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  1. 浄土十疑論 (淨土十疑論)
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浄土十疑論 (淨土十疑論)


第三疑

第三の疑問

問:「十方諸佛,一切淨土,法性平等,功德亦等,行者普念一切功德,生一切淨土。今乃偏求一佛淨土,與平等性乖,云何生淨土?」

問う:「十方の諸仏、一切の浄土は、法性が平等であり、功徳もまた等しい。修行者はあらゆる功徳を普く念じ、あらゆる浄土に生まれるべきである。それなのに、今やただ一つの仏の浄土だけを偏って求めるのは、平等の理に反するのではないか。どうして浄土に生まれることができようか?」

答:「一切諸佛土,實皆平等。但眾生根鈍,濁亂者多,若不專繫一心一境,三昧難成。專念阿彌陀佛,即是一相三昧,以心專至,得生彼國。如《隨願往生經》云:『普廣菩薩問佛:「十方悉有淨土,世尊何故偏讚西方彌陀淨土,專遣往生?」佛告普廣:「閻浮提眾生,心多濁亂,為此偏讚西方一佛淨土,使諸眾生,專心一境,即易得往生。」』若總念一切佛者,念佛境寬,則心散漫,三昧難成,故不得往生。又求一佛功德,與一切佛功德無異,以同一佛法性故。為此念阿彌陀佛,即念一切佛;生一淨土,即生一切淨土。故《華嚴經》云:『一切諸佛身,即是一佛身,一心一智慧,力、無畏亦然。』又云:『譬如淨滿月,普應一切水,影像雖無量,本月未曾二。如是無礙智,成就等正覺,應現一切剎,佛身無有二。』智者以譬喻得解,智者若能達一切月影即一月影,一月影即一切月影,月影無二;故一佛即一切佛,一切佛即一佛,法身無二。故熾然念一佛時,即是念一切佛也。」

答え:『すべての仏の国土は、実はみな平等です。しかし、衆生は根が鈍く、心が濁って乱れている者が多いため、一つの心を一つの境地に集中させなければ、三昧は成就しにくいのです。ひたすら阿弥陀仏を念じることが、すなわち一相三昧です。心を一つの対象に集中させることで、その国に生まれることができるのです。『隨願往生經』にこうあります。「普広菩薩が仏に問うた。『十方すべてに浄土があるのに、どうして世尊は特に西方の阿弥陀仏の浄土を讃え、そこに生まれるよう勧めるのですか?』仏は普広に告げた。『閻浮提の衆生は心が濁り乱れているので、特に西方の一仏の浄土を讃え、衆生が心を一つの境地に集中させれば、往生しやすくするためである。』」もしあらゆる仏を念じようとすれば、念じる対象である仏の範囲が広いため、心が散漫になり、三昧は成就しにくくなり、往生できないのです。また、一仏の功徳を求めることは、一切の仏の功徳を求めることと何ら変わりません。すべて同一の仏の法性を持つからです。それゆえ、阿弥陀仏を念じることは、すなわち一切の仏を念じることなのです。一つの浄土に生まれることは、すなわち一切の浄土に生まれることです。だから『華厳経』にはこうあります。「一切の諸仏の身は、すなわち一仏の身である。一心一智慧、力・無畏もまた同じである。」また、「例えば、満ちた清らかな月は、あらゆる水に普遍的に映る。その影は無数であっても、もとの月は決して二つではない。このように、無礙の智を成就して正等覚を得れば、すべての世界に現れるが、仏の身に二つはない。」とあります。智者は譬えによって理解します。智者が、すべての月の影が一つの月の影であり、一つの月の影がすべての月の影であり、月の影に二つはないことを理解できるなら、だからこそ、一仏はすなわち一切仏であり、一切仏はすなわち一仏であり、法身に二つはないのです。ですから、心を集中して一仏を念じるとき、それはすなわち一切の仏を念じていることになるのです。』』


第二疑
第四疑

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