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  1. 廬山記 (廬山記)
  2. 第三
  3. 5 十八賢傳
  4. 南陽宗炳
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廬山記 (廬山記)


南陽宗炳
宗炳字少文。南陽涅陽人。祖承宜都太守父繇之湘鄉令。炳博學善琴書圖畫。尤精玄言。宋武帝之在荊州也。召為主簿。不起。問其故。答曰。棲丘飲谷。三十餘年矣。入廬山築室。與遠公同社。後兄臧為南平太守。逼與俱還。乃於江陵三湖立宅。後辟參軍太尉掾。俱不就。乃勅南郡長。給吏役。數致餼賚。南陽王義季親至其室。命之角巾布衣引見。不拜。王曰。屈先生以重祿。可乎。對曰。祿如腐草。衰盛幾何。雅好山水。往輒忘歸。甞西陟荊巫。南登衡岳。晚年盡圖之於室曰。吾老矣。名山不可再覩。唯澄懷觀道。臥以遊之。撫琴動操。欲令眾山皆響。元嘉二十四年癸未終。春秋六十九。

雁門周續之
南陽張野

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