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title: "法苑珠林 · 6 方土部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 方土部第六

> 第六 方土部

尋夫方志人別不同。總有二種。一凡二聖。若約方言之即有四種。所謂四天下人。若以住處言之。四天下中合有四千八處則有四千八種之人。若直案閻浮提一方言之。如樓炭經說。大國總有三十六人亦同之。若展別論則有二千五百小國。人亦同之。又一一國中種類若干。胡漢羌魯蠻夷楚越。各隨方土色類不同。未可具述。故樓炭經云。此南閻浮提種類差別合有六千四百種人。但總彰大數不別其名。長阿含經云。佛告比丘。此四天下有八千天下圍繞其外。復有大海水周匝圍繞八千天下。復有大金剛山繞大海水。金剛山外復有第二大金剛山。二山中間窈窈冥冥。日月神天有大威力。不能以光照及於彼八大地獄也。第一北欝單越者。依長阿含經云。須彌山北天下有欝單越國。其土正方縱廣一萬由旬。人面亦方。像彼地形有大樹王。名菴婆羅。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬。多有諸山浴池。華菓豐茂。無數眾鳥和鳴。地生軟草槃縈右旋。色如孔翠。香如婆師。軟若天衣。其地柔軟以足蹈地。地凹四寸。舉足還復。地平如掌無有高下。彼土四面有四阿耨達池。各縱廣百由旬。以七寶砌出四大河。廣十由旬。眾鳥和鳴。彼土無有溝坑荊棘株杌。亦無蚊虻毒蟲。地純眾寶。陰陽調柔四氣和順。百草常生無有冬夏。其土常有自然糠米不種自生。無有糠糩如白華聚。猶忉利天食眾味具足。其土常有自然釜鍑。有摩尼珠名曰焰光。置於鍑下飯熟光滅。不假樵火不勞人功。其土有樹。名曰曲躬。葉葉相次天雨不漏。彼諸男女止宿其下。復有香樹高七十里。華菓繁茂。其菓熟時皮破自裂自然香出。或高六十里五十里。小者五里。其菓熟時皮破自然出種種衣。或出種種嚴身之具。或出種種器。或出種種食。或戲河中有眾寶船。彼方人民欲入中洗浴游戲時。脫衣岸上。乘船中流娛樂訖已度水遇衣便著。先出先著。後出後著。不求本衣。次至香樹樹為曲躬。其人手取樂器調弦。並以妙聲和弦而行詣園娛樂。其土中夜阿耨達龍王數數時起清淨雲。周遍世界而降甘雨。如𤛗牛乳頃以八味水潤澤普洽。於中夜後淨無有翳空中清明。海出涼風微吹人身舉體快樂。其土豐熟人民熾盛。設須飲食以自然糠米著於釜中。以焰光珠置於釜下。飯自然熟珠光自滅。諸有來者自恣食之。其主不起飯終不盡。若其主起飯則盡賜。其飯鮮潔如白華聚。其味如天無有眾病。氣力充足顏色和悅無有衰耗。其土人身顏貌同等不可分別。其貌少壯如閻浮提二十許人。其人口齒平正潔白無間。髮紺青色無有塵垢。髮垂八指齊眉而止。不長不短。若其土人起欲心時。有熟視女人而捨之去。彼女隨往詣園林。若彼女人是彼男子父親母親骨肉中表。不應行欲者樹不曲蔭。各自散去。若非親者樹則曲蔭。隨意娛樂一日二日。或至七日爾乃捨去立世阿毘曇論云。北洲人不索女不迎妻。不買不賣。若男子欲娶女時諦瞻彼女。若女欲羨男時亦須諦視男子。若不見視餘女報言。是人看汝即為夫妻。男不見女看餘男報言。是女看汝亦為夫妻。若自相見便即相隨共往別處。若多欲者一生之中數唯至五。其中品者或四或三。亦有修行至死無欲。彼人懷妊有惡食者耳彼人懷妊七日八日便產。隨生男女置於四衢大交道頭捨之而去。有諸行人經過其邊出指含嗽。指出甘乳充遍兒身。過七日已其兒長成與彼人等。男向男眾女向女眾。彼人命終不相哭泣。莊嚴死屍置四衢道捨之而去。有鳥名憂慰禪伽。接彼死屍置於他方依立世論云。其鳥啄屍將去。至山外而便噉食又其土人大小便時地為開坼便利訖已地還自合。其土人民無所繫戀亦無蓄積。壽命常定死盡生天。彼人何故壽命常定。其人前世修十善行。身壞命終生欝單越。壽命千歲不增不減。是故彼人壽命正等。若有人能施沙門婆羅門。及施貧窮乞兒疾病困苦者。給其衣食乘輿華鬘塗香床榻房舍。又造塔廟燈燭供養。其人命終生欝單越。壽命千歲不增不減。