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  1. 菩薩善戒経 (菩薩善戒經)
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  3. 1 菩薩地
  4. 3 発菩提心品 (3 發菩提心品)
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菩薩善戒経 (菩薩善戒經)


菩薩地發菩提心品第三
「菩薩摩訶薩初發心時,立大正願,作如是言:『我得阿耨多羅三藐三菩提時,當大利益一切眾生,要當安置一切眾生大涅槃中,復當教化一切眾生悉令具足般若大智,是則名為自利利他。』是故初發菩提心者,則得名為菩提因緣,眾生緣因、正義緣因、三十七助道法緣因,攝取一切善法根本,是故菩薩名善大善、名實真實,亦名一切眾生善根,能破一切身口意等三業諸惡。一切世間所有誓願及出世願,無有能勝阿耨多羅三藐三菩提,如是誓願無勝無上。菩薩摩訶薩初發三菩提心有五事。何等為五?一者性;二者行;三者境界;四者功德;五者增長。是名為五。菩薩若能發菩提心,則得名為菩薩摩訶薩,定得阿耨多羅三藐三菩提修大乘行。是故初發菩提之心則能攝取一切善法。菩薩摩訶薩發菩提心,隨行漸得阿耨多羅三藐三菩提,若不發心終不能得,是故發心是阿耨多羅三藐三菩提根本。菩薩摩訶薩見苦眾生心生憐愍,是故菩薩因慈悲心發阿耨多羅三藐三菩提心,因菩提心修三十七品,因三十七品得阿耨多羅三藐三菩提。是故發心名之為支。發菩提心故行菩薩戒,是故發心為菩薩戒支。是故發心名根、名因、名攝、名果亦名為子。菩薩發心復有二種:一者畢竟;二者不畢竟。畢竟者乃至得阿耨多羅三藐三菩提終無退失,不畢竟者則有退失。退有二種:一畢竟退;二不畢竟退。畢竟退者,終不發阿耨多羅三藐三菩提心,不能推求修集其法。不畢竟者,求菩提心、修集其法。是菩提心有四種因。何等為四?一者若善男子善女人,若見若聞諸佛菩薩不可思議,爾時則生信敬之心,作是念言:『佛菩薩事不可思議。若佛菩薩不思議事是可得者,我亦當發阿耨多羅三藐三菩提心。』是故至心念於菩提發菩提心。二者復有不見諸佛菩薩不思議事,唯聞諸佛菩薩祕藏,聞已即生敬信之心。得信心故,為阿耨多羅三藐三菩提及大智故發菩提心。三者復有不見諸佛菩薩不思議事,亦不聞法見法滅時,便作是念:『無上佛法能滅眾生無量苦惱、作大利益,唯諸菩薩能令佛法久住不滅。我今亦當發菩提心,令諸眾生遠離煩惱諸大苦事,護持佛法久住於世。』為住世故發菩提心。四者復有不見佛法滅時,唯見惡世諸眾生等,具重煩惱貪恚癡等,無慚無愧慳悋嫉妬,愁憂苦惱不信懶惰。見是事已尋作是念:『大惡世時眾生大惡不能修善,如是惡時尚不能發二乘之心,況阿耨多羅三藐三菩提心。我今當發菩提之心,發是心已乃當教化一切眾生令發阿耨多羅三藐三菩提心。』是故菩薩於此惡世惡眾生中發菩提心。
