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title: "根本說一切有部毘奈耶 · 1 故妄語學處"
description: "根本说一切有部毗奈耶是唐代高僧义净翻译的佛教律典，属于说一切有部的根本律藏。义净于7世纪赴印度求法，归国后系统译介有部律典，此部毗奈耶是其重要成果。内容涵盖比丘、比丘尼戒律条文及制戒因缘，详细规定僧团衣食住行等日常规范，是有部律学的核心文献。该典籍反映了印度佛教僧团的组织形态与戒律思想，对研究部派佛教及中国律宗发展具有重要价值，在汉传佛教律藏体系中占有权威地位。"
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### 故妄語學處第一

> 第一 不妄語戒

爾時佛在王舍城羯蘭鐸迦池竹林園中。爾時具壽羅怙羅於此城側溫泉林住。時有眾多敬信婆羅門居士等來詣其所，問言：「大德！世尊今者住在何處？」若佛世尊在竹林中，時羅怙羅即便報云：「在鷲峯山。」若在鷲峯山，報云：「在竹林中。」若在畢鉢羅窟，報云：「在西尼迦窟。」若在西尼迦窟，報云：「在畢鉢羅窟。」時彼諸人欲求禮佛不能得見，身體疲倦極生勞苦，詣羅怙羅處。時羅怙羅問諸人曰：「仁等得見世尊不？」答言：「不見。」諸人報云：「聖者！何因故惱我等？」答言：「實爾，我故相惱。」時彼諸人各生嫌賤。時諸苾芻以緣白佛。爾時世尊聞是語已，於日初分執持衣鉢，入王舍城次第乞食，還至本處飯食訖，於食後時即便往詣溫泉林所羅怙羅住處。時羅怙羅遙見佛來，為佛敷座即安置瓶水并洗足器，淨洗足手已往迎世尊，收取上衣白言：「善來世尊！願於此坐。」佛便就座，坐已即取瓶水自洗雙足，於洗足器傾去多水餘留少許，告羅怙羅曰：「汝見器中留少水不？」白佛言：「大德！我已見之。」佛言：「羅怙羅！若苾芻故心妄語，無有慚恥亦無追悔，我觀如是愚癡之人，說為乏少沙門之法。」世尊復以器中少水總瀉于地，告羅怙羅曰：「汝見少水盡棄于地不？」白佛言：「大德！我已見之。」佛言：「羅怙羅！若苾芻故心妄語，無有慚恥亦無追悔，我觀如是愚癡之人，說為棄盡沙門之法。」世尊復以其器傾側至地，告羅怙羅曰：「汝見此器傾側不？」白佛言：「大德！我已見之。」佛言：「羅怙羅！若苾芻故心妄語，無有慚恥亦無追悔，我觀如是愚癡之人，說為傾側沙門之法。」世尊復以其器覆之于地，告羅怙羅曰：「汝見此器覆在地不？」白佛言：「大德！我已見之。」佛言：「羅怙羅！若苾芻故心妄語，無有慚恥亦無追悔，我觀如是愚癡之人，說為傾覆沙門之法。復次羅怙羅！如醉象王有大力勢，牙如車軸、肥壯勇猛、善能鬪戰，往戰場中共他戰時，四足兩牙尾及脊脇悉皆作用，唯有其鼻卷而不出。羅怙羅！此象為護命故不用其鼻以摧，彼軍象師即念：『此之象王護惜身命。』羅怙羅！若彼象王共鬪之時出鼻戰者，是時象師即知此象不悋軀命，自軍他軍遇便殘害無惡不作。如是羅怙羅！若復苾芻故心妄語，無有慚恥亦無追悔，我說是人無惡不造。」爾時世尊說伽他曰：

