根本說一切有部毘奈耶雜事卷第十一
根本説一切有部毘奈耶雑事 第十一巻
三藏法師義淨奉 制譯
三蔵法師義浄奉 制訳
第二門第十子攝頌之餘難陀因緣
第二門 第十子 摂頌の残り 難陀の因縁
緣在劫比羅城多根樹園。世尊有弟名曰難陀,身如金色,具三十相,短佛四指,妻名孫陀羅,儀容端正世間罕有,光華超絕人所樂見。難陀於彼,纏綿戀著無暫捨離,染愛情重畢命為期。世尊觀知受化時至,即於晨朝著衣持鉢,將具壽阿難陀為侍者入城乞食。次至難陀門首而立,以大悲力放金色光,其光普照難陀宅中皆如金色。于時難陀便作是念:「光明忽照,定是如來。」令使出看,乃見佛至,即便速返,白難陀曰:「世尊在門。」聞此語已即欲速出迎禮世尊。時孫陀羅便作是念:「我若放去,世尊必定與其出家。」遂捉衣牽不令出去。難陀曰:「今可暫放,禮世尊已,我即却迴。」孫陀羅曰:「共作要期方隨意去。」以莊濕額而告之曰:「此點未乾即宜却至,若遲違者罰金錢五百。」難陀曰:「可爾。」即至門首頂禮佛足,取如來鉢却入宅中,盛滿美食持至門首。世尊遂去,即與阿難陀。世尊現相不令取鉢,如來大師威嚴尊重不敢喚住,復更授與阿難陀。阿難陀問曰:「汝向誰邊取得此鉢?」答曰:「於佛邊取。」阿難陀曰:「宜授與佛。」答曰:「我今不敢輕觸大師。」默然隨去。世尊至寺洗手足已就座而坐,難陀持鉢以奉世尊,食已告曰:「難陀!汝食我殘不?」答言:「我食。」佛即授與。難陀食已,世尊告曰:「汝能出家不?」答言:「出家。」然佛世尊昔行菩薩道時,於父母師長及餘尊者,所有教令曾無違逆,故得今時言無違者,即告阿難陀曰:「汝與難陀剃除鬚髮。」答曰:「如世尊教。」即命剃髮人為其落髮。難陀見已告彼人曰:「汝今知不?我當不久作力輪王,汝若輒爾剃我髮者當截汝腕。」彼便大怖,裹收刀具即欲辭出。時阿難陀便往白佛,佛便自去詣難陀處,問言:「難陀!汝不出家。」答言:「出家。」是時世尊自持瓶水灌其頂上,淨人即剃,便作是念:「我今敬奉世尊,且為出家,暮當歸舍。」既至日晚尋路而行。爾時世尊於其行路化作大坑,見已便念:「孫陀羅斯成遠矣!無緣得去,我今相憶或容致死,如其命在至曉方行。」憶孫陀羅愁苦通夜。爾時世尊知彼意已,告阿難陀曰:「汝今宜去告彼難陀令作知事人。」即便往報:「世尊令爾作知事人。」問曰:「云何名為知事人?欲作何事?」答曰:「可於寺中撿挍眾事。」問曰:「如何應作?」答言:「具壽!凡知事者,若諸苾芻出乞食時,應可灑掃寺中田地,取新牛糞次第淨塗,作意防守勿令失落,有平章事當為白僧。若有香花應行與眾,夜閉門戶至曉當開,大小行處常須洗拭。若於寺中有損壞處即應修補。」聞是教已,答言:「大德!如佛所言,我皆當作。」時諸苾芻於小食時,執持衣鉢入劫比羅城為行乞食。于時難陀見寺無人便作是念:「我掃地了即可還家。」遂便掃地。世尊觀知,以神通力令掃淨處糞穢還滿,復作是念:「我除糞穢方可言歸。」放帚收持糞穢無盡,復作是念:「閉戶而去。」世尊即令閉一戶竟,更閉餘戶彼戶便開,遂生憂惱。復作是念:「縱賊損寺此亦何傷?我當為王,更作百千好寺倍過於是。我宜歸舍,若行大路恐見世尊。」作是思量即趣小徑。佛知其念,從小道來。既遙見佛,不欲相遇,路傍有樹枝蔭低垂,即於其下隱身而住。佛令其樹舉枝高上,其身露現,佛問難陀:「汝何處來?可隨我去。」情生羞恥,從佛而行。佛作是念:「此於其婦深生戀著,宜令捨離。」為引接故出劫比羅城詣室羅伐,既至彼已住毘舍佉鹿子母園。
ある時、お釈迦さまはカピラ城の多根樹園におられました。お釈迦さまには難陀という弟がいました。難陀は金色のからだに三十のすぐれた特徴を備えていましたが、お釈迦さまより指四本分だけ背が低かったのです。妻の孫陀羅はこの世にめったにないほど美しく、光り輝く姿は誰もがうっとり見とれるほどでした。難陀は彼女に深く心を奪われ、一瞬も離れようとせず、命が尽きるまで愛し続けると決めていました。
お釈迦さまは、難陀を導く時が来たとお見通しになりました。そして朝、衣をまとって鉢を持ち、阿難を従えて城に托鉢に出かけられました。やがて難陀の家の門前に立ち、大いなる慈悲の力で金色の光を放たれました。その光は難陀の家の中まで金色に照らし渡りました。難陀は思いました。「突然光が差し込んだ。きっと如来さまに違いない。」使いの者に見に行かせると、お釈迦さまが来ておられるので、急いで戻り、難陀に告げました。「世尊が門におられます。」これを聞くと、難陀は急いで出てお釈迦さまをお迎えしようとしました。
その時、孫陀羅はこう考えました。「もし行かせれば、世尊はきっと彼を出家させてしまう。」そして衣をつかんで引っ張り、行かせようとしませんでした。難陀は言いました。「今だけは行かせてくれ。世尊にお礼をしたら、すぐに戻ってくる。」孫陀羅は言いました。「約束をしてからなら、好きにしていいわ。」そして額に香水でしるしをつけ、こう告げました。「このしるしが乾かないうちに戻ってきなさい。もし遅れたら、五百金銭の罰を科すわ。」難陀は「わかった」と言いました。
門前に出てお釈迦さまの足を礼拝し、如来の鉢を受け取って家に入り、ごちそうをいっぱい盛って門前に持ってきました。お釈迦さまは立ち去られ、阿難に渡されました。お釈迦さまはご様子から、鉢を受け取ろうとされません。如来という大師は威厳があり尊いので、声をかけてとどめることもできず、再び阿難に渡しました。阿難が尋ねました。「あなたは誰からこの鉢を受け取ったのですか?」難陀は答えました。「仏さまから受け取りました。」阿難は言いました。「仏さまにお渡しすべきです。」難陀は答えました。「私は大師を軽々しくお触りするわけにはいきません。」黙ってその後について行きました。
お釈迦さまはお寺に着くと手と足を洗い、座にお着きになりました。難陀は鉢を持ってお釈迦さまにお供えし、食事が終わるとお釈迦さまは告げられました。「難陀よ、私の残り物を食べるか?」難陀は答えました。「食べます。」お釈迦さまはお与えになりました。難陀が食べ終わると、お釈迦さまは告げられました。「出家できるか?」難陀は答えました。「出家します。」
実は仏陀である世尊は、かつて菩薩として修行されていた時、父母や師、その他の尊い方々の教えに決して逆らったことがありませんでした。だからこそ今、言うことを聞かない者はいないのです。お釈迦さまは阿難に告げられました。「お前が難陀のひげと髪を剃りなさい。」阿難は答えました。「世尊のお言葉のままに。」そして髪を剃る者に命じて剃らせました。難陀はそれを見て、その者に告げました。「お前は知っているか? 私はやがて転輪聖王になるのだ。もしお前が勝手に私の髪を剃ったら、お前の手首を切り落とすぞ。」その者は大いに恐れ、道具を包んで辞去しようとしました。
その時、阿難はお釈迦さまのもとに行って報告しました。お釈迦さまはご自身で難陀のところに行かれ、尋ねられました。「難陀よ、出家しないのか?」難陀は答えました。「出家します。」その時、世尊はご自身で瓶の水を難陀の頭上に注がれ、清め役が剃りました。難陀はこう思いました。「私は今、世尊を敬って出家するが、夕方には家に帰ろう。」
日が暮れると、道をたどって歩き始めました。その時、お釈迦さまは彼の行く道に大きな穴を化現されました。それを見て難陀は思いました。「孫陀羅はもう遠くにいる! どうしても行けない。今、彼女のことを思い出してしまうと、死んでしまうかもしれない。もし命があるなら、夜明けまで待って行こう。」孫陀羅を思い出し、一晩中、悲しみ苦しみました。
その時、お釈迦さまは彼の心を知られ、阿難に告げられました。「今すぐ行って、難陀に知事人になるよう伝えなさい。」阿難はすぐに行って伝えました。「世尊があなたに知事人になるようおっしゃっています。」難陀は尋ねました。「知事人とは何ですか? 何をするのですか?」阿難は答えました。「お寺の中で、さまざまな仕事を管理するのです。」難陀は尋ねました。「どのようにすればいいのですか?」阿難は答えました。「尊者よ、知事人というのは、比丘たちが托鉢に出かける時、お寺の庭を掃き清め、新しい牛糞を順に塗り清め、注意して守り、失くさないようにし、相談事があれば僧に報告します。もし香や花があれば、皆に配ります。夜は戸を閉め、夜明けには開け、大小便所は常に洗い清めます。お寺の中で壊れたところがあれば、すぐに修理します。」この教えを聞き、難陀は答えました。「大徳、仏さまがおっしゃる通り、私がすべて行います。」
