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翻訳名義集 (翻譯名義集)


諸佛別名第二

諸仏の別名 第二

仰則真法、俯立俗號,名雖各異,義亦互通。故《法苑》云:「如釋迦翻能仁,豈有一佛非能仁也?阿彌陀云無量壽,豈有一佛非長壽也?但以逗機設化,隨世建立。」題名則功能雖殊,顯義乃力用齊等,方知三世無量之名,具顯諸佛無量之德也。

上を見れば真理そのものを仰ぎ、下を見れば世俗の呼び名を立てています。名前は異なっていても、その意味は互いに通じ合うものです。ゆえに『法苑珠林』にはこうあります。「釈迦は『能仁』と翻訳されるが、一体どの仏さまが能仁でないことがあろうか。阿弥陀は『無量寿』というが、一体どの仏さまが長寿でないことがあろうか。ただ、機根に合わせて教えを説き、世間に従って名を立てたにすぎない。」経題の名は、役割こそ異なるようでも、その意味を顯せば力用はすべて等しく、三世にわたる無量の名が、諸仏の無量の徳をあらわしていることがわかるのです。

【釋迦文】《淨名疏》云:「天竺語,釋迦為能,文為儒,義名能儒。」《大論》云:「釋迦文佛,先世作瓦師,名大光明。爾時有佛,名釋迦文,弟子名舍利弗、目伽連、阿難。佛與弟子,俱到瓦師舍一宿。爾時瓦師,布施草座、燈明、石蜜漿,便發願言:『我於當來作佛,如今佛名,弟子名字,亦如今佛。』」《優婆塞戒經》云:「我於釋迦最初發心,於迦葉佛滿三僧祗。須知三祗正滿,在於勝觀。今言迦葉,兼百劫故。」《大論》云:「初阿僧祇中,心不自知我當作佛、不作佛;二阿僧祇中,心雖能知我必作佛,而口不稱我當作佛;三阿僧祇中,了知得佛,口自發言,無所畏難,我於來世當得作佛。從過去釋迦文佛,到剌那尸棄佛,為初阿僧祇,是中菩薩,永離女人身。從剌那尸棄佛,至燃燈佛,為二阿僧祇,是時菩薩,七枝青蓮華,供養燃燈佛,敷鹿皮衣,布髮掩泥,便授其記,汝當作佛,名釋迦牟尼。從燃燈佛,至毘婆尸,為三僧祇。過三僧祇,種三十二相業。」

【釈迦文】『浄名疏』には次のように説かれている。「天竺語では、『釈迦』は『能』、『文』は『儒』の意で、その意味は『能儒』である。」『大論』にはこうある。「釈迦文仏は、過去世において瓦師であり、その名を大光明といった。その時に、釈迦文という名の仏がおられ、その弟子には舎利弗、目伽連、阿難がいた。仏は弟子たちと共に、瓦師の家に一晩泊まった。その時、瓦師は草の座、燈明、石蜜漿を施し、こう誓願を立てた。『私は未来に仏となるならば、今の仏の御名と同じくし、弟子の名もまた今の仏の弟子と同じくしよう。』」『優婆塞戒経』にはこうある。「私は釈迦において最初に発心し、迦葉仏において三阿僧祇劫を満たした。三阿僧祇劫が正に満ちるのは勝観にあることを知らねばならない。ここで迦葉というのは、百劫をも兼ねているからである。」『大論』にはこうある。「初阿僧祇劫においては、心は自ら『私は必ず仏となるであろうか、ならないであろうか』と知らない。第二阿僧祇劫においては、心は『私は必ず仏となるであろう』と知ることはできるが、口には『私は必ず仏となるであろう』と称しない。第三阿僧祇劫においては、はっきりと仏となることを知り、口に自ら発して、何の恐れも困難もなく、『私は未来世において必ず仏となるであろう』と言う。過去の釈迦文仏から剌那尸棄仏に至るまでが初阿僧祇劫であり、この間の菩薩は、永遠に女身を離れる。剌那尸棄仏から燃灯仏に至るまでが第二阿僧祇劫であり、その時、菩薩は七枝の青蓮華をもって燃灯仏に供養し、鹿皮の衣を敷き、髪を広げて泥を覆い、そのために授記を得た。『汝は必ず仏となるであろう。名を釈迦牟尼という。』燃灯仏から毘婆尸仏に至るまでが第三阿僧祇劫である。三阿僧祇劫を過ぎて、三十二相の業を積む。」

【罽那尸棄】名出《俱舍》。《大論》則名剌那尸棄,此云寶髻,亦云寶頂。吾佛世尊,初僧祇滿時值此佛,與七佛中第二尸棄,隔二僧祇,先達謂同,故今辯異。

罽那尸棄という名は『倶舎論』に出てくる。『大智度論』では剌那尸棄と名づけられ、これは「宝の髻(たか)」を意味し、また「宝の頂」ともいう。我らが仏世尊は、最初の阿僧祇劫の満ちた時にこの仏に出会われた。七仏の中の第二の尸棄仏とは、二つの阿僧祇劫の隔たりがある。先人は同じものだと言ったが、ここで相違を明らかにする。

