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  1. 頓悟大乗政理決 (頓悟大乘政理決)
  2. 序說
  3. 一、早期漢蕃佛教關係之史實
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頓悟大乗政理決 (頓悟大乘政理決)

「頓悟大乘政理決」について

王錫著 著

1.9 万字 · 約 64 分

王錫は唐代の著名な仏教思想家であり、その著書『頓悟大乗政理決』は禅宗の重要な文献の一つである。本書は8世紀に書かれ、唐代における禅宗の頓悟思想の発展を反映し、直ちに人心を指し示し、本性を見て仏となる修行理念を強調している。書中では大乗仏教の頓悟の法門を体系的に論じ、文字に依らず直接心の源を探求することを主張しており、後世の禅宗に深遠な影響を与えた。初期禅宗の典籍として、それは中国禅宗思想の変遷を研究する上での鍵となるテキストであるだけでなく、唐代の仏教と政治・文化の相互作用を理解するための重要な手がかりを提供し、仏教哲学史上において重要な地位を占めている。


一、早期漢蕃佛教關係之史實
漢僧之入吐蕃,自文成公主以來,絡繹於途,若玄照、玄太,其著者也。是時適天竺者,取途吐蕃,每經泥波羅,今之尼泊爾也。義淨所記,如并州之道方、道生法師。京兆之末底僧訶,俱曾至泥波羅國。又言:
「復有二人,在泥波羅國,是吐蕃公主嬭母之息也。
初并出家,後一歸俗,住大王寺,善梵語并梵書,年三十五二十五矣。」
嬭母或指文成公主之乳母,其子且自藏至尼泊爾習梵文,此亦吐蕃早期佛教一趣事也。
大王寺或作天王寺。是時漢僧經吐蕃赴印,多得文成公主之庇護。《衛藏通志》卷六大招寺條記建寺緣起云:
「西藏第一番王,傳七世至曲結松贊噶木布,迎唐公主。又差頭人倫布噶爾迎巴勒布王鄂特巴爾郭恰之女拜木薩為妾。唐公主帶來釋迦牟尼佛像,拜木薩帶來墨居多爾濟佛,白木薩欲修廟宇,藏王擇地興修。」
大招寺建於拉薩,發議於尼泊爾(即巴勒布)公主,而設計則出於文成公主。傳說謂文成公主帶來釋迦像,是佛教傳入吐蕃,公主與有功焉。此寺,Bu Ston書稱 "Rasa hphrul snaṅ",漢人稱為大召寺。
《衛藏通志》又稱「小昭寺,大昭寺北半里許,番名喇木契……乃唐公主所建。因唐公主悲思中國,故東向其門。」按吐蕃乞黎蘇籠獵贊時所立碑文,直稱此寺建自唐國,蓋指文成公主也。
桑鳶寺碑文第一詔勅則云 "ra mo che" 乃唐人所建。ra mo che 譯音即「喇木昭」矣。
大昭、小昭二寺之建,皆與文成公主有關。公主入藏,下嫁吐蕃王松贊干布,在太宗貞觀十五年。(六四一)今拉薩布達拉宮尚有松贊與文成公主洞房舊址。大昭寺前圍牆中有柳二株,俗稱唐柳,又稱「公主柳」,傳說謂公主手植者也。
義淨述《南海寄歸傳》、《求法高僧傳》,在武后永昌元年,對於文成公主佚事多所熟聞,故備記之。此為吐蕃松贊干布王朝漢蕃佛教關係之大略。

序說
二、吐蕃之延聘漢僧說法

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