比丘たちが朝食の時に衣と鉢を持ってカピラ城に托鉢に行きました。その時、難陀はお寺に誰もいないのを見て思いました。「掃き終わったら、すぐに家に帰ろう。」そして掃き始めました。お釈迦さまはこれを見通され、神通力で掃き清めた場所に再び汚物を満たされました。難陀はまた思いました。「汚物を片付けてから帰ろう。」しかし、片付けても片付けても汚物は尽きません。また思いました。「戸を閉めて行こう。」お釈迦さまは、一つの戸を閉め終わると、別の戸を閉めようとすると前に閉めた戸が開くようにされました。難陀は悩み苦しみました。
また思いました。「たとえ賊が寺を損なっても、これが何だというのか? 私は王になるのだ。これより何百何千倍も立派な寺を建てよう。私は家に帰るべきだ。もし大通りを行けば、世尊にお会いしてしまうかもしれない。」そう考えて、小道に向かいました。お釈迦さまはその心を知り、小道から来られました。遠くにお釈迦さまを見つけると、会いたくなくなり、道端に枝が低く垂れている木があったので、その下に身を隠して立ちました。お釈迦さまはその木に枝を高く上げさせ、難陀の姿を現されました。お釈迦さまは難陀に尋ねられました。「どこから来たのか? 私について来なさい。」難陀は恥ずかしさを感じ、お釈迦さまについて行きました。
お釈迦さまは思われました。「この者は妻に深く執着している。それを捨てさせるべきだ。」導くために、カピラ城を出て舎衛城に向かい、そこに着くと毘舎佉鹿子母園にお住まいになりました。
爾時毘舍佉鹿子母,聞佛有弟號曰難陀,身如金色具三十相,短佛四指,與佛俱來,「我暫往禮或容得見。」是時難陀於小食時執持衣鉢入城乞食,次第巡至鹿子母家。時毘舍佉見彼容儀相好光飾與餘不等,即作是念:「此豈不是佛之弟耶?」便起淨信禮其雙足,將手觸著彼身柔軟,女是觸毒近便損害,難陀稟性多欲便起染心,遂即流精墮毘舍佉頭上。世尊知已,化彼不淨令作蘇合香油,手觸嗅之作如是念:「何因此處得有如是微妙香油?是佛神通變斯香物。」遂生希有歡躍之心,讚言:「善哉佛陀!善哉達摩!善哉僧伽!善說法律不可思議,能令如此難陀之類耽欲男子,投佛法中專修梵行。」時彼難陀起追悔心:「豈非我犯眾教罪耶?」白諸苾芻,苾芻白佛,佛言:「難陀無犯。若有如是多欲之人,應以皮帒子盛,勿致疑惑。」佛言多欲畜皮帒子者,苾芻不知以何皮作?佛言:「應用三種:羊、鹿、鼠皮。」即便生用,遂有臭氣,佛言:「熟之當用,洗已曬乾。」曬時見女,生欲染意,遂乃精洩穢污下裙,佛言:「應為兩枚:一曬、一著。」時有精多其皮濕壞,「應將物襯可安沙土。」時有苾芻著而噉食及繞制底,佛言:「解安屏處,淨洗手已噉食禮敬。」
そのとき、毘舍佉鹿子母は、仏に難陀という弟がおられ、身は金色で三十相を備え、仏より四指だけ背が低く、仏とともに来られることを聞いて、「少しの間お参りして、もしかしたらお会いできるかもしれない」と思いました。ちょうどそのとき、難陀は小食の時に衣と鉢を持って城に入り托鉢し、順に巡って鹿子母の家に来ました。毘舍佉はその姿かたちや相好の輝きが他の人と違うのを見て、「この方はさては仏の弟ではないでしょうか」と考えました。そして清らかな信を起こしてその両足を礼し、手を触れるとその身は柔らかく、女は毒に触れるとすぐに害を受けるといいますが、難陀はもともと欲が多かったので染まった心を起こし、そのまま精を漏らして毘舍佉の頭の上に落としました。世尊はそれをご存知になると、その不浄を変じて蘇合香油とし、手で触れて嗅ぎ、「どうしてここにこのような微妙な香油があるのか。これは仏の神通がこの香物に変えたのだ」と思いました。そして希有の歓喜の心を生じ、「善哉、仏陀。善哉、達磨。善哉、僧伽。よく説かれた法と律は不思議であり、このような難陀のような欲に耽る男子を、仏法の中に投じて専ら梵行を修めさせることができます」と讃えました。そのとき難陀は追悔の心を起こし、「私は衆教の罪を犯したのではないか」と思い、諸々の苾芻に告げ、苾芻は仏に告げました。仏は言われました。「難陀に罪はない。もしこのように欲の多い人があれば、皮帒子に盛るようにせよ。疑いを生じてはならない。」仏は欲の多い者は皮帒子を蓄えると説かれましたが、苾芻たちは何の皮で作るのか分かりませんでした。仏は言われました。「三種を用いるがよい。羊、鹿、鼠の皮である。」すぐに生のまま用いたところ、臭気が生じました。仏は言われました。「熟してから用い、洗って乾かすようにせよ。」乾かすときに女を見て欲の染まった心を生じ、そのまま精を漏らして下裙を汚しました。仏は言われました。「二枚とすべきである。一枚は乾かし、一枚は着ける。」精の多い者がいて皮が湿って壊れたとき、「物を当てて沙土を入れてもよい。」ある苾芻が着けたまま食べたり制底を繞ったりしました。仏は言われました。「外して屏処に置き、手を洗って清めてから食べ、礼敬するようにせよ。」
後於一時,難陀在石上坐憶孫陀羅,即於石上畫作其像。時大迦葉波因過其所,見彼畫石,問言:「難陀!汝何所為?」答言:「大德!我畫孫陀羅形。」報言:「具壽!佛遣苾芻作二種事:一者習定,二者讀誦。汝今棄此自畫婦形。」聞已默然。迦葉波白佛,佛作是念:「苾芻作畫有此過生。」佛告苾芻:「難陀癡人憶孫陀羅畫其形像。是故苾芻不應為畫。作者得越法罪。」
後に、ある時、難陀が石の上に座って孫陀羅を思い出し、その石の上に彼女の姿を描いていた。その時、大迦葉が通りかかり、その描かれた石を見て尋ねた。「難陀よ、何をしているのか?」答えて言った。「大徳、私は孫陀羅の姿を描いています。」迦葉は言った。「比丘よ、仏は比丘に二つのことを命じている。一つは瞑想を修めること、もう一つは経典を読誦することだ。今、あなたはそれを捨てて、自分の妻の姿を描いている。」これを聞いて、難陀は黙り込んだ。迦葉は仏にこのことを告げた。仏はこう考えられた。「比丘が絵を描くことには、このような過ちが生じる。」そして仏は比丘たちに告げられた。「難陀の愚か者は孫陀羅を思い出し、その姿を描いた。それゆえ、比丘は絵を描くべきではない。描く者は法に背く罪を得る。」
時諸苾芻聞佛制畫,於制底處不敢塗香,佛問阿難陀:「何故如來髮爪窣覩波所,不著塗香及香泥灑地?」時阿難陀以緣白佛,佛言:「應以香泥隨意塗拭,不得畫作眾生形像,作者得越法罪。若畫死屍或作髑髏像者無犯。」
その時、諸々の比丘たちは、仏が画を禁じられたことを聞き、仏塔の場所では塗香を施すことをためらっていました。そこで仏は阿難陀に尋ねられました。「なぜ如来の髪や爪を納めたストゥーパのところに、塗香を施したり、香泥を地面にまいたりしないのか?」阿難陀はその理由を仏に申し上げると、仏は言われました。「香泥を自由に塗り清めるのはよい。ただし、生き物の形を描いてはならない。描いた者は越法罪となる。もし死体を描くか、髑髏の像を作るのであれば、罪にはならない。」
佛念難陀愚癡染惑,尚憶其妻愛情不捨,應作方便令心止息,即告之曰:「汝先曾見香醉山不?」答言:「未見。」「若如是者捉我衣角。」即就捉衣,于時世尊猶如鵝王,上昇虛空至香醉山,將引難陀左右顧眄,於果樹下見雌獼猴又無一目,即便舉面直視世尊。佛告難陀曰:「汝見此瞎獼猴不?」白佛言:「見。」佛言:「於汝意云何?此瞎獼猴比孫陀羅誰為殊勝?」答言:「彼孫陀羅是釋迦種,猶如天女儀容第一舉世無雙,獼猴比之千萬億分寧及其一。」佛言:「汝見天宮不?」答言:「未見。」「可更捉衣角。」即便執衣,還若鵝王上虛空界至三十三天,告難陀曰:「汝可觀望天宮勝處。」難陀即往歡喜園、婇身園、麁身園、交合園、圓生樹、善法堂,如是等處諸天苑園,花果浴池遊戲之處,殊勝歡娛,悉皆遍察。次入善見城中,復見種種鼓樂絲竹微妙音聲,廊宇疎通床帷映設,處處皆有天妙婇女共相娛樂。難陀遍觀見一處所,唯有天女而無天子。便問天女曰:「何因餘處男女雜居受諸快樂。汝等何故,唯有女人不見男子?」天女答曰:「世尊有弟名曰難陀,投佛出家專修梵行,命終之後當生此間。我等於此相待。」難陀聞已踊躍歡欣速還佛所。世尊問言:「汝見諸天勝妙事不?」答言:「已見。」佛言:「汝見何事?」彼如所見具白世尊。佛告難陀:「見天女不?」答言:「已見。」「此諸天女比孫陀羅誰為殊妙?」白言:「世尊!以孫陀羅比此天女,還如香醉山內以瞎獼猴比孫陀羅,百千萬倍不及其一。」
