順中論義入大般若波羅蜜經初品法門翻譯之記
順中論義入大般若波羅蜜経初品法門翻訳の記
諸國語言,中天音正。彼言那伽夷離淳那,此云龍勝,名味皆足,上世德人。言龍樹者,片合一廂,未是全當。龍勝菩薩,通法之師,依《大般若》而造《中論》眾典,於義包而不悉。大乘論師名阿僧佉,解未解處,別為此部。魏尚書令儀同高公,𨒌國上賓瞿曇流支在第供養,正通佛法,對釋曇林出斯義論。武定元年歲次癸亥八月十日丙寅揮辭,凡有一萬三千七百二十七字。
諸国の言葉の中では、中天竺の言葉が正しいとされています。あちらで「那伽夷離淳那」と言うのを、こちらでは「龍勝」と訳します。名も意味も十分に備わった、古の徳の高い方です。「龍樹」という呼び方は、片方だけを合わせたもので、完全に正しいとは言えません。
龍勝菩薩は、広く法を伝えた師であり、『大般若経』に基づいて『中論』をはじめとする多くの経典を著されましたが、その教えは広大で、すべてを明らかにし尽くしてはいませんでした。大乗の論師である阿僧佉は、まだ解き明かされていなかった部分を解釈し、この部(『順中論』)を別に著しました。
魏の尚書令・儀同の高公が、国賓として招いた瞿曇流支を供養し、正しく仏法を通じさせ、釈曇林と共にこの義論を編み出されました。武定元年、癸亥の歳の八月十日丙寅の日に筆を執り、総計一万三千七百二十七字から成っています。