No. 1165-A重刻西方合論序
儒以三綱五常奠乾坤而正人䫫至於截生死逆流出三界火宅必資佛教十方三世佛而阿彌陀為第一也諸佛各有所攝受之淨土而西方極樂世界為第一也念佛求生淨土功行觀門無窮而執持名號一心不亂為第一也古今聖賢讚淨土教念佛如天台十疑論永明萬善同歸天如或問龍舒淨土文諸書已詳而義䫫散見卷帙分函至大明雲棲大師彌陀疏鈔為集大成又有楚公安袁石公先生諱宏道者所著西方合論會通異同決釋疑滯闡發玄奧直指趣歸佛經而祖緯之兄舉而弟揚之誠儒家之無著天親論部之馬鳴龍樹可謂現宰官居士身而弘同居同事攝矣念佛至此方為圓教淨土得此方稱惟心達理之士宜人手一編日披數次𮨇疏鈔已盛行于世而合論或罕識其文今末法式微劫運方起娑婆四眾速宜願生而不無宗教之岐路禪淨之疑情使蓮花忽開忽謝淨域若近若遠此阿彌陀佛所為悲切以急需而假廣長舌相于袁氏之書以疾呼也之𭐱夙承佛恩蹇滯濁界歸命斯道思廣是書而艱於力有居士道友甘爾翼字右民與其仲氏甡字左民者同志淨業適見合論大慊本心懽喜讚嘆遂捐資授梓偕眾成之俾袁氏之水月重朗而蓮池之華果普周人人念佛見佛者繇乎獲覩是書人人得力是書者繇乎重新斯刻多一人生淨土宛轉作我導師早一日證無生長遠續佛慧命凡忠臣孝子義夫節婦及蜎飛蠕動皆樂邦之伴侶凡參禪誦呪持戒脩福與治生雜務皆往生之資糧凡勸念一聲靜閱一刻演說一字流通一處皆功德壽命之無量事理真寔不誑不妄生佛平等非易非難淨土在我目前大願當人一念吁蔑以加矣。
儒教は三綱五常によって天地の秩序を定め、人の倫理を正しますが、生死を断ち切り、三界の火宅から逆流して出るためには、必ず仏教によるよりどころが必要です。十方三世の諸仏の中で、阿弥陀仏は第一であり、諸仏それぞれが摂受する浄土の中で、西方極楽世界は第一です。念仏して浄土を求めようとする功徳行や観法は数限りなくありますが、名号を執持して一心に乱れないことが第一です。
古今の聖賢が浄土を讃え、念仏を説いたものとしては、天台宗の『十疑論』、永明延寿の『万善同帰集』、天如の『或問』、龍舒の『浄土文』など、多くの書物がすでに詳しく述べていますが、その教えは巻帙に散在し、分かれて収められています。大明の時代に至り、雲棲大師の『弥陀疏鈔』がこれを集大成しました。さらに、楚の公安の袁石公先生(諱は宏道)の著された『西方合論』は、異同を通じ合わせ、疑い滞りを決釈し、玄妙な奥義を闡明し、帰趣を直指して、仏経を祖述し、その教えを広く宣揚しました。まさに儒家における無著・天親、論部における馬鳴・龍樹と言うべきであり、宰官居士の身を現じて、同居同事の摂化を弘めたのです。
念仏はここに至って初めて円教となり、浄土はこれによって初めて唯心と称されるのです。道理を悟った士人は、手に一編を携え、日に数回披覧すべきです。『疏鈔』はすでに世に広く行き渡っていますが、『合論』はその文を知る者がまれです。今、末法の世が衰え、劫運が起ころうとするこの時代、娑婆の四衆は速やかに浄土に生まれんと願うべきです。しかし、宗派の違いによる岐路や、禅と浄土に対する疑いの情によって、蓮華が忽然と開きまた謝し、浄土が近くにあるようでまた遠くにあるように感じさせてしまいます。これこそが阿弥陀仏が悲切の心をもって急を要する事態とし、袁氏の書を通じて広長舌相を借りて疾呼される所以なのです。
私は夙に仏恩を蒙りながら、濁悪の世界に滞り、この道に帰命し、この書を広めたいと願いながらも、力及ばずにいました。そこに居士道友の甘爾翼(字は右民)とその弟の甡(字は左民)という、浄土の業を同じく志す者がおり、ちょうど『合論』を見て大いに本心にかなうものとし、歓喜して讃嘆し、遂に資を投じて出版に踏み切り、多くの人々とともにこれを成し遂げました。これによって袁氏の水月が再び明るく照らされ、蓮池の華果が普く周るようになりました。人々が念仏して仏を見るのは、この書を目にすることによってであり、人々がこの書によって力を得るのは、この新たな出版によってなのです。
一人でも多くの人が浄土に生まれ、巡り巡って我が導師となり、一日でも早く無生を証して、長遠に仏の慧命を継いでいくことを願います。すべての忠臣孝子、義夫節婦、そして蜎飛蠕動のものまでもが、楽しみの伴侶となるでしょう。参禅し、呪文を誦し、戒を保ち、福を修め、生計を立てる雑務に至るまで、すべてが往生の資糧となります。一声でも念仏を勧め、一刻でも静かに読み、一字でも説き、一か所でも流通させることは、すべてが功徳寿命の無量なる事理であり、真実であって偽りはなく、生と仏は平等であって、易からずまた難からず、浄土は我が目前にあり、大願は人の一念にあります。ああ、これ以上に加えるものはありません。
疆梧大淵獻中秋望菩薩戒弟子閩中周之𭐱稽首書