仏陀は難陀が愚かさに惑わされ、なおも妻への愛着を捨てられないのを見て、心を鎮める方便を施そうと思い、彼に告げた。「そなたはかつて香酔山を見たことがあるか?」難陀は「見たことがありません」と答えた。「それならば、わが衣の裾を掴むがよい。」難陀が衣を掴むと、世尊は鵞鳥の王のように虚空に昇り、香酔山へと至った。難陀を導きながら左右を見渡すと、果樹の下に雌の猿が一匹おり、しかも片目がない。猿は顔を上げてまっすぐに世尊を見つめた。仏陀は難陀に言った。「そなたはこの盲目の猿を見たか?」難陀は「見ました」と答えた。仏陀は言った。「そなたはどう思うか。この盲目の猿と、そなたの妻の孫陀羅とでは、どちらが優れているか?」難陀は答えた。「孫陀羅は釈迦族の出身で、天女のような容姿はこの世で比類なく第一です。猿と比べれば、その千万億分の一にも及びません。」仏陀は言った。「そなたは天宮を見たことがあるか?」難陀は「見たことがありません」と答えた。「では、もう一度衣の裾を掴むがよい。」難陀が衣を掴むと、再び鵞鳥の王のように虚空を昇り、三十三天に至った。仏陀は難陀に告げた。「天宮の優れた場所を見てくるがよい。」難陀はすぐに歓喜園、婇身園、麁身園、交合園、円生樹、善法堂など、諸々の天界の苑園や、花果の浴池、遊戯の場所へと赴き、その優れた歓楽と娯楽をことごとく見て回った。次に善見城に入ると、またさまざまな鼓楽や管弦の微妙な音声が聞こえ、廊下は広々とし、床には帷が映えて設えられ、至る所に天の妙なる婇女たちが共に楽しみ遊んでいた。難陀が辺りを見渡すと、一か所だけ、天女ばかりで天子のいない場所があった。難陀は天女たちに尋ねた。「なぜほかの場所では男女が雑居して楽しんでいるのに、あなた方のところには女ばかりで男が見えないのか?」天女たちは答えた。「世尊には難陀という弟がおられます。彼は仏陀に帰依して出家し、ひたすら梵行を修めておられます。その命が終わった後、ここに生まれてくるのです。私たちはここで彼をお待ちしているのです。」難陀はこれを聞くと、躍り上がって喜び、急いで仏陀のもとに戻った。世尊は尋ねた。「そなたは天界の優れた妙なる事柄を見たか?」難陀は「見ました」と答えた。仏陀は言った。「何を見たのか?」難陀は見たままをありのままに世尊に申し上げた。仏陀は難陀に告げた。「天女たちを見たか?」難陀は「見ました」と答えた。「これらの天女たちと孫陀羅とでは、どちらが優れているか?」難陀は申し上げた。「世尊よ、孫陀羅をこの天女たちと比べれば、ちょうど香酔山の中で盲目の猿を孫陀羅と比べるようなもので、百千万倍してもその一には及びません。」
佛告難陀:「修淨行者有斯勝利,汝今宜可堅修梵行,當得生天受斯快樂。」聞已歡喜默然而住。
お釈迦様は難陀に言われました。 「清らかな行いを修める者は、このような素晴らしい功徳を得るのです。あなたは今、しっかりと清らかな行いを修め、天界に生まれ変わってこの喜びを受けるべきです。」 これを聞いて、難陀は喜びに満ち、静かに座りました。
爾時世尊便與難陀,即於天沒至逝多林。是時難陀思慕天宮而修梵行,佛知其意告阿難陀曰:「汝今可去告諸苾芻:『不得一人與難陀同座而坐,不得同處經行,不得一竿置衣,不得一處安鉢及著水瓶,不得同處讀誦經典。』」阿難陀傳佛言教告諸苾芻,苾芻奉行皆如聖旨。是時難陀既見諸人不共同聚,極生羞愧。後於一時,阿難陀與諸苾芻在供侍堂中縫補衣服,難陀見已便作是念:「此諸苾芻咸棄於我不同一處,此阿難陀既是我弟,豈可相嫌。」即去同坐。時阿難陀速即起避,彼言:「阿難陀!諸餘苾芻事容見棄,汝是我弟,何乃亦嫌?」阿難陀曰:「誠有斯理,然仁行別道,我遵異路,是故相避。」答曰:「何謂我道?云何爾路?」答曰:「仁樂生天而修梵行,我求圓寂而除欲染。」聞是語已倍加憂慼。
その時、世尊は難陀と共に、天界から忽然と逝多林にお現れになった。難陀は天宮を恋しく思いながら修行に励んでいたが、仏はその心を知り、阿難陀にこうお告げになった。「汝、今すぐに行き、諸々の比丘たちに伝えよ。『誰一人として難陀と同座してはならぬ。同じ場所で経行してはならぬ。同じ竿に衣をかけてはならぬ。同じ場所に鉢や水瓶を置いてはならぬ。同じ場所で経典を読誦してはならぬ』と。」阿難陀は仏の教えを伝え、比丘たちに告げた。比丘たちはその聖なるお言葉の通りに実践した。難陀は人々が皆、自分と共に集まろうとしないのを見て、ひどく恥じ入り、落ち込んだ。
その後ある時、阿難陀と諸々の比丘たちが供侍堂で衣服の縫い繕いをしていた。難陀はそれを見て、こう思った。「この比丘たちは皆、私を避けて同じ場所にいようとしない。この阿難陀は私の弟である。まさか彼まで私を嫌うはずがない。」そう思って近づき、同じ座に座ろうとした。すると阿難陀はすぐに立ち上がり、その場を離れた。難陀は言った。「阿難陀よ。他の比丘たちが私を避けるのはともかく、汝は私の弟ではないか。なぜ汝まで私を嫌うのか。」阿難陀は答えた。「確かにその通りです。しかし、あなたは別の道を行き、私は異なる道を歩んでおります。それ故に避けたのです。」難陀は尋ねた。「私の道とは何か。汝の道とは何か。」阿難陀は答えた。「あなたは天界に生まれんがために梵行を修め、私は涅槃を求めんがために欲の染みを除いているのです。」この言葉を聞いて、難陀の憂いと苦しみは一層深まった。
爾時世尊知其心念,告難陀曰:「汝頗曾見捺洛迦不?」答言:「未見。」佛言:「汝可捉我衣角。」即便就執,佛便將去往地獄中。爾時世尊在一邊立,告難陀曰:「汝今可去觀諸地獄。」難陀即去,先見灰河,次至劍樹糞屎火河,入彼觀察遂見眾生受種種苦、或見以鉗拔舌拔齒抉目、或時以鋸㓟解其身、或復以斧斫截手足、或以牟鑹鑱身、或以棒打矟刺、或以鐵鎚粉碎、或以鎔銅灌口、或上刀山劍樹碓擣石磨、銅柱鐵床受諸極苦、或見鐵鑊猛火沸騰,熱焰洪流煮有情類,見如是等受苦之事。復有一大鐵鑊然湯涌沸中無有情,覩此憂惶,問獄卒曰:「何因緣故自餘鐵鑊皆煮有情,唯此鑊中空然沸涌?」彼便報曰:「佛弟難陀,唯願生天專修梵行,得生天上暫受快樂,彼命終後入此鑊中,是故我今然鑊相待。」難陀聞已生大恐怖,身毛皆竪白汗流出,作如是念:「此若知我是難陀者,生叉鑊中。」即便急走詣世尊處。佛言:「汝見地獄不?」難陀悲泣雨淚哽咽而言,出微細聲白言:「已見。」佛言:「汝見何物?」即如所見具白世尊。佛告難陀:「或願人間、或求天上,勤修梵行有如是過。是故汝今當求涅槃以修梵行,勿樂生天而致勤苦。」難陀聞已情懷愧恥默無所對。爾時世尊知其意已,從地獄出至逝多林,即告難陀及諸苾芻曰:「內有三垢:謂是婬欲、瞋恚、愚癡,是可棄捨是應遠離,汝當修學。」
その時、世尊は彼の心の思いを知り、難陀に告げられた。「そなたは地獄を見たことがあるか?」難陀は答えた。「まだ見たことはありません。」仏は言われた。「では、わが衣の裾をつかむがよい。」難陀がすぐに衣の裾を取ると、仏は彼を連れて地獄へと向かわれた。
世尊は傍らに立たれ、難陀に言われた。「さあ、行って地獄の様子を見てくるがよい。」難陀が行ってみると、まず灰の河を見、次に剣の樹立つ糞尿の火の河へと至った。そこに入って観察すると、多くの衆生がさまざまな苦しみを受けているのを見た。ある者は舌や歯を抜かれ、目を抉り取られ、ある者は鋸で体を切り刻まれ、斧で手足を断ち切られていた。また、矛で体を刺され、棒で打たれ、槍で貫かれ、鉄槌で粉々に砕かれる者もいた。溶けた銅を口に注がれ、刀山剣樹に登らされ、臼で搗かれ、石臼で挽かれる者もいた。銅の柱や鉄の床で激しい苦しみを受ける者もいる。また、大きな鉄の釜が猛火で沸き立ち、熱湯が滾る中で有情が煮られているのを見た。