其土不受十善。舉動自然與十善合。身壞命終生天善處。是故彼人得稱為勝。於三天下其土最上。故秦言最上。立世論云。彼土人民悉皆白淨。人所莊飾。鬚髮翠黑恒如剃周羅。五日頭髮自然長。橫七指無有增減。順正論云。北俱盧洲。形如方座。四邊量等。面各二千。既說界方面各二千。已具其義。邊有二中洲。一矩婆洲。二憍抵婆洲。此二洲皆有人住。第二東弗于逮。依長阿含經云。須彌山東有天下。名弗于逮。其土正圓。縱廣九千由旬。人面像彼地形。有大樹王。名伽藍浮。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬。造天地經云。東方人物勝閻浮提人。彼土用綿絹共相市易。依長阿含經云。彼土人壽二百歲少出多減樓炭經云。人壽三百歲也飯食魚肉立世論云。自不殺生。不令他殺。若有自死則食其肉以穀帛珠璣共相市易。人有婚禮嫁娶立世論云。東弗婆提人。其多欲者。一生之中其數至七。其中品者。或至五六。亦有修行至死無欲。東西二洲人唯無黑色。餘同剡浮提身有種種色。彼人頭髮莊飾剪前被後。上下兩衣著下竟上衣繞身而已依順正理論云。東勝身洲。東狹西廣。三邊量等。形如半月。東三百五十三邊各二千。此東洲東邊。廣南洲南際。故東如半月。其洲邊有二中洲者。一提訶洲。二毘提訶洲。此二洲皆有人住。第三俱耶尼者。依長阿含經云。須彌山西天下名俱耶尼。其土形如滿月。縱廣八千由旬。人面像彼地形。有大樹王。名曰斤提。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬起世經云。於彼樹下有一石牛。高一由旬。以此因緣。名瞿陀尼。此云牛貨人壽三百歲。以牛馬珠玉共相市易。人物亦勝閻浮提。立世論云。彼土人或自殺生或令他殺。死則食肉同剡浮提人。若眷屬死送喪山中燒屍棄去。或置水中。或埋土裏。或著空地。東西二洲大同剡浮提。婚禮亦同。其欲多者。一生之中數至十二。其中品者數或至十。亦有修行至死無欲。彼人莊飾並皆被髮上下著衣。依順正理論云。西牛貨洲圓如滿月。逕二千五百。周圍七千半。其洲邊有二中洲者。一舍椃洲。二嗢怛羅漫里拏洲。皆有人住。第四閻浮提者。依長阿含經云。須彌山南有天下。名閻浮提。其土南狹北廣。縱廣七千由旬。人面像此地形。有大樹王。名閻浮提。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬起世經云。於此樹下。有閻浮那檀金聚。高二十由旬。以此勝金出此樹下。名閻浮那樹金復有金翅鳥王樹。名俱利睒婆羅。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬。阿脩羅王有樹。名曰善盡。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬。忉利天有樹。名曰晝度。圍七由旬。高百由旬。枝葉四布五十由旬。閻浮提人。人壽百歲。中夭者多。初十無知。二十少知猶未黠了。三十欲意盛。四十所行無端。五十所習不忘。六十慳著。七十體性遲緩。八十無榮飾。九十疾痛。百歲諸根衰耗經於三百冬夏春。三萬六千食中間。或有不具者。立世阿毘曇論云。剡浮提人衣服莊飾種種不同。或有長髮分為兩髻。或有剃落髮鬚。或有頂留一髻餘髮皆除。名周羅髮。或有拔除髮鬚。或剪髮剪鬚。或有編髮。或有被髮。或有剪前被後令圓。或有裸形。或著衣服。覆上露下。或露上覆下。或上下俱覆。或止障前後。此洲人民所食多種不可具述。婚禮市易現事可知。然論云。剡浮提人一生欲事無數無量。不同餘三洲人少欲。亦有修行至死無欲。依順正理論云。南贍部洲有邊洲。一名遮末羅洲。二名筏羅遮羅洲。此二洲中皆有人住。