> ある時、仏は王舎城のカランダカ池の竹林園に滞在されていた。同じ頃、尊者ラーフラはこの城の近くの温泉林に住んでいた。そこへ信心深い多くのバラモンや在家信者たちが訪ねて来て、「尊者よ、世尊は現在どちらにおられますか？」と尋ねた。もし仏が竹林中におられる時は、ラーフラは「霊鷲山にいらっしゃいます」と答え、霊鷲山にいらっしゃる時は「竹林中にいらっしゃいます」と答えた。また、畢鉢羅窟におられる時は「西尼迦窟にいらっしゃいます」と答え、西尼迦窟におられる時は「畢鉢羅窟にいらっしゃいます」と答えた。それで人々は仏を拝もうとしても叶わず、身体は疲れ果て大変苦労してラーフラの所に来た。するとラーフラは彼らに「あなた方は世尊にお会いできましたか？」と尋ねた。「お会いできませんでした」と彼らが答えると、「どうして私を悩ませるのですか？」と訴えた。ラーフラは「その通りです、わざと悩ませたのです」と答えた。人々は皆、嫌悪の念を抱いた。 そこで比丘たちがこのことを仏に告げた。世尊はこれを聞かれ、晨朝時に衣鉢を取って王舎城に托鉢に入り、本所に帰って食事を終えられた。食後、温泉林のラーフラの住処へ向かわれた。ラーフラは遠くから仏が来られるのを見て、座を設け、水瓶と洗足器を用意し、手や足を清め終えてから世尊を迎え、上衣を受け取り「善きかな世尊よ、どうぞこちらにお座りください」と言った。仏はお座りになり、水瓶を取って自ら両足を洗われた。洗足器から水を多く捨てて少しだけ残し、ラーフラに「器の中に少し水が残っているのが見えるか？」と尋ねられた。「大徳、見えました」とラーフラが答えると、仏は言われた。「ラーフラよ、もし比丘が故意に嘘をつき、恥じる心もなく悔いる心もないなら、私はそのような愚か者の沙門としての徳が乏しいものと見なす。」 さらに世尊は器の中のわずかな水をすべて地面に捨て、ラーフラに「残っていた水がすべて地面に捨てられたのが見えるか？」と尋ねられた。「大徳、見えました」とラーフラが答えると、仏は言われた。「ラーフラよ、もし比丘が故意に嘘をつき、恥じる心もなく悔いる心もないなら、私はそのような愚か者の沙門としての徳が尽く棄てられたものと見なす。」さらに世尊はその器を傾けて地面に置き、「この器が傾いているのが見えるか？」と尋ねられた。「大徳、見えました」とラーフラが答えると、仏は言われた。「ラーフラよ、もし比丘が故意に嘘をつき、恥じる心もなく悔いる心もないなら、私はそのような愚か者の沙門としての徳が傾いたものと見なす。」さらに世尊はその器を地面に伏せて、「この器が伏せられているのが見えるか？」と尋ねられた。「大徳、見えました」とラーフラが答えると、仏は言われた。「ラーフラよ、もし比丘が故意に嘘をつき、恥じる心もなく悔いる心もないなら、私はそのような愚か者の沙門としての徳が覆い尽くされたものと見なす。さらに、ラーフラよ、例えば、力強い象の王は大きな力を持ち、牙は車軸のようで、肥えていて勇猛で、戦いに巧みである。戦場で他と戦う時は、四本の脚、二本の牙、尾、背中、脇腹のすべてを使って戦うが、ただその鼻だけは巻き込んで出さない。ラーフラよ、この象は命を守るために鼻を使わず敵軍を倒さないのだ。象使いは『この象の王は自分の身命を惜しんでいる』と考える。ラーフラよ、もしその象の王が戦う時に鼻を出して戦えば、象使いはこの象が命を惜しまないことを知り、味方の軍も敵の軍も打ちのめし、悪いことのないことを行う。そのように、ラーフラよ、もし比丘が故意に嘘をつき、恥じる心もなく悔いる心もないなら、私はそのような人には悪行を行わないことはないと言う。」そこで世尊は次の偈を唱えられた。

「若人違實法， 故作虛誑語，乃至命終來， 無惡而不造。寧吞熱鐵丸， 猶如猛火焰，不以破戒口， 噉他信心食。」

> もし人が真実の法に背き、 故意に虚偽の言葉を語るならば、 命終わる時まで、 悪を造らないことはないだろう。 いっそ、激しい炎のような熱い鉄の丸を飲み込む方がましだ。 戒めを破った口で、 他の人の信心による施しの食物を食べるよりは。