その中に、一つだけ湯が沸騰しているのに中に有情のいない大きな鉄の釜があった。それを見て難陀は不安になり、獄卒に尋ねた。「どうして他の釜には皆、有情が煮られているのに、この釜だけが空で沸き立っているのですか?」獄卒は答えた。「仏の弟である難陀が、天に生まれようと願い、ひたすら清らかな行いに励み、天上に生まれて束の間の楽しみを受けるが、その命が終わればこの釜に落ちてくる。それゆえ、今、釜を沸かして待っているのだ。」難陀はこれを聞いて大いに恐怖し、身の毛が逆立ち、冷や汗が流れた。そしてこう思った。「もし私が難陀だと知られたら、たちまちこの釜に投げ込まれてしまう。」急いで走って世尊のもとに戻った。
仏は言われた。「地獄を見てきたか?」難陀は悲しみの涙を流し、声を詰まらせながら、かすかな声で答えた。「はい、見てきました。」仏は言われた。「何を見たのか?」難陀は見たままをありのままに世尊に申し上げた。
仏は難陀に告げられた。「人間に生まれ変わろうと願い、あるいは天上を求め、清らかな行いに励むにも、このような過ちがある。それゆえ、そなたは今、涅槃を求め、清らかな行いを修めよ。生天の楽しみを願って、かえって苦しみを招くことのないように。」難陀はこれを聞き、心に恥じ入り、黙って何も答えられなかった。
その時、世尊は彼の思いを知られ、地獄を出て逝多林に戻られると、難陀と比丘たちに告げられた。「内に三つの汚れがある。すなわち、淫欲、瞋恚、愚痴である。これらは捨て去るべきものであり、遠ざけるべきものである。そなたたちは学び修めるがよい。」
爾時世尊住逝多林未經多日,為欲隨緣化眾生故,與諸徒眾往占波國住揭伽池邊。時彼難陀與五百苾芻,亦隨佛至往世尊所,皆禮佛足在一面坐。時佛世尊見眾坐定,告難陀曰:「我有法要,初中後善文義巧妙,純一圓滿清白梵行,所謂《入母胎經》。汝當諦聽,至極作意,善思念之,我今為說。」難陀言:「唯然世尊,願樂欲聞。」佛告難陀:「雖有母胎,有入不入。云何受生入母胎中?若父母染心共為婬愛,其母腹淨月期時至,中蘊現前,當知爾時名入母胎。此中蘊形有其二種:一者形色端正,二者容貌醜陋。地獄中有容貌醜陋如燒杌木、傍生中有其色如烟、餓鬼中有其色如水、人天中有形如金色、色界中有形色鮮白、無色界天元無中有,以無色故。中蘊有情或有二手二足、或四足多足、或復無足,隨其先業應託生處,所感中有即如彼形。若天中有頭便向上,人、傍生、鬼橫行而去,地獄中有頭直向下。凡諸中有皆具神通乘空而去,猶如天眼遠觀生處。言月期至者,謂納胎時。難陀!有諸女人或經三日、或經五日、半月、一月,或有待緣經久期水方至。若有女人身無威勢多受辛苦,形容醜陋無好飲食,月期雖來速當止息,猶如乾地,灑水之時即便易燥。若有女人身有威勢常受安樂,儀容端正得好飲食,所有月期不速止息,猶如潤地,水灑之時即便難燥。云何不入?若父精出時母精不出、母精出時父精不出、若俱不出,皆不入胎。若母不淨父淨、若父不淨母淨、若俱不淨,亦不受胎。若母根門為風病所持、或有黃病痰癊、或有血氣胎結、或為肉增、或為服藥、或麥腹病蟻腰病、或產門如駝口、或中如多根樹、或如犁頭、或如車轅、或如藤條、或如樹葉、或如麥芒、或腹下深、或有上深、或非胎器、或恒血出、或復水流、或如鵶口常開不合、或上下四邊闊狹不等、或高下凹凸、或內有虫食爛壞不淨,若母有此過者並不受胎。或父母尊貴中有卑賤、或中有尊貴父母卑賤,如此等類亦不成胎。若父母及中有俱是尊貴,若業不和合,亦不成胎,若其中有於前境處,無男女二愛,亦不受生。
その時、世尊は祇園精舚に滞在してまだ数日も経たないうちに、縁に従って衆生を教化しようと、弟子たちと共に占波国へ赴き、伽伽池のほとりに滞在されました。その時、難陀は五百人の比丘たちと共に、仏に従って世尊のもとへ行き、皆仏足を礼拝して一方に座りました。世尊は大衆が座り定まったのを見て、難陀に告げられました。
「私は法の要諦を持っている。初めも中ごろも終わりも優れ、文も義も巧みで、純粋円満で清らかな梵行である。それは『母胎に入る経』と呼ばれるものである。汝はよく聞き、心を集中し、善く思念せよ。今、私はそれを説こう」
難陀は言った。「はい、世尊。喜んでお聞きしたいです」
仏は難陀に告げられた。「母胎はあっても、入る場合と入らない場合がある。どのようにして母胎に入って受生するのか?もし父母が染心を起こし、ともに淫愛を行い、母の腹が清らかで月期が到来し、中有が現前したならば、その時を母胎に入ると知るべきである。この中有の形には二種類ある。一つは形色端正なもの、もう一つは容貌醜いものである。地獄の中有は容貌が醜く、焼けた木の株のようであり、畜生の中有はその色が煙のようであり、餓鬼の中有はその色が水のようであり、人と天の中有は形が金色のようであり、色界の中有は形色が鮮やかで白く、無色界天には本来中有はない。なぜなら無色だからである。中有の有情には、あるものは二手二足、あるものは四足、多足、また足がないものもあり、それぞれの過去の業によって応じて託生すべきところに従い、感ずる中有はその形のようになる。もし天の中有ならば頭は上を向き、人・畜生・餓鬼の中有は横に行き、地獄の中有は頭が真っ直ぐ下を向く。すべての中有は皆神通を具え、虚空に乗って行く。あたかも天眼で遠く生まれるところを見るかのようである。月期が到来するというのは、胎を納める時のことである。
難陀よ、ある女人は三日ごと、あるいは五日ごと、半月ごと、一月ごとに月期があり、あるいは縁を待って長く経てから月水がようやく到来する者もある。もし女人に威勢がなく、多くの苦しみを受け、容貌が醜く、良い飲食がなく、月期が来てもすぐに止んでしまうならば、それはあたかも乾いた土地に水を撒いた時、すぐに乾いてしまうようなものである。もし女人に威勢があり、常に安楽を受け、儀容が端正で良い飲食を得、月期がすぐには止まないならば、それはあたかも潤った土地に水を撒いた時、乾きにくいようなものである。
どのようにして入らないのか?もし父の精が出る時に母の精が出ない、母の精が出る時に父の精が出ない、あるいはともに出ないならば、皆胎に入らない。もし母が不浄で父が浄、父が不浄で母が浄、あるいはともに不浄ならば、また胎を受けない。もし母の根門が風病によって保たれ、あるいは黄病や痰癊があり、あるいは血気や胎結があり、あるいは肉増があり、あるいは服薬し、あるいは麦腹病や蟻腰病があり、あるいは産門が駱駝の口のようであり、あるいは中が多根樹のようであり、あるいは犁の頭のようであり、あるいは車の轅のようであり、あるいは藤の蔓のようであり、あるいは樹の葉のようであり、あるいは麦の芒のようであり、あるいは腹の下が深く、あるいは上が深く、あるいは胎の器でなく、あるいは常に血が出、あるいはまた水が流れ、あるいは烏の口のように常に開いて閉じず、あるいは上下四辺の広狭が等しくなく、あるいは高低凹凸があり、あるいは内に虫が食って爛れ壊れて不浄であるならば、もし母にこのような過失があるならば、胎を受けない。あるいは父母が尊貴で中有が卑賤、あるいは中有が尊貴で父母が卑賤であるならば、このような類もまた胎を成さない。もし父母と中有がともに尊貴であっても、業が和合しなければ、また胎を成さない。もし中有がその前の境において男女の二愛がなければ、また生を受けない。」