> さて、人のあり方や性質は人それぞれで、総じて二種類に分けられます。一つは凡夫、もう一つは聖者です。 もし地域で言えば、四種類となります。いわゆる四つの天下に住む人々です。 住む場所で言えば、四つの天下の中には合わせて四千八の場所があり、それに応じて四千八種類の人がいることになります。 しかし、ここで閻浮提（えんぶだい）という一つの地域だけに限って言えば、『楼炭経』（るたんきょう）に説かれているように、大きな国だけで三十六あり、人々の種類もそれに準じて三十六となります。 さらに細かく論じれば、二千五百の小さな国があり、人々の種類もまた同じく多様です。 また、一つ一つの国の中でも、その種族は様々で、胡（こ）、漢（かん）、羌（きょう）、魯（ろ）、蛮（ばん）、夷（い）、楚（そ）、越（えつ）など、それぞれの土地や風土に従って、容姿や種類が異なり、すべてを詳しく述べることはできません。 ですから、『楼炭経』にはこう説かれています。「この南閻浮提における人種の違いは、合わせて六千四百種にものぼる。ただし、これは大きな数を示したものであり、それぞれの種族の名を別々に挙げたわけではない。」 『長阿含経』（じょうあごんきょう）では、仏が比丘たちにこう告げています。「この四つの天下の外側には、八千の天下が巡り囲んでいる。さらにその外側には大海が巡り囲んで、その八千の天下を一周している。さらにその外側には大金剛山（だいこんごうせん）があって、大海を囲んでいる。金剛山の外側には、さらに第二の大金剛山がある。この二つの山の間は、奥深く暗く、太陽や月の神々や天人が大きな力を持っていても、その光はそこにある八つの大地獄（だいじごく）を照らすことができない。」 \*\*第一に、北の欝単越（うったんえつ）について。\*\* 『長阿含経』によると、須弥山（しゅみせん）の北にある天下に、欝単越という国があります。その土地は正方形で、縦横の広さは一万由旬（ゆじゅん）です。人の顔も方形で、その土地の形を象っています。そこには大きな樹王があり、名を菴婆羅（あんばら）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。多くの山々や浴池があり、花や果実は豊かに茂り、数えきれないほどの鳥たちがさえずり合っています。地面には柔らかい草が生え、それは渦を巻いて右に回り、色は孔雀の羽のよう、香りは婆師（ばし）の花のよう、柔らかさは天の衣のようです。その土地は柔らかく、足で踏むと地面が四寸（しすん）ほど凹み、足を上げれば元に戻ります。地平は手のひらのように平らで、高低はありません。その土地の四方には、四つの阿耨達池（あのくだち）があり、それぞれ縦横百由旬、七宝で飾られ、そこから四つの大河が流れ出ています。川の幅は十由旬で、多くの鳥たちがさえずっています。その土地には、溝や穴、棘や切り株はなく、蚊や虻（あぶ）などの毒虫もいません。地面はもっぱら宝でできており、陰陽は穏やかに調和し、四季は和やかに整い、百草は常に生え、冬も夏もありません。その土地には常に自然の粳米（こうべい、うるち米）があり、種を蒔かずに自然に生え、糠（ぬか）や籾殻（もみがら）がなく、白い花が集まったようです。それは忉利天（とうりてん）の食べ物のようなもので、多くの味わいが備わっています。その土地には常に自然の釜（かま）や鍑（かま、鍋）があります。摩尼珠（まにしゅ）という名の宝玉があり、その名を焔光珠（えんこうしゅ）と言います。それを鍋の下に置けば、御飯が炊き上がると珠の光は消えます。薪や火を必要とせず、人の労力もかかりません。その土地には、曲躬（きょくく）という名の木があります。葉が重なり合って、雨が降っても漏れません。男女人たちはその下に宿ります。また香しい木があり、高さは七十里もあります。花や果実は繁り、その果実が熟すと、皮が破れて自然に裂け、自然と香りが立ち上ります。あるいは高さ六十里、五十里のものもあり、小さいものでも五里はあります。その果実が熟すと、皮が破れて自然に様々な衣服が出てくるものや、様々な装身具が出てくるもの、様々な器が出てくるもの、様々な食べ物が出てくるものがあります。また、川の中では楽しむための宝船があります。