重刻禪源詮序
雪堂禪師。智識雄邁行解圓通。喜修為。樂施與。一日謂余曰。愚甞患世之學佛者。不究如來設教之因妄執空有競分大小。曰頓曰漸曰禪曰律。訾訾紛紛千數百年。如護父足使具受病。雖遇一二同志有以啟之。恨不能家喻而戶曉也。幸得圭峯所述禪源詮。其文博雅其旨切當。悉敘前所患者道其所以然。且作圖示心一真實諦含三大義。無明緣染諸相妄起。依修斷法獲證入理。提綱舉要如指諸掌。昔至元十二年春正月。世祖皇帝萬機之暇。御瓊華島延請帝師。太保文貞劉公亦在焉。乃召在京耆宿問諸禪教乖互之義。先師西菴贇公等八人。因以圭峯禪源詮文為對。允愜宸衷。當時先師囑其弟雙泉泰公為之記。仍命雪堂鏤板流行。愚以參問諸方。未暇及此。向於雲中普恩興國二寺各獲一本。後在京萬壽方丈。復得遼朝崇天皇太后清寧八年印造頒行天下定本。與文士較正擬欲刻梓以傳永久。請敘一言庸伸先師遺志。余聞之喜曰。今子之心即圭峯師憂世之心也。然不有斯文無以解其惑。不壽其傳無以利其眾。學者覩之而情不遣解不生。亦何益矣。古人所謂四難者。今三難不具其一。則在諸方參學者儻能不負二師弘法利人之念。盡心披玩。情遣解生。如王良總六轡馳通衢。阿師駕般若航登彼岸。豈有不達者哉。翰林待制朝列大夫同修。
雪堂禅師は、智慧と見識が雄大で、行いと理解が円満に通じていました。修行を喜び、施しを楽しむ方でした。ある日、私にこう言われました。「私はかつて、世の中の仏教を学ぶ人々が、如来が教えを説かれた理由を深く究めず、空と有を妄りに執着し、大乗と小乗を競って分け、頓と漸、禅と律と論じ合い、互いに非難しあい、千数百年もの間、まるで父の足を守りながらも病に苦しませるかのようにしてきたことを憂いておりました。一、二の志を同じくする同志に出会い、啓発されることもありましたが、それを家々に知らしめ、戸々に理解させることは叶わぬことを残念に思っておりました。幸いにも、圭峯禅師が著された『禅源詮』を得ることができました。その文章は博雅で、その主旨は切実適切であり、先に憂いた事柄のすべてを述べ、その所以を道き、さらに図を示して、心の一つの真実なる諦が三大の義を含むこと、無明によって縁起し染まり、諸々の相が妄りに起こること、修行によって法を断ち、理を証得して入ること、その綱領を挙げ要点を示すことは、掌を指すかのようであります。かつて至元十二年(1275年)春正月、世祖皇帝は万機の暇に、瓊華島に御幸され、帝師をお招きになりました。太保文貞の劉公も同席されておりました。そこで在京の長老たちを召し、諸々の禅と教えが互いに乖離している意義についてお尋ねになりました。先師である西菴贇公ら八人は、圭峯の『禅源詮』の文をもってお答えし、皇帝の御心に深くかなえられました。当時、先師はその弟子である双泉泰公に記録を命じ、さらに雪堂に版を彫らせて広く流布させました。私は諸方に参問しており、そのことに手が回りませんでした。かつて雲中の普恩寺と興国寺でそれぞれ一冊を得、後に京の万寿寺の方丈で、さらに遼朝の崇天皇太后が清寧八年(1062年)に印造し天下に頒布した定本を手に入れました。文人たちと較正し、永久に伝えるために版を刻もうと考えております。一言の序文をお願いし、先師の遺志を伸べたいと存じます。」私はこれを聞き、喜んで言いました。「今、あなたの心は、まさに圭峯禅師が世を憂えた心そのものです。しかし、この文がなければ、その惑いを解くことはできません。その伝承を長続きさせなければ、多くの人々を利益することはできません。学ぶ者がこれを見て、情執が去らず理解が生じなければ、何の益がありましょうか。古人の言う『四難』のうち、今や三難は備わっており、あと一つは、諸方で参学する者たちが、もし二師の弘法利人の念に背かず、心を尽くして読み味わい、情執を去り理解を生じ、王良が六つの手綱を総べて大通りを馳せるがごとく、師匠が般若の船を操って彼岸に登るならば、達しないことがありましょうか。」翰林待制朝列大夫同修。
國史賈汝舟序
国史賈汝舟序