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  1. 摂大乗論釈論 (攝大乘論釋論)
  2. 第一 (第一)
  3. 1 應知依止勝相勝語
  4. 2 十義次第章 (2 十義次第章)
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摂大乗論釈論 (攝大乘論釋論)


十義次第章第二
論曰:復次此十處,何故作如此次第說?諸菩薩最初由於如是等諸法因中得善巧,即於緣生中得善巧故。彼等次於緣所生法中得善知其相,善知離增益損減二邊過故。菩薩於如是等相善相應已,次於彼善攝持相中應須通達,即於障礙中心得解脫故。通達彼應知相已,昔加行中六波羅蜜之勝得應須成就,依內心清淨故。此內心清淨所攝六波羅蜜,於十地中應須三阿僧祇劫分分令淨故。次菩薩三學應須圓滿,既圓滿已彼果涅槃及阿耨多羅三藐三菩提應須正覺故。十處作如是次第說。於此說中,一切大乘皆得究竟。

論じて曰く、さらにこの十の処は、なぜこのような順序で説かれるのでしょうか。諸菩薩は最初に、このような諸法の因について善巧を得、すなわち縁起の中に善巧を得るからです。それらの後に、縁によって生じた法の中において、その相をよく知り、増益と損減という二つの極端な過ちからよく離れることを知るからです。菩薩はこのような相に善く相応した後、次にその善く摂持された相の中において通達すべきであり、すなわち障害の中において心が解脱を得るからです。その応知るべき相を通達した後、かつての加行における六波羅蜜の勝れた得を成就すべきであり、内心の清浄に依るからです。この内心の清浄に摂められた六波羅蜜は、十地において三阿僧祇劫の間に分分に清浄ならしめるべきです。次に菩薩の三学は円満すべきであり、円満した後、その果である涅槃と阿耨多羅三藐三菩提を正しく覚るべきです。十の処はこのような順序で説かれます。この説の中に、一切の大乗はことごとく究竟を得るのです。

釋曰:何故作如此次第說者,謂始從諸菩薩由於如是等諸法因中,乃至彼果涅槃正覺阿耨多羅三藐三菩提等,此說由知諸法因故,得於緣生善巧。由有因故果生,非自在天等,是故得因果二智。次於因所生法應知其相。其相云何?分別性無,執以為有,名為增益。增益於無,即是損減實有成就性。離此二邊過失,故名善巧。次於所取應以唯識觀知其相,由此觀故得無障礙。次於隨順入唯識世間六波羅蜜依世俗得已,第一義者應須得,謂應修淨心所攝波羅蜜。次於十地中經三阿僧祇劫分分應修,非如聲聞勝得於三生中起對治便得解脫。次即於彼修中,戒等三學應令圓滿。次學果涅槃煩惱障滅,阿耨多羅三藐三菩提三身應得。若大乘次第應知齊此。何以故?若欲說緣生,即入阿梨耶識中。若說相,即入三性中。若說勝得,即是唯識。若說波羅蜜,即入諸波羅蜜中。若說地,即入地中。若說學,即入學處。若說滅及智,即攝在無住處涅槃及三身。佛語如此,故作如是次第說。復有別義:引生大菩提等者,謂能生無戲論,無分別智故。成就者,相應故。隨順者,不違三量故。不相違者,非先隨順後相違故。如偈說:

釈します。なぜこのような順序で説かれているのか。それは、まず菩薩たちがこのような様々な法の因から始めて、その果たる涅槃、正覚、阿耨多羅三藐三菩提に至るまでを明かすためです。ここで説かれるのは、諸法の因を知ることによって、縁起の巧みな理解を得るからです。因があるからこそ果が生じるのであり、自在天などによるものではありません。それゆえ、因果についての二つの智慧を得るのです。

次に、因から生じる法について、その相を知るべきです。その相とはどういうものか。分別性は存在しないのに、存在すると執着することを「増益」と言います。存在しないものに増益を加えることは、実在する成就性を損なうことになります。この二つの極端な過ちを離れているので、巧みな理解と言えるのです。

次に、対象として捉えられるものについては、唯識の観点からその相を知るべきです。この観察によって、障害なく理解することができます。

次に、唯識に入ることに順じた世間の六波羅蜜を、世俗のレベルで得た後、第一義のレベルでも得るべきです。つまり、清らかな心に包まれた波羅蜜を修めるべきです。

次に、十地において三阿僧祇劫にわたって少しずつ修めるべきであり、声聞のように三生のうちに対治を起こして解脱を得るようなものではありません。

次に、その修行の中で、戒などの三学を円満にすべきです。

次に、学びの果たる涅槃において煩悩障が滅し、阿耨多羅三藐三菩提と三身を得るべきです。大乗の順序は、ここまでを理解すべきです。

なぜなら、縁起を説こうとすれば、阿梨耶識に入り、相を説こうとすれば、三性に入り、勝れた境地を説こうとすれば、それは唯識であり、波羅蜜を説こうとすれば、諸波羅蜜に入り、地を説こうとすれば、地に入り、学びを説こうとすれば、学びの領域に入り、滅と智慧を説こうとすれば、無住処涅槃と三身に収まるからです。仏の言葉はこのようであり、それゆえこのような順序で説かれているのです。

さらに別の意味があります。「大菩提などを引き起こす」とは、戯論のない無分別智を生じさせることを指します。「成就する」とは、それと相応することを意味します。「随順する」とは、三つの基準に背かないことを指します。「相違しない」とは、最初は随順しても後で相違するようなことがないことを意味します。偈に次のように説かれています。

攝持求及悲, 亦隨順諸善,
非黑白我見, 有益亦有損。

求める心と慈しみを保ち、また様々な善に従いなさい。 白でも黒でもない我見は、益にも損にもなるのです。

得一切智智者,謂於一切法中無間一切種智生故。此成就等復有別義:成就隨順不相違等,前句為本,後句為釋。云何成就?謂隨順故。云何隨順?謂不相違故。如是展轉。

一切智の智慧を得るとは、一切の法において間断なく一切種智が生じることをいうのです。この「成就」という言葉には、さらに別の意味があります。それは「随順」であり、「不相違」であるということです。前の文が根本を示し、後の文がそれを解き明かしています。では、「成就」とは何でしょうか?それは「随順」であることです。では、「随順」とは何でしょうか?それは「不相違」であることです。このように、言葉は互いに繋がり合い、意味を深めていくのです。


1 無等聖教章
3 眾名章

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