「復有四因發菩提心。何等為四?一者性具足;二者善友具足;三者慈心具足;四者觀生死苦具足聖行,不畏菩提難行苦行。性具足者,菩薩性自具足、善友具足有四事。何等為四?一者善友諸根完具具大智慧,能示善惡不行邪道,是名善友具足。二者心不放逸,能破放逸、能閉惡道。三者自能具足菩薩禁戒轉以教他。四者不以下道轉他上道,不以小乘轉他大乘,不以修福轉他定慧。具足慈心復有四事。何等為四?一者或有世界有苦惱處,或有世界無有苦惱苦惱之處,菩薩發願往生其中,或見受苦若身自受,生於慈心為破其苦。二者生地獄中,或見受苦若身自受,亦生慈心為破其苦。三者生餓鬼中,或見受苦若身自受,亦生慈心為破其苦。四者生畜生中,或見受苦若身自受,亦生慈心為斷其苦。具足慈心復有三種,謂上中下。上者復有四事:一者觀生死苦;二者修慈悲心無有終始;三者性勇健心;四者得智慧心。復有四事。何等為四?一不放逸;二具足戒;三能忍辱;四者至心專念阿耨多羅三藐三菩提。復有四事。何等為四?一者等視眾生猶如一子;二者於怨親中無有分別;三者得堅信心;四者修行聖行。是為四。
「修集慈心有四種力。何等為四?一者內力;二者外力;三者因力;四者莊嚴力。菩薩摩訶薩至心專念阿耨多羅三藐三菩提,是名內力。為欲化度諸眾生故發阿耨多羅三藐三菩提心,是名外力。能於無量阿僧祇劫修集善行,師事諸佛及諸菩薩,是名因力。菩薩摩訶薩樂近善友、聽受正法、思惟其義、如說修行,是名莊嚴力。若菩薩摩訶薩以是二力發阿耨多羅三藐三菩提心,是名正心、不動心、不退心、不轉心,所謂內力、因力。若以外力及莊嚴力發菩提心,是名不正心、動心、退心、轉心。菩薩轉心有四因緣。何等為四?一者性不具足;二者惡友具足;三者於諸眾生不具悲心;四者不能觀察生死過患。菩薩摩訶薩初發菩提心有二事不可思議。何等為二?一者於諸眾生作眷屬想;二者無眾生想。菩薩常以智慧觀察,誰是眾生,眾生屬誰?是名為二因。是二心能令菩薩無有退轉。初發菩提有二種心。何等為二?一者為施眾生安隱;二者為施眾生快樂。以諸善法化諸眾生令離惡法,是名安隱。能以財物賑給眾生令離貧窮,所謂衣食房舍臥具病瘦醫藥,是名快樂。不退菩薩有二種心。何等為二?一者性莊嚴;二者專心受持莊嚴。常念欲令眾生安樂,是名性莊嚴。終不退轉菩提之心,因是至心能施一切眾生安樂,是名受持莊嚴。不退菩薩出生福德有二處。何等為二?一者菩提之心;二者眾生受苦。如是二事名大善法聚。初發堅心菩薩又有二事,勝於一切聲聞緣覺。何等為二?一者因勝;二者果勝。菩薩摩訶薩發菩提心所修善法,是名為因。因行善法得阿耨多羅三藐三菩提,是名為果。如是因果勝於一切聲聞緣覺。不退菩薩有二大事。何等為二?一者發是心已即為一切無量眾生而作福田,為作父母師長和上生大憐愍,以憐愍故行住坐臥若眠若寤,常為諸天之所守護,如轉輪王常為五百青衣鬼神之所守護。不退菩薩亦復如是,以憐愍故若更受身無有病苦。二者發心菩薩常為眾生之所樂見猶如父母,一切眾生於菩薩所身口意業柔軟無惡。是名為二。菩薩摩訶薩發菩提心不失正念,於諸眾生不起害心,不食肉、不欺誑,常以善法教化眾生,眾生不受不廢不愁,能自調伏亦能調他,隨其所化眾生之處,皆悉能令滋長福業。若以客塵煩惱因緣,墮三惡道能速得出。雖同受苦不生楚毒,見受苦者心生悲愍。菩薩初發菩提心者,成就如是無量功德。