「難陀!云何中有得入母胎?若母腹淨、中有現前見為欲事,無如上說眾多過患,父母及子有相感業,方入母胎。又彼中有欲入胎時心即顛倒,若是男者於母生愛於父生憎、若是女者於父生愛於母生憎,於過去生所造諸業而起妄想作邪解心,生寒冷想、大風大雨及雲霧想,或聞大眾鬧聲,作此想已隨業優劣復起十種虛妄之想。云何為十?我今入宅、我欲登樓、我昇臺殿、我昇床座、我入草菴、我入葉舍、我入草叢、我入林內、我入牆孔、我入籬間。難陀!其時中有作此念已即入母胎。應知受胎名羯羅藍。父精母血非是餘物,由父母精血和合因緣,為識所緣依止而住,譬如依酪瓶鑽人功動轉不已,得有酥出,異此不生。當知父母不淨精血,羯羅藍身亦復如是。復次難陀!有四譬喻,汝當善聽!如依青草虫乃得生,草非是虫、虫非離草,然依於草因緣和合,虫乃得生身作青色。難陀當知!父精母血羯羅藍身亦復如是,因緣和合大種根生。如依牛糞生虫,糞非是虫、虫非離糞,然依於糞因緣和合,虫乃得生身作黃色。難陀當知!父精母血羯羅藍身亦復如是,因緣和合大種根生。如依棗生虫,棗非是虫、虫非離棗,然依於棗因緣和合,虫乃得生身作赤色。難陀當知!父精母血羯羅藍身亦復如是,因緣和合大種根生。如依酪生虫身作白色,廣說乃至因緣和合大種根生。復次難陀!依父母不淨羯羅藍故,地界現前堅鞕為性、水界現前濕潤為性、火界現前溫煖為性、風界現前輕動為性。難陀!若父母不淨羯羅藍身,但有地界無水界者,便即乾燥悉皆分散,譬如手握乾麨灰等。若但水界無地界者,即便離散如油渧水。由水界故地界不散,由地界故水界不流。難陀!羯羅藍身有地水界無火界者,而便爛壞,譬如夏月陰處肉團。難陀!羯羅藍身但有地水火界無風界者,即便不能增長廣大。此等皆由先業為因更互為緣,共相招感識乃得生,地界能持、水界能攝、火界能熟、風界能長。難陀!又如有人若彼弟子熟調沙糖,即以氣吹令其增廣,於內空虛猶如藕根,內身大種地水火風業力增長亦復如是。難陀!非父母不淨有羯羅藍體,亦非母腹、亦非是業、非因、非緣,但由此等眾緣和會方始有胎,如新種子不被風日之所損壞,堅實無穴藏舉合宜,下於良田并有潤澤,因緣和合方有芽莖枝葉花果次第增長。難陀!此之種子,非離緣合芽等得生。如是應知:非唯父母、非但有業及以餘緣而胎得生,要由父母精血因緣和合方有胎耳。難陀!如明眼人為求火故,將日光珠置於日中,以乾牛糞而置其上方有火生。如是應知:依父母精血因緣合故方有胎生,父母不淨成羯羅藍,號之為色,受想行識即是其名,說為名色。此之蘊聚可惡名色託生諸有,乃至少分剎那我不讚歎。何以故?生諸有中是為大苦,譬如糞穢少亦是臭。如是應知,生諸有中少亦名苦。此五取蘊:色、受、想、行、識,皆有生住增長及以衰壞。生即是苦、住即是病、增長衰壞即是老死。是故難陀!誰於有海而生愛味,臥母胎中受斯劇苦?
難陀よ、いかにして中有は母の胎に入るのでしょうか。もし母の胎が清らかで、中有が眼前に現れ、欲事を見て、先に述べたような多くの過失がなく、父母と子に互いに感応する業があって、初めて母の胎に入るのです。
また、その中有が胎に入ろうとする時、心は倒錯します。もし男であれば、母に対して愛を生じ、父に対して憎しみを抱きます。もし女であれば、父に対して愛を生じ、母に対して憎しみを抱きます。過去の生で造った様々な業によって妄想が起こり、邪な解釈の心が生じ、寒さの想い、大風や大雨、霧や雲の想いを抱き、あるいは大勢の騒ぎ声を聞きます。このような想いを抱いた後、業の優劣に従ってさらに十種の虚妄の想いが起こります。どのような十種でしょうか。今、私は家に入る、私は楼に登ろうとする、私は高殿に昇る、私は床座に昇る、私は草庵に入る、私は葉の小屋に入る、私は草むらに入る、私は林の中に入る、私は壁の穴に入る、私は垣根の間に入る、というものです。
難陀よ、その時、中有がこのような念いを抱くと、すぐに母の胎に入ります。受胎は「羯羅藍」と呼ばれることを知るべきです。父の精と母の血は他のものではなく、父母の精血が和合する因縁によって、識がよりどころとして住むのです。ちょうど、酪の瓶を人が鑽って動かし続けると、酥(バター)が出てくるように、これ以外では生じません。父母の不浄な精血による羯羅藍の身もまた同じであることを知るべきです。
さらに難陀よ、四つの譬えがあります。よく聞きなさい。青草に依って虫が生まれるように、草は虫ではなく、虫も草から離れていませんが、草に依る因縁和合によって、虫は生まれ、体は青色になります。難陀よ、父の精と母の血による羯羅藍の身もまた同じで、因縁和合によって四大の種が根となって生じるのです。
牛糞に依って虫が生まれるように、糞は虫ではなく、虫も糞から離れていませんが、糞に依る因縁和合によって、虫は生まれ、体は黄色になります。難陀よ、父の精と母の血による羯羅藍の身もまた同じで、因縁和合によって四大の種が根となって生じるのです。
棗に依って虫が生まれるように、棗は虫ではなく、虫も棗から離れていませんが、棗に依る因縁和合によって、虫は生まれ、体は赤色になります。難陀よ、父の精と母の血による羯羅藍の身もまた同じで、因縁和合によって四大の種が根となって生じるのです。
酪に依って虫が生まれ、体は白色になるように、広く説けば、因縁和合によって四大の種が根となって生じるのです。
さらに難陀よ、父母の不浄な羯羅藍に依って、地界が現前し、堅さと硬さを本性とし、水界が現前し、湿潤を本性とし、火界が現前し、温かさを本性とし、風界が現前し、軽やかさと動きを本性とします。
難陀よ、もし父母の不浄な羯羅藍の身に、地界だけがあって水界がなければ、乾燥してすべて分散してしまいます。ちょうど、手で乾いた麩や灰などを握るように。もし水界だけがあって地界がなければ、すぐに離散してしまいます。油が水に滴るように。水界があるから地界は散らばらず、地界があるから水界は流れ出ないのです。
難陀よ、羯羅藍の身に地界と水界があっても火界がなければ、腐って壊れてしまいます。ちょうど、夏の日陰に置かれた肉の塊のように。難陀よ、羯羅藍の身に地界・水界・火界があっても風界がなければ、成長して広がることができません。これらはすべて、先の業が因となり、互いに縁となって、共に招き感応し、識が生じるのです。地界は持ちこたえ、水界はまとめ、火界は熟させ、風界は成長させます。
難陀よ、また、たとえば砂糖をよく練った弟子が、息を吹きかけてそれを膨らませると、内部に空洞ができ、蓮根のようになります。内身の四大である地水火風も、業の力によって成長するのは同じです。
難陀よ、父母の不浄だけが羯羅藍の体ではなく、母の胎だけでもなく、業だけでもなく、因だけでもなく、縁だけでもありません。ただ、これらの多くの縁が和合して初めて胎ができるのです。ちょうど、新しい種子が風や日に損なわれず、堅く穴がなく、保存と取り扱いが適切で、良田に下ろされ、潤いがあって、因縁が和合して初めて芽や茎、枝や葉、花や果実が次第に成長するように。
難陀よ、この種子は、縁の和合から離れて芽などが生じるのではありません。このように知るべきです。父母だけでもなく、業だけでもなく、他の縁だけでもなく、胎が生じるのではなく、父母の精血という因縁が和合して初めて胎ができるのです。
難陀よ、明眼の人が火を求めるために、日光珠を日中に置き、乾いた牛糞をその上に置いて初めて火が生じるように。このように知るべきです。父母の精血という因縁が和合して初めて胎が生じ、父母の不浄が羯羅藍となり、それを「色」と呼び、受・想・行・識がその名であり、「名色」と説かれるのです。この蘊の集まりは忌まわしい名色であり、諸有に生を受けること、たとえわずかな刹那であっても、私は称賛しません。なぜでしょうか。諸有に生まれることは大いなる苦しみだからです。ちょうど、糞尿はわずかでも臭いように。このように知るべきです。諸有に生まれることは、わずかでも苦しみなのです。
この五取蘊、すなわち色・受・想・行・識には、すべて生じ、住し、成長し、そして衰え壊れることがあります。生じることは苦しみ、住することは病い、成長し衰え壊れることは老死です。ですから難陀よ、誰が有の海に愛着を抱き、母の胎の中に臥してこの激しい苦しみを受けるでしょうか。
「復次難陀!如是應知:凡入胎者大數言之,有三十八七日。初七日時胎居母腹,如榍如癰臥在糞穢如處鍋中,身根及識同居一處,壯熱煎熬極受辛苦,名羯羅藍,狀如粥汁或如酪漿,於七日中內熱煎煮,地界堅性、水界濕性、火界煖性、風界動性,方始現前。
さらに、難陀よ、このように知るべきである。一般的に胎内に入るものは、大まかに言って三十八の七日の期間を経る。初めの七日の間、胎児は母の腹の中にあり、それはちょうど木屑や膿が糞尿の中に横たわり、鍋の中にあるかのようである。身体と意識は一つの場所に同居し、激しい熱に焼かれ、極めて苦しみを受ける。これを「羯羅藍」と呼び、粥の汁や酪漿のような状態である。七日の間に内側の熱によって煮られ、地の要素の堅さ、水の要素の湿り、火の要素の暖かさ、風の要素の動きが、ようやく現れてくるのである。
「難陀!第二七日胎居母腹,臥在糞穢如處鍋中,身根及識同居一處,壯熱煎熬極受辛苦,於母腹中有風自起名為遍觸,從先業生,觸彼胎時名頞部陀,狀如稠酪或如凝酥,於七日中內熱煎煮四界現前。
