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  1. 宏智禅師広録 (宏智禪師廣錄)
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  3. 天童覚和尚語録序 (天童覺和尚語錄序)
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宏智禅師広録 (宏智禪師廣錄)


天童覺和尚語錄序

天童覚和尚語録序

余頑愚拙疎無所可用。獨於世味淡薄。人我相輕。若可學佛者。以故自幼喜從僧遊。間遇本色道人。雖未言而意已親。殆若磁石鐵之冥契。有不可致詰者。否則雖日相從邈如也。今。

私は愚かで不器用、何の役にも立ちません。ただ世の欲には淡泊で、人と自分を区別する気持ちも薄い。もし仏法を学べるとすれば、そのような性分ゆえに、幼い頃から僧侶に親しみ、たまたま真の修行者に出会うと、言葉を交わさずとも心が通じ合い、まるで磁石と鉄が自然に引き合うかのように、説明のしようもない縁を感じました。そうでなければ、毎日一緒にいても、心は遠く離れたままです。今、

天童長老覺公。則所謂未言而意已親者。始余被罪南遷。泊舟廬山之下。與師一再邂逅耳而相與之意。便如故人。去歲罷相東來。師過余於四明。余復訪之於山中。語累日益歡。甞謂師曰。學佛者期於了生死。誠可謂一大事矣。士大夫間。乃有酣飫聲色馳騁勢利。而口舌瀾翻說佛說祖。自以為有得。甚者至以為譚笑之資。此何理也。余之有意於此事。而不敢自欺。他時真實處。辦得少許。方敢拈出。求師別識也。師深肯此言。且教余以辦道之方。余信受焉。會師之徒。以師語錄序為請。余既不敢自欺。其敢措辭乎。姑記與師相從大略。以塞其請云。紹興壬子望日。退晦居士范宗尹序。

天童山の長老、覚公は、まさに「言葉を交わさずとも、すでに心が通じ合う」という方です。かつて私が罪を得て南方に流された時、廬山のふもとに船を泊め、師と二度ばかり偶然に出会いましたが、その瞬間から互いの心はまるで旧知の友のように通じ合いました。

昨年、宰相を辞めて東へ下る途中、四明で師と再会し、私も山中の師を訪ねました。語り合う日々が重なるにつれ、喜びは深まるばかりでした。私はかつて師にこう申し上げたことがあります。

「仏道を学ぶ者は生死を超えることを期します。まさに人生の一大事と言えるでしょう。ところが世の士大夫たちの中には、声色にふけり、勢利に奔走しながら、口先だけは巧みに仏や祖師の教えを説き、自分は悟りを得たと自負する者さえいます。甚だしい場合は、それを談笑の種にさえしている。これはどういう道理なのでしょう。私もこの事に心を寄せていますが、自分を欺くことはできません。いつの日か真実の境地に少しでも至ることができたなら、その時こそ師の前に示し、ご批判を仰ぎたいと思います」

師はこの言葉を深く肯かれ、私に道を究める方法を教えてくださいました。私はそれを心から受け入れました。

折しも師の弟子たちが、師の語録の序文を私に依頼してきました。私は自分を欺くこともできず、ましてや軽々しく言葉を弄することなどできましょうか。ただ師と交わった経緯の大略を記し、その依頼に応えることとします。

紹興壬子の望の日 退晦居士 范宗尹 序す

宏智禪師廣錄卷第一

宏智禅師広録 巻第一


泗州大聖普照禪寺上堂語錄

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