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title: "慈氏菩薩略修瑜伽念誦法 · 4 持誦本尊真言法品"
description: "慈氏菩薩略修瑜伽念誦法由唐代高僧善无畏翻译并传授。该经典属于密教瑜伽部修行法门，主要阐述如何通过持咒、观想、礼拜等仪轨，修行与弥勒菩萨相应的法门，以期现世成就与未来往生兜率净土。它反映了盛唐时期密教在中原的传播与融合，是研究早期汉传密教的重要文献。该法门体现了弥勒信仰与密法修持的结合，在佛教密法传承中具有独特地位。"
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## 慈氏菩薩略修愈誐念誦法卷下

> \*\*弥勒菩薩略修瑜伽念誦法 巻下\*\*

青龍寺山林院一切經

> 青龍寺山林院一切経

大興善寺沙門三藏善無畏奉　詔譯

> 大興善寺訳経三蔵・善無畏、勅命により翻訳

### 持誦本尊真言法品第四

> 第四品 本尊真言の受持と読誦

復次此法不思議力如如意寶，如意寶雖無所言，隨所願處必不違願。此如來法印亦復如是，雖無言無相，作一切法必得成就。此是法力不可思議故也。

> さらに、この法の不思議な力は如意宝珠のようなものである。如意宝珠は何も語らないが、願うところに従って必ずその願いを叶える。この如来の法の印もまた同じであり、言葉も形もないけれど、あらゆる法を成し遂げることを必ず成就させる。これこそ、法の力が思いはかることのできないものであるからである。

復次此法若奉持者，雖在凡夫未斷煩惱，以法力故，隨所作處等彼聖力，驅使諸賢聖及諸天龍八部一切鬼神皆不敢違，以法印力不思議故也。

> また、この法を奉持する者は、たとえ煩悩を断ち切れていない凡夫であっても、その法の力によって、行うところは聖者の力と同じになります。そのため、諸々の聖者や天龍八部、すべての鬼神さえも、その言葉に背くことができません。これは、法の印の力が不可思議であるからです。

復次此法隨所行處，或印己身成彼本尊身，或印他身亦隨他身隨作而成。譬如拙人手執諸佛菩薩印，印於泥沙及皇等，皆成諸佛菩薩像，隨印成諸形像。此法印力亦復如是，雖未得悉地，以執諸佛法印之力，依教而行便成本法。若執法界印印於己身，即成本尊慈氏真言體。若以𡲼嚕左曩法印印於己身，亦成𡲼嚕左曩之身。乃至應生諸菩薩莽賀薩埵、諸天龍八部乃至人非人等之身，隨所印相即成本身，印己印他皆成本體三昧耶之身。雖凡愚不見，一切聖賢、天龍八部、諸鬼神及尾那夜迦皆見本尊真身。諸護法明王等為此親近，俱相助成悉地速得成就。若持真言者、若見聞覺知者，乃至供養親近承事伴侶等者，即同供養一切諸佛及諸賢聖。如是真言及契印等之法不可具陳，一劫二劫乃至無量劫說不能盡。若修愈𭔈以等，依此法印供養持誦，香華飲食隨所供養處，諸佛淨剎諸天龍鬼神等諸有情類，隨彼運心亦順印法必得悉地，準此供養隨心順印令成彼事。如是應知一切行，同六度萬行及四無量心、七覺分、八聖道分，及諸八萬四千恒河沙法門。隨所作處，即順彼印即成彼法。是故此法印義難信難解，除佛菩薩之所能知。且論不動明王刀印，左手應女相，應三昧慈悲相義；右手應男相，應智慧簡擇善惡雄猛想義。將右手智慧刀入彼左手三莽地門鞘令成印，隨所印處令成法事諸度門等。如是真言印契窮劫說不可盡，唯佛與佛乃能說之，祕密主菩薩亦不能知之。

> さらに、この法は行うところに随って、自身に印してその本尊の身となり、あるいは他者に印して、その人の身に随って成就する。例えば、拙い者が手に諸仏菩薩の印を持ち、泥沙や王などに印すれば、全て諸仏菩薩の像となり、印に随って様々な形像を成す。この法印の力もまた同じく、未だ悉地を得ずとも、諸仏の法印の力を持つことで、教えに従って行えば、ただちに本法となる。もし法界の印を己の身に印せば、直ちに本尊慈氏の真言体となる。もし毘盧遮那の法印を己の身に印せば、毘盧遮那の身ともなる。さらには、諸菩薩の摩訶薩埵、諸天龍八部、人非人などの身を生ずることも、印に随ってその本の身となる。己に印し他に印しても、皆本体の三昧耶の身となる。凡夫・愚者は見えずとも、一切の聖賢、天龍八部、諸鬼神及び毘那夜迦は、皆本尊の真身を見る。諸護法明王等はこれにより親しく近づき、共に助け合って悉地を成就させ、速やかに成就する。もし真言を持つ者、あるいは見聞覚知する者、さらには供養し親しく近づき仕え伴う者などは、即ち一切の諸仏及び諸賢聖を供養するのと同じである。このような真言や契印等の法は、全てを述べ尽くすことはできず、一劫、二劫、さらには無量劫を経ても説き尽くせない。もし修行をなすならば、この法印に従って供養し持誦し、香華飲食を随って供養するところ、諸仏の浄刹、諸天龍鬼神等の諸有情類は、その心に随い、また印法に従って必ず悉地を得る。この供養に準じて心に随い印に順えば、その事を成す。かくの如く知るべきである。一切の行は、六度万行、四無量心、七覚分、八聖道分、及び諸々の八万四千恒河沙の法門と同じである。行うところに随って、その印に順えば、即ちその法を成す。ゆえに、この法印の義は信じ難く解し難く、仏菩薩のみが知るところである。例えば不動明王の刀印を論じるに、左手は女相とし、三昧・慈悲の相の義に応じ、右手は男相とし、智慧・簡択・善悪・雄猛の想いの義に応じる。右手の智慧の刀を、左手の三昧の門の鞘に入れて印と成し、印するところに随って法事や諸度門等を成す。このような真言印契は、劫を尽くしても説き尽くせず、ただ仏と仏のみがこれを説くことができる。秘密主菩薩といえども、これを知ることはできないのである。