そこの人々が川に入って沐浴し遊びたい時には、岸に衣服を脱ぎ、船に乗って川の真ん中で楽しみ、遊び終わって川を渡る時に衣服があれば、それを着ます。先に出た人が先に着、後から出た人が後に着ます。自分の元の衣服を探すことはしません。次に香しい木に至れば、木が自ら曲がって覆いかぶさります。その人は手で楽器を取り、弦を調え、美しい声でそれに和しながら歩いて園林に行き、楽しみます。 その土地では、真夜中に阿耨達龍王（あのくだつりゅうおう）がしばしば清らかな雲を起こし、世界に遍く甘い雨を降らせます。それは雌牛の乳を搾るほどの短い時間で、八味の水が潤いを隅々まで与えます。真夜中過ぎには、空は清らかで翳（かげ）りがなく、澄み渡っています。海から涼しい風が出て、そっと人の身に吹き付け、全身が快楽に満たされます。 その土地は豊かで、人々は栄えています。もし飲食を必要とすれば、自然の粳米を釜に入れ、焔光珠を釜の下に置けば、御飯は自然に炊き上がり、珠の光は消えます。来た者は誰でも思いのままに食べます。その主人が立ち上がらなければ、御飯は尽きることがありません。もし主人が立ち上がれば、御飯は尽きて賜ります。その御飯は清らかで白い花の集まりのようで、その味は天のようです。様々な病はなく、気力は十分で、顔色は和やかで喜びに満ち、衰えはありません。その土地の人々は、容貌が皆同じで、区別がつきません。その様子は若々しく、閻浮提の二十歳前後の人のようです。その人々の口と歯は平らで正しく、清らかで白く、隙間がありません。髪は紺青色で、塵や垢はなく、髪の長さは八寸（はっすん）ほど垂れ、眉のところまでで止まり、長くも短くもありません。もしその土地の人が欲心を起こせば、女の人をじっと見つめてから去っていきます。その女は後に従って園林に行きます。もしその女がその男の父親や母親、あるいは血縁関係にある者で、淫欲を行うべきでない間柄ならば、木は曲がって陰を作りません。それぞれが去っていきます。もし親族でなければ、木は曲がって陰を作り、思いのままに一日、二日、あるいは七日まで楽しみ、その後去っていきます。＜注：『立世阿毘曇論』にはこうある。「北の洲の人々は、女を請わず、妻を迎えず、買わず、売らない。もし男が女を娶りたい時は、その女をじっと見つめる。もし女が男を慕いたい時も、男をじっと見つめる。もし男が見ても女が見ない場合は、他の女が告げる。『この人はあなたを見ている』と言えば、それが夫婦となる。男が見ても女が見ない場合は、他の男が告げる。『この女はあなたを見ている』と言えば、それが夫婦となる。もし互いに見合えば、すぐに互いに従い、共に別の場所へ行く。もし欲が多い者ならば、一生のうちにその回数は多くて五回まで。その中位の者は、四回か三回。また修行して死ぬまで欲のない者もいる。そこの女性が妊娠すると、食べ物を嫌がる者がいる」と。＞ そこの女性が妊娠すると、七日か八日で出産します。生まれた男女は、四つの大通りの交差点に置いて去ってしまいます。そこを通る人々がそばを通り、指を口に入れて含むと、甘い乳が出て、赤ん坊の全身に行き渡ります。七日が過ぎれば、その子は成長して、そこの大人と同じになります。男の子は男の衆に向かい、女の子は女の衆に向かいます。 そこの人が命終しても、互いに泣き悲しむことはありません。死体を飾り、四つの大通りに置いて去ってしまいます。憂慰禅伽（ういぜんが）という名の鳥がいて、その死体をくわえて、他の場所へ運びます。＜注：『立世論』によれば「その鳥が死体をついばみ運び去り、山の外へ行って食べる」とある。＞また、そこの人が大小便をする時は、地面が割れて開き、用が済めば地面はまた自然に閉じます。そこの人々には、執着するものは何もなく、蓄えることもありません。寿命は常に定まっており、死ぬと天に生まれます。なぜそこの人々は寿命が定まっているのでしょうか。その人々は前世で十善（じゅうぜん）の行いを修め、身体が壊れて命終すると、欝単越に生まれます。寿命は千年で、増えも減りもしません。