爾時世尊復告羅怙羅曰：「於汝意云何？何意世人手執明鏡？」羅怙羅白佛言：「世尊！彼執鏡者為觀己面善惡之相。」佛告羅怙羅：「如是！如是！汝之所有身業造作，應當數數善自觀察。我今欲起如是身業，此之身業為害自身并害他身，是不善事、是苦惡業，能於未來感苦異熟耶？為不害自身并不害他，是勝善事是安樂業，能於未來感樂異熟耶？羅怙羅！若汝作此觀察之時，即能了知此之身業我今欲作能損自他，是不善事、是苦惡業，能於未來感苦異熟，此之身業應當檢攝即不應作。羅怙羅！若汝作此觀察之時，即能了知此之身業我今欲作能益自他，是勝善事是安隱業，能於未來感樂異熟，此之身業應當發起修其善事。」

> そこで、世尊はラーフラに再び告げられた。 「お前はどう思うか。人はなぜ鏡を手に持つのか。」 ラーフラは仏に答えた。 「世尊よ、鏡を持つ者は、自分の顔の美しさや醜さを見るためでございます。」 仏はラーフラに言われた。 「その通り、その通りである。お前が行う全ての身体的行為について、よくよく自ら観察しなさい。 『私は今、このような身体的行為を起こそうとしている。この行為は、自分自身を傷つけ、また他人をも傷つけるものであろうか。それは善からぬこと、苦しみをもたらす悪い行いであり、未来に苦しい結果をもたらすだろうか。あるいは、自分も他人も傷つけず、優れた善いこと、安らぎをもたらす行いであり、未来に楽しい結果をもたらすだろうか。』 ラーフラよ、もしお前がこのように観察した時、『この身体的行為を今、行おうとしているが、それは自分と他人を損なうものであり、善からぬこと、苦しみをもたらす悪い行いであり、未来に苦しい結果をもたらすだろう』と知ったならば、その身体的行為は慎んで、行うべきではない。 ラーフラよ、もしお前がこのように観察した時、『この身体的行為を今、行おうとしているが、それは自分と他人を益するものであり、優れた善いこと、安らぎをもたらす行いであり、未来に楽しい結果をもたらすだろう』と知ったならば、その身体的行為は積極的に行い、善いことに努めなさい。」

復次佛告羅怙羅：「汝之所有身業造作，應當數數善自觀察。我今正作如是身業，此之身業能害自他當受苦報，即不應作。若益自他當受樂報，便應修學。」復次佛告羅怙羅：「汝之所有身業造作，應當數數善自觀察，我曾已作如是身業，此之身業能害自他當受苦報，所有罪業應對佛前至誠懇惻說所作罪，或於清淨同梵行者前，說其愆咎發露說悔，將來禁戒更不重犯。若作善業能益自他，當受樂報應發歡喜心，於日夜中慶其所作勿為放逸。羅怙羅！如於身業欲作、正作、已作三時觀察，當知語業意業亦復如是。羅怙羅！當知過去未來及以現在，所有行業皆由意生，應數觀察棄捨妄念常起善心。羅怙羅！若有沙門婆羅門等，於身語意業現起之時，應善觀察令極清淨，常多修習相應而住。羅怙羅！如於現在觀察三業，令極清淨相應而住，過去未來亦復如是。是故汝今於三業中恒善觀察，令極清淨相應而住勿為放逸。」

> さらに、仏はラーフラに告げられた。「お前のすべての身体的行為は、何度もよく自分で観察すべきである。『私は今、まさにこのような身の行いをしているが、この身の行いは自他を害し、苦しみの報いを受けるであろう』と思うならば、それを行うべきではない。もし自他を益し、楽しい報いを受けるならば、それを学び修行すべきである。」 さらに、仏はラーフラに告げられた。「お前のすべての身体的行為は、何度もよく自分で観察すべきである。『私はすでにこのような身の行いをしたが、この身の行いは自他を害し、苦しみの報いを受けるであろう』と思われるならば、そのすべての罪業を仏の前で心から誠実に懺悔し、あるいは清らかな同じ梵行を修める者の前で、その過ちを告白し、発露して悔い改め、今後は戒律を守り重ねて犯さないようにせよ。もし善い行いが自他を益し、楽しい報いを受けるならば、喜びの心を起こし、日夜その行いを喜び、放逸になってはならない。」 「ラーフラよ、身の行いについて、行おうとする時、行っている時、行った後の三つの時において観察するように、言葉の行いや心の行いについてもまた、同じように観察すべきである。」 「ラーフラよ、知るがよい。過去、未来、現在のすべての行いは、すべて心から生じるものである。よく観察して、妄念を捨て、常に善い心を起こすべきである。」 「ラーフラよ、もし沙門やバラモンなどが、身・言葉・心の行いが現れる時には、よく観察して、それを極めて清らかにし、常に修行に相応して安住すべきである。」 「ラーフラよ、現在において三つの行いを観察し、極めて清らかにして相応して安住するように、過去や未来においてもまた同じである。ゆえに、お前は今、三つの行いの中において常によく観察し、極めて清らかにして相応して安住し、放逸になってはならない。」