慈心を修め積むことには、四つの力があります。その四つとは何でしょうか。第一に内の力、第二に外の力、第三に因の力、第四に荘厳の力です。

菩薩(摩訶薩)が心を込めて専ら、正しい悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を念じることを、内の力と言います。また、全ての生きとし生けるものを救い導こうとして、正しい悟りを起こす心を、外の力と言います。そして、数え切れないほどの長い時間(無量阿僧祇劫)にわたって善い行いを積み、多くの仏や菩薩のもとで教えを学ぶことを、因の力と言います。さらに、菩薩が善い友に親しみ、正しい教えを聞き、その意味を考え、教えの通りに修行することを、荘厳の力と言います。

もし菩薩が、この二つの力(内の力と因の力)によって正しい悟りの心を起こすならば、それを「正しい心」「動かない心」「退かない心」「変わらない心」と言います。逆に、外の力と荘厳の力だけで悟りの心を起こすならば、それは「正しくない心」「動く心」「退く心」「変わる心」と言われます。

菩薩の心が変わるのには、四つの原因があります。その四つとは、第一に本来の優れた性質(善根)が備わっていないこと、第二に悪い友だちが周りにいること、第三に生きとし生けるものに対して哀れみの心(慈悲)が足りないこと、第四に、迷いの世界(生死)の過ちや苦しみを正しく観察できないことです。

菩薩が初めて悟りの心を起こす時、二つの不思議なことがあります。その二つとは何でしょうか。第一に、全ての生きとし生けるものを我が身内のように思うこと。第二に、その一方で「これは誰々のもの」という執着のない考えを持つことです。菩薩は常に智慧で観察し、「いったい衆生とは何か」「衆生は誰に属するのか」と問い続けます。これが二つの要因となり、この二つの心が菩薩の心を退かないものにしてくれます。

悟りを求める心(菩提心)を初めて起こすことには、二種類の心があります。その二つとは、第一に全ての生きとし生けるものに安心(安穏)を与えようとする心、第二に全ての生きとし生けるものに幸福(快楽)を与えようとする心です。様々な善い教えで人々を導き、悪い行いから遠ざけること、これが「安穏」です。また、衣服や食べ物、家や寝具、病気の時の薬など、財物を施して人々を貧しさから救うこと、これが「幸福」です。

心が退かない菩薩には、二つの心があります。その二つとは、第一に生まれながらの素質による荘厳、第二に、その心をしっかりと受け持ち、保ち続ける荘厳です。常に「全ての生きとし生けるものを安楽にしたい」と願うこと、これが本性の荘厳です。決して悟りの心から後退せず、その真心によって全ての生きとし生けるものに安楽を施すこと、これを受け持ち保つ荘厳と言います。

心が退かない菩薩が善い報い(福徳)を生み出すのには、二つの場があります。その二つとは、第一に悟りを求める心(菩提心)そのもの、第二に、苦しむ全ての生きとし生けるもののために働くことです。この二つのことが、大きな善い行いの集まり(大善法聚)と言われます。

初めて固い決意の心を起こす菩薩には、さらに二つの点で、全ての声聞や縁覚(小乗の修行者)よりも優れています。その二つとは、第一に原因が優れていること、第二に結果が優れていることです。菩薩が悟りの心を起こして積む善い行い、これを原因と言います。その原因の善い行いによって正しい悟りを得ること、これを結果と言います。このような原因と結果は、全ての声聞や縁覚よりも優れています。

心が退かない菩薩には、二つの大きな働きがあります。その二つとは何でしょうか。第一に、この心を起こしたならば、直ちに全ての無数の生きとし生けるものにとっての福を生む田んぼ(福田)となり、彼らの父母や先生、導き手となって大きな憐れみを生じさせることです。その憐れみのゆえに、歩く時も座る時も寝ている時も、常に天の神々に守られます。たとえば、全世界を治める王(転輪聖王)が常に五百人の青衣の鬼神に守られるように、心が退かない菩薩もまた同じです。その憐れみのゆえに、もし再び(迷いの)身を受けるとしても、病気の苦しみがありません。第二に、悟りの心を起こした菩薩は、常に生きとし生けるものから父母のように慕われ、全ての生きとし生けるものは、菩薩に対して身・口・意の行いが穏やかで、悪いことがありません。これが二つの大きな働きです。

菩薩が悟りの心を起こすならば、正しい心を失わず、生きとし生けるものに対して害そうとする心を起こさず、肉を食べず、ごまかさず、常に善い教えで人々を導きます。たとえ人々がその教えを受け入れなくても、決してやめたり嘆いたりせず、自分自身をよく調え、また他人をも調えることができます。そして、その教え導く場所では、どこでも皆が善い行いの報い(福業)を大きく育てられるようにします。もし仮に、心の汚れ(煩悩)というよそからの原因によって地獄など三つの悪い道に落ちたとしても、素早くそこを抜け出ることができます。同じ苦しみを受けても、辛さに毒されることなく、苦しむものを見ては心から哀れみの情を起こします。このように、初めて悟りの心を起こした菩薩は、このような数え切れないほどの素晴らしい功徳(功徳)を成し遂げるのです。


2 善行性品
4 利益內外品

CBETA コード: T1582

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