難陀よ、第二の七日、母の胎内に宿る時、身は糞穢の中に横たわり、まるで鍋の中にいるかのようだ。身根と識は一つの所に共にあり、激しい熱に焼かれ、極めて苦しみを受ける。母の胎内には、遍触という名の風が自ら起こる。これは先の業から生じ、その胎を触れる時、これを頞部陀という。その様子は、濃厚な乳酪のようであり、あるいは凝った酥(バター)のようである。七日のうちに、内熱が煎じ煮え、四界が現前する。
「難陀!第三七日廣說如前,於母腹中有風名刀鞘口,從先業生,觸彼胎時,名曰閉尸,狀如鐵箸或如蚯蚓,於七日中四界現前。
難陀よ、第三の七日も、これまでと同様に詳しく説く。母の胎内に、刀の鞘の口と呼ばれる風が生じる。これは前世の行いから生まれるもので、胎児に触れるとき、これを閉尸(へいし)と呼ぶ。その形は鉄の箸のようであり、あるいはミミズのようである。七日の間に、地・水・火・風の四つの要素が現れる。
「難陀!第四七日廣說如前,於母腹中有風名為內開,從先業生,吹擊胎箭,名為健南,狀如鞋楥或如溫石,於七日中四界現前。
難陀よ、第四の七日も、先に述べたように詳しく説く。母の胎内に、内開という名の風が起こる。これは過去の行いから生じ、胎児の矢を吹き打つ。これを健南と呼ぶ。その形は、靴の木型のようであり、あるいは温かい石のようである。七日のうちに、四つの要素が現れる。
「難陀!第五七日廣說如前,於母腹中有風名曰攝持,此風觸胎有五相現,所謂兩臂、兩髀及頭,譬如春時天降甘雨,樹林欝茂增長枝條,此亦如是五相顯現。
難陀よ、第五の七日も、これまでと同様に詳しく説かれている。母の胎内には、摂持という名の風が起こる。この風が胎児に触れると、五つの相が現れる。すなわち、両腕、両太もも、そして頭である。ちょうど春の季節に天から恵みの雨が降り、林の木々が青々と茂り、枝が伸び広がるように、この五つの相も明らかに現れるのである。
「難陀!第六七日,於母腹中有風名曰廣大,此風觸胎有四相現,謂兩肘、兩膝,如春降雨荑草生枝,此亦如是四相顯現。
難陀よ、第六の七日の間、母の胎内に広大という名の風が起こる。この風が胎児に触れると、四つの相が現れる。すなわち、両肘と両膝である。それはちょうど、春の雨が降り、草の若芽が枝を伸ばすようなものだ。これと同じように、四つの相が明らかになるのである。
「難陀!第七七日,於母腹中有風名為旋轉,此風觸胎有四相現,謂兩手、兩脚,猶如聚沫或如水苔,有此四相。
難陀よ、第七の七日の間、母の胎内には「旋転」という名の風が吹き起こる。この風が胎児に触れると、四つの相が現れる。すなわち、両手と両脚である。それはまるで泡の集まりのようであり、あるいは水苔のように柔らかい。この四つの相が生じるのだ。
「難陀!第八七日,於母腹中有風名曰翻轉,此風觸胎有二十相現,謂手足十指從此初出,猶如新雨樹根始生。
難陀よ、第八の七日、母の胎内に「翻轉」という名の風が起こる。この風が胎児に触れると、二十の相が現れる。すなわち、手足の十本の指がここから初めて現れ出す。それはちょうど、新たな雨の後に木の根が生え始めるかのようである。
「難陀!第九七日,於母腹中有風名曰分散,此風觸胎有九種相現,謂二眼、二耳、二鼻并口及下二穴。
難陀よ、第九の七日、母の胎内に分散という名の風が起こる。この風が胎児に触れると、九つの相が現れる。すなわち、両眼、両耳、両鼻、そして口、および下の二つの穴である。
「難陀!第十七日,於母腹中有風名曰堅鞕,令胎堅實,即此七日於母胎中有風名曰普門,此風吹脹胎藏,猶如浮囊以氣吹滿。
難陀よ、第十七日、母の胎内に「堅鞕」という名の風が起こり、胎児をしっかりと固めます。そしてこの七日間、母の胎内には「普門」という名の風が吹き、胎児を膨らませます。まるで浮き袋に息を吹き込んでふくらませるかのように。
「難陀!第十一七日,於母胎中有風名曰疎通,此風觸胎,令胎通徹有九孔現,若母行立坐臥作事業時,彼風旋轉虛通漸令孔大。若風向上上孔便開,若向下時即通下穴,譬如鍛師及彼弟子,以槖扇時上下通氣,風作事已即便隱滅。
難陀よ、第十一の七日の間に、母の胎内に「疎通」という名の風が起こる。この風が胎児に触れると、胎児を通り抜けて九つの穴が現れる。母が歩き、立ち、座り、横たわり、何かの作業をするとき、その風は回転し、虚空を通じて次第に穴を大きくする。風が上に向かえば上の穴が開き、下に向かえば下の穴が通じる。ちょうど鍛冶屋やその弟子が鞴(ふいご)で扇ぐとき、上下に風を通らせるようなものだ。風がその働きを終えると、やがて消え去る。
「難陀!第十二七日,於母腹中有風名曰曲口,此風吹胎,於左右邊作大小腸猶如藕絲,如是依身交絡而住。即此七日復有風名曰穿髮,於彼胎內作一百三十節無有增減,復由風力作百一禁處。
難陀よ、第十二の七日目、母の胎内に「曲口」という名の風が起こる。この風が胎児を吹き、左右に大小の腸を作る。それは蓮根の糸のようであり、このようにして体に絡みついて定着する。この七日目にまた「穿髪」という名の風が起こり、胎内に百三十の関節を作り、増減することはない。さらに風の力によって百一の要害の場所が作られる。
「難陀!第十三七日,於母腹中以前風力知有飢渴,母飲食時所有滋味,從臍而入藉以資身。
難陀よ、第十三日から十七日にかけて、母の胎内において、まず風の力によって飢えと渇きを知る。母が飲食する時、そのすべての味わいは、へそから入って、それによって身体を養うのです。
「難陀!第十四七日,於母腹中有風名曰線口,其風令胎生一千筋,身前有二百五十、身後有二百五十、右邊二百五十、左邊二百五十。
難陀よ、第十四の七日、母の胎内に線口という名の風が起こる。この風は胎児に千本の筋を生じさせる。身前に二百五十、身後に二百五十、右側に二百五十、左側に二百五十である。
「難陀!第十五七日,於母腹中有風名曰蓮花,能與胎子作二十種脈吸諸滋味,身前有五、身後有五、右邊有五、左邊有五,其脈有種種名及種種色,或名伴、或名力、或名勢,色有青黃赤白豆酥油酪等色,更有多色共相和雜。難陀!其二十脈,脈別各有四十脈以為眷屬,合有八百吸氣之脈,於身前後左右各有二百。難陀!此八百脈各有一百道脈眷屬相連,合有八萬。前有二萬、後有二萬、右有二萬、左有二萬。難陀!此八萬脈復有眾多孔穴,或一孔、二孔乃至七孔,一一各與毛孔相連,猶如藕根有多孔隙。
難陀よ、第十五の七日、母の胎内に蓮華という名の風が起こり、胎児のために二十種の脈を作って、あらゆる滋養を吸収させます。身の前に五本、後に五本、右に五本、左に五本あります。これらの脈には様々な名称と色があり、伴、力、勢などと呼ばれ、色は青、黄、赤、白、豆、酥、油、酪など、さらに多くの色が混ざり合っています。難陀よ、その二十本の脈には、それぞれ四十本の眷属の脈があり、合わせて八百本の気を吸う脈となります。身の前後左右にそれぞれ二百本ずつあります。難陀よ、この八百本の脈には、それぞれ百本の眷属の脈が連なり、合わせて八万本となります。前に二万、後に二万、右に二万、左に二万です。難陀よ、この八万本の脈にはさらに多くの孔があり、一孔、二孔、あるいは七孔まであり、それぞれが毛孔と繋がっています。それはちょうど蓮根に多くの穴が空いているようなものです。
「難陀!第十六七日,於母腹中有風名曰甘露行,此風能為方便安置胎子二眼處所,如是兩耳兩鼻口咽胸臆,令食入時得停貯處,能令通過出入氣息。譬如陶師及彼弟子,取好泥團安在輪上,隨其器物形勢安布令無差舛。此由業風能作如是,於眼等處隨勢安布,乃至能令通過出入氣息亦無差失。
難陀よ、第十六の七日の間、母の胎内に甘露行という名の風が起こる。この風は巧みに胎児の両眼を定める場所に置き、同様に両耳、両鼻、口、喉、胸を整え、飲食物が入った時に留まる場所を与え、出入りする息が通るようにする。ちょうど陶工とその弟子が良質の粘土を取って轆轤に載せ、器の形に合わせて間違いなく配置するように、この業の風もまた、眼などの場所をその形に従って配置し、さらには出入りする息が通るようにもして、何一つ過ちがないようにするのである。
「難陀!第十七七日,於母腹中有風名曰毛拂口,此風能於胎子眼耳鼻口咽喉胸臆食入之處,令其滑澤通出入氣息安置處所。譬如巧匠,若彼男女取塵翳鏡,以油及灰或以細土揩拭令淨。此由業風能作如是,安布處所無有障礙。
