No. 1439-A自序
1439-A 自序
余住山方三年。其上堂語要。林涵齋居士已序。而刊行之。後見法門流獘。日深日下。至不忍聞見。遂辭說法之任。自甘與二三有志衲子。栽田博飯而已。盖不欲混入羣隊也。而諸檀信為法心深。競齎香供入山。強請陞座。弗獲已隄岸復決。滾滾不休。書記仍錄成鉅帙。而監院源公。請梓流通。余曰。此乃博飯喫底閑言語耳。安用刻為。源曰。政當使天下有鼻孔衲僧。嗅著飯氣。腦門迸裂。虗心果腹而去。其於法門之獘。庶有振乎。余聞其言。又不免隨風倒柁。乃以餐香名之。而自書諸簡首曰。釋迦掩室。已涉廉纖。淨名杜辭。葛藤滿地。山僧今日。向虗空裏安橛。陸地上生波。木札羮。鐵釘飯。一齊拈出。可謂是真精進。是名真法供養也。若有咀嚼得下者。負吾負汝。二俱免矣。如或不然。山僧自山僧。闍黎自闍黎。且喜不相帶累。
私は山に住んで三年になります。その間の上堂の法語の要点は、すでに林涵齋居士が序文を書き、刊行されました。その後、仏法の門派における弊害が日に日に深まり、聞き見るに耐えなくなりました。そこで説法の任を辞し、自ら進んで二、三人の志ある修行僧たちと共に田を耕し、飯を乞うて暮らすことにしました。それは群れに混じることを避けたかったからです。しかし、多くの在家信者たちは深く法を求め、競って香や供物を携えて山にやって来て、無理に説法の席に上るよう強請りました。やむを得ず堤防が再び崩れ、とめどなく言葉が溢れ出しました。書記がそれを録して大部の書物とし、監院の源公が版木を彫って広く流布するよう願い出ました。私は言いました。「これは飯を乞うて食べるための、ただの取るに足らない言葉にすぎません。どうして版木に彫る必要がありましょうか」と。源公は答えました「まさにこそ、天下の鼻の穴ある修行僧どもに、飯の香りを嗅がせ、頭のてっぺんを裂かせ、心を空にして腹を満たして去らせるべきです。これこそが、法門の弊害を、おそらくは振るい立てることになりましょう」と。私はその言葉を聞いて、またもや風に従って楫を傾けずにはいられませんでした。そこでこの書を『餐香』と名付け、自らその表紙に書き記しました。「釈迦は室を閉ざしたが、すでに細やかすぎた。維摩は言葉を絶したが、葛藤が地に満ちた。山僧、今日、虚空にくいを打ち、陸地に波を起こす。木札の羹、鉄釘の飯を、一斉に差し出す。これはまさに真の精進であり、これこそ真の法供養というべきであろう。もしこれを噛み砕く者があれば、我を負うことも汝を負うことも、共に免れることができよう。もしそうでなければ、山僧は山僧、阿闍梨は阿闍梨。しかも喜んで互いに煩わされることはない」と。
旹
今
康熙六年臘月十日 為霖道人題于聖箭堂
寛文六年(1666年)臘月十日 為霖道人が聖箭堂にて記す