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帰戒要集 (歸戒要集)


No. 1129-A歸戒序

帰戒の序

夫三寶者。性相常住。體周法界。接物應機。如日曜於千江。為世舟航。非三畏之可比。故其始心入道。首則歸依三寶。受不殺盜婬妄酒戒。似儒教仁義禮智信之五常。然五常慶在一生。五戒功歸多劫。故云五戒不持。人天路絕。如來三十二相。皆從持戒而得。苟不持戒。尚不得疥癩野干之身。況得功德之體。若能持戒。現獲名稱。終超有頂。是故現見奉戒去殺。不狥仁而仁自著。持戒離盜。不崇義而義自敷。守戒除婬。不修禮而禮自立。遵戒息妄。不期信而信自成。受戒斷酒。不履智而智自明。夫斯之實。可謂振網持綱。萬目開張。破無明殻。出長夜夢。復何功可以加之。何德可以配之。若不是修。昧於所欲。徒役慮于名形。勞心乎百氏。倦形神於宵夜。虛耳目於良晨。何乖道之遠逝。而弗及者乎。得其本。則無欲而不辦。去其實。則何從以措心。是以梵志捨異學。而歸投三尊。菩薩奉禁戒。而位同大覺。如斯之教。孰得而思議哉。

そもそも三宝とは、その本質も姿も永遠に変わらず、その体はあらゆる世界に満ちています。衆生を導き、その機根に応じて現れる様は、まるで太陽が千の川に輝くがごとく、世の迷いを渡る船であり、世間の三つの恐れとは比べものになりません。ですから、初めて仏道に入る者は、まず三宝に帰依し、殺生・盗み・邪淫・妄語・飲酒の五戒を受けます。これは儒教の仁・義・礼・智・信の五常に似ていますが、五常の報いは一生のうちに現れるのに対し、五戒の功徳は数えきれないほどの長い時間にわたって続くのです。だからこそ、「五戒を守らなければ、人間や天界に生まれる道は絶たれる」と言われます。如来の三十二相も、すべて戒律を守ることによって得られるものです。もし戒を守らなければ、重い皮膚病に冒された野獣のような身さえ得られず、ましてや功徳に満ちた尊い体など得られるはずがありません。

もし戒律を守ることができれば、現世では名声を得、ついにはこの世の頂点を超える境地に至ることができます。ですから、実際に戒を守り殺生をやめれば、仁を求めなくても仁は自然と現れます。盗みを離れて戒を保てば、義を重んじなくても義は自然と広がります。淫らな行いを除いて戒を守れば、礼を修めなくても礼は自然と立ちます。妄語をやめて戒に従えば、信を期待しなくても信は自然と成ります。酒を断って戒を受け入れれば、智を実践しなくても智は自然と明らかになります。

このような実践こそが、網の綱を持ち上げれば万の目が開くように、無明の殻を破り、長い夜の夢から覚めることなのです。これ以上の功徳がどこにあるでしょうか。これに匹敵する徳が他にあるでしょうか。もしこの修行をしなければ、欲望に惑わされ、名や形に心を奪われ、百家の説に心を悩ませ、夜も昼も心身を疲れさせ、良き朝にも耳や目を空しくするだけです。どうして道から遠く離れ、追いつくことができないのでしょうか。その根本を得れば、どんな欲望も成し遂げられず、その実質を失えば、どこに心を置けばよいのかわからなくなります。

だからこそ、バラモンは異なる学説を捨てて三宝に帰依し、菩薩は戒律を守って大覚の位に至るのです。このような教えを、誰が考え、誰が測り尽くすことができるでしょうか。

時康熈癸卯仲夏鼎湖山比丘弘贊識No. 1129
歸戒要集卷上

帰戒要集 上巻

粤東鼎湖山沙門釋 弘贊在犙輯

広東省鼎湖山の僧侶 弘贊在犙編


受三歸法

CBETA コード: X1129

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