難陀よ、第十七の七日の間、母の胎内に「毛拂口」という名の風が起こる。この風は、胎児の眼や耳、鼻、口、咽喉、胸、腹、飲食の入るところなど、すべての通り道を滑らかにし、出入りする息が通る場所を整え、妨げなく配置するのだ。ちょうど、優れた工匠が、曇った鏡を油や灰、あるいは細かい土で丁寧に拭き上げ、清浄にするようなものだ。このように、業の風によって、あらゆる場所が整えられ、何の障害もなく配置されるのである。
「難陀!第十八七日,於母腹中有風名曰無垢,能令胎子六處清淨,如日月輪大雲覆蔽,猛風忽起吹雲四散光輪清淨。難陀!此業風力,令其胎子六根清淨亦復如是。
難陀よ、第十八の七日の間に、母の胎内に「無垢」という名の風が起こり、胎児の六つの感覚器官を清らかにする。それはちょうど、月や太陽の光輪が厚い雲に覆われていたとき、突然強い風が吹き起こって雲を四方に吹き払い、光輪が清浄に輝きわたるようなものだ。難陀よ、この業の風の力によって、胎児の六根が清浄になる様子も、まさにそのとおりなのだ。
「難陀!第十九七日,於母腹內令其胎子成就四根:眼、耳、鼻、舌,入母腹時先得三根,謂身、命、意。
難陀よ、第十九の七日目に、母の胎内で胎児は四つの根を成就する。すなわち、眼、耳、鼻、舌である。母の胎内に入った時、先に三つの根を得ている。それは、身、命、意である。
「難陀!第二十七日,於母腹中有風名曰堅固,此風依胎左脚生指節二十骨,右脚亦生二十骨,足跟四骨、膞有二骨、膝有二骨、髀有二骨、腰髁有三骨、脊有十八骨、肋有二十四骨。復依左手生指節二十骨,復依右手亦生二十,腕有二骨、臂有四骨、胸有七骨、肩有七骨、項有四骨、頷有二骨、齒有三十二骨、髑髏四骨。難陀!譬如塑師或彼弟子,先用鞕木作其相狀,次以繩纏後安諸泥以成形像。此業風力安布諸骨亦復如是。此中大骨數有二百,除餘小骨。
難陀よ、第二十七日、母の胎内に堅固という名の風が起こる。この風が胎児の左脚に依って、指の骨二十本を生じ、右脚にも同様に二十本の骨を生じる。かかとに四本の骨、ふくらはぎに二本、ひざに二本、太ももに二本、腰に三本、背骨に十八本、肋骨に二十四本の骨ができる。
さらに左手に依って指の骨二十本を生じ、右手にも同様に二十本を生じる。手首に二本、腕に四本、胸に七本、肩に七本、首に四本、あごに二本、歯に三十二本、頭蓋骨に四本の骨ができる。
難陀よ、ちょうど塑像師やその弟子が、まず硬い木で骨組みを作り、次に縄で巻き、その後で粘土を付けて形を整えるように、この業の風の力も、さまざまな骨を配置していくのである。ここで大きな骨は合わせて二百本あり、小さな骨は数に含まれない。
「難陀!第二十一七日,於母腹中有風名曰生起,能令胎子身上生肉,譬如泥師先好調泥泥於牆壁,此風生肉亦復如是。
難陀よ、第二十一の七日の間に、母の胎内に「生起」という名の風が起こります。この風は胎児の体に肉を生じさせる働きがあります。ちょうど壁塗りの職人が、よく練った泥を壁に塗りつけるように、この風もまた同じように肉を生み出すのです。
「難陀!第二十二七日,於母腹中有風名曰浮流,此風能令胎子生血。
難陀よ、第二十二の七日の間、母の胎内には浮流という名の風が起こる。この風は胎児に血を生じさせるのです。
「難陀!第二十三七日,於母腹內有風名曰淨持,此風能令胎子生皮。
難陀よ、第二十三の七日、母の胎内に浄持という名の風が起こる。この風は胎児に皮膚を生じさせる。
「難陀!第二十四七日,於母腹中有風名曰滋漫,此風能令胎子皮膚光悅。
難陀よ、第二十四の七日、母の胎内に滋漫という名の風が起こる。この風は、胎児の皮膚をなめらかに輝かせる働きがある。
「難陀!第二十五七日,於母腹中有風名曰持城,此風能令胎子血肉滋潤。
難陀よ、第二十五の七日の間、母の胎内には「持城」と呼ばれる風が起こります。この風は、胎児の血肉を潤し、成長させる働きをします。
「難陀!第二十六七日,於母腹中有風名曰生成,能令胎子身生髮毛爪甲,此皆一一共脈相連。
難陀よ、第二十六の七日の間、母の胎内には「生成」という名の風が起こります。この風が胎児の身体に髪や毛、爪や甲を生じさせ、それらはすべて一つ一つが脈とつながっているのです。
「難陀!第二十七七日,於母腹中有風名曰曲藥,此風能令胎子髮毛爪甲悉皆成就。
難陀よ、第二十七の七日の間に、母の胎内には曲薬という名の風が起こる。この風が胎児の髪や毛、爪をすべて完成させるのです。
「難陀!由其胎子先造惡業,慳澁悋惜於諸財物,堅固執著不肯惠施,不受父母師長言教,以身語意造不善業,日夜增長當受斯報。若生人間所得果報皆不稱意,若諸世人以長為好彼即短、若以短為好彼即長、以麁為好彼即細、若以細為好彼即麁、若支節相近為好彼即相離、若相離為好彼即相近、若多為好彼即少、若少為好彼即多、愛肥便瘦愛瘦便肥、愛怯便勇愛勇便怯、愛白便黑愛黑便白。難陀!又由惡業感得惡報:聾盲、瘖瘂、愚鈍、醜陋,所出音響人不樂聞,手足攣躄形如餓鬼,親屬皆憎不欲相見,況復餘人。所有三業向人說時,他不信受不將在意。何以故?由彼先世造諸惡業獲如是報。難陀!由其胎子先修福業,好施不慳憐愍貧乏,於諸財物無悋著心,所造善業日夜增長當受勝報。若生人間所受果報悉皆稱意,若諸世人以長為好則長、若以短為好則短,麁細合度支節應宜,多少、肥瘦、勇怯、顏色無不愛者,六根具足端正超倫,辭辯分明音聲和雅,人相皆具見者歡喜。所有三業向人說時,他皆信受敬念在心。何以故?由彼先世造諸善業獲如是報。
難陀よ、その胎児が前世で悪業を造ったゆえに、財物に強く執着し、惜しんで施すことをせず、父母や師長の教えを受け入れず、身・口・意によって不善な業を造り、日夜それを増長させたため、このような報いを受けるのです。もし人間に生まれるならば、得る果報はすべて意にかなわず、世間の人々が長いのを良しとすれば彼は短く、短いのを良しとすれば彼は長く、太いのを良しとすれば彼は細く、細いのを良しとすれば彼は太く、手足の節が近いのを良しとすれば彼は離れ、離れているのを良しとすれば彼は近く、多いのを良しとすれば彼は少なく、少ないのを良しとすれば彼は多く、肥えているのを好めば彼は痩せ、痩せているのを好めば彼は肥え、臆病なのを好めば彼は勇猛に、勇猛なのを好めば彼は臆病に、白いのを好めば彼は黒く、黒いのを好めば彼は白くなります。難陀よ、また悪業によって悪い報いが感得されるのです:耳が聞こえず、目が見えず、口が利けず、愚かで、醜く、発する音声は人々が喜んで聞かず、手足が曲がって餓鬼のようであり、親族でさえ憎んで会おうとせず、まして他の人々は言うまでもありません。身・口・意の三業について人に語っても、他人は信じず、心に留めません。なぜでしょうか? 彼が前世でさまざまな悪業を造ったために、このような報いを受けるからです。
難陀よ、その胎児が前世で福業を修め、よく施しをし、物惜しみせず、貧しい者を憐れみ、財物に執着する心がなく、造った善業が日夜増長したため、優れた報いを受けるのです。もし人間に生まれるならば、受ける果報はすべて意にかないものであり、世間の人々が長いのを良しとすれば長く、短いのを良しとすれば短く、太さ細さはほどよく、手足の節は適切で、多少、肥痩、勇怯、容色、すべてが人々に愛され、六根が具わり、端正で群を抜き、言葉は明瞭で、声は調和して優雅であり、人の相をすべて備え、見る者は喜びます。身・口・意の三業について人に語れば、他人は皆、信じて受け入れ、敬い心に留めます。なぜでしょうか? 彼が前世でさまざまな善業を造ったために、このような報いを受けるからです。
「難陀!胎若是男,在母右脇蹲踞而坐,兩手掩面向母脊住。若是女者,在母左脇蹲踞而坐,兩手掩面向母腹住,在生藏下、熟藏上,生物下鎮、熟物上刺,如縛五處插在尖標。若母多食或時少食皆受苦惱,如是若食極膩或食乾燥、極冷極熱、醎淡苦醋、或太甘辛,食此等時皆受苦痛。若母行欲或急行走,或時危坐、久坐、久臥、跳躑之時悉皆受苦。難陀當知!處母胎中有如是等種種諸苦逼迫其身,不可具說。於人趣中受如此苦,何況惡趣地獄之中苦難比喻?是故難陀!誰有智者樂居生死無邊苦海受斯厄難?
