末底僧訶者(唐云師子慧)京兆人也。俗姓皇甫。莫知本諱。與師鞭同遊。俱到中土住信者寺。少閑梵語未詳經論。思還故里路過泥波羅國。遇患身死年四十餘。
マティシンハ(唐の言葉で師子慧といいます)は、京兆の出身で、俗姓は皇甫といいます。幼い頃から梵語を少しかじっていましたが、経典や論書に詳しくはありませんでした。師鞭と共に中国に来て、信者寺に住んでいました。故郷に帰ろうと思い立ち、旅の途中でネパールを通りかかりましたが、病気にかかり、四十歳あまりで亡くなりました。
マティシンハ(唐の言葉で師子慧といいます)は、京兆の出身で、俗姓は皇甫といいます。幼い頃から梵語を少しかじっていましたが、経典や論書に詳しくはありませんでした。師鞭と共に中国に来て、信者寺に住んでいました。故郷に帰ろうと思い立ち、旅の途中でネパールを通りかかりましたが、病気にかかり、四十歳あまりで亡くなりました。