如來護念,付屬現在未來菩薩,令成佛果,是菩薩雖發道心,誓度眾生,求成佛道,未知其心云何安住大乘,云何降伏妄心,使至佛果不退失耶也。
新たな注釈:これは問いの発端である。阿耨多羅三藐三菩提とは、中国語で「無上正等正覚」と訳される。問いの趣旨は、如来が菩薩たちを護り心に留め、現在と未来の菩薩に付嘱して仏の果報を成就させることにある。菩薩はすでに道心を発し、衆生を済度する誓いを立て、仏道の成就を求めてはいるが、その心をいかにして大乗に安住させ、いかにして妄心を降伏して仏果に至るまで退失しないようにするのか、ということをまだ知らないのである。
佛言:善哉,善哉!須菩提!如汝所說,如來善護念諸菩薩、善付囑諸菩薩。
佛はこう言われた。「よいかな、よいかな。須菩提よ。お前が言う通り、如来は菩薩たちをよく守り、よく導き、よく教えを託しているのだ。」
是佛讚嘆須菩提善得我心,善得我意也。
仏は須菩提をほめたたえて、「よく我が心を得、よく我が意を得たり」と言われたのである。
汝今諦聽,當為汝說。
さあ、よく聞きなさい。これからあなたに教えましょう。
佛欲說法,常先戒勅,令諸聽者一心靜默,吾當為說。
仏が説法しようとされる際には、常にまず戒めを垂れ、聴く者たちに一心に静かに坐らせてから、説き始められる。
善男子、善女人發阿耨多羅三藐三菩提心,應如是住,如是降伏其心。
善き男子、善き女人よ、無上なる完全な悟りを求める心を起こしたなら、そのように心を安らかにとどめ、そのように心を調えなさい。
阿之言無,耨多羅之言上,三之言正,藐之言徧,菩提之言知。無者,無諸垢染。上者,三界無能比。正者,正見也。徧者,一切智也。智者,知一切有情皆有佛性,但能修行,盡得成佛。三者,即是無上清淨般若波羅蜜也。是以一切善男子、善女人,若欲修行,應知無上菩提道,應知無上清淨般若波羅蜜多法,以此降伏其心也。
阿とは「無」という意味で、耨多羅とは「上」という意味、三とは「正」という意味、藐とは「徧」という意味、菩提とは「知」という意味です。無とは、諸々の垢や染まりがないことです。上とは、三界の中で比べるものがないことです。正とは、正見のことです。徧とは、一切智のことです。知とは、すべての有情がみな仏性を備えていて、ただ修行することができれば、誰もが成仏できることを知ることです。三とは、すなわち無上清浄の般若波羅蜜多です。ですから、すべての善男子・善女人よ、もし修行しようと願うなら、無上の菩提の道を知り、無上清浄の般若波羅蜜多の法を知って、これによってその心を降伏させるべきです。
唯然,世尊!願樂欲聞。
はい、世尊(仏様)。どうかお聞かせください。喜んでお耳に入れます。
唯然者,應諾之辭。願樂者,願佛廣說,令中下根機盡得開悟。樂者,樂聞深法。欲聞者,渴仰慈誨也。
はい、承知いたしました。どうか仏様、広くお説きください。中程度や下位の能力を持つ者たちも、皆が悟りを得られますように。深い教えを喜んで聞きたいと思います。慈しみ深いお言葉を、心から渇望しながらお聞きいたします。
佛言(至)欲聞 住住事因丁囑生。 頌曰:
仏は言われた。「よく聞きなさい。心を落ち着けて、そのままの状態で、お前たちの因縁を明らかにしてあげよう。」そこで、次のように説かれた。
七手八脚,神頭鬼面。 棒打不開,刀割不斷。
閻浮踔躑幾千迴, 頭頭不離空王殿。
七手八脚に動き回り、神頭鬼面のさま。 棒で打っても開かず、刀で切っても絶えない。
閻浮の世界で幾千回もためらい踴る、 その一つ一つが空王殿を離れることはない。
新注: 善現既讚嘆請問,妙稱佛心,故印可云:善哉!善哉!當為汝說也。而又誡絇云:應如是住,如是降伏其心。善現即會佛意,故唯然應之,願聞是法。然一經之大要,不過善現所問安住大乘,降伏妄心,如來所答修行之法,亦不出乎理事二行,破執斷疑而已。具見下文。
新たに注釈する: 善現(須菩提)がすでに仏を賛嘆し、質問を終えたとき、その言葉は仏の心にかなっていた。それゆえ、仏はこれを認めて「善きかな、善きかな。あなたのために説きましょう」とおっしゃったのである。さらに戒めを重ねて「このように安住し、このように心を調伏しなさい」とお告げになった。善現はただちに仏の意図を会得したので、「はい、そのとおりです。どうかこの教えを聞かせてください」と応じたのである。
しかしながら、この経典全体の要点は、善現が問うた「大乗に安住すること」と「妄想の心を調伏すること」、そして如来が答えた修行の方法が、理(ことわり)と事(こと)の二つの修行を超えるものではなく、執着を打ち破り疑惑を断ち切ることに尽きる、ということにほかならない。その詳細は以下の本文に明らかである。