No. 678-A梵網經菩薩心地品戒疏(并序)
No. 678-A 梵網経・菩薩心地品戒疏(序文)
天台 智者大師 疏
天台 智者大師 疏
門人 灌頂 錄
弟子 灌頂 記録
菩薩戒者運善之初章却惡之前陣直道而歸生源可盡聲聞小行尚自珍敬木叉大士兼懷寧不精持戒品內外二塗咸皆敬奉王家庶眾委質䖍恭斯乃趣極果之勝因結道場之妙業然經論所載戒相自有於多種記傳所辯受法不無同異良以機悟偏圓宜聞詳略辭無雙舉事不並行今謹案什師所述法相出自梵網經律藏品什師秦弘始三年來達漢境光顯大乘匡維聖教傳譯經論三百餘卷梵網一本最後誦出誓願弘宣是故殷勤一言三復特為文義幽隱有趣深玄所以指掌曉示令後生取悟為易經稱梵網者欲明諸佛教法不同猶如梵王網目品言心地者菩薩律藏徧防三業心識意體一名異三業之中意業為主身口居次據勝為論故言心地也。
菩薩戒は、善へと進む最初の一歩であり、悪を退けるための最前線です。この正道に従えば、迷いの世界は尽きることがありません。
声聞の小さな行ですら、自らを慎み敬うものですが、ましてや菩薩のように広い心を持つ者は、戒律を厳しく保たないわけにはいかないのです。
戒の品々は、内外の両面にわたり、みな敬い信奉するものです。王侯貴族から一般の人々に至るまで、心を尽くして敬い従います。これこそが、最高の悟りへ至るための優れた原因となり、悟りの境地を築く素晴らしい行いなのです。
しかしながら、経論に説かれる戒の相(すがた)はもともと多くの種類があり、記伝に示される戒の受け方も、同じであったり異なっていたりします。実にこれは、人々の悟りの機根が円満かそうでないかによって、詳しい説明と簡略な説明を聞き分けるのにふさわしいからであり、一つの言葉で両方を尽くすことはできず、一つの行いで全てを同時に行うわけにはいかないからです。
そこで今、鳩摩羅什(くまらじゅう)尊者が述べた教えに基づいて解説します。その教えの基となった法の相(すがた)は、『梵網経』と『律蔵経』に由来しています。
鳩摩羅什尊者は、秦の弘始三年に漢の地(中国)に来られ、大乗仏教を輝かせ、聖なる教えを支え、経論三百余巻を翻訳しました。『梵網経』の一巻は、最後に誦出されたものであり、誓って広く弘めようと願われたものです。それゆえに、尊者は心を込めて一言一言を繰り返し述べられました。特に、文や義が奥深く隠れており、趣旨が深遠であるため、指をさして示すように明らかにし、後の世代の人々が悟りを得やすいようにされたのです。
経で「梵網(ぼんもう)」と言うのは、諸仏の教えがそれぞれ異なることを明らかにするためであり、あたかも梵天の帝釈天が持つ網の目のように多くの教えがあるからです。
品で「心地(しんじ)」と言うのは、菩薩の律蔵が身・口・意の三つの行為をすべて防ぐからです。心と意識とその本体は、名前は違っても同じものです。三つの行為のうち、意の行為が主であり、身と口の行為はそれに次ぐものです。優れた点を基準にして論じるならば、その心のあり方を説くので「心地」と呼ぶのです。