そのため、そこの人々の寿命は正しく等しいのです。 もし人が沙門（しゃもん）や婆羅門（ばらもん）に施しを与え、また貧しい乞食や病気で困っている者に施し、衣食、乗り物、花飾り、塗香、寝台、房舎を与え、さらに塔廟（とうびょう）を建て、灯明や燈火を供養すれば、その人は命終して欝単越に生まれます。寿命は千年で、増えも減りもしません。その土地は十善を教えられることはありませんが、行いは自然と十善にかなっています。身体が壊れて命終すると、天の善い場所に生まれます。そのため、そこの人は勝れていると言われ、三つの天下の中で最も上とされています。秦（しん）の言葉で「最上」と言います。『立世論』にはこうあります。「そこの人々は皆、白く清らかで、人々は身を飾る。鬚や髪は青黒く、常に剃った周羅（ずら、頭頂の髪を残した髪型）のようである。五日ごとに、髪が自然に横に七寸伸びるが、増減はない。」『順正理論』（じゅんしょうりろん）にはこうあります。「北倶盧洲（ほっくるしゅう）は、形が方座（ほうざ）のようで、四辺の長さは等しく、それぞれの面は二千由旬である。境界が方各二千由旬であると説かれたことで、すでにその意味は尽くされている。その外側に二つの中洲がある。一つは矩婆洲（くばしゅう）、もう一つは憍抵婆洲（きょうていばしゅう）である。この二つの洲には、どちらも人が住んでいる。」 \*\*第二に、東の弗于逮（ふつうたい）について。\*\* 『長阿含経』によると、須弥山の東に天下があり、名を弗于逮と言います。その土地は真円で、縦横九千由旬です。人の顔はその地形を象っています。そこには大きな樹王があり、名を伽藍浮（がらんぶ）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。『造天地経』（ぞうてんちきょう）によると、東方の人々や物は閻浮提の人々に勝っています。そこの土地では、綿や絹を使って互いに交易します。『長阿含経』によると、そこの人の寿命は二百歳で、それより短いことの方が多く、長いことは少ないとされています。＜注：『楼炭経』では、人の寿命は三百歳とある。＞食事は魚や肉を食べます。＜注：『立世論』によると「自らは殺生せず、他の者に殺させることもない。もし自然に死んだものがあれば、その肉を食べる」とある。＞穀物や布、宝玉などを用いて互いに交易します。人には婚姻や嫁娶（かしゅ、結婚の儀式）があります。＜注：『立世論』によると「東弗婆提（とうふつばてい）の人々は、欲の多い者は一生のうちにその回数が七回に及ぶ。中位の者は、五、六回である。また、修行して死ぬまで欲のない者もいる。東西の二つの洲の人々は、ただ黒い色がないだけで、他は閻浮提の人と同様に様々な肌の色をしている。そこの人々の髪の飾りは、前を切り、後ろを垂らしている。上下二つの衣を着け、下の衣を着終えてから上の衣を体に巻き付けるだけである」とある。＞『順正理論』によると「東勝身洲（とうしょうしんしゅう）は、東が狭く西が広く、三辺の長さは等しい。形は半月のようで、東の辺は三百五十三由旬、他の各辺は二千由旬である。この東洲の東辺は、南洲の南際に広がっているため、東は半月のようである。その洲の外側に二つの中洲がある。一つは提訶洲（だいかしゅう）、もう一つは毘提訶洲（びだいかしゅう）である。この二つの洲には、どちらも人が住んでいる。」 \*\*第三に、倶耶尼（くやに）について。\*\* 『長阿含経』によると、須弥山の西にある天下を、倶耶尼と言います。その土地の形は満月のようで、縦横八千由旬です。人の顔はその地形を象っています。そこには大きな樹王があり、名を斤提（きんだい）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。＜注：『起世経』（きせきょう）には「その木の下に一頭の石牛があり、高さ一由旬である。この因縁により、瞿陀尼（くだに）と名付けられた。