難陀よ、もし胎児が男ならば、母の右脇に蹲んで座り、両手で顔を覆い、母の背中に向かって留まっている。もし女ならば、母の左脇に蹲んで座り、両手で顔を覆い、母の腹に向かって留まっている。生臓の下、熟臓の上にあり、生じたものは下に沈み、熟したものは上に刺さる。まるで五カ所を縛り、尖った杭に刺し貫かれたようだ。
母が多く食べる時も、少なく食べる時も、胎児は苦悩を受ける。もし母が極めて脂っこいものを食べたり、乾燥したものを食べたり、極めて冷たいものや熱いもの、塩辛いものや薄いもの、苦いものや酸っぱいもの、あるいはあまりにも甘いものや辛いものを食べる時、胎児は皆、苦痛を受ける。
母が欲情にふけったり、急いで歩いたり、あるいは危険な座り方をしたり、長く座ったり、長く横になったり、跳びはねたりする時も、胎児はすべて苦しみを受ける。
難陀よ、知るがよい。母の胎内にはこのようなさまざまな苦しみが身を迫り、すべてを語り尽くすことはできない。人間の世界でさえこのような苦しみを受けるのだ。ましてや悪しき世界、地獄の中の苦しみは、比喩することさえ難しい。
だからこそ、難陀よ、いったいどのような知恵ある者が、果てしない苦しみの海である生死の世界に留まり、このような災難を受けようと喜ぶだろうか。
「難陀!第二十八七日,於母腹中胎子便生八種顛倒之想。云何為八?所謂屋想、乘想、園想、樓閣想、樹林想、床座想、河想、池想,而實無此,妄生分別。
難陀よ、第二十八の七日の間に、母の胎内で胎児は八種の迷いの想いを生じます。どのような八つかというと、すなわち、家屋の想い、乗り物の想い、庭園の想い、楼閣の想い、樹林の想い、寝台の想い、川の想い、池の想いです。しかし実際にはこれらは存在せず、ただ妄りに分別しているのです。
「難陀!第二十九七日,於母腹中有風名曰花條,此風能吹胎子令其形色鮮白淨潔,或由業力令色黧黑、或復青色,更有種種雜類顏色,或令乾燥無有滋潤,白光黑光隨色而出。
難陀よ、第二十九の七日、母の胎内には花条という名の風が起こる。この風が胎児を吹き、その形と色を鮮やかに白く清浄ならしめる。あるいは業の力によって色を黒くしたり、青くしたり、また種々の雑多な色を現じ、あるいは乾燥して潤いなくならしめる。白い光、黒い光は、その色に応じて現れ出る。
「難陀!第三十七日,於母腹中有風名曰鐵口,此風能吹胎子髮毛爪甲令得生長,白黑諸光皆隨業現,如上所說。
難陀よ、第三十七日目に、母の胎内に「鉄口」という名の風が起こります。この風が胎児の髪や体毛、爪を吹き、成長させます。白や黒などのさまざまな光は、すべてその者の業に応じて現れるのです。以上がその説明です。
「難陀!第三十一七日,於母腹中胎子漸大。如是三十二七、三十三七、三十四七日已來增長廣大。
難陀よ、第三十一の七日、母の胎内で胎児は次第に大きくなる。このように三十二の七日、三十三の七日、三十四の七日を経て、胎児は成長し、広く大きくなる。
「難陀!第三十五七日,子於母腹支體具足。
難陀よ、第三十五の七日、子は母の胎内において、四肢と身体が完全に備わる。
「難陀!第三十六七日,其子不樂住母腹中。
難陀よ、第三十六の七日の間、その子は母の腹の中に住むことを好まない。
「難陀!第三十七七日,於母腹中胎子便生三種不顛倒想:所謂不淨想、臭穢想、黑闇想,依一分說。
難陀よ、第三十七週目に、母の胎内で胎児は三つの正しい認識を生じる。すなわち、不浄の思い、臭い汚れの思い、暗闇の思いである。これは一つの側面から述べたものだ。
「難陀!第三十八七日,於母腹中有風名曰藍花,此風能令胎子轉身向下,長舒兩臂趣向產門。次復有風名曰趣下,由業力故風吹胎子,令頭向下雙脚向上,將出產門。難陀!若彼胎子於前身中造眾惡業并墮人胎。由此因緣將欲出時,手足橫亂不能轉側,便於母腹以取命終。時有智慧女人或善醫者,以煖酥油或榆皮汁及餘滑物塗其手上,即以中指夾薄刀子利若鋒芒,內如糞廁黑闇臭穢可惡坑中有無量虫恒所居止,臭汁常流精血腐爛深可厭患,薄皮覆蓋惡業身瘡,於斯穢處推手令入,以利刀子臠割兒身片片抽出。其母由斯受不稱意,極痛辛苦因此命終,設復得存與死無異。難陀!若彼胎子善業所感,假令顛倒不損其母,安隱生出不受辛苦。難陀!若是尋常無此厄者,至三十八七日將欲產時,母受大苦,性命幾死,方得出胎。難陀!汝可審觀,當求出離。」
難陀よ、第三十八の七日、母の胎内に藍花という名の風が起こる。この風が胎児の体を下向きに回転させ、両腕を伸ばして産道に向かわせる。次に趣下という名の風が起こり、業の力によって胎児を吹き、頭を下に、両足を上に向けさせ、産道から出ようとさせる。
難陀よ、もしその胎児が前世で多くの悪業を造り、人間の胎に堕ちたならば、この因縁によって出ようとする時、手足が乱れて身動きが取れず、母の胎内で命を終えてしまう。その時、智慧ある女性か優れた医者が、温めた酥油や楡の皮の汁、その他の滑らかな物を手に塗り、鋭い刃先のような薄い刀を中指に挟み、糞尿の溜まる暗く臭く穢れた穴――無数の虫が常に住みつき、臭い汁が絶えず流れ、精血が腐爛した、まことに厭わしい場所――に手を押し入れ、薄い皮に覆われた悪業の身の瘡であるこの穢れた処で、鋭い刀で胎児の体を切り刻み、一片ずつ引き出す。母はこれによって思いもよらぬ激痛と辛苦を受け、命を落とすこともあれば、たとえ生き延びても死んだも同然となる。
難陀よ、もしその胎児が善業によって感得されたならば、たとえ逆子であっても母を損なうことなく、安らかに生まれ出て、辛苦を受けることはない。
難陀よ、もしこうした災厄がなくとも、第三十八の七日、出産の時には母は大きな苦しみを受け、死ぬほどの危機を経てようやく胎を出るのである。
難陀よ、汝はよく観察せよ。速やかにこの苦しみからの解脱を求めるべきである。
根本說一切有部毘奈耶雜事卷第十一
根本説一切有部毘奈耶雑事 第十一巻