爾時世尊說伽他曰：

「羅怙汝當知， 常觀察三業，不令造眾惡， 是順諸佛教。此是聲聞業， 汝今應可修，修習此行時， 長善息諸惡。」

爾時世尊為羅怙羅示教利喜說是法已，時羅怙羅禮佛雙足歡喜奉行，于時世尊從座而去。此是緣起，尚未制戒。

佛在逝多林。爾時法手苾芻是釋迦子於此而住，善能言說降伏他論。于時中國有一摩納縛迦，為求學故往詣南方，事廣如前第四波羅市迦劫比羅因緣中具說。時摩納縛迦所事師主，是南方婆羅門博通諸論，與摩納縛迦及諸弟子漸次遊行，經諸城邑遂到室羅伐城。時彼城中有一婆羅門為眾之首，聞有南方大論師至告諸學徒曰：「汝等知不？有婆羅門是南方大論師，今來至此欲求敵論。若彼論師於諸論中而立義者，汝等各隨所習共相酬對。若能破彼斯曰善哉！若不能者，宜當引彼往釋子中令與論議。若其論師能破釋子，此即是我婆羅門勝。若其釋子伏得彼者，斯亦是我婆羅門勝。何以故？能令八方震大名稱，云南方有一大婆羅門，善解四明妙通八術，來求激論至室羅伐城。城中有人能摧彼論，我等諸人亦非墮負。」

時彼論師於晨朝時以衣裹腹，手執炬火入室羅伐城。時彼城中婆羅門子問言：「大師何故以衣裹腹？」論師報曰：「所受學業滿我腹中，恐其破裂故以衣裹。」又問：「何因於白日中手執炬火？」論師報曰：「我見諸人愚癡闇昧，今輝智炬令使開明。」論師即便共彼學徒更相問難，有激論處人咸杜口，城中學士悉皆受屈。諸人白言：「大師何故辱自朋耶？」論師報曰：「豈可於此更有他朋也？」諸人云：「有。」論師曰：「彼是何人？」報曰：「是沙門釋子，近日方興，於四姓中獨稱尊勝，多聞辯說人所共知，師今可往共彼言論。」問曰：「彼居何處？」報言：「在此城中逝多林內。」問曰：「於彼眾中誰為第一激論之王？」報曰：「彼皆博識聰叡、詞辯分明。」作是語時，法手苾芻遇有他緣因屆其所，諸人見來告論師曰：「大師今可且置諸餘沙門釋子，宜應可共此法手苾芻以申論難。」論師即便正視苾芻，告諸人曰：「略觀此相定是論主。」即往就之告言：「苾芻！我於先師頗曾少學，欲共仁者聊敘論端。」苾芻報曰：「斯誠大善！我比有心欲求論難，何當遇敵得盡虛懷？仁既遠來深適吾願，隨意當作。」論師問曰：「何日對談？」苾芻報曰：「明日可作。」「欲在何處？」「於某花園。」共作期已捨之而去。

時彼論師既共期已，即於此夜研覈兩宗，預設科條討尋徵斥，思惟不睡迄至天明。時法手苾芻作如是念：「我若破得此論師者，亦未能免巡百家門食方滿腹。若婆羅門儻摧我者，我之所有名稱花冠悉皆隱沒。」時婆羅門即於晨旦趣彼花園，佇望苾芻欲其來至，然而法手不赴前期，久待不來遂還城內。是時法手斟酌過期，便入城中次行乞食。彼婆羅門見而問曰：「苾芻何故不赴花園？」報曰：「何處花園？」婆羅門曰：「仁豈不憶昨日共期，云於某處將興往復。」法手報曰：「我忘其事。」婆羅門作是念：「我於通夜思搆論端。苾芻乃云：『我不曾憶。』」復作是念：「然此苾芻無過二種：一、是情識愚憃，二、是才辯過人。」復報之曰：「明日赴期。」報云：「如是。」彼婆羅門明至期時便赴園內，淹留相待還復不來，企望躊躇覆歸城邑。是時法手知過期已入城乞食，彼婆羅門見而復問：「苾芻何故還不赴期？」法手報曰：「我豈風病耶？豈唯論議一事更無餘業。然我每於晨旦承事大師，所未聞法敬心聽受，門徒之輩復自教詔，還往貴人逢迎說法。」婆羅門曰：「苾芻不應故心妄語。」答曰：「我實如是。」由此法手苾芻共他論者許期往赴，而故食言令彼論師屢勞往返。諸外道輩聞斯事已各生嫌賤：「君等應知釋子沙門故心妄語，共他論者結契園中，故作虛言令彼論者空勞往復。」諸苾芻聞已具白世尊。佛以此緣集苾芻眾，問法手曰：「汝實作如是故妄語事，共他期契故心不往耶？」答言：「實爾。世尊！」爾時種種呵責，乃至「我今為諸苾芻制其學處，應如是說：

「若復苾芻故妄語者，波逸底迦。」

若復苾芻者，謂是法手，義如上說。

故者，謂是故心了知其事。

妄語者，有九種妄語，八、七、六、五、四、三、二種差別不同。云何九種妄語？謂以無根他勝、僧伽伐尸沙、波逸底迦、提舍尼、突色訖里多，以無根破戒、破見、破威儀、破正命，而作妄語。云何八種妄語？謂以無根他勝、僧伽伐尸沙、波逸底迦、提舍尼、突色訖里多，以無根見、聞、疑。云何七種妄語？謂以無根破戒、破見、破威儀、破正命，以無根見、聞、疑。云何六種妄語？若苾芻欲作妄語，生如是念：「我當妄語。」正妄語時，作如是念：「我正妄語。」若妄語竟，作如是念：「我已妄語。」以無根見、聞、疑。云何五種妄語？謂以無根五部罪而作妄語。云何四種妄語？謂以無根破戒、破見、破威儀、破正命。云何三種妄語？謂以無根見、聞、疑。又有三種妄語，作如是念：「我當妄語、我正妄語、我已妄語。」云何二種妄語？謂我正妄語、我已妄語。無有一種成妄語者。

復有五種妄語，何者是耶？自有妄語得波羅市迦、有得僧伽伐尸沙、有得窣吐羅底也、有得波逸底迦、有得突色訖里多。云何妄語得波羅市迦？若苾芻實不得上人法自稱言得，此之妄語得波羅市迦。云何妄語得僧伽伐尸沙？若苾芻知彼苾芻清淨無犯，而無根他勝法謗，此之妄語得僧伽伐尸沙。云何妄語得窣吐羅底也？若苾芻在僧眾中故心妄語，非法說法、法說非法、非律說律、律說非律，此之妄語得窣吐羅底也。云何妄語得突色訖里多？若苾芻半月半月作褒灑陀，誦戒經時彼問清淨不？而實不清淨自知有犯，作覆藏心默然而住，此之妄語得突色訖里多。除向所說四種妄語，諸餘妄語悉得波逸底迦。

波逸底迦者，是燒煮墮落義，謂犯罪者墮在地獄、傍生、餓鬼惡道之中受燒煮苦。又此罪若不慇懃說除，便能障礙所有善法，此有諸義故名波逸底迦。

此中犯相其事云何？內攝頌曰：

若實不見聞、 不覺不知想、及疑而異說， 是妄語應知。

若苾芻不見、不聞、不覺、不知，作如是想如是忍可，便云：「我見、我聞、我覺、我知。」如是說時，語語皆得波逸底迦罪。若苾芻曾見聞覺知而忘其事，作如是想如是忍可，不憶其事而云：「不忘。」語語皆得波逸底迦罪。若實見聞覺知後遂生疑，彼作此想如是忍可言：「於見等無有疑心。」語語說時皆得波逸底迦。若實不見聞覺知有見等想，彼作此解後言：「我實有見等。」語語說時皆得本罪。若實不見而有聞覺知，彼作此想如是忍可，後言：「我見，無有聞等。」語語說時皆得本罪。若實不聞而有見覺知，彼作此想如是忍可，後言：「我聞，無見覺知。」語語說時皆得本罪。若實不覺而有見聞知，彼作此想如是忍可，後言：「我覺，無見聞知。」語語說時皆得本罪。若實不知而有見聞覺，作如是想如是忍可，後言：「我知，無見聞覺。」語語說時皆得本罪。若實見而忘、聞覺知不忘，彼作此想，後言：「我見不忘、聞覺知亦不忘。」語語說時皆得本罪。若實聞而忘、見覺知不忘，彼作此想，後言：「我聞不忘、見覺知亦不忘。」語語說時皆得本罪。

若實覺而忘、見聞知不忘，彼作此想，後言：「我覺不忘、見聞知亦不忘。」語語說時皆得本罪。若實知而忘、見聞覺不忘，彼作此想，後言：「我知不忘、見聞覺亦不忘。」語語說時皆得本罪。若實見而疑、聞覺知不疑，彼作此想，後言：「我見不疑、聞覺知疑。」語語說時皆得本罪。若實聞而疑、見覺知不疑，彼作此想，後言：「我聞不疑、見覺知疑。」語語說時皆得本罪。若實覺而疑、見聞知不疑，彼作此想，後言：「我覺不疑、見聞知疑。」語語說時皆得本罪。若實知而疑、見聞覺不疑，彼作此想，後言：「我知不疑、見聞覺疑。」語語說時皆得本罪。若實不見而作不見想，有聞覺知作聞覺知想，彼作此想，後言：「我見、不聞覺知。」說時得本罪。若實不聞作不聞想，有見覺知作見覺知想，彼作此想，後言：「我聞、不見覺知。」說時得本罪。若實不覺作不覺想，有見聞知作見聞知想，彼作此想，後言：「我覺、不見聞知。」說時得本罪。若實不知作不知想，有見聞覺想，彼作此想，後言：「我知、不見聞覺。」說時得本罪。若實見聞覺知，彼作此想，後言：「我不見聞覺知。」說時得本罪。若實見聞覺知而不忘其事，彼作此想，後言：「我見聞覺知而忘其事。」說時得本罪。若實見聞覺知而無疑心，彼作此想，後言：「我見聞覺知而有疑心。」說時得本罪。若實見聞覺知有見聞覺知想，彼作此想，後言：「我不見聞覺知。」說時得本罪。若實見、不聞覺知，彼作此想，後言：「我不見然有聞覺知。」說時得本罪。若實聞、不見覺知，彼作此想，後言：「我不聞，然見覺知。」說時得本罪。若實覺、不見聞知，彼作此想，後言：「我不覺，然見聞知。」說時得本罪。若實知、不見聞覺，彼作此想，後言：「我不知，然見聞覺。」說時得本罪。

若實見不忘、聞覺知忘，彼作此想，後言：「我見而忘、聞覺知不忘。」說時得本罪。若實聞不忘、見覺知忘，彼作此想，後言：「我聞而忘、見覺知不忘。」說時得本罪。若實覺不忘、見聞知忘，彼作此想，後言：「我覺而忘、見聞知不忘。」說時得本罪。若實知不忘、見聞覺忘，彼作此想，後言：「我知而忘、見聞覺不忘。」說時得本罪。若實見不疑、聞覺知有疑，彼作此想，後言：「我見有疑、聞覺知不疑。」說時得本罪。若實聞不疑、見覺知有疑，彼作此想，後言：「我聞有疑、見覺知不疑。」說時得本罪。若實覺不疑、見聞知有疑，彼作此想，後言：「我覺有疑、見聞知不疑。」說時得本罪。若實知不疑、見聞覺有疑，彼作此想，後言：「我知有疑、見聞覺不疑。」說時得本罪。若實見作見想，不聞不覺不知作不聞不覺不知想，彼作此想，後言：「我不見，然有聞覺知。」說時得本罪。若實聞想、不見覺知作不見覺知想，彼作此想，後言：「我不聞，然有見覺知。」說時得本罪。若實覺作覺想，不見聞知作不見聞知想，彼作此想，後言：「我不覺，然有見聞知。」說時得本罪。若實知作知想，不見聞覺作不見聞覺想，彼作此想，後言：「我不知，然有見聞覺。」說時得本罪。若苾芻凡所有語違心而說，皆得波逸底迦罪。若不違心而說者皆無犯。又無犯者，最初犯人，或癡狂、心亂、痛惱所纏。