これを和訳して牛貨（ごうけ）と言う」とある。＞人の寿命は三百歳です。牛や馬、宝玉を用いて互いに交易します。人や物も閻浮提に勝っています。『立世論』によると、そこの人々は、自ら殺生したり、他人に殺させたりします。死んだものの肉を食べるのは閻浮提の人と同じです。もし親族が死ねば、その死体を山に送って焼き捨てるか、あるいは水中に置くか、土の中に埋めるか、空地に置きます。東西の二洲は、大体閻浮提と同じです。婚礼も同じです。欲の多い者は、一生のうちにその回数が十二回に及びます。中位の者は、十回に及ぶこともあります。また、修行して死ぬまで欲のない者もいます。そこの人々の装飾は、皆髪を振り乱し、上下に衣を着けています。『順正理論』によると「西牛貨洲（さいごうかしゅう）は、形が満月のように丸く、直径は二千五百由旬、周囲は七千半由旬である。その洲の外側に二つの中洲がある。一つは舍椃洲（しゃろくしゅう）、もう一つは嗢怛羅漫里拏洲（うったらまんりなじゅう）である。どちらも人が住んでいる。」 \*\*第四に、閻浮提について。\*\* 『長阿含経』によると、須弥山の南に天下があり、名を閻浮提と言います。その土地は南が狭く北が広く、縦横七千由旬です。人の顔はこの地形を象っています。そこには大きな樹王があり、名を閻浮提（の樹）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。＜注：『起世経』には「この木の下に、閻浮那檀金（えんぶなだんごん）の集まりがある。高さ二十由旬である。この勝れた黄金がこの木の下から出るので、閻浮那樹金（えんぶなじゅごん）と名付けられた」とある。＞また、金翅鳥王（こんじちょうおう）の木があり、名を倶利睒婆羅（くりせんばら）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。阿修羅王（あしゅらおう）の木があり、名を善尽（ぜんじん）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。忉利天（の王）の木があり、名を昼度（ちゅうど）と言います。幹の周りは七由旬、高さは百由旬、枝葉は四方に五十由旬広がっています。 閻浮提の人々は、寿命が百歳で、途中で死ぬ者が多いです。最初の十年は無知、二十年は少し知るがまだ賢くなく、三十歳は欲望が盛んで、四十歳は行いが定まらず、五十歳は習ったことを忘れず、六十歳は吝嗇で執着し、七十歳は身体の動きが遅くなり、八十歳は飾り気がなく、九十歳は病に悩まされ、百歳になると諸々の感覚器官は衰え尽くします。三百の冬・夏・春を経て、三万六千回の食事の合間に、欠けることもあるのです。 『立世阿毘曇論』によると、閻浮提の人々の衣服や装飾は、様々で異なっています。ある者は長い髪を二つの髻（もとどり、束ねた髪）に分け、ある者は髪や髭を剃り落とし、ある者は頭頂に一つの髻を残して他は剃り、これを周羅髪（ずらはつ）と言います。ある者は髪や髭を抜き、ある者は髪や髭を切り、ある者は髪を編み、ある者は髪を振り乱し、ある者は前に髪を切り、後ろは伸ばして円くし、ある者は裸形で、ある者は衣服を着け、上半身は覆って下半身は露わにし、ある者は上半身を露わにして下半身を覆い、ある者は上下ともに覆い、ある者は前後だけを隠します。この洲の人々の食べ物は多くの種類があり、すべてを述べることはできません。婚礼や市易（しえき、交易）は、現に見られる事柄から知ることができます。しかし、論には「閻浮提の人々は、一生の間の欲事は限りなく無量であり、他の三つの洲の人々が少欲であるのとは異なる。また、修行して死ぬまで欲のない者もいる。」とあります。 『順正理論』によると、南瞻部洲（なんせんぶしゅう）には、外側に洲がある。一つは遮末羅洲（しゃまつらしゅう）、もう一つは筏羅遮羅洲（ばつらしゃらしゅう）である。この二つの洲には、どちらも人が住んでいる。