【提洹竭】或云提和竭羅,此云燃燈。《大論》云:「太子生時,一切身邊,光如燈故,故云燃燈,以至成佛,亦名燃燈。」鐙字,《說文》從金。徐鉉云:「錠中置燭,故謂之燈。」《聲類》云:「有足曰錠,無足曰燈。」故《瑞應經》翻為錠光。《摭華》云:「錠音定,燈屬也。古來翻譯,迴文不同,或云燃燈,或云錠光,語異義同,故須從金。」釋尊修行名儒童時,二僧祇滿,遇燃燈佛,得受記莂。

【提洹竭】あるいは「提和竭羅」とも言います。これは「燃灯」と訳されます。 『大智度論』にはこう説かれています。「太子が生まれた時、その身の周りすべてが灯りのように輝いたので、『燃灯』と名付けられ、成仏に至ってもまた『燃灯』と呼ばれた。」 「鐙」という字は、『説文解字』によれば「金」偏に従います。徐鉉は言っています。「鐙の中にろうそくを置くから、これを灯と呼ぶのだ。」 『声類』にはこうあります。「足があるものを『鐙』と呼び、足がないものを『灯』と呼ぶ。」 それゆえ『瑞応経』では「錠光」と訳されています。 『摭華』にはこうあります。「錠の音は「テイ」であり、灯の類である。古来の翻訳は文字遣いが同じではなく、ある者は『燃灯』と訳し、ある者は『錠光』と訳す。言葉は異なるが意味は同じである。よって『金』偏を用いるべきである。」 釈尊が修行者であり「儒童」と名乗っていた時、二阿僧祇劫を満たし、燃灯仏にお会いして、未来成仏の記別を受けました。

【毘婆尸】亦名維衛,此云勝觀。《俱舍》云:「三無數劫滿,逆次逢勝觀。燃燈寶髻佛,初釋迦牟尼。此由釋尊於勝觀佛,初種相好,故毘婆尸,為七佛首。以讚弗沙精進力故,超九大劫,故至于今,過九十一大劫也。」
【尸棄】亦名式棄。《大論》翻火。依《佛名經》,過三十劫。
【毘舍浮】翻遍一切自在。《藥王藥上經》云:「莊嚴劫中,最後一佛。」
【俱留孫】此云所應斷,又翻作用莊嚴。賢劫第九減六萬歲,出成佛道,為千佛首。
【拘那含牟尼】此云金寂。《大論》名迦那迦牟尼。秦言金仙人。四萬歲時,出現閻浮。
【迦葉波】此云飲光。二萬歲時,出成正覺。至百歲時,釋迦牟尼居兜率天,四種觀世。故《大論》云:「一者觀時,人壽百歲,佛出時到。二觀土地諸國,常在中國生故。三觀種姓,剎利種姓勢力大,婆羅門種智慧大,隨時所貴,佛於中生。四觀生處,何等母人,能懷那羅延力菩薩,亦能自護淨戒?如是觀竟,唯中國迦毘羅婆淨飯王后,能懷菩薩。如是思惟已,於兜率天下,不失正慧,入於母胎。」
【彌勒】《西域記》云:「梅哩麗耶,唐云慈氏,即姓也。舊曰彌勒,訛也。」什曰:「姓也。阿逸多,字也。南天竺婆羅門子。」《淨名疏》云:「有言從姓立名,今謂非姓,恐是名也。何者?彌勒,此翻慈氏,過去為王,名曇摩流支,慈育國人,自爾至今,常名慈氏。姓阿逸多,此云無能勝。有言阿逸多是名,既不親見正文,未可定執。」《觀下生經》云:「時修梵摩,即與子立字,名曰彌勒。」
【袍休蘭羅】漢言大寶,即多寶佛,出《薩曇分陀利經》。
【弗沙】正名富沙。清涼云:「亦云勃沙,此云增盛,明達勝義故也。」亦云底沙,亦云提舍,此翻明。又云說度,說法度人也。什師解弗沙菩薩云:「二十八宿中,鬼星名也,生時相應鬼宿,因以為名。或名沸星,或名孛星。」
【樓夷亘羅】《清淨平等覺經》翻世饒王,《無量壽經》翻世自在王。
【曇摩迦】此翻法藏比丘,乃無量壽行因時名。
【阿彌陀】《清淨平等覺經》翻無量清淨佛,《無量壽經》翻無量壽佛。《稱讚淨土經》云:「其中世尊,名無量壽,及無量光。」
【阿閦】《淨名經》云:「有國名妙喜,佛號無動。」疏云:「阿之言無,閦之言動。」
【剌那那伽羅】此云寶積。以無漏根.力.覺.道等法寶集故,名為寶積。問:「若爾,一切佛皆應號寶積?」答:「但此佛,即以此寶為名。」
【樓至】此翻啼泣;又名盧遮,亦名魯支,此翻愛樂。
【鞞恕婆附】《大論》云:「秦言一切勝。」
【提和羅耶】晉言天人王。佛授調達作佛之號。
【須扇多】亦云須扇頭,此云甚淨。弟子未熟,便入涅槃,留化佛一劫。

1 十種通號
3 通別三身

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