No. 1558-A雷庵受禪師行業
雷庵受禅師の行状
師諱正受。字虗中。號雷庵。出蘇之常熟邵氏。年十六。肄儒業。因游邑之慧日寺。與主僧心鑒語。異其敏慧。類若夙習。乃曰。世境虗幻。百年一瞬。讀世書選官。盍若究出世法以選佛邪。師善其言。毅欲超俗。坐孤養母。懷不敢發。居鬱鬱若有失。母恠而詰之。具道所以。頗難之。師遂舉偈曰。唱徹黃鍾宮。吹成大石調。萬古絕知音。驢揀濕處尿。母知其志不可奪。即赴愬於外祖。祖贊成之。俾禮鑒薙落登具。遊方。首見應庵華於天童。機緣不契。回淨慈。依月堂昌。昌峭峻。少許可。識師於室中。留侍左右。一旦。指續燈喟歎曰。佛祖之道。潛通廣被。曾何僧俗之間。是書獨取於比丘。而於王侯.士庶.尼師。皆遺而不錄。燈雖曰續。如照之不普。何爾盍為。掇所闕遺。抉具宗眼者備成之。普燈之作。遂權輿矣。尋謁無庵全於道場。瞎堂遠於虎丘仁㑃堂。住中竺。延寘上首。未幾還里。真查梨王化萬壽。一見相得。俾之分座說法。師視之不屑。慶元之初。泛霅過 都。憩湖上之壽星院。翛然返關。邈與世接。愚時獲摳衣。即進請益。竊謂。達磨西來。直指人心。見性成佛。不立文字。及傳二祖。付楞伽四卷。以印佛心。非文字而何。願祛其惑。師開示善巧。疑情氷釋。因言。是經蘊奧。讀者尚不能句。請為詮辨。以幸來學。當為鋟梓。師乃欣然發揮義趣。又因寂音所著楞嚴。𨤲正補葺。廣為合論。繼踐月堂之屬。成普燈三十卷。歲十七遷而絕編。表進于 朝。三書咸板行于世。又藏經四大部。華嚴居一焉。李長者復衍而論之。文富義愽。鮮有能終誦者。師乃括擿摳要。芟夷冗長。貫八十卷之經。兼四十卷之論。束為三卷。言約理詣。如措諸掌。悉蒙指授。師天資純至。識見超卓。以闡教弘宗為心。斥遠聲利。故屢却名剎之招。方遁跡藏密。庵居呫郊。廼以嘉定改元。歲在戊辰。示微疾。索筆書偈。奄忽而逝。時十一月二十八日也。壽六十三。臘四十七。
師の諱は正受。字は虚中。号は雷庵。蘇州の常熟、邵氏の出。十六歳の時、儒学を学んでいたが、郷里の慧日寺を訪れ、住職の心鑑と語るうち、その聡明さに驚き、前世からの縁を感じた。心鑑は言った。「この世は虚ろで幻のよう。百年も一瞬に過ぎない。世俗の書を読み、官職を選ぶより、どうして出世間の法を究め、仏に選ばれようとしないのか」。師はこの言葉に深く感じ入り、俗世を超えたいと強く思ったが、父を亡くし母を養っていたため、思いを打ち明けられず、心に物足りなさを抱えていた。母が怪しんで尋ねると、その志を詳しく話した。母は難色を示したが、師は偈を挙げて言った。「黄鐘の宮を唱え尽くし、大石調を吹き成す。万古、知音絶えたり。驢は湿りたる処の尿を選ぶ」。母はその志が変わらないと知り、すぐに外祖父に相談した。祖父はこれを賛成し、心鑑のもとで出家得度させた。
諸方を行脚し、まず天童山で応庵華に会ったが、機縁が合わず、戻って淨慈寺で月堂昌に師事した。昌は厳格で、人を認めることは少なかったが、師を室中で見抜き、側に留めて侍らせた。ある時、昌は『続燈録』を指して嘆き言った。「仏祖の道は、密かに通じ広く行き渡っている。どうして僧と俗の間に隔てがあろうか。この書は比丘のみを取り上げ、王侯・士庶・尼僧をすべて遺漏している。灯は続くと言っても、照らすところが偏っている。どうして欠けた部分を補い、宗眼を備えた者を集めて完成させないのか」。これが『普燈』編纂の始まりとなった。
その後、道場で無庵全に、虎丘で瞎堂遠に、仁王堂で中竺に参じ、上首に迎えられたが、ほどなく郷里に戻った。真査梨王が萬壽寺を化導する時、師と意気投合し、分座説法を任せようとしたが、師はこれを顧みなかった。慶元の初め、霅川を渡り都を過ぎ、湖上の壽星院に憩い、静かに庵を閉じて世を遠ざけた。愚かにも私はその時に衣を捧げて近づき、教えを請うた。私は密かに考えていた。達磨が西来し、直指人心、見性成仏、不立文字と説いたが、二祖に伝える時、『楞伽経』四巻を付して仏心を印した。これこそ文字ではないか。どうかこの疑いを解いてほしい。師は巧みに開示し、私の疑いは氷解した。そこで言った。「この経は深遠で、読む者すら句読すら難しい。どうか解釈を明らかにし、後学の幸いとしたい。必ず版を刻んで世に広めましょう」。師は喜んでその義趣を説き明かした。また、寂音の著した『楞厳経』の注釈を正し補い、広く『合論』を著した。さらに月堂の遺志を継ぎ、『普燈』三十巻を完成させ、十七年を経てついに成った。朝廷に進上し、三書はすべて世に広まった。
また、大蔵経の四大部の一つである『華厳経』は、李長者がさらに論を著して広めたが、文が豊かで義が広く、最後まで読み通せる者は稀だった。師は要点を摘み取り、冗長な部分を省き、八十巻の経と四十巻の論を貫き、三巻にまとめた。言葉は簡潔で道理は明らか、掌を指すが如くであった。すべて師の指授によるものである。
師は天資純粋で、識見は卓越し、教えを闡明し宗風を弘めることを志し、名声や利益を遠ざけた。そのため、名刹からの招きを幾度も断り、隠遁して庵を構え、郊外に住んだ。嘉定元年戊辰、微かな病を患い、筆を求め偈を書き、静かに逝去した。時に十一月二十八日。寿六十三。臘四十七。
辛未歲元日授法弟子武德郎敬庵黃(汝霖)謹誌
辛未年の元旦、法を授けられた弟子、武德郎敬庵の黃(汝霖)が謹んで記す。