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  1. 妙法蓮華経文句 (妙法蓮華經文句)
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  3. 天台法華䟽序 (天台法華䟽序)
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妙法蓮華経文句 (妙法蓮華經文句)


天台法華䟽序

天台法華疏序

鏡中沙門神逈述

鏡中沙門神逈述

敘曰:至理無名,名流四天之下;真乘不動,動出三界之中。證教即事而凝然,悉檀隨緣而化物,無謀汲引,功莫大哉!《妙法蓮華經》者,洎仁雄出世,為一大事因緣之所說之也。但藥木不同,受潤成異;機宜匪一,稟教亦差。其施權也,則鹿苑四諦之法輪;其顯實也,則鷲峯三變之淨土。旨深詞寘,人尊道高,彰壽量之遠本,會伽耶之近迹。雨吹擊演,廢昔說之筌蹄;開示悟入,獲今家之魚兔。微塵菩薩,增道損生;草庵聲聞,恥小欣大。藥王燒臂而供養,多寶全身以證明,圓極冲微,不可得而言也。

敘して曰く、至理は名もなく、その名は四天の下に流れわたります。真の乗り物は動くことなく、その動きは三界の中を超えて現れます。証と教は事に即して凝然としており、悉檀は縁に随って物を化します。謀ることなく汲引すること、その功徳はまことに大きいではありませんか。

『妙法蓮華経』とは、仁雄が世に出現され、一大事の因縁のために説かれたものです。ただし、薬木がそれぞれ異なるように、潤いを受けて成長も異なります。機根は一つではなく、教えを受けることもまた異なります。その権を施すあり方は、鹿苑における四諦の法輪であり、その実を顕すあり方は、鷲峰における三変の浄土です。趣旨は深く、言葉は広やかで、人は尊ばれ、道は高く、寿量の遠い本を彰し、伽耶の近い迹を会します。雨が吹き、打ち、演べるように、昔の説の筌蹄を廃し、開示悟入によって、今の家の魚と兎を得ます。微塵ほどの菩薩たちは、道を増し生を損じます。草庵の声聞たちは、小を恥じて大を欣びます。薬王は臂を焼いて供養し、多宝は全身をもって証明し、円極冲微は、言を得べくして言うことはできません。

有天台大師,法號智顗,昔於如來前親聽茲典,位居五品;聲振兩朝不歷講肆,佛乘懸解。陀羅尼力樂說不窮,常於陳主大極殿,對御講《仁王般若經》,萬乘屈膝,百官彈指。且如觀心釋,妙離有無,取真性作軌,藉資照成徹。敘名詮宗,異於古德,五義覈理,皆扶聖教。自智者弘法三十餘年,獨有《維摩疏》,隋朝奉煬帝勅,撰此之玄文,迺是灌頂法師私記,合二十卷,非智不彈,斯言允矣。

天台大師、法号を智顗(ちぎ)と申す方がおられました。この方はかつて如来の御前でこの経典を直接お聞きになり、その位は五品に達しておられました。その名声は二つの王朝に響きわたり、講席を経ることなくして仏の教えをすらすらと理解しておられました。陀羅尼の力によって、楽しく説くことに尽きることがなく、常に陳の皇帝の大極殿において、御前にて『仁王般若経』をご講義されました。その際には、天子もひざまずき、百官も指を鳴らして讃嘆したほどでした。

また、観心の解釈においては、有と無を巧みに離れ、真の本性を取って規範とし、資となる教えによって照らし、悟りを成就されました。名を述べ宗旨を明らかにすることは、古い先徳たちとは異なり、五つの意義で道理を確かめ、いずれも聖なる教えを助けています。

智者が法を広めて三十余年、ただ『維摩疏』だけは、隋の煬帝の勅命を受けて、この玄文を撰ばれました。これは灌頂法師の私記であり、合わせて二十巻になります。「智でなければ弾じることはできない」という言葉は、まさにその通りでございます。

及其滅後一百餘載,至唐天寶中歲在戊子,有東陽郡清泰寺朗和尚,法門之眉壽、涼池之目足,乘戒俱急、內外兼包,獲滿慈之寶器、坐空生之石室,必於講授之次默然歎曰:「觀其義趣,深契佛乘,尋其文勢,時有不次。或文續義斷,或文後義前,或長行前開其章,或從後直述其義,或偈中先舉其數,或後不次其名。然聖意難測,但仰信而已。」今因諸聽徒頻勸請曰:「上根易悟,探賾不迷;中下之流,尋文失旨。儻更垂次比此,則弘益巨多。」和上再三籌量,事不獲已,乃專念大師,求加可否。因夢所感,方始條倫。蓋亦隨情便宜誠諒,非苟求同異輒有增減於其間矣。冀後諸學者,曉其元意,尋領索裳,擔金棄礫,說真實法,非虛妄人。助玄風之廣扇,備丹丘之添削,則百界千如宛同府契,化城寶所盡親津橋。賴彌勒之慇懃,迴文殊之靳固,輔《發智》之六足,褒《春秋》之一言。

その滅後一百余年、唐の天宝年間、歳は戊子の年に、東陽郡の清泰寺に朗和尚という方がおられました。法門の眉寿であり、涼池の目足であり、戒を乗ずることも俱に急がれ、内外を兼ねて包まれ、満慈の宝器を得、空生の石室に坐られました。必ず講授の折に、黙然として嘆じて言われました。「その義趣を観るに、深く仏乗に契っているが、その文勢を尋ねるに、時に次第を欠くことがある。あるいは文は続いても義は断たれ、あるいは文は後ろにあっても義は前にあり、あるいは長行の前にその章を開き、あるいは後ろから直ちにその義を述べ、あるいは偈の中に先にその数を挙げ、あるいは後ろにその名を次第立てない。しかしながら聖意は測り難く、ただ仰信するのみである。」今、諸の聴徒が頻りに勧請して言うには、「上根の者は悟り易く、深遠な義を探っても迷わない。中下の流は、文を尋ねて旨を失う。もし更に次第を垂れてこれに比べるならば、弘益は極めて大きい。」和上は再三籌量され、事已むを得ず、乃ち専念して大師に、加可否を求められました。夢に感じるところによって、方に始めて条理を整えられました。蓋しまた情に随い便宜に誠諒したものであり、苟も異同を求めて輒ちその間に増減を加えたものではありません。後の諸の学者が、その元の意を暁り、領を尋ね裳を索め、金を担い礫を棄て、真実の法を説き、虚妄の人とならぬことを冀います。玄風の広く扇ぐを助け、丹丘の添削を備えれば、則ち百界千如は宛として府契のごとく、化城宝所は尽く親しく津橋せられます。弥勒の慇懃に頼り、文殊の靳固を迴らしめ、『発智』の六足を輔け、『春秋』の一言を褒めます。

神逈等,並採綜文前輕安諦理,莫不空王佛所同共發心,十六沙彌,咸皆代講。翳花逢日,除瘼養珠,誠愧雁門之筆,曷窺龍嚬之奧,庶探玄之士,沐道流而有本焉。

神逈らは、そろって文前に総合された軽安の諦理を採り、みな空王仏のもとでともに発心した方々であり、十六沙弥はことごとく代わって講じたのでした。翳花が日に逢うがごとく、病を取り除き珠を養うがごとく、まことに雁門の筆を愧じ、どうして龍嚬の奥を窺えましょうか。ただ玄を探る士が、道の流れに浴して本のあることを願うばかりです。

妙法蓮華經文句卷第一上

妙法蓮華経文句 巻第一上

天台智者大師說

天台の智者大師が説かれました


序品

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