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  1. 一切経音義 (一切經音義)
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一切経音義 (一切經音義)


第八卷

第八巻

盲冥(下莫瓶反考聲暗也夜也說文幽也從日日數十六每月十六日月始虧漸幽暗也從冖亦聲也冖音覓經中從宀從具作𡨋非也)。

盲冥。

踰繕那(上羊朱反繕音善。古云由旬。或云由延。或云瑜闍那。皆梵語訛略也。正云踰繕那。上古聖王軍行一日程也。前後翻譯諸經論中互說不同。文句繁多略而不述。今且案西域記云。踰繕那者自古聖王軍行程也。舊傳一踰繕那有四十里。印度國俗乃三十里。聖教所載唯十六里。如上經論所說。差別不同。考其異端。各有所據。或取聖王或取凡肘或取古尺。取捨雖懷異見。終是王軍一日行程適中取實今依西域記三十里為定。玄奘法師親考遠近撰此行記奉對太宗皇帝所問。其言真實。故以為憑。餘皆不取)。

踰繕那(「繕」の音は「善」。古くは由旬といい、あるいは由延、あるいは瑜闍那ともいいますが、いずれも梵語が訛って略されたものです。正しくは踰繕那といい、昔の聖王の軍が一日に行軍する路程のことです。前後の翻訳による諸経論の中では互いに説が異なり、文句が多く煩雑なので略して述べません。今しばらく『西域記』によれば、「踰繕那」とは古来の聖王の軍の行程です。旧伝では一踰繕那は四十里とし、インドの国の習俗では三十里とし、聖教に載るところではただ十六里としています。以上の経論に説かれるところは差異があって同じではありません。その異なる点を考察すると、それぞれ根拠があります。あるいは聖王に取り、あるいは凡人の肘に取り、あるいは古尺に取っています。取捨には異なる見解が含まれますが、結局は王の軍の一日の行程であり、ほどよく実情に合うものを取るべきです。今は『西域記』の三十里を定めとします。玄奘法師は遠近を自ら確かめてこの行記を撰し、太宗皇帝の問いにお答えしたものです。その言葉は真実です。それゆえこれをよりどころとし、その他は取りません)。

薩迦邪見(迦音薑佉反梵語也此譯為身見外道不正見也)。

薩迦の邪見です。(「迦」の音は「薑佉」の反切で、これは梵語です。漢訳では「身見」といい、外道の不正な見解のことです。)

掉舉(上亭弔反賈注國語云掉搖也韻英動也廣雅振也說文從手從卓省聲也下居圄反字書云起令高也說文對舉也從手與聲)。

掉挙(上の字は「上亭弔反」と注し、賈の『国語』注には「掉は揺るるなり」といい、『韻英』には「動くなり」、『広雅』には「振るうなり」といい、『説文解字』には手に従い卓の省声なりとあります。下の字は「居圄反」と注し、字書には「起して高からしむるなり」といい、『説文解字』には対して挙ぐるなり、手に従い与の声なりとあります。)。

來嬈(泥鳥反說文戲弄也形聲字經作嬲俗字也)。

来たりて嬈(なや)ます。(「泥鳥反」と注す。『説文解字』に「戲弄(ぎろう)なり」という。形声の字。経文に「嬲」と作るは俗字なり。)。

揔攝(祖董反考聲都也攝也玉篇將領也皆也說文作總聚束也從糸怱聲也經從手作捴俗字也下苫葉反考聲兼統也說文引持也從手聶聲聶失葉反)。

揔攝(「祖董反」と注します。『考聲』には「都なり、攝なり」といい、『玉篇』には「將領なり、皆なり」といい、『説文解字』には「總なり、聚め束ねるなり、糸に従い怱の声なり」とあります。経文では手に従って「捴」と書き、これは俗字です。下の字は「苫葉反」と注します。『考聲』には「兼ね統ぶるなり」といい、『説文解字』には「引き持つなり、手に従い聶の声、聶は失